「とりあえず先手必勝ォォ!」
真っ先に動き出したのは、花中ではなくフィアであった。
誰よりも感情的故に、誰よりもコトアマツに対する鬱憤が溜まっていたのだろう。音速を超える速さで突撃したフィアは、今日まで何度も一緒に遊んできた相手に対しなんの躊躇いもなく拳を振り上げる。
しかしその拳が振り下ろされる事はなかった。
その直前に、フィアの『身体』が吹き飛ばされたのだから!
「ぬぐううううううううっ!?」
「ふぃ、フィアちゃん!?」
何百メートル、いや、何キロにも渡って吹き飛ばされたフィア。瓦礫を吹き飛ばしながら進む姿を見れば、凄まじい力が加わった事は明白だ。
しかし解せない。
少なくとも花中の目には、コトアマツが何かをしたようには見えなかったのだから。一体フィアは何をされたのか?
「今度は、あたしの番!」
花中が思考を巡らせる中、次に動き出したのはミィ。得意の肉弾戦に持ち込むべくコトアマツに肉薄し、そのまま殴り掛かる!
ミュータントと化した花中には、ミィの怪力がどれほどのパワーであるかを理解出来た。大型水爆の力を一点に集めたかのような、出鱈目な運動エネルギー。大地に振り下ろせば地殻変動と気候変動を引き起こし、大量絶滅を招くだろう。生半可な『非常識』では原形を保つどころか、肉片一つでもこの世に残るか疑わしい。
ミィもまた一切の手加減をしていない。しかもミィの拳は正確にコトアマツの頭を狙っている。群体であるコトアマツにとって『頭』に大した意味などないかも知れないが、ミィが抱く攻撃性の強さは十分に物語っていた。
今の花中ならば、ミィの攻撃を『耐える』ぐらいは出来るだろう。しかし拳と共に当てられる野生の闘志によって、大きく怯んだかも知れない。
だが、コトアマツは揺らがない。
彼女は微動だにせず、ミィの拳を顔面から受け止めた。巨大水爆の総出力に値する一撃を受けたのに、瞬き一つしていない。否、それどころか頭がほんの僅かに揺れる事すらない有り様だ。
人類では理解が及ばぬほどの防御力を見せ付けるコトアマツだが、野生のケダモノであるミィ達は既にコトアマツの実力を推し量っている。端からこの程度では倒せないとミィも思っていたのだろう。
「だぁりゃあああああああっ!」
でなければ一片の迷いもなく、一発目以上の威力を秘めた拳を連続で繰り出すなど、出来る訳がないのだから。
瞬きする間もなく何十と顔面に叩き付けられる拳は、しかしそれでもコトアマツにダメージを与えていない。その身が揺れる事すら起きていなかった。周りの大地は漏れ出た僅かな余波だけで吹き飛び、コトアマツを囲うようにクレーターが出来上がっているというのに。
ならばミィの攻撃は無駄かといえば、そのような事はない。何故なら此処には花中が居て、花中の目にはコトアマツの身に起きている現象を『観測』出来たからだ。観測から得られた情報は、勝機を掴むヒントとなり得る。
尤も、此度に限れば全く勝機など見えてこないのだが。
ミィが繰り出した拳は、コトアマツの身体に
ミィがコトアマツに触れられないのは、コトアマツとの間に何か、透明な『壁』のようなものが生じていたからだ。
所謂シールドか? 一瞬そのように思う花中だが、すぐに違和感を覚える。その壁から電磁的性質などは感知出来なかったからだ。奇妙な言い回しだが、まるでそこに『壁』などないかのように見える。確かにそこに『壁』はあると、あらゆる物理現象が示しているにも拘わらず。
「鬱陶しいな」
ミィの攻撃を平然と受け止め続けたコトアマツは、気怠げにその腕を上げる。
するとどうした事か。ミィの胸部が、ぐにゃりと
一瞬の出来事だが、確かに伸びていた。その証に、ミィの体内の骨にはまるで両端を引っ張られたかのように力が加わり、破断する形で骨折している。
そしてミィの身体は、先のフィアと同じように遙か彼方まで吹き飛ばされた! 身体能力の高さ故か、フィアのように何キロも飛んでいく事はなく、精々十数メートルほどでミィは止まったが……ダメージの大きさはフィアの比ではない。ミィは骨折した片腕を押さえ、顰めた顔で受けた痛みの強さを物語る。
