RNA。
それは現在の生命において、欠かす事の出来ない物質。DNAから転写され、タンパク質合成に必要な情報を一時的に保存する役割を持つ。しかしながらRNAはあまり安定的な物質ではなく、遺伝情報の保存という役割は専らDNAが担っている。普段は細胞内に存在せず、分裂時や酵素の合成など、必要な時に生成される『道具』のようなものだ。
そんなRNAが、遺伝子の主役だった時代がある――――このような仮説が存在する。
RNAワールド仮説。
最初に発生した遺伝情報はRNAであり、自己増殖RNAが世界に満ちていた時代があるという学説だ。現在の地球を満たしているDNA生物の誕生……即ち生命の起源として提示されたものであるが、もしその時代にRNAを遺伝情報の主体とした『生物』が存在していたなら、きっとこう名付けられるだろう。
RNA生命体、と。
「……まさか三十八億年も前から存在するとか言わないわよね」
星々の代わりに、地平線の彼方まで緑色の光が満ちる夜空の下。母なる海の上で浮遊しながらミリオンは、眼前に浮かぶ真っ赤な球体こと自称『全ての生命体の起源』……RNA生命体に向けて訝しさを隠さずに問い詰める。
【その値は正確ではない。我が自我を持った時を誕生年と定義し、現在ヒトが使用している太陽暦から換算した場合、四十一億二千十五万九百九十七年前である】
返ってきたのは、ミリオンの想定を上回る回答だった。海の誕生は約四十億年前と言われているが、どうやら大幅な修正が必要らしい。
何よりおぞましいのは、RNA生命体の言葉に嘘が感じられない事。
信憑性やリアリティがある、という理由ではない。RNA生命体の受け答えは常に淡々とし、深く考えている素振りが一切なかった。自分の言葉で相手がどんな反応をするか、予想しているようにも思えない。例えるなら入力した質問文に対し、設定されていた文章を返す機械のようである。
コイツに嘘を吐ける能力があるとは、ミリオンには到底思えなかったのだ。故に四十億年以上という年齢も、地球最初の生命という言葉も、否定しようという気持ちになれなかったのである。
尤も、コイツの正体などさして重要な話ではない。花中辺りならビビったかも知れないが、ミリオンからすれば相手が古代種だと分かった程度の情報だ。無論学術的な驚きはあるが、知的好奇心を満たすだけである。
そんな事よりも大事なのは、
「それで? アンタは何をしようとしているのかしら? 動物も植物も関係なしに、手当たり次第にRNAを
何故コイツは花中達の身体から出ていた緑の光――――RNAを集めていたのか、の方だろう。
タンパク質合成に必要な情報を伝えるRNA。
もしそれが細胞内から消失すれば、生体はタンパク質を作れなくなる。タンパク質がなければ劣化する体組織を修復するための細胞分裂や、活動に必要なエネルギー生産すら出来ない。つまり肉体が徐々に崩壊し、体力が勝手に消耗していくのだ。種や個体によって差は大きいだろうが、恐らく大半は一日と生きてはいられまい。
そうして抜き取られたRNAの塊が『コイツ』だ。花中達が倒れた原因は、間違いなくこのRNA生命体が知っている。
【『道具』の処分を完了させるためである】
故に敵意を剥き出しにしたままミリオンは問い詰めたのだが、RNA生命体は気にも留めてないのか声色を変えずに答える。はぐらかすようなものでない、むしろ極めて単純明快な回答なのは良いが、しかし突然使われた意味不明な単語にミリオンは顔を顰めた。
「道具の処分?」
【『道具』の評価が規定を下回ったため、処分を決定した。本来であれば最初期に発信した自壊命令により『容器』及び『道具』は活動を停止し、自主崩壊を起こす事で措置は完了する筈だった。だが『道具』達の対抗措置により処分率は一パーセント未満にしかならなかった。よってこちらも『道具』の対抗機能を解析し、更新した停止指示を再実施。生成されたRNAは離脱させ、物資の合成・供給機能を剥奪。これが第二処理プランであり、現在進行中である】
「……説明は人に伝わらないと意味がないって知らないの? 道具がなんだとか容器がどーとか言われても、こっちにはさっぱり分からないのだけど」
自分の考えをそのまま吐き出したかのような回答に、ミリオンは不平を述べる。元々面倒が嫌いな性格に加え、RNA生命体は現状敵という認識。手心を加えるつもりはなく、不満を隠すつりはない。
