彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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世界の支配者6

 水球の中で、花中は困惑していた。

 突如現れた自称黒幕……真魅。

 一見して若く麗しい女性にしか見えない彼女が、無数のロボットをけしかけ自分達を殺そうとしてきた黒幕、即ち『武闘派』達のリーダーとは思えない――――訳ではない。戦車を引き連れておきながら、私は全く無関係な一市民だ、と主張するよりかは遙かに説得力がある主張だ。今も侍らせているロボットの一体から差し出されたモノクルを受け取っており、少なくとも彼女がロボット兵士を従える存在なのは間違いない。

 だが、その説得力は比較の問題である。巨大組織のボスが、こんな簡単に出てくるものなのか? ましてやほんの数分前に、フィア達が圧倒的な力で機械兵士を破壊しまくっている。戦局を把握していれば、ロボット達は護衛にならず、戦車でも壁になるか怪しい事は分かる筈だ。姿を現す事の危険性は分かっているだろうに。

 しかしこの場で自分がリーダーだと騙る理由はなんだ? 交渉役ならそうだとハッキリ言えば良い。一体、彼女の思惑は――――

「疑問に思うのは結構。すんなり信じるよりは懸命よ。そうこなくちゃ話にもならない」

 駆け巡る花中の思考を読んだのか。耳に掛けているモノクルを弄りながら、真魅は返事をするかのように語り掛けてきた。身を強張らせる花中だったが、一呼吸挟み、揺らぐ心を静める。なんて事はない。この状況で黒幕だと名乗っても、誰だって不審に思うものだ。こちらのペースを乱すための、ちょっとした意地悪に過ぎない。

 それより、今はもっと大事な事がある。

 ちらりと真魅から逸らした視線が捉えるのは、車体から助け出したものの、未だぐったりとしている……大神総理と運転手。

 本当に黒幕かどうかも分からぬ人物の相手をするより、彼等の安全確保の方が重要だ。特に大神総理。彼女が車の中でした話が確かなら、この真魅という女性と大神総理は、派閥こそ異なるが同一組織に属している。大神総理ならば真魅の正体を知っている可能性は高い。また真魅にとって大神総理は、手の内を知っているかも知れない相手。情報を花中達に流す存在だ。真魅があわよくば大神総理の殺害も狙っていたのは、彼女の言動からして間違いない。隙を見せれば、真魅は総理の殺害を試みるだろう。

 まだ大神総理からは訊きたい事がある。何より、知り合った命が奪われるのをみすみす許す訳にはいかない。

 どうにか隙を見付け、二人を連れて逃げないと……

「……自称黒幕さんが、なんの用ですか?」

「大した話じゃないわ。ただ降伏勧告をしようと思ってね」

「降伏勧告?」

 訊き返すと真魅はにっこり微笑みながら頷く。

 勧告自体は、問題ではない。襲い掛かってきたロボット軍団や装甲車に戦車、更には町全体に敷かれた情報統制……どれも莫大な資金を消費する。自宅襲撃時に始末出来なかった事で、フィア達を倒すには更なる戦力投入と資金が必要だと真魅は判断したのだろう。降伏勧告をした方が()()済むとなれば、選択肢に入るのは合理的な考えだ。

 問題は、勧告には何かしらの『要求』があるという事。

 応えられる要求ならば構わない。花中とて戦いは避けたいし、話し合いの余地があるのはむしろ願ったり叶ったり。熱い討論に発展しようと、胃がキリキリ締め付けられるような駆け引きが生じようと、命を取り合わないなら望むところだ。

 だが、

「フィア、ミリオン、ミィ……この三匹を殺処分させなさい。大人しくしていれば、大桐花中、あなただけは助けてあげるわ」

 妥協も交渉も出来ないほど一方的な要求を突き付けられたなら?

