彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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超越種6

 揺れが止んだのは、最初の揺れが起きてから十分後の事だった。

 決して大きな地震ではなく、精々震度三ぐらい。それも延々と続いた訳ではなく、止んだり始まったりを繰り返していた。避難所のおんぼろ建築物が大きな被害を受ける事もなく、大した地震ではないと言える。

 しかし人間にとっては、重大な出来事であった。

 何しろムスペルによる大地震があったのがほんの二週間前なのである。今の人間達にとって、地震というものはムスペルを想起させるもの。死の恐怖、否、滅びの恐怖そのものだ。

 花中が居る避難所も、危うくパニックになるところだった。地震の揺れがもう少し大きかったなら、きっと大変な騒動になっていただろう。

「う、うぅ……ううううぅ……!」

 ……或いは今、花中の目の前で蹲っている痩せ細った少女のように、騒動どころではなかったかも知れないが。

 少女だけではない。花中が居る食堂内は今、大勢の人々が恐怖に震えている。子供のみならず大人までもがしゃがみ込み、ガタガタと震えている有り様だ。テーブルの下に逃げ込む際引っ掛けたのか、床に落ちている皿や白饅頭の肉もちらほらと見受けられる。

 二週間以上前であれば、小さな揺れに対して随分大袈裟な反応に見えただろう。されど怯える人々に「いい大人が」とは言えない。大人達だって、地震によって死ぬほど怖い思いをしているのだから。

 平気なのは『慣れた』者達のみ。

「おおっと、どうしたちびっ子? もう揺れてないぞー」

「大丈夫。深呼吸して、落ち着いて」

 例えば目の前の少女を抱き締め、宥めるための言葉を投げ掛けた加奈子と晴海のように。

 そして花中もまた『慣れた』者である。この場に居る、誰よりも。

 故に花中だけが、先の『地震』の意味を深く理解していた。

「(今の揺れは、ただの地震じゃない)」

 何度も体感してきた。突き上げられるような、一回一回がハッキリとした振動。揺れに混ざって聞こえてくる、身体を揺さぶってくる爆音……どちらも知っている。どれもこれも身体に刻み込まれている。

 これは、人智を超えたケダモノ達の闘争だ。

 驚くには値しない。ミリオンが調べた時点で日本には推定一万体のミュータントが生息していて、恐らくは今も増え続けているのだから。そこらを歩いていたダンゴムシとワラジムシがミュータントと化し、些末なきっかけでケンカを始めたとしてもなんらおかしな展開ではない。そしてミュータント同士の戦いならば、大地が揺れるような激戦でもなんら不思議はないだろう。

 花中が気にしているのは、その闘争の音が南西――――()()()()()()()()()()()()()()()聞こえてきた点だ。

 フィアの事だから、インドネシア諸島の方角を聞いたなら間違いなく最短距離……直進していくだろう。フィアにはそれを可能とする力がある。例えその行く手を瓦礫が塞いでいようとなんの問題もない。ずんずんと進んだ筈だ。

 その彼女が向かった方角から爆音が聞こえた。恐らくなんらかの戦闘が起きたのだろう。そして音が止んだという事は、戦いの終結を意味している。

 フィアは戦いに巻き込まれていないだろうか。巻き込まれたなら無事だろうか。それに星縄の安否も……

「大桐さん、今のってやっぱり……」

 考え込んでいたところ、晴海が花中に尋ねてくる。呼ばれた花中は反射的に口を開いて、けれども声を出すのは躊躇った。

 この避難所の近くで『化け物』が争っている。

 花中にとっては最早慣れてしまった状況も、避難所の住人達にとっては初めての経験だ。軽々しく言葉にすれば、パニックが広がりかねない。それにあくまでこの考えは花中の予想でしかなく、証拠といえるものは何もないのである。確証のない発言で混乱を引き起こすのは良くないし、下手をすれば『狼少年』となって次から信じてもらえなくなるかも知れない。次にした話も嘘であるなんて、誰も保障していないのに。

