彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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世界の支配者10

 目視不可能の光が、無数のロボット兵士が構える銃から放たれた。

 その光の威力たるや、人の頭ぐらいなら易々と貫通可能なほど。連射性能にも優れており、さながらマシンガンのように無数の高エネルギーを放つ。そしてその速さは光と同等であり、理論上どんな生物でも避けられない。

 故に放たれた光はフィアの身に直撃し、

 バチンッ、と音を立てて弾かれた。

「ああん!? 何かやったようですが……とりあえずケンカを売っているという事ですよねぇ!」

 フィアは全くの健在。苛立ち塗れの言葉遣いと違い、喜々とした声を上げながらロボットに突撃する! ロボット兵士達は人間に匹敵する高度な運動機能を有しているが……フィアの運動性は人間を遥かに凌駕していた。フィアは易々と、数十体ものロボット兵士の中心に跳び込む。

 速さだけではない。ミィほどの怪力はなくとも、数十トンもの水量が生み出すパワーは特殊合金で出来たロボットの装甲を容易く砕く。彼等の防御など、フィアにとって薄っぺらい紙のようなものに過ぎない。

 速さと力を兼ね備えた暴力が、ロボット兵士に襲い掛かる。フィアの細腕は手近なロボットの頭を掴むや、アリの足をもぐかのような気軽さで胴体から引っこ抜く。ずるずるとつられて出てくるコードがあたかも贓物のようであり、仲間の『最期』を目の当たりにしたロボット――――その向こう側にいる操縦者を怯ませるのに十分なグロテスクさがあった。

 無論操縦者とて兵士。そして現実に命を脅かされてもいない。彼等は手にした最新鋭テクノロジーを構え、至近距離に迫った脅威にレーザーを撃ち込む。だが、バチバチと音を立てるのが精いっぱい。全て弾かれてしまう。フィアの動きを阻む事すら儘ならない。

 繰り広げられる阿鼻叫喚。動物園に来ていた幼稚園児の集団に雄ライオンが跳び込んだような、一方的な『虐殺』だった。例え飛び散るものが血肉ではなく金属とゴムであったとしても、見る者に暴力への嫌悪を覚えさせるに違いない。

 しかし彼等は怯まない。

 ロボット達の何体かがフィアにしがみつく。身動きを封じるつもりかと、フィアは身体に纏わり付く虫けらを払い除けようと腕を振り上げた。

 強力な衝撃波と共にやってきた『何か』がフィアに直撃したのは、丁度そんな状況の時だった。

「ごっ!? ぬぅ……!」

 『何か』が衝突し、フィアの頭部が弾け飛ぶ。高密度状態で保持されていた水がコントロールを失い、一気に元の体積に戻った。瞬間的な体積の変化は強力なインパクトを生み、纏わり付いていたロボットを吹き飛ばす。大量の水と金属のパーツが周囲にばらまかれた。

 フィアにとってこの『身体』は入れ物に過ぎない。事実本体は今も傷一つなく、変わらず能力を振るえる体勢にある。だが、入れ物を壊されたら中身が露呈してしまう。生身の耐久では人間の素手すら脅威だ。『身体』を破壊しようとするこの攻撃は無視出来ない。

 巻き添えを食らい一掃されたロボットの破片を踏み付けながら、フィアは周囲を見渡す。しかし破壊の結果辺りの街灯は機能を失い、星と月の明かりが照らすだけ。視力が弱いフィアには、自分を攻撃したモノの姿を確認出来ない。

 ましてや数キロ彼方から放たれ、音速の二十五倍もの速さで迫る特殊合金弾――――レールガンの砲弾など、見える筈もない。

 遙か彼方で、再度レールガンの砲台が唸る。放たれた五発は、先と同じく音速を遙かに超えた速度でフィアに迫った。見えていないフィアには逃げる事も防ぐ事も叶わず。超科学の産物を五発全て受けてしまい、

 『身体』が()()()()()()()()()。頭も腕も腹部も、みな陥没して反対側に飛び出している。まるで身体から棘が生えるように十数メートルの長さまで伸長し、ギチギチと歪な音を鳴らす。

「ははぁん。そこに隠れていたのですか。ようやく会えたのですから逃げずにお返しを受け取ってくださいねっ!」

 そしてフィアは爛々と目を輝かせながら、猛々しい笑みと共に伸びた『身体』を元に戻した。

 瞬間、『身体』に蓄えられていたエネルギーが解放――――受け止めた弾頭を超音速で弾き返す! 受け止めた際、衝撃や熱の形で弾頭のエネルギーはいくらか消失している。だがそれでも、着弾時の九割以上のスピードを以て弾丸は射出された。

 現在、人類が使っている戦車の多くは、自身の砲撃と同等の威力を持った攻撃ならば耐えられる装甲を持っている。しかしタヌキ達が開発したレールガンの威力は、人類が保有する戦車砲を遥かに凌駕していた。そして彼等の戦車は、彼等自身に向ける事を想定していない……つまり彼等が誇る戦車の装甲は、現代人類の戦車砲に対応した程度で十分。

 ならば、自身の放った弾頭を殆ど射出時と変わらぬ速さで撃ち出されたら?