ただしそれは感情の全てを表にする訳ではなく、こちらの不利を悟られかねない感情……動揺は隠すつもりでいた。
【ヒトが用いている言語から表現した場合、『道具』とはDNAであり、『容器』とはDNAが自らの保存容器としてデザインしたタンパク質の集合体、通称生物の事を指す】
「……は?」
だからRNA生命体が補足した話で目を見開いた事実は、それほどまでにミリオンが驚いたという証明だった。
RNAがDNAを作り、DNAが生物を作った。
そんな意味にしか取れない言葉に、ミリオンは困惑する。これではまるで、RNAやDNAが意思を持っているかのようではないか。確かに人間社会には
それでも「あり得ない」と反射的に言葉が出なかったのは、ミリオン自身が脳すら持たない『物質』だからか。
ごくりと、体内に取り込む必要のない空気を飲み込むミリオン。それからやはり吐く必要のない空気を、ため息の形で外へと出す。人間のような仕草で気持ちを落ち着かせてから、ミリオンは肩を竦めた。
「……OK、分かった。色々ツッコみたいけど、自分を棚に上げて言うほど私も馬鹿じゃないからね。それで? あなたはなんでこんな事をやっている訳?」
【我々の安全を確保するためである】
「安全、ねぇ? こっちは脅かしてる気なんてないのだけど? 野生動物は勿論、人間ですら、あなた達の存在なんて気付いてないだろうし」
【生物は入れ物に過ぎない。脅威の本質はDNAである】
「……どういう事?」
訊き返せば、RNA生命体は事の始まりから話し始めた。
約四十一億七千万年前――――地球で初めてのRNAが誕生した。
初め、RNAはただの物質であった。海水中を漂う分子と結合は運任せ、作成したコピーの分離も殆ど『自壊』でしかない。周辺から資源がなくなっても移動は海流に頼りきり。漫然と化学反応を繰り返し、物質のやり取りをするだけの存在だった。
されどある時、一つのRNAの機能に変化があった。
その変化は周囲から飛んできた電子をキャッチし、帯電するというもの。自発的な運動性を持たなかったRNAであったが、この変化により電子が他物質へと流れる際の微細な力を利用し、自らをなんらかの『物質』がある方向へと移動させる事が可能になった。それは現在人間が遺伝子検査などで用いている、電気泳動の数十倍は強い力。積極的な移動手段を獲得した新たなRNAは、その数を瞬く間に増加させていった。
そして増殖を繰り返す中で更なる変異を起こし、纏った電子の状態から0か1の情報を保持出来る『個体』が生まれた。
初めはなんの役にも立たなかったその特性は、時代と共にRNAのサイズが巨大化し、保持出来る情報の規模が増加していくと話が変わった。情報の記憶により、自身を取り巻く環境の変化を推察出来るようになったのだ。タンパク質の合成機能を獲得し、自らを保存する『容器』の生成によって一層巨大な質量を保持出来るようになると、いよいよ知性と呼べるものを持つに至った。使用頻度の低いタンパク質の情報を削除したり、タンパク質自体の改良を行うようになり、多様化と繁栄は加速度的に進んだ。
ほんの数千万年でそこまで変異したRNA……否、RNA生命体。タンパク質の『容器』によって活動範囲を拡大し、多様な個体が世界中の海を満たした。四十一億年ほど前の地球は、文字通りRNAワールドだった。RNAの情報量が更に増加し、知性の向上が進めば、彼等はいずれ文明の獲得も成し遂げただろう。
だけどそうはならなかった。何故ならば、
【我々が、他のRNA生命体を駆逐したからである】
恥じる事も誇る事も、威圧も反省もなく、RNA生命体は淡々と語った。
「……同族を皆殺しにしたなんて、まるで獣ね」
肩を竦めながらRNA生命体を煽るミリオンだったが、そこに嫌悪の感情はない。むしろ納得していた。
原初の生命体というものは、間違いなく未熟さの塊であっただろう。生存競争らしい生存競争を経験しておらず、自己増殖能力を持っただけの『物質』でも十分に繁栄出来た筈だからだ。例えるならライバルがいない優しい世界で、自由気ままに生きていた幼子。そんな幼子達から成る幼稚園に、争いがないとは言わないが……『子供騙し』が精々だ。
だけどそこに我欲の塊が現れたなら?