 花中が一番避けてほしかった言葉を、真魅は易々と吐いた。

「……ミリオンとミィに関してなら私も異論はないのですが」

「フィアちゃん。あっさり、釣られないで」

 早速妥協案 ― 自分だけを除外しておいて妥協も何もないが ― を提示するフィアに、花中はツッコミ一つ。

 どう考えてもこれは、仲間割れを誘う文言だ。

 みんな自分の命は惜しい。そしてフィア達は、基本的に他のミュータントの事を大事に思っていない。話はするし遊びもするが、いざとなったら躊躇なく切れる……ビジネスライクな付き合いだ。

 そこで自分を含む三体のミュータントを殺させろと要求されたら? 自分だけ見逃してもらえれば良いのだから、いくらでも妥協案は出せる。向こうも、よもや条件丸呑み以外認めないスタンスではあるまい。恐らく妥協案は飲むだろう。

 そんな流れを三匹……いや、二匹に通せば、あっという間に三分割だ。分割してしまえば各個撃破が可能になる。何より約束を交わしたところで、彼女達がそれを守るとは限らない。花中が真魅の立場ならまず守らない。第三者の目が光っていない状況での約束は、双方に『信頼』がなければ成り立たないのだから。

 丸呑みは勿論、妥協する価値すらない提案だ。

「……論外です。話し合いを、する気が、あるのです、か?」

「あら、意外な反応ね。少しは怯むかと思ったのに」

 花中が強気な言葉を返すと、真魅は驚いたように目を丸くする。恐らく、真魅は花中の臆病な性格を熟知しているのだろう。フィア達の存在を知っているぐらいだ、小娘一人の性格を調べ上げるぐらい造作もあるまい。友達が大好きだが、小心者で卑屈で怖がり。戦車砲を向けられている状態なら、売り払うような真似はせずとも悩むぐらいはすると踏んでいたのか。

 確かに今の花中はフィアが作った水球に守られているとはいえ、果たして戦車砲の直撃から生還出来るのか。やってみなければ分からないとフィアなら言いそうだが、分かったのが雲の上や地の底に行ってからでは困る。不安で堪らないのは、悔しいが認めるしかない。

 それでも、どんな威嚇をされようと、今の花中に友達を裏切るつもりは毛頭ない。

 自分達以外誰も居なかった『あの洞窟』で、もう友達の気持ちを踏みにじる真似はしないと決めたのだから。

 ……戦車砲の穴をチラチラ覗き込んだり、バクバクと脈打つ胸を抑えたり、汗をダラダラ流しながら言っても、説得力はないかも知れないが。いずれにせよ、真魅の話に乗る気はない。

「しかし得策とは思えないわね。交渉はね、自分からお願いすると高く付くものよ?」

 猫を前にした鼠のように精一杯睨み付ける花中を前に、淡々とぼやく真魅。すると周りに居たロボット兵士の一人が真魅に歩み寄り、彼女の手に何かを乗せる。

 そして真魅はその何かを、花中達の方へと飛ばしてきた。

 ひらひらと舞い落ちる『何か』の姿から、真魅が飛ばしたのは四枚の紙だと分かった。一枚捕まえるのも大変なそれらを、フィアは『身体』から水触手を伸ばして易々と全てキャッチする。掴んだ紙をフィアは自身の手元まで寄せ、じっと眺め……顔を顰めた。

 それから、花中を包んでいる水球に紙を突っ込む。

「……フィアちゃん?」

「私でも大方意味は分かりました。二枚が誰かは分かりませんけど恐らくそういう事なんでしょう」

 兎に角見てほしい、という意味なのか。曖昧なフィアの言い方を怪訝に思いながら、花中は水球内を漂う四枚の紙へと手を伸ばす。水球の壁は花中の手で容易に貫け、紙を取るのに支障はなかった。花中は促されるがまま、受け取った紙に目を向ける。

 花中が目を見開き、顔を真っ青にするのに、それから数秒と掛からなかった。

 真魅が投げてきた紙は、写真。

 晴海や加奈子、そして()()()()()()()()()()が映された写真だった。

「っ!? あ、こ、こ、れ……!?」

「我々の組織を甘く見ないでほしいわね。海外暮らしをしている科学者二人を見付けるぐらい、訳ないわ。ところでその写真の面子全員に私の部下が付いているのだけれど……意味、分かるわよね?」

