彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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母なる者6

 異変が起きていたのは、露天風呂だけではなかった。

 旅館内では何人もの人々が倒れており、ペットだと思われる動物達もひっくり返っていた。宿泊客のみならず従業員達も全滅しているようで、旅館内は静まり返っている。フクロウの鳴き声や虫の音も聞こえず、不気味な静寂が場を満たしていた。

 不幸中の幸いと言えるかは分からないが、全員()()()()いるのなら多少羽目を外してもすぐには発覚するまい。自分達の部屋以外を使っても、そのために施錠されている扉を壊しても、有耶無耶に出来るだろう。

 露天風呂から最寄りの部屋の扉を破壊し、風呂場で倒れた花中達を寝かし終えたミリオンは、そんな風に思っていた。布団の上に寝かせた花中達には応急措置で浴衣を着せてある。いくら夏とはいえ、裸で寝かせておいたら症状が悪化しそうだったからだ。

 人間達の措置が済んだら、次はミュータント達の番。

「お鍋で我慢してね。能力の維持も出来なくなってるみたいだし」

「ぐぬぅぅぅ……よもやあなたの手を借りる日が来るとは……うぎぎぎぎっ」

 唯一生身では陸上生活が出来ないフィアのために水槽 ― 厨房にあった大きめの鍋で代用 ― を用意したところ、フィアからは屈辱に塗れた言葉が返ってきた。それでも拒みはしない辺り、余程余裕がないのだろう……水中で正体であるフナの姿を晒している事からも察せられる。

 これでも、フィアはまだマシな方だ。

 ミィはすっかり参ってしまったのか、本来の姿である体長四メートル近い猛獣状態になっており、息も絶え絶えで廊下のど真ん中で倒れている。意識はあるが朦朧としていて、まともな会話が成り立たない。人間達に至っては呼吸が何時止まってもおかしくないほど弱々しい。しかも服を着せて布団に寝かせているが、体温の低下が止まらない有様だ。

 何より厄介なのは、治療法がさっぱり分からない事。

 ナノレベルの存在であるミリオンが体内に侵入して調査したところ、皆の身体に起きていた事態はあまりにも悲惨だった。細菌やウィルス、有毒物質や腫瘍などの『害悪』は確認出来ず。にも拘わらず臓器の壊死や失血が見られ、まるで腐り落ちたかのような惨状を晒していた。正直花中達の身体に何が起きているのか、ミリオンには見当すら付かない。

 大きな病院で検査をすれば、もしかしたら何か分かるのかも知れないが……警察や消防に電話を掛けてみても繋がらない。テレビを点ければ、生放送のニュース番組では誰も映っていないスタジオを延々放送している。どうやらこの異常事態、旅館だけでなくこの地域、それどころか日本中で起きているらしい。いや、もしかすると世界中に及んでいる可能性もある。間違いなく医療機関は機能を喪失しているだろう。

 臓器の壊死が始まっている事からして、このままでは夜が明ける頃には『全員』が死んでいる。ミリオンとしては花中以外がどうなろうと構わないが、花中が死にかけているのなら見過ごせない。早急に手を打つ必要がある。

 思い付く対策は二つ。

 一つは全身全霊を以て治療に当たる事。直接体内を見て回れるミリオンならば、人間には不可能な施術も行える……が、これは愚策だ。治し方も分からないのに、一体どんな措置を講じろと言うのか。やったところで足掻きにもならないだろう。

 選ぶのはもう一つ対策――――原因を突き止め、根源を叩き潰す事。

 幸いな事に、ミリオンにはこの事態を引き起こした『輩』に心当たりがあった。尤も、ミリオン以外の者でも気付けば『それ』に疑いを向けるだろうが。

「……どう考えても、怪しいわよねぇ」

 部屋の窓から身を乗り出し、ミリオンは空を仰ぐ。

 真っ暗である筈の空は、今や緑色の輝きに満たされていた。

 月よりも強く煌めくそれは、揺らめきながら一方向へと流れていく。夜空は緑一色に染まっていて、本来の暗さはほんの僅かな隙間からしか窺い知れない。まるで巨大なオーロラが現れたような光景だが……ミリオンは気付いていた。

 アレは、オーロラなんかではない。

 人間の目には光にしか見えない『それ』を、視覚を持たない故特別な方法で解析しているミリオンは無数の物質の流れであると捉えた。光子ではなくもっと物質的なものが、大量に空を駆けているのだ。例えるなら重力を無視して流れる濁流。あのような事象、自然界は勿論人工物でも見た事がない。

 無論これだけならただの怪現象であり、異変の原因だとして追い駆けるのは一か八かのギャンブルだ。

 しかし倒れた生き物達から()()()()()()()()なら?

