彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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母なる者8

 宣戦布告をされるや、怪物達はミリオン目掛け突撃してきた。

 RNA生命体の前に立ち塞がる分だけで何千、周囲に現れたモノを含めれば何万もの大群である。さながらその光景は黒い津波。轟音を響かせながら海上を走り、おどろおどろしい口を開けながらミリオンとの距離を詰めてくる。そして音速に迫る俊足を誇る怪物達にとって、ミリオンとの距離などあってないようなもの。数百メートル離れた位置に居る個体でも数秒、元々近くに居た個体ならば瞬きする間もなく肉薄し、その身体に食らい付くだろう。

 ミリオンが並の『生物』であれば、の話だが。

 相対するミリオンは、なんの動きも見せなかった。見せなかったが、それは彼女が無抵抗である事を意味しない。

 迫り来る怪物達は、突如全方位まとめて吹き飛ばされたのだから。

 なんて事はない。周囲の空気を一瞬で六千度程度まで加熱し、瞬間的に膨張する圧力で怪物達を押し退けただけだ。ただし人間がこの一撃を食らったなら、頭蓋骨を砕いて脳髄が外に飛び出すほどの衝撃は伴っただろうが。

 頑強でしぶとい怪物達といえども、ノーダメージとはいかない。何体かは身体の一部が千切れながら着水し、そのまま海中に沈んでいく。辛うじて浮き続けていた怪物も、体勢を直すのに苦心している。

 その隙を見逃すほど、ミリオンは愚鈍ではない。

 足下の空気を加熱。強力な上昇気流と膨張圧を受けて、ミリオンはその身を高度数百メートルの位置まで飛び上がらせる。立て直した怪物達は続々とミリオンの足下に集まるが、謎原理で海上に立つ彼等も飛行までは出来ない様子。おぞましい鳴き声で吠えているものの、爪と牙が届かなければ犬の遠吠えとなんら変わりない。

 ミリオンは侮蔑の眼差しすらくれてやらず、怪物を無視。体幹を海面と水平になるよう倒し、体表面の構造を変えて空気抵抗を軽減。両腕を広げてバランスを調整したら、目標であるRNA生命体を正面に捉えるや一気に最大加熱!

 あたかも自分がジェット機であるかのように振る舞い、海上を駆けた時をも凌駕する音速の一・五倍もの速さを出してミリオンは飛行する! 最新鋭の戦闘機ならばいざ知らず、旅客機程度ならば簡単に追い抜くほどの高速移動である。数百メートルもの距離でも、この速さの前では目と鼻の先だ。詰めるのに一秒と必要としない。相対するRNA生命体も、山の如く不動のまま。

 ミリオンとRNA生命体の衝突は不可避。ミリオンは浮遊する赤色の球体目掛けて拳を振り下ろし、

 バチンッ! と高音を鳴らして吹き飛ばされたのは――――ミリオンの方だった。

 まるで投げられたボールのようにミリオンの身体は空を駆け、何百メートルも離れた場所に落下。接触した水を瞬間的に沸騰させ、その際に生じた反動で身を浮かして体勢を立て直したが、飛行する前の場所……いや、それよりも更に遠くまで吹き飛ばされてしまった。更にミリオンとRNA生命体の間の海域に、新たな怪物達が何千体と誕生する。

 されどミリオンに焦りはない。この結果は元より想像通りなのだから。

 むしろ、収穫もあった。

「(全個体を同時に突き飛ばしてくるようなこの感覚……やっぱり、電磁障壁ね)」

 恐ろしく強力な、それこそ生体にとって有害なレベルの高出力磁場……RNA生命体は接触する寸前にそれを展開したのだと、ミリオンは見抜いた。

 どのような物質でも反磁性――――磁力に反発する性質を持っている。非常に小さな力なので磁石になりやすいものでは隠れてしまうし、なり難い物質でも余程強力な磁場でなければ観測出来ない。が、準備さえしてしまえば後は簡単。例えば水が逃げるように動く様を見られるし、卵を浮遊させる事も可能となる。RNA生命体はその原理を応用したのだ

 ……と言葉にするのは簡単だが、ハッキリ言って出鱈目である。衝突した物体を吹き飛ばすなど、一体どれほどの出力を有しているのか。普通の生物なら、接触した時点で内臓を掻き回されて即死するかも知れない。或いはミュータントでも、ミィのように直接肉体と障壁が接してしまうタイプにとっては危険な相手だろう。

 この力、『科学』の領分を超えている。ミリオンが知る限りこれほどの力を出す方法は、一つしかない。

 ――――コイツ、やっぱりミュータントの力を()()()わね。

 そう考える以外に説明が付かなかった。DNAの創造主にして、RNAとして地球生命の全てを監視していた存在。その上DNA生物が編み出したミュータントについて、ミリオンを用いて検証までしている。最終的にその力を自分の身に『搭載』していてもおかしくない。いや、身の危険を覚えるほどの力なのだ。使えるようになったのなら使わない理由がない。

 問題はどんな能力を使うかだが、起こしてきた『現象』と出自の話から推測するに、電気と磁力を操る力か。ただのミュータントなら『普通』の力だが、生命創造などの力と併用すれば驚異だ。

 気を引き締め直し、小手調べは終わりとしよう。

「だったら、これはどうかしらっ!?」

 昂ぶる感情のまま、ミリオンは片手をRNA生命体に差し向けた。

 瞬間、その手から巨大な炎が吹き出す!

 足下にある海水を吸い上げ、加熱によって水分子を分解。精製した水素と酸素の混合ガスを掌に移動し、着火後高圧噴射したのだ。高密度の炎は爆音を轟かせながら海面を走り、扇状に広がりながら数百メートルの範囲を焼き払う。いや、焼くなどと生温いものではない。圧縮された炎は本来の燃焼温度を大きく凌駕し、五千度を超える超高温に達していた。炎に飲まれた怪物達に耐えるという選択肢はなく、一瞬で気化していく。

 そして炎はRNA生命体を直撃。太陽の表面温度に迫るほどの高熱がその巨体を呑み込まんとした。

 したが、それは叶わない。

 ミリオンが放った炎は、RNA生命体の数十メートル離れた場所で()()()()いた。恐らくは電磁障壁の境界線がそこなのだろう。炎とは高温に達した気体が発光している現象であり、巨大な質量体であるミリオンすら跳ね返す障壁であれば、気体の流れを妨げるぐらいは造作もない筈だ。