 真魅からの問い掛けに、花中は言葉が出せない。

 あからさまな脅しだ。黙って従わなければ写真の人物達に危害を加えると言っている。市街地に武装したロボットや戦車を運び込める連中なのだ。暗殺ぐらい造作もないだろう。

 しかも花中の両親は海外に居るのだ。フィア達の力なら、同じ町に暮らす晴海と加奈子は花中のついでに守れる。だが、両親は無理だ。何処の国に居るかも知らないし、どう考えても手の届く範囲には居ない。

 友達と肉親……それを無理やり、交渉の天秤の上に乗せられた。いや、これだけで終わる筈がない。少なくとも花中なら終わらせない。

「ああ、そうそう。降伏勧告なんだけど、少し内容を改めてさせてもらうわ。フィア、ミリオン、ミィの殺処分を認める事。そして大桐花中……あなたの身柄を拘束させてもらう」

 圧倒的優位に立ったのだから、交渉条件を自分達にとって有利なものへと変更するに決まっている。

「な、な、ぁ、う……!?」

「生憎だけど考える時間をあげるつもりもないの。と言っても、あなたのお友達に通用するか分からないから……一分。一分過ぎる毎に、この戦車が砲撃を行うわ。そうねぇ、()()()とかを撃ったらちゃんと考えてくれるのかしら?」

 おまけに考える時間も奪うときた。

 話の主導権は完全に真魅に握られてしまった。彼女の望む言葉以外を吐き出せないよう、徹底的に誘導され、逃げ道を塞がれている。これでは花中から妥協案を出しても、人質の存在を臭わされたら撤回せざるを得ない。人質を解放させるには、花中の方からより旨味のある提案をする必要がある。

 交渉は、自分からお願いすると高く付く。

 先程真魅が言っていた通りだ。今や真魅は花中の身柄をも要求している。晴海達や両親が花中に対する人質なら、花中はフィア達に対する人質にするつもりなのだろう。そうして無力化したところを兵器で攻撃すれば……

 例え嘘偽りでも、最初から真魅の提案を受け入れていれば、少なくともフィア達にとって()()()()()人間である花中(じぶん)を掌握される展開は避けられたかも知れない。先程の選択は間違いだったのか。間違いだとしたら、次はどう動けば良い? でも、その選択も間違いだったなら?

 一体、どうしたら……

「花中さん。安心してください」

 暗闇に沈みかけた花中の心を現実に引き上げたのは、自信に満ちたフィアの言葉だった。

「フィア、ちゃん……?」

「あら。何か策があると言うのかしら? それとも私が涎を垂らして飛び付くほど魅力的な提案?」

「いいえどちらでもありません。むしろ私がいただこうと思っていまして」

「……何?」

 フィアの思わせぶりな言い回しに、僅かに真魅の表情が強張る。

 そんな真魅にフィアは清々しく微笑んで、

「お命ちょうだいというやつですよ」

 なんの罪悪感もなく、その言葉を発した。

 そして誰かがその言葉を理解するよりも早く、ぶんっ、とフィアは力強く腕を振るう。

 フィアの友達である花中は、その動きによって生じる結果を知っている。真魅もフィア達について調査をしていた以上、きっと理解はしているだろう。

 だが、分かっていても対応出来るとは限らない。

 何しろ高速で不可視の『糸』が飛んでくるのだ――――真っ当な生物に避けられる訳がない。

 鞭で叩いたような、甲高い音が聞こえた時には全てが終わっていた。たくさん現れたロボット達は残さず頭を落とされ、戦車に至っては縦に真っ二つ。

 当然戦車の上に立っていた真魅にもうっすらと縦に線が入り、

「あっぶな!?」

 真魅は慌てて、()()()()()()()()()()()

 瞬間、真魅の身体から鮮血が溢れ出す。

 身体の中心に入った線から、ぶしゃりと音を立てて血が飛び出した。血は足下の戦車に飛び散り、鮮やかに彩る。映画やドラマで鮮血が飛び散るシーンは何度か見た事があるが……本物の出血は、あんなに『綺麗』じゃない。ドロドロしていて、液体の筈なのにまるで固形物が溢れたよう。花中は胃から込み上がるものを感じ、慌てて口を抑えた。

 しかしその程度で収まるような温い吐き気ではない。耐えられない衝動に、抑えた口から胃の中身が溢れ出す。昼食前で、入っていたのが酸っぱい胃液だけだったのが幸いだった。

 ――――ここで全てが終わっていたなら、幸いで済んだのに。

 血を噴き出した。真っ二つになった戦車の真上に立っていた。そこから真魅の『状態』を推測することは、決して難しくない。間違いなく、彼女はフィアが繰り出した『糸』の直撃を食らっている。

 なのに。

 ……どうして真魅は、倒れない?