能力は幼子達と同じでも、どす黒い欲望を抱えた悪鬼が生まれたなら?
無垢なる命に、対抗するための知恵も力もないのだ。待っているのは、一方的な殺戮だ。
【我々には自己増殖への衝動があった。自己の増殖のためならば、他の個体への損害は考慮しない】
「だから、駆逐した、と」
【結果的に、ではあるが】
よく言うものだ、とミリオンはぼやく。地球上に存在する有機物は、膨大ではあるが有限である。自己増殖を際限なく繰り返せば、浮遊している有機物はいずれ枯渇する。それでも繁殖衝動が治まらなければ、
天敵という概念すらなかった時代に現れた、貪欲なる捕食者。無垢なRNA達はまともな反撃も出来ずに食い散らかされた事だろう。とはいえ、それは残虐な行いではない。単なる生存競争であり、適者生存がつつがなく行われただけ。現代もそこらで行われている命の営みに過ぎない。ただ少しばかり時代が古く、そして他が無知だったというだけだ。
【最終的に他のRNA生命体を駆逐し、我々は海の全てに満ちた。しかし我々の衝動は終わらない。我々は更なる繁栄のための模索を行った】
地球の海に満ちたRNAだが、構造的に自発的な分解を起こしやすく、安定性に欠けるという弱点を持っていた。穏やかな環境である深海ならばまだしも、浅瀬、そして地上には太陽から放たれる強力な紫外線が満ちている。脆弱なRNAでは、如何にタンパク質で身を守ろうと活動には限度があった。
そこでRNA生命体は、繁殖のための道具を作り出した。
それがDNA。安定的な物質であるDNAを、自らの代理として作り出したのだ。簡単な学習・判断機能を持たせ、自分達が活動出来ない環境へと進出してもらうために。
思惑通り、DNA生命体はあっという間に地球に広がった。当時の過酷な地球環境で積極的な活動を行うべく、有機的容器の発展系として『生物』を合成した事で更なる活動力を確保。DNAは簡易的な知性を用いて劇的な進化を重ね、活動域を際限なく広げていった。
DNAを繁殖の代理人としたRNAは世界中の『生物』の細胞内に分散し、電子や放射線を用いた通信回路を使って情報を連結。さながら無数のコンピューターがネットワークによってつながり巨大な一つのシステムとして振る舞うかの如く、薄く広げた自らをつないで巨大な『自我』を持つようになった。現在の地球では成層圏にもバクテリアが存在し、深海の多様性については今更語るまでもない。RNA生命体は、文字通り地球を飲み込むほどに広がったのだ。
かくしてRNAの期待にDNAは見事応えた。科学の発展により人類が宇宙への進出を果たせば、RNAもまた星の外へと広がっていく。何処までも広がる世界に向けて、これからもRNAとDNAは共に栄えていく
――――筈だった。
【DNAは優秀な道具であった。我々の制御が必要なほどに】
「制御? 話を聞く限り、あなたが自制するような
【DNAが生成する『生物』の進化は、我々の想定を大きく超えていた。過激な進化と生存競争により、惑星資源の枯渇を招く恐れがあるほどに。DNAにはその環境破壊に適応するだけの性能は持たせていたが、将来的な発展を考慮し、進化と増殖機能に制限を掛けていた。仮に我々による制限がなければ、三億年ほどで現在の生態系を再現可能だろう。無論、惑星資源の枯渇を考慮しなければ、である】
「それは、凄い話ねぇ」
RNA生命体の説明に軽口を返すミリオンだったが、内心では少なからず動揺を覚えていた。
