彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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生命の王2

 『コトアマツ』。

 それは古事記の天地開闢……世界が生じた時に誕生した()()()()()を指し示す『ことあまつかみ』を元にした名前だろうか。この神々は神話的な活躍こそないが、有名どころである天照大神や、国産みを為したイザナギやイザナミよりも別格であるとされる。

 それほどの高次に位置する神々の、しかも集団の名を冠するという事は、至高の神すら単独では己の足下にすら及ばないという意味を込めているのかも知れない。最早傲慢どころの話ではない、と言いたいが……コトアマツから放たれる力の前では、自然とその傲慢を受け入れてしまう。神という言葉すら生温い、そんな存在感が小学生程度の体躯しかない少女にあるのだ。

 傲慢にして強大。覚悟はしたが、やはり一筋縄ではいきそうにない

「ちなみにこの名前を付けたのはわたくしですわ~」

「別に名前など要らんと言ったのだがな」

「あら、友達からのプレゼントは素直に受け取っておくものでしてよ? あと名前がないと呼ぶ時に困るじゃありませんの。ねぇ、コトちゃん」

「折角付けた名前を五秒で略した癖に……」

 等々考えていた花中だったが、あっさり明かされた命名秘話を聞いてずっこけた。傍で同じ話を聞いていたフィアと晴海と加奈子は、突然ずっこけた花中を怪訝な目で見つめる。ミリオンだけが、同情するような眼差しを向けてくれた。

 どうやらコトアマツ自身は、己の名前にも興味がないらしい。名付けたオオゲツヒメも、真面目に考えたのか怪しいものだ。というかミリオンを除けば、誰も花中のような『勘繰り』はしていなかったらしい。

 どうにも変に空回りしている気がする。

 コトアマツの力を気にし過ぎているのだろうか。そうかも知れないと、花中は自戒する。名前によって自らの力を誇示するなんて、実に人間的な考えではないか。野生生物にそんな決まりはない。相手の『強さ』を元にして妙な勘繰りをしたところで、辿り着くのは的外れな妄想でしかないのだ。

 気持ちを落ち着かせようと、花中は一度深く息を吸い込む。次いで空を仰ぎ、青空を見ながら吐いた。

 その時、ふと気付く。

 太陽が高い。

 よく晴れた冬の青空……そういえばそろそろ十二月に入ろうとしている頃か……には、優しく輝く太陽がある。その太陽は今、この時期としては最も高い位置で輝いていた。

 即ち今の時刻は、正午近くという事になる。

 故に花中は顔を青くした。何故なら花中は――――今日も今日とてこの避難所の料理当番をしている身なのだ。

 そしてキッチンでもなんでもない、ゴミ捨て場の近くに居て、料理なんて出来る筈もなく。

「わ、忘れてたぁ!? も、もうご飯作らないと!」

「あら、確かにもうお昼頃ですわね。じゃあもうすぐ花中ちゃんの料理した、とっても美味しいお肉が食べられるんですの?」

「え? あ、はい。えと、そうなりますけど……」

 オオゲツヒメからの問いに花中が答えると、オオゲツヒメは満面の笑みを浮かべる。

「まぁまぁまぁ! それは楽しみですわ! ああ、出来ればお手伝いをしたいのですけれど!」

「……なら、食堂の方に来る? 食器とか置かないとだし、あと避難所の人に挨拶を済ませないと、流石に料理は出せないわよ」

 はしゃぐオオゲツヒメに、ミリオンがそう尋ねる。オオゲツヒメはハッとしたように目を見開き、大きく開けた口を隠すように手を当てた。

「あっ! わたくしとした事が……そうですわね。まずは此処の住人の方々に挨拶をしませんと」

「じゃあ、私が案内するわ。まぁ、食べ物の量は十分あるから、基本来る者拒まずで受け入れられるわよ……人を食べなきゃだけど」

「勿論、美味しいお肉をいただけるのでしたら約束は必ず守りますわ。嘘を吐くなんて、そんな敬意に欠ける事わたくしには出来ませんもの」

 余程『美味しい肉』が楽しみなのか、オオゲツヒメはミリオンの提案にあっさりと乗る。

 ミリオンは花中をチラリと見て、一瞬だけウインクをしてきた。こっちは任せて、という意味だろうか。花中がぺこりとお辞儀をすると、ミリオンはオオゲツヒメを引き連れて食堂の方へと歩き出す。