「……分かりません。『もしかする』かも知れませんが、詳細は、流石に……」

「……そう、よね。うん、揺れただけじゃ、何があったかなんて分からないわよね」

「ええ、分かりません。ですから、調査が必要だと、思います。ただ……」

「ただ?」

「……フィアちゃんも、ミリオンさんも、外出中です。ミィさんは、相変わらず、行方知れず。わたし達だけで出向くのは、危険なので、誰かが戻ってくるのを、待たないと」

 『正しい情報』のみを伝えたところ、晴海は顔を顰めた。傍で話を聞いていた加奈子も、ちょっと困惑している。批難の声が出てこないのは、誰も彼女達の行動をコントロール出来ないので、仕方ないと諦めているからか。

 実際問題、フィア達三匹の誰かが戻ってこない状態での調査は危険過ぎる。この避難所で用意出来る武装なんて精々錆び付いた鉄パイプぐらいなもの。こんな装備ではミュータントや怪物は勿論、イノシシやクマ、野良犬にすらやられる可能性があるだろう。

 かといってフィア達の誰かが戻ってくるのを待つという、悠長な事をしている場合でもない。ミリオンは二週間戻らないし、ミィに至っては何時避難所に立ち寄ってくれるかすら分からない有り様。そしてフィアが帰ってくるのは早くても数時間後……数時間もあれば、次の動きがあるかも知れない。もしも爆音を立てたのが危険な怪物の場合、今すぐ避難する必要がある。

 どうすべきか、何をすべきか。花中は慎重に最善の方法を考えて、

「はぁー、疲れた疲れた」

「ぴっ!?」

 不意に背後から聞こえてきた声に、飛び跳ねるほど驚く羽目になった。

 花中は反射的に振り返る。そしてその目を大きく見開くほどに驚き、やがて困惑の表情を浮かべた。

 花中の背後に居たのは、星縄だった。

 星縄が無事だった事に花中は安堵を覚える。同時に、それ以上の疑問も。

 星縄はフィアと共に避難場所を出て、インドネシア諸島に向かった。花中の両親を救出するために。そして星縄達が向かったであろう場所から爆音が轟き、戦いがあった事を物語っている。

 どうして星縄は避難所に戻ってきたのだろうか。それにフィアは何処だ? 星縄と一緒に行動しているのではないのか?

「あ、ほ、星縄さん……何故、此処に?」

「ん? 何故って?」

「だ、だって、星縄さん、パパとママを助けに……それに、フィアちゃんは……?」

「おっと、質問は一つずつにしてほしいな。まずは落ち着いて」

 花中が無意識に尋ねると、星縄は肩を竦めつつ宥めるように答える。確かにちょっと冷静さを失っていたと思い、花中は深呼吸をして自分の感情を宥めた。

 花中が落ち着きを取り戻した頃、星縄はゆっくりと片腕を水平に上げる。人差し指だけをピンと伸ばし、何かを示すかのよう。なんだろう? 何かを見ろって事なのかな? そんな考えを抱きながら花中の視線は自然と星縄の指が差している方を向く。

「さて、それじゃあ玲奈さん達の事だけど……それね、嘘だから」

 直後、星縄が何かを告げた。

 何を告げられたのか――――花中は理解しなかった。する暇なんてなかったから。

 星縄が向けた指の先で、突如爆発が起きたのだから。

「きゃあああああっ!?」

「うわぁ!? なんだなんだ!?」

「み、みんな外に出るんだ!」

 突然の爆発に食堂内が騒然となる。誰かが逃げるように促し、誰かが出口に向けて走ると、全員が同じ方へと走り出した。

 その中で花中は、晴海や加奈子と共に呆然と立ち尽くしていた。

 爆発は決して大規模なものではなかった。爆炎が半径一メートルあるかないかで、音に驚いたのか比較的近くに居た人が転ばされただけ。巻き込まれた人はいないだろうし、重傷の人もゼロだろう。

 実態を見れば、大した『事故』ではない。

 しかし大きな謎がある。何故突然爆発なんて起きたのか。この食堂周りで爆発を起こすものなんて、花中が知る限りでは存在しない。調理場ならば燃料として拾い物のガス缶はあるが、危険なものだから大勢の人が集まる食堂には持ち込まないルールとなっている。大体火元がなければ、そうしたガスが爆発する事なんてまずない。