「ふぅー……ヤバいヤバい。危うく死ぬところだったわ。貧血にもなってるし、次は耐えられないかも」

 倒れないどころか、真魅は平然と喋っていた。両手で顔をペタペタと触り、それから胴体をまさぐり、切られた衣服や下着を脱ぎ捨てる。躊躇なく晒した、芸術品を彷彿とさせる美しい裸体の何処にも傷口は見られない。血の跡こそあったが、真魅が指で擦れば消えてしまう。もう、何処からも出血はしていない。

 つまるところ、真魅は生きていた。身体を縦に切り裂かれたにも拘わらず、ずれてしまったモノクルの位置を直す余裕があるほど健全に。

「(な、んで……!?)」

 フィアのようにあの『身体』は作り物なのか? 脳裏を過ぎった可能性は、しかし真魅の身体が切断された瞬間、いくらかの出血を伴っていた事実によって一蹴される。生身なのは間違いない。

 だとすれば『能力』。

 名言こそしていないが、『武闘派』の一員である真魅の正体は大神総理同様タヌキのミュータントであろう。ならば能力を持っているのはさして不思議ではなく、先の事象を起こした原理も推察出来る。人間に変化出来る事からして、全身の細胞を通常では考えられない早さで組み換える……つまり分裂させるのがタヌキ達の能力。簡単に言えば子供が大人になる過程を、自らの意思でコントロールし、ほんの数秒で成し遂げる事が出来る力だ。そして細胞分裂の速度が早いのなら、傷の修復にも応用出来る。例え身体を切断されても、人智を超えた細胞分裂によって接合してしまえば良いのだ。

 無論脊椎動物、ましてや哺乳類にこんなとんでもない能力を誇る生物は確認されていない。だがミュータント……一億トンの水すら操る事もある……ならば、このぐらい出来て不思議はない。

 本来なら、という前置きは必要だが。

 話が違う。大神総理の話では、彼女達の能力は人間に化ける程度でしかない。進化の過程により、圧倒的だが一代で終わる力ではなく、貧弱だが次世代へと引き継がれる性質が残ったと言っていた。今では人間に変化するのが精々だと、間違いなく言っていた。

 なのに真魅はどうだ? 切断した身体を瞬時に接合するほど細胞分裂が早い。頭部が両断されても、容易に復帰している。これではまともな手段では倒しきれない……いや、その不死性を『武器』にして捨て身の攻撃を行えば、有限の命しかない人間を蹴散らすなど容易いではないか。

 あの時話していた、「今の我々にはあなたが危惧するほどの力はない」とは一体なんの冗談だ?

 こんな相手、とても人間の手に負える存在じゃない!

「なんてしぶとい……ですが一撃で死なないのならもう一発!」

「おっと。漫才じゃないんだから天丼なんてやっても仕方ないわ。お土産をあげるからちょっと大人しくしてなさい」

 花中同様困惑しつつ、しかし力で捻じ伏せようと腕を振り上げるフィアを、真魅は余裕のある声で制止。お土産を渡すと言われ戸惑うように身を強張らせたフィアを前にしながら、真魅は身体にこびり付いた血を手で悠々と拭う。

「私はね、祖先返りした個体なの」

 そして彼女は堂々と、誇るように『種』を明かした。

「祖先、返り……!?」

「太古の時代、私達が本来持っていた能力……ミュータントとしての本当の力。私にはそれが扱えるのよ。代わりに伝達脳波は出せないけどね」

「っ……!」

 自分は純正のミュータント――――真魅はそう語り、花中は声を詰まらせた。

 その圧倒的な再生能力は正しく『ミュータント』の能力だった。己の力の特性を理解し、フィア達の力と比べた上でもなお一撃でやられはしないとの自負があった。故に派閥の代表でありながら、彼女はこうして花中達の前に姿を現せたのだろう。

 合点がいった。同時にこの行動が考えなしの驕りや突発的なものではなく、自信に裏付けされたものであると分かり、花中は身を震わせる。

 今までのミュータントとは違う。

 実力を比べた上で「勝てる」と踏んだ彼女相手に、無策の自分達は立ち向かえるのか?

