彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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世界の支配者2

 午前七時半。

 普段より三十分も早く家を出て、花中は登校していた。

 七月も後半戦に入り、本格的な夏が到来しようとしている。朝早くから大気はねっとりとし、日陰であろうと容赦なく熱中症に誘う暑さを持っていた。強めの風があれば幾分マシなのだろうが、今日は草一つ揺れない穏やかさ。じっくり苦しめられているのに穏やかとはこれ如何に。空からは強烈な日射しが降り注ぎ、花中の白銀の髪を焙っていた。

 すっかり火照った花中の身体は汗を滲ませていたが、湿度が高いせいで中々蒸発してくれない。下着やシャツのみならず制服である半袖ブラウスまでもが汗で湿り、べたべたな気持ち悪い物体と化してしまっている。いっそ脱ぎ捨ててしまいたいぐらいだが、生憎此処は閑静ながらも住宅地のど真ん中。そんな恥ずかしい真似、花中には出来ない。

 こんな時はさっさと学校に向かい、教室でぐったりしながら下敷きを扇いで涼みたいところ。

 されど今日の花中が向かったのは、最短の通学路から少しずれた『寄り道』ルート。閑静な住宅地の中で、駅を目指して進むサラリーマンや学生がそこそこ見られる道だった。しかも爛々と寄り道する訳でもなく、ビクビクと、怯えるような歩き方を花中はしている。ハッキリ言って挙動不審だ。横切る人々も、見慣れぬ怪しい少女(花中)をチラチラと見ている。

「花中さんは相変わらず心配性ですねぇ」

 ついには隣を歩く、帆風高校の夏服を身に纏ったフィアにぼやかれ、花中は大きく身体を震わせた。

 そのぼやきに物申したい気持ちはあったが、されど心配性だという指摘はご尤もだと思い、花中はそのまま俯いてしまう。

「だ、だって……もしかしたら、この後、動きが、あるかも知れない、し……」

「かも知れないでしょう? 人間は『私達』について今はまだ気付いていない。ならば放っておけば良いものをわざわざ首を突っ込む。こういうのを人間は薮蛇と言うのではないですか?」

「ふぇうっ」

「……まぁ気付いていないのですから花中さんや私がちょっと顔を出したところでどうこうなるものではないでしょうが」

 花中が悲鳴染みた声を上げると、フィアはあからさまに気遣った言葉を掛けてくれる。嬉しい。嬉しいが、唯我独尊を絵に描いたような生物であるフィアに気を遣われた事が、なんだか猛烈に恥ずかしい。俯かせたままの顔を、花中は真っ赤に染め上げた。

「ほら花中さん何時までも項垂れてないで前を向きましょう。目的地も見えてきたようですし」

 ただしフィアの言葉で、その顔を上げない訳にはいかなくなったが。

 おどおどと、火照った顔を両手で覆いながら花中は正面を向く。と、何十もの人々が集まっている光景が、ほんの数十メートル先に見えた。遠目でも分かる人の多さに一瞬足が強張る花中だったが、熱くなっている頬を両手でパタパタと扇ぎ、荒い鼻息を吐いて気合い注入。力強い早歩きで人混みへと近付く。

 寄れば見えてくる、人混みの様相。これといった統一感はなく、若いサラリーマン風の男性や初老の女性、小学生ぐらいの女の子に中年男性と、様々な人が集まっていた。各々が交わす話し声が混ざり合ってざわざわとした物音となっており、スマホを持った片手を高く上げる姿がチラホラと見受けられる。一見して関心深そうで、だけど何処か暢気で他人事。正しく野次馬といった雰囲気だ。

 そして野次馬達の視線が向かう先は、それこそ彼等に阻まれて花中には見えないが……()()()()()()()()知っている。住宅地の一角を囲うように、通行止めを意味する黄色いテープが張られている筈だ。その奥にある、数十~百数十軒にもなる壊れた家から人々を遠ざけるために。

 野次馬である彼等は知らないだろう。昨日そこで、何が起きたのか。だけど花中は知っている。昨日そこで何が起きたのか、誰よりも詳しく、そして正しく。

 花中達が訪れたのは、昨日のフィアと妖精さんの『ケンカ』によって壊滅した住宅地だった。

 今朝花中が視聴していたテレビ番組は ― 発生から一日も経っていないのだから当然なのだが ― 具体的な情報がなく、「これからどうしたら良いか」を考えるには不十分なものであった。起きている事象がハッキリしていれば、未来を予想し、いくらかの覚悟と共に安心出来る。しかし何が起きているか分からなければ、未来を予想するなんて出来っこない。そのため不安を拭い切れなかった花中は新たな情報を得たい一心で、昨日に引き続きこの場所を訪れたのである。