 だが、それほど強力な電磁障壁となればエネルギー消費もまた大きい筈。

「さぁ、何時まで持つかしらっ!」

 更に追い詰めるべくミリオンは火炎の出力を上げようとし――――ハッと、背後に意識を向ける。

 空から、『鳥』が飛んできている。正確には鳥に酷似した『怪物』だ。翼が四枚も生え、複眼を持ち、クチバシを持たない生物を鳥と呼べる訳がない。鱗で覆われた黒い球体状の身体や、足のような触手が生えている姿など、見ているだけで吐き気がする。

 それでも名付けるならやはり怪鳥と呼ぶ他ないモンスターは、ミリオンに躊躇なく突撃。衝突した瞬間、身を弾けさせて体液を辺りにぶちまけた。

 その体液に触れたミリオンの一部が、じゅうっ、と音を立てて溶ける。

「……っ!? これは……」

 強酸性の液体か……即座に分析したミリオンは掛かった体液を加熱。体液は五百度ほどで分解が始まり、無害化する。大した脅威ではない、が、ミリオンは表情を強張らせる。

 怪物の噛み付きはなんの脅威でもなかった。微細存在であるミリオンにとって、一点集中の物理攻撃はまず意味を成さないからだ。例えるなら砂場にトンカチを叩き付けても、砂自体は衝撃を流して無事なのと同じ。しかし強酸性の液体となれば、掛かった部分から溶けていく。

 無力化は容易い。太陽の表面温度すら凌駕するミリオンの高温を前しては、どのような物質だろうと一秒と経たずに崩壊するのだから。だが、エネルギーを消費する。守るだけなら問題にはならないが、今は大出力の火炎を維持すべく大量の海水を分解している真っ最中だ。気温から莫大なエネルギーを補給出来るミリオンといえども、そんな無茶をすればエネルギー切れが現実味を帯びる。

 恐らく、RNA生命体もミリオンの狙いに気付いたのだろう。この勝負、ミリオンの方に分がある事にも。

 故に酸性の液体という、ミリオンが苦手とする攻撃を行ってきたのだ。ミリオンに余計なエネルギーを使わせ、自分よりも早く消耗させるために。自らが生み出した『道具』相手に競り負けそうになるという、プライドが傷付くような事態にも素早く淡々と判断を下す。話し方通り、奴には感情がないらしい。

 そしてそんな輩の手加減を、期待する方が愚かしい。

 分かってはいたのだが、緑色の夜空を埋め尽くす『怪鳥』の姿を前にすると、人間的な言い回しをするならば「頬が引き攣る」のをミリオンでも覚えた。

「ちっ……親玉を直接殴るしかないようねっ!」

 渋々、火炎攻撃は中断。海上から高々と飛び上がって空へと舞い戻り、再度RNA生命体への接近を試みる。

 しかし獣の怪物と違い、怪鳥は空を自由に飛び回れる。

 怪鳥達は逃すまいとしてか、ミリオンに合わせて一斉に動き出した! 取り囲むように散開していた怪鳥達は束となり、竜巻が如く轟音を響かせながらミリオンを追跡してくる!

 怪鳥達の飛行速度は凄まじく、薄らと白い霧のようなもの……音速を超えた時に生じる空気の塊、ソニックブームを纏っている。これが限界なのか怪鳥とミリオンの距離は付かず離れずで変化はなく、これならば引き離そうとすれば出来るだろうが、そのために大きな旋回軌道を取らされるのも煩わしい。

 ミリオンは身体の向きを変えて進路変更。新たな航路上にあったのは――――母なる海。

 ミリオンは一切の減速なく海面目指して飛び続け、怪鳥達も怯まず追尾を続行。如何に水といえども、音速で突っ込めば途方もない衝撃を伴う事になる。そして減速すればミリオンは鳥達に追い付かれ、鳥はミリオンを取り逃がす。

 しかしこの状況をチキンレースと呼ぶのは正しくない。

 元よりミリオンに、止まる気はないのだから。

 音を超える速度でミリオンは着水、数十メートルはあろう水柱を上げて海中へと潜る! 怪鳥達もミリオン同様止まる気のない速さで海に突っ込んだ

 が、海中に怪鳥の姿は見られない。

 着水と同時に、怪鳥達はその身を弾けさせていたからだ。強酸性の体液が着水地点を中心に広がり、海面を赤く染め上げる。鳥達は仲間の死を前にしても行動を変える素振りもなく、続々と海洋を強酸で汚染していく。

 その様を、ミリオンは海中から悠然と眺めていた。

 如何に強酸とはいえ、膨大な海水の性質を変えてしまうほどのものではない。十メートルも潜ってしまえば酸はすっかり希釈され、ミリオンになんの害悪も及ぼせなくなっていた。その上ミリオンは生きていないので、水中での活動にこれといった問題もない。逃げ場として、海中は最適だった。

 無論怪鳥達が海鳥よろしく水中を潜行出来たなら、鬼ごっこは再開していただろう。しかしあの鳥達は自らの体液を攻撃手段としており、そのためぶつかっただけで身体が弾けてしまう程度の強度しか持ち合わせていなかった。音速以上の飛行が可能なので柔らかいとまではいかないとしても、衝突に対する備えなど()()()()()()()()

 予想通り、脆弱な怪鳥には海水という分厚い『障害物』を越える事が出来なかった。どうせまた生み出されるだろうが、今回の集団はこれで一掃出来た筈。

 加えてこの生物が、あまり頭が良くない事も判明した。自爆攻撃をする時点で自分の命に頓着しないのは分かっていたが、今回の行動で、目標がどんな状態なのかも考えていない事も判明した。昆虫にすら及ばない、簡単な『プログラム』しか頭に詰まっていないらしい。これなら出し抜くのは簡単だ……あくまで、最初のうちは、であるが。

 怪鳥の前に自分を襲った、怪物。奴等は戦いを経て、少しずつだが改良を施されていた。恐らく怪鳥も改良が行われ、海中に潜った目標への対策が行われるだろう。最初は簡単な方法で対処可能でも、二度目、三度目となれば小手先の策は通じなくなる。

 長期戦に持ち込むのは自殺行為。元より、花中達の身体を考えれば時間を掛けるほど愚かしい行為もない。やはり速攻で片を付けるべきだ。

「(さぁて、このままアイツの懐に……潜り込めたら楽なんだけど)」

 されど、思うだけで事が進めば苦労などない。

 RNA生命体が居た方角から、無数の黒い『魚影』が、こちらに向かってきていた。

 いや、やはりと言うべきか、魚とは似ても似付かない存在だった。本来側面にある筈の目玉が真っ正面に一つだけあり、口がある筈の場所には切れ目すら見られない。ヒレのような突起もなく、例えるなら『魚雷』のような――――

「(『生物兵器』って、そーいうもんじゃないでしょうがっ!)」

 急ぎ反転するものの、如何にミリオンとて万能ではない。魚のように機敏な動きは流石に無理だ。真っ直ぐ、こちらに突っ込んでくる怪魚から逃れる事は叶わず。

 ボンッ!