 何か『不思議な力』が働いたとしか思えない。

 そしてその『不思議な力』の使い手がこの近くに居るとすれば。

「おおっ、本当に爆発したよ。食堂からガスボンベを運んで着火してみたけど、意外と威力あるんだなぁ」

 それは暢気に独りごち、ニコニコと胡散臭い笑みを浮かべている星縄以外、花中には思い当たらなかった。

「ほ、星縄、さん……」

「ん? なんだい?」

「あ、あの、何を、して……」

「何って、さっき言っただろう? 食堂にあったガスボンベを運んで着火したって」

「な、なん、なんで、そんな事、を」

「なんでだって?」

 花中が喉を引き攣らせながら問い詰めると、星縄はわざとらしく肩を竦め、ぐるりと辺りを見渡す。花中は息を飲み、花中の傍に居る晴海と加奈子、晴海達に抱き締められている少女がガタガタと震える。

「古い人類を一掃して、新しい時代を築くためさ」

 星縄は怯える少女達に、臆面もなくそう答えた。

 ぞわりと花中の背筋が凍った、刹那、食堂中がメキメキと音が鳴り始める!

 修羅場を潜ってきた花中の本能は、すぐに現状を理解した。みんなで一生懸命建てた食堂が、崩れようとしているのだと。

「み、皆さん! と、兎に角外に! 外に逃げてください! あっちです!」

「う、うん! 晴ちゃん、こっち!」

「ほら、行くわよ……!」

 花中は咄嗟に指示を出し、晴海達や幼い少女と共に食堂の外へと駆けた。

 食堂は花中達が脱出した、その直後に倒壊する。メキメキと音を立て、瞬く間にぺっちゃんこになってしまった。

「あぁ……食堂、が……」

 難を逃れた花中であるが、呆然とその場に立ち尽くしてしまう。

 花中は、この避難所に最初期から暮らしている住人だ。

 だからこの食堂が建てられた時の事も、よく覚えている。屋根のための布も、柱となるパイプも、みんなで力を合わせて瓦礫の中から引っ張り出した。日曜大工を嗜んでいる人が数人居ただけのど素人集団では、柱一つ建てるにも苦労したのを今でも覚えている。

 勿論こんな、百人以上入れる食堂でなければもっと簡単に建てられただろう。最初は十数人しか住人が居なかったので、大きな食堂でなくても問題なかったが……きっとすぐに、たくさんの人が集まると皆期待していた。

 その『祈り』も込めて作り上げたのがこの食堂だったのに。祈りは少しずつ現実になろうとしていたのに。

「ぶっはぁ。いやぁ、うっかりうっかり。身体が丈夫だと、色々無頓着になっていけないね」

 唖然としてあると、食堂だった瓦礫を吹き飛ばして人影――――星縄が這い出してくる。布と簡単な柱しかない建物とはいえ、崩れ落ちた『建材』の下敷きになったにも拘わらず、星縄は怪我一つ負っていない。

 むしろその顔には、獰猛で残忍な笑みが浮かんでいた。

「ひっ……」

 見せられた笑みに慄き、花中は腰が抜けてへたり込んでしまう。晴海と加奈子は少女を抱き締めながら、花中の背後から星縄を睨み付けた。

 されど星縄はその眼光に怯みもしない。それどころかチラリと、興味もないかのように視線を逸らす。

 食堂だった瓦礫の上に立つ星縄が眺めるのは、グラウンドの一角に建てられた数十人分の『住宅地』だった。

「! だ、ダメ――――」

「と言われたら、やりたくなっちゃうよねぇ」

 花中の懇願を聞いた星縄は、わざとらしく花中に一瞥くれる。

 そして花中に見せ付けるように、星縄は自らの腕を大きく振り上げた。

 星縄の腕の動きに合わせ、仮設の住居がまるで透明な巨人の腕に薙ぎ払われるように潰されていった。人々が必死になって作り上げた、大切な家がガラクタのように壊されていく。

 食堂から逃げ出し、少しでも安全な住居に逃げ込もうとした人々が、慌ただしく『住宅地』から出てきた。誰もが悲鳴を上げ、泣き叫び、ただただ走っている。家を失った悲しみに暮れる余裕もないほどに、誰もが死への恐怖に支配されていた。