 フィアが言うように薮蛇かも知れないが、このまま何日もそわそわしていたら身も心も持たない。二~三回深呼吸をして脈打つ心臓を静めてから、花中は壁のようにそびえる野次馬の群れへと歩み寄った。目指すは野次馬達を越えた先、フィア達によって破壊された住宅地だ。

「う、うぐ……ぶにっ!?」

 ……小さくて非力な花中には、好奇心というパラメーター補正を受けた衆人を掻き分ける力などなかったが。ふくよかなおばさんのお尻に弾かれ、呆気なく吹っ飛ばされてしまう。地面を打ったお尻が痛く、花中の目に涙が浮かんだ。

 このままでは打つ手なしだったが、ふとフィアが花中の手を掴んできた。なんだろう、と思う花中を他所に、フィアは野次馬目指して直進。掴まれた手と共に花中も直進。

「はーい通りますよー押しますから覚悟してくださーい」

 暢気な警告を伝えるや、フィアは開いている片手を野次馬の群れに突っ込んだ。

 そしてその手を、容赦なく左右に動かす。

 超生物であるフィアにとって、数十もの人間を払い退けるなど造作もなかった。危うく将棋倒しになるところだった野次馬達は軽いパニックに陥ったが、フィアは構わず押し入り、前に前にと進んでいく。真っ二つに割れた人混みの中を進む姿は、まるで海を割ったモーゼのよう……モーゼと共に海を渡ったイスラエル人は、今の花中のように顔面蒼白ではなかっただろうが。

 とはいえ、フィアのお陰で人混みを掻き分け前へと行けた。幸いにして野次馬達の混乱はすぐに収まり、花中の心も落ち着きを取り戻す。

 フィアと共に花中は人混みの前から二~三列目辺りで立ち止まる。フィアは男性から見ても長身な『身体』を活かしてその先を見据えており、花中も一緒に見たいが、背が低くて大人の背中しか見えない。

「フィアちゃん、何か、見える?」

「そうですねぇ野次馬達が黄色いテープの先に進まないよう二人の警官が見張っているぐらいなものでしょうか。あとは昨日と変わりないと思います」

 尋ねれば、すらすらとフィアは教えてくれた。

 警察、という言葉に花中は身体が強張るのを感じるも、こんな場所で緊張しても仕方ない。周りの人の迷惑にならないよう、身体を縮こまらせながら頭を振って気分をリセットする。

 それよりも、だ。

「警察の、人の、様子は?」

「如何にも退屈そうです。テープを無理に越えようとする輩とかも見当たりませんし暇なんじゃないですかね?」

「……………」

 ただの警備員なら兎も角、警察官がそんな調子なのはダメでしょ……と思う花中だったが、しかし厳重な警戒状態、人混みを監視するようではないと聞いて安堵もした。どうやら現場に戻ってきた『犯人』がいるとは、警察官達は露ほども思っていないらしい。

 よくよく思い出せば、フィアは怪獣染みた姿で暴れていた……と、ミィやミリオンから話を聞いていた ― 花中自身は、ミィの特急移動により失神していたので見ていないが ― 。つまり人々に目撃されたのは『怪獣』であり、人型のフィアではない。ネット上に流れた映像も同様だろう。フィアの存在に辿り着けるような、確たる証拠は未だ掴まれていない筈なのだ。

 落ち着いて考えれば分かる事だったのに、フィアが言うように心配し過ぎたようだ……不安という名の霧が晴れるにつれ、花中の頭も冴え渡っていく。

 そうなると、もう此処に留まる理由はないように思えた。

「花中さん満足しましたか? ちゃんと自分の目で確かめたいのでしたらもっと前に行きますけど」

「あ、ううん。もう、大丈夫。えっと、そろそろ学校に、行こうか」

「花中さんがそう仰るのでしたら」

 フィアは再び花中の手を握り、先導して野次馬を掻き分けていく。押し入ろうとする者には抵抗するが、出ていく者には寛容なのが見物人というもの。二人はあっさりと野次馬の群れから脱出出来た。

