彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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亡き乙女に音色は届かない9

「あっはっはっ! あーはっはっはっ! もうっ、どうしたら良いのかなぁ、これぇ!?」

 花中は、珍しく大きな声で笑っていた。それも夜八時という、月と星の光が降り注ぐ静寂の時間に。

 此処は蛍川の上流に位置する地域。幅一メートルもない流れの傍にあるのは雑木林でなく住宅地で、岸はコンクリートによる舗装が施されている。此処の名称も一応は蛍川なのだが、ホタルには蛹になる際に潜り込む柔らかな土が欠かせない。コンクリートで固められたこの一帯では世代交代が出来ず、ホタルは生息出来ないだろう。

 ホタルが棲んでいないのに蛍川という、なんとも名前負けした場所だが、何分この辺りは『ホタル保護区』ではない。ホタルには厳しいが、人にとっては都合の良い作りとなっている。例えばホタルの恋を阻害する街灯の光も、人が安心して夜道を歩くためには欠かせないものだ。一概に悪いとは言えない。

 とはいえこのような場所を蛍川と呼ぶのも難なので、一先ず『川』と呼ぶ事にしよう。花中は今その川の、コンクリート舗装された岸に立っている。

 さて、水というのは高い場所から低い場所へと流れるもの。即ち花中が居るこの場所は、妖精さんが居た蛍川よりも高い所に位置する。この辺りは山を削って造成した土地というのもあり、数値上の高さは相当なものだ。街灯や家の明かりが点くこの時間帯ともなれば、麓に広がる星空のような夜景を一望出来る。

 なので、結構よく見えるものなのだ。

 下流域で光る町明かり――――よりも目立つ、崩れた建物から燃え上がる炎と、パトカーや救急車や消防車が光らせているサイレンが。

 『友達(フィア)』によってそれはもう盛大に破壊された、住宅地一帯が。

「うーん。ちょいとやり過ぎましたかね?」

 そして一緒にそんな街並みを眺めている筈のフィアは、のほほんとした感想を口走っていた。反省など、殆どしていない様子だった。

「ちょいと、じゃないよぅ!? ま、町が、あんなに……!」

「人間の巣を幾つか壊してしまっただけじゃないですか。それにミリオンの調べによれば怪我人こそあれ死人は出てないようですし。住処なんて壊れたら変えれば良いでしょう?」

 花中の悲痛な言葉も何処吹く風。むしろ何故怒るのかとフィアは訊きたげだ。

「もぉ、さかなちゃんったらぁ。人間はそう簡単には家を変えられないものなのよぉ」

 ……人間の事情など分からないので首を傾げている分、分かっているのにフィアの隣で心底楽しそうにしているミリオンよりは幾分マシなのかも知れないが。

「ミリオンさん……なんで、そんな楽しそう、に……」

「えー? だって二階堂さんは()()()()()()()言葉を言ってくれたのよ? なら嬉しくなって当然じゃない」

「……ですよね」

 花中の口から出たのは、諦めのため息。結局のところ彼女達は人間ではない。人間とは価値観が違う以上、マイホームの重要性も異なる。家屋の倒壊など、彼女達にとっては些事に過ぎないのだ。説明しても無駄、とは思わないが、この場で理解してもらえると考えるのは幻想である。時間を掛けてゆっくりと話し合うしかない。

 それに、此処に来た理由は破壊された町を眺めるためなんかではない。

「……ミリオンさん。あの『ヒト』は……」

「ちゃーんと伝えたわよ、此処に来るようにって。まぁ、来るとは言ってなかったけど」

 気持ちを切り替え花中が確認すると、ミリオンは不安を煽るような答え方をする。来るとは言っていない――――当然だ、あの『ヒト』には声というものがないのだから。

 意地悪な言い回しに花中は頬をぷくっと膨らませた、丁度そんな時だった。

 不意に、川の一部が光り始めたのは。

 気付いた花中が振り向けば、光は段々と強くなり、ついには水面から飛び出したではないか。そして光は少しずつ人の形へと変化していき、

「……あの、もう夜分遅いので、手間は、省きません、か?」

 焦れったくなり、花中はそう催促した。

 するとどうだろう。光の塊だった筈の『それ』が、一瞬にして少女の姿へと切り替わったではないか。赤い髪、無表情ながらあどけない顔立ち、緑色の服、青い瞳……どれも見覚えがある。今も全身をぼんやりと光らせ、『全て』を知った今でも神秘性を感じさせる。

