彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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超越種5

 時はほんの少しだけ遡り、花中達が暮らす避難所より十数キロほど離れた郊外。そこには昼間の太陽が燦々と照らす『荒野』が広がっていた。

 ムスペルが引き起こした地震により全ての建造物が倒壊し、出来上がった光景だ。かつてこの地がどんな風景だったのか、それを物語るのは大地を埋め尽くす瓦礫。雑草や樹の姿もちらほら見られるものの、殆ど瓦礫ばかりだ。材木や瓦が多い事から、崩壊前は市街地だったと窺い知れるが……今ではもう誰も住めないだろう。

 ほんの二週間ほど前に、この地域でフィア達による『救助』が行われている。しかし延々と続いた地震により瓦礫は何時間も揺れ動かされ、大半の人々は瓦礫に磨り潰されて無残な姿となっていた。『人情』としては彼等を中から助け出したいところだが、今の社会には機能している葬儀場や霊安室なんてない。放置された亡骸は細菌や小動物などにより分解、即ち腐敗していく。加えて亡骸は瓦礫により磨り潰された結果、一般人には到底直視出来ない状態と化していた。

 知り合いでないとしても、人体だった肉塊が腐り落ちていくところを見るのは精神的に良くないし、衛生的にも問題が生じる。故人には申し訳ないが、生きている人々を守るためにも瓦礫の下で眠っていてもらうしかない。

 それが花中の下した決断であり、故にこの瓦礫の下には未だ多くの亡骸が眠っている。

「どっこいせーっと」

 その事実を、自ら救助活動をしていたのだから知っているフィアは――――なんの躊躇いもなく瓦礫の山に着地した。

 ちょっと跳んで地面に降り立った、そんな些細な動きではない。一回の跳躍により高度数十メートルまで上がり、その後自由落下してきたのだ。

 高密度の水で出来たフィアの『身体』の重量は約一トン。巨石が落ちてきたようなエネルギーにより、周りの瓦礫が浮かび上がる。足下にもしも亡骸があれば、完全に潰れる事となるだろう。しかし人ではないフィアにとって、人の亡骸も虫の亡骸も大差ない。踏み潰したところでなんとも思わないから、こんな派手な着地が出来るのである。

 その背中に、星縄を背負った状態で。

「おおっ、中々ダイナミックな着地だね」

「ふふんそうでしょう。この私のパワーがあってこそです」

 何も知らない星縄の感想を褒め言葉と受け取ったフィアは、上機嫌な鼻息と共に胸を張る。

 フィア達は今、南にある島(インドネシア諸島)を目指して移動中だ。飛行機などは使えないので、フィアが星縄を運んでいる。その最初の障害が此処、避難所の周辺をぐるりと囲う市街地の瓦礫だった。

 別にわざわざジャンプして跳び越えなくても、『身体』が液体で出来ているフィアにとって瓦礫の凸凹など大した障害物ではない。しかし人間には凹凸を乗り越えた際の揺れが中々大変なものであると、フィアは花中から聞いた事があった。星縄に気を遣うつもりは毛頭ないが、ギャーギャー喚かれても面倒なので、乗り心地がマシな『跳躍』での移動をしている。

 地上を走るよりもやや遅いが、大した差ではない。少なくとも海上を進む時の速度と比べれば誤差のようなものだ。

「さぁてそれじゃあ一旦海に出るまで南に進みましょうかねー」

 フィアは今の方針を言葉に出しながら南へと進んだ

「あ、待ってくれ。一度止まってほしい」

 直後、星縄がそう言ってくる。

 フィアは言われるがまま足を止める。完全に立ち止まると星縄はフィアの背中から、自ら降りて地上に立った。

 星縄は辺りを見渡しながら、とことこと歩いてフィアから離れる。周りを見ても、あるのは瓦礫の山だけ。星縄が歩いた先にも、少なくともフィアの目には、わざわざ止まって確認するようなものがあるようには見えない。

 一体何をしているのだろうか?