 『人喰いの怪物』としては拍子抜けするほど素直で、しかも礼儀正しい姿。あれが演技ではなくオオゲツヒメの素であると、花中は以前の出会いから知っている。

「よーし、私も食堂の方に行こーっと!」

 そして抜けているようで案外人心を見抜くのが得意な加奈子は、オオゲツヒメの素に気付いたようだった。

「え、ちょ!? 加奈子!? アイツ人喰うって話忘れたの!?」

「大丈夫っしょ、ミリきちが一緒だし」

「君子危うきに近寄らずって諺を知らな、って、話を聞けぇー!?」

 晴海の制止も虚しく、加奈子はミリオン達の下へと駆け出す。晴海も一瞬右往左往した後、慌てて加奈子の後を追う。

「……良いんですか花中さん。アイツほったらかしにして」

「あ、うん。多分、大丈夫かな……お肉を食べるためなら、人を食べないみたいだし」

「そうですか。まぁ花中さんがそう言うのでしたら私は構いませんけどね。今更花中さんを食べようとしたところで返り討ちでしょうし」

 フィアは花中に近付くと、当然のように背中から花中に抱き寄せた。今ではすっかりフィアの定位置。花中としても、背中にフィアが居ると少し落ち着いた気持ちになれる。

 ……さて、残るは『一体』。

「あ、えと……コトアマツさんは、どう、されますか? わたしは、これから料理をしに、行くのですけど……」

 花中はコトアマツに問う。するとコトアマツはニヤリと、実に尊大な笑みを浮かべた。

「無論お前と共に行く。観察しないといけないからな」

 当然のように語られた言葉に、花中は苦笑いを浮かべる。

 美味しいお肉を食べさせないと、満足出来なかったオオゲツヒメが人間を襲い出すかも知れない。

 だけどじっと観察されている中で何時も通りの料理が作れるという自信は、恥ずかしがり屋な花中にはあまりないのだから。

 ……………

 ………

 …

 尤も、花中のそんな心配は、キッチンに辿り着けば遠くに飛んでしまった。

 廃材を積み上げて作っただけの、簡素な調理台。瓦礫の中から引っ張り出したボロボロのフライパン。フィアが集めてくれた水がなみなみと入っている凸凹なブリキのバケツ。

 お世辞にも綺麗とは呼べない環境だが、調理器具と料理に欠かせない水があるのだから間違いなくキッチンだ。星縄が襲撃した際、幸いにして此処は巻き込まれず、これといった修復も受けていない。だからこそ花中にとっては、他の施設よりも慣れ親しんだ場所である。

 此処は自分の『場所(テリトリー)』。

 その安心感が花中の心にやる気と自信を生み出す。後ろにはコトアマツが居て花中をじっと見ているが、今は恥ずかしさなど感じていない。むしろ「さぁ、わたしの実力を見せちゃいますよ!」という気持ちが湧いてきていた。