 花中にとっては一昨日蛍川で出会って以来の再会――――妖精さんだった。

「ようやく、会えましたね」

 花中が言葉を掛ける、が、妖精さんは無反応。静寂が続く。

 ……あまりにも長く沈黙を挟むので不安になる花中だったが、ふと妖精さんが何処からかホワイトボードを引っ張り出す。

 ホワイトボードには、【私、音を聞き取るのが苦手だから大きな声で】と書かれていた。印字したように、癖のない文字だった。

 どうやら自分が小声なものだから、妖精さんには聞こえなかったらしい。確かに、彼女の『正体』が予想通りだった場合、聴力が乏しいのは仕方ない……むしろどうやって声を聞いているのか疑問だ。確認されていないだけで、耳に当たる器官があるのだろうか? もしくは空気から伝わってくる振動を解析しているのかも知れない。

 なんであれ、大きな声でないと話が出来ないそうだ。今度は花中なりに声を張り上げ、先程と同じ言葉を伝える。と、妖精さんの持つホワイトボードに【用があると聞いて、ここに来た】という文字が浮かび上がった。

 無感情で、警戒感のない文章。何を考えているのか……思考を感じさせない存在への不信感が、花中の胸中に渦巻き始める。

「……えっと、とりあえず、友達に、なりませんか? その、仲直り、です」

 しかし花中は臆さず気にせず、手を伸ばして握手を求めた。

 妖精さんはしばし花中の手をじっと眺めていたが、やがて何かを思い至ったのか、音もなく手を叩く。それから花中が伸ばした手を掴み、握手の素振りを見せた。

 尤も妖精さんの手は、花中の手をすり抜けているのだが。顔だって相変わらず無表情なまま。とはいえ大事なのは握手を受け入れたという事実。それが「友達になろう」という言葉への返事である点だ。

「はい。妖精さんと、友達に、なれた、よ」

「はいはい」

 花中が振り向いてそう伝えれば、フィアは肩を竦めて不服そうに肯定した。家で交わした、妖精さんと友達になったらもう彼女を殺そうとしないという約束は未だ健在だった。

 妖精さんの身の安全を確保した花中は、ゆっくりと手を引く。握手する手がなくなったので、妖精さんも手を引く。

 ここからが『本番』――――妖精さんとの問答こそが、花中が此処を訪れた目的だ。

「……早速です、けど、答え合わせを、させてください」

 花中の前置きに、妖精さんは首を傾げるような動作を見せる。が、その直後ホワイトボードに書かれていた文字が独りでに薄くなり、またしても独りでに新たな文字が浮かび上がる。

 新たに映し出された文字は【良いよ】の一言。

 了承は得た。花中は早速、やりたかった答え合わせ……妖精さんの『正体』を暴く事にした。

「最初から、疑問でした。あなたの能力は、あまりにも、多様過ぎる、と」

 ミュータントの能力には、一種につき一つ、なんてルールはない。だから妖精さんが複数の能力を持っていたとしても、それ自体はおかしな事ではない。

 しかし、火を噴き上げ、爆発を起こし、不可視の攻撃をし、人の姿を取り、寒気を操る……あまりにも無節操が過ぎる。妖精さんが複数の能力を持った超ミュータントだとするより、何かしらの『インチキ』があると考える方が自然だ。

 そしてインチキである以上、『実体』は必要ない。

「実際は、複数の能力なんて、なかった。それどころか、機能的には、たった一つ。そのたった一つで、あなたは、わたしを翻弄した」

 人の感覚は、人が思うほど確かなものではない。

 例えば周りの模様や動き次第で、呆気なく対象の動きや色を正しく測れなくなる。赤や黄色といった色は見れば『暖かさ』を感じ、青色を見れば『冷たさ』を感じてしまう。しかしそれは人の感覚がいい加減なのではない。どれほど高度に発達したシステムにも弱点があるように、人間の視覚システムにも穴があるという事だ。

