彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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第六章 異種混合草野球頂上決戦
異種混合草野球頂上決戦1


 十月半ばの土曜日。

 風はすっかり冷たくなり、野外の植物は日に日に葉を茶色くしていく。青空で輝く太陽もどこか弱々しく、夏の暑さは随分と遠ざかっていた。多くの生き物達は迫る冬に備えて姿を消し、命にとって厳しい季節が始まろうとしている。

 尤も科学の力を振るう人類には、この時期の心地良さを存分に満喫する余裕がある。そして運動の秋とはよく言ったもの。過熱した体温を下げてくれる適度な低温と、汗を吸い取ってくれるささやかな乾燥は、正しく運動のためにあると言っても過言ではない。大勢の人々が外へと繰り出し、健康的な活動に勤しんでいた。

 しかしながら日本には一人、この季節を運動に使う気など毛頭ない人物が居る。

 大桐花中だ。

 生き物を探しに野山へと出掛けたり、友達に誘われて海へ行ったりと、花中は別に外に出るのが嫌いという訳ではない。が、『運動』をしようという意欲自体は全くないのだ。生き物が消えた事で散策理由が失われ、涼しくなった事で海やプールに行く意味もなくなれば、自然と家に籠もりがちになる。

 しかし家に居てやる事など、花中の場合ごろごろしながら本を読むか、ごろごろしたままお昼寝するぐらいしかない。いや、ごろごろしながら本を読むと何時の間にか寝てしまう事も多いので、殆ど昼寝しかしていない。この時期のお昼寝は程良い日射しのお陰で大変気持ち良く、癖になるほどだ。

 というより、今の花中はお昼寝がすっかり癖になっていた。

「……はなちゃん。キビキビしろとは言わないけど、もう少しメリハリある生活をしましょうよ。いくら土曜日で学校がお休みだからって、もう十二時を過ぎてるのにまだパジャマ姿なのはどうかと思うわよ」

 そんなこんなで今日も朝からずーっと自宅の和室にてごろごろだらだらしていた花中だったが、同居人であるミリオンからそのような忠告が飛んできた。

 あ、名前を呼ばれた。

 そんな考えが浮かんだのは、ミリオンに声を掛けられてから数秒ほど経ってから。寝転がったまま花中はもぞもぞと顔だけをミリオンの方へと向け、そのまま考え込む事更に数秒。

「……ふぇ?」

 十秒近い時を費やしようやく口から出てきたのは、なんとも間の抜けた一言だった。

 あまりにも知能指数の低い花中の反応。これにはミリオンも眉間に皺を寄せ、渋い顔を見せる。

「ちょっとー、本当に頭の中痛んだりしてない? ここ最近動きやら反応がやたらと鈍いじゃない」

「あー……秋は、眠たくなっちゃうので……一緒にお昼寝、します?」

「私に睡眠を取る『性質』がないの忘れてない? あともうお昼だっつってんでしょ。寝るんじゃなくてご飯の時間よ」

 ぼんやりとした花中の姿を見て、ミリオンは呆れたように肩を落とす。こうも露骨に呆れられると、もしかして今の自分はかなり『ヤバい』状態なのではないかと花中自身思わなくもない。

 いや、今までの――――去年までの花中であれば、自身の生活態度の堕落ぶりを自発的に察していただろう。すぐに切り替えは出来ずとも、堕ちるのは食い止めて、少しずつだが元の生活スタイルに戻していけた筈だ。

 そう、去年までなら。

「良いじゃないですかミリオン。こんなにも可愛らしい花中さんが見られるのですから」

 しかし今年の大桐家には、花中を大いに甘やかすフィア(友達)が居た。

「あ、フィアちゃん。枕、持ってきてくれたぁ?」

「はいこちらにありますよ」

「えへへ、ありがとー」

 寝転がったまま花中は手を伸ばし、傍までやってきたフィアは自身が抱えていた大きめの枕を花中に手渡す。花中はすかさずその枕をぎゅっと抱き締め、深々と顔を埋めた。

 先日洗ったばかりの枕からは、洗剤の柔らかな香りがする。それを嗅いでいると心の起伏が徐々に小さくなり、眠気が漂ってきた。目を開けるのが辛くなり、枕を抱き締める力も弱まり、思考自体が薄れていく。

「……はなちゃん」

 ミリオンのドスの利いた声がなければ、そのまま夢の世界へと旅立っていただろう。呼び声がシナプスを揺さぶり、どうにか理性が活性化。いそいそと花中は起き上がり、せめて姿勢ぐらいは正そうと正座をする。