「うーん花中さんすっかり自信満々になりましたね。前々から思っていましたが花中さん調理場に立つと少し性格変わりませんか?」

 ……今も後ろから抱き付いているフィアに内心を見抜かれると、やっぱり恥ずかしくなってくるが。

 もじもじしてしまうと、コトアマツの方から呆れるような鼻息が聞こえた。

「観察をしているのだから、出来れば自然体でいてほしいのだがな」

「あ、す、すみません……」

「無視して良いと向こうも言ってますし無視しましょう花中さん」

「自然体と無視は、違うと思うんだけど」

 コトアマツの言い分を都合良く解釈するフィアに、花中はくすりと笑みを零す。

 何時もの調子を取り戻した花中は、改めてキッチンと向き合う。念のため深く息を吸い、ゆっくりと吐き出せば……本調子を完全に取り戻した。

 さぁ、料理を始めよう。

 調理台の下から包丁とまな板を取り出す。フライパンを調理台の端に置けば準備は万端。あと食材を此処に持ってくるだけ。

「よっと」

 花中はキッチンから見て右手側に、真っ直ぐ手を伸ばす。

 その先にあるのは、地面に置かれた長さ二メートル幅五十センチほどの木の板。

 花中が手を差し向けると、板はカタカタと独りでに揺れ、意思を持つように立ち上がる。板の下には穴があり……しばらくするとふわふわと、表面が真っ白な肉が飛んできた。

 白饅頭の肉である。板の下はフィアの手により掘られており、大きな『倉庫』となっているのだ。そこにしまわれている白饅頭の肉を花中の粒子操作能力で動かし、キッチンまで運んできたのである。その気になれば原水爆を凌駕する攻撃が可能な能力も、こうして使えば家庭的なものと化す。

 どんどんどんどん肉を持ち出し、出てきた量は五十キロ。現在避難場所で生活している人の数は約七十人のため、一人当たりの肉の量は約七百グラムだ。焼くと水分や脂肪分が抜けるため少し軽くなるが、それでも六百グラム前後はあるだろう。

 能力に目覚めた花中は白饅頭肉の成分を正確に把握出来、百グラム当たり約三百キロカロリー、六百グラムで一千八百キロカロリーになる事を知っている。一般的な成人男性の基礎代謝が一千五百キロカロリーとされており、三食この肉を食べると五千四百キロカロリーなので、そのままでは三千九百キロカロリーもオーバーしてしまう。しかし避難所内では肉体作業が多く、多くのエネルギーが必要だ。そのため文明崩壊前よりも食事量は多めにしている。十三世紀頃のヨーロッパに暮らしていた漁師達は一日八千キロカロリーを摂取していたというので、避難所での摂取カロリーは決して多過ぎるものではあるまい。

 肉の塊を一人分に裁断すれば、後は火加減に注意しながら焼くだけ。これにて昼食の準備は完了である。無論加熱調理は料理の味を左右する、極めて重要な行程だ。普段から料理には全力を尽くしているが、今日はオオゲツヒメを満足させるため一層気合いを入れねばなるまい――――

 そう考えていた中で、花中ははたと気付く。

 まだコトアマツの『好み』を聞いていないではないか。

 コトアマツの正体がなんであるのかすら、花中は知らないのだ。もしかすると肉を食べられない、それどころか毒になるかも知れない。食べるにしても、焼いた方が好みなのか、或いは生が好きなのか、そういった嗜好も分からないのである。

 怒らせたくない、という気持ちも少しはある。しかしそれ以上に、純粋にコトアマツの身が心配なのだ。料理を作る者として、美味しくないもの、身体に悪いものを与えたくない。

「あの、コトアマツさん。お肉は、食べられますか?」

 花中は振り返りながら、コトアマツに尋ねる。コトアマツはしばし黙り、やがて目をパチクリさせたのは、その問いが自分に向けられたものと思わなかったからか。

「余に食事は必要ない。何も出さなくて良いぞ」

 何しろ食べ物が不要なら、自分の好みを聞かれるなんてあり得ないと無意識に思うだろう。

 尤も、食べなければ生きていけない動物である花中にとっても、この答えは想定外。あまりにもハッキリと拒絶された花中は大きく動揺してしまった。動揺し過ぎてぽろんと手から包丁が落ち、地面に突き刺さる。

