彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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母なる者9

 RNA生命体を打ち倒したミリオンは、俯きながら町の中を歩いていた。

 進む道の周囲には燃え盛る家々があったが、ミリオンは見向きもしない。崩れ落ちた瓦礫が自分を飲み込み、突き飛ばされて倒れる事もあったが、何事もなく立ち上がり、再び歩き始める。節穴の眼には辛うじてあった筈の感情が消え失せ、死体がそのまま歩いているかのように表情を枯らしていた。

 ここまで絶望的な気分になったのは、『この人』が死んでしまった時以来だろうか。

 考えてみれば、アイツは無数のRNAの集合体……自分と同じく膨大な群体から『個』を形成するモノだった。分散した『個体』を複数作っておくなどリスク管理の初歩。かつて、ミリオン(じぶん)もフィアと戦った時にやっていたではないか。相手が同じ手を使ってくる事は予想出来た筈なのに。

 もう、どうにもならない。

 世界の何処かに居る、残り三体の『造物主』を夜明けまでに探し出して倒せ? 不可能だ。地球が途方もなく広い。探すどころか辿り着くのにも時間が掛かるだろう。仮に居場所がすぐ近くだったところで、先の戦いの情報は恐らく残る三体のRNA生命体にも伝わっている。怪物達はより強力な個体へとバージョンアップされ、より多様な戦術を用いてくるだろう。そして止めを刺した一撃に対し、なんらかの対抗策を編み出されている可能性が高い。

 挙句、RNAを喪失した事でミリオンは増殖能力を失った。DNAを持たないインフルエンザウイルスにとってRNAは唯一の遺伝情報であり、RNAがなければ新たなRNAの合成は行えない。戦えば戦うほど自分の『数』は減っていき、加速度的に力を失っていく。

 どんどん強くなる敵と、どんどん弱くなる自分。

 愛する人の遺骨を守るという制限付きだったとはいえ、先の戦いですら互角だった。二戦目以降の勝敗など、考えるだけ無駄だ。

 自分の力ではRNA生命体を倒せない。

 RNA生命体を倒せなければ……奴等によってRNAを抜かれている花中達は、朝にはその命を落とす。いや、花中だけではなく、世界中の人間が死滅する。居るかどうかも分からない、『代替品』という可能性すらも潰えてしまう。

 そして花中達が居なければ、ミリオンは愛しき人の記憶を維持出来ない。

 ――――唯一の願いだったのに。

 好きな人の思い出を胸に、共に朽ちたいというささやかな願いなのに。好きな人の待つ世界へと逝きたいだけなのに。どうして叶えられない? どうして、何時も上手くいかない?

 もう、考えるのも嫌だった。

「……………っ」

 ごん、と頭をぶつけた。顔を上げると見慣れた建物が。

 花中達を寝かせている、本当なら楽しい一夜を過ごす予定でいた旅館だ。

 俯きながら歩いていたので、建物の柱に頭をぶつけてしまったようだ。それに頭をぶつけるまで、聴覚情報や視覚情報の処理も行っていなかった。精神的負荷があまりにも大きく、五感の再現をすっかり忘れていたのだ。つまり周りの音は聞こえず、景色も見えずに歩いていた。

 にも拘わらず自然と此処に戻ってきたのは、きっと無意識の足掻きなのだろう……ミリオンは、そう思った。

 自殺は出来ない。それは死の間際、愛した人が遺した言葉によって禁じられているから。だけど思い人の記憶と共に朽ちる夢ももう叶わなくなった。届かぬ夢を諦めずにいられるほど、ミリオンという『乙女』の心は強くない。

 だからせめて、花中の命が潰えるその瞬間まで、彼女の傍に居たい。大切な人との思い出を、一秒でも長く、忘れずにいられるように。

 柱を避け、側にある扉を開けてミリオンは建物の中へと入る。視覚と聴覚に相当する情報処理を再開し、蛍光灯で照らされた建物内の構造を正確に把握しながら前へと進む。目指すは、花中達を寝かせている大部屋。