「ぐがっ!? くぅ……!」
「み、ミィさん!? け、怪我は……」
「大丈夫! この程度の傷ならすぐに治る! それより――――」
心配から声を掛けようとする花中だったが、ミィはその言葉を遮って何かを伝えようとした。
ミィからの『忠告』が言い終わるよりも早く、花中はミィが何を伝えようとしたのかを察す。
「こんなので終わりか? これでは準備運動にもならんぞ?」
コトアマツの視線が、自分の背中に突き刺さったのだから。
振り返ったのは反射的な行動だった。自分の指先に能力で加速させた粒子を集結させ、発射準備を完了させたのも、全てが本能により勝手に行われたもの。花中の理性は見つめられただけで動揺し、どうしたら良いのか分かっていないのだから。
ミィの拳さえも遙かに上回る高密度の力――――粒子ビームをコトアマツに向けて撃ち込むまで、そこに花中の意思と呼べるものはなかった。撃ち出された粒子ビームはほぼ光速で直進。コトアマツは回避行動を取らなかった事もあり、超高出力の力は難なく彼女の腹部付近を直撃する。
そう、確かに直撃はした。したのだが、コトアマツには
粒子ビームが命中したコトアマツの腹に『穴』が開いていたのである。穴と言ってもコトアマツの身体に、物理的に開いた訳ではない。空間にぽっかりと、『穴』のように見える歪みが発生したのだ。粒子ビームはその『穴』に吸い込まれてしまい、コトアマツ本体には命中していない。
何が起きたのか分からず、呆然とする花中。しかしすぐに我を取り戻し、思考を巡らせる。あの『穴』は一体なんなのだ。どのような原理で開かれた?
それに『穴』の先にある景色が気になる。そこに映るのはコトアマツの身体や、ましてや彼女の背後にある風景でもない。誰かの背中だ。銀色の髪があって、ちっぽけな体躯をしていて……
花中の本能が悪寒を覚えた、その時にはもう全てが遅い。
「きゃぅっ!?」
花中の背中に焼けるような痛みが走ったのは、その直後の出来事だった。
あり得ない出来事が、今正に花中を襲った。混乱する理性に対し、本能が状況を素早く分析。常識だのプライドだの、余計なものを持たない思考回路は一つの答えを直ちに導き出す。
しかしそれはあまりに常識外れの力。本能が導き出した答えに、未だ理性で思考する花中は目を見開いて硬直してしまう。
「……試してみるわ」
痛みと困惑で立ち止まってしまった花中に代わり、次に動き出したのはミリオン。
全身を分散させ雲のようになった彼女は、コトアマツを覆い尽くすように展開。そして周囲に自らの能力……熱を操る力を放出した。
一瞬にしてコトアマツの周囲は加熱され、数千度、数万度もの熱が満たされる。その余波が花中達の下まで吹き付けると、周囲の瓦礫や大地が溶解を始めたではないか。コトアマツから離れている花中であっても咄嗟に能力で身を守らなければ、その余波により焼き尽くされていただろう。
ミリオンは本気だ。ミリオンはミュータントの中でも格別の強さと思っていたが、本気の彼女は背筋が震えるほどの凄まじいパワーを感じさせる。熱とは粒子の運動量であり、粒子操作は花中の『能力』であるのだが……ミリオンが直に加熱している粒子に限れば制御なんて到底出来ない。運動量が大き過ぎて『コントロール』に多量のエネルギーを費やさねばならず、全力を出しても抑えきれないからだ。即ち単純な力負けである。ミュータントと化した花中の力は毎秒十ペタジュールという、メガトン級水爆二発分以上のエネルギーすら操れるが、ミリオンの力はそれを遥かに上回っているのだ。
最早水爆すらも比較にならない、出鱈目な力。大自然の権化という言葉すら陳腐に思えるほど。正直なところ今のミリオンを止める事は、自分とフィアとミィが束になっても出来るかどうか怪しいと花中は感じる。様々な強敵との戦いで成長したにしても、これはあまりに強過ぎだ。二年半前にどうして自分とフィアが彼女に勝てたのか、よく分からなくなってきた。
それほどの力を誇るミリオンでも、コトアマツにはなんの影響も与えられない。