「ふぅーん食事が要らないのですか。じゃあどうやって生きているんですか? 植物みたく水と光だけとか?」

 呆けた花中に代わりフィアがコトアマツに尋ねる……が、コトアマツは答えない。

 フィアを無視しているのか。少なくとも尋ねた当人であるフィアはそう思ったのか、眉間に皺を寄せて露骨に不快感を露わにする。

 しかし花中は違和感を覚えた。コトアマツが一切、本当に一切反応していなかったような気がしたのだ。

 もしかするとフィアが出している声の波長だと、彼女には上手く聞こえないのだろうか? 生物種的にある種の波長が感知出来ないというのは、あり得そうな話だと花中は思う。

「えっと……あの、食事を取らないなら、どうやって、活動のエネルギーを得ているのですか?」

 今度は花中が、フィアがしたのとほぼ同じ問いを投げ掛ける。

 今度の少女は胸を張り、自慢するように答えてくれた。

「基本どのようなエネルギーだろうと問題なく取り込める。熱も光も余にとっては糧だ」

「熱も光も、ですか……」

「とはいえこれも非効率だからな。今はもっと効率的なエネルギーを利用している」

「もっと効率的?」

 少女の語る話に、花中は首を傾げる。

 地球に降り注ぐ光は、それこそ莫大なエネルギー量を誇る。植物はこの恩恵を手中に収めた生物であり、文字通り地球を覆い尽くすほどに繁栄した。熱についても莫大なものがあり、例えば地熱のエネルギーは四十四テラワット……百万キロワット毎時の出力を誇る原子力発電所四万四千基分ものエネルギーが常に生み出されている。熱というのは『質』が低いエネルギーなので変換するのは中々大変だとは思うが、しかし有り余るエネルギーなのは間違いない。

 これらより『効率的』なエネルギーとはなんだろうか?

「えっと、どんなエネルギーなのですか?」

 全く想像が付かず、花中はコトアマツに尋ねる。

「うむ。空間を満たすもの……ヒトの知る概念の中で最も近しいのは、真空のエネルギー、或いは量子ゆらぎと呼ばれているものだな」

 コトアマツは大した話ではないかのように、さらりと答えた。

 成程、量子ゆらぎか。それなら確かに熱や光よりも莫大なエネルギー源であり、しかもどんな時にも引き出せるからとても便利

「り、りりりり量子ゆらぎぃぃぃ!?」

 とまで考えて、コトアマツの言葉に花中は驚愕する。あまりの驚きぶり故か、仰天する花中など見慣れている筈のフィアが目をパチクリさせていた。

「花中さん? 何をそんなに驚いているのですか?」

「い、い、いや、だって、だって……」

 フィアに尋ねられる花中だったが、上手く口が回らない。パクパクと、喘ぐように開閉するのが精いっぱいだ。

 量子ゆらぎとは、この宇宙のあまねく場所に存在する力である。

 空間では『何もない場所』であっても唐突に素粒子が生じている、というのが現在の量子物理学の見解だ。この素粒子は誕生時に反対の性質を持つ素粒子も生んでおり、次の瞬間には対消滅を起こして消えている。そして本当にあらゆる所で無数に生じているため、人間という『マクロ』な視点で見た場合、そこでは一切のエネルギー変動が起きていないように()()()のだ。つまりある一定範囲内をそれなりの時間 ― この『それなり』も人間に認識可能な長さではない ― 観測した結果プラスマイナスゼロというのが、この世界を形成する土台の実情という訳である。

 このような状態を基底状態と呼び、余程ミクロの、素粒子レベルでの視点でない限り意識する必要はない。とはいえ、ではこれがちっぽけで無意味なものかと言えば、それもまた否だ。何しろこれは無から有が生まれている事象であり、実質無限の力である。突然目の前で無限のエネルギーが放出されないのは、無限大のプラス方向の揺らぎが無限大のマイナス方向の揺らぎと打ち消し合い、差し引きゼロになっているが故の事。感覚的には全く理解出来ないものだが、論理的にはそうとしか説明出来ない。