 その答えは単純明快。フィアに攻撃を仕掛けた超科学の結晶、五台のレールガン戦車は、自ら放った弾頭が装甲を貫通。弾頭に仕込んでいた形状的仕組みにより内部機関を広範囲に渡り破壊され、一撃で機能停止してしまった。

「さぁーてお次は何処のどいつがんぁ?」

 興奮しきった様子で口上を述べるフィアだったが、不意に間の抜けた声を漏らして頭上を見上げる。

 フィアのさして良くない眼には、特に何も映らない。

 だが降り注ぐ無数の物体――――空爆機編隊より投下された大量の爆弾を本能的に察知した。

「ちっ……鬱陶しい!」

 フィアはその場で四つん這いになり、地面に伏せる。

 この姿勢は、防御を目的としたものだった……ただし避けるためではないが。

 降下してくる無数の爆弾が、突如フィアの頭上数百メートルの位置で爆発。それも一発二発ではない。迫り来る全ての爆弾が、フィアに届く前に爆発し、砕け散っていく。

 その原因は、フィアの背中から伸びる無数の『糸』。

 太陽光の下でも不可視の存在であるそれが、今は爆炎を浴びてキラキラと光り輝いている。普段よりも太い『糸』を形成している証だ。そして光り輝く『糸』があたかも舞うように、フィアの周囲でのたうっていた。

 フィアには爆弾を目視で確認する事が出来ない。何処からどう来ているかはなんとなく分かるが正確ではない。普通に一本二本振るった場合、もしかしたら外してしまうかも知れない。

 だから何十本も『糸』を生やし、全方位をやたら滅多に切りまくって迎撃を試みた。どれだけ細くとも、数撃ちゃどれかが当たるだろうと考えたがために。

 言葉にすれば出鱈目としかいえない力技を、フィアは難なく成し遂げる。降り注いだ数百を超える爆弾は、全てが役目を果たす前に墜とされたのだ。されど撃墜したのはあくまで爆弾。上空の『天敵』達は悠然と飛び続けている。それどころか第二派攻撃を行うつもりなのか、ぐるりと旋回して再びフィアの真上に――――

「このままにしておくとお思いですかっ!」

 力強く叫んだフィアは頭上を一睨みするや、地面に己の手を深々と突き刺した。

 途端、大地が唸りを上げ、揺れ始める。

 フィアは能力を用い、土中の水分を吸い始めたのだ。それも日差しや植物によって水分量が減ってる表層ではなく、地中数メートルの深さから。水を奪われた土は短時間で体積を縮小させ、結果土壌構造が一気に崩壊。文字通り崩れるように、周囲の地面が次々に陥没していく。生き残っていたロボットや戦車も巻き込まれ、次々と大地の底に沈んでいった。

 しかしフィアは周りの有象無象など眼中にない。狙うは遥か上空、高度一万メートル先の飛翔体。

「ふんっ!」

 捻り出すような掛け声に合わせ、フィアの背中から三本の『糸』が生えた! 『糸』は月明かりを受けて輝きながら、駆け上がるように空へと伸びていく。

 此度の『糸』は月の微かな光で輝いている。ロボットを切り裂いたものや、爆撃機の爆弾を余さず切り落としたものとは比較にならないほど明らかに太く……故に頑丈。

 例え一万メートルまで伸びようと、折れないほどに。

 そして高速で飛行する爆撃機に、たかが数ミリの『糸』を認識する暇など存在しない。

 大雑把に振り回した『糸』の一本が無数に飛行していた爆撃機のうち一機の翼を切断! 高高度を飛行する文明の英知を、あろう事か生身の能力で叩き落としてしまった。

「はっはっはー! ようやく叩き落とせましたよ! コツは掴みましたから次はスコア更新を目指しましょうかねぇ!」

 空すら支配下に置いたフィアは、ますます勢い付く。隊列の穴を埋めるべく新たなロボットや戦車が集結しフィアに攻撃を始めていたが、フィアの動きは止まるどころか加速していく。足止めすら出来ていない。

 倫理観のない感情的な暴力が、立ち塞がる知的生命体の英知を打ち砕く。何千世代と積み重ねてきた想いが、継承の概念すら持たない生き物によって踏み躙られる。理不尽が、出鱈目が、信念を蹴散らしまかり通る。

 しかしフィアがいくら暴虐を尽くそうと、いくら不条理を押し通そうと、戦士達は戦いを止めない。絶望に屈せず、勝利を信じて突き進む。

 どれだけ非常識でも、どれだけ力に優れようと、あの『神の一撃』を生み出した自分達には敵わないと彼等は信じているのだ。

 信じていたのに。

「……Attack」

 フィアから百数十メートル……ミュータント達からすれば大した遠さではない距離から戦局を見守っていた真魅が、耳打ちするような小声で呟く。

 フィアは真魅の声に気付いていない。いくら魚の聴力でも、百メートル以上離れた小声を、ましてや破壊活動に夢中になっていては聞き取るなど無理な話だ。呟かれた単語にぴくりとも反応する事なく、レールガンの砲弾を跳ね返し、空爆を切り捨てながら、捕まえたロボットの頭を引っこ抜こうとして

「ほっ!」

 なんの前触れもなく、フィアは逃げるように跳び退いた。

 瞬間、フィアが居た場所は突如として噴き上がった粉塵に飲まれる! 立ち昇る粉塵はキノコ雲を形作り、さながら火山が噴火したかのよう……だが、この事象を引き起こしたのは自然現象などではない。

 それは、高度四万五千キロで浮遊するモノ。この土地の頭上にある監視衛星が確認した座標を電波通信で受信して把握。太平洋上空の宇宙空間に浮かべられた『本体』は、送られた座標に特殊な金属弾を射出する。そして放たれた金属弾の速度は、光速と比較したパーセンテージで語られるほど速い。

 それは核兵器すら凌駕すると謳われる超兵器。都市伝説としてのみ語られる、人智を超えた非常識。

 名は『神の杖』。

 核兵器を時代遅れとする、タヌキ達の最先端にして最終兵器。一国すら易々と滅ぼしてしまう神の力。理不尽の極みに達した人智の結晶体。

 それを、フィアは()()()