 花中はその光景を、まざまざと見せ付けられる。

 恐ろしい。

 ハッキリとその力を『見た』訳ではないが、食堂と住宅地の崩壊は星縄の仕業だろう。それもその力は()()()()()……『念力』によるものか。しかしそのパワーは花中のものとは比較にならない。こんな恐ろしい力をぶつけられたなら、きっと自分なんて一瞬で叩き潰される。だから花中は恐怖に震えた。

 けれども逃げ出す気にはならない。

 何故なら燃えたぎるような怒りが、花中の胸のうちに込み上がってきたからだ。

「……酷い。なんで、こんな、こんな……!」

 花中は星縄を睨み付ける。その瞳には、勿論このような惨事を引き起こした事への怒りが込められていたが……それ以上に、困惑した想いが滲み出ていた。

 花中と星縄飛鳥は、それこそ花中が産まれた時である十七年以上前からの知り合いである。赤ん坊時代の花中を抱いた事もあるらしいし、物心付いた頃にはよく遊んでもらった。

 だから星縄が、その内面がとても優しい人である事を花中は知っている。イタズラ好きではあれど、驚かす時には人を傷付けぬよう細心の注意を払う。『マグナ・フロス』による事変の際にも花中を手助けしてくれた。彼女は何時だってみんなに優しい……避難所の人々の生活を破壊しようとするなんて、星縄らしくない行いだ。

 もしも星縄が変わってしまったのだとしたら、その原因はきっと――――星縄が得た『力』だろう。

「さっきも言っただろう? 古い人類を一掃するんだって」

「古い人類……!? なんですか、それは! わたし達は、星縄さんだって、人間で……」

「これが人間の力だと思うかい?」

 反発する花中の前で、星縄は片手を前へと突き出す。

 ドンッ、ドンッ、ドンッ。

 すると花中の背後から三つ、叩くような音が聞こえた。金属的なものではない、なんというか水気のある重たいものを突き飛ばしたような……

 脳裏に『答え』が過ぎるよりも前に、花中は自らの背後を振り返る。

 そこには晴海と加奈子と少女が、地面の上に倒れていた。三人ともぴくりとも動いていないし、起き上がろうとする気配もない。

「た、立花さん!? 小田さん!?」

 慌てて駆け寄り、三人の様子を見る。三人とも意識はないが、息はしっかりとしていた。素人判断だが気を失っているだけで、命に別状はなさそうである。

 友人達の無事に安堵、する間もなく激情が花中の心を満たす。

 晴海達が『念力』により気絶させられたのは明白。そんな狼藉を見せ付けられたのに、どうして怒りを感じずにいる事が出来るというのか。

「なん、で……なんでこんな、酷い事を……!」

「……まだ理解しないのかい? だからこの力は」

「フィアちゃん達と同じ、ミュータントの力って、言いたいんですか!? それぐらい、分かります! 星縄さんが……人間のミュータントになった事ぐらい!」

 感情に突き動かされた叫びをぶつけるも、星縄は感心したような笑みを浮かべるのみ。それがますます花中の心境を逆撫でし、怒りを強める。

「なんだ、分かってるじゃないか。それなら理解出来ないかな? 今は食べ物も資源も、ムスペルや怪物の所為で枯渇気味だ。リソースが乏しい中、みんなが生き残る事は不可能だろう? だからボクが独占しようと思ってね」

「だったら尚更、みんなで力を、合わせないと、いけないでしょう!? こんな、奪い合いなんて……!」

「何かおかしな事かい? より環境に適応した種が、既存の種からあらゆる資源を奪い、入れ替わるように繁栄する。生命が誕生してから何十億年と繰り返されてきた、自然の営みじゃないか。人間より優れた種となったボクが、人間から食べ物や住処を()()のは当然だろう?」

「……本当に、自分が、人間より優れた種だと、思うなら……自分だけの力で食べ物を、見付けてください……!」

「はっはっはっ! 横取りも立派な生存戦略じゃないか。君はライオンやハイエナに生存価値なんてないと、人間的な観点で言うのかい?」

「それ、は……!」

 感情的な反発心から口を開く花中だったが、されど言葉の続きは出てこない。

 星縄の理屈は『正しい』。彼女が言うように、生物種はそうやって進化と絶滅を繰り返してきた。強奪が悪い事? 自力で食べ物を取らない種は卑怯で劣等? どれも人間が勝手に定めた『偏見』なのは、生物に詳しい花中は知っている事だ。