 そしてあらゆるところで生じている量子ゆらぎの局所的な『偏り』が、この宇宙を誕生させるほどのエネルギーを生み出したというのが『インフレーション理論』だ。

 あくまで説とはいえ、宇宙の在り方に関与する力。おまけに量子ゆらぎの性質からして、枯渇する心配のない『無限』のエネルギーである。もしもこの力を手にしたならば、それは神と呼ぶしかあるまい。完全な制御が出来れば、理論上は宇宙の創造と終焉を完全に操れる筈なのだから。

「ふむ、余を讃えるのは良い事だ。が、驚かれるようなものではあるまい。お前やそれもこの力を使っているのだからな。尤も余のように活動エネルギーには転換していないようだが」

 そんな花中の驚きを加速させたのが、コトアマツが付け足したこの言葉。

 コトアマツは話しながら、花中とフィアを指差していた。フィアと花中に共通する力とは? フィアはキョトンとしていたが、それが分からぬ花中ではない。

 つまりミュータントの力の源とは、量子ゆらぎなのだ。

 これが事実だとすれば、ミュータントは誰もが創世の力を有している事になる。日本だけで一万匹も神と呼ぶに値する力の持ち主が闊歩しているなんて、恐ろしいにもほどがある話だ。

 しかしながら、これなら確かにミュータントの出鱈目な力の説明が付く。フィアの一日の食事量は、大きく育ったイモムシが数匹。変温動物であるフナとしては大食漢であるが、その気になれば都市の一つ二つを滅ぼせる能力の『エネルギー源』としてはあまりに効率的過ぎると花中は思っていた。恐らく食事から摂取したエネルギーは、量子ゆらぎからエネルギーを引き出すための『呼び水』として用いられているのだろう。

 ……自らの力のエネルギーが何処から来ているかなんて、花中にも今まで分からなかった。されどそれも当然の事。この世に自分の生命活動に使われているエネルギーが、細胞内で行われているATPの加水分解により得られていると体感的に自覚している人間など一人もいないのだから。

 ミュータントも同じだ。花中やフィアだけでなく、ミリオンやミィも自分の力の出所など知らないだろう。

 それを知るコトアマツは、恐らく誰よりもミュータントの力に精通している。力の根源を知っていれば、より効率的に強い力を出せる筈だ。

 こうしたところからもコトアマツの強大さが分かり、花中は思わず息を飲む。そしてコトアマツは恐怖する花中を前にして、つまらなそうに唇を尖らせた。

「……ふん」

 次いで不機嫌そうにそっぽを向いてしまう。

 コトアマツの機嫌を損ねてしまったらしい。原因は不明だが怒らせた事に花中は震え上がったが……されどすぐに違和感を覚える。

 何か、妙だと思った。

 コトアマツの事など、花中は殆ど何も知らない。何故いきなり機嫌を損ねたのかなんて知りようがないし、語られた内容が理解可能なものである保障もない。

 だけど、今のコトアマツを見ているとこう感じるのだ。

 まるで何か、期待をしていたかのような……

「花中さんお肉を焼かなくて良いのですか?」

「え? あっ……」

 考え込む花中であったが、フィアに指摘されて自分が調理中であった事を思い出す。料理当番である自分が手を止めれば、その分食事の時間も後ろ倒しだ。ただでさえ遅れ気味なのだから、ここでのんびりする訳にはいかない。

 ふるふると顔を横に振り、頭の中にある疑問を一端隅へと追いやる花中。とりあえず今は料理と真剣に向き合う。

 粒子操作能力によりフライパンを構成する元素を震動。粒子の運動量増加という『加熱』を起こし、満遍なく熱したフライパンに花中は白饅頭の肉を投入し――――

 

 

 