コトアマツの周りに出来た『壁』が、ミリオンが生み出した熱を完全に遮断しているのだから。ミリオンの熱は殆ど減衰なくコトアマツの傍まで伝播しているのに、『壁』を境にしてその伝わりが途絶えている。コトアマツそのものの熱量は、一切変化していない。
「……小賢しいな」
コトアマツはただ一言、心底鬱陶しそうにぼやくのみ。
その一言を境に、またしてもあり得ない事が起きた。
ミリオンが放出している熱が、急速に冷却を始めたのである。
【なっ!? これは――――!?】
「他の連中と比べればマシだが、この程度か。しばらく黙っていろ」
驚愕するミリオンにコトアマツが宣告するや、周囲の大気が更に勢いを増して冷えていく。ミリオンは全力で熱を生み出そうとしているが、低下する温度に歯止めは掛からない。
ものの数秒で、ミリオンが散開していた空間が『絶対零度』に到達する。
即ちそれは粒子の運動量が完全なるゼロとなった状態。散開したミリオンはぽとぽとと地面に落ち、転がる。地面に広がった真っ黒な染みが、彼女の『全滅』を物語っていた。
ミリオンの事だ。例え凍結したとしても、溶けさえすればすぐに復帰するだろう。周りにある常温の空気に接していれば、いずれミリオン自身の温度が上がり、活性を取り戻す筈である。或いは自力で復帰する術も、ミリオンならば持っているかも知れない。
しかしそんなのは、最早なんの希望にもなりはしなかった。コトアマツが持つ途方もない、底すら見えぬ力の前では。
これでは戦意が折れても仕方ない――――
【グルアアアアアアアアアアアッ!】
「フシャアアアアアアァッ!」
そんな弱気な発想を抱くのは、『
地響きと共に現れた、体長三十メートルはあろうかというナマズ顔の怪物……戦闘モードの姿になったフィアが、大地を猛然と駆ける! そのフィアの上に跳び乗る獣姿のミィ。
二匹が目指すのは、無防備に立ち尽くすコトアマツだ!
【ガアアアアアアアアアゴブッ!?】
真っ正面から激突するフィアは、しかしコトアマツを一歩後退りさせる事すら出来ず、自分だけが大きく仰け反る。今の体当たりも天変地異に匹敵する威力があったにも拘わらず。
そしてこれほどの力の差がありながら、手加減こそすれども、コトアマツに容赦や油断はない。コトアマツはフィアに出来た大きな隙を逃さず、小さな指先をフィアへと向けた。
刹那、強烈な風がフィアに叩き付けられる! 大量の水の集まりであり、恐らく数万トンはあろうかというフィアの『身体』が大きく後退していく。
フィアは悔しそうにナマズのような顔を顰めさせた、が、これはチャンスでもある。コトアマツは今、フィアだけを見ているのだ。
フィアの背に乗っていたミィが飛び降り、コトアマツを攻撃するには今が好機。
「喰らえェッ!」
フィアから跳び降りたミィは、流星を上回る速さでコトアマツの背後へと回り込む。花中ですら反応しきれないスピードで死角に回り込むや、ミィは大きく拳を振り上げて
【ウグェッ!? コノ……野良猫! 一体何ヲシテイルノデスカッ!】
「えっ!? なん……!?」
殴られたフィアが怒りを露わにし、ミィが困惑を露わにする。
混乱するのは当然だ。花中だって訳が分からない……コトアマツの背後に回っていた筈のミィが、何時の間にかフィアの側頭部に移動していたのだから。ミィの全力疾走を、反応出来なくても見えはする花中ですら、ミィがフィアの頭の傍まで移動したところを目にしていない。
おかしい。先程からおかしい事ばかりではあるが、今のはおかし過ぎる。
花中が抱いた疑問を当事者二匹が思わぬ筈もなかった。されど悩みはせず、元凶ならば叩き潰せば良いとでも思ったのだろう。フィアとミィは即座に思考を切り替え、激しい怒りをコトアマツに向ける。
【小癪ナアアアアアアアアアッ!】
フィアは腕をドリルのように回転させながら、コトアマツに突き立てた! されどコトアマツはこれにも怯まず、軽くその手を挙げただけ。ただこれだけでフィアのドリルを受け止める……否、止めるだけでは済まない。
コトアマツは掴んだフィアの腕を捻り、あろう事かその腕を