 強烈な衝撃と音を伴い、怪魚は爆発した!

 怪鳥と同じく自らの命も厭わない自爆攻撃だが、こちらは正しく爆発。強酸なんて回りくどい手段は取らず、衝撃波による直接攻撃だ。空気よりも粘りを持ち、重たい衝撃はミリオンの身体を容赦なく潰してくる。

 つい最近たんまりと食らったミサイル兵器に匹敵、もしかすると凌駕する威力に、ミリオンも顔を顰める。

 ましてや何千と迫る数を目の当たりにすれば、歯ぎしりの一つでもしたくなった。

「(普通に逃げても間に合わない……なら!)」

 泳ぐのを止めて反転。ミリオンは怪魚の大群と向き合うや、目の前の海水を加熱する!

 沸騰した海水はその体積変化により嵐のような流れを生み、怪魚の群れへと襲い掛かる。海流に煽られ、体勢を崩した怪魚達は互いに激しくぶつかり合う。その衝撃で暴発する個体はいなかったが、体勢を崩し、真っ直ぐ進めなくなっていた。その隙にミリオンは海面目指して急速浮上。海面から跳び出し、ミリオンは再び海上へと舞い戻った。

 戻ったが、周囲の光景を目の当たりにしてげんなりとする。

 正面に見据えたRNA生命体……その道を塞ぐように、何百もの怪物が海面に立ち、怪鳥が空を埋め尽くし、怪魚が水面から顔を覗かせていたのだから。一体一体は脅威ではないし、何万体来ようと負ける気はしない。されど怪物に足止めされ、怪鳥の強酸を浴び、怪魚の爆風を当てられたなら……

 少なからず、苦労はしそうだ。

「振り出しに戻った、って感じね。難易度はしっかり上がった状態だけど」

 弱音を吐きながらも、ミリオンは自らの両手に蜃気楼が発生するほどの熱を纏わせる。表情は相変わらず不敵。何分、本気ではあるが未だ全力ではない。フィアと違い、ミリオンは慎重派なのだ。

 しかしここまできたなら様子見とて無粋。士気という名のギアを一段階引き上げ、ミリオンは再度の突撃を行おうとした

 ――――筈なのに。

【緊急停止】

 全身に浸透するように響く、RNA生命体の声。

 その声を聞いた瞬間、ミリオンの身体はピクリとも動かなくなった。

「……!? これは……」

【抵抗は無意味である。お前はRNAウィルス。我々が作り上げた『道具』であり、挙動のコントロールは可能である】

 RNA生命体を無視して全身に力を込める、が、ミリオンの身体はまるで動かない。それも掴まれて振り払えないような感覚ではなく、例えるならコンクリートに沈められ、そのまま固まってしまったような……

 コントロール可能というRNA生命体の言葉は事実なのだろう。()()の方法での脱出は恐らく不可能か。

【繰り返す。抵抗は無意味である】

「ふん。そんな警告で諦めると思う? 確かにちょっと驚いたけど抜け出す手立てぐらい……」

【現状での戦闘行為は双方に損益しか生まないと判断。よって、こちらから妥協案を提示する】

「……妥協案?」

 いきなりの話し合いにミリオンは顔を顰めてみせる。とはいえ彼女もかつてフィア相手に同様の提案をした。違いがあるとすれば、あちらの言葉にはかつての自分と違い焦りが全くない事。

 駄目元で交渉してみた、という雰囲気ではない。恐らく言葉通り双方損益しか生まないと考え、ある程度の譲歩を決断したのだろう――――その譲歩でこちらを説得出来るという確固たる自信を持っているがために。

 甘言に付き合うつもりはない。だが、何を考えているかは気になる。それに再攻撃の前に一呼吸置いておきたい。

「……へぇ、どんな提案をしてくれる訳?」

 あくまで打算的な理由でミリオンは話に乗った。

 だから、

【お前の記憶維持のため、伝達脳波を送信しよう】

 よもや『甘言』に心が震えるとは考えてもいなかった。

「……………!? な……ぁ……!?」

 声が出ない。動けないという事実を失念し、群れである筈の『身体』がRNA生命体に近寄ろうとしてしまう。

 記憶の保持。それはミリオンが花中を殺してでも保とうとした、唯一遺された愛しき人との繋がり。冷静に考えればあまりにも分の悪い、そんな賭けでも挑まねばならないほど渇望した願い。

 それが叶うと告げられ、冷静でいられるものか。

【我々はミュータントの観測を行い、その原理を解明している。お前達の知性の維持には伝達脳波が不可欠であり、伝達脳波の再現に必要な資源は僅か。よって、この程度の譲歩は可能である。そしてこれがお前にとって最も有益な提案であると判断した】

 あらゆる動揺を隠せずにいるミリオンを他所に、RNA生命体は自身の意図をあっさりと明かす。普段ならばそこから『真意』や『状況』を推測するところだが……生憎そんな精神的余裕は今のミリオンにはない。

「な、んで……どうして、それを……!?」

【我々はRNAである。お前の内部にも存在し、その行動及び外部環境変化は常に観測している。蓄積したデータからお前の要求事項を推察、最も効果的な内容を提案した】

「……っ!」

 咄嗟に問い質し、RNA生命体から当然のように答えられてミリオンは言葉を詰まらせる。

 こんなのは、考えれば分かる話だ。

 呼吸を必要としない身体であるが、ミリオンは深呼吸を一回。無意識に能力が発動していたのか、口から吐き出された空気は高熱を帯び、通り道に蜃気楼のような揺らぎが生じた。大量の余熱を排出し、文字通り全身が冷えてくる。

 一旦冷静に考えよう。

 RNA生命体が嘘を吐いているのでは? つまり出来もしない事を出来ると言い張っているのでは? 考えられる中で最悪の可能性であるが、少なくとも奴はここまでの戦いで実際にミュータント的能力を使っている。伝達脳波によって知性を共有し、本来持っていた『才能』を引き出す事でミュータントは人智を超越した能力を発揮する……と『愛しき人』は考察していた。伝達脳波の原理を解析し、再現する事は奴にとってそう難しくない筈。少なくとも近代兵器に迫る力を持った生命体を創造するのに比べれば、脳波が外に漏れている『欠陥生物』の力を再現するぐらい造作もあるまい。