 だからもしシステムの穴を正確に突けるのなら……自在に、それでいて強固な幻覚を作り出せるだろう。感覚を支配し、虚構に現実的な力を持たせる事が出来るようになる。それこそが妖精さんの能力。

 即ち『幻覚』。

 投射した映像により、現実と間違うほどの錯覚を引き起こすのだ。少女の姿を見せるなど序の口。視覚を完全に支配する事で、本当に炎があるかのような熱さを感じさせ、()()()()()凍えてしまう青い煙も生み出せる。そして感覚を支配された身体は本能的な対応を行うだろう。例えば寒波に包まれたのなら身体は熱を生み出すべく筋肉を震わせ、体温が外に逃げないよう血管を収縮させるのだ。尤も、その反応は『寒い』時に行うもの。本当は真夏の太陽の下に居る状態であり、体温自体はガンガン上昇している。結果、幻覚から解放された瞬間身体は大量の汗を流し、血管を限界まで拡張。本来ならばあり得ない状況に慌てて対応した結果、やり過ぎて『低体温症』を患ってしまう訳だ。

 そして多彩な能力の正体が幻覚だと分かれば、自ずと『見えない攻撃』の正体も分かる。

 幻覚を引き起こす『映像』……それは言い換えれば、幻覚を引き起こす『光』だ。大出力の『光』を集束させて一点に照射すれば、光は『レーザー』と呼ばれる状態になる。レーザー照射を受けた物体は、光が持つエネルギーにより過熱。水がレーザー照射を受けたなら忽ち『沸騰』し、瞬時に発生した多量の水蒸気によって爆発のような現象が起きるだろう。土のような水分の多い物でも同様の筈だ。木材やコンクリートが相手なら照射点は気化し、焼き切られ、容易に『切断』される。更にレーザー光線はまず見えない。光そのものであるレーザー光線が見えたという事は、高出力レーザーが眼球を直撃している事になるからだ。

 つまり。

「全てが、光を介して、起きていた現象。そう考えると、納得が、いきます。そして、光を放つ生物は、現在、非常に多く、知られています、が……この場所で、あえて『あなた』以外を、挙げる理由は、ありません」

 花中は一度話を区切り、深く、息を吐く。

「あなたの正体は――――ホタル、ですっ!」

 それから力強く向けた指先と共に、花中は己が導き出した答えを告げた。

 花中から突き付けられた『推理』。

 正面から受け止めた妖精さんからの返事は……【正解】、の一言だった。

「……はぁぁぁぁぁ……よ、良かった……」

 言葉を読み終えた途端安堵の感情が溢れ出し、花中は全身から力が抜けるのを覚える。これだけ自信満々に話しておきながら盛大に外したら、恥ずかしさで死んでしまうところだった。

 とはいえ、当てたところで自慢出来るものでもないのだが。

「さっすが花中さんっ! でも今回は私の方が当てるのは早かったですけどねー」

 何分胸を張りながら語る当人の言葉通り、花中よりもフィアの方が先に真相に辿り着いていたのだから。

「うん、そうだね。フィアちゃん、すごいよ」

「んっふっふー」

 花中が正直な気持ちを伝えると、もっと褒めてと言わんばかりに、フィアは突き出すように胸を張る。

 万能のようにも思える妖精さんの力だが、少なくとも二つの欠点がある。

 一つは、見せている現象はあくまで幻覚であり、現実には存在しない事。例えば炎の幻覚は見た者に猛烈な熱さを感じさせるが、本当に熱がある訳ではない。だから勇気を ― 燃え盛る炎に触ろうとするのは勇気ではなく最早狂気の沙汰だろうが ― 出して触れてみれば、火傷一つ負わないで済む。つまり何かの拍子に触られてしまうと、その時点で幻覚だとバレてしまう可能性がある。

 そしてもう一つの、それでいて一番の欠点は、『生物種に合わせて、幻覚の色合いを変えねばならない』という事。

 生物により、視覚の仕組みは異なる。昆虫の多くは人間には識別出来ない紫外線の『色』を判別出来、蛇は赤外線を認識して暗闇の中獲物を捕らえられる。逆に霊長類などの一部を除いた大半の哺乳類は、紫外線や赤色を捉えるための視細胞を失っていると言われている。