「んふわああああ! 美味しいですわぁ!」

 口いっぱいに肉を頬張った美少女が、心からの歓声を上げた。

 場所は移り食堂。避難所に建てられた掘っ立て小屋にて、オオゲツヒメは幸せいっぱいの笑顔を浮かべていた。食べているのは、勿論花中が焼いた白饅頭のステーキ。

 食堂には花中含めた避難者達六十八人が居て、彼等も花中が焼いた白饅頭のステーキを食べている。オオゲツヒメには一番上手く出来たものを渡した……という事はしていない。誰に食べさせるものだろうと、依怙贔屓などせず、全てに同じだけの力を注ぐ。そうして出来上がったものなのだから、「これが一番上手く出来た」なんてものは存在しない。それが『料理人』としての花中の矜持である。

 そもそもオオゲツヒメの詳細な好みが分からないのだから、何を以て『一番』を決めれば良いのかという話であるが……幸いにして、白饅頭の肉はオオゲツヒメの味覚に合っていたようだ。まずは一難去ったと、花中は安堵の息を吐く。両手に持ったお盆で顔の下半分を隠し、照れたように笑った。

「気に入って、いただけたなら、何よりです。えと……人間と比べて、どう、ですか?」

「うーん、甲乙付けがたいところですけど、やっぱり人間かしら。だけどしばらくはこれだけでも満足出来そうですわー」

「そ、そう、ですか」

 オオゲツヒメの正直な感想に、花中は僅かに頬を引き攣らせる。どうやら危険性は残ったままらしい。今すぐどうこうとはならないようだが……

「もー、大桐さんは心配性だなぁ。ヒメちゃんなら大丈夫でしょ!」

 そんなオオゲツヒメと腕を組み、ニコニコと笑う加奈子の姿は、花中からすると無謀としか思えない。

 そしてそれは花中だけの印象ではないようで。

「加奈子! またそんな抱き付いて! 食べられたって知らないわよ!?」

「大丈夫! 食べたくなったらその前に教えてって頼んでいるから! 逃げるためにね!」

「ええ。人間が食べたくて我慢出来なくなったら、加奈子ちゃんにはちゃーんと教えますわ。大事なお友達との約束ですもの!」

「それ絶対喰う五秒前に教えるやつでしょ!? 間に合わないって絶対!」

「あら、そんなつまらない真似はしませんわ。そもそも加奈子ちゃん、あまり美味しくなさそうですから余程空腹じゃないと齧ろうとも思えないでしょうし。何しろ臭くて」

「えっ。私、臭い? お風呂もっと入った方が良い感じ?」

「いえ、汚れというより、単純に生理的に受け付けない臭いというだけですわ。なんというか、クサヤとか、ホンオフェとか、キビヤックみたいな?」

「酷いラインナップ!?」

「つーか、一応どれも現地では普通に食べられている物なんだけど……」

 わいわいきゃっきゃっと、人喰いモンスターと暢気に談笑する一人と、その一人を心配する人間一名。

 これもある意味打ち解けた、と言えるのだろうか? 花中的には、相手を友達だと本心から思いながら、その友達を平然と食べようとするオオゲツヒメとはあまり交流を持ってほしくないのだが……オオゲツヒメの向かいにはミリオンが座り、花中の傍に居るフィアも睨みを利かせる。この中でオオゲツヒメが大きな行動を取るとは思えない。

 それにオオゲツヒメは正直だ。臭くて加奈子には食欲が湧かないというのなら、実際湧かないのだろう。なら、今すぐどうこうなるとは思わない。

 思わないが、もう一つぐらい楔は打つべきだ。

「……もしも、この避難所の人達に、手を出したなら、もう二度と、このお肉は出しませんからね」

「はーい♪」

 花中が打ち込んだ『楔』を、オオゲツヒメは嬉々として受け入れる。拘束力は殆どないが、少しは衝動の歯止めになってくれるだろう。

「それはそうと、コトちゃんも一口食べませんこと?」

 花中の心配を他所に、オオゲツヒメは加奈子が抱き付いているのとは逆の方を見遣る。

 その椅子には一人の少女、コトアマツが座っていた。

 コトアマツの前に料理は一切置かれていない。食事は不要だと断られたからで、実際コトアマツは平然としている様子だ。自分の前に食事が置かれていない事を、本当に気にしていないのだろう。