 あまりにも微弱な光であり、人間だけでなく動物の視力でも認識は難しいだろう。ミリオン以外には見えないかも知れない。晴海や加奈子からはミリオンでもギリギリ見える程度、フィアやミィからは微かに、花中からはフィア達の倍近い量が溢れ出ている。恐らく症状の重さは、この光の放出量に比例している。晴海達の放出量が極端に少ないのは、最早出し尽くした搾りカスだからか。

 例外はミリオンだけ。彼女の身体から光は出ていない。花中達全員と自分の違いがあるとすれば……

 なんにせよ花中達から飛び出した光は空へと駆け上り、天上に流れる大河の一部となっていた。あの光の濁流が生命体から出た光の集まりだとすれば、世界中でこの惨事が起きているという想像もあながち間違いではないだろう。

 そもそも、である。

 どうして()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 光を一つ捕まえて解析したところ、正体はすぐに分かった。その物質は生体内で重大な働きを担っている。これが体外に溢れ出し、なくなったとすれば確かに致死的だ。しかし自然状態でだらだらと漏れ出るような代物でもない。病気だとしても、こんな症状は聞いた事もない。

 だとすればナニか、超常的存在の関与……ミュータント的な能力を想定する他ない。するしかないのだが、もしこれがミュータントの仕業だとすれば、その力はあまりに強大だ。どの程度の範囲に影響を与えられるかにもよるが、原理的には、そいつはその気になれば地球上の()()()()()()()()である。冗談抜きに、神にも等しい力だ。

 加えて、この『物質』を抜いただけで臓器の壊死がここまで急速に進むとも考え辛い。他にも何かしらの力がある筈だ。恐らくこれまで出会ったどんは敵よりも強大な存在だろうが……

「片付けなきゃいけない問題には変わりないし、他に当てもないものね。さぁて、果たして蛇が出るか鬼が出るか……鬼程度で済めば良いのだけれど」

 決意を固めたミリオンは、布団に寝かせてある花中を一瞥する。

 元々血色の良くなかった顔はすっかり青ざめ、呻くばかりで意識も混濁している。加奈子や晴海に比べると内臓面はまだマシな状態だったが、その状態は精々タイムリミットが長いか短いかの差しか生まないだろう。

 ここで花中を失う訳にはいかない。自分には、叶えたい『夢』があるのだから。

「いってきます」

 ボソリと一言だけを残し、ミリオンは窓から外へと跳び降りる。目指すは膨大な粒子が流れていく先。

 自分達が散々遊んでいた、あの海辺を目指して――――

 

 

 

 幸いにして、海までの道のりに苦労はなかった。

 町中を通ったが、人も獣も虫も、動くモノは一匹たりとも見当たらなかった。植物からも『光』は出ていたので、一見今までと変わりない姿の草木も瀕死なのだろう。道には人々や動物が無造作に倒れ、行く先を塞いでいる。建物や街灯の明かりは消えていないが、発電所が止まるまでの残り火でしかない。

 道中には事故を起こした車が何台もあり、中には炎上を始めているものもあった。炎はすっかり業火と化し、動かなくなった影が見える。飛び散った火花が燃え移り、焼ける家も出てくる筈だ。消防隊も機能を喪失しているであろう現在、一度燃えてしまえば邪魔するモノは何もない。事態が長引けば、歴史に残る大火へと育つに違いない。尤も、そうなる頃には歴史を綴る生命体は絶滅しているだろうが。