「あっはっはっ! 惜しかったですねぇ! あとちょっと反応が遅れていたら本体ごと撃ち抜かれていたかも知れません!」

 心底楽しそうに笑いながら、フィアは褒め称えるように拍手をする。強がりや煽りではない。本心からフィアは真魅達を褒め称えているのだ。先の一撃は「面白かった」と伝えるために。

 フィアには自覚がない。自分の取った行動が、如何にあり得ない事なのか。

 『神の杖』の原理は単純明快。物体を超高速で射出し、敵にぶつける……本当にそれだけだ。射出の衝撃と大気圏突入時の熱に耐えられる特殊素材で弾を造り、必要なエネルギーを確保するため衛星に原子力エンジンを二百四十基搭載しているが、そんなのは本質ではない。条件さえ満たしているのなら、弾丸は石ころで構わないし、エネルギー源は石炭でも問題ない。速度さえ出せれば他はなんだって構わないのだ。

 そうした追求の果てに辿り着いた速度が、光速の一・二%。

 たった一・二%、などではない。光速の一・二%となれば、その秒速は三千六百キロメートル……音速に直せば、マッハ一万以上という出鱈目な値となる。一周四万キロの地球でさえも十数秒で通り抜ける速さであり、太平洋上空高度四万五千キロに浮かぶ衛星からこの場所まででも三十秒と掛からない。

 如何に出鱈目な動体視力を持とうと、数百メートルに及ぶセンサーを誇ろうと、躱せる訳がない。

 ましてや陸に上がった魚など論外である、筈なのに――――

「Attack……Attack!」

 掠れるような小声で、先と同じ言葉を真魅は二度呟く。

 フィアは相変わらず目先の事に夢中。透明な『糸』を絡めて手元に引き寄せたレールガン戦車の装甲を、蕾の中を見ようとバラバラにしていく子供のように笑いながら剥がしている。当然頭上など見向きもしておらず、

「おっとと」

 ふと我に返ったようにその身を翻す。

 射線上の目標物が居なくなろうとも、意思を持たない弾丸は進路を変えない。直撃したのはレールガン戦車。生じた余波で、周りに居た護衛のロボット共も吹き飛ばす。対して狙われたフィアは直撃を躱し、衝撃波に乗って背面跳びをしながら脱出してみせた。

 しかしフィアの表情は強張ったまま。

 追撃するように迫る、もう一つの『神の杖』を感じ取っていたからだ。間髪を入れず放たれた神の一撃は、フィアの行動と移動速度を過去のデータから正確に導き出していた。体勢を崩して大きな動きが取れないフィアは自らの『頭部』に迫り来るそれを、あろう事か小首を傾げてあっさり避けてみせる。噴き上がる土砂を背中から受けながら、フィアはようやく笑みを浮かべた。

「Attack! Attack Attack Attack Attack Attack Attack Attack!」

 がむしゃらに、何回も何回も、罵声のように真魅は叫ぶ。

 叫びに呼応し、八発の『神の杖』が飛来する。八発の射出タイミングはバラバラ。更に全てが正確にフィアを狙っている訳ではなく、五発がフィアの機動を予測し、取り囲むような並びをしていた。

 逃げ道を潰してから、本命をぶちかます。

 曖昧な察知では決して避けきれない、包囲殲滅攻撃。どんな方法で察知していてもこれならば――――

 勝ち誇った笑みを浮かべる真魅はそう思っていたのか。しかし彼女の表情は、間もなく悲壮と驚愕に歪む。

 着地と同時に深々と膝を曲げ、大地が陥没するほどの衝撃と共にフィアは再跳躍。空には一瞥もくれず、迷いない直線でその場から跳び退く。

 そのコースは、降り注ぐ無数の『神の杖』の隙間。

 直撃をギリギリのところで回避し、フィアは攻撃をすり抜けたのだ。驚異的な立体視、ではない。『神の杖』が地上に到達する遥か手前でフィアは動き出している。そもそもフィアの目が良くないのだ。能力を用いた補助も、景色を拡大して見るのが精々。音速の一万倍もの速さを捕捉出来るほどに動体視力を強化する事は不可能である。

 視覚ではない。聴覚でもない。味覚、触覚、嗅覚は論じるまでもない。

 真魅にはきっと分からないだろう。どうやってフィアは『神の杖』を避けているのかなど。

「何故当たらない!? どうやって『神の杖』の軌道を識別している!? どんな感覚器を用いて……!」

「おっと知りたいですかぁ?」

 攻撃を避ける中で、何時の間にやら近くに ― それでも二十メートルは離れていたが ― やってきたフィアが笑いながら訊き返す。真魅は口を噤んだが、自分が話したいのだろう。フィアはお構いなしに語る。

「んふふふふー幼い頃鳥とかに狙われた経験でもしているのか空の事は()()()()()分かるんですよ!」

 あまりにも出鱈目で、インチキ以外の何ものでもない理由を。

「ぐっ……このケダモノが……!」

 真魅は忌々しげに歯噛みする。フィアの説明が余程受け入れ難いらしい。真魅は考え込んでいるのか、そのままの顔で固まってしまう。

 生憎、どれだけ一方的な展開になろうと、フィアに手加減するつもりはない。むしろ司令塔が機能不全に陥ったのを好機と見て、ますます攻勢を強める。飛び交う空爆機は羽虫のように叩き落とされ、レールガン戦車は悉く返り討ち。最新鋭のロボット兵士に至っては余波で吹き飛ぶ塵芥扱いだ。

 兵器達は仲間がいくら倒れても変わらず攻撃を続けるが、変わらぬ攻撃が通用する筈もない。攻撃は徐々に密度を下げていき、航空機が消え失せた辺りでいよいよフィアを阻むものは存在せず――――