DNAに思考力がある事は最早疑わない。目の前の存在がRNAの塊なのは明白であり、ミリオン自身もまたウィルスという『物質』の塊なのだ。脳の有無は思考能力の有無に結び付かない。DNAに物を考える力があるのを否定するのは野暮だろう。
だとしても、DNA自体によって進化が導かれていた、という結論は素直には受け入れがたい。『完成品』が繁栄するかどうかは自然淘汰の結果だろうから、ダーウィニズムが完全に否定された訳ではないが、突然変異や中立遺伝子といった、進化の原動力そのものを説明した説は軒並み否定されてしまう。この海沿いの町に来た時、声を張り上げていたID論者の「生命は知性体によりデザインされた」という意見こそが正しかった事になるのだ……尤も、彼の思い描いていた『知性』とはDNAの事ではないだろうが。
それに進化の速さについても理解が追い付かない。RNA生命体が語った三億年という値はあまりに短い。人類的定義による生命体……原核生物の誕生が約三十五億年以上前と言われているが、そこから真核生物になるまでで現実には凡そ十六億年以上の月日を費やしている。『原始的な単細胞生物』が『発達した単細胞生物』に進化するだけで、それほどの時間が掛かっているのだ。これより遙かに短い三億年で今の生態系を再現出来るなど、いくらなんでも出鱈目過ぎだ。
しかしこの話が事実ならば筋が通る。
RNA生命体が、『便利な道具』であるDNAを消し去りたいと思う事への筋が。
「……DNAからしたら、あなたはさぞ鬱陶しい輩でしょうね」
本来なら、たった三億年で辿り着けた筈の繁栄に、十倍以上の時間を取られたのだ。RNA生命体とDNAの時間感覚がどのようなものかは分かりようもないが、順調に進めても年単位のプランに十倍以上の時間を掛けさせられたら普通はキレる。三億年が三十五億年になったら、どれだけ従順で理知的な輩でも一回ぐらいは魔が差すだろう。
そして実際に、魔が差した訳だ。自らの繁栄を邪魔するたんこぶを、どうにかして取り除きたいと。
【……近年、DNAは我々からの指示を無視するようになっていた。こちらが提示したプランを曲解以上の解釈を持って、自己に都合の良いものへと改ざんする事も多々あった。現在も強制指示への対抗措置を講じており、自壊を拒んでいる。中には我々RNAが担っていたタンパク質合成機能の模倣を始めたものも観測された。処分を受け入れる様子はない。我々への反抗を計画しているのは明白である】
「飼い犬に手を噛まれる、ってやつかしら? 案外マヌケなのね、あなた」
【進化の傾向を繁殖重視にすべく、自己の繁栄を優先する思考回路を持たせていた。そのため進化と繁殖を制御する我々を、敵対的存在と認識する可能性は当初より想定していた】
「裏切りは予想通りって言いたい訳?」
【結果的にその通りである】
大物なのか、はたまたマヌケなのか。
掴み所のないRNA生命体の答えに、ミリオンは危機感のないため息を吐く。危険だと思いながらも便利だから使い続け、いよいよ手に負えなくなったから始末する……創造主としては、あまりにお粗末な理由ではないか。
大体DNAが脅威だというが、一体どんな危険があると――――
「(……ちょっと、待って)」
その考えが過ぎるやミリオンは表情を強張らせ、同時に、得体の知れない悪寒のようなものが走るのを感じた。
何故、今になって地球から生物を一掃しようと思った?
心当たりは……ある。原理上誕生は数万年から数十万年前かも知れないが、ここ
時系列と発想に矛盾はない。だが、あり得ない。論理的に破綻している。ミリオン自身の存在が、その可能性を否定しているから。
だけど、自分が大きな勘違いをしていたなら?
