彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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第二十一章 生命の王
生命の王1


 身長は花中よりもずっと低い。顔立ちはあどけなく、顔に浮かべている不敵な笑みさえも愛くるしく見える幼さだ。手足は細く、小学生の男子が体当たりしただけで簡単に折れてしまいそうな気がする。

 着ている服は水色のワンピースで、柄も何もないシンプルなデザインのもの。一見して普通の服のようだが、しかし衣服に傷はおろか、土や埃による汚れすら見当たらない。かなり整備されてきたとはいえ、此処避難所内は乾燥した土が剥き出しになっており、少し風が吹けば簡単に土埃が舞い上がる。今日のように、よく晴れた日の屋外となれば尚更だ。どんな新品の服でも、五分もすれば黄ばんだ土汚れが満遍なく付くだろう。にも拘わらず少女の服は美しい色合いを保っており、神秘的な印象を見る者に与える。

 ワンピースは膝丈ほどの高さで、露出している足には靴下どころか靴も履いていない。裸足で荒れ果てた大地の上に立っているが、その足には目立った……否、小さな傷すら付いていなかった。避難所の住人の手によりこの辺りはよく掃除されていたが、それでも小石や砂粒などは地面から取りきれない。そもそも踏み固められた地面の凹凸というどうやっても取り除けないものさえも、足を傷付ける凶器だ。裸足なら『歩行』という動きにより、擦り傷ぐらいは出来ねばおかしい。まさか此処まで、誰かにおんぶでもされていたとでも言うのか。

 髪は深海を彷彿とさせる蒼さで、肩の辺りでくるんと丸まり、先っぽが空を向いていた。やはり服などと同じく、その美しい髪にも傷や汚れは見当たらない。舞い上がる土埃が髪を汚し、キューティクルを削り取る筈なのに。

 ……実に可愛らしく、そして不可思議なほど綺麗な人物だ。一言で例えるなら何処かの国のお姫様、或いは世間知らずなお嬢様のよう。争い事とは無縁で、見た目だけならミュータントになる前の花中よりも非力な印象を抱く。

 されど彼女を前にした花中は、震えが止まらなかった。

 この少女から、地核に潜む『何か』と同じ気配がするのだから。

「あん? なんですかこの小娘……」

 フィアも最初は、少女の事をただの人間とでも思ったのだろうか。花中(親友)との時間を邪魔されたフィアは、不機嫌そうな視線と言葉を少女に差し向ける。

 その感情が切り替わるのに、瞬き一回ほどの時間も必要としない。

 もう隠す必要などない――――そう言わんばかりに、少女が放つ力の気配が増大し始めたのだ。どんどんどんどん際限なく、止め処なく高まっていく。

 ミュータント化による影響からか、花中も相手の『力量』を幾らか感じ取れるようになっていた。とはいえずっと野生生物として生きていたフィア達と比べれば鈍感なものでしかなく、分かるのは大雑把な力関係だけ。

 そんな鈍い花中でも分かる。この子と敵対したらその瞬間に敗北する、と。

 人間と羽虫どころではない。神と羽虫、宇宙と砂粒のような、絶対にして超えようのない岸壁が、この少女と自分達の間にはあるのだ。

「……花中さん私の後ろに……居ても居なくても関係ありませんねこりゃ」

「みたいねぇ。私達が力を合わせても、壁にすらなれないかも」

 フィアとミリオンも少女の『力』を感じ取ったようだ。普段なら警戒しつつも強気を崩さない彼女達が、達観した様子である。

 そしてただの人間である晴海と加奈子は、現れた少女とフィア達を交互に見て、困惑した素振りを見せていた。少女の異様さに気付かなければ、花中達が何に危機感を覚えているかなど分かりようがないのだから仕方ない。とはいえ「『ミュータント』達が危機感を覚えている」という事は雰囲気で察せられる。晴海達は少しずつ、少女から離れるように後退りした。

「ふむ、興味深い反応があったので来てみたが……『コレ』は新種か。呼び掛けに対する反応はヒトと同じ。気配察知の能力は『余等』と同水準、いや、平均よりはかなり下回るようだな。誕生は最近のようだが、しかし今になって誕生したにしては、随分と身体が大きいのは何故だろうな。自発的に脳波を発しているから先天性の筈なのだが」