「はぁいこれで最後っと」

 引き寄せたレールガン戦車を縦真っ二つにしたのを最後に、フィアの周りから動くものは居なくなった。

 フィアはきょろきょろと辺りを見渡したが、あまり良くない目には鉄屑で埋め尽くされた大地が見えるだけ。草一本生えていない。敵対する全てのモノを撃破していたら、景色が一変してしまったようだ。少々はしゃぎ過ぎたかと反省する……豊かな自然を破壊したら、大好物である虫の住み処が減ってしまうので。

 尤も、そんな小さな反省はあまり長く続かない。

 全ての雑魚を蹴散らし、ようやく『本命』と一対一になれたのだから。

 再び百メートル以上離れていた相手に、すたすたとフィアは歩み寄る。邪魔者はなし。悠々と距離を詰める。かくして相手と数メートルほどの位置で立ち止まったフィアはニッコリと微笑んだ。

 此度のケンカを始めた張本人にして、今や仲間の全てを失ったミュータントである、真魅に向けて。

「いやはやもう全部壊れてしまいましたか。良い感じに身体が解れたところなんですがねぇ……今度はあなたが私と遊んでくれるんですかね?」

「……っ」

 目を爛々と輝かせながらフィアが問うと、真魅は苦虫を噛み潰したような顰め面を浮かべながら後退り。立ち向かってくるどころかフィアから距離を取る。

 そのまま追いたいところだが、フィアはぐっと堪える。強力な再生能力――――真魅の能力はあまり戦闘向きとは思えないが、彼女は自称純正のミュータントだ。どのような奇天烈な戦法を繰り出すか、その能力を一番上手く使える当人以外には分かりようもない。切断したぐらいでは死なない事が判明している以上、あまり大きく踏み込むのも危険だと本能的に判断した。

 敵と真っ向から対峙する緊張感。変温動物の身でありながら燃えてくる身体。心身共に完璧な臨戦態勢へと推移する。ここまでコンディションに優れているのは、ミリオンから花中を奪い返した時以来か。思えばそれ以外の戦いは不意打ちを受けるか、或いは万端の準備をして一方的に嬲るかのどちからだった。

 此度のケンカは久方ぶりに遊べそうだ。無論勝つのは自分だが。

 高揚する気分のままフィアは口角を上げ、狂乱とした笑みを浮かべながら真魅の一挙手一投足を見落とすまいと凝視し続ける。真魅もまたフィアから目を離さず、徐々に身を屈め、狩りをする獣のような体勢へと移行する。

 しばし睨み合い、離れていた距離を徐々に詰めていく二匹。

 そして、

 ――――姿勢を正した真魅が両手を上げた。まるで諦めたような、投げやりな仕草で。

「……なんの真似です?」

「別に。ただ、少し話し合いをしたいと思ってね」

「話し合いぃ?」

 この期に及んで何を言っているのか。そんな気持ちを隠さず尋ねるフィアに、真魅は自信に満ちた笑みと共に答える。

「あなたの実力は良く分かった。全く、反吐が出るほど素晴らしいわ。まさか『神の杖』すら通用しないなんて。これ以上の戦闘は損失が大きくなり過ぎると判断させてもらうわ」

「損失ねぇ……まるで続ければ勝てるかのような物言いですね。あのようなオモチャをどれだけたくさん投じても無駄だと思うのですが?」

「あまり図に乗らないでほしいわね、畜生の分際で」

 触れればそのまま切られそうな、鋭い敵意を孕ませた言葉。

 真魅からぶつけられた言葉に、フィアは驚いたように眼をパチクリさせる。そういえば彼女、ミリオンから攻撃された時の言葉遣いも荒々しかった。こちらが『本性』か。

 尤も、その本性が垣間見えたのはほんの僅かな間だけ。真魅はすぐに余裕のある笑みを浮かべ、くつくつと笑い声を漏らした。

「確かに、私達が用意した兵器ではあなたを殺せなかった。そこは認めましょう……だけど、大桐花中はどうかしら? ただの人間である彼女は、私達の武器で十分に殺せる。そして大桐花中を失えば、あなた達はただの動物に成り下がる」

「……ああそういえば私がこうして力を持っているのは花中さんのお陰なんでしたっけ? 普段気にしていないから忘れていましたよ……で? 花中さんが死んで力を失ってから私を倒そうという算段ですか? 生憎雑魚が何匹群れようと花中さんには触れさせませんよ」

「そうね、あなたにはそれが可能な力があるわよね。でも、毎日続けられるかしら?」

「……………」

 フィアは口を噤み、言葉を途切れさせる。

 組織の強みは、数だけではない。

 スケジュールを管理し、定期的な休息をメンバーに与える事で、組織は途切れる事なく活動を続けられる。夜間も休日も関係ない。延々と、何時やってくるか分からない『チャンス』でも、組織ならば待てる。即ち二十四時間、三百六十五日、真魅達は何時でも攻撃を仕掛けられるのだ。

 本来、その程度の事はフィアからすれば大した脅威ではない。自分以外の全てが敵となり得る自然界において、四六時中命を狙われるのは『基本』だ。記憶こそないが、その苛烈な生存競争の日々は身体に染み付いている。二十四時間監視されようと、睡眠中に奇襲されようと、瞬時に対応出来るという本能的な確信がある。

 しかし花中を守るとなれば話は別。いくら仲良しと言っても、花中とフィアは『別個体』だ。無意識にその存在を把握出来る訳ではない。守るには集中力が必要であり……そして集中は、何時か切れる。

「……脅しとしては三流ですねぇ。この程度で戦意を喪失するようなら最初からこんな戦いはしていないと思うのですが。大体それを命じるあなたが死ねば最初から頓挫してしまう思惑でしょうに」