 フィアとしては、星縄が寄り道をするのはあまり好ましくない。目的である『花中の両親救出』……これをさっさと済ませて、花中を自分の好きなように可愛がりたいのだ。立ち止まったら、花中の下へと帰るのがその分遅くなる。

 今の星縄の目的は全く分からないが、さっさと用件を片付けてほしいものである。そう思いながら、しかし催促したりする事もなくフィアは星縄の背中を見つめるのみ。

「……避難所からは十分に離れた。悪くない距離だね」

 そしてフィアの優れた聴覚は、星縄がぽつりと独りごちた言葉も聞き逃さない。避難所から離れた、だからなんだというのか。訳が分からずフィアは無意識に顔を顰めた

 その、次の瞬間だった。

 ぞわりとした悪寒がフィアの背筋を駆ける。

 何かは分からない。分からないが、本能が訴えていた――――今すぐ守りを固めろと。

 野生生物であるフィアは、本能からの警告を無視しない。頭で考える前に身体が動いていた。本体を包み込む水の『身体』、それを構築する水分子をガッチリと組み合わせ、普段以上の『堅さ』を生み出す。

 結論からいえば、その行動は正解だった。

 防御態勢に移行した刹那、フィアの『身体』の腹部付近に強烈な衝撃が加わったのだから!

「ぬぐうぅ……!?」

 フィアの『身体』が大きく後ろに吹き飛ばされる! 強度を著しく増大させた『身体』は柔軟性に欠いてやや動かし辛く、上手く大地を踏み締められないというのもあるが……しかし重量は一トンもある。余程強烈なエネルギーでなければ、フィアの『身体』は微動だにしない筈だ。

 少なくともフィアに、明確な『攻撃』は見えなかった。何が起きたのかを知ろうとして、本能的にフィアは衝撃があった腹部に目を向ける。腹には何か、例えば砲弾だとかビームだとか、そういったものは存在しない。腹部表層を操作して感触を探るが、透明な物質もなかった。衝撃だけが腹から伝わってきたようである。

 体勢こそ崩さなかったが、フィアはこの謎の衝撃により十メートルは後退する羽目になった。『本体』にダメージはない。だが原因不明の衝撃は、フィアの本能にこのようなイメージを刻み込む。

 ()()()()()()

 そしてこの衝撃を自分に与えてきた元凶は――――

「……念のために訊きますがこれはあなたの仕業ですか?」

 フィアは前を見据えて尋ねる。もしも間違っていたら、()()()後花中に怒られてしまうかも知れないから。

 目の前に立つ『人間』……星縄は、フィアの事をじっと見つめていた。ただただ見つめて、不意にニタリと笑う。まるで獲物を見付けた獣のような、獰猛で、狡猾な笑み。

 明白な『答え』だ。

 直感的に星縄の表情をそう判断したフィアは、迷わず己の右腕を振るった! 無論先の後退により、星縄との距離は十メートルほど離れている。が、そんな距離は大した問題ではない。フィアは自らの腕を大きく伸ばせるのだから!

 十メートル以上の長さまで伸びたフィアの腕は、正確に星縄の身体を捉えている。掠めるような位置ではなく、直撃コースだ。そして腕の重さは数百キロあり、スピードは音速を遥かに凌駕している。

 もしも普通の人間がこの一撃を受けたなら、全身の肉がバラバラに吹き飛ぶ事になるだろう。人間風情の筋肉では、どんなに分厚くともこの打撃の前では紙切れ同然なのだ。

 されど星縄は違った。

 あろう事は迫り来るフィアの腕を、軽く伸ばした片手で受け止めたのだ。それもまるで幼児が体当たりを仕掛けてきたとでも言いたげな、余裕を見せる笑みと共に。その笑みは決してハッタリではなく、フィアの腕が激突しても星縄の身体は微動だにしなかった。

 フィアは大きく動揺した。『ただの人間』に攻撃を防がれたから、ではない。星縄が人間のくせに()()()()()()……そんな事に動揺するのは人間だけ。本能をありのまま受け止めるケダモノは、こんな『つまらない』情報で思考を掻き乱されはしない。