 本能的に恐怖する花中達だったが、少女はこちらの態度など気にも留めていない様子。それどころか自分から呼び掛けた筈なのに、花中達を無視して、世間話でもするかのように背後を振り向きながら話している。少女ばかりに気が向いていた花中も、無意識に少女と同じ方を見遣った。

 次いで花中はその目を大きく見開く。

 少女の背後には、花中の知っている『人物』が居た。

 その『人物』は少女よりもずっと背丈が高い。一体何処に隠れていたのか? 一瞬脳裏を過ぎる疑問は、しかし考えてもあまり意味がない事を花中はすぐに思い出す。かの『人物』……彼女の身体は変幻自在であり、大きさも形も不定なのだ。今の今まで少女よりも体積を小さくしていたとしても、なんらおかしくない。

 そう、こんな疑問は些末なもの。大事なのはもっと根本的な疑問。

 何故、彼女が此処に現れた? 確かに彼女はあの戦いでは死んでおらず、きっと生きていると思っていた。だから何時かこうして姿を現す時が来ると考えていたし、その時に備えて日々覚悟を決めていた。

 けれども『今』、このタイミングで現れるのは全くの想定外。

 どうして少女の背後に彼女――――人喰いの怪物である()()()()()()が居るのか、花中には理解出来なかった。

「当然ですわ。彼女、普通に十年以上生きてますもの。多分力に目覚めたのがつい最近なのではなくて?」

「んぁ? そうなのか? というかお前知り合いなのか?」

「……呆れた。興味をなくしたから、完全に忘れてますわね。自己覚醒型の人間がいるって教えてくれたのは、あなたじゃありませんの」

「そうだったか? まぁ、お前がそう言うならそうなんだろう。じゃあ、お前とコイツの関係は?」

「お友達ですわ。ねぇ、花中ちゃん♪」

 少女に尋ねられたオオゲツヒメは、嫋やかな笑みを浮かべながら花中に同意を求めてくる。

 花中は答えを返さず、口を閉ざす。オオゲツヒメとは口も利きたくないから、ではない。オオゲツヒメに恐怖しているから、でもない。

 ただただ現状への理解が追い付かず、思考停止に陥っているだけだった。

 フィアやミリオンも、姿を見せたオオゲツヒメへの警戒心を露わにする。オオゲツヒメはかつて花中を『捕食』しようとしたミュータントだ。ミリオンはオオゲツヒメの事を覚えているだろうし、フィアも名前などは忘れていたとしても……臭いで『嫌な奴』である事は思い出したに違いない。確実性という意味では、得体の知れぬ少女よりも、人喰いであると判明しているオオゲツヒメの方が『危険』であろう。

「……さっきから黙っている上に睨んでいるようだが、本当に友達なのか? 怖がられてないか、お前」

「あら、怖がられているとしたらあなたの方じゃなくて? ちょっとプレッシャー放ち過ぎだと思いますわ」

「加減はしている。その証拠に、傍に居るお前は全然怯んでないじゃないか」

「わたくしはあなたのお友達。友達のプレッシャーにビビる訳ないでしょうに。ほんと、あなたはコミュニケーション能力が皆無ですわねぇ」

「ふん、余がコミュニケーションなどわざわざ取る必要もあるまい」

 警戒心や恐怖心を抱く花中達の前で、少女とオオゲツヒメは暢気な話を交わす。自慢げな少女に向けて、呆れるようなため息を吐くオオゲツヒメ。二匹の姿は傍目には大変微笑ましく、姉妹同士のやり取りにも見えた。勿論交わされる言葉にも邪悪な雰囲気などない。

 もしかするとこの少女、力と態度が大きいだけで、悪い子ではないのだろうか? そんな考えが花中の脳裏を過ぎる。実際花中は力の大きさに怯んだだけで、彼女に何かされた訳ではないのだ。いきなり警戒心や恐怖心を剥き出しにするのも、失礼というものだろう。

 とりあえず、まずは相手の事を知ろう。そして可能ならば、友達になろう。

 この思惑は、単に花中がフレンドリー好きだからという理由だけではない。少女は地核に潜む何かと同じ気配を発している。ならばなんらかの関係がある、と考えるのが自然だ。

 もしもこの少女と友好的な関係を築けたなら、地核に潜む何かについて知る事も、或いはその何かと友好関係を結ぶ事も出来るかも知れない。友達にならずとも、敵対的な関係になるのを避けたり、地核に潜む何かの目的を教えてもらうなり出来れば……それだけで『人間』にとっては大きな収穫だ。希望的観測ではあるが、向こうも人間と友達になりたがっている可能性だってある。