「ぷはっ……」

 花中は身体に溜まった悪いものを出すような息を吐き、それから深く吸い込む。吸ったところで肺に入るのは住宅地の良くも悪くも普通な空気だけだが、人混みで温められたものよりはずっと新鮮で綺麗。森林浴をするようにただの空気を嗜む。フィアも少し疲れたのか、花中の手を離してぐるんと肩を回している。

 やりたい事は終わった。このまま日常に戻るとしよう。

 そう考える花中だったが、不意に、何かの音が届いた。

 なんの気なしに振り向けば、そこには真っ黒で大きな、如何にも高級そうな自動車がこちらに向かって走ってくる姿が。それも一台ではなく、三台も連なっている。

 見慣れぬ光景を目の当たりにし、花中の脳裏を過ぎったのは何時か見たテレビドラマのシーン。ドラマでああいう車に乗っているのは、会社の社長や、暴力団の人だった。あの高級そうな車にもそういった人達が乗っているのかと思うと緊張し、花中は無意識にフィアの腕にしがみつく。フィアには花中の意図が分からないのだろう、キョトンとしていた。

 やがて車は花中達の目の前……までは来ず、少し離れた位置に三台並んで停止。開かれた扉から出てきたのは数人の、黒いスーツを着た三~四十代ぐらいの男性だった。極道さん!? と一瞬ビクつく花中だったが、よく見れば誰もが綺麗な身形をしており、顔立ちにも清潔感がある。周りを威嚇する様子もなく、動きにはどことなく気品が感じられた。どうやら暴力団関係者ではなさそうだが、とはいえ全員身体付きはスーツ越しでも分かるぐらい逞しく、会社役員という訳でもなさそうである。

 謎が深まり花中が首を傾げる最中、彼等の中で一番年齢が高そうな、リーダー格らしき人物が、前から二番目に停まっている車のドアを開ける。すると中から一人の『女性』が出てきた。

 女性は五十代前半ぐらいに見える、老人というほどではないが貫禄のある顔立ちをしていた。背は高く、自身を出迎える立派な体躯の男達と同等、或いは上回るほど。背筋はピンッと伸びており、ハリボテではない自信を感じさせる。艶のある黒髪は日本人らしさがあるものの、大和撫子と言うより……失礼ながら『武将』という言葉の方が似合う。目付きは鋭く肉食獣のように獰猛で、同時に確かな理性も宿していた。これでスーツを着ていれば格好も付いただろうが、何故か服装は作業着。違和感、ではないが、ちょっと気に掛かる。

 それでいて花中は『彼女』に見覚えがあった。ただ知り合いという訳ではなく、しかしながら割と最近、頻繁に目にしているという奇妙な確信も抱いている。

 はて、彼女は一体何者なのか?

「あっ。アレって大神総理大臣ですよね? テレビで何度か見た事があります」

 うーんと唸りながら記憶をひっくり返していた花中に、横に立つフィアが確認するように尋ねてきた。

 言われてハッとする花中。改めて女性の姿を観察し、記憶にある大神総理の姿と照合すれば、疑いようがないほどピタリと重なった。道理で見覚えがあり、尚且つ知り合いという感覚が湧かない訳だ。フィアですら覚えてしまうほどテレビや新聞にその顔は毎日出てくるが、、花中と彼女の間に友好関係は一切ないのだから。

 しかし彼女は日本国のために働く政治家である、どうしてこの町に来

「(って、そ、総理大臣んんんんんんっ!?)」

 と、今更ながら花中は驚いて跳び退く。あまりの驚きに悲鳴すら上がらない。

 目の前に居るのは、現日本国総理大臣――――大神(おおがみ)千尋(ちひろ)ではないか。

「おい、アレって」

「うおっ!? マジかよ、総理大臣じゃん」

「あたし、初めて見た」

「そんなの私だって」

 野次馬達も気付いたらしく、ざわめきが壊れた住宅地から大神総理の方へと向けられる。大神総理は慣れた様子で手を振り、凛々しい顔を保ったまま民衆を一望

 ――――する筈の視線が、何故か花中で止まった。

 ……ような、気がした。

「(……? なんか、一瞬わたしの方を見ていたような……)」

 今もじっとこちらを見ていたなら確信を持てたのだが、何分見ていたような気がしたのはほんの一瞬。意識した時には、大神総理の視線は野次馬達に向けられていた。もう、花中は視界にすら入っていないだろう。