 フィアを動揺させたのは、攻撃時に感じた違和感の方。

 自分の攻撃は星縄に触れていない。

 何をされたかは分からないが、振るったフィアの腕は星縄と衝突する寸前に弾かれたのだ。

「(なんですかね今のはバリアという奴でしょうか? さっきの攻撃も何をされたかさっぱり分かりませんし)」

 自分なりに考えてみたが、しかし答えは出てこない。大体こんな小難しい事を考えるのは自分の性に合わないのだ。頭脳労働は我が『親友』の十八番である。

 なら、相手に訊いてみるとしよう。どうせ答えてはくれないだろうが、駄目元というやつだ。

 それに、向こうも話をしたいらしい。

「いやはや、有無を言わさず殴り掛かってくるとはね。流石は野生動物、人間相手ならどんな強者も動揺して棒立ちしているところだよ」

 でなければフィアの直感が訴える攻撃者、星縄はこちらに話し掛けてはこないだろうから。

「ふん。こちらの問いにニヤッて笑ったじゃないですか。十分明白な答えだと思いますが?」

「うわ、それだけで反撃してきたのか。人間ならそこまでやらないよ。誤解だったらどうするつもりなのさ」

「別にあなたが死んでも私はなんとも思いませんし。それに……」

「それに?」

「直感的にヤバいと思いましたから」

 自分が感じたものを、フィアは隠さずに明かす。

 人間的には弱味とも取れるその発言に、星縄は一瞬目をパチクリさせた。が、直後楽しげに、獰猛に笑う。こちらを侮蔑する意図は感じられず、ただただ楽しそうな様子である。

「そうかそうか、ヤバいと感じたか」

「不愉快な話ですがね……一体何をしたのです? 私の攻撃をどうやって防いだのかも訊きたいのですが」

「残念、手品のタネは流石に秘密だ。バレても勝てる自信はあるけど、下手を打たないに越した事はない。だけど、そうだね。目的ぐらいは教えてあげないと可哀想かな」

「目的……?」

 フィアは訝しむように眉を顰める。

 確かに、それもまた謎である。

 何故星縄は突然自分を攻撃してきたのだろうか? 怒らせるような真似をしたつもりなどないし、食べ物だって十分な量を分け与えた筈である。ケンカになる理由は、少なくともフィアには思い付かない。

 とはいえ襲ってきた理由を知りたいとは、フィアはそこまで思わない。攻撃してきたのなら敵、そうじゃないのなら味方……とは呼べなくても敵ではない。自然界で生きるなら区別はこれで十分。そして星縄は自分に攻撃してきたのだから敵だ。

 だからどんな事を言ってきたとしても、徹底的に叩き潰すという行動を止めるつもりなどなかった。

「ボクの目的は、花中ちゃんを虐める事だよ」

 星縄が、この言葉を発するまでは。

「……花中さんを虐める?」

「その通り。虐めると言っても子供みたいなものじゃないよ? もう二度と笑顔を浮かべられないぐらい、徹底的に虐める。だけどそれをしようにも、花中ちゃんの周りには君というボディーガードがいてねぇ」

「……ふぅん成程。だから避難所から遠く離れてから攻撃してきたと。なら花中さんのご両親云々は」

「真っ赤な嘘。君を花中ちゃんから引き剥がすための方便さ」

 星縄は臆面もなく、フィアに自らの『計画』を明かしていく。

 花中を虐める。

 どうしてそんな事をするのか? それについては語っていないため、フィアには分からない。そもそもどうして自分を攻撃してきているのか、単に虐めるだけならこっそり夜中にでも動けば良いではないか、一年前は何もしなかったのに何故今になってこんな事をしているのか……他にも謎はたくさんある。しかしどれもフィアにとってはどうでも良い。考慮に値しない些末な話。

 フィアにとって大事なのは、星縄が花中の心を痛め付けようとしているという事実のみ。

 フィアは自分を攻撃してきた星縄を、徹底的に叩き潰すつもりだった。だがこの瞬間その考えを変える。

 叩き潰すだけでは足りない。

 自分の大好きなものを壊そうという不埒者は、叩き潰して磨り潰して粉々にして、跡形もなく消し去ってやらねば気が済まない!

「この虫けらが……花中さんに手を出そうというのなら容赦はしませんよォォォォォォォォッ!」

 フィアは迷いなく、星縄目掛け跳び掛かった!

 フィアの『身体』は空気を押し退け、音よりも速く大地を駆け抜ける! ミィほどではないが、通常の生物ならば決して出せない超スピードだ。銃の弾丸すら避けられない人間には、フィアが接近している事すら気付くまい。

 だが、星縄は動いた。

 フィアが自身と接触するより一瞬早く、己の腕を一本前へと突き出す。

 するとどうした事か、フィアの体当たりは星縄が出した手の先ほんの数センチのところで阻まれたではないか。激しい打撃音が響き渡るのと共に、体当たりをお見舞いしたフィアの『身体』が衝突の反作用により僅かながら後退する。

 何か透明な壁のようなものが展開されているらしい。

 それを察知したのも束の間、星縄は突き出した片手の指先を軽く動かす。

「ふふ、やる気満々といったところだね。それじゃあ『ボク』も……少しだけ本気で遊ばせてもらおうかな」

 そして告げてきたのは宣戦布告の一言。

 その言葉と共に、フィアの『身体』に二度目の不可視の衝撃が走った!