「……………?」

 恐怖と不安に心が潰されそうな花中だったが、その時フィアの、眉間に皺が寄った横顔が眼に入った。訝しげなその顔は、何かを思案するよう。

 どうしたのか。

「さぁてと、話を戻しましょうか?」

 尋ねようと花中は口を開くも、ねっとりとした真魅の言葉が花中の意識に割り込んだ。

 刹那、花中は身体をぶるりと震わせ、血を引き抜かれたような寒気を覚える。

 例えばである。

 もし真魅が大神総理と同程度の ― 身体を人間型に変化させる程度の ― 能力しかなかったなら、フィアのやり方で事態の打開を図れたかも知れない。先手必勝で真魅の命を奪ってしまえば、一先ずこの場は収まる。リーダーである真魅の喪失により、かの組織は一時的でも統制を失った筈だ。その隙に大神総理が属する穏健派が勢力を拡大させ、タヌキ達の議席の大勢を占める……そのような形での解決もあり得た。

 だが、真魅は死ななかった。

 真魅の実力がどの程度かは分からない。しかし見せ付けられた生命力、加えて後ろに控えている組織の力を考えれば、フィアがもう一度襲い掛かったところで彼女はこの場から易々と逃げ果せられる筈だ。

 そしてもし逃げられたら、友達と、家族の命はどうなる?

 最悪の展開を予期し、花中は呼吸を荒くする。バクバクと破裂しそうな心臓を抑えたくて、胸から手が離せない。

 真魅は花中から戦うという選択肢を奪い取ったのだ。自分達が動けば動くほど身動きを封じられる。万策が、それを上回る強大さと知性で押し潰される。こんな戦い、今までに経験した事がない。

 いや、どうして敵うと思ってしまったのか。

 どれほどの英才を誇ろうと、どれほどの友情を結ぼうと……個人が『組織』に抗える道理などないのに。

「考える時間はたっぷりあったわよね? その子の粗相については、退屈しのぎにはなったから見逃してあげる。でもね、私も暇じゃないの。そろそろあなたの答えを聞かせてもらおうかしら……大桐花中」

 迫るように、一歩、真魅が歩み寄る。花中は身動ぎしながら後退り……しようにも水球の中に居るため下がれない。

「――――っ」

「そこの魚類も二度目はないわ。大桐花中に嫌われたくないなら、動かない方が良いわよ?」

 その口を黙らそうとしてか動こうとするフィアも、真魅の脅し文句で動きを阻まれる。フィアはちらりと花中の事を見てきたが、花中には何も言えない。ここで真魅を攻撃したら、彼女は見せしめとして無関係な人を傷付けるかも知れないのだ。フィアにお願いする事など出来ない。

 しかし、ならどうするのが正しい?

 彼女の要求を拒めば、自分と近しいというだけでターゲットにされた家族と人間の友達が命を失う。しかし受け入れれば自分は人質となり、人間ではない友達の身動きを封じられてしまう。どちらを選んでも最悪の結果にしか至らない。抗おうにも正攻法は知略で潰され、奇策は組織の物量に押し流される。

 何を選べば良い? どう決断したら良い? 如何なる策を考える?