 やがて一通り辺りと人々を見渡した大神総理は、黒服の男達 ― 恐らくボディガードの類だろう ― と共に移動。壊れた住宅地の方へと進んでいく。野次馬達は突然現れた総理大臣にすっかり心を奪われたようで、親を追い駆けるカルガモのようにぞろぞろと移動を始めた。

 結局花中とはなんの接触もなく、大神総理は立ち去ってしまった。モヤモヤした気持ちがない訳ではない。訳ではないが……まぁ、自分は髪とか目が珍しい色をしてるし、ちょっと気になっただけだろう――――花中は、深く考えずそう結論付けた。

「……随分と人気者なのですねあの人間。強面のおばさんにしか見えませんのに」

 そしてフィアの言葉に引き寄せられるように、()()()花中が大神総理に視線を向ける。

 大神総理自体は、野次馬達に囲まれて見えなくなっている。が、怒号と言って差し支えない男性の声と、野次馬達の活発な動きを見ればその人気は明らか。時折罵声も聞こえてくるので、嫌われ具合も窺い知れる。良きにしろ、悪しきにしろ、大神総理という人間の存在感を物語るような光景だ。

 そんな大物をフィアは『強面のおばさん』で一蹴。成程、確かにちょっとそうかもと、花中はくすりと笑う。

「あんまり酷評しない方が良いわよー。あの人間、結構熱烈な支持者が多いから」

 そんなタイミングで、背後から声が。

 驚いてビクリと震える花中。しかし掛けられた声は、今やすっかり聞き慣れたもの。即座に平静を取り戻して振り向けば、そこには見覚えのある顔がある。

 百合の紋様が描かれた、黒い和服を着た少女――――ミリオンが立っていた。

「なんだあなたですか。今朝は見掛けなくて良い気分でしたのに」

「私はさかなちゃんと違って気遣いが出来る女なの。はなちゃん、きっと気にしてるんだろうなぁって思って、今朝からあそこを調べていたのよ。で、結果を報告すると心配する必要はなし。火山性ガスの検知とか地層調査とか、そんなのしかやってなかったわ。真相に辿り着けるとは思えないわね、今のところは」

 顰め面を浮かべるフィアに、ミリオンは自慢げに答えながら人混みの先……昨晩の争いで破壊された住宅地を指差す。人間を見下してはいるが、フィアほど無防備でもないミリオンはしっかり現状把握に努めていたようだ。花中が安心感で笑みを浮かべると、フィアは不愉快そうにそっぽを向いた。

「ふん……ところで先程の話ですが」

「先程?」

「酷評しない方が良いって話ですよ。ちょっと悪口言ったぐらいで襲われる訳でもないでしょうに。大体ただの人間である彼女に此処で言った悪口が聞こえているとは思えないのですが」

「ところが襲われるのよねぇ。それと、本人が聞いているかどうかは関係ないわ。襲ってくるの、当人及びその周りとは全く関係ない『善意』の第三者だから」

「? どういう意味です?」

「それだけ人望があるって事よ」

 ミリオンの説明が理解出来ないのか、フィアは怪訝そうに眉を顰める。花中の目には、フィアの頭の上に『?』がたくさん浮いている様子が見えた。

 ミリオンは決して出鱈目な事を言っている訳ではない。

 大神千尋――――日本初の女性総理大臣にして、自由国民党の代表。

 自由国民党は1970年代に結党した、歴史はあるが、ほんの十数年前までは両手で数えられる程度の議席数しかない弱小政党の一つだった。しかし1990~2000年代頃、不祥事や弱腰外交による与党・野党への国民の不信感を上手く利用し、一気に勢力を拡大。六年前の選挙でついに単独過半数の議席を獲得し、総理大臣を排出するに至った。

 政策は基本的に日本の国益を重視し、外交面では強硬な発言が目立つ。同時に緻密な根回しを行い、双方に遺恨を遺さない妥当な着地点を見付けるのが非常に上手い。同性という事もあって女性の支持も多く集めている。政治手法が独裁的であるとの批判もあるが、順調に成果を上げている現状「無能な多数決よりマシ」との声は少なくない。六年目を迎えた現在も支持率は七十%前後を推移。余程の不祥事がない限り二年後の選挙でも政権獲得は確実と言われており、自由国民党の総裁任期は最長十二年となっているため、今後しばらく大神政権は続く見通しだ。

 要するにかなり成功している政権なのだが、強気な外交方針から過激な愛国主義者からの支持も厚いらしい。そういった自称愛国主義者は政権批判派 ― と自身が認定した者 ― に対し、暴力的な行為に及ぶ事もあるとか……