「あ、あの! えっと、大月さん! そちらの方は」

 まずは少女との共通の知り合いである、オオゲツヒメに紹介してもらおう。話を聞く限り少女はオオゲツヒメの友達らしいので、オオゲツヒメからの紹介ならば少女もこちらの話を聞いてくれるかも知れない……そう思った花中は少女とオオゲツヒメの会話の合間を縫って、少女について尋ねた

 瞬間の事だった。

 花中の身体に、自重が数十万倍になるような重みがのし掛かったのは。

「ふぐぅ!?」

「花中さん!?」

「!? 何……!」

「えっ? な、何? 何?」

 花中の呻きにフィアとミリオンが反応し、遅れて晴海と加奈子が花中の傍に駆け寄る。

 気遣ってくれる友人達。ありがとうと一言伝えたいが、今は口を開く事が少し難しい。

 真っ先にやるべき事として、自分の身に起きた異変の解析があるのだから。 

「(こ、これは、何か見えないものがのし掛かってる訳じゃない……体重が、本当に重くなっている……()()()()()()()()()!)」

 自身を形成している原子の『重量』を計測し、自らの身に起きた事態を花中は計り知る。

 なんらかの重力変動、それもフィアや晴海達がなんともないあたり花中の身体だけという局所的……否、選択的な事象だ。掛けられている重力の強さは、推定約三十万倍。体重四十キロの肉体が、一瞬にして一万二千トンになるようなものである。ただの人間の骨格はこれほどの重量は想定しておらず、もしもこれを受けたのが晴海や加奈子なら、一瞬にして地面の染みに変わり果てたに違いない。

 幸いにしてミュータントにとって、一万二千トンなんて重量は大したものではない。肉体を構成する元素の配列を組み替え、超合金すら嘲笑う肉体硬度を確保。踏み締める大地を粒子操作により硬質化させれば、重さで地中に沈んでいく事もない。一先ず難は逃れた。

 しかし花中の心は恐怖で震えた。

 危うく死ぬところだったから? 違う。あの程度の『攻撃』で死ぬほど、ミュータントとして完全に目覚めた今の自分は柔ではないのだから。事実三十万倍の重力に晒されても花中はすぐに適応。今では変化した重力の中でも普通に立ち、気遣ってくれた友達に感謝を伝える事も出来る。

 恐ろしかったのは、力が振るわれた状況。

 花中は少し声を掛けただけ。暴力的な行動はしてもいないし見せてもいない。そもそも声を掛けた相手はオオゲツヒメであり、『彼女』ではないのだ。

 なのに『彼女』……オオゲツヒメの友達だという少女は攻撃を仕掛けてきた。故に花中は少女に恐怖したのだ。

 少女はただこちらを見ているだけで、攻撃らしい仕草は何も取っていない。だからもしかすると、この恐怖は誤解という可能性もある。されど少女が向けてきた視線に含まれる侮蔑と敵意の感情からして、彼女が攻撃してきたのは間違いないと本能が感じ取っていた。それに重力を操るなんて真似は、オオゲツヒメにもフィアにもミリオンにも出来ない。状況証拠は少女が犯人だと物語っている。 

「……王の慈悲は一度までだ。二度目はない」

 そして少女自身が発した、この言葉。

 正確な意味は分からないが、予想通り少女が攻撃を仕掛けてきた事……あの恐ろしい力さえも『加減』したものであると、少女が語ったように花中には思えた。

「あなた花中さんに何を……!」

「花中ちゃん、ごめんなさいね。この子ったら何時も手が早いのよ。話を邪魔されたと思ったのね」

 フィアも本能的に花中が何かされた事、その犯人が少女であると察したのだろう。敵意と怒りを露わにしたところ、割り込むようにオオゲツヒメが弁明する。オオゲツヒメが入り込んできた事で勢いが挫けたのか、フィアは怒りを露わにしていた口を閉ざした。

「もう、いきなり攻撃なんてしたら駄目じゃありませんの。めっ! ですわ」

 それからオオゲツヒメは、ぺちんっと少女の後頭部を叩く。

 花中からすればゾッとする行動だった。話に割り込むだけで、ただの人間ならば死ぬような『攻撃』を躊躇いなく仕掛けてくる輩なのだ。頭を叩こうものなら、その瞬間跡形もなく消し飛ばされてもおかしくない。