 ――――何も、考えられない。

「ほぉーら、こんなところに通信機があるわよ。私の一声で何起きるか、楽しみねぇ?」

 だけど真魅は時間を与えてくれない。彼女は自分の耳にセットされていた親指サイズの機械を取り外すと、それを見せ付けるようにゆらゆらと揺らした。

 今、彼女が一声掛けたなら、それだけで誰かが命を落とす。決断を迫られている。答えを求められている。だけど頭が働かない。ぐらぐらと揺さぶられるような気持ち悪さが駆け回り、身体中から汗が溢れて止まらない。口の中がからからに渇き、舌は空回りするばかり。助けを求めたくても、『誰』に求めれば良いのか分からない。

 どうにもならない。

 なんとかしたい。

 何も出来ない。

 逃げたい。

 選べない。

 怖い。

「残念、最初のタイムオーバー。ハッタリだと思っているのなら、目を覚まさせてあげましょうか」

 そして真魅の言葉で、意識は黒く塗り潰されてしまい。

「わ、わたしは――――」

 何かを言おうとして花中は口を開けた

 瞬間、ぶしゃりと()()()()()()()()

「……ぇ」

「がっ、ごぼっ!?」

 唖然とする花中、それ以上に慌てふためきながら真魅は自身の喉元を抑える。

 が、彼女の喉はゴポゴポと音を鳴らし、あぶくと湯気を吹き上げた! その勢いたるや、抑えようとした真魅の手を弾き返すほど。

「ご、ごぽぁ!? あ、ぁ、が、ごぼ、ぼっ、ご!?」

 まるで空気中で溺れているかのように、真魅は苦悶の呻きを上げる。口から、喉から、止め処なく血が溢れているのだ。呼吸など出来る訳がない。周囲が飛び散る液体と湯気により、赤く色付いていく。

 これは一体なんだ?

「あまり調子に乗らない事ね。寿命が縮むわよ?」

 異常な光景に思考が凍り付いていた花中だったが、冷淡で、聞き覚えのある声で我に返る。

 すると、花中の目の前に黒い霧が現れた。

 正確には現れたのではない。あの黒い霧は元々この場に居たのだ。ただあまりにも微細で、密度が薄い状態であったが故に人間の眼には映らなかっただけ。今まで沈黙を保っていたので、花中の頭はすっかりその存在が頭から抜けていた。

 そして『彼女』が手を下した張本人なら、この状況を説明出来る。

「ミリオンさん……!」

 黒い霧はやがて喪服のように真っ黒な和服を着込んだ、ミリオンへと変貌した。現れたミリオンを前にして、フィアは「ふん」と小さな鼻息を吐く。

「遅かったですね。何をしていたのです?」

「ごめんなさいね、アイツの体内に忍び込むのにちょっと時間が掛かったの。一応対策はしていたみたいだから」

「対策?」

「口からの経路じゃ肺に移動出来なかったのよ。肉体変化の能力を応用して、体組織の構造を作り替えていたのね。ようやく見付けた穴はフィルターみたいなものでガードされてて、細工をしたらバレそうだったし。仕方ないから喉から攻撃させてもらったわ」

 フィアからの問いに答えながら、ミリオンはニタリと笑う。

 体内へと侵入し、熱によって臓器を破壊する。

 今まで使ったところは見た事がなかったが……最もえげつないミリオンの『必殺技』だ。どんな生物であれ、内臓を沸騰させられて生きていける訳がない。一撃喰らわせれば大抵の生物は即死する威力である。おまけにミリオンは微小存在、即ち目視不可能の存在だ。彼女の行動は誰にも察せず、何時、何処を、何をやられるかすら分からない。こんなものインチキ以外の何物でもないだろう。

 フィアのように本体を水で包んでいればまだ防げるが、真魅は変化こそしているが生身。ミリオンにとっては獲物でしかなかった。いくら再生力が強くとも、ミリオンは身体の内側を破壊し続けるのだ。いずれ真魅の体力は尽き、彼女の命は終わる

 筈だった。

「な、める、なアアアアアアアアアッ!」

 咆哮。

 その叫びにつられて視線向ければ、真魅が自らの喉に指を突っ込み――――そこから一本の『管』を引っ張り出していた。ブチブチと音を鳴らすそれを真魅は躊躇なく引きずり出し、ぶちりと一際大きな音を立てるや、喉から鮮血が噴き出す。

 しかし鮮血は数秒と経たずに止まり、真魅は『管』……自らの臓器 ― 恐らくは気管支 ― を投げ捨てた。ミリオンが攻撃していた部位を、無理やり取り除いたのだ。再生力頼りの強引な治療。真魅の息は乱れ、消耗の大きさを物語っている。だが効果はあったようで、真魅の喉が新たな血を吐く事はなかった。