「つまりアイツの支持者に襲われるかもと? それはなんと言うか面倒臭い話ですねぇ」

 ……等々、言い出しっぺのミリオンに代わり花中が細かく説明したところ、フィアは心底面倒そうに肩を竦めた。実際、フィアからすれば暴漢の一人や百人、大した驚異ではないだろう。手加減や『後片付け』が面倒なだけで。

 なんともフィアらしい考え方に苦笑いを浮かべる花中だったが、同時に疑問も抱く。

「でも、なんで、総理大臣が、この町に、来てるのかな?」

「あら、はなちゃん今朝のニュースは見てないの? この住宅地崩壊の被害状況を把握するために、午前中にも現場を視察するってやってたじゃない」

「え? ……ああ、そう言えば……」

 言われてみれば、ぼんやりとそんな記憶が蘇る。マスコミの反応ばかり気にして、総理大臣云々は頭に残っていなかったようだ。少し恥ずかしくて、花中の頬がほんのりと色付く。

 それと共に、新たは疑問が芽吹いた。

 フィア達がこの住宅地を破壊したのは、昨日の夕方頃……つまりどれだけ早くとも、事態が発覚したのは昨日の夕方以降となる。政府の迅速な対応は好ましいが、総理大臣が動くとなれば警備や応対の手配が必要だ。人的被害はないとされているが、だとしても現場は被害状況を把握するためまだまだ作業に励んでいる筈。人手は幾らあっても足りない。そんな時に総理大臣を迎え入れるために人を割り振るとなれば、作業に支障を来す事は十分にあり得る。

 ハッキリ言えば、この視察は現場の混乱を招いた可能性が高い。政治的なアピールにより調査を妨害したと野党側は批判し、国民の多くはその言葉に同意するだろう。

 大神総理はこういった小さなミスもしなかった事で、高い支持率を長年に渡り維持してきた。今回は珍しく、隙を見せているように感じる。

 或いは、多少のリスクは受け入れた上でやりたい事でもあったのだろうか? お気に入りのお店があるのでついでに、とか……なんて事はないにしても。

「それはそうと、はなちゃん。学校に行かなくても良いの?」

 花中のそんな物思いも、ミリオンからの問いで終わりとなった。

 そうだ。自分は学校に行こうとしていたのだった。

 慌ててスマホを取り出し時刻を見れば、八時半を少し過ぎた辺り。ちょっと寄り道した程度なので普通に歩いても朝のホームルームには間に合うだろうが、何時までものんびりしている余裕はない。ミリオンが言うように、もう学校に行かないと不味いだろう。

「そう、ですね。遅刻したくない、ですし」

「なら、さっさと行きましょ、っ」

 花中の返答に頷こうとしたミリオンだったが、不意に空中へと手を伸ばし、ギュッと握り拳を作った。さながら、部屋を飛び回る羽虫を捕まえるかのように。

「? どうか、しましたか?」

「――――ちょっとハチが飛んでてね。はなちゃんが刺されたら危ないと思って」

「あ。そう、でしたか。えと、ありがとう、ございます」

 自分の身を案じてくれた事に感謝し、花中はぺこりと一礼。それから「では、行きましょう、か」と改めて一言伝えてから、てくてくと学校を目指して歩き出した。フィアも花中の傍にぴたりと寄り添って、共に学校へと向かう。

「……ほんと、物騒なハチねぇ……」

 そんな花中達の後ろ姿を見送ってから、ミリオンはその手に掴んだモノを指で摘まみ直し、眺めた。

 それは、くすんだ黄土色の物体。翅も、足もない、有機物ですらない塊。掴んだ拍子に潰れ、くしゃくしゃの玉となってしまった金属。

「流れ弾かしら……でも猟期にはまだ早いし」

 金属はジュウッと音を鳴らし、煙となって大気に溶ける。そこに金属があった証は、僅かに漂う異臭以外にない。

「一応射線上ぐらいは調べようかしら……まさかとは思うけど、念のために、ね」

 そう独りごちてから、未だ動き出さないこちらを寂しげに見ている花中の方へと、ミリオンは歩を進めるのであった――――




警察にバレる事を本気で恐れる主人公が此処にいるぞ!
でも恐れるというのは、日本の警察官が頼もしい存在だと信じている証だったりします。賄賂で誤魔化せるような警察官しかいない国だったら、花中もここまで怯えないでしょうね。


次回は9/25(日)投稿予定です

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