【ナ……ニィ!?】
これにはさしものフィアも動揺を露わにした。液体であるフィアの『腕』は、どれだけ捻ろうが千切れるようなものではない。それを可能とするには水を『固体化』、即ち凍結させるかしかないのだ。しかしフィアの腕が凍ったようには、花中には見えなかった。
一体コトアマツは何をしたのか。直前までの動きに異変はなかったが、ならば影響は内部から受けたのだろうか……
「むっ」
考え込む花中だったが、不意にコトアマツが声を上げる。
捻じ切ったフィアの『腕』が破裂したのだ。フィアの制御下から外れた影響だろう。
天変地異クラスの打撃すら平然と耐える身体には、この程度の衝撃などダメージにはならないだろう。しかし濡れるという不快感は与えられたに違いない。実際コトアマツは表情を顰めており、フィアはしてやったりとばかりに笑みを浮かべた。
そして花中は次の瞬間、ぞくりとした悪寒を覚える。
今までなんのダメージも与えられなかったコトアマツに、小さな不快感を与えた――――フィアが攻撃のターゲットとなるのに、それ以上の理由は必要ない。
コトアマツはギロリと、鋭い眼差しをフィアに差し向けた。
瞬間、フィアの『身体』が
大量の水が元の自然な状態に戻り、四方八方へと飛び散った結果、フィアの本体が露わになる。フィアは大きく目を見開き、大きく驚いていた。とはいえすぐに本能的に危機を察したのか、身体を空中でぐるんと翻す。
体表にあった僅かな水を伝い、飛び散る水を即座に支配下へ置いたフィア。形作る姿は巨大な怪物ではなく、普段用いている人間の美少女だ。その美少女の顔に、驚きと怒りの感情を露わにしている。
「あなた……何をしましたか……!」
「さて、な。考えてみれば良いのではないか?」
激情のまま問い詰めるフィアに、コトアマツは嘲笑うような返答をする。花中ならば言われた通り考えるところだが、ひたすら感情的なフィアにとってその答えは、却って怒りのボルテージを上げるものだったようだ。
「小癪な真似オオオオオオオオオオッ!」
フィアが選んだのは、雄叫びを上げて突撃するというもの。
否、フィアだけではない。
フィアの叫びに呼応するように、ミィがコトアマツの側面目指して駆けていた。大地を砕き、揺らし、全速力でコトアマツ目掛けて爆走している。止まる気配はない。
更にはコトアマツの背後の大地から黒い靄が現れた。凍結させられていたミリオンだ。ようやく活性を取り戻したのか、はたまたこれを好機と判断して動き出したのか。ミリオンは靄のような姿のまま、幅三メートルはあろうかという手を伸ばしてコトアマツに掴み掛かろうとする。
正面、側面、背面……全方位とは言えないが、三方からの同時攻撃。花中であれば、ミュータント化して得られた超速の演算速度を用いても逃げ道が分からない包囲網だ。
されど。
されど、本当に強大な生物から見れば――――足先にアリが三匹たかったようなものでしかないのか。
「散れ、虫けらが」
ただ一言、そう告げるだけ。
ただそう告げただけで、コトアマツの周囲に理解不能の事象が起きる。
半透明で、歪んだ波動。
そうとした形容出来ない、なんらかの力が放たれた。ドーム状に広がっていくコトアマツの力は、今の花中の目にも神速としかいえない速さで広がり、包囲するフィア達を直撃する。
次いで起きる事象は不可解そのもの。
フィアは、水で出来ている身体がぐしゃりと溶けて潰れた。
ミィは、地中貫通弾ですら傷付かない皮膚がズタズタに引き裂かれた。
ミリオンは、再びその身を凍結させられ地面に落ちた。
三匹は同じ力を受けた筈だった。なのに生じた結果はてんでバラバラ。まるでそれぞれの力に応じた事象が起きたかのような光景に、それを遠くで眺めていた花中は唖然としてしまう。
「ぐ……ぬうううぅぅ……! おのれえええええええぇぇぇ……!」
花中が我を取り戻したのは、フィアの雄叫びを聞いてからだった。フィアは崩れた『身体』を強引に立たせ、コトアマツと対峙。フィアはまだまだやる気である。どれだけ強大な力を見せ付けられようとも、折れるつもりは毛頭ないらしい。
