彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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幕間五ノ六

 深い眠りから目覚めたような、爽やかな開放感。

 それが、彼が人智を獲得した時の心境だった。尤も目を開けても、辺りは暗闇一色しか見えない。それは今の時刻がまだ夜であり、彼の寝室である檻の中の照明が落とされたままだからであった。手を付いたコンクリートの床はひんやりとしていて、夏の暑さから逃れるのに丁度良い。

 珍しい時間に起きたものだ、と考えたところで、彼は異変に気付いた。異変とは、自分が言語的な思考をしている事である。彼は獣であったが聡明な種族であり、日々多様な思考を行っていた。故に眠る前の自分が、言語ではなく抽象的な感覚で思考していた事を覚えていたのだ。

 自分の身に何かが起きたのか。それを確かめようと手を握り、開き、自分の意識と身体が繋がっているのを確かめる。するとどうだ、まるで何百年と付き合ってきたかのように、自分の身体の隅々まで分かるではないか。今まで知らなかった己の才覚が、ハッキリと認識出来る。

 悪い感覚ではない、が、得体の知れない異常である。一体何が起きたのか? 人智を得て聡明さに磨きが掛かった彼は、その謎に挑んでみようと考えた

「あなただけか、目覚めたのは」

 そんな時に、その声は聞こえてきた。

 途端、彼は全身の毛が逆立つほどの寒気を覚える。

 声は檻の向こう……そう、何時も自分に食事を与え、寝床の掃除をしてくれる『生き物達』が立つ側に居た。照明が落ちているのでその姿はハッキリとはが、闇の中に浮かぶ輪郭は『生き物達』に酷似しているように見える。

 あの『生き物達』の仲間なのだろうか? しかし見知った『生き物達』の中には、これほどの威圧感を放てる個体はいない。違う群れのボスなのだろうか。だとしたらこの施設内では今、縄張り争いが行われている?

「こちらの言葉は分かるかな? 分かるなら、少し頼みたい事があるんだ」

 正体を考察していると、そいつは『雌』の声で話し掛けてきた。正体不明の存在であったが、彼は本能的にそいつに逆らう事が如何に無謀かを察した。こくこくと、何時の間にか身に着けていた『生き物達』の作法である『頷き』を行い、そいつの機嫌を損ねないようにする。

 それでいて、一体どんな頼み事をされるのかと不安になり、息を飲んだ。

「この施設の外に居る、とある人間と接触してほしい。接触後どうするかは問わないが、兎に角関わりを持ってほしいんだ。ただし殺すのは駄目だけどね」

 ところが言われた内容は、あまりにも拍子抜けするもの。

 言葉は理解していたが、その意味が上手く処理出来ない。彼が返事をしたのは、話からかなり間を開けてからだった。

「……? ……………」

「ふむ、手話で会話を試みるか。何々……『それは難しい。自分はこの施設の外には出られない』、か。それは今までなら、だろう? 今の君なら、例え軍事施設からでも脱走出来ると思うけどね」

 彼が否定的な意思を伝えると、そいつは彼の力を評価してくる。流石にそれは自分を持ち上げ過ぎではないか? と訝しむ彼だったが、しかし言われてみれば、この身体に宿った力を使えば脱走は容易であるように思えてくる。少なくとも此処……軍事施設なんて物々しいものではなく、よくあるレジャー施設の一つに過ぎない此処からなら、きっと。

 だが、出来る事=したい事ではない。

「……………。…………………………」

「『出来る事については、同意しよう。しかし自分には家族が居る。特に息子はまだ幼くて、目が離せない。すぐには動けない』……なぁに、心配はいらないよ。元より時間制限を設けるつもりはないからね。いや、正確にはあるが……まぁ、一年以内なら許容しよう」

 提示された破格の条件に、彼は目を丸くする。同時に、一層の猜疑心を募らせた。あまりにも条件が良過ぎる。これではどちらが下手か分からない。

 いや、そもそも自分は『コイツ』の言う事を聞く必要があるのか?

 思えば力の差を察して勝手に怯んでいたが……ここまで下手に出るという事は、もしかしたらコイツ、実は大して強くないのではないか? 得体の知れない存在に、過剰な警戒心を抱いてしまったのでは?

「…………………………」

「ふむ、『もし断ったらどうする?』か。別に、どうもしないさ。別の子を頼るだけだよ。候補は君以外にも居るからね」

 恐る恐る訊いてみれば、答えはあまりにも呆気ない。何かの罠ではないかと勘繰りたくなるほどだ。

 しかしそうとなれば、答えは明白だ。この場所に居れば食べ物には困らないし、敵に襲われる心配もない。何より此処には大切な家族が居る。得体の知れない外の世界など、出向く気にならない。

 そう思っていた。

「ああ、そうそう。もし賛同してくれる子が居たら、その子には少ないけどお礼を渡そうと思っているんだ。そうだね、『人間』が作った、とても楽しいオモチャなんかはどうだろう? きっと小さな子は喜ぶだろうね」

 だからそいつは脅しではなく、甘言を使うのだ。

「気が変わったら行動で示してくれ。多分ニュースになるから、それでボクにも伝わるよ。詳しい話はその時にしよう。それじゃあ、()()()()()

 言いたい事は言い終えたのか。そいつは話を打ち切ると、なんの未練もなくこの場を後にする。暗闇の中に姿は溶け、辛うじて見えていた輪郭は完全に消え失せた。気配も、もう感じ取れない。

 静寂を取り戻した施設。されど彼の胸中は、未だかつてないほど掻き乱されていた。

 何分彼は聡明過ぎた。未来を予測し、他者がどのような反応を取るのかを想像出来るほどに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 彼が施設を脱走したのは、一ヶ月半後の事だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第六章 異種混合草野球頂上決戦

 

 

 

 

 

 




Q:『母なる者9』で謎の人物が話していた、繁殖活動を確認した『アレ』の話じゃないの?
A:じゃないです。それは第七章となりました。

はい、という訳で次章は野球回となります。サブタイからぷんぷんと漂うギャグの臭い。四章と五章は色々重い(注:作者の感想)ため、六章は和気あいあいに全振りしたお話にしたかったのです。とはいえじゃあ次章がただの日常かと言うと、そういうつもりもなし。さらっと伏線仕込みますよー、回収は遠い未来だけど(ぇー

それではまた次回お会い出来る事を祈って。
ではではー

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