 無論見えていない光を使ったところで、相手は幻覚なんて見えやしない。生物種によって視覚システムは千差万別であり、その都度光の構成を調整しなければならないのだ。景色を誤魔化すだけ ― 土手と川の色を『上乗せ』し、川を本当の位置より手前にあると誤解させて、飛び越えようとした奴を川に落とすとか ― ならどうにか出来ても、熱などの感覚的誤認をまとめてやるのは難しい筈。魚類と哺乳類という系統的に離れすぎた二種が相手なら尚更である。

 ……ここからこの辺りで頻発していた『幻覚キノコ異変』、そして花中達が遭遇した攻撃の意図が推察出来る。

 妖精さんの正体であるホタルは、その生活史の大半を水中で過ごす。六月~七月に現れる成虫は地上で生活するが、次代を繋ぐためにも水辺は欠かせない。故に川を荒らされる事は死活問題。川に来た花中達を、幻覚によって追い払おうとするのは当然だ。川に『不法投棄をした人間』を懲らしめ、川をひっくり返して遊ぶかも知れない『ピクニックに来た家族連れ』を追い払った時のように。とはいえ最初は、びしょ濡れにすれば帰ると思ったのだろう。

 しかし川に落ちたにも関わらず、フィアと花中は帰らなかった。雑木林からの帰りでは炎の幻覚 ― 恐らくフィアにはオレンジ色のガスにでも見えたのだろうが ― を見せたにも関わらず、フィアは能天気なまま。挙句『水を自在に操る』能力を使ってみせた。水生生物にとって、それがどれほどの驚異であるか……

 始末しなければならないと、妖精さんが危機感を抱いても不思議はない。

 その危機感こそが、雑木林でフィアが攻撃された『理由』なのだろう……そう妖精さん当人に花中が尋ねたところ、妖精さんからの返答は【その通りだと思う】の一言だった。

「……ふぅ」

 一通りの話を終えて、花中は息を吐く。

「花中さーん。用が済んだならそろそろ帰りません?」

 沈黙の合間を突くように、フィアが眠たそうな声で催促してくる。

 フィアが言うように、花中が明らかにしたかった疑問についてはこれで完全に解けた。もう夜遅い。明日も学校があり、早く家に帰って寝た方が良い。

 しかし、花中は首を横に振る。

 元より、今まで問い質していた疑問については、答えは出ているも同然だった。わざわざ呼び出してまで訊きたかったのはそんな事ではない。もっと、深いところ。根本的なところ。

「……一つ、確認します。あなたは、二階堂さんと、()()()()()()()、妖精さんですか……?」

 そもそも彼女は、自分が話そうとしていた相手なのか?

 花中の一言を境に、周囲が静けさに包まれる。街灯は変わらず辺りを照らしているのに、何処からか闇が流れ込んできたかのように、暗さが増したような感覚に陥る。

 その暗さの中で、妖精さんが笑ったように見えた。今まで寸分も動かなかった表情を、ドロリと溶かすように。

 そして、

【ううん、違うよ】

 あまりにも呆気なく告げられた答えに、花中の全身がぶるりと震えた。

「なら、あなたは……!」

【それを説明するには、最初から話さないと】

 妖精さんはそう文字を浮かび上がらせると、つらつらと過去の出来事を表示し始めた。

 ――――始まりは十年前。たった一体の『個体』からだった。

 どうして『そいつ』は奏哉との関わりを持ったのか? 残念ながら、それは誰にも分からない。そもそも『そいつ』が雌だったのか、本当に奏哉と最初に接触した個体なのかも確かではない。『そいつ』は他のホタルと同じく繁殖期と共にその命を終わらせ、子供達に伝言を残す事が出来なかったのだから。

 けれども『そいつ』が持っていた知性と力は、子供達にも伝わっていた。

 全ての子供達が知性と力を獲得した訳ではない。割合としては一パーセント未満、ほんの数匹だけ。しかしあらゆる生命を翻弄する幻覚と、数十トンはあろう物体を押し退けてしまう大出力レーザーの前に敵などいない。知性を持つ事で飢餓や天災すらも克服した。数匹の子供達は誰一匹として欠ける事なく、悠々と成長していった。