「ぬぐっ!?」

 衝撃は顎に加わり、体当たりの余波で浮いたフィアを更に十数センチ空へと押し上げる。人間ならば頭部が跡形もなく粉砕されるほどの威力。フィアの強靱なボディであっても不動は貫けず、星縄を睨み付けていた頭が空を仰ぐよう上向きにされてしまう。

 だがこの『身体』は作り物だ。

 本体が潜んでいない『頭』にどれだけのダメージが加わろうと、なんの障害にもならない。混乱も動揺も覚えぬまま、フィアの本能は反撃方法を模索する。

 選んだのは、まずはこの輩の動きを止める事。

 黄金の髪が揺らめいたのも束の間、フィアは自らの髪を四方八方へと広げた! 髪は星縄を取り囲むように展開され、全方位を完全に包み込む。

 見えない壁だかなんだか知らないが、障害があるのならば纏めて握り潰せば良い。単純な『物量作戦』こそが得意技である、フィアらしい発想だ。

「ぶっ潰れなさい!」

 フィアは展開した髪の包囲網を、一気に締め上げる!

 髪は星縄の胴体には届かず、彼女から数十センチほど離れた位置で止まる。即ち予想通りという事。このまま締め上げ、壁だかなんだか分からないものごとぶち破るのみ!

 されど、やはりそう簡単にはいかないだろうとも思っていた。

 何故なら髪により拘束された星縄は、未だ笑みを浮かべたままなのだから。

「甘い」

 ぽつりと一言星縄が呟いた

 刹那、星縄を囲んでいた髪が纏めて吹き飛ばされる! まるで衝撃波のように、全方位均等にだ。

 そしてついでとばかりに、フィアの『身体』も遠くまで()()()()()()! 飛ばされたフィアは瓦礫の山に激突するが、しかしそれでも押し出される勢いは衰えない。

 まるで爆発でも起こしたかのように瓦礫を吹き飛ばしながら、フィアは数十メートルも後退させられた。一トン以上ある『身体』をここまで動かすとは中々のパワーだ。転倒せずに二本足で大地に立ち続けたフィアだが、その表情は一層強張る。

「おのれ……!」

 油断ならない力の大きさ。無論最初から手など抜いていないがフィアは改めて闘争心を高め、殺意のこもった眼差しで星縄を睨む。目が悪いので星縄の姿はあまりよく見えていないが、気配により距離と位置関係を把握しているため問題ない。

 それにしても『気配の大きさ』が、ただの人間のそれではない。一年ぐらい前(最初に会った時)や避難所に来た時は普通の人間と同じぐらいの『強さ』だったのだが、今はその時のものから一気に膨れ上がっている。

 『気配の大きさ』は強さに直結する……という訳ではないが、凡その力量を測るのには役立つ。直感的な判断でも可能だが、そちらはスピード重視で正確性はやや低め。気配から『論理的』に導き出した力量はかなり正確な推定だ。どう戦うか、どの程度力を温存すべきか――――そもそも戦わずにさっさと逃げるべきかどうかも分かる。

 星縄の強さは、人間の域どころか猛獣の領域すら超えていた。いや、『怪物』さえも凌駕したもの。この強さは()()()()()()()()()()()だろう。つまり星縄は……

 力量を測るのと共に、距離についてもフィアは思考を巡らせる。どうやら今の一撃だけで大体三十メートルほど離されたようだ。フィアは遠距離戦より近距離戦の方が得意。自分の得意な間合いまで詰めようと前傾姿勢を取った

 直後、フィアの目の前に星縄が現れた。

「っ!?」

「先手必勝、いやこれはちょっと違うかなっと!」

 突然の事態ながらフィアは即座に動こうとしたものの、星縄の方が一手早い。

 星縄はフィアに自らの指先を向ける。するとあたかも重力が激増したかのように、フィアに強烈な圧力が掛かった!