 横たわる物体、立ち上る炎……いずれも並の生物にとっては立派な障害だ。しかしミリオンにとっては大した問題ではない。何メートルにも渡って寝転がる人々を跳び越える脚力も、燃え盛る炎を耐える肉体も、ミリオンは持っている。

 人間の足なら平時でも徒歩五十分。今なら三時間は掛かる行程を、ミリオンは三分で走破してみせた。

 かくして周りを岩場に囲まれた、日中花中達と過ごした砂浜へと無事やってきたミリオン。

「……ビンゴ、と喜んで良いのかしらねぇ……」

 悩ましげにぼやきながら、彼女は海を眺めた。

 空を駆ける光の濁流は、一本ではなかった。ミリオンが追っていたのは北から伸びる流れであり、東と南の空にも光の濁流は存在していたのだ。それら三本の流れは浜辺から数キロは離れた遠洋で降下。海面から百メートルほどの高さで合流している。

 そしてその合流地点には、巨大な光の塊が出来上がっていた。

 遠くて正確には測れないが、塊の直径は五十メートルほどあるだろうか。巨大物体ではあるものの、数キロと離れていては人間では『何か』あるぐらいしか分からないだろうが……生物ではないミリオンは、通常の視覚機能とは異なる原理で外界を見ている。数キロ彼方の物体も、取り込んだ画像情報を拡大・解析する事で分析可能だ。この程度の距離、相手を視認するのに不都合はない。

 塊は無数の糸が束となって作られた球形であり、表面から一本鎖構造の螺旋を複数伸ばしている事が分かる。さながら蜘蛛の巣の中心に巨大な繭があるような、神秘と不気味さを併せ持った外観だ。緑色に発光してはいたが、恐らく通常の生物……人間でも、それが『物体』であると判断するだろう。オーロラにしか見えなかった『光』が合流し、密度を増した事で、物体と認識出来るほどの大質量を持つに至ったのだ。

 その神話的な姿に、人間であれば見惚れてしまうかも知れない。

 だが、あの『光』は生き物の身体から出てきたもの。それも命を続けるためには欠かせない、『生命の源』そのものの寄せ集めだ。美しくはあっても、決して煌めく感動を呼び起こすものではない。

 ミリオンには光の塊が、いくつもの内臓を捏ねて作った汚物にしか思えなかった。強いて良かった点を探すなら、あのような汚物であれば壊すのに躊躇いなど覚えずに済むところか。

「さぁて、どんな目的があってあんなゲテモノを作ったかは知らないけど……とりあえずぶっ潰せば、黒幕が出てきてくれるかしら?」

 こーいう発想はさかなちゃんの領分なんだけど、と思いながらも、ミリオンはニタリと笑う。自分がそれをする事に歓喜するかの如く。

 海上を駆け抜けるべく、ミリオンはその身を大きく傾け、

「やっぱり守りはあるわよねぇ」

 ふと、視線を空へと向けた。

 光の濁流が、大きくうねる。

 脳どころか神経細胞すら持たない筈の、ただの物質の流れが、まるで意思を持つようにのたうっていた。やがて巨大な主流からその数百分の一ほどの太さしかない分流が生じ、分流は真っ直ぐ降下。ミリオンの目の前に広がる海へと落ちた。

 直後、海が蠢く。

 蠢く場所を見れば、海中でナニかが()()()()()()。生まれたナニかはぶくぶくと膨らみ、不定から明瞭な形へと変化し、そして浮上する。

 そうして生まれたナニかは――――ナニか、としか言えなかった。

 イヌのような顎と、ネコのような目を持ち、サメを彷彿とする無数の歯を持つ頭部。カエルのような水掻きを持ち、クマにも似た爪を備え、カニを思わせる節を有する六脚。キツネと同質のしなやかな筋肉を乗せ、鳥と酷似した羽毛を背に生やし、脆弱な胸部を大蛇並に立派な鱗で覆った体躯。トカゲのように太く、イルカのように滑らかな尾。

 それらの特徴が、本当に似ているのか、他に例えようがなく理性が無理やり当て嵌めたものなのかは分からない。その肉体は進化論を嘲笑うように完成され、創造論を侮辱するように醜い。冒涜と狂気と知性を併せ持ち、常人の正気を揺さぶる。