 やがて、子供達は度々川に訪れる生物(人間)に興味を持った。

 『そうや』というその生物は、自分達との友好的な関係を望んでいるようだった。ホタル達も『そうや』に対し敵対的な感情などはなかったので、見識を広めようと彼との対話に応じた。幸いにも『そうや』はホタル達の目的に適した性格、つまり話し好きであり、世界について多くの知識を教えてくれた。より効率的に知識を吸収すべく、ルールも作った。代表者が『そうや』との会話を行い、仲間達に聞いた話を伝え、代表者が死んだら別の誰かが担当するというものだ。

 また対話用の映像……あどけない少女の姿は代表者が代わっても変更しなかった。本能に刻まれているのか適当に人間をイメージすると誰がやっても大体その姿になったし、奏哉もその姿を気に入っていた。本能レベルで選択した姿だとすれば、恐らくは初代も同じ映像を使っていたのだろう。声が出ないホタル達にとって説明という行為は酷く面倒なので ― 今やっているホワイトボードを用いての行為も、結構神経をすり減らすらしい ― 、説明を求められるであろう行動を避けていたのだ。

 そうした関係を何年か続け、順調に繁殖し知性的個体の数が数百に達した頃、ホタル達は気付いた。自分達の知性の芽生えが、彼によってもたらされている可能性に。

 彼女達は恐怖などしなかった。人間のような豊かな感情を持ち合わせていないのもあったが、一月程度接触がなくとも自分達の知性が消えないと分かっていたのが大きい。彼の存在は知性の芽生えに必要なだけで、芽生えた知識への影響は確認されていなかったからだ。彼がなんらかの事情でこの川を訪れなくなったとしても、それで困るのは知性が芽生える筈だった自分の子供達ぐらい。子育てなどしない、母性本能など欠片も持ち合わせていないホタル達にとって、そんなのは取り上げる価値もない問題だった。

 とはいえ、『そうや』との関係を打ち切る理由もない。故に彼女達は『そうや』が来ると必ず現れ、彼との世間話に興じたのである。

 そう、十年もの間――――寿命が一年、長くとも三年程度しかないにも関わらず。

「……二階堂さんと、出会ってから、何度も、世代交代を、しているのですね」

 否定してほしい……言葉にそんな想いを乗せる花中だったが、妖精さんは【そうよ】の一単語であっさりと肯定してしまう。

 奏哉は自覚していないだろうが、彼は花中と同じくミュータント化を引き起こす脳波、伝達脳波の持ち主なのだろう。もし違っていたなら、妖精さん達はチャンス……花中が川に近付くなどの……がない限り、ミュータントにはなれない。そうすれば奏哉と妖精さんは一年、長くとも三年の付き合いで終わりとなった筈だ。

 しかし彼が伝達脳波を出していたが故に、妖精さんの子孫までもがミュータント化してしまった。『別人』なので()()()()()()()()などの些末なおかしさは生じても、出会いは途切れず、姿形も殆ど変わらない。仲間達で共有しているので大抵の会話には齟齬など出ないし、出ても勘違いで済ませてしまえる。

 だから、今まで奏哉は気付かなかった。

 自分が愛した妖精さんは、もうこの世にはいない事に。

「……本当の事を、言おうとは、思わなかったの、ですか……」

 ポツリと、花中が漏らした言葉に、妖精さんは首を傾げる。よく聞こえなかった、とでも言いたいかのように。

「どうして、二階堂さんに本当の、事を……伝えないの、ですか……!」

 だから花中はもう一度、今度はハッキリとそう告げた。

「はなちゃん、それは」

「一つ! 一つ、確かめさせて、ください」

 宥めようとしてか掛けられたミリオンからの言葉を、花中は苛立った声で拒んだ。普段の花中なら絶対にしない言動に、拒まれた当人であるミリオンだけでなく、離れて聞いていただけのフィアも目を丸くする。