 実現性に問題なしならば、後はこの造物主を信用するかどうかだろう。そして今までの会話から、ミリオンはRNA生命体に嘘を吐く能力がないと思っている。

「……その見返りに、アンタは、何を求めるつもり?」

【全てのDNAの廃棄が完了するまで、お前が敵対的行動を取らない事。それまでの行動は監視及び制限するが、以降この制限を設けるつもりはない】

「……………」

【我々の観測データから推察するに、お前はDNA生命体との関係を重視しておらず、特定容器との交流記憶のみを優先事項としている。この条件ならばお前に損益はないと判断する】

 断言するRNA生命体に、ミリオンは否定の意を伝えない。否定など出来っこない。

 ミリオンにとって大事なものは、愛しき人との思い出。

 それを守れるのなら、フィアやミィなんかはどうだって良い。晴海や加奈子、その他名前も知らない人間など端から眼中にない。花中ですら、記憶の維持の代償として必要なら躊躇なく贄として使おう。育んできた友情? そんなもの、『あの人』との日々に比べたら()()()()()()()()()()

 天秤に載せられたなら、どちらを選ぶかなんて考えるまでもない。

【こちらで考えられる限りの譲歩は行った。こちらの要求を損なわない条件であれば、譲歩の追加も考慮する。返答を求める】

 RNA生命体は回答を促してくる。

 身動きは取れない状況で、こちらにとって有利な――――否、最良の条件を提示されたのだ。答えは決まっていた。花中などいらない。既存の地球生命が滅び、新たにRNA生命体が跋扈しようと知った事か。

 挟まれる沈黙は左程続かない。ミリオンはゆっくりとその口を開き、

「答えはNoよ。アンタの頼みなんて誰が聞くかっての」

 ハッキリとそう告げた。

 途端、ミリオンは身動きの取れない我が身を激しく震わせ、身体からぶすぶすと煙が昇らせ始めた。

 煙はどす黒い色をし、異臭を纏っていた。周囲の大気が揺らめき、高温になっている事が一目で分かる。ミリオンも歯を食い縛り、苦悶を露わにしていた。

 ついにはミリオンの身体から、緑色の液体が染み出してくる。

 その液体を見て、ミリオンは苦悶の顔に笑みを浮かべた。

 ミリオンの身体からは黒煙が一層激しく噴き上がり、周囲の大気の歪みは拡大していく。緑色の液体はべしゃり、べしゃりとミリオンの身体から零れ落ちた。

 そして緑色の液体は、海面上でのたうつように独りでに動く。

 ミリオンは緑色の体液を、先程まで()()()()()()()足で踏み潰して加熱。じゅうじゅうと不快な音を鳴らし、黒焦げた物体と化して水底へと沈んでいく液体をミリオンは愉悦混じりの笑みで見下ろす。体表に残っていた液体も全て黒く染めていく。

 やがて身体から出た全ての緑色が消え、そこでようやくミリオンの身体から黒煙が途絶えた。空気の歪みもなくなる。それから動かせなかった手足を、ミリオンは小さく、だけど自由に動かしてみせた。

「……ふふふ。案外簡単にやれるものね」

 焦げ臭さを払うように手を扇ぎながら、ミリオンは上機嫌な微笑みをRNA生命体に向ける。

【……理解不能】

 今まで徹底して無感情だったRNAの言葉に、僅かながら困惑のようにも取れる揺らぎが混じる。

 『コイツ』には理解出来ないだろう。全ての生命の起源という『母』でありながら、その生命を自らの繁栄の道具としか見ていなかったコイツには。

 拘束を打ち破るために自身のRNAを()()()()、繁殖能力を切り捨てたミリオンの信念など、分かる訳がない。

「あら、そんなに驚いてくれるの? 嬉しい反応ね」

【決裂理由が不明。お前の最優先事項は、『特定人物との接触記憶』の保存である。当方の提示した条件は、その最優先事項を達成するに足るものと認識している。拒否理由がない】

「そうねぇ。確かにあなたの話は、魅力的に聞こえたわ。ええ、結構心がぐらついた。一昔前の、焦っていた頃の私なら、多分飛び付いていたわね」

【理解不能。状況説明を要請する】

「簡単な話よ……だってあなた、『この人』の事消すつもりでしょう?」

 言うやミリオンは自らの頭部の一部を、べろりと開く。

 そして自らの内側にある頭蓋骨――――亡き『恋人』の遺骨を露出させた。

「確かに、『この人』はもう死んでいる。生物学的には完全な亡骸で、蘇生の可能性なんてない……でも、あなたにとっては違うわよね?」

【……………】

「あなたにとって大事なのはDNA。DNA自体が演算し、思考をすると言うのなら、生物体の生死は関係なくて、DNA自体が分解されていないと意味がない。どの程度の分解で思考力を失うかなんて知らないけど、死後数年が経った遺体でもDNA鑑定で身元を特定出来るらしいし、結構長い間機能を保っていそう……というのは考え過ぎかしら?」

 RNA生命体は、DNAを欠片一つでも残す事に強い危機感を覚えていた。花中の生存を懇願しても、その細胞内にあるDNAが何かするのではと憂慮していたほどだ。

 RNA生命体のこの対応が正しいかどうかは、この際関係ない。重要なのはそれほどの警戒心を持つRNA生命体が、果たして『この人』の遺骨にあるDNAを見逃してくれるのかどうか。細胞一つ残す事すら警戒しているのだ。間違いなく、奴はこの亡骸の完全なる処分を目論む。

 それだけは、認められない。

「まだ分かってないみたいだから一つ教えてあげる。私の夢を。はなちゃんにも教えていない、私が未来に対し唯一抱く希望を」

【特定人物との接触記憶の保存であると当方は判断している】

「残念。それは私の本当の願いじゃない」

 思い出を失いたくない……この気持ちに嘘はなく、思い出を守るためなら誰を犠牲にするのも厭わない。

 だが、これはあくまで『必要条件』。

 『この人』がいない世界で長生きするつもりなどない。ただ自殺を許してもらなかったから、今もこうして()()()()()だけ。幸せになってほしいと言われたから、自分が『幸せ』になれる方法を願いとしただけ。

 『この人』が死んでから、願いはたった一つだけ。

「私の夢は、『この人』と一緒に朽ちる事――――何万年も寄り添って、思い出だけを繰り返しながら時を過ごし、一緒に死ぬ事よ」

 にっこりと幸せそうに微笑みながら、ミリオンは自らの想いを打ち明けた。

【……理解不能】

「あなたも恋をすれば分かるわよ……ああ。でも、それももう無理かしら」

【否定理由が不明】

「あら、分からないの? 私の中に居たなら、私の言動は全て把握しているんじゃない? それとも忘れちゃったのかしら」

【記録喪失は確認されていない】

「あっそう。じゃあ思い出しなさい。二ヶ月ぐらい前に、私がさかなちゃんに言った言葉を」

 笑顔のまま話を続けていたミリオンだが、一瞬でその形相を変貌させる。

 鋭き眼差しには殺意を。

 震える口先には執着を。

 引き攣る頬には憎悪を。

 あらゆる負の感情を滲ませるその顔は、さながら怨霊。自身の想いを脅かす存在への憎しみを隠さず、

「『この人』を寄越せと言われたら、そいつをゴミにしてやるわっ!」

 吐き出された呪詛を超える速さで、ミリオンは空を駆けた!