しかしぐずぐずに崩れた『身体』に、何時ものようなパワーは感じられない。人間にどうこうできるほど弱ってはいないが、ミュータント相手では不安になる状態だ。またコトアマツの一撃を喰らえば、本体諸共吹き飛ぶだろう。
そしてミィとミリオンが大きなダメージを負った今、フィアを助けられるのは自分しかいない。今まで怯んでいた花中は、ようやく覚悟を決めた。
「あ、え、えと……や、やぁーっ!」
花中は己の指先に力を集め、粒子の輝きをコトアマツに放とうとする。水爆を超えるエネルギー。例え傷は付けられなくても、意識はこちらに向けられる筈だ。
放てさえすれば。
ところがどうした事か。力を集めていた筈の花中の指先は、ぷすんっ、と物悲しい音を鳴らすだけ。
なんの力も、放出しなかった。
「えっ? あ、え!? えいっ! えいっ! ……なんで!?」
何度も何度も力を込めるが、しかし指先から粒子ビームは放たれない。ぷすぷすという間抜けな音と微かな光が出るだけである。
まさかこんな時に調子が狂ったのか? 理性はそんな事を考えたが、されど本能は別の兆候を察知していた。
何か、邪魔をされている気がするのだ。
どんな邪魔か? それに対する答えは持ち合わせていない。だが順当に行けばちゃんと粒子ビームを放てていたという、本能的な直感はある。ならばこれを放てないという事は、なんらかの妨害を受けているとしか思えない。
そしてそんな事を
「……まさ、か」
花中は顔を上げ、コトアマツを見遣る。
コトアマツは、にやりと笑った。花中の考えを読み、認めるかの如く。
次いでコトアマツがパチンッと指を鳴らした、直後花中の身体に衝撃が走る。華奢な身体は十メートルも吹き飛ばされ、瓦礫にぶち当たってから止まった。本来ならこの程度のダメージなど、粒子操作により強度を増した身体の前では脅威にもならない……が、此度は激しい痛みを覚えた。花中は痛みで意識が一瞬飛び、その場に蹲る。
「貴様――――ゴガッ!?」
怒りに満ちたフィアが立ち上がり襲い掛かるも、コトアマツはフィアを一瞥……しただけで巨大質量を誇るフィアもまた吹き飛ばされてしまう。瓦礫の山に叩き付けられたフィアは、そのまま崩れてきた瓦礫に埋もれてしまった。
花中はなんとか自力で立ち上がり、コトアマツの下に数歩戻るが、身体の痛みに耐えかねて膝を付く。正直しばらくは動けそうにない。
能力を用いてミィやミリオン、そしてフィアの様子を探れば、三匹とも生きてはいた。その事には勿論安堵するが、されど三匹が負った傷の深さを理解して恐ろしさも感じる。恐怖から全身が震え、上手く身体が動かせない。
「……さて、全滅させてしまった訳だが、もう終わりか? 計画は現在も進行中だが、早める予定はない。第一コアが始動するまでまだ二時間以上の猶予があるぞ」
対して傷一つ負わなかったコトアマツは、花中達に第二ラウンドの開始を催促してくる。
やはり遊んでいるだけか、と花中は思った。事前に感じていたコトアマツの力からして、ほんの僅かでも彼女が本気を出したなら、自分達は一瞬で跡形もなく消し飛んでいる筈なのだから。
地球という星では収まらないほどの力を有したミュータントが四体、しかも一体はそのミュータントの中でも規格外の力を持った正真正銘の怪物。そんな自分達が一瞬にして全滅させられた。途方もない強さに早くも心が折れそうになる。
されど、なんの進展もなかった訳ではない。少なくとも花中は、コトアマツの『能力』に一つの予想を立てる事が出来た。
「……あなたの、その、力……」
「ふむ、思えば余の力が何かを説明していなかったな。そしてお前はある仮説に辿り着いたらしい。どれ、聞かせてみろ」
促すように尋ねてくるコトアマツ。ゆっくりと開いた花中の口は、しかし何度も空回りする。すぐには言葉という形になってくれない。
ごくりと息を飲み、喉の震えを抑えて……花中はようやく言葉にした。
「あなたは、量子ゆらぎの力を、直接操って、いますね……!」
声に出すのも恐ろしい、その可能性を。
量子ゆらぎは、空間の何処にでも存在している。