 唯一妖精さんだけが、笑っているように見える無表情を崩さない。

「あなたが、二階堂さんに、言わせたかった言葉、は……『君だけを一生愛し続ける』、で、良いん、ですよね……?」

 それは花中が問い質しても変わらず。

【単語に固執する理由はないけど、意味としてはそんな感じで構わない】

 妖精さんは、あっけらかんと答えを『表示』してみせた。

 確証はなかったが、予感はしていた。

 もし妖精さんが奏哉に対し、何も想うところがないのなら、彼からの求婚を断る筈がない。役所に届けるだとか、永遠の愛を誓うとか、周囲に教えるとか……人間的な事情や感性を除けば、夫婦なんてものはちょっとした『称号』でしかないからだ。ならば嫌がっていたかと言えば、そうとも考え辛い。攻撃なんてする前に、一言断れば良いのだから。

 妖精さんの行動は理屈にそぐわない。ならきっと、理屈じゃない『想い』があったに違いない。

 例えば――――妖精さんもまた奏哉が好きになっていて、奏哉と婚約を交わした『自分じゃない誰か』に嫉妬している、とか。

 それは願望混じりの発想。しかし、否定出来ない可能性。そして確かめれば肯定を得られた。妖精さんは奏哉に、自分だけを見てほしかった。過去ではなく、『自分』を愛していると誓わせたかったのだ。

「……あなたの、気持ちは、分からなくは、ないです。わたしだって、同じ、立場なら……不安で、怖くて……隠してしまうかも、知れない」

 俯き、か細い声で、花中は妖精さんの意思を肯定する。

 例え自分から始めた事ではなくとも、彼が()()()()()()事実は変わらない。『真実』を話せば、奏哉に深い絶望を与え、もしかしたら八つ当たりのように嫌われてしまうかも知れない。或いは過去に執着し、自分を見てくれないかも知れない。

 だったら、黙っていたい。何も知らせず、誤解させたまま、自分に愛を誓わせたい。自ら行った宣告という呪縛により、その心を縛り付けてしまいたい……その気持ちは、花中にだって分からなくもない。

 それでも――――

「隠し事を、したまま、結ばれて……嬉しい、ですか? 言葉で、二階堂さんの心を、縛り付けて……それで、あなたは嬉しいの、ですか……!?」

 それでも、そう思わずにはいられない。

 人間的な綺麗事なのは否定しない。恋を知らぬ者による上からの物言いに、根拠などある訳もない。

 だけど、花中は信じたかった。

 例え想う相手が自身と異なる種族だろうと、『誰か』を好きになる気持ちは尊いものだと。その気持ちを偽らなければ、例え報われずとも、心に残るのは晴れやかさであると。

 そして偽りと呪縛によってもたらされたものに、真なる幸福を感じたりは出来ないと。

「好きな人の気持ちを、利用して、あなたは……」

 幸せでしたか?

 そう続けようとした花中の言葉は、途絶えてしまった。

【何故、あの人間の感情を気にするの?】

 あまりにも短い、疑問の文章によって。

「……え……?」

【どうしてあの人間の気持ちを気にする必要があるの? 私はアイツが欲しいだけなんだけど】

「……!?」

 あまりにも予想外の言葉に、花中は浮かび上がった文章をオウム返しする事すら出来なくなった。

 なんだ、その答えは?

 全身を駆け巡る悪寒に、花中の身体が震える。脳裏にはふつふつと違和感が沸き立ち、心を掻き回し、乱していく。昂ぶっていた感情が冷めていき、生温い霧のように頭を満たしていた幻想が次々と弾けていく。

 真相に辿り着いたと思っていた。

 だけど、もしかしたら。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

「あ、あなたは……」

【私はね、アイツが欲しいの。話が面白い。意地悪した時の反応が面白い。こんな素敵な玩具なのに、私には遊べないなんてずるいじゃない】

「おも、ちゃ……!?」

 なんの躊躇も、罪悪もなく記された文字。それは花中に愕然とした感情を植え付ける。同時に理性が一つの……幻想に埋もれた真実に気付いてしまった。

 妖精さんは、恋などしていない。

 ただ、欲しかっただけなのだ――――みんなが持ち、遊んでいる玩具が。

【どーしても欲しかったから、食事制限をして、成長を遅らせた。アイツが約束した奴はその年の夏に死に、次代の幼虫はその翌年大人になって死んだ。私だけが、アイツが外国から帰ってくるのを待っていた。なのにアイツったら二年前に死んだ奴とした約束の話ばかり。私だけのものなのに、アイツは私以外を見ている。そーいうのってムカつかない?】