 どうにか危機を乗り越えた真魅は、擦るように自分の首を撫で回しながらギョロリと花中達を睨む。その眼光に最早知性はない。手負いの獣と変わらない、狂気と殺意で満たされていた。

 尤も、ミリオンもフィアも視線程度で怯みやしない。彼等もまた獣であり、人間からすれば狂気や殺意と呼ぶしかない感情を、普段から胸に秘めているのだから。

「あら、意外と根性あるのね。そのまま何も出来ずに失血多量で死ぬと思ったのに」

「はぁ、はぁ、はぁ……この、畜生どもが……!」

「ふーん、それが本当の話し方? 随分品がないのね」

「所詮タヌキです。品などなくて当然でしょう」

「図に乗るんじゃあないわよっ! こちらには人質が、ッ!?」

 大声で威圧する真魅だったが、ハッとしたようにモノクル越しの目を見開くや後ろへと跳躍。フィア達から更に離れる。

 突然の動きに驚く花中……しかし花中以上に驚いている者が居た。

 ミリオンである。

「……なんですって? 今のを避けた? まさか――――」

 何を思ったのか。ミリオンは掌を素早く真魅の方へと向けた

「プランD!」

「上ですか」

 途端真魅はなんらかの用語を叫び、間髪入れずにフィアが呟いた。

 そんな二人の声に応えるように、空から三機のロボットが降下してきた! コンクリートの大地に足を突き立て現れたロボット達は、自宅にて花中達を襲ったのと同型……しかし彼等が持っているのは銃器ではなく、クラッカーのような大筒。花中の知識にはない未知の装備だ。

 三機のロボットは一斉に筒を操作し、筒から爆音と共に多量の黒煙が噴き出す! 煙は花中やフィア達を飲み込んだ、が、威力は微々たるものだったのか。水球内に居た花中は震動すら感じず、何が起きたのかよく分からない。

 唯一真実を掴んでいたのはミリオンだけ。身動ぎ一つせずミリオンは煙の先を見据え、やがて煙が晴れた時、視線はそのまま真魅を捉えていた。

「……見えてるのかしら?」

「ええ。このモノクルのお陰よ。それにしても随分と手が早いのね。私が姿を見せてからこれを掛けるまで、一分もなかった筈なんだけど」

「当然じゃない。準備は早いに越した事はないでしょ? ああ、一応言っておくけど、私に脅しは通じないから。はなちゃん以外の人間なんてどうでも良いんだもの」

「やれやれ。やはりあなた達のコントロールは難しそうね」

 呆れたようとも取れる、大きなため息を真魅は吐く。

 真魅の表情はそのため息を境に切り替わり、氷のように冷たい敵意の眼差しを花中に向けてきた。

「大桐花中。人質の命が惜しければ、今夜八時に中央自然公園……あなた達がミィと呼んでいるミュータントと、あなた達が始めて戦ったあの公園の中央広間に来なさい。もし来なければどうなるか。あなたは賢そうだから、見せしめはしないでおいてあげるわ」

 そして花中の背筋を凍り付かせる言葉を残した刹那、突如として道路が爆発を起こす! それも一ヶ所ではなく、何ヶ所も同時にだ。爆発は真魅を守っていたロボット達を容赦なく巻き込み、バラバラと機体の欠片が辺りに飛び散らせる。

「きゃあっ!?」

「……………」

 朦々と巻き上がる粉塵に驚き腰を抜かす花中を余所に、フィアは空を見上げる。

 花中もつられて空を見れば、青空の中を三機の、旅客機らしからぬ形状の飛行機が飛んでいた。

 まさか爆撃機――――花中の予感が正解である事は、三機の飛行機が一斉に爆弾の投下を始めた事で明らかとなった。しかし投下された爆弾はいずれも花中達の前方、真魅が居た場所との丁度中間辺りに落下。炸裂する爆炎と共に、キラキラと輝く異様な粉塵を周囲に撒き散らす。

「うざい!」

 不機嫌さを露わにしながらミリオンは地団駄一つ。轟かせた爆音と共に、漂っていた粉塵は一瞬で消し飛んだ。周りの空気を過熱し、それに伴う体積の膨張を利用して吹き飛ばしたのだろう。