 星縄は正しい。

 正しくとも――――激しい怒りは込み上がる。

 花中は生物界で最も傲慢な種族・人間であり、星縄もまた『人間』なのだから。

「……ふぅむ、相当怒っているようだね。怖い怖い」

 星縄は花中の感情を察するも、普段浮かべている胡散臭い笑みを崩さない。いや、それどころかますます上機嫌になったかのように、裂けんばかりに口許を歪めた。

 まるでそれは、花中が怒りに震えるのを悦んでいるかのよう。

 その『感覚』に、花中は恐怖を覚える。花中が知る星縄飛鳥という女性は、こんなおぞましい笑みを浮かべたりしない。力に魅入られただとか、溺れただとか……調()()()()()()()()だけならこんな変貌をするとは思えない。

 何かがおかしい。何かが狂ってる。

 どうして? なんで? 何が起きている?

「……また怯えだしたか。やれやれ」

 困惑する花中を前にすると、星縄は呆れるように肩を竦めた。それから何かを考え込むように、自らの口許に手を当て、しばし口を閉ざす。

 今の星縄が一体何を考えているのか、花中にはもう分からない。だけどきっと、ろくでもない事だとは思った。なんとかして、その考えを実行させるのを躊躇わせないと不味い。そんな予感もした。

 無論花中に、粗雑とはいえ建物を何十と纏めて薙ぎ払える星縄を、強引に止めるような力は備わっていない。

「な、何を、しようとしてるか、知りませんけど……だ、だけど、思い通りには、なりませんよ! すぐにでも、その……フィアちゃん達が、戻ってきますから!」

 花中に出来るのは、友達の威を借りた脅迫だけ。

 あまりにも情けない威嚇に、星縄は怯みもしない。が、一瞬呆けたように目を丸くする。

 次いで、意地の悪い……この状況だからこそ恐ろしい笑みを浮かべた。次いで堪えきれないとばかりに、歪めた口から笑い声を漏らし始める。

「……くく、くくくく」

「な、何が、おかしいのですか……!」

「いやいや、これが笑わずにいられるかい? だって……ああ、そういえばまだ話してなかったなぁ」

 咄嗟に反発する花中に、星縄は不気味に微笑みながら、つらつらと語る。勿体付けるような口振りに気圧され、花中は思わず身を仰け反らせた。

 そんな花中の心証に反して、星縄は驚くほど呆気なく語る。

「フィアちゃんは、ついさっきボクが叩き潰したよ。人間に味方するミュータントなんて、邪魔者以外のナニモノでもないからね」

 花中にとって、どんな脅迫よりも恐ろしい言葉を。

 一瞬にして頭から血の気が引いていくのを、花中は寒気と共に感じ取る。

 きっと、本当は分かっていた筈だ。

 フィアは星縄と行動を共にしていた。なのにフィアは戻らず、星縄だけが戻ってきた……こうなる可能性は二つだけ。

 一つは星縄に唆され、フィアだけがインドネシア諸島へと行っている可能性。けれどもこの可能性はあまりに低い。基本自分勝手なフィアが、『案内』もなしにさして興味のない島へ向かうとは思えないのだから。それにいきなり一匹で向かってくれと頼まれれば、流石のフィアだって疑いを持つだろう。別行動を取るのは難しい筈だ。