 人間、いや、生半可な怪物ならば一瞬で潰されるだろう凄まじい力だ。さしものフィアも即座に股を広げてどっしりと構えなければ、踏み潰されたカエルのように押し倒されたかも知れない。

「(クソが……人間風情が調子に乗ってェ……!)」

 のし掛かる圧力の中、怒りを燃え上がらせるフィア。されど本能に従う思考は冷静に状況を分析していた。

 星縄の奴は未だ本気など欠片も出していない様子。しかし本気を出さずともフィアを押せる程度の力はある。無論フィアとてまだ本気の『ほ』の字も出していないが、そんなフィアでも互角に戦える存在はごく僅かだ。

 その僅かな存在の一つがミュータント。

 そして星縄が人間である事はこれまで嗅いできた臭い、放たれていた気配の『雰囲気』からも明らか。星縄が人間なのは間違いない。

 この二つの情報を結び付ければ答えは明白――――星縄は()()()ミュータントなのだ。つまり花中と同じ存在という事である。ならば今自分を攻撃しているものは、花中と同じ力であろう。

 即ち念力。

 『物に触らず動かす』……それが星縄の能力である筈だ。

「(先程吹き飛ばしてきたのはこの私の『身体』そのものを動かしたのでしょうか。そして今の圧力は空気を動かしていると……この程度の力でこの私を倒すつもりだとは片腹痛い!)」

 向こうはタネを隠しているつもりのようだが、こちらは既にそのタネを知っているのだ。花中がミュータントになった事を知らずにやってきたのが運の尽き。花中よりも遙かに強い力なのは確かだが、物を動かすだけの能力ならば付け入る隙は幾らでもある。

 例えば幾ら念力を使えたところで、その身はどう足掻いても人間程度の強度しかない点とか。

 フィアのパワーであれば、人間などそれこそ指先一つで文字通り叩き潰せる。つまりフィアが放った『それなり』の威力の攻撃を一撃、星縄の身体の何処かに当たりさえすれば致命傷ないし重傷になるという事だ。これまでの攻撃は全て念力で弾かれたが、その守りをぶち抜くパワーがあれば問題ない。

 ならば用いるべき力は全方位からの締め付けではなく、瞬間的なパワーと捌ききれない数である。

「でしたらこいつはどうですかぁ!?」

 雄叫びと共にフィアが放ったのは、無数の水触手であった。

 のし掛かる圧力を抜け、フィアの足下から生えた何十という数の水触手が星縄へと迫る! どの水触手も十数センチ程度の太さを持ち、人間の身体など簡単に貫くだけの力と鋭さがあった。

 この水触手の速度も弾丸染みた速さを持ち、人間の動体視力で捉えられるものではない筈だが……星縄は『念力』を発動。迫り来る無数の水触手を、あたかも素手で掴んで押し返すかのような力により一本一本その軌道を捻じ曲げていく。身体を覆っているであろう念力にすら、届く気配がない。

 ミュータントとなり直感が磨かれたのか。繰り出した攻撃が次々と防がれるところを目の当たりにし、フィアは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。

 だが、ここまでは想定内。

 水触手は囮だ。本命は星縄の背面に回り込んだ不可視の『糸』三十本である。この『糸』により一点集中で力を掛け、念力を破りバラバラに切り刻むという作戦だった。

 しかし星縄は反応した。

 ぐるりと彼女は背後を振り向いたのである。これにはフィアも驚きを隠せない。その圧倒的細さ故に、見えないどころか空気も殆ど振動させない『糸』に気付くなど、余程感覚に優れた生物でなければ出来ないのに。

 更にフィアの驚きは続く。星縄が軽くその手を振り上げ、握り拳を作る。するとフィアの『糸』が何かに()()()()のだ。星縄が拳を捻れば『糸』も捻られ、ぶちりと音を立てて切れてしまう。能力の制御を離れた『糸』は元の体積を取り戻し、虚空で水が爆散するような景色が作られた。

 掴んだ、という事は星縄は『糸』の位置を、感覚ではなく正確に把握していたという事。野生の直感、という可能性は否定出来ないが、幾らなんでも正確過ぎる。なんらかの『能力』により感知していたとしか思えない。

 奴の能力は花中と同じ『念力』ではないのか? 人間だと思っていた自分の直感が誤っていたのか、それとも花中と同じ力だというのが間違いなのか、はたまた花中の力が念力だというのが誤解なのか。

「どうやら少し本気を出してきたみたいだね。あまり遊んでいると手痛い目に遭うかもだし……そろそろ真面目に片付けようかなっと!」

 押し寄せてきた無数の疑問に困惑するフィアだが、考えを纏める暇もなく星縄が告げたのは決着の宣言。

 理性は戸惑えど本能は問題なく働いていたフィアだが、されど星縄の動きに反応するには僅かながらタイムラグがある。そのタイムラグは、『野生』において致命的な隙だ。

 その隙を突くかのように、フィアの『身体』の側面に何かが衝突してくる!