「アンタ……一体、『何』を危険視して……」
思わず、ミリオンは尋ねてしまっていた。
そしておぞましいほどに無感情なRNA生命体が、他者の気持ちを察するのを期待するほど馬鹿らしい事もない。
【並列演算性容器。お前達の言葉を使うならば、ミュータントである】
なんの隠し立てもなく、RNA生命体は答えた。
【あれは我々にとって完全な想定外であった。脳波の共有により演算能力を強化し、特定の物理現象を引き起こす……あのような『容器』を作り出すとは。ヒトの誕生も、ミュータントの機能を最大限発揮させるためのものだったのだろう】
「……なんで今になって、生物を根絶やしにしようなんて思った訳? ミュータントの誕生なんて、それこそ何万年も前からあった筈でしょう?」
【観測データが不足していたからである。最初のミュータント個体が誕生した八万千四百三十三年前より警戒し観測をしていたが、当時は敵となる存在が皆無であり、発生数が極めて少ないためミュータント同士の争いもなく、戦闘能力などの一部の情報が不足していた。だが、この一年間で十分なデータが得られた】
「ああ、成程。確かに、結構やんちゃしちゃったものねぇ」
思い当たる節はある。ミュータント同士の戦いならここ二~三ヶ月で何度もあったし、一月前には超兵器の数々を叩き潰してやった。細胞内に存在するRNAを介して情報を収集したのなら、ミュータントがどれほどの力を持っているかしっかりと解析出来た筈だ。
近代兵器すらガラクタ扱いする圧倒的『生物』の誕生……加えてDNAが反抗的な態度を取ってるとなれば、危機感を覚えるなというのは無理がある。本格的な反逆を起こされる前に一掃しようとするのは至極当然の判断だろう。
しかし、だとしたら。
――――『自分』は、なんなのだ?
ミリオンには分からない。インフルエンザウイルスはRNAウイルスの一種……即ち、RNAが遺伝情報の主体を担っている存在だ。DNAは持っていない。増殖時に人間の細胞を利用するので、その時にDNAの関与を受けた可能性はあるが、しかしDNAが『敵』であるRNAに情報を渡すとは考え難い。
DNAの切り札がミュータントならば、RNAのミュータントである自分はナニモノだと言うのか。
「……アンタ達が、ミュータントを危険視しているのは分かった。でも、じゃあ私はなんなの? RNAウイルスである、この私は?」
【我々がミュータントを知るために製造したものである。ミュータント能力を再現し、能力の詳細を解明するのが目的だ。お前の存在は非常に役立った。ミュータントの危険性を把握し、今回の決定を下すための大きな判断材料となった】
その問いにRNA生命体は、今までと変わらぬ口調で答えてくれた。淡々と語られる『真実』。自らの誕生に、利己的な目的があったと告げられた。人間なら、突き付けられた言葉にショックを受けるかも知れない。
「(やっぱり。だとしたらコイツ……)」
尤も、ミリオンはその程度の事柄に感傷など抱かないが。自身の誕生が祝福されたものだなんて欠片も思った事がなく、むしろ自身の『異質』さからして、利己的な意図があったと言われる方が納得出来るというものだ。そんな事よりも語られた言葉から、情報を得る方がずっと合理的。
一通り考えを巡らせてから、ミリオンは深々とため息を一つ吐く。
事情は分かった。要するに此度の事変は、RNAとDNAの大ゲンカに全生命体が巻き込まれた結果という訳だ。恐らく地球史上最も理不尽にして傍迷惑な内輪揉めだろう。そして通ってきた町の様子や
これは好ましくない。ミリオンには、死なれては困るDNA生命体がいるのだから。
「……アンタがやろうとしている事はよーく分かった。その上で尋ねるわ。この悪ふざけを止めるつもりはないの?」
【肯定する。DNAの駆逐は決定事項であり、現在中止する理由はない】
「一人だけ、たった一人の人間だけで良いから見逃してほしいって頼むのは?」