 寝るのをどうにかこうにか我慢した花中に、ミリオンはやはり呆れ気味。ところが何を思ったのかふと眉を顰めると、人間ならば吐息が掛かりそうなぐらい顔を近付けてきた。そのまましばし、舐めるように花中の顔を眺めてくる。

「はなちゃん、少し太ったでしょ」

 やがて告げられたのは、大半の女性の心を抉る言葉だった。

「え? そう、ですか?」

「うん、間違いなく太ってる。休みの日のお菓子作りは止めないのに、動きだけ鈍くなればそりゃ太るわよね」

 ミリオンの至極尤もな指摘を受け、花中は自分の顔を触ってみる。生来ぷにぷにのほっぺたは、心なしか何時もより弾力があるかも知れない。確かに摂取カロリーは変わらないのに消費カロリーが減れば、余剰分が脂肪になるのは宇宙の偉大なる法則によって定められている。太ったという誹謗も、あながち出鱈目ではなさそうだ。

 体重増加とは乙女のバットステータス。流石にこれには花中も顔を青くする……事はなく、それどころか気にも留めなかった。

 何分普段から美容など気にしておらず、そもそも花中の普段の体系は所謂『痩せ型』である。具体的には学校で行われる身体測定の結果に「痩せ過ぎ(意訳)」との文言が載るぐらいの。肉や脂肪が付くのは健康を思えばむしろ歓迎する事態だ。贅肉でも付かないよりマシなのかは、分からないが。

「どれどれ……おおこれは中々の感触。今まで以上に弄り甲斐のあるほっぺですねぇ」

 加えて、後ろから抱き着いてきたフィアが、ほっぺたをむにむに触るなどして構ってくれる口実にもなったり。

 友達にいっぱい触ってもらえて、花中は蕩けるように笑みを浮かべる。対するミリオンは、花中を笑顔にした魚類に苛立ちの眼を向けていたが。

「もうっ、さかなちゃんがそうやって甘やかすからいけないのよ」

「甘やかして何が悪いのです? こーんなに可愛いのに」

「堕落させたら『長持ち』しないでしょーが。メリハリある生活は長寿の基本よ!」

「生憎私は無駄に長生きするより楽しく短命に終わる方が好みでしてね」

 わいわいぎゃーぎゃー、フィアとミリオンが言い争う。尤もケンカというより、これでは子供の教育方針を巡ってもめる夫婦のようだ。

 仲良いなぁ、等とぼんやり思いつつ、当事者でありながら話の外に居る子供(花中)は退屈で仕方ない。小さな欠伸が出てきて、段々瞼が重くなる。

 やがて身体を真っ直ぐ支えられなくなり、ゆるゆると背後に控えるフィアに寄り掛かってしまう。丁度頭の辺りにあるぽよんぽよんとした二つの感触が、なんとも心地良い。これは枕とするのにうってつけだ。

 最早抗おうという意思さえ潰え、ついに花中の視界は真っ暗に。

「だーかーらーっ、寝ちゃ駄目って言ってるでしょーがっ」

「ぎゃふっ!?」

 なったのも束の間、ビシッと、花中の額に衝撃が走った。ミリオンは花中から一メートル以上離れた位置に立っているが、彼女は元々目に見えないほど小さな『物体』の集合である。空中を漂っていた個体が一瞬集結し、不可視の近接攻撃を仕掛けるなど訳ない。

 痛い、というほどではないが、目を覚ますには十分な衝撃。花中は額を擦りながら姿勢を直す。花中を()()()事に気付いたのか、フィアがさながら悪鬼のような形相でミリオンを睨み付けるも、ミリオンはこの程度で怯むような玉ではない。

 殴られた当人である花中もぼけっとするだけ。むしろやや間を開けてから、にへへと笑ってしまった。

 誤解なきように言えば、花中は今の一撃でかなり反省した。例え小突いた程度の打撃でもお叱りには変わらないし、愛情ではなく自身の利益 ― 即ち花中が長生きする事で『思い出』の長期保存が可能になる ― を求めた結果だとしても、自分の身体を労ってくれた事実は揺らがないのだ。そうした説教を受けて、どうして反省せずにいられよう。

 ――――であるが故に、嬉しくもあるのだ。普段なら猛省と恥ずかしさによって顔を真っ赤にするところだが、間の悪い事に今の花中の脳みそは半熟卵並に蕩けている。後悔やら恥ずかしさの分泌は鈍く、代わりに幸福物質はだだ漏れ状態。