 その部屋は出入り口の扉からさして距離はなく、すぐに辿り着いた。造物主すら屠る己の手を小さく震わせながら、ミリオンは部屋と廊下を区切る襖を開け――――

「ひゃっはー革命だぜぇ!」

「あ、あの、革命返し、です」

「おぶふっ!?」

「うっわ、えげつない」

 みんなで仲良く、大富豪 ― 大貧民と呼ぶ場合もあり ― で遊んでいる姿を目の当たりにした。

 折角の『革命』をあっさり返され、畳の上でのたうつ加奈子。その様を呆れた表情の晴海が眺め、フィアは自分の手札を悩ましげに睨み付けている。ミィは猫の姿で、頭の上からフィアに指示を出していた。ミィ以外の全員が浴衣姿ではしゃいでおり、旅行を心底楽しんでいるのが見ただけで伝わってくる。

 そして加奈子の『革命』を無に帰した花中は、おろおろしながら右往左往。その拍子にふとミリオンの方へと顔を向け、ハッとした素振りを見せる。

「あ、ミリオンさん。えと、何処に」

 次いで親しげな笑顔を浮かべながらミリオンに話し掛け

 ぴしゃり。

「……………あっ」

 ミリオンは思わず襖を閉めてしまった。目の前に広がっていた光景が、あまりに予想と食い違っていたので。

 視覚情報や聴覚情報の処理に問題があったのか? 再開したばかりでノイズでも混じったのかと再処理を行うも、情報精度に問題は見付からない。実際の光景と音声だと物語っている。

 いや、やはりおかしい。

 花中達の不調はRNA生命体の力によるもの。RNAが離脱した事で正常な細胞分裂が行えなくなったからであり、この事象はRNA生命体が地球生命の一掃を目論んだ結果だ。RNA生命体は未だ三体も残っており、計画は現在も続いている……筈である。先程一体倒した事で日本周辺では干渉が弱まった可能性もあるが、奴が最期に見せた例え最後の一体になろうと問題などないと言わんばかりの態度からして、奴の力は単独でも地球全土に及ぶものと考えられる。多少のインターバルは出来たとしても、状況が好転するとは考え難い。

 どうして? 一体何が? 何かの策略か――――

「あの、ミリオンさん……どうか、しましたか……?」

 考え込もうとしたミリオンだったが、不安げで、今にも吹き消えてしまいそうな声が思考を妨げる。

 振り返れば、先程咄嗟に閉じてしまった襖を開け、廊下側に顔だけ出してこちらをじっと見つめている花中と目が合った。その瞳は今にも泣きそうで、けれども宿る光はまだまだ潰えてしまいそうにない。

「……はなちゃん……身体の方は……」

「え? あ、はい……その、ご心配、かけました。なんか、分からないです、けど、えと、ついさっき、元気には、なりました」

 両腕を曲げて、花中は元気さをアピール。貧弱な腕には力こぶすら出来ていないが、動き回れる程度には回復しているのは確かなようだ。

 ますます訳が分からずミリオンは呆気に取られてしまうが、ぼんやりしていると花中もまたキョトンとしてしまう。段々と空気がぎこちなくなり、何か、喋りにくくなる。

「花中さーんどうしたのですかぁー?」

 が、此処にはそんな空気を読まない魚類も居た。おまけとして付いてきた猫もだ。

「あ、フィアちゃん、ミィさん……」

「およ? ミリオンじゃん。戻ってきたの?」

「さかなちゃん、猫ちゃん、あなた達身体の方は……」

「あん? 体調なんてとっくに回復してますよ。そんな事より花中さんを独り占めなんて許しませんからねっ!」

 話もろくに聞かず、フィアは花中の手を掴んで部屋の中へと引っ張り込んでしまう。手加減はしているだろうが、人間である花中が化け物(フィア)の怪力に抗える訳もなし。呆気なく花中は連れ去られてしまった。

 連れていかれてどうという事はないが、話途中だった所為かミリオンはつい追い駆けてしまう。

「あら、ミリオンじゃない。おかえり」

「んよ? ミリきちかー?」

 勢いのまま部屋に入ると、今度は晴海と加奈子が歓迎してくれた。この二人も、普段より少し顔色が悪い、ような気がする程度。大丈夫かと身を案じれば何故そんな事を訊くのかと、逆に問い返されそうなぐらい元気だ。

 温泉での出来事から今この瞬間まで、自分は悪趣味な夢でも見ていたのだろうか?