 されど粉塵が晴れた時には、もう真魅の姿はなかった。頭上にいた爆撃機も地平線目指して飛んでいき、戻ってくる気配はない。戦車やロボットの増援も来ない。

 どうやら真魅達は完全に撤退したようだ。

「……逃がしちゃったわね」

「あらら残念ですね。折角黒幕が出てきたのに」

「え? それ本気で信じてるの?」

「? 何故疑うのです? ロボットに守られていましたし如何にも偉そうな態度だったじゃないですか」

「……生き物がみんなさかなちゃん並みの賢さだったら、世の中はもうちょっと平和な気がするわ」

 真魅が去り、攻撃の手も止まり、戻ってきた平穏に早速浸かっているのか。フィアとミリオンからは、すっかり緊迫感が失せていた。

 対して花中は、未だ身体の震えが止まらない。

 真魅は去った。だけどまだ何も終わっていない。彼女はフィアとミリオンを避け、一時的にこの場から離れただけ。人質の安全は確保出来ていないし、出来る見通しも立っていない。それに花中が此処で立ち往生している間に、真魅は新たな策と戦力を用意してくる筈だ。花中には使えない、巨大な資金・人材・権力を用いて。

 全てが後手に回り、打つ手が思い付かない。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう……

「ところで花中さん。そこのお二人はどうしましょう?」

 真っ黒になる花中の頭に光を射し込んだのは、フィアの能天気な呼び声だった。我に返り、花中は慌てて『二人』を見る。

 真魅が持ち出してきた戦車の一撃により、気を失った大神総理と運転手だ。直接的な攻撃はなかったが、高高度から落とされた爆弾や、ロボット達の攻撃により、この場には幾度となく爆風が吹き荒れている。致死的ではないにしても、生身ならそれなりの威力を受けた筈だ。負傷した身では、どんな大事に発展するかも分からない。

「あ、えと、み、ミリオンさん……」

「一応もう診といたわよ。外傷は擦り傷程度、内出血は確認出来ず。頭を打った形跡もなし……なんでこの二人、気絶してるのかしら?」

 訊こうとすれば、ミリオンはすぐに察して答えてくれた。生きていると分かり、安堵を覚える花中。静まる気持ちにつられるように、身体もゆっくりと冷めていく。

 ――――今は、この二人を優先しよう。

 それは行き詰まった自分の状況を考えないための、逃避的発想かも知れない。だが、元より無視など出来ないのだ。開き直りでもなんでも今は二人の介抱をしたい。

 とりあえず家に連れ帰り、寝かせるとしよう。

「……フィアちゃん。二人を、うちまで、運べる? 一旦、うちに帰ろうと、思うんだけど……」

「勿論。造作もない事です」

 返事と共に、フィアは腕を文字通り伸ばして大神総理達を掴む。それからお世辞にも丁寧とは言えない持ち上げ方で二人を肩に乗せた。

「家まで遠いわ。はなちゃんは私が運ぶわね」

「あ、はい。お願いします」

 花中もミリオンの背中に乗り、準備は万端。背負われた花中を見てフィアがハッとなり、何やら悔しそうに歯噛みしていた。どうやら、花中を背負いたかったらしい。

 何時も通り、何事もなかったかのようにころころ変わるフィアの顔。

 それを見ていると少しだけ気持ちが和らいで、花中は頬が緩む。だけどミリオンが動き出したのと共に、笑顔を浮かべられなくなった。

 ただの人間である花中に配慮してか、二匹の速さは自動車ぐらい。フルパワーではないが、十分な速さだ。これならすぐ家に帰れるだろう。

 そう、すぐにでも。

 振り落とされないよう、必死にしがみついている間は、何も考えずにいられるのに。

「……………」

 底のない不安を誤魔化すように、花中はミリオンの背中に顔を埋めるのだった……




一度は使わせたかったミリオンの必殺技。今までにも何度か使おうとしていましたが、実際に使われるとこんな感じになります。無理ゲーというより最早バグ技でしかない。

次回は10/23(日)投稿予定です。

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