 その結果が先のにやけた笑いなのだが、花中当人以外にこの心理状態が筒抜けである筈もない。いや、だらけぶりに拍車が掛かっているようにしか見えないだろう。

 ミリオンが呆れ顔から憤怒の顔になるのも、仕方ない事だった。

「……もう限界ね。ここまで酷くなったら流石に見過ごせないわ」

「見過ごせないと言いますけど何をするつもりなのです?」

 さりげなく花中をぎゅっと抱き締め、不信と警戒を露わにしながらフィアはミリオンを問い質す。するとミリオンは威張るように胸を張り、荒々しい鼻息を一つ吐いた。

 そしてビシッと、花中を人差し指で指す。

「はなちゃんに、運動をさせます!」

 それから堂々と宣言をして、花中とフィアをキョトンとさせた。

「……運動、ですか?」

「ええ。やっぱり家でごろごろしてばかりだからそうなるのよ。外に出て元気よく身体を動かせば、その腐りかけの脳みそもいくらか形を取り戻す筈よ」

「はぁ……」

 相変わらず鼻息の荒い ― 彼女は呼吸などしていない筈なのだが ― ミリオンに、花中は小さな相槌を返す。

 腐りかけの脳みそとは中々キツい罵倒であるが……今の花中がかなりだらしない状態にあるのは揺るぎない事実。生活態度の改善しようという気持ちを持ったところで、勢い付いた堕落のスピードは緩めるだけでも多大なエネルギーを必要とする。そもそも怠惰に傾ききった心では、そのエネルギーを捻出出来るかも怪しい。自力で立ち直るには最早手遅れかも知れない。

 故にミリオンは、花中に荒療治を施そうとしているのだ。人間の精神状態は存外場の雰囲気に流されて変わるもの。無理やりにでも運動をさせる事で、花中の心を怠惰から活動へと切り換える目論見なのだろう。そういう方法もありか、と花中自身は思ったのでこの発言に口を挟むつもりはない。

 代わりに異を唱えたのは、だらだらする花中を愛でたいフィアだった。

「言葉にするのは簡単ですけどねぇ。花中さんに何をさせるつもりなのです?」

「んー、そうねぇ。テニスとかサッカーをやってみようと思うのだけど」

「ああ要するに遊ぶだけですか。なら文句はないです」

 尤もそのフィアも、あっさり言いくるめられていたが。結局のところフィアとしては、花中を愛でられるならなんだって構わないのである。花中自身の気持ちなどお構いなしに。

 そして花中は、ミリオンが告げたこの方針にも文句などない。スポーツは苦手だし、運動への意欲も限りなくゼロではあるが、別に嫌いでもないのだ。みんなと遊びながらやるとなれば、断ろうという気持ちが沸いてくる筈もない。むしろちょっとワクワクしてきた。

「はい、もう話はないわね? そーいう事だからご飯食べたらすぐにでも外に行くわよ」

 ただ、流石にこちらのスケジュールを無視して話を進められると戸惑いはあるのだが。

「え? もう、ですか?」

「当然でしょ。明日やろうは馬鹿野郎って言葉、知らないの?」

「いえ、でも今日は、午後は買い物に――――」

「そんなの帰りにでも行けば良いのよ。ほら、さっさと着替えてお昼の支度をしなさいっ!」

「は、はひっ!?」

 命じられた花中はパタパタと立ち上がり、身支度の第一歩として自室へと駆け足で向かう。パジャマを脱ぎ捨て、運動に適したスマートな服装へと着替えるために。

 お昼寝をしたのに、今夜はぐっすり眠れそうだ。

 ふと脳裏を過ぎった考えに、花中はくすりと笑みを零す。フィアは直接的に自分を甘やかすが、ミリオンもミリオンで間接的ながら甘やかしている。甘えん坊な花中にとって、構ってくれるのが一番の『甘やかし』なのだから。

 こうして叱ってくれるのなら、来年の秋もますますだらけてしまうかも。

 それを言葉にしたらまた怒られるだろう。そしてうっかり独りごちれば、大気中を漂っているミリオンに聞かれてしまうに違いない。嬉しさで弛み気味の口に力を込めてから、花中は自室に続く階段を昇り始めた。

 先程までのだらけぶりが噓のような、力強い足取りで――――




始まりました、第六章。
本章は日常系漫画のようなおっとりぽわぽわな雰囲気を目指します。
……まぁ、どいつもこいつも平和と無縁、どころか平和をぶち壊す奴等なのですが(ォィ

次回は6/2(日)投稿予定です。

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