 花中としては、それはそれで安心出来るところ。しかしそれでも……

「もぉー、一口ぐらい食べれば良いのにぃ。だから大きくなれないんですわよー」

「結合エネルギーを、わざわざ熱エネルギーにするのが勿体ないだけだ」

「ふふっ。本当に勿体ないのはどちらかしら」

 コトアマツをおちょくるように話していたオオゲツヒメが、くるりと花中の方に視線を向けてきたのはそんな考え事をしていた最中だった。

 オオゲツヒメと視線が合った花中は、思わず身体が跳ねた。襲われ、食べられそうになったトラウマが未だ残っているのだろうか。オオゲツヒメよりも強くなった筈の身体が、ビクビクと縮んでしまう。

 されどオオゲツヒメは、怯える花中にニッコリとした笑みを向けるのみ。

「花中ちゃん。期待していますわよ?」

 次いで発した言葉は、一方的な信頼感。

 あまりにも不可解な言動に、花中の身体の震えはすぐに収まった。しかしオオゲツヒメは花中に自身の言葉の意味を説明する事もなく、加奈子や晴海との談笑を楽しみ始める。

 単なる戯れ言だろうか。

 多分そうだろうと思う花中。けれどもどうにも胸の奥に引っ掛かる。ちゃんと尋ねれば答えてくれるのだろうか? もしかしたらそうかも知れないが、今のオオゲツヒメは加奈子や晴海との会話で盛り上がっていて、口を挟み辛い。

「かなかねーちゃーん! おにくおかわりー!」

「わたしもわたしもー!」

 そうしてもたもたしていると、食堂の何処かから子供の声が花中を呼んだ。

 声の方へと振り向けば、小学校高学年ぐらいの二人の子供が、立ちながら空になったお皿を掲げている姿が目に入る。兄と妹だろうか。親に窘められ二人は座らされたが、彼等の伝えたい事はしかとこちらに届いた。

 どうやらお代わりをご所望らしい。

 この避難所では、お代わりを想定して多めに作るという事はしていない。白饅頭はフィアが十分な量を獲ってきてくれているとはいえ、荒廃した今の世界において大変貴重な食糧である。そこため少しでも残飯を出さないようにするため、お代わりは必要になったら随時作る方式なのだ。調理法が基本生か焼くかの二択なので、出来上がるのに時間が掛からないからこそ可能な方式である。

 小学校高学年といえば食べ盛りなお年頃。身体を作る材料であるタンパク質は、もりもり取ってもらわねばなるまい。

「……はーい! ちょっと、待っててくださいねー!」

 頭の中にあったものを、一端隅へと押し込む。オオゲツヒメの真意は気になるが、後で尋ねれば良いだろう……そう考えながらキッチンへと戻った。

 尤も、そんな時に限ってお代わりを求める人が続出したり。

 能力を使えば焼き肉など簡単に出来上がるが、長年の経験があるからか、フライパンで調理する方が上手く作れる。そのため花中は求められたお代わりに、一つ一つフライパンによる調理で応えた。要望に応える事ばかり考えて、先程まで自分が訊こうとしていた事をすっかり忘れてしまう。

 無論とても大事な事ならば、忘れないようメモを残すなりなんなりしただろう。が、戯れ言かも分からぬ言葉にそのような手間をする筈もなく。昼食時を終えた時、花中はオオゲツヒメの言葉などすっかり忘れてしまった。

 そう。この時オオゲツヒメの思わせぶりな言葉に、大した意味などないと思っていたのである。心配性な花中さえも。ならば食堂に居た誰もが気にしなかった筈だ。

 故に誰も、その言葉の意味に気付かなかった。

 あの時が訪れるまで――――




人喰いさんと正体不明のトンデモ生物との共同生活!
うん、ゾッとするね。

次回は12/7(土)投稿予定です。

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