もしも量子ゆらぎそのものに干渉出来るのならば、それは万能の力だ。何故ならこの宇宙は量子ゆらぎの偏りから生じたもの……この世に存在する『全て』は量子ゆらぎが大本である。全てとはつまり、重力も電磁波も素粒子も運動も熱も、全てだ。
その力を用いれば、局所的な重力を発生させて空間を捻じ曲げるどころか、ワームホールのように別の場所へとつなげる事も可能だろう。空間さえも『ゆらぎ』の産物なのだから。捻じ曲げた空間そのものが壁となれば、どんな攻撃も届きはしない。そしてその揺らぎが宇宙を誕生させたように、揺らぎ方を変えれば……
コトアマツの出鱈目ぶりを説明するには、これしかない。されどこれは正しく宇宙の真理を自在に操るようなもの。神に等しき力だ。ただの生物でしかない花中達が立ち向かうには、あまりに強大過ぎる。
全く的外れな考えであってほしい。自らの導き出した結論を強く否定する花中であったが、コトアマツはその口許に笑みを浮かべた。あたかも、正解者を褒め称えるように。
「正確には異なるが、大凡正解だ。余は量子ゆらぎに干渉する術を知っている。知っているが、これは余の『能力』ではない」
その花中の印象を、コトアマツは言葉によって一部だけ肯定した。
「本来、余の能力はあらゆる現象の『完全な模倣』だ。その現象を起こした奴の情報が手に入れば、余はどんな力であろうとも扱える」
「……それは、星縄さんと、同じ力……? ううん、あの人は、ミュータントの能力だけしか、真似出来ていない。あらゆる、現象という事は……」
「そうだな、例えば……この星を訪れた異星の生物の力も、余は扱えるぞ」
花中の目の前で、コトアマツはその指先に小さな火の玉を作り出す。ただの火の玉ではない。空気中の水分を用いて『核融合』を起こし、その熱で作り出した火の玉だ。
以前聞いたフィア達の話から、異星の生物……異星生命体の能力は重力操作だと思われる。その力はミュータントの能力にも値するが、異星生命体はミュータントではない。奴等の力はミュータントとは別系統の、なんらかの生理的機能により生じたものの筈。
それをコトアマツは、事もなげに使ってみせた。どんな力でも再現出来るというのは、本当の事なのだろう。
しかし解せない。
星縄の能力もまた『模倣』であったが、その力には限度があった。身体の構造上出来ない事があるし、単純な出力不足も起きている。されどコトアマツにそんな気配はまるでない。おまけにミュータントではない生物の力を、どうやって使用しているのか。
そしてこんな力を持ち得る生物とは、一体なんなのか。
「あなたは、一体……なんなの、ですか……どんな生き物なら、こんな、事が……」
「ほう、余の正体が知りたいか。ならば教えてやろう」
花中が思わず零した言葉に、コトアマツは律儀に応じた。
「人間が名付けた種名を使うならば、余は『ヒルガタワムシ』という生物だ」
「ヒルガタワムシ……ヒルガタワムシ?」
コトアマツが告げた名前を、花中は無意識に繰り返す。最初は、その意味を上手く飲み込めなかった。
されどそう時間を掛けずに理解した時、大きくその目を見開く。
ヒルガタワムシ。それは世界中に広く分布している、極めて普遍的な『微小動物』の一種。体長は一ミリ前後で、そこらの水溜まりにも生息している……と、これだけならばなんとも地味な生き物に思えるだろう。実際生態系において劇的な役割がある訳でもなく、人間がわざわざ意識する必要もないような生物だ。
されどこの生物には、極めて珍しい特徴がある。
無性生殖を繰り返しながら、五千万年も種を存続させてきたという特徴だ。一般的に無性生殖では多様性が確保出来ず、新たな天敵の出現や環境変化により絶滅しやすい。一説によると、単為生殖を行う種は数十万年ほどで絶えてしまうという。とはいえ有性生殖で多様性を確保している生物でも、出現から数百万~一千数百万年ほどで大抵の種は絶滅しているのだが。
ヒルガタワムシの五千万年という存続期間はあまりにも長い。一体どうやってこの種族的長命を持つに至ったのか?