 同意を求めるような言葉遣いで、妖精さんは問い返してくる。

 花中の口はぐっと閉じられ、同意を示さず、しかし否定の言葉も紡がない。

 確かに人の心を弄び、狂わせ、苦しませ……挙句それを愉悦とする事に罪悪を覚えないものは、邪悪と呼ばれるかも知れない。だが、妖精さんは奏哉に敵意や憎悪を抱いている訳ではない。それどころか恥ずかしげもなく綴られる言葉からして、彼女は間違いなく奏哉を好いている。

 彼女は、子供のように純朴なのだ。純朴さに理性も条理も存在しない。欲しいものが自分を見てくれないと拗ねてしまい、される相手の気持ちを考えずに好意を向けてしまえる。

 さながら子供がアリを捕まえ、無垢な好奇心に従ってその足を楽しみながらもいでいくように。

「……ミリオンさんは、知っていたの、ですか……妖精さんに、二階堂さんへの、恋愛感情が、ないって……」

 願望が崩れ落ち、花中はミリオンにも問い詰めていた。彼女は愛する人との思い出を守るために花中を殺そうとした、愛のために苦しみ、愛のために生きているモノ。

 そんな彼女が、どうして愛を知らず、弄ぶモノと共に行動していたのか。

 そこに、僅かな救いがあるのでは……

「ん? 勿論知ってたわよ」

「……どうして……だって、あなたは」

「あら、忘れちゃった? 私は、この子とは違う言葉を二階堂さんに言わせたかったのよ?」

 ミリオンは窘めるかのように尋ね返す。

 ――――ああ、そうだった。ミリオンは妖精さんに協力はしていたが、『目的』は違っていた。

「はなちゃんが言うように、私は愛を利用する奴が嫌い。でも私の愛が利用された訳じゃないなら、我慢するだけの分別はあるわ。大体私がその子を殺したら、愛じゃなくて暴力で片を付けた事になるじゃない。それじゃあ、愛が無力だって言うものよ。ま、今回は話し合いの結果はなちゃんの安全は確保出来たし、それに……」

「……それに?」

「私はね、愛を利用する奴は嫌いだけど、愛を語っておきながら、その愛を蔑ろにしている奴はもっと嫌いなの」

 つまり妖精さん側に付いた理由は、本命の死に気付いていなかった奏哉への意趣返し、という訳らしい。はぁ、と小さなため息が花中の口から漏れ出た。

 ……話を通じて、心の中がぐちゃぐちゃになっている。

 自分が人間だからだろうか。正直なところ、真実に対し憤りを覚えている。人の心を弄んだ者をこのまま野放しで良いのかと、義憤のような感情が込み上がる。

【それで? 気に入らない相手だからどうする?】

 花中の表情から、そんな感情を読み取ったのか。挑発とも取れる言葉が妖精さんの持つホワイトボードに浮かび上がった。

「……もし、倒す、と言ったら?」

【この川に暮らす数百の同胞と共に、あなた達を消し飛ばす】

 試しに挑発をし返してみれば、返答は()()()()のもの。

 ホタルの大半は生まれてから一年で成虫となり、その命を終える。長く生きても二年、三年目を幼虫で迎えるのは稀だ。奏哉が二年間アメリカに行っていた事で、奏哉を知るホタルは計画的に寿命を延ばしていた『妖精さん』ただ一匹になっているだろう。

 しかし寿命を迎えた個体達が子孫を残していれば、ミュータントの遺伝子自体は蛍川全域に広がっている筈。

 ホタルの産卵数は五百~一千にも及ぶ。話によれば奏哉の渡米前は数百ものミュータントホタルが居たらしいから、単純計算で数百×数百……彼が渡米した年には、数万から十数万ものミュータント化の可能性を持った子孫が生まれた事になる。

 ミュータントの因子が、ミュータント化出来ない状態での生存に対し、有利に働くか、それとも不利に働くかは分からない。しかしフィアのように花中と出会わずとも立派に成長した例を鑑みるに、不利だとしても案外なんとかなる程度なのだろう。