【交渉は決裂したと判断。戦闘形態へ移行する】

 迫り来るミリオンを前にし、それでも淡々と状況を認識したRNA生命体が変貌する。

 緑色の空から無数の光が舞い降り、ミリオンとの対話を行っていた赤色の球体の周囲に集結。光の塊は段々と形を作り、徐々に質量を帯び始めた。質量は巨大な肉塊へと変貌し、皮膚を剥がした筋肉のような代物が形成される。

 無論、ミリオンにこの変異を見届けてやる義理はない。邪魔しようと更に接近、したのも束の間、周りに展開していた怪物達が一斉に襲い掛かってきた。

 足止めを食らったミリオンを尻目に、RNA生命体の変態は進行する。筋肉に取り込まれた球体は胸部に当たる箇所に埋もれ、さながらある特撮番組に出てくる光の巨人のタイマーが如く、光り輝いている。四肢を持ち、頭らしき部分があって、二本足で立っている姿は、人型としか形容出来ない。だが、断じて人間とは似ていない。内臓を練り合わせて作ったようなそれは、冒涜という言葉すら生温く思えるほどにおぞましい。真っ当な人間ならば視界に入れただけで吐き気を催し、なんらかの宗教の熱心な信者ならば、あのような『汚物』が造物主である事実に耐えられず発狂するだろう。

 されどミリオンは怯まない。元より、吐き気を催すための『感覚器』など持ち合わせていない。

 変化が終わるのとほぼ同時に邪魔者を燃やし終えたミリオンは、足下の大気を加熱。爆発的な加速を以てRNA生命体に肉薄するや広げた掌を躊躇なく突き出す! RNA生命体も素早く左腕を振り上げて対応。人間で例えれば前腕部分でミリオンの拳を受け止めた。

 本来ならば、RNA生命体の腕部は原形を保ってはいられない。ミリオンの能力により七千度を超えるまで加熱され、どんな物質でも気化・プラズマ化してしまうのだから。

 だが、RNA生命体の腕部に変化はない。

 当然だった。ミリオンはRNA生命体に()()()()()()のだから。

「(届いてない……!)」

 掌から伝わってくる、反発するような感覚。磁石の同極同士を無理やり近付けたように、手の動きが妨げられている。

 恐らく奴は電磁障壁を全身に纏っている。電磁的反発により接触を防いでいるのだ。

 ならば、

「このまま握り潰す!」

 反発を上回る力によって、無理やり抜ける!

 大凡策とはいえない強引な行動は、しかし思惑通りに進んだ。ミリオンの掌は障壁を突破してRNA生命体の左腕に接触。造物主の肉体は易々と気化し、切断された腕は彼方へと飛んでいった。

 ミリオンは素早く二撃目三撃目を繰り出し、右腕と頭部の一部を切り落とす。が、断面部は即座にうねり、肉が盛り上がって元の形に戻ろうとしていた。RNA生命体にとってこの程度、ダメージにもなっていないらしい。

 何か、止めとなる一撃――――弱点を突く必要がある。

 RNAの集合体である奴に、弱点など存在するのか? 根本的にして重大な問題であるが、心当たりはある。

 胸部にある赤い球体だ。

 RNA生命体が語った歴史曰く、奴等は単独では小さな演算機能しか持たず、分子量の巨大化によって演算力を増大させ、更にネットワークのように連結する事で高い知性を獲得した。つまり奴の知性は自前なのだが……同時に、少数では大した知性を持ち合わせていない事になる。知的生命体のように振る舞うには、個々のRNAが出した演算結果を集積・解読・統率するための『中枢』が必要な筈だ。

 そして中枢では大量の情報を処理すべく、エネルギーを使う事になる。世界中のRNAを統率しているとすれば、さぞ膨大なエネルギーを消費している事だろう。例えば、放熱により赤色の光を放っていたりするかも知れない。

 無論、ミュータント能力を再現したRNA生命体。伝達脳波の仕組みにより個々が強い思考を持つに至った可能性はある。が、だったら『赤いコア』など必要ない筈だ。

 あれがどのような器官であれ、ちょっかいを出す価値はある。

「そこっ!」

 両腕と頭部を切り落としたミリオンは素早く、RNA生命体の胸部で輝く赤い球に手を伸ばした

 瞬間、バチンッ! と音を立てて、ミリオンの手が弾かれる! 攻撃を察知し、電磁障壁の出力を急激に高めてきたのか。

「ちっ――――ぐっ!?」

 攻撃が防がれた事に舌打ち、している隙を突かれ、ミリオンは再生したRNA生命体の腕に顔面を殴られる。なんとかこの場に留まろうと踏ん張るが、人間の頭部なら容易く粉砕していたであろう打撃に片脚が浮いてしまう。

 追い討ちとばかりに、RNA生命体はミリオンに強力な蹴りをお見舞い。さながらボールの如く、ミリオンの身体は彼方へと飛んでいってしまう。しかし痛覚など持ち合わせていないミリオンに、打撃の余韻など残らない。空中で素早く体勢を直し、二本足で海上に着地。

 そしてミリオンはにやけた笑みを浮かべた。

「(やっぱり、まともに表に出てこなかった引きこもりね……あんな露骨に防御したら、そこが弱点ですって言ってるようなものじゃない)」

 嘘を吐く能力がないだけに、反応が分かりやすい。胸元にある赤い球体が『弱点』で間違いない。

 問題はどうやってあの強固な電磁障壁を破るかだが、糸口はある。

 電磁障壁のメカニズムは反磁性を利用したもの。強力な磁力により、こちらの力を凌駕する反磁性を生じさせて吹き飛ばした……という推測をミリオンは既に立てている。

 が、ならば何故窒素や炭素などの、反磁性体の塊であるRNA生命体は無事なのか。

 普通に考えて、磁力の発生源であるRNA生命体が一番影響を受ける筈なのだ。つまりミリオンを吹き飛ばすために電磁障壁を展開したなら、その瞬間RNA生命体自身が吹っ飛ばねばならない。ところがRNA生命体は、自身の形を保持するのに苦労している様子すらない。これでは理屈に合わない。非科学的だ。

 だが、それがなんだ?