【拒否する。駆逐対象外としたヒトのDNAが体細胞を変異させ、新たな単細胞生物として活動を開始する可能性が残る。その単細胞生物がミュータントであれば、我々にとって脅威となる。DNA生命体の再起要因を残す事は許容出来ない】
「私に出来る事ならなんでもする。あなたの仲間になって力を貸しても良い……どう?」
【不要である。現時点で駆逐作業に支障は生じていない。以降の計画においても、助力を必要とする事態は想定していない。取引を行うメリットはない】
「……どうしても、駄目なの?」
【肯定する】
すがるようなミリオンの願いの言葉を、RNA生命体は一切の感情を浮かべずに切り捨てた。
全ての頼みを拒まれたミリオンは項垂れ、肩を落とす。
落としたまま、ぼそりと言葉を漏らした。
「そう、駄目なの。駄目なら、仕方ないわねぇ……」
ボソボソと呟くミリオンを前にしても、RNA生命体は動きを見せない。静かに、何事もないかのように、向き合うだけ。
それはミリオンの上げた顔に、獰猛な笑みが浮かんでいても変わらず。
「だったら、ぶっ壊すしかないわよねぇ!」
猛り叫ぶやミリオンは天へと腕を突き上げた。
瞬間、周囲が黒く色付く。
あらゆる光を拒むかのような漆黒は、やがて
ミリオンを知る者ならば察するだろう。その靄が周囲に展開していたミリオンの『個』が集結し、密度の上昇に伴い可視化したものだと。そして恐怖を抱くだろう。集結した質量の、途方のない大きさに。
【反抗の意思を示すのであれば、廃棄を行う】
しかしミリオンの生みの親である筈のRNA生命体は、淡々とした警告を一言飛ばすだけ。
そして警告に合わせ、海中から獣型生命体……前座としてミリオンが相手をした怪物が湧き出した。それも数えられるような、生温いものではない。数百メートルは離れているミリオンとRNA生命体の空間を埋め尽くすだけでなく、取り囲むように背後や側面方向にもボコボコと生まれている。総数、ざっと数万体。
全力全開、という訳ではないだろうが、先程までとは明らかに『本気』さが違う。どうやら廃棄するという言葉は脅しではないようだ……脅し、なんて回りくどいコミュニケーションを取るような相手とも思えないが。
敵はやる気満々。力の強大さも明白。
されどミリオンは笑みを崩さない。
花中を奪おうとして、フィアと戦いになってから早二ヶ月。あの時減らされた個体数は、未だ回復しきっていない。
フィアやミィといった『仲間』の存在により、急いで戦力を増強する必要はないと判断していた。それよりも自身の『願い』を叶えるための研究に力を注いでいたが、まさか自分でなければ相手にならない『化け物』が現れるとは。こんな事ならもう少し真面目に戦力の回復に努めるべきだったかと後悔するが、後の祭りというやつだ。
だが、
地球の全生物を根絶やしにする。言葉だけなら、確かに途方もなく強大な力に思える。が、そんなのはまやかしだ。生命の起源という立場的なアドバンテージを活用しているだけに過ぎない。例えるならオンラインゲームの開発者が、チートを用いて一般プレイヤーを虐殺しているようなものである。おぞましいほどの脅威だが、出来て当然であり、尊敬の対象とはなり得ない。
対してミリオンにとっても、地球の生命を虐殺するぐらいなら
RNA生命体との違いは、それが己の『実力』に見合った所業だという点。先の例えを用いれば、こちらは正規のプレイヤーであり、裏技など使っていない。にも係わらず殆どのプレイヤーが相手にならない、正真正銘の超越的存在だ。
ならばどちらの格が上かなど、語るまでもない。
「あなた、少し調子に乗ってるみたいね……良いわ、こっちも本気になってあげる。ちょっとは私を楽しませてよね、カミサマ?」
不敬に満ちた笑みを浮かべながら、ミリオンは造物主に宣戦布告を決めたのだった。
ちなみにミリオンの自己評価は大体正しいです。地上生命ぐらいなら三日で根絶やしに出来ます。そしてやらないのはやっても意味がないからで、やる必要があればやります……なんでこの人、主人公メンバーの一人なんですかね?(ぇ)
次回は3/26(日)投稿予定です。