 間違いなく、こんな生物は今まで地球上に存在していなかった。

 それがたった今、生まれたのだ。

「生物の創造って、相手はまさかの神様かし、らっ!」

 だがその()()で怯むほど、ミリオンは人の秩序を重んじない。

 足の裏側にある空気を加熱。大気の膨張圧により自重を支え、更に反発力を利用して身体を前進させる。これがミリオン式の高速移動方法だ。そして最大加速に必要な歩数は――――三。

 ほんの一呼吸ほどの時間で時速千キロに達したミリオンは、海上を駆けるように飛んだ!

【キ、ィィィィアアアアアアア!】

 高速で接近するミリオンに向けて悲鳴のような叫びを上げるや、怪物もまた駆ける。一体どのような原理を使っているのか、怪物もまたミリオン同様海に沈まず、海面を走り抜けていた。

 何より、速い。

 時速にして、四百キロは出ているか。陸上生物最速種であるチーターを遥かに凌駕するスピードであり、にも拘わらず怪物には余力がある様子だ。まるでミリオンの力量を測るように。

 相対速度は時速千四百キロ。音速を超えるスピードで迫り来る相手に、しかしミリオンも怪物も怯まず突き進み――――

 最初に行動を起こしたのは、怪物だった。

 怪物は距離を詰めるや跳躍。ミリオンの首筋に、食らい付いた! サメのようにびっしりと並んだ牙を容赦なく突き立て、ミリオンの柔肌に食い込ませる

 というより、ズブズブと沈み込んだ。

 異変に気付いたのか怪物はすぐさま離れようとしたが、けれども顎が開かない。ミリオンを構築する、無数の小さなミリオン達が、怪物の顎を捕まえているのだから。

「ぼんっ」

 ミリオンは身動きの取れない怪物を傍に、小馬鹿にした笑みを浮かべながら独りごちた。

 瞬間、怪物の身体が破裂する。

 ミリオンは怪物の口腔内に小さな傷を付けると数千ほどの『自分』を侵入させ、血管を通じ身体中に広がったところで能力を使用。全身の血液を沸騰させたのだ。以前戦ったタヌキのように全身の構造を組み換えているならばまだしも、この怪物にはその対策が見られない。心臓、肺、脳や神経もぐちゃぐちゃに壊してやった。

 これならどのような生物だろうと、即死するしかない

【ギ、ギキィィイイイ!】

 筈が、怪物は死んでいなかった。ボロ雑巾よりも酷い身体になりながらも、食らい付いた顎を離さない。

 それどころか一層噛み付く力を強め、ミリオンに深手を負わせようとしてくる!

 即死する筈の攻撃で死なない。対策だって見られない。なのに生き長らえたという事は、この怪物は持ち前の生命力でこの攻撃を耐え抜いた事になる。呆れるほどにしぶとい。もし人間がこの怪物を相手取ったなら、例え銃火器で武装していたとしてもこの生命力によって押し切られ、食い殺されているだろう。

「消し飛ばさないと駄目かしら? 良いわ、お望み通りにしてあげる」

 されどミリオンとて『超生物(ミュータント)』。眉間に皺を寄せ、苛立ちと狂気を臭わせるのみ。このような雑魚一匹を殺せないほど弱くはなく、噛み付かれたダメージもない。食らい付いて離さない怪物の頭を躊躇なく掴み、

 ハッと、目を見開いた。

 自分に食らい付く怪物……そいつが生まれた場所で、新たな怪物が生まれていたのだ。それも一匹二匹ではない。何十体もの群れが、ミリオンを異形の眼差しで射抜いている。一体では敵いそうにないなら、数を揃えて押し切ろうという魂胆か。

 挙句怪物の身体は、ミリオンに食らい付いているモノより大型で、足の本数が減っていた。恐らくは最初の怪物よりもパワーがあり、機動力に長けている『改良型』だ。

 そして怪物達は号令でも掛けられたかのように、一斉にミリオン目掛け突撃する!