 再会したオオゲツヒメともここでお別れか――――花中の脳裏を過ぎったそんな考えは、少女が親に叱られて拗ねた幼児のような顔をした事で否定された。

「いや、だって話の邪魔だったし」

「わたくしと花中ちゃんだってお話ししてますわ。あなた、わたくしと花中ちゃんのお話を邪魔するつもりですの?」

「うぐ。うぐぐぐぐ」

 オオゲツヒメのお説教に、少女は唇をへの字に曲げて抗議の意志を示す。しかしそれだけだ。重力の増大を示すような変化は、花中には一切感じられない。無論それ以外の、なんらかの攻撃についても同じである。

 即ち少女は、素直に叱られていた。

 悪い事だとは思わない。しかし花中はそれが異様な事であるように感じられた。こちらは話し掛けただけで殺されかけたのに、オオゲツヒメは頭を叩いても睨まれるだけ。依怙贔屓というにはあまりに差が大きい。

 何故少女は自分を殺そうとした? 何故オオゲツヒメの『狼藉』は見逃す?

 いや、そもそもの話……彼女達は何故自分達の前に現れたのだ?

「……一体何をしに我々の前に現れたのですか? 用がないならさっさとその『危険物』を何処かにやってほしいのですが」

 恐怖と疑問から硬直してしまう花中に代わり、今度はフィアが尋ねる。オオゲツヒメに叱られて反省しているのか、()()()()()()()フィアに重力変動は起こらず。

 問われたオオゲツヒメは、少女の頭を撫でるように触りながらフィアからの問いに答えた。

「ああ、そうそう。ちゃんとお話ししないといけませんわね。此処に来た理由は、わたくしの友達であるこの子が此処に来たがっていたからですわ」

「此処に来たがっていた? なんの目的で?」

「花中ちゃん、随分強い力に目覚めたのでしょう? この子がそれを感知して、興味を持ったのですわ」

 オオゲツヒメはニッコリと微笑みながら、花中の方へと顔を向けてきた。視線が合った花中は心臓が跳ね、激しく鼓動する胸を両手で押さえながら後退り。

 それからちらりと、少女の方を見遣る。

 オオゲツヒメに怒られた事が堪えているのか、少女は不服そうに唇を尖らせている。未だ強烈な力を発しているが、その姿は友達に叱られた事で機嫌を損ねた、小さな女の子でしかない。

 花中は一度、深く深呼吸。気持ちを落ち着かせる。

 『攻撃』はされたが、殺されるほどのものではない。相手の力の強大さを思えば、ちゃんと『手加減』していた筈だ。そしてオオゲツヒメが叱った事で、二度目の攻撃は起こらない。フィアがそれを証明してくれた。

 今度はちゃんとお話が出来る。そう思った花中は、唇を震わせながらではあるが少女に問う。

「えっと、わたしに、何か用が、あったのですか……?」

 花中が尋ねると、少女は花中に視線を向けてきた。敵意はない、が、感じられる大きな力に身体が無意識に後退る。

 少女は、予想通り攻撃してこなかった。代わりに淡々とした、されど自信に満ちあふれた語り口で話し始める。

「……お前の力に興味がある」

「興味、ですか?」

「ああ。お前は『余等』の脳波をも受信する事で、より大きな力を引き出す仕組みを会得している。その力の引き出し方、その力から得られた能力に興味があるのだ」

 少女は一通り語ると、花中を観察するようにじろじろと眺め出した。

 花中は、ぞわりと背筋が震える。

 少女の観察するような眼差しに、ではない。少女が自分の力を、大凡把握している事についてだ。彼女の考えは、星縄から聞かされた『仮説』と同じ。しかし星縄は経験やデータからこの仮説を導き出しただけで、こんなにもハッキリとした答えを持っていた訳ではない。

 なのに少女はキッパリと断じた。まるで自分にはその全てが見えているかのように。

 花中本人にも見えないものが見透かされているような気がして、花中は少女に得体の知れぬ気持ち悪さを覚えてしまう。

「という訳なので、わたくし達はしばし花中ちゃんと一緒に暮らす事にしましたー♪」

 尤もその気持ち悪さは、オオゲツヒメがあっさりと明かした『今後の方針』によって吹っ飛んでしまったのだが。

 しばし花中は同じく唖然となる。ミュータント化により大気分子の動きすらも見えるようになった花中の頭脳が、数秒間思考停止した。次いで周りを見ればミリオンもフィアも固まっていて、こちらをチラリと見て意見を伺おうとしている様子。少女とオオゲツヒメがどんな存在なのか全く分からない、晴海と加奈子さえも驚いたような顔で花中を見ている。