 だとすればもう一つの可能性……即ち星縄に倒されたというのが、最も現実的な可能性だったのに。

 花中は、それを認められなかった。

「う、嘘、です……フィアちゃんが、負けるなんて、そんな、そんな……!」

「嘘じゃないさ。ボクが徹底的にやっつけてやった。その肉を貫き、身を焼いてやった。止めは刺さなかったけど……もしかしたら今頃死んでるかも知れないねぇ」

「う、うぅ……ううううぅぅ……」

 星縄は耳許に顔を近付け、己が成した恐ろしい所行を花中に聞かせてくる。花中は無我夢中で耳を塞ぎ、その場に蹲ってしまう。

 殺したとは、星縄は言っていない。

 だけどあの執念深いフィアが、敵となった星縄をむざむざ逃がすとは思えない。インドネシアへ行くのが嘘だと分かれば、すぐ花中の下へと戻ってくる筈だ。

 戻らないという事は、戻れないという事。

 何処までも自分本位であるフィアが戻れない理由なんて、自らの身に異常が起きた以外にない。

 だから、きっとフィアは今頃――――

「……うーん、今度は怒るよりもしょぼくれたか」

 俯き、絶望に沈む花中を見て、星縄が何か呟く。今の花中に星縄の声は届かない。地面を見つめる目に星縄の顔は映らないため、彼女の表情も窺い知れない。

「そうだねぇ、ならこんな余興はどうかな」

 花中が重たくなった頭を上げたのは、星縄がこんな独り言を呟いてから。

 顔を上げたのは、殆ど無意識だった。無意識だったから、星縄が上げていた腕の先、細い指先が示す方角に自然と目が向く。

 最初、絶望に沈んでいた花中は己の目に映った光景を理解出来なかった。けれども少しずつ、数秒と経って認識した時、花中の顔は青ざめる。

 星縄の手が向いている先には、大勢の人々が身を寄せていたのだ。

 避難所暮らしをしている人々だった。食堂が倒壊し、住宅地が崩壊したのに、何故彼等はこの避難所から逃げていない? 答えは簡単だ。避難所の周りは瓦礫で出来た『壁』に囲まれていて、外へと出るのも一苦労。おまけに正体不明の地震が起きた事で、外に広がる無数の瓦礫の山が倒壊するなど危険な状態かも知れない。こんな状況で、一体何処に逃げろというのか。

 無力な人々にとって最善の方法は、避難所内の比較的開けた場所で身を寄せ合う事。例えそれが、元凶の目の前であったとしてもだ。

「や、止め」

「残念。ボクは泣き虫さんの、もっと酷い泣き顔を見たいのさ」

 涙目ながらに懇願する花中を、星縄は非情な言葉で切り捨てる。

 星縄が上げている方の腕の手首を軽く回すと、住宅地だったものから出来た瓦礫の山がふわりと十メートル近い高さまで浮かび上がった。金属製のパイプ数本と、布で出来た簡素な住宅……されど纏めて瓦礫となれば、相応の重量にはなる。パイプなど棒状のものは、高い場所から落ちれば十分凶器になるだろう。

 もしもこれらが避難所の人々に落とされたなら、大惨事なんて言葉では言い表せないほどの被害が出る。

「これなら、君の怒りを買えるかな?」

 そんな花中の考えを肯定する言葉と共に、星縄は住人に向けている手首をまたぐるんと動かした

「? 何……」

 直後、何かを感じ取ったように動きを止めた。

 星縄が浮かべた瓦礫を()()()()()()()()()()()()()()()のは、そこから瞬きほどの時間も掛からないうちの出来事。

 瓦礫、特に金属製の棒は真っ直ぐ、槍のように飛んでいく。しかも弾丸染みた速さであり、直撃すれば人間の身体など簡単に貫くだろう。尤も瓦礫達の射線上に人影はなく、あるのは避難所をぐるりと囲う瓦礫で出来た『壁』の一角のみ。何故星縄が誰もいない場所に瓦礫を飛ばしたのか、花中にはさっぱり理解出来なかった。

 しかしそんな不可解さは一秒と経たずに解消する事となる。

 突如として、『壁』の一部が爆発するように弾けたのだ。轟音を響かせ、瓦礫の壁が四方八方へと飛んでいく。中には何百メートルという高さまで舞い上がる、人の身の丈よりも巨大なコンクリートの塊まであった。大量の粉塵が生じ、避難所を取り囲む瓦礫の壁を包み隠してしまう。

【オオオオオオオオオオオオオオッ!】

 そしてその恐ろしい光景と併せて聞こえてくるのは、憤怒に支配された獣の雄叫び。

 吹き飛ばした瓦礫の壁、そこから漂う粉塵の中より現れたのは――――巨大な『魚の頭』だった。

 その頭の高さだけでも三メートルはあるだろうか。ナマズに似た惚けた面の作りだが、大口を開ければ人間など簡単に丸呑みにし、噛み砕くだろう。続けて水掻きの付いた腕が二本、舞い上がる粉塵の中から現れた。子供の背丈ほどの長さはあるだろう指先が、全身の巨大さを物語る。その体色は半透明で、薄らとだが向こう側の景色が見えていた。