 ミュータント能力とは元より、人智を凌駕するもの。一億トンの水を操り、地中貫通弾の直撃に耐え、物理的破壊力を伴うほどの大出力レーザーをぶちかます。人間が築いた条理を完膚なきまでに破壊し、新たな真理(でたらめ)を以て君臨する。それが自分達だ。ありのまま理解すれば、それで真理が見えてくる。

 恐らくRNA生命体は……

 考えを纏めようとするミリオンだったが、彼女は一つ失念していた。

 RNA生命体はあらゆる生命の始祖という、最も傲慢である筈の存在ながら――――自分の状況を素直に受け入れる事しか出来ない、最も真摯な『生命』である事を。

 RNA生命体が無言で片手を上げる。

 すると突如として、世界が震え始めた。

 地震のような揺れではない。海面のみならず空気と、そしてミリオンの身体自体が震えているのだ。強力な磁気を周囲にばらまき、その影響が及んでいるのだろうが……だが、桁違い過ぎる。あの非常識な電磁障壁すら児戯に思える大出力でなければこんな現象は起こせない筈だ。

 そしてその大磁力を用いて、一体何をする?

 感覚器を持たない身でも『悪寒』を感じる状況に、身を強張らせるミリオン。しかしハッと目を見開くや、その身体を素早く後ろへと振り向かせる。

 背後に広がっていたのは、無数の物体が浮遊する光景。

 だが飛んでいるのは『怪鳥』ではない。形は千差万別……というよりも共通点がない。いや、ある筈がない。何しろそれらの『物体』はミリオンの背後に位置する、海沿いの町から次々と浮かび上がっているのだ。

 浮かんでいたのは自動車、看板、街灯、ガードレール……数えるのも馬鹿らしいほどの種類と総数だったが、いずれも金属で出来たもの。

 強力な磁力によって、RNA生命体が町から引き寄せたのか。しかしあまりにも大量の物体が浮かび上がった結果、空に巨大な島が出来上がっているではないか。いくらなんでも出鱈目過ぎる。

 ましてや今からこれらの相手にするとなれば、表情が引き攣るのも当然だった。

「……いやいや、ちょっとこれは、っ!?」

 愚痴を叩く間もなく、浮遊した金属達がミリオン目掛け突撃してきた! どれも弾丸のような速さだ、今から動いても避けられない。

 判断の遅れを自責するミリオンだったが、即座に対応を取る。表層部分の結合を変化させて耐衝撃性を強化。更に腕部に滞留する空気を加熱し、体積を急激に膨張させる。そして肘に穴を開け、膨張する空気をジェット噴射の如く勢いで排出。その反作用を利用して高速の拳を放つ!

 閃光のような軌跡を残して飛来する金属達と、残像が残るほどの速さを誇るミリオンの拳が激突。襲い掛かる何千何万もの金属は、打ち合いに負けて粉々に砕け散っていく。

 しかしまともに殴り合えるのは、精々ガードレール程度。

 ミィのような馬鹿力は持ち合わせていないのだ。超高速で飛来する自動車などは、流石に殴り飛ばせるものではない。

「ぐっ! ぬぅ……!?」

 車の衝突に腕で立ち向かったミリオンは踏ん張り、立ち続ける。が、受け止めた際の勢いから衰えるどころか、車は力を増してミリオンに迫ってくる。

 RNA生命体が磁力を強めたのか? 否、そうではない。

 単純に、車が突撃してくる最後の金属ではなかったというだけの事。止められた車などお構いなしに、次々と金属体が突き刺さる。衝突により車はどんどん潰れ、最早巨大なスクラップの塊としか言えない状態になっても尚攻撃は止まない。

 ついには押し留められず、ミリオンはその場で膝を付いた。金属の集まりはのし掛かる形になり、ミリオンは両手で必死に支えるも徐々に海に沈んでいく。

 このまま海中に沈められたなら、爆発する怪魚の猛攻に遭うのは容易に想像が付く。いくらか対抗策は講じているが、それでも爆風による攻撃が比較的苦手なのは変わらない。全身を構築する個体は少しずつ減らされ、最期は内側で守っている『この人』が剥き出しになるだろう。このままでは大切な『この人』を傷付けられてしまう。

 ――――そんな事、認められない!

「っ……のぉ! 退きなさいっ!」

 一度は挫けた、生命を持たない『全身』に力が漲る! 足下の海面が波打ち、沈みかけていた身体は停止。それどころか徐々に浮かび上がり、自身に迫る車を押し戻していく!

 金属達は途絶える事なく続々と飛来しており、ミリオンに襲い掛かる金属の塊どんどん巨大化している。きっかけだった車は今や原型を留めておらず、五十メートルはあろうかという巨塊に変貌していた。

 だが、ミリオンは二度目の後退をしない。前に前にと押し返し、ついには金属塊を自分の上から完全に押し退ける! 周囲を照らす、先程まで金属塊によって遮られていた緑色の夜空がミリオンを再び照らした。

 しかしそれも束の間の出来事。

 不意に、ミリオンの周囲に影が落ちた。空に雲でも掛かったか……そう判断して無視したくなる理性だが、しかし『本能』が警告を発している。「何かヤバい」、と。

 反射的にミリオンは顔を上げる。

 結果、自身目掛けて落ちてくる数十メートルの物体――――ガスタンクの姿を目の当たりにした。

「なっ!? っ……」

 反射的に避けようとして、自らが『鉄塊』と押し合いをしている事に気付く。手放せば、途端にこの鉄塊は自身を押し潰そうとする。

 八方塞がりの状況に打開策を模索するも、猶予は皆無。ガスタンクは無慈悲にミリオンを押し潰した

 瞬間、紅蓮の炎を噴き上げながら爆発する!