 ならば数万以上存在する妖精さん達の子孫がたかだか二年で全滅するとは思えない。そして奏哉と花中が訪れた事で、何百ものミュータントが『覚醒』している可能性は大いにある。

「ミリオンさん……」

「パス。面倒臭い」

 チラリと視線を向ければ、ミリオンは即答で拒否。しかし無理とは言っていない。つまり、どうにかは出来る、という事らしい。

「やれと言うならやります。元々そのつもりでしたからね」

 次いでフィアを見れば、こちらは血気盛ん。能力の相性からして、フィア一匹でもホタル達を殲滅出来るだろう。

 勝算は十分にある。戦って勝てない相手ではない。

 ……しかし二体のミュータントが争っただけで、町の一角が壊滅している事実がある。いや、あの時はフィアが引き起こした地震により、多くの人間が本格的な争いに巻き込まれる前に逃げていた。今この瞬間、あれ以上の大規模戦闘が勃発すれば、今度こそ人的被害は避けられない。

 それに、この気持ちは『人間』に偏り過ぎている。

「……止めて、おきます。友達になった、相手と、ケンカは、したくない、です」

【そう。あなたが賢明で助かったわ、本当に】

 花中の返答に、妖精さんは満足げな文字を映した。

 ……これで、本当に終わり。聞きたい事は全て聞き出した。根元に潜んでいた真相を掘り起こす事も出来た。

 それでも花中の胸には、不愉快なキモチがこびり付いて離れない。

 真実は、人間のためにあるのではない。知ったところで満たされるとは限らず、明かしたところで幸福になれる保障なんてない。世界は、人間のためにある訳ではないのだ。

 そんな事は花中も分かっている。

 だけど、人間だからこそやり切れない。奏哉の想いは、彼の恋慕が、全てが残酷な真実に飲まれてしまったと思うのは。何処かに想いの残渣が残っていないのかと、醜く希望に縋りたくなる。

「はなちゃん、もう夜も遅いわ。そろそろ……」

「花中さーん帰りましょうよー私今日は結構暴れたんでもう寝たいんですけどー」

 考えていると、友達二人から帰宅の催促が。真相が明らかとなった今、此処に留まるための『理由』はもうない。特にフィアは表情からしてもう我慢の限界だと言わんばかり。明日の学校の事も思えば、あと一回質問するのが限度か。

 丁度良い。

 最後の質問をしよう。一番大切で、いくらでも夢想が可能な幻想の箱を開けよう。そうすれば心に纏わり付くドロドロは消える筈だ――――例えそれが、期待を完膚なきまでに砕かれた結果だとしても。

「……最後に、本当に、最後の質問、です……あなたは……あなた達は、二階堂さんの演奏を、聴いて、何を、想いましたか?」

 花中からの問いに、妖精さんはしばし佇む。やがてハッキリと、今までの『会話』と変わらぬ確かな文字を浮かび上がらせて答えとした。

 その文章は、花中が読み間違いをしていないのなら、こうだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【演奏って、彼が楽器を使って出していた音の事かしら? 一応空気や水を通じて身体に伝わった震動から、どんな音かは分かるけど……アレ、なんか意味あったの? 心地良い震動とか、気持ち悪くなる震動とかはあるけど、言語じゃないから分かんなかったわ】

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 亡き乙女に、音色は届かない

 

 

 




第三章のテーマは『真実』です。

刑事ドラマなどでは、真実を明かす事をとても重視しています。そりゃ、警察が真実を追求してくれないと一般市民は困ってしまいます。しかし我々は真実を神聖視してはいないでしょうか? 真実の先に幸せがあると、盲目的に思ってはいませんか?

もし、全て幻想だったなら。

欠片一つも、希望がないのなら。

明かさなくて良い真実というのも、あるのではないでしょうか?

……そんな捻くれた発想から、このような結末になりました。ここで明かされた話を花中は奏哉に伝えたのか――――それは敢えて書きません。強いて言うなら『花中はあなたと同じ決断を下した』事でしょう。


さぁて、次回は第四章の予告であります。
今日中に投稿予定です。

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