彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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第五章 母なる者
母なる者1


 しとしとと、雨が降っていた。

 あまり強い雨ではなかったが、そのままでは濡れてしまうので、外に居る誰もが傘を差していた。雨雲は厚く、太陽を覆い隠している。お陰で八月上旬の突き刺すような日差しは地上まで届かず、気温は地獄のような灼熱を忘れ、穏やかといえる水準まで下がっていた。

 だけど、花中はそれを喜ばない。

 降り注ぐ雨が、みんなの涙のように思えたから。

「花中さん。あちらに受付があるようですよ」

 不意に掛けられたフィアの呼び声に、花中はハッとなる。

 帆風高校の夏服を着て花中が訪れたのは、公民館のような、シンプルなデザインの建物。どうやらこの建物を前にして、無意識にぼうっと眺めていたようだ。

 ぷるぷると、小さく頭を振って意識に掛かる靄を払う花中。

 花中に声を掛けてきた今日のフィアは、花中と違いフリルをたっぷりと付けた派手な洋服を着ている。何時も通りの格好だ。強いて普段との違いを挙げるなら、その色合いが黒一色である事ぐらいだろう。

 フィアは一点を指差しており、そこは花中達が前にしている建物の、菊の花で飾られた入り口だった。真っ黒な服を着た大人や、花中と同じ帆風高校の制服を着た学生が何人も建物に入っており、傍には立て看板が設置されている。

 緩やかな、迷うような足取りで花中は看板の前に向かう。その看板にはハッキリと、こう書かれていた。

 明石凛子 葬儀式場――――と。

「……うん。此処で間違いない、ね。教えてくれて、ありがとう」

「いえいえ礼を言われるほどの事でもありませんよ。しかし人間のやる事はよく分かりません。死体にお別れを告げたところで返事などないのですから時間の無駄でしょうに。しかも燃やしちゃうなんて。剥製にして保存しておくのならまだ分かるんですけどね」

「……………」

「ああそんな睨まないで。今のはあくまで私個人の感想です。人間に理解してもらえるとは露ほども思っていませんので無用なトラブルを避けるためにも葬式場に入ったら口は閉じておきますよ」

 悪びれる様子もなく、言いたい事を言いたいように話すフィア。花中もまた言いたい事を言おうとして――――口を噤んだ。

 葬儀を行うのは、人が心を大事にする生き物だからだ。死者に安らぎを与えるためでなく、これからも生き続けなければならない生者が気持ちの整理をするための儀式。その生者が不要だと思うのなら、葬儀を行う必要などないのだろう。他者にその思想を強要しない限り、考えを止めさせる道理はない。

「……うん。それなら、良いよ。あ、でも、参加するからには、いくつかやる事が、あるけど、やり方とか分かる?」

「いいえさっぱり。でも他の人と同じ感じに振る舞えばなんとかなるんじゃないですかね?」

「……なんとかなるけどね」

 実際自分も曾祖父や曾祖母の葬式ではそうしていたし……幼い頃の記憶をほじくり返されてむず痒さを覚えつつ、フィアについては問題ないと判断。

 入場前にすべき事は、後は友人達の到着を待つぐらいか。

「ごめんなさい、ちょっと遅れたわ」

 そう思っていたところ、タイミング良くその友人の声が聞こえた。

 声がした方を見れば、そこには友人の一人であるミリオンが駆け足気味に花中達の方へと近付く姿があった。今日も彼女の服装は黒一色。ただし普段着ではなく、付近に居る大人の女性達と同じタイプの正装、所謂ブラックフォーマルを着ていた。尤も、他の誰よりもミリオンは着こなしているように見える。実際彼女ほど、喪服を着慣れている者も他にいまい。

 やがて花中達の傍までやってきたミリオンは、不愉快そうに眉間に皺を寄せた。

「ちょっと、さかなちゃん」

「はい?」

 嫌悪を露わにしながらミリオンはフィアを呼び止め、まるで心当たりのない様子の彼女の服をジロジロと眺める。

「なんでそんな派手な格好してんのよ。もうちょっと簡略なものにしなさい。親族より格式が上になっちゃ駄目よ」

 それからフィアの服装に、語気を強めて文句を付けた。

 指摘されたフィアは自分の身形を一遍眺め、しかしキョトンとした素振りで首を傾げる。

「喪服って黒ければ良いんじゃないですか? あと私地味な服って好きじゃないんですけど」

「さかなちゃんの好みなんてどうでも良いの。ほら、私と同じデザインに変えなさい。どうせその服も水で作ったやつでしょ」

「いえですから地味なのは好みじゃ」

「良 い か ら や り な さ い」

 ミリオンの意見に押され、フィアは渋々といった様子で服を()()させる。

 変化が終わると、ミリオンがチェック。あそこを直せここをこうしろと細かく指摘し、フィアはつまらなそうに唇を尖らせながらミリオンの指摘通りに服を変えていく。

 着せ替え人形にされているようで、少しフィアが気の毒になる花中だったが、しばらくミリオンの好きにさせる事にした。ミリオンは好きな人を亡くした経験がある。こういった場に強い想いがあり、雰囲気を壊されたくない気持ちは人一倍強いのだろう。