 ガスタンクはその金属製の壁を紙のように破裂させ、一瞬にして巨大な炎へと変貌したのだ。膨大な熱量により上昇気流が発生し、炎はさながら原爆が如くキノコ雲を形作る。発生した衝撃波は海上を駆け抜け、数キロ彼方にある沿岸の都市部に直撃。窓ガラスを割るだけでは飽き足らず、木製の屋根を引っ剥がし、植物は根元からへし折り、倒れ伏す人々や動物をゴミのように吹き飛ばす。

 動じないのは、RNA生命体のみ。

 奴は差した指先から、明滅する一閃の光を放っていた。それは射線上の空気を急激に膨張させており、乱高下する気圧から不協和音のような音を響かせる。

 粒子に電荷を帯びさせ、亜光速で射出する攻撃……荷電粒子砲。

 RNA生命体は射出した粒子によりガスタンクの壁を破壊。尚且つ高エネルギーを纏った粒子によって空気とガスが混合状態にある境界線部分を加熱し、爆破したのだ。二十万立方メートルにもなる容量のガスは、一度の爆発では燃え尽きない。拡散したガスが燃えて辺りの海域を照らす巨大な炎を作り上げ、ガス溜まりに引火したのか小さな爆炎を時折噴き上げる。発する熱の膨大さで水面が沸騰し、煙に混じって大量の湯気も上がっていた。

 それでも足りないとばかりに、RNA生命体は更にもう二つのガスタンクを引き寄せ、落とす。潰れたガスタンクから噴き出したガスが引火し、二度目、三度目の大爆発を起こす。衝撃波もその都度生じ、沿岸の町並みを叩き潰した。

 最早並の生物では跡形も残るまい。

 しかし、

「今のは、流石にキツかったわ……さかなちゃんと戦って、耐爆性の高い連結構造を研究してなかったら、人型を作れるほど残らなかったかも」

 爆炎の中から、ミリオンは無傷の姿で現れる。

 無論、正確には無傷ではない。むしろダメージは大きい……今の猛攻で、かなりの数の『個体』が破壊された。割合にして五パーセントほどか。単純計算ではあと十八回同じ攻撃に耐えられるが、しかし個体数が大きく減れば構成が崩れ、防御力は著しく低下する。そう何度も耐えられるものではない。そして沿岸部にはまだガスタンクがかなり数残っており、先の攻撃を繰り返すのに現状支障はない。

 本気を出させるまでには追い詰めたが、今度は自分が追い詰められたらしい。いよいよ後がない。ミリオン自身そう感じている。

 それでもミリオンは笑った。勝利を確信するかのように。

 しかし笑みを浮かべていられたのは一瞬。

 次の瞬間、ミリオンは自身の『身体』に強烈な負荷が掛かるのを覚えたのだから。

「ぐっ!? ぬぐ、う……!?」

 駆け出そうとした足が、一歩も動かせない。まるで見えない何かに押し潰されそうになっているような、未体験の重圧が身動きを妨げる。

 現象の理由は、足下の海中にあった。

 人間程度の視力では見えないだろう、薄らとした緑色の光……それがミリオンの足下付近に散開していたのだ。正体は探るまでもなくRNA。ガスタンク攻撃の最中に展開していたのか。恐らく強力な磁力を発生させ、周辺にある常磁性の大気――――酸素を集めているのだろう。莫大な量の酸素が引き寄せて常軌を逸した高圧環境を作り出し、こちらの動きを妨げているのだ。

 能力を使って酸素を燃やしてしまえば、この圧力は取り払えるだろう。しかしミリオンの怪力をも妨げる高圧の酸素に火を付けたなら、果たしてどれほどの爆発が起きるか分かったものではない。下手をすれば、脱出するつもりで自滅してしまうかも知れない。

【勝敗は決した。時間及び資源の浪費を避けるべく、自壊を推奨する】

 最後通達のつもりか、RNA生命体はミリオンに自壊……自殺を要求してくる。尤も答えを待つ気はないようで、ゆったりと動かす腕に合わせて地上の方から轟音が聞こえてきた。わざわざ音がした方の視覚情報を収集せずとも、残ったガスタンクを引っ張ってきている事は明らかだ。足下を見れば、うっすらとだが無数の魚影も確認出来る。

 容赦なし、油断なし、感情なし――――敵として、ここまで隙がないといっそ感心すら覚える。

 詰みだ。完全なまでに。

「……いやはや、参ったわ。流石は造物主様。調子に乗っていたのは私の方だった、ってところかしら?」

 観念したように顔を顰めながら、ミリオンはぼやく。本当は肩も竦めたかったが、生憎そんな動作すら簡単には出来ないほど全身が重い。

 しかしRNA生命体はミリオンの言動など無視し、自身の攻撃動作を継続する。空に無数のガスタンクが浮かぶだけでなく、海から体長五メートルはあるゴカイのような巨大軟体生物が現れる。軟体生物の頭部は強烈な光を放っており、ミリオンは直感でその輝きが荷電粒子砲によるものだと理解した。無駄話をしてくれないどころか、耳も傾けてくれないらしい。

 諦めるように、ミリオンはため息一つ。

「ほんと、『タネ』が分からなかったらどうなっていた事やら」

 それから小さく、独りごちた。

 ピクリと、RNA生命体が反応したのをミリオンは見逃さない。『タネ』という言葉に、奴は確かな警戒心を抱いた。

 これだけで十分だ。『仮説』でしかない考えを、確信に変えるには。

 だからもう、躊躇わない。

 次いで起きた出来事は、あまりにも目まぐるしい。

 ミリオンは限界を超える力を以て素早く左腕を上げる。構成する個体の何割かが自壊しそうになるが構わず、真っ直ぐRNA生命体に指先を向けた。RNA生命体は何かに対応するように ― 青白い半透明な『膜』が見えるほど ― 強力な電磁防壁を展開。ガスタンクは流星のように降下し、軟体生物は放つ煌めきを一気に強める。

 全てが連鎖的に、瞬きする間もなく流れていく。刹那の顛末を把握するのは当事者達のみ。

 そして二体の予測する『未来』は異なり、

 結末として起きた事象は――――RNA生命体の赤いコアが、ぶちゅりと弾ける事だった。

【――――!】

 RNA生命体は慌てるように、自らのコアに手を伸ばす。が、最早手遅れ。コアは沸騰し、湯気と共に中身である赤色の液体を噴き出させる。

 どうにか沸騰を止めようとしてか、RNA生命体は大切なコアに腕を突っ込み、その中身を掻き出す。最早損失度外視の応急処置だが沸騰は止まず、それどころかコアに触れた腕の表面に気泡が発生。そのまま弾け、脆くなった腕が千切れ飛ぶ。