「……ちっ」

 ざわりと一瞬身体を揺らめかせる、が、舌打ちと共にミリオンは揺らめきを止める。

 それは普段なら、集合した『個体』を霧散させるための予備動作。

 しかし今のミリオンは、その身に『大切な人』を納めていた。全員でバラバラに散れば、『この人』を海に落としてしまう。そんな事は出来ない。

 反射的に取ろうとした行動を、感情が戒めて取り下げる――――生じた隙はほんの僅かだったが、野生において瞬き一回の油断が生死を分ける。ましてや怪物達は自然界のどの動物よりも素早く、強く生まれた。人間ならば捉えきれなかったであろうほんの僅かな隙を、怪物達は逃さない。

 駆け抜けた怪物は、動けなかったミリオンに次々と食らい付く! 頭にも腕にも足にも胴体にも。怪物達は隙間を見付ければ頭を捻じ込み、ついに隙間がなくなれば仲間を押し退けてでも食らい付こうとする。ギチギチと肉を鳴らしながら、怪物はミリオンをバラバラにしようと咀嚼を始めた

 刹那、全ての怪物達を飲み込む爆炎が上がる!

 爆炎は何十メートルもの範囲に渡って広がり、衝撃波と轟音を撒き散らす。怪物は肉片となって周囲に散らばり、一匹残らず原形を留めていない。炭化しきれなかった手足や胴体と離ればなれになった頭部がもがくように蠢きながら海に落ち、水底へと沈んでいく。

 唯一健在なのは、爆炎の中心に居たミリオンだけだった。

「ふん。雑魚がいくら来ようと、この私には傷一つ付けられないわよ?」

 何処に居るか分からない、だが確実に見ているであろう存在に、挑発的な言葉を投げ掛けるミリオン。戦いの場が海洋のど真ん中であり、水素と酸素の合成ガスを作るための材料である水には事欠かなかった。これなら敵が何百体来ようと纏めて吹っ飛ばせる……今し方、怪物共を消し飛ばしたように。

 それでも無駄な争いは、物臭なミリオンとしては好みではない。面倒事はすっ飛ばして『本題』に入りたい。雑兵任せでは埒が明かないと諦め、親玉自ら出て来い。

 『敵』にこの気持ちが届く事を願ったのだが、海から新たに無数の、先程よりも更に改良された怪物が生まれたので、どうやら聞き届けてはくれないらしい。

 或いは、余程あの『光』の塊を傷付けられたくないか。

「そんなに拒まれたら、ますます気になっちゃうわねぇ!」

 海水を爆破させるほどの熱量と共に、最大加速でミリオンは飛び出す! 怪物はミリオンを止めようとしてか一斉に襲い掛かるが、最早足を止めてあげる気もない。

 迫り来る怪物の口目掛け、ミリオンは自らの腕を突っ込んだ。

 否、振った、という方が正しいか。

 何しろミリオンに触れた瞬間、怪物の頭は消滅してしまったのだから。ミリオンが誇る加熱能力によって、怪物の頭部を構成する物質が瞬時に気化したのである。

 これでもミリオンは全力など出していない。本気の半分未満――――摂氏三千五百度程度に熱しただけだ。それでも鉄やプラチナさえも瞬く間に沸騰する温度。生命体を形作る物質など跡形も残らない。そしてミリオンは微細な物体の集合体。腕だけでなく、頭だろうが胴体だろうが、服の切れ端だろうと関係ない。『自身』に触れたもの、その全てが能力の対象だ。

 最早腕を振るうのも面倒だとばかりに、ミリオンは真っ直ぐに海上を飛行する。怪物達は恐れず突っ込むが、ミリオンに触れた瞬間例外なく気化していく。悲鳴を上げる暇すらない。足止めを試みているであろう怪物達は、次々に犬死となる。

 そして時速千キロもの速さとなれば、例え数キロ彼方といえども遠い道のりではない。

 迫り来る怪物を蹴散らし、海上を飛び越え、目指すは光の塊。

「まずは小手調べぇっ!」

 音に迫る超高速を一切落とさず、ミリオンは触れたもの全てを消し去る腕を光の塊へと振り下ろした――――

 が、触れる事叶わず。

 光の塊から数センチ離れた虚空にあった、見えない壁に阻まれてしまった。

「!? これは、ぐっ!?」

 何が起きたのか考えようとしたのも束の間、ミリオンは自らの身体が()()()()感覚に襲われる。突き飛ばされた訳でも、引っ張られた訳でもない。全身を構築する一つ一つの『自分』が全て弾かれるような、今までに感じた事のない感覚だ。