 とはいえ『組織』の力を示しても尚、フィアは平然と振る舞う。それどころか真魅に脅しを掛けてきた。リーダーを潰せば組織も潰れる……フィアはそう考えていた。

 しかし真魅は余裕を崩さない。それどころかフィアを哀れむような、見下した視線を向ける。

「あなたは社会というものを何も分かっていないのね。生憎、私が殺された時のマニュアルは用意してあるの。私を殺しても組織は止まらない……いいえ、むしろ私という『頭脳』を失えば制御不能となるかしら?」

「つまりあなたを殺しても戦いは終わらないと? マヌケな人ですねぇ。結局あなたを生かしておく理由はないじゃないですか。どうせ戦いは続くのですから」

「早とちりしないでほしいわ。だから、交渉しようって言ってんの……取引よ。大桐花中の安全は保障する。だからあなた、私の部下にならない?」

 真魅からの提言に、フィアは眉を顰めた。

「……従属しろと?」

「そこまでは言わないわ。正当な契約関係よ。先程言った大桐花中の安全は元より、こちらの要請に応えてくれれば相応の対価も支払う。まぁ、あなたが何を望むかは知らないけど……現金があれば、今の人間社会では大概の願いは叶うわ。悪い話ではないと思うのだけど?」

「……ちなみに断れば?」

「この場は諦めて退くとするわ。この場は、ね?」

 日を改めて攻撃を再開する――――真魅にそう伝えられ、フィアは考え込むように顎を擦り始めた。

「さぁ、どうする? 返事は後でも構わないけど、早めに決断した方が双方にとって得だと思うのだけど?」

 決断を煽り、早急な返事を求める真魅。悩む時間、相談する時間を与えない。フィア自身の、今の考えで答えを促す。

 しばし黙りこくっていたフィアだったが、深く息を吐く。

 それからゆっくりと口を開き、

「所詮は『人間』でしたか。もう少し遊びたかったのに」

 ぼそりと、そう呟いた。

 その呟きの意味を考えようとしたのか、真魅はピタリと固まった……固まってしまった。尤も、仮に頭空っぽの状態だったとしても、結果は変わらなかっただろう。

 突如として地面から一枚の、透明な『膜』が生えてきたのだから。

「なっ!? これは……!?」

「この後の余興のためにちょっと準備をしただけです。ああ問われても答えませんよ? ネタバレは野暮ってもんですから」

 勿体ぶったフィアの物言いに、真魅は表情を苦々しく歪める。真魅が正確に把握しているかは分からないが、今のフィアにはわざわざ説明してやるつもりもない。

 フィアが展開したのは透明な水で出来た膜は、フィア達を中心に半径十数メートルほどのドームを作った。膜にはそれなりの厚みがあり、外の景色が水飴越しに見ているかのように歪んでいる。星や月の光を通すほど透明度は高いが、景色の歪みによって自らの存在をハッキリと主張していた。

 真魅が表情を強張らせるのも無理ない。フィアが操る水に囲まれている状況なのだ。何時、何処から攻撃が飛んできてもおかしくない。警戒心を緩ませるなど、間抜け以前の問題だ。

 しかしフィアは、そんなのお構いなしとばかりに話を振る。

「全く組織とは厄介なものですねぇ。個人を殺しても終わらず何時までも延々と付き纏う……まるで不死身の怪物のようです。そして確かに二十四時間三百六十五日ずっと気を張れるかと問われるとまぁたまには緩めてしまう時もあるでしょう。いやはや社会とか組織がこうも面倒な相手だとは知りませんでしたよ。花中さんからあらかじめお話を聞いていなければちょっと戸惑ったかも知れませんねぇ」

「なんですって……?」

「人間である花中さんはよく分かっていましたよ。あなたを倒してもあなたが支配する組織は行動を止めないと。このケンカは延々と続くだろうと。しかし花中さんは気付いたのです。どうやればあなたの組織を潰せるか。そもそもあなたの組織がどのような形で出来たのか。そしてあなたの()()()()()が何か」

 わざとらしく指摘してみれば、真魅は目付きの鋭さを増した。まるで、そこに触れるなと命じるかのように。

 そんな真魅の顔を見て満足げに微笑みながら、フィアは臆せず話し始めた。

 花中曰く、指導者は自らの安全を確保しなければならない。

 組織全体を指揮する立場なのだ。不用意に前線へと飛び出し、そこでうっかり死んだらどうする? 組織全体の指揮系統が崩壊してしまうではないか。万一に備え副官が臨時で指揮権を発動するなどのルールは決めていても、混乱は避けられない。その混乱の隙を突かれれば、更に大きな損失を被る可能性だってある。命を失う可能性がある現場こそ、指導者の安全は何がなんでも確保しなければならない。

 ところが真魅はそんなのお構いなしとばかりに、フィア達の前に姿を現した。フィア達の行動を観察していたのなら、そのケンカっ早さは簡単に分かるにも関わらずだ。実際、真魅は短気なフィアに身体を切られ、ミリオンには臓器の一部を破壊されている。結果的に生還したから良かったものの、もしそのまま死んでいたらどうするのか。そもそも花中達の前に身を晒す必要はない。ハッキリ言って、失敗続きである。

 このような『失態』を晒してもリーダーで居続ける者とは何か? それを考えた時、花中は一つの可能性を閃いた。

 宗教的シンボル。

 進化と適応の結果、力を失ったタヌキのミュータント達……その中で古代の力を取り戻した者が現れた。神秘としては十分な『お題目』と言えよう。ミュータントとはいえ、タヌキ達は哺乳類であり、尚且つ人間社会に数千年適応してきた一族なのだ。恐らく精神性は人間と大差ない。『本物』の神秘を用いれば、信者を増やす事は難しくないだろう。リーダーではなく『教祖』であるなら、多少指導者に相応しくない程度は簡単に容認される筈。

 いや、むしろ真魅は積極的に前に出なければならない。

 彼女は()()()ミュータントなのだ。例え直接戦闘では劣るとしても、同じミュータントであるフィア達と同格の力を持っている……組織員からそう期待されるのは必然である。なのに司令室の最深部に引きこもっていたらどうなる?