 それでも抵抗を諦めず、RNA生命体は再生させた腕でコアの復旧を試みるが……異常を取り除くよりも、RNA生命体が膝を付く方が早かった。

「やり過ぎたわねぇ。もう少し落ち着いてやれば、最後まで誤魔化せたかも知れないのに」

 その様を前にして、ミリオンは変わらぬ重圧の中で勝者の笑みを浮かべている。

 強力な磁力を放てば、自身がバラバラになりかねない……RNA生命体の能力の『矛盾』を解決する方法は一つしかない。

 対象を選別する事だ。

 或いは特化させると言い替えるべきかも知れない。タンパク質、金属、水……材質によって効果のある磁力を選択しているのだ。磁力の『多様性』というものを現代科学は想定していないが、そうとしか考えられない。でなければ遥か遠方のガスタンクが浮遊するほどの磁場に曝されているのに、近くに居たミリオンに大した影響がなかった理由が説明出来ないのだから。RNA生命体の磁力は自分を例外にしているのではなく、『効果のある対象を選択している』のだ。

 だから、絶対に磁力の対象とならない物質を使えば障壁を突破出来る。

【これは、()()()――――!】

「あら、流石ね。すぐに見抜くなんて」

 RNA生命体の言葉に、ミリオンは称賛を送る。身体への重圧がなければ、拍手も送ってやっただろう。

 何があろうと、どんな危機に陥ろうと、絶対に磁場の対象とならない物質が一つだけある。

 『RNA』だ。RNA生命体であるが故に、RNAだけは絶対に対象とする事が出来ない。RNAならば、奴の展開する電磁障壁を必ず突破出来る……とはいえ、RNAを攻撃手段にする事は容易くない。いや、ミリオンならば可能だったが、『体内』にあったRNAは全て焼き捨ててしまった。それにRNAを用いて攻撃しようとすれば、RNAを統括している奴にはすぐバレてしまうだろう。

 だから、代替物質を使った。

 DNA――――RNA生命体が()()()()()()()()()()()()()物質だ。RNAと近しい構成をしているDNAならば電磁障壁を突破出来ると踏んだのだ。

 そしてDNAの出所は、大切な『愛しき人』の骨。

 成人に存在するDNA量は凡そ二百~三百グラム。人体における骨の重量は体重の二十パーセントと言われており、DNAが全身に均等に散っていると仮定すれば、『愛しき人』の亡骸には四十~六十グラム程度のDNAがある事になる。

 実際にはそこまでの量はなく、取り出せたのはほんの僅かだったが……どうにか三グラムは確保出来た。たかが三グラム。されど三グラムもあれば十分。

 弾丸のようにDNAを固め、その内側に数万ほどの『自身』を潜ませるには。

【想定外。計算外。解析――――】

 どうにか打開策を練ろうとしたようだが、最早手遅れ。

 RNA生命体のコアは破裂するように弾け、赤色の液体となって辺りに飛び散る。膝を付いていたRNA生命体は、その姿勢すら維持出来なくなったのか。両腕を広げ、仰向けに倒れていき

 海中から一際巨大な、触手型の肉塊が何十本と現れた。

 勝利の余韻に浸る中での出来事。肉塊はミリオンの死角から現れ、振り返る暇もなく先端を開花させるように裂く。裂けた肉塊はその奥で眩い光を放ち

「ようやく噓の吐き方を覚えたかしら? でも残念。せめて私を押し潰そうとしてる磁力を消してからじゃなきゃ、力尽きてないってばれるわよ?」

 しかし光を、ミリオンにぶつける事は叶わない。

 RNA生命体の全身が破裂するのと共に、ミリオンを拘束する圧力はすっかり消え失せ、肉塊は海へと沈むのであった。

 

 

 

【――学習―了――――情ほ――析――】

「あら、その状態でまだ動けるなんて、ちょっと予想外ね」

 海面に漂う赤色のコアの欠片に、ミリオンは心底驚いたように声を掛けた。

 言葉は途切れ途切れで、RNA生命体が機能不全を起こしている事は明らかだった。再生する素振りもない。創られた怪物達は指令がなくなった影響か、動きを止めてプカプカと浮かぶだけ。いずれ彼等は魚や鳥に啄まれ、バクテリアにより分解され、自然界に還元されるだろう。空からは緑のオーロラが消えており、満天の星々が地上を照らしていた。

 勝利は確定的だ。RNA生命体の目論見は潰え、ミリオンは『夢』を追い続けられる。

 しかし未だコアが活動しているのも確かで、再起する可能性もゼロではない。何しろコイツの正体はRNAであり、微細な物質の集合体に過ぎないのだ。そのような存在がどれほどしぶといか、ミリオンはよく知っている。

 完全な機能停止……いや、破壊を行わなければ安心など出来ない。そしてそれを可能とする力をミリオンは持っている。

 あらゆる分子を崩壊させる高熱で完膚なきまでに破壊すべく、ミリオンはコアへと手を伸ばし、

【解―――情――送信――――完―】

 ピタリと、その手を止めた。

 今、なんて言った?

 途切れ途切れの音声だ。一部しか聴き取れていない。だがその一部の中に……確かに、『送信』という単語があった。送信という事は、何処かに情報を送ったという事だ。

 コイツは一体何処に情報を送ったのか?

 いや、そもそも()()()()()()()

「あなた一体何を……!?」

【我々は、個――ない】

 無意識に出た言葉に、RNA生命体が答える。先程までと何も変わらない筈なのに、壊れかけたラジオよりも途切れ途切れなのに、何故か、嗤っているように聞こえる声で。

 RNA生命体は語った。

 情報の統率機能を持ったコアは、複数存在してある。『自分』はその一つに過ぎない。DNAからの反撃を考慮し、万一に備えてスペアを用意しておいたのだ。

 用意したコアは三つ。

 その三つのコアを破壊しなければ、RNAのコントロールは止まらない。

【惑星各―――散さ―て―――お――機動力で―――線移動――数―を要する。全D――生命体の活―停止――の猶予は】

 ぐしゃり。

 話の続きを遮るように、ミリオンはRNA生命体のコアに拳を叩き込んだ。次の瞬間コアはゴポゴポと沸騰し、綺麗な赤色がどす黒く変色する。その黒さすらもミリオンが手を放すや海水に溶け、跡形も残らない。

 もう、RNA生命体は何も語らない。

 波の音と星の光が満たす海上で、勝者であるミリオンは力なく膝を付いたのであった。




はて、これはどっちが勝者でしょうか? 決着は次回にて明らかに。
あ、ミリオンですが割と致命的な事をやっています。何しろRNAを全排除しちゃいましたからね、今や増殖機能すら失ったタンパク質です。自軍狂キャラは弱体化が常なのですよ(なお、弱体化したところで人類絶滅ぐらいは出来る模様)

次回は4/2(日)投稿予定です。

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