 どうやら自分の聞き間違いではなかったらしい。

「え……ええええええっ!? くら、えっ、暮らす!? なんで!?」

「興味があると言っただろう? だから観察するのだよ」

「わたくしはこの子の付き添いですわー」

「か、観察……付き添い……」

 まるでバッタを捕まえた小学生のような、あっけらかんとした少女の物言い。そして人喰い怪物(オオゲツヒメ)の語る、あまりにも能天気な理由。観察される側である花中は無意識のオウム返しをしてしまい、少女はそれを「うむ」の一言で律儀に肯定した。

 観察という事は、四六時中見られるという事か。それは実に恥ずかしい。見られて恥ずかしい事をするつもりはないが、恥ずかしがり屋な花中にとって『見られている』というだけで十分羞恥に値する。出来れば遠慮願いたい話であるが……

「……花中さんどうします?」

 普段なら花中を独り占めしたがるフィアが反発せず、それどころかこうして訊いてくるぐらいには、今の状況はややこしい。

 相手は自分達とは比較にならないほど強い力を持った存在。無理強いされたならまず抗えないし、下手に怒らせたならどうなるか分からない。

 それに、実のところ花中も少女と()()()()()だ。

 地核に潜む『何か』と同じ気配を持ち、ミュータントとして目覚めた自分さえも凌駕する力の持ち主……その正体は花中も気になる。いや、見て見ぬふりをするなんて出来ない。地核に潜む『何か』が暴れ出せば、それだけでこの星は終わりかねないのだ。わざわざやってきてくれたヒントとの共同生活という、情報大量収穫のチャンスを拒むなど愚行以外の何ものでもない。

 虎穴に入らずば虎児を得ず。チャンスの神様には前髪しかない。

 先人達が遺した諺は、今の状況での行動を促す。もしもこれが最後のチャンスならば、今この瞬間に地球の命運が決まるかも知れないのだ。

 ごくりと、息を飲む花中。今までならもう何分かうだうだと悩んだかも知れない。けれども今の花中の頭脳は、周辺大気を構成する分子の動きさえも捕捉し、予想する演算力がある。この難問に対する答えなど、瞬きするほどの時間も必要ではない。

「……避難所の人間に、手を出さないなら、構いません。あと、観察だけじゃなくて、出来ればお話とかも、してくれると、嬉しいです」

 花中は落ち着いた言葉で、自らの『要求』を二つ突き付けた。

「はっはっはっ! 自らこの余との会話を望むか! 構わん、その程度の願いならば聞いてやろう」

 少女は傲慢に、されどその傲慢が『当然の権利』だと思えるほど自信満々に、花中の要望を受け入れる。あまりにもあっさりと受け入れてもらえた事で少し拍子抜けして、安堵の息が零れた花中の口許に笑みが浮かぶ。

「えぇー! 此処の人間、食べちゃ駄目ですのぉ!?」

 その笑みを引き攣ったものに変えたのは、オオゲツヒメの悲しげな声。

 ついでに今までオオゲツヒメが『ナニモノ』か分からなかった、晴海と加奈子の表情も明らかに強張った。二人の方を見ずとも、花中は周辺粒子の動きからそれを感知する。感知したところで、バレてしまったものは今更隠せないが。

「なんでお前がガッカリしているんだ」

「だってだって! もう人間なんて稀少なんですのよ! 食べたくても全然見付からなくて、天然物なんて久しぶりなのに!」

「あのなぁ……」

「あなたには分からないんですの!? 人間の脂の甘み、肉に含まれた旨味、骨から染み出す香りが!」

「知らんわ。タンパク質や脂質の摂取なんて非効率なものに興味はない」

 呆れ返る少女に、オオゲツヒメは頬を膨らませて抗議。少女はこれをバッサリと否定する。ついでに花中にもオオゲツヒメの抗議内容は理解出来ない。

 やはりオオゲツヒメは生粋の捕食者。人間が共に暮らす相手としてはあまりに危険過ぎる。

 なら、少女とだけ一緒に暮らし、オオゲツヒメには帰ってもらうか? しかし少女と対等に話し合えるのは、どうにもオオゲツヒメだけのようである。それにオオゲツヒメは少女の心境を多少なりと理解出来るし、頭を叩いても怒られないぐらい仲も良い。もしも少女がなんらかの問題を起こした時、仲裁を願えるのはオオゲツヒメだけだろう。

 少女と共に暮らすなら、オオゲツヒメが傍に居てくれないと困る。だけど人間が食べられてしまうのはもっと困る。

 なら、どうする?