 もしかしてこの人、実は大した事ないんじゃないか?

 そう思われてもおかしくない。いや、思われるだけならマシである。実際に自らの力を振るい、その威光を信者達に示せば済むのだから。本当に力があるなら、何も恐れる必要はない。

 でも、もしその不信感が『本当』だったとしたら?

 生存こそが正義である自然界において、単純な戦闘能力の高低は指標の一つでしかない。むしろ『死なない』という特性は最強と言っても過言ではないだろう。しかし自らの神秘性を担保に組織を率いてきた真魅にとって、自分より明らかに強く、派手で、勝利を重ねるフィア達の姿はあまりに眩かった。

 このままでは自らの後光が飲まれ、掻き消されると危惧するほどに。

 『祖先返り』という信仰の拠り所を揺さぶられた真魅が、自らの尊厳と権益を確保するためにフィア達の撃破を試みるのは、自然な流れだと言えよう。フィアには、まるで理解出来ない動機ではあるが。

「……く、くくくく……んふふふふふ」

 そこまで話すと、真魅は唐突に笑い始めた。

 余裕があるのは、まだ分かる。花中が解いたのは、真魅が何故自分達を襲うのかという動機の部分でしかない。暴露したところで精々組織内に不和が生じる程度。挙句即効性のあるものではない。この『脅し』だけでは争いを止められない。そんな事はフィアも花中から聞かされている。

 しかし、笑えるほど余裕があるとはどういう事だ? 開き直るならまだ分かるが、そういう素振りにも見えない。

「……何を企んでいるかは分かりませんがあまりに五月蝿いようならその口を引き裂いて黙らせても」

 なんとも言えない気味の悪さに、威嚇としてフィアは脅し文句を告げた

 瞬間、フィアが張っていた『膜』に何かがぶつかる。

 操る水の『感触』を通してその刺激を感じ取ったフィアは、なんだ、という無駄な思考は抱かない。言葉への変換を経ず、直感をそのままイメージとして取り込み理解する。故にその理解速度は人智を超え、超音速の物体よりも速い。

 『膜』にぶつかったのは、レールガンの砲弾だ。

 それも一発ではなく三発。おまけに全ての砲弾が膜の一ヶ所に命中していた。近くで震動などは感じなかったので恐らく数キロ彼方から撃ったのだろうが、砲弾同士が一つの固まりのように纏まっている。呆れるほど精密な射撃だ。

 一発だけなら受け止められても、三発纏めてとなれば難しい。レールガンの砲弾は『膜』を貫通、フィア目掛けて飛来する! 状況は直感的に把握しているフィアだったが、超音速で飛来する物体を回避するほどの運動性はない。とはいえ『膜』を貫いた事で、砲弾はかなりエネルギーを損失している。真っ向から受け止める事は可能だと、フィアは慌てず騒がず

 しかし砲弾が()()()()時の対処は、考えていなかった。

「――――っ!?」

 完全に予想外だった砲弾の変化に、フィアは反射的に身を強張らせる。それは本能的なもので、防御を固める行為だったが……それが徒となった。

 まるで花が咲くように裂けた砲弾は、内部より『網』を射出したのだ。身を強張らせたフィアは網を避けられず、全身をすっぽりと覆われてしまう。

 他二つの砲弾も同様に開き、網を射出。フィアは三枚の網に覆われてしまった。

「ちっ! こんなもの……!」

 煩わしさを覚えながらも指を掛け、引き千切ろうとする……が、ガチガチと音を立てるだけで中々網は切れない。ならばと引っ剥がそうとするも、網はまるで紐のようにぐるぐると複雑に纏わり付き、引っ張るだけでは解けそうにない。

「ふふ、時間稼ぎの甲斐があったわね。無駄とは言わないけど、そう簡単には破れないわよ。素材としてはレールガンの砲弾と同一のもの……音速の二十倍の速さにも耐える、特殊合金なんだから。ミリオンには軽く抜けられ、ミィなら簡単に破れるでしょうけど……あなたはどうかしら?」

 真魅が煽るように説明し、フィアは更に顔を歪める。確かにこの網、異常に頑丈だ。ミィなら容易く破れるだろうが、自分の力ではもっと水量を集めなければ難しい。ミリオンならば網の隙間から軽々と抜け出るだろうが、魚である自分にそんな芸当は出来ない。

 自分だけが、この網を抜けられない。

 ――――それが無性に腹立たしい!

「こ……の程度でぇぇぇぇぇっ!」

 咆哮を上げ、フィアは全身を震わせた! 比喩ではない。文字通り震わせ、表層の水を高速流動。さながらチェーンソーが如く、自らの『身体』を縛る網に()()()()()

 流石は超合金、網はフィアの猛攻を耐える。尤も、数秒だけだ。ギャリギャリと歪な金属音を鳴らし、異臭を伴う煙を漂わせる。

「ぶっ千切れなさいッ!」

 そしてフィアは止めとばかりに命じた

 瞬間、大量の白煙がフィアから噴出する!