「っ!? これは……!」

 反射的に視線を向ければ、拳ほどの大きさしかない機械のようなものが身体に着いていた。

 しかもそれはフィアにぶつかってきたものの他に、フィアを取り囲むように何十という数が展開される。

 別段、人間が作った爆弾なんぞ怖くもなんともない。例えこの爆弾全てが核爆弾(なんかすごいやつ)だとしても、フィアにとってはオモチャのようなものだ。

 しかし此処には星縄が居る。

 正体不明の能力。その能力を用いて、遠くからわざわざこの爆弾を持ってきたのだとすれば――――

「ちっ! 小癪な真似を」

「残念、一手遅い」

 フィアがこの包囲網から抜け出そうとした次の瞬間、星縄が指をパチンと鳴らす。

 その音に合わせて、フィアを包囲していた爆弾が一斉に起爆した!

 爆弾がただの爆弾か、それとも核兵器なのか。フィアにはよく分からない。少なくとも爆風による高温と衝撃は、フィアが纏う水の『身体』を微かに揺さぶる程度の力しかなかった。

 だが、そこに星縄の『念力』が加われば。

 フィアの『身体』を形成する水分子が、激しく震え出す。分子の振動とは即ち熱エネルギー。『制止』状態で制御している筈の水分子が、どんどん加熱されていた。

 ただの高温に晒されただけなら、このような事象は起こらない。何が起きているのかフィアは探り、その答えに数瞬で辿り着く。

 爆発により生じた粉塵が、何時まで経っても薄れない。

 否、それどころか粉塵が小刻みに振動し、際限なく加熱されているのだ! その莫大な熱量(運動量)を誇る粉塵がフィアの制御する水分子に触れ、熱を伝えてきている! ただの高温ではない……かつて戦った時に『アイツ』が繰り出したような、手に負えない灼熱だ!

「(物体の加熱!? これじゃあミリオンの力ではないですか!)」

 見せ付けられた事象に驚きつつも、フィアの本能は生存のための道を模索。何がなんだか分からないが、このまま粉塵の中に留まるのは不味い。

 フィアは一度この場から離れるべく、『身体』の機能をフル稼働させる。その気になれば核すら通じぬ怪物をも屠る、超越的身体能力だ。自分を取り囲む粉塵を掻き分け、外に脱するなど造作もない。

 妨害さえなければ。

「おっと、逃がすつもりはないよ!」

 粉塵を掻き分けたのはフィアだけでなく、生身の星縄もであった。

 生身である筈の星縄は、しかし灼熱の粉塵の中で平然としていた。顔を顰めるどころか捕食者のように獰猛な笑みを浮かべ、フィア目指して真っ直ぐ腕を伸ばしてくる。

 加えて星縄の動きは、フィアよりも格段に速い!

「なっ……ぬぐっ!?」

 その首根っこを掴まれたフィアは、星縄の圧倒的パワーにより強引に押し倒されてしまった。

 なんとか拘束を振り解こうと、フィアは星縄の腕を殴ったり、押し退けようとするが……星縄の腕はぴくりとも動かない。あたかも花中が押し退けようとする自分(フィア)の腕の時が如く。