それは、ヒルガタワムシが
謎は未だ多いが、ヒルガタワムシは細菌や植物の遺伝子を取り込む事で多様性を保っているという説があるのだ。遺伝子の水平伝播と呼ばれるこの事象は、単細胞で生きている細菌類ではよく見られるものだが……ヒルガタワムシは『巨大な多細胞生物』。細菌とは訳が違う。
そんな特殊な生態を持つが故に生き残ってこられたとして――――では、その力がミュータント化により大きく引き出されたなら? 遺伝子を取り込む性質が、人智を超えた力に至ったとすれば?
花中が考え付く中で最悪なのは、その性質を理解し、自らのものにするという事。
即ち相手の能力そのものを取り込む事で、力の模倣するだけでなく、能力の『改良』や『改変』も可能だとすれば……
これがコトアマツの力なのだ。火星など地球外への進出も、異星生命体の力を利用したのだろう。
そうして様々な力を手にし、特にミュータントの能力を使う中で彼女は見付けたのだ。ミュータントの能力の根源である、量子ゆらぎに干渉する力を。
フィア達や花中達の身を襲った不可解な事態の数々も、この量子ゆらぎへの干渉が原因か。解析し、読み解いてしまえば、どんな力でも打ち消せるというのはなんらおかしな話ではない。例えそれが宇宙誕生と関わりある力であろうとも、だ。
「さぁて、余の正体は明かした訳だが……どうなんだ? もう終わりか?」
自らの出自を明かし終えたコトアマツは、冷めた表情で花中を見下ろしながら問う。
花中は、何も答えられない。
感情のままの行動なのだから、考えなしなのは当たり前の事。だけど、こうもコトアマツが圧倒的とは思わなかった。神そのものを相手取るような戦いに、一体どうやって勝てというのか。神そのものである彼女が避けたがっている、宇宙の終焉の回避策をどうして閃くと思えたのか。
勝てない。思い付かない。
わたし達では、コトアマツさんを――――
「さっきから……ごちゃごちゃとおおおおおぉぉぉぉ……!」
花中の脳裏を過ぎる言葉を遮ったのは、唸り声のような親友の声だった。
花中は反射的に声の方を振り向く。そこには美少女形態を取るフィアが、瓦礫の山から這い出す姿があった。散々やられていて、少しだけ伸びていたのだろうか……その体力を回復させ、戻ってきたのだ。
何度でも立ち上がる親友の姿は、花中に勇気をもたらす。けれどもあまりにもちっぽけな勇気。コトアマツという強大過ぎるものを相手取るには全く足りない。
勝てる筈がない。
されどフィアはそんな事実など気付いてもいないかのように、どんどん前進していく!
「ふぃ、フィアちゃん!? 待って!」
「あぁん? ……ああ花中さんじゃないですか。どうしたのです?」
「ど、どうもこうも、ないよ! なんで……そんな……コトアマツさんに勝つのは、無理だって、分かるでしょ? あの子の力は、それこそ神様のようなものなんだよ!」
これ以上親友に傷付いてほしくない。その一心で花中はフィアを引き留めようとする。花中の諦めの言葉に、コトアマツはつまらなそうに鼻息を吐いた。
されどコトアマツが好奇の表情を取り戻すのに、さしたる時間は必要としない。
「神の力? そんなものでこの私を打ち倒すなどなんともくだらないですねぇ!」
フィアの、あまりにも強気な言葉がコトアマツの気を惹いたのだから。
「……随分と強気だが、余を打ち倒す術があるとでも?」
「ふんっ! 当然です! 先程のはちょっとした準備運動でしかありませんよ! ここからが本番です!」
「ほう。これほどハッキリと余に勝利を宣告するか。少し興味がある。教えてみろ」
コトアマツが問えば、フィアは「ふっふっふっ」と自信満々に笑ってみせる。中々答えないフィアだが、勿体振ってる訳でも、隠そうとしている訳でも、ましてや虚勢という訳でもないと花中には思えた。
フィアにはあるのだ。コトアマツに勝利する道筋が。
自分には全く見えていないものが、フィアにはハッキリと見えている。それがなんなのかが分からない花中は、じっとフィアを見つめた。