 解決策は簡単に閃いた。オオゲツヒメは人間を食べるが、それは人間が大好物だからである。生きるために必要だからではない。故に()()()()()()()()()()があれば、わざわざ人間を食べたりなんてしないのだ。

「えっと、大月さん。うちの避難所、とっても美味しいお肉が、あるので、それで人間を食べるのは、我慢して、もらえませんか?」

「美味しいお肉!?」

 花中が美食(怪物の肉)について臭わせると、オオゲツヒメは瞬きする間もなく反応した。あまりの速さに花中は一瞬身動ぎし、けれどもこくんと頷く。

 オオゲツヒメが満面の笑みを浮かべるのに、それからコンマ一秒と掛からない。

「美味しいお肉があるなら話は別! それを食べさせてくれるのなら、人間を食べるのはしばらく我慢しますわ!」

 嬉々としながら、花中の提案を受け入れてくれた。

 とりあえず、これでしばらく ― 恐らくオオゲツヒメが白饅頭の肉に飽きるまで ― 避難所の人間の安全は保てるだろう。花中は安堵し、全身から力が抜ける。フィアとミリオンは、元より人間が襲われる事などどうでも良いからか、変化はなかった。

 対して一層不安を募らせたのは、人間二人。

「……大桐さん。その、大丈夫なの、アイツ」

 晴海が不安げに尋ねてきて、加奈子も怯えたような目で花中を見てくるのも、致し方ない事だと花中は思った。

 共同生活を断るという選択肢はないとはいえ、ただの人間である友人達に全く説明をしないのは良くない。花中は晴海と花中と目を合わせ、自分の言葉で伝える。

「えっと、確かにあの人は、人間を食べます。でも、食べないと生きていけないとかじゃ、なくて、美味しいから、食べるだけです」

「だから、もっと美味しいものを出せば人間は食べない?」

「はい。それに、もしも人を食べようと、しても、前に彼女とは戦って、勝った事があります。いざとなったら、わたしが、なんとしても、止めます」

「……そう。なら、うん、分かった。あたしは大桐さんを信じるわ。大桐さんがあの子達と暮らすのを決めたって事は、なんか理由があるんだろうし」

「うん。私も、大桐さんがそういうなら、反対はしないでおく。それに大桐さん、今はめっちゃ強いみたいだから、きっとなんとかしてくれるだろうし」

「……ありがとうございます」

 自分の選択を信頼してくれる友人二人に、花中は感謝の言葉を伝える。この一言だけではとても言い表せないほど、大きな感謝が胸の中を満たしていた。

 その期待に応える意味でも、少女が『ナニモノ』なのか、しかと見極めようと心に決める。

 かくして花中は少女とオオゲツヒメの共同生活を受け入れた。なんだか向こうのペースに乗せられた気もするが、結果的に惨劇を避けられるのなら結果オーライだ。ならばきっと、この少女とも何時かは――――

 そんな風に考えて、ふと花中は思い出す。

 この少女の名前を、まだ聞いていないではないか。これから暮らす相手なのに名前も知らないとは。自らのうっかりに呆れつつ、花中は少女と向き合う。

「そういえば、自己紹介を、まだしていませんでしたね。えと、わたしは、大桐花中と、申します。あなたの、お名前は、なんでしょうか?」

「ほう、余の名が気になるか。ならば心して聞くが良い」

 花中が尋ねると少女は胸を張り、自信に満ち溢れた笑みを浮かべた。

 そして少女は花中に告げる。

「余は『コトアマツ』。この星全ての生命の頂点に立つ、唯一無二の王である」

 今までに聞いたどんなものよりも、壮大にして尊大な自己紹介を……




始まりました、最終章。
そして初っ端登場の新キャラ『コトアマツ』。
彼女もやっと話に出せた……

次回は明日投稿予定です。

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