「いやー、ミリきちが戻ってきて思い出したけど、さっきのはなんだったのかな?」

「急に意識が遠退いたもんねぇ……しかもその後大桐さんや、フィア達まで倒れたみたいだし」

「おまけに旅館中の人間やペットが倒れていましたからねぇ。回復してから事情を聞こうとしたのですが誰もが自分の事で手一杯なようでして。テレビを点けても番組自体が混乱している始末ですし」

「そーいう訳で出来る事もないから、落ち着くまでこうして遊んで時間を潰してたんだけどね。流石に、そろそろ外に出てみようかなーとかは考えていたけど」

 脳裏を過ぎる一瞬の現実逃避も、人間と動物達の会話がそれを否定する。お陰でもう、本当に訳が分からない。

「ただ、外に出るにして、も、何を訊けば良いかも、分からなくて……ミリオンさんは、何かご存知、ですか?」

「え、ええ、まぁ……」

 そして戸惑いの中で花中に訊かれたものだから、ミリオンはうっかり正直に答えてしまった。普段らしからぬ失態に我に返るも後の祭。

「え? なんか知ってるの?」

「ふむ大富豪にもそろそろ飽きてきましたし暇潰しには丁度良いですね。教えなさい」

「あたしも気になるー」

 失言は瞬時にその場に居た全員に知れ渡り、最早誤魔化しようのないものとなっていた。

 全員の視線が一斉にミリオンへと向けられる。誰もが好奇の感情を隠そうともせず、話してくれるのが当然だと思っている様子だ。別段、この期待を裏切る事に良心の呵責などはないが……断ればそこそこ面倒臭い展開になりそうである。

 それに解決すべき()()()()問題が何故かどっかに行ってしまって、ミリオン自身も困惑しているところだったのだ。悩んでいる時は誰かに相談するのが一番。そして相談するためには、事の成り行きを話さねばなるまい。

「……そうね。ちょっと長くなるけど、話すとしましょうか」

 呆れたように肩を竦めながら、ミリオンは三人と二匹の輪の中へと入る。

 これから何が起きるのかどころか、今どうなっているのかも分からない。

 だったら深く悩んでも、仕方ないだろう。

 何も知らない能天気な『友人』達に話し始めた時から、ミリオンの顔には穏やかな笑みが戻っていて。

 話を唖然としながら聞く友人達の姿を見たら、今度は笑い声まで漏れ出てしまうのであった――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界の最奥にて。『母』は、その形を崩落させていた。

 世界中に伸ばそうとしていた手足は切り落とされ、守りとして産み落とした『子』は何百万もの屍となって積み上がっていた。どれほど苛烈な戦いが起きたのかと想像を働かせようにも、あまりに凄惨な光景は人智を易々と超え、脳裏を漆黒で塗り潰してしまうだろう。

 ましてや暴力の振るい手が無傷の乙女であれば、誰もが思考を放棄するに違いない。

「もう少し歯応えがあるかと思っていたのに、この程度か。能力の模倣はなんとか出来たようだが、自身の才能を引き出すのが手一杯とは……無能が凡夫になったところで、余の足下にも及ばんわ。遠縁とはいえこんなのが余の『母』とは、憐れみを通り越し、いっそ情けなくなってくるぞ」