 紛う事なき()()()()()だ。星縄が凄まじい速さで飛ばした瓦礫を顔面から受けていたが、まるで怯みもしていない。恐ろしい、おぞましい魔物である。

 だからこそ花中の心に、喜びの感情が込み上がった。

「ふぃ、フィアちゃん……!」

 一番の親友が、星縄に敗北した友が、この場に生きて戻ってきてくれたのだから。

 尤も喜んでいられたのはほんの一瞬の話。花中は即座に顔を青くする。

 フィアは巨大な、全長数十メートルはあろうかという巨大な『怪物』の姿となって戻ってきた。その巨体から繰り出される圧倒的なパワーにより、積み上げられた瓦礫の『壁』を吹き飛ばした訳だ……近くで避難所の人々が身を寄せ合ってる事など知らずに。或いは知っていてもお構いなしに。

 吹き飛ばされた瓦礫の速度は、文字通り弾丸のそれと同等だろう。そして質量は弾丸を大きく上回る。当たり所が悪ければ、死者が出てもおかしくない。

 そんな瓦礫達が、身を寄せ合っている人々の方へと飛んでいた。

 花中の『念力』で止めるにはあまりにも速く、重い瓦礫達。人々は飛んでくる瓦礫に恐怖し、身を強張らせるばかり。最早どうにもならないと、これまでにない絶望感が花中を満たした

「はぁっ!」

 刹那、星縄が吼えた。

 するとどうした事か。フィアによって吹き飛ばされた瓦礫が、人々に到達する寸前で『静止』したではないか。大きな塊も、埃のような塵すらも、重力に引かれて落ちていかない。物質の空中浮遊という不自然な物理現象に、花中のみならず瓦礫に襲われるところだった住人達も呆気に取られる。

「っ……甘いよ!」

 一呼吸置いて、星縄が腕を動かすと、静止していた瓦礫達が一斉に動き出す。

 狙いは、怪物の姿と化したフィアだ。

【小賢シイッ!】

 自ら吹き飛ばした瓦礫の弾丸をその身に浴びるフィアは、しかし一歩たりとも退かない。

 圧倒的巨体で駆け出したフィアは、真っ直ぐに星縄を目指す! 星縄からほんの十メートルも離れていない位置には、花中や避難所の住人達が居るのだが……見えていないのか、気にしていないのか。フィアは止まる気配すらない。

 恐らく自分だけなら大丈夫だろうと花中は思う。しかし住人達や、自分の傍で気絶している晴海達は……過ぎる予想に、花中の顔が引き攣る。

「こん……のおぉぉぉぉ!」

 星縄が雄々しく叫びながらフィアに突撃しなければ、花中の予想は現実となっていただろう。

 星縄は目にも留まらぬ速さで加速し、フィアに体当たりを喰らわせる! 人間サイズの物体が直撃したフィアは、仰け反る事もなくこれを顔面から受け止めた。

 しかしパワーでは星縄が上回ったらしく、フィアは一気に押される。瓦礫の『壁』があったラインを超え、避難所の外まで押し出されて……されど負けず嫌いなフィアが大人しくやられる筈もない。

【ッガアアアアアアアアアア! グガアアアアアッ!】

 咆哮と共にフィアは変形。ナマズ顔の怪物からイソギンチャクのような、無数の水触手が蠢く形態へと姿を変えてしまう。

 突然の変形に、星縄もすぐには対応出来ず。体当たりのエネルギーがまだ残っていたのか、変形したフィアの上を通り過ぎるようにすっ飛んでしまう。無論星縄はすぐに、泳ぐように空中で方向転換

 する隙を突くかのように、フィアの水触手が星縄に叩き付けられた!

「ぐぉ!?」

 フィアからの打撃を胴体に受け、さしもの星縄も呻きを上げた。反撃に出る暇もないまま彼女は彼方へと吹っ飛ばされ、瓦礫だらけの平野に叩き付けられる。星縄墜落の衝撃により、積み上がっていた瓦礫が四方へと飛び散って粉塵も舞い上がった。その光景は、あたかも小さな核弾頭でも落とされたかのようだ。

 ただの人間なら跡形も残らない威力。されど星縄は最早ただの人間ではない。

「あまり、調子に乗るんじゃないぞ!」

 瓦礫の山に叩き付けられた星縄は、原形を留めているどころか大きな怪我もしていない様子。

 更には両腕を広げるだけで、半径数百メートル内の瓦礫を浮かび上がらせるほどのパワーも残っている!