「っ! これは、湯気……いや、霧か!」

 フィアから噴き出した白煙――――霧は広範囲に広がり、真魅の身体を飲み込む。一瞬表情を強張らせる真魅だったが、すぐに笑みを浮かべていた。

 霧は水蒸気ではなく、微細な水粒子である。故にフィアが能力によって操れる物質……ではあるが、フィアには霧を操れない。フィアが操れるのは、あくまで自身の身体及び操っている水と()()()()()()水なのだ。霧はそれぞれの水滴に間隔が開いているため、そのままでは操作の対象外。水触手の一本でも使って掻き集めれば簡単に支配下に置けるが、それをしても一個の巨大な水塊が出来るだけ。霧という状態のまま操る事は、フィアには出来ないのだ。

 それでも、目隠しにはなる。

「おっと」

 霧の奥から飛来する、破壊された網。フィアが切断した網を投げつけたのだろうが……フィアほどではなくとも、真魅もまたミュータント。身を仰け反らせて網を躱してみせる。

 それから二度千切れた網が飛んでくるが、真魅はいずれも易々と回避。元居た場所からいくらか動いただけで、全てを避けきってみせた。

 やがて霧は晴れ、平然とする真魅と、身構えるフィアが姿を露わにする。ほんの数分前までの立場が、表情と共に入れ替わっていた。

「……網を千切るのに掛かった時間は、ざっと十五秒。十分許容範囲ね。やっぱり魚には網を投げろって事かしら。こんな事もあろうかと、用意しておいて良かったわ」

「あなた……!」

「継続的に網で捕縛し続ければ、三十秒ぐらい持たせられる。『神の槍』の射出・着弾時間は十分に稼げるわ。次の一撃はいくらあなたでも躱せない。これで終わりって事ね……ああ、そうそう。さっきしていた交渉なんだけど、締め切らせてもらうわね」

 苦々しく表情を歪めるフィアを見下ろしながら、真魅は冷酷に、勝ち誇った笑みを浮かべる。

「やっぱり、この世に太陽は二つもいらないもの。あなた達が死ねば、私だけが唯一の太陽になれるのだから」

 そして無慈悲な死刑宣告を下し、

「全軍攻撃開始! 『神の杖』も放てっ!」

 止めの言葉を、告げた。

 瞬間、フィアの認知の外であらゆる兵器が動き出す。

 数台のレールガン部隊が、膜越しに見えるフィアの姿に照準を合わせる。必要な誤差の修正、弾速は先の試射で判明した。寸分違わず命中させるためのデータが揃っていれば、『人類』の科学はそれを容易く成し遂げる。

 事前準備は済ませてあり、命令から射撃可能状態への移行まで一秒も必要としない。命令が下され、ほんの僅かなインターバルを挟んだだけで、レールガンの砲塔は電流と爆音を轟かせ、特殊合金の弾を撃ち放つ。

 フィアとレールガン部隊の距離は凡そ五キロ。しかし音速の数十倍の速度を誇る砲弾にとって、そんなものはミリ秒単位で抜き去る距離でしかない。並の生物には認識すら許さない速さ。当然膜を突破すべく、全てが一点を目指して撃ってある。

 正確であり高速。本能的に鋭敏な頭上からの攻撃でもない以上、フィアにこの攻撃は躱せない。防御も許さない。レールガンが放つ無数の弾頭は膜を貫き、一斉に開花。

 解き放たれた無数のネットが、真魅を雁字搦めに捕らえた。ネットの衝撃で真魅は突き飛ばされるように倒れ、仰向けの状態で固定される。

「……は?」

 その不様な姿を数秒晒してから、真魅はやっとこさ間の抜けた声を漏らした。

「ぶっくくくく……あーっはっはっはっはっ!」

 そんな真魅を見て、フィアは吹き出すように大笑い。

 明らかに相手を馬鹿にした笑い方。されど今の真魅には憤る余裕もない。ジタバタともがきながら超合金製の網を破ろうとするが、フィアでも簡単には出来なかったのだ。網はうんともすんとも言わず、真魅は抜け出せない。それでも真魅は必死にもがき、

 その目を、大きく見開いた。

 ようやく気付いたかと、フィアは思う。同時に、あまりにも滑稽で笑いを堪えるのが辛くなる。

 レールガンの砲弾により膜に開いた穴。そこから見える景色と、穴の周りの景色が()()()()()()事に今更気付いたのだ。これが滑稽以外のなんだというのか。

 花中は最初から予期していた――――組織である以上、真魅を殺しても事態は変わらないと。

 真魅の組織が所謂派閥ではなく宗教団体だとして、『教祖』の死は組織の終わりを意味しない。リーダーにはNo.2……後継者が居座るだけ。おまけに後継者には真魅にあった『神秘性』が乏しく、故にそいつは組織の代表としての面子を保つため、真魅の神秘性を利用した看板を掲げる必要がある。

 その最たるものが、創始者を殺した花中達の打倒。

 組織の統制を保つためにも、花中達への攻撃は止められない。仮にフィア達を恐れて攻撃をしなければ、原理主義者が黙っていない。原理主義者達は分裂し、過激なテロ組織へと至るだろう。当然彼等は花中達への攻撃を躊躇しない。つまりどう転んでも、戦闘は続くのだ。

 無論、トップを失った組織が仲間割れを始め自壊、もしくはその隙を突いた大神総理が主導する穏健派の工作により壊滅、という可能性もある。しかしそれは理想論だ。理想にすがるとしても、止めを刺すための一手が欲しい。

 具体的には、真魅と後継者が失脚するような一手が。

 後継者と言っても、真魅のカリスマで成り立っている組織の次席だ。権威が足りず、支持者があまり多くない事は十分あり得る。真魅としても内部の不和は好ましくない。なんらかの権威を与え、組織の安定を目論んでいるに違いない。

 恐らく、だが確実に、後継者も此度の作戦に参加している。それも誰もが認めざるを得ない華々しい戦果……目標を討ち取る役目に就いている。

 なら、その止めの一撃に『細工』をすれば?

 例えば間違って、教祖様を殺してしてしまったら?