 残骸と化したRNA生命体のコアを踏み躙りながら、乙女は侮蔑の言葉を投げ掛ける。しかし呪いの言葉とは裏腹に、乙女は満面の笑みを浮かべていた。

 それどころか、喉の奥から抑えきれない笑い声が漏れ始める。笑い声はやがて口から飛び出し、高笑いへと変わった。

 ついにはこれでも足りないと言わんばかりに、乙女はくるくるとワルツのように踊り出す。周囲に飛び散った血糊を踏み締めながら、喜びを全身で表現しようとしていた。

「――――やっと終わったのかしら?」

 何処からかやってきた淑女が声を掛けても、乙女は踊りを止めない。目だけを向け、不敵に笑いながら、乙女は言葉を返す。

「ようやく復帰したか。ちょっと寝過ぎじゃないか?」

「だとしたら、それはあなたが手こずっていた証だと思いますわ。対策済みとはいえ、わたくしはあなたと違って『アレ』で死にます。あなたならすぐに片付けてくれると信じていたのに、ちょっと過大評価していたのかしら?」

「馬鹿言え、瞬殺してやったわ。処理が遅れた三体は余の管轄じゃないから、余に言ったところでお門違いだよ」

「あら、あなた以外にそいつを倒した奴がいると?」

 心底驚いた様子を見せる淑女の疑問に、乙女はこくりと頷く。乙女は踊りを止め、倒れるように身体を傾ける。

 しかしその身が完全に倒れる事はなく、まるで見えないハンモックでもあるかのように、空中で留まっていた。

「二匹だ。一匹は手こずっていたようだが、もう一匹は余とタメを張れる早さで片付けたな。しかもそいつは二体も『母』を倒している。倒せた事は無論、今回の状況下で動き回れるのが既に予想外だ。中々興味深くて、つい観測してしまったよ」

「なんだ、結局あなたがぼんやりしていた所為じゃありませんの……それにしても珍しい。あなたがそこまで興味を持つなんて、わたくし以来じゃなくて?」

「ん? あー、流石にお前ほどではなかったと思うが……しかしそうだとしたら、千五百年ぶりといったところか」

「長かったですわねぇ」

「ああ……だが、最早こそこそする必要はない」

 乙女は再び堪えるように笑う。今度は淑女も笑い出す。

「とはいえ、ここからが本番だ。最後の問題は残ったままだからな」

「……もう、折角興が乗ってきたのに」

 しかし乙女自身の手で話の腰を折られ、淑女は露骨なまでに肩を落とした。淑女の素振りを見て、乙女の方も唇を尖らせて憮然となる。

「そうは言っても、出来てないんだから仕方なかろう。まぁ、目処は立っているが」

「目処?」

「生殖活動を観測した。恐らく数ヶ月後……人間の暦で言えば、年末頃には()()()()()()

「あら、思ったよりも早い。でもサンプルは足りるの?」

「統計的に一度の繁殖で三~四体ほど生まれる。二体もあれば十分だ。万一足りなければ成体を捕らえる。繁殖地に乗り込むとなると余でも流石に苦労しそうだが、代案がない以上多少のリスクは致し方あるまい。それでも足りなければ、初期計画案に戻って気長に研究するさ。成し遂げた生物がいると分かった以上、問題は工数だけになったからな」

「……足りない場合でも支障がないのは分かりました。でも、サンプルが多い時はどうするんですの? 降下してくるのが仮に三体だとして、あなたが必要としているのは二体。一体余りますわよ?」

「? どうするって、決まってるだろう?」

 淑女の疑問に、分かりきった事を何故訊くのだとばかりに乙女は首を傾げる。

「いらないから放置だよ。そいつに地上が破壊されたところで、余には関係ないからな。無論、最後は余さず食わせてもらうがね」

 そしてなんの悪意もなく、そう答えるのだった――――




さて、何やら怪しい連中が現れましたね。本作もいよいよ終盤……と思ったか! まだシナリオ全体の半分にも達してないよ!(ぇー

そんなこんなで本章はここまで。
幕間は本日中に投稿予定です。

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