 いくらかのやり取りを経て、最終的にフィアの服装はミリオンと同じような、落ち着きあるものとなった。フィアは心地が悪いのかそわそわしているが、ミリオンは満足げに頷いている。

「まぁ、こんなもんかしら……ごめんなさいね、はなちゃん。待たせちゃって」

「いえ。気にしないで、ください……まだ、ミィさんも、来てないです、し」

「ああ、その事なんだけど。猫ちゃん、中に入ったら床を踏み抜いちゃうから、外から手を合わせるだけにするって言ってたわ。だから待たなくても良いって」

「……そう、ですか」

「残念がっていたから、猫ちゃんの分も拝んでいきましょ」

 ミリオンの言葉に花中は静かに頷く。

 ミィが合流しなくなったので、これで面子は揃った事になる。フィア、ミリオンと共に、花中は受付へと足を運ぶ。記名を済ませて会場の奥へと進んだ。

 ――――物静かな空間。

 音がしない訳ではない。しくしくと嗚咽が聞こえ、服の擦れる音や靴の音が耳に届く。それでも静かだと、物音がないように思えるのは、そこに居る人々の心が、深く、沈んでいるからだろう。

 少し早めの時間に来たつもりだったが、会場の椅子は既に大半が埋まっていた。参列者用の椅子は、さて何処からかと花中は眺め、

 ちょいちょいと、座る人混みの中から伸びた腕が手招きしていた。

「……………えっと」

「席、取っといてくれたんでしょ。無下にしても悪いわよ」

「行きましょ行きましょ」

 少し戸惑う花中に、ミリオンが優しく促し、フィアは能天気に手招きの方へと歩き出す。先行するフィアの後を追う形で花中も向かう。

「おはよ、大桐さん」

「大桐さん、やっほー」

 手招きしていたのは、花中と同じく制服を着た晴海。そしてその傍には笑顔を浮かべつつも、悲しさを隠しきれていない加奈子が座っていた。

「……おはよう、ございます」

 一礼と共に挨拶をして、花中は晴海の隣にある空席に座る。フィアとミリオンも、晴海達が取っておいてくれた席に腰掛ける。

 友達が全員座ったのを確認した花中は正面を見据え、部屋の最奥に置かれた祭壇に目を向けた。

 飾られたたくさんの菊の花。大きな棺。立て掛けられた写真。どれもお葬式としては珍しいものではない。デザイン的な違いはあれど、幼少の頃経験した曾祖父母の葬式と、用意された器材に大した違いはないように感じた。

 ただし、場を満たす空気の悲壮さは、あの時の比ではない。

 それも当然だ。花中の曾祖父母が九十前後で亡くなったのに対し、明石倫子は享年十六歳――――彼女はまだ大人にもなっていない、花中のクラスメートなのだから。

「そういえば私彼女についてあまり知らないのですけどどんな方なのです?」

「んー、あたしも友達ってほど親しくなかったから詳しくは言えないけど……お洒落に気を遣って、彼氏とデートするような……女の子らしい女の子よ」

「ははぁ。確かにそんな見た目ではありますね」

 倫子の事をよく知らないフィアは、晴海の説明に納得したように頷く。どうせ顔も覚えていないだろうが、棺の奥に飾られた遺影からそう判断したのだろう。

 倫子はクラスメートだったが、晴海とも、加奈子とも、さしたるつながりはない。

 無論それは彼女が孤独だった事を意味しない。倫子には友達がたくさんいて、仲良しグループを作り、仲間内でわいわい楽しくやっていた。晴海はそういったグループ云々を好まず、加奈子は意識もしない性格。所謂タイプが違う女子であり、不仲ではなかったが、友情が芽生える間柄でもなかった。

 それは花中も変わらない。しかし花中には、少なくとも晴海達よりはつながりがあった。

 六月の頭。友達になりたくて、だけど勇気が足りなくて、話し掛けられなかった子。

 自分が緊張していて、だから顔が凄く怖くなって……スマホを落として逃げていった、あの子なのだから。

「ぐすっ、う、なんでだぁ……なんで……こんな事に……!」

 ふと、耳に入る大人の泣き声。声がした方を見ると、年老いた男性が泣き崩れていた。それも親族達の席で。

 訊かずとも分かる。彼は倫子の祖父だろう。

 そして親族席に座るのは、彼と数人の老女、それから小学生ぐらいの男の子だけ。高校生の娘がいそうな年頃の人物は見当たらない。

「かわいそうに……奥さんも娘さんに続いて亡くなったのでしょう? 旦那さんも数年前事故で亡くなったとか」

「あの小さい子、弟さんだってね。これからどうなるのかしらね……」

 ひそひそと、近くの席では噂話が飛び交っている。

 自分に向けられた訳ではないその言葉を耳にして、花中は深く俯いた。

 クラスメートとの本当の別れまで、ただただ静かに――――

 