 そうなれば後継者の正統性は崩壊し、三番手以降の者達にも『チャンス』が振ってくる。貪欲な経営者達は自分達の権益を広げようと躍起になり、狂信者達はそのような不届き者に実権を握らせたくない。統率など呆気なく失われ、花中の存在など置いてきぼりだ。

 そこで花中は、フィアに策を伝えた。

 元々水と空気には屈折率の違いがあり、大気中からだと水越しの物体は位置がずれて見える。フィアは密度や構造に一手間加えた膜を展開。本来以上に光を捻じ曲げる事で、外からだと自分と真魅の立ち位置が逆転して見えるようにしたのだ。それもわざわざ一発攻撃を受け、膜を破れば攻撃が命中すると確信させた上で。膜を張った時に余興の準備をしたと言ったが、本当に準備しかしていない。景色を入れ替える細工を施したのは、網を引き千切る際に霧を撒き散らした、あの時だ。網を投げつけて、真魅の立ち位置を変える事で、細工がバレないようにする小細工もやった。

 かくしてレールガンはフィアを狙ったつもりで、真魅を攻撃してしまったのである。今頃操縦者とその周りは大混乱に包まれているだろう。

「き、貴様……!」

「さぁて私も少し離れませんとね。巻き添えは食らいたくないですし……いやはや後継者とやらの攻撃が分かりやすくて助かりましたよ。どうやって見分けるかは何も考えていなかったんですよねぇー」

 威勢良く睨み付けてくる真魅だったが、フィアが暢気にぼやいた言葉で、その顔を一気に青くした。

 拘束時間があるとはいえ、フィアでも破れはするのだ。加えて失敗を繰り返せば、どんな方法で対策をしてくるか分かったものではない。フィアがレールガンの弾速を躱せない事が明らかであるなら、捕縛と同時に止めの一撃を放った方が良い。チャンスを逃さないためにも、同時攻撃が合理的だ。

 だから真魅は命じた。神の一撃を放てと。穢らわしい獣に死の一撃を与えろと。

 自分と相手の立ち位置が、入れ替わって見えている事に気付かず。

「ひっ!? ま、や、ま、待って……!?」

「あまり動くと危ないですよー? だって空から()()()()()攻撃が飛んできているのですから」

 恐れ慄く真魅に、フィアはケタケタ笑いながら忠告する。しかし真魅はもがくのを止めない。如何に再生力に優れていようと、神の一撃をまともに食らえば細胞一つ残らない。

 だけど真魅の身を縛る超合金の網は、いくらもがけど緩みも解れもしない。

「だ、誰か! 誰か来なさい! この網を――――」

 最早形振り構わず助けを求める真魅だったが、仰向けに倒れる彼女は不意に固まった。

 空に浮かぶ赤い輝きが、自分目掛けて飛んできているように見えたから。

「や、止め」

 その不様な声が聞き届けられる事など、ある筈もなく。

 神の一撃は、容赦なく地上に撃ち込まれたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……別に殺してしまっても良かったのですがねぇ」

 立ち込めていた土煙が晴れた時、フィアは暢気にぼやく。

 殺す事に躊躇などない。

 遊ぶのに丁度良い相手だったが、花中の命を狙うのはいただけない。フィアにとって一番の優先事項は花中との時間である。自分が守るので万に一つも花中の命が奪われるとは思っていないが、億に一つ、兆に一つがあっては困るのだ。不安の芽は詰んでおくに越した事はない。

 しかし、殺さない方が得なら話は別だ。

「親玉からの指示が途絶えたとはいえピタリと動きが止まりましたか……今頃責任の擦り付け合いでもしているのですかね?」

 にやにやと笑いながら、フィアは足下……そこに倒れる真魅を見下ろす。

 真魅は、白眼を向いて仰向けに倒れていた。口はポカンと開きっぱなしで、だらんと舌まで出している。手足をピクピクと痙攣させ、生気のない目には涙が浮かんでいる。

 正しく彼女は、失神していた。

 ――――タヌキ寝入り、という言葉がある。

 タヌキは捕食者などに襲われた際、死んだふりをして天敵の意識を緩めるという特技を持つ。その様を見た人間が寝たふりだと思い、この言葉が出来たと言われているが……実際は寝たふりどころか、本当に失神しているらしい。個体差が大きいので気絶しにくい個体もいるが、反射行動であるため体質的に気絶しやすいと、もうどうにもならない。

 ミュータントといえどタヌキはタヌキ。いくら超常的な進化しても、この性質までは克服していなかったようだ。実のところ、これも花中から聞いていた真魅を貶めるための方策。大神総理達が真魅達の攻撃により横転して以来、外傷もないにも拘わらず気絶しっぱなしだったのは、この性質が残っているからだと踏んだのである。思惑通り真魅は『神の杖』が振ってきた恐怖に耐えきれず、本能的に失神してしまった。中々どうして不様な姿で、こんな形を見せられたら尊敬の念など吹き飛ぶだろう。

 ましてや気絶を誘った『神の杖』が、真魅から十メートルは離れた位置に落ちたとなれば尚更である。頭上の膜の屈折率は、地上付近と違って弄っていなかったのだ。「動くと危ない」というのは、実は本当の事だったりする。

 要するに真魅は、掠りもしなかった攻撃でぶっ倒れたのである。人気や世論について理解のないフィアだが、これはかなりカッコ悪いと感じる。ここまでやれば、彼女への信仰はかなり失墜しただろう。

 組織を潰したければ、人員を殺すのではない。その組織が掲げる『理念』を滅茶苦茶にするのが、最も簡単で効率的である。

 ……無論、フィアはそこまで考えられない。

「花中さんもやる時は結構やりますねーんふふふふー」

 まるで我が事のように、フィアは自慢気な笑いを漏らしながらその場を後にする。

 大の字で倒れた状態のまま放置されたという、最大限の生き恥を『教祖様』に付け加えるために――――




以前『世界の支配者9』として投稿していた
お話を分割したものです。

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