するとフィアもまた花中に視線を向ける。ニヤリと不遜な笑みを浮かべ、胸を張りながら己の自信を花中に示した。
そしてフィアはコトアマツの方へと顔を向き直し、
「この私と花中さんが一緒に戦っているのです! 勝つに決まっているじゃないですか!」
堂々とそう答えた。
……コトアマツも花中も黙って聞いたが、続きは何時まで経っても語られない。
フィアは本当にそう答えただけ。理屈も何も言わず、けれどもフィアは胸を張り続ける。まるで、これだけで十分だと言わんばかりに。
そんな印象が事実である事を、終わらないフィアの沈黙がハッキリと物語った。あまりにも雑な意見に、コトアマツどころか花中さえも困惑したように表情を歪める。いや、むしろ花中の方がずっと戸惑っていた。
「あ、あの、フィアちゃん? もうちょっと、こう……根拠というか、そういうのは、ないの?」
「根拠?」
つい花中の方から問うと、フィアはキョトンとしてしまう。何故そんな事を問うのか、まるで分からない様子だ。演技などではなく、本心からそう思っているのだろう。
「友達と一緒なら普段よりずどーんっと凄い力が出せるでしょう? 根拠なんてこれで十分じゃないですか」
でなければ臆面もなく、そう答えられる筈がないのだから。
いよいよ花中は言葉を失った。自信満々だったフィアの『作戦』が、友達と一緒だからというだけのものなのだから。根拠が薄いだとか、理論が破綻しているだとか、そんな状態ですらない。
人間だったなら、例え幼子でも言えないような言葉。無邪気さを通り越したその言葉を形作るのは……きっと本能の衝動。心から湧き出す感情のみ。
ただただこうありたいと願うだけの、理性など一欠片も含まれていない親友の言葉に――――花中は思わず
「ぷ、ぷはっ! あはははははっ! フィアちゃん、それは、あはははははっ!」
「……あれ? 私そんなに変な事言ってますか?」
フィアとしては、本当に本気の発言だったのだろう。花中に笑われて、怒るよりもキョトンとしている有り様。
反面コトアマツは、どんどんと不機嫌になっていく。
「……くだらん。戯れ言に付き合って損をした」
「ああん? 私の言った事の何が戯れ言だというのですか」
「自覚すらないか。阿呆が。最早貴様といても得るものなどない。跡形もなく吹き飛ばしてくれよう」
フィアが反発した事で、いよいよ怒りが限界に達したのか。コトアマツは力を乗せた腕を、ゆっくりと上げていき
「阿呆は、わたし達の方ですよ、コトアマツさん」
その動きを止めたのは、花中の小さな一言だった。
「……何?」
「フィアちゃんだけです。気付いたのは。わたしも、あなたも、なーんにも、気付いていない」
「……なんの話だ。気付いていない?」
眉を顰めるコトアマツ。対する花中は不敵で、自嘲した笑みを浮かべた。
ああ、そうだ。何故こんな簡単な事に気付かなかったのか。今の今まで考えすら過ぎらなかったなんて、これでは自分もコトアマツと
だけど、これで変えられる。
この方法ならば、きっとコトアマツを――――
「まさかとは思うが、余を倒す術でも見付けたとでもいうのか?」
花中の表情の変化を見て、そう思ったのか。コトアマツがそう尋ねてくる。
花中は、首を横に振った。
「いいえ。あなたを、倒す術では、ありません」
花中からの答えに、コトアマツは驚いたように目を見開く。そして花中が何を考えているのか、それを探るためかじっと観察するように見つめてきた。
或いは花中が嘘を吐いているとでも思ったのかも知れないが……生憎花中は嘘も誤魔化しもしていない。
そう、コトアマツを倒す術など何も閃いてはいないのだ。花中が思い付いたのは、もっと素敵で、もっと『楽しい』事。
「あなたを、助ける方法です!」
孤独と恐怖に震えている『友達』を助け出す、その方法なのだから――――
次回、最終決戦。
決着のヒントはミュータントの力の根源たる、量子ゆらぎです。
次回は12/27(金)投稿予定です。