 未体験の状況に対応しようとするも、弾く力の強さに全身が文字通りバラバラになりそうになる。『大切な人』を欠片一つでも落とすまいと人間の姿を保つので精一杯で、そのまま何百メートルと吹き飛ばされてしまった。

 尤も生命体ではないミリオンにとって、『自分』が損壊しない程度の衝撃は全てダメージとはなり得ない。全身を襲った力が弱まったのを感じ取るや早々と体勢を立て直し、空気の加熱によって揚力を生産。海の上数十センチの位置で、ふわふわと浮遊する。その隙を突くように、機能を更新した怪物達が包囲してくるが、どのような強化を施そうと『物質』である以上ミリオンの敵ではない。最早障害と認識する必要もない相手だ。

 だが、ミリオンは表情を固くする。

 先程自分を吹き飛ばした『攻撃』の原理は、推測ではあるが分かった。成程こういった攻撃を行えるのかと、『敵』の情報としてきっちり認識しておく。今の攻撃で自分が破壊される可能性は低いが……どのような応用を見せるか分からない現状、無策で突っ込む気にはならない。自信過剰で能天気なフィアと違い、ミリオンは本質的に臆病で心配性なのだ。自分の力への自信はあるが、それが通じないなら無茶はしない。

 ここは情報を集めるのが得策か。

「いい加減、お話ししてくれない? 美女がお喋りしましょうって誘っているんだから、少しは気乗りしてくれても良いじゃない。それとも言葉を使えないのかしら?」

 ミリオンは光の塊に呼び掛けてみる。突撃前にかました挑発を含めれば二度目の要求。

 今度は、反応があった。

 光の塊が解けていく。自身を構成していた無数の糸が蠢き、四方八方へと伸びていく。見れば糸は無数の一本鎖螺旋が束になったもので、解ければ何処までも広がっていった。それが何万何億と存在するものだから、どんどん空を埋め尽くしていく。このままでは世界を包み込むと錯覚、否、確信するほどに。

 やがて塊が完全に開かれた時、中心にあったのは血のように赤い球体だった。

 球体は大きさにして約三十センチ。重力に逆らうように浮遊し、広がった糸の中心を維持し続けている。まるで自分こそが世界の中心だと言わんばかりの佇まいであり、そしてその主張になんの疑念も抱いていないのをひしひしと感じさせる。

 顔すらないのに感じる不遜さ。だが何よりミリオンを苛立たせたのは――――己の心境。

 奴の不遜さを()()()()と、本能が薄々認めているのだ。

【形態変化完了。対話に応じる】

 表情を強張らせるミリオンを余所に、赤い球は淡々とした声を出した。声と言っても、空気の振動ではない。さながら脳内に直接呼び掛けてくるような……尤もミリオンに脳はないが……神秘的な話し方だ。どういった原理か、さっぱり分からない。

 とはいえ待ち望んでいた相手が話し掛けてきたのだ。イライラを吐息と共に吐き出し、笑顔を作ってから大きめの声で、数百メートル以上離れた赤い球との会話に興じる事にした。

「あなた、随分と不思議な話し方をするのね。まさか本当に神様とか?」

【人類が考案した、宗教的意味における神かという問いであるなら、答えは否である】

 試しに尋ねてみれば、返ってきたのは否定の言葉。されどその物言いに、ミリオンは違和感を覚える。

 まるで、別の意味でなら肯定するかのような――――

「……じゃあ、一体ナニモノなのかしら?」

 ミリオンは問う。

 果たしてそれは、なんの躊躇いもなくこう答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【我はRNA生命体。全ての地球生命の起源である】

 

 

 




ついに現れました、『母なる者』。次回その実力が明らかに……なりません(ぇー
次回は対話フェイズであります。

次回は3/19(日)投稿予定です。

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