 

 

「やぁーっと終わりましたねぇ。ちょっと身体が凝ってしまいましたよ」

「よく言うわよ。作り物の身体じゃない」

 肩をぐりぐりと回しながら独りごちるフィアに、ミリオンが呆れながらツッコミを入れる。その姿に、花中は渇いた笑みを浮かべた。

 告別式が終わり、花中達一行は葬儀式場前の広間にたむろしていた。晴海と加奈子はこの後予定があるとの事で、既に別れている。他の参列者達も、疎らだが少しずつこの場を後にしている。納骨などは親族だけで行うらしく、花中達は参加出来ない。棺は既に外へと運び出されており、親族も次の会場に向けて移動している。一般参列者には此処に居続ける理由がなく、残っているのは会場の職員を除くと花中達ぐらいしか居なかった。

 花中としても此処に留まる理由はないのだが……動けない。

 出棺の直前、最後のお別れとして棺の中を見た。倫子の顔はとても綺麗で、死に化粧のお陰もあるのだろうが、とても死んでいるとは思えなかった。実はただ寝ていて、跳び起きるタイミングを見計らっているのではと疑いたかった。

 あの顔が、今でも脳裏から離れない。

「ところであの明石さんって人はなんで死んだのです? 事故か何かですか?」

 尤も、友人であるフィアは倫子の顔どころか、詳細すらすっかり忘れているようだが。花中はムッと唇を尖らせ、ミリオンは肩を落とす。

「アンタねぇ……お葬式の知らせが晴海ちゃん経由で来た時に聞いたじゃない」

「生憎覚えていませんね知らない人間の死に様などどうでも良いですから。ただ随分お若いのに何故死んだのかと改めて疑問に思っただけです」

「……まぁ、良いわ。どうせこのお葬式が終わったらいよいよ全部忘れちゃって、三度目はないでしょうし」

「よくお分かりで」

 悪びれる様子もなくフィアは微笑み、ミリオンはため息一つ。少し間を開けてから、フィアの質問に答えた。

「心不全、要するに心臓が止まって死んだのよ」

「……………いや心臓が止まって死ぬのは当たり前でしょう。なんで心臓が止まったのですか?」

「さぁ?」

 二度目のフィアの質問に、肩を竦めながらミリオンは答える。なんとも投げやりな答え方に聞こえるが、しかし彼女の言葉は『正しい』。

 事故ではない。病気でもない。ましてや殺人でもない。

 倫子の死因は、全くの不明なのである。医者は死亡診断書を書くためちゃんと調べただろうし、遺族も身内を奪ったものの正体を知ろうとした筈だ。にも拘わらず原因は分からず仕舞い。奇妙であり、不気味であり、何より納得の出来ない状態と言えよう。

 そうだ。こんな形での別れなんて納得出来ない。こんなの認められない。だけど死というものは、絶対的な権限を持って人と人の繋がりを斬り捨てる。

 二度と花中と倫子が出会う事はない。六月の出来事を弁明する機会も、今度こそ友達になりたいと伝える時も決して訪れない。

 もう、二度と。

「……ぐすっ、う、うぅ……」

「? 花中さん?」

「う、う、うう、ぅ……っ」

 ポロポロと涙が零れる目を両手で抑えながら、花中はその場に蹲る。何故花中が泣いているのか、分からないフィアはおろおろと右往左往するばかり。

 慰めるように、花中の背中を擦ったのはミリオン。

「はなちゃんが羨ましいわ。私はあの人が死んだ時、涙を流せなかったから」

 その言葉は花中の心に乗っていた、理性という名の蓋を外すのに十分なものだった。

 後の事は、正直花中はあまり覚えていない。

 闇雲に泣き喚いて、人が集まって、その人達も泣き出して。

 押さえ付けられていた悲しみが、爆発するように辺りを満たした光景が、ぼんやりと頭の中に残るだけだった……

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――――経過確認……進捗率一%未満。

 

 ――――プラン修正。

 

 ――――第二フェーズへと移行する。

 

 




あ、新年あけてましたね。おめでとうございます(何故前回言わなかった)

さて、最初からどんより雨模様でスタートする第五章。何時もと少し雰囲気が違います。
……と思いながら書いたけど、顔面損壊とか列車事故とか失明とか住宅地崩落とか、本作の章の開幕、割と一般人に被害が出てますね。今回はたまたま花中の知り合いだったというだけで。敵味方含め出てきたキャラで、人間に敵意があったのは一体だけの筈なのですが……

それではまた次回お会い出来る事を願って。
次回更新は2/5(日)の予定です。

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