【来ナサイ人間風情ガッ! 徹底的ニ叩キ潰シテアゲマショウ!】

 フィアもまた闘争心を燃え上がらせ、触手をよりたくさん、より太く生やしていく。

 二つの超越的パワーのぶつかり合いは、それから間もなく起きた。

 人類の科学知識が通用しない、人智を超えたパワーの激突。衝撃波は花中達の居る避難所にまで届き、その戦いの激しさを物語る。

 何が起きているか分からない。どうなれば良いのかも分からない。

 地面を這いずる虫けらのように無力な『旧人類』に出来るのは、この危険な領域からの避難だけだった。

「晴海ちゃん! 晴海ちゃんっ!」

「加奈子!」

 星縄とフィアが遠く離れた時、晴海と加奈子を呼ぶ声が聞こえた。振り向けば、そこには大人の女二人がこちらに駆け寄ってくる姿がある。

 知らない人ではない。彼等は晴海と加奈子の母親だ。

「こ、こっちです!」

「ああ、晴海ちゃん! 晴海ちゃん……!」

「加奈子! 加奈子ったら目を開け……って寝てるだけじゃないかこの子!?」

「あ、はい。えと、二人とも、気を失ってしまい、まして……その、安全な場所まで、連れていって、ください。あと、この女の子も」

 花中が頼むと晴海達の母親は少し戸惑いながらも頷き、晴海と加奈子、そして加奈子の母親が少女も抱き上げる。加奈子の母親はかなり恰幅の良い方で、少女を米俵のように肩に担いでいた。ちなみに娘の方も片腕で抱え込んでいる。

「そうだ、花中ちゃん。あなたも早く逃げないと……!」

 それから加奈子の母が、花中にも逃げるよう促した。

 こんな危険な場所に居たら死んでしまうかも知れない、もっと遠くに逃げなさい……身内の友人なのだから、そう忠告するのは当然の事。花中自身そう思う。

「いえ、わたしは……まだ、此処に居ます」

 けれども花中は、加奈子の母からの言葉を拒んだ。

「な、なんでだい? だって……」

「あの二人……えと、戦ってる怪物と、人間について、わたしは、知っています。わたしは、あの戦いが終わるのを、見届けたいんです」

「だ、だけど」

「あと、少なくとも一方は、わたしを絶対に、傷付けないですし、傷付けさせる事も、許しません。だから、わたしだけは、大丈夫です」

 力強い言葉で加奈子の母を説得すると、加奈子の母は口を噤んだ。少しの間抱えている加奈子を見て、遠くで戦うフィア達を見て……こくりと頷く。

「……危ないと思ったら、すぐに逃げるんだよ」

「わ、私達は、あっちに逃げてるわ。だから、逃げるならあっちに行きなさい。良いわね?」

 加奈子の母、それから晴海の母からの『忠告』に、花中は無言で頷く。二人の母親は、それから間もなく駆け足でこの場を後にした。

 二人の背中を見送り、身を寄せ合っていた避難所の人々の姿が消えたのも確認して……花中は、無意識に逃げ出そうとする足をどっしりと構える。

 そう、フィアも星縄もきっと自分を直接傷付けるような真似はしない。

 フィアについては言わずもがな。そして星縄についても、もしも花中に危害を加える事が目的ならば、とうになんらかの加害を行っている筈だ。しかし精神的ダメージはあれど、肉体的ダメージは未だ花中の身体に与えられていない。

 それに、星縄の先の行動。あれはまるで……

 確かめたい。いや、確かめねばならない。

 そのためにも逃げ出す事は出来ない。

 怯える己の胸をぎゅっと押さえ付けながら、花中は『親友』と『家族』の決戦を見守るのであった。




第二ラウンド開始。
星縄の『目的』がフィアと花中で違う事を言っていますが、はてさて?

次回は11/15(金)投稿予定です。

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