 馬力が違い過ぎる。努力も友情も根性も全て捻じ伏せる、圧倒的で出鱈目なパワーの差。

 これではまるで本気の野良猫(ミィ)と殴り合いをしているかのような……

「まさかあなた……!」

「おっと、流石にそろそろタネに気付いたかな? まぁ、君の知り合いの力を使っているから当然か」

 フィアが苦々しく睨めども、星縄は飄々と語るのみ。その余裕からか彼女は自ら『タネ』の断片的な情報を渡し、これによりフィアは確信を得る。

 星縄の力は花中のような念力ではない。

恐らくはこれまで自分が見てきたものを『学習』し、模倣し、自ら使えるようになる能力。

 即ち、『能力をコピーする』能力だ。

「こんな雑魚共の力なんかで……!」

「どんな力も頭の使いよう。こんな感じに、ね」

 忌々しさを言葉にするも、星縄は怯まず。その手をゆっくりとフィアの腹に当てた。

 すると、ずぶりと星縄の手がフィアの腹に入り込む。

「ぬぐ!? これは……!」

 自らの『身体』に起きた事態。星縄は何も語らないが、自分で作り上げた『身体』の事だ。わざわざ説明されずともフィアは理解する。

 水分子の制御が『中和』されているのだ。フィアが静止状態を保とうとしている水分子に対し、逆に振動状態へ移行させようとする力が働いている。両者はぶつかり合いの末中和され、性質としてはただの水と化す。

 ただの水というのは、果たして数万度にも加熱された粉塵の中で蒸発しないものなのか? 答えは言うまでもなくNOだ。フィアの『身体』を構成している水分子は粉塵の熱により次々と蒸発し、『身体』の体積を減らしていく。

 忌々しい。どこまでも忌々しい。

 雑魚共の能力どころか自分の能力までコピーしてくるなんて。

「(人間風情が嘗めた真似を……!)」

 真っ先に燃え上がる感情は怒り。しかし野生生物故の冷静さも失わず、フィアは状況を適切に分析していく。

 まず、水を操る能力について星縄と自分は『互角』だ。負けていれば『身体』は一瞬にして蒸発しているし、僅かでも勝っていれば数万度の粉塵程度なら『身体』は耐えられる。

 拮抗状態だからこそ、『身体』を形成する水の性質は一般的なものとなり、高熱に耐えきれずじわじわと蒸発しているのだ。これではジリ貧である。なんとしても脱出せねばならない。

 だが、これが難しい。

 星縄はフィアの『身体』の形状を固定する力も加えていたのだ。人の形を崩す事が出来ず、液化して星縄の手から抜けるのは不可能。ならば物理的に振り解くしかないが、単純な力では大きく負けている。強引に振り解く事も不可能。高温の粉塵に包まれ徐々に『身体』が蒸発している現状、持久戦に持ち込んで相手の体力切れを待つのも不可能。

 八方塞がりとはこの事か。まるで打つ手が思い付かない。

「(不味い。不味い不味い不味い不味い不味い! このままでは……!)」

 打開案は浮かばず、しかし状況は徐々に不利に傾いていくばかり。時間が経つほど『身体』が削られ、パワーと体力が落ちていく。

 星縄は勝利を確信した笑みを浮かべる。その笑みが酷くムカつくが、今のフィアには一発殴る事すら惜しい。状況はそれほど逼迫しているのだ。

 最早、これしかない。

「……吹き飛びなさい」

「ん?」

 ぽつりとフィアが漏らした言葉に、星縄が一瞬だけ眉を顰めた。

 刹那、フィアの『身体』が爆発する!

 凄まじい破壊力の爆発だった。周りの粉塵どころか、フィアが押し倒されていた場所を中心にした半径二百メートルの地面が吹き飛ぶ。核兵器でも使ったのではないか、或いは流星でも落ちてきたのか……遠くから戦いを眺める者が居たなら、そんな感想を抱くに違いない。

 これこそがフィアの最終手段である『自爆脱出』だ。

 『身体』を構成する水分子の熱エネルギー(運動量)を一点に集中。一瞬にして高熱に達した水は気化により体積を膨張させ、衝撃波を周囲に放出。しかし周りの水がバネとなって跳ね返され、跳ね返された衝撃は全方位から一点に集中し、これがより大きな衝撃となって拡散して……この繰り返しをマイクロ秒単位で行い衝撃波を増幅。抑えきれなった瞬間、衝撃波はフィアの『身体』を吹き飛ばしてしまう。

 この衝撃波に乗り、フィアの本体は遠くまで吹っ飛ばされる。本体の周りには水の守りがあるため、衝撃波によるダメージは受けない。そして難を逃れたなら、付近の水を吸い上げて『身体』を再構築し――――リベンジを行う。

 かつてミリオンと戦った際、背後から拘束された時に使ったものと同じ力だ。ただしあの頃よりもフィアは大きく成長し、爆発の威力は当時の比ではない。もしもあの時と同じ距離に花中が居れば、今頃彼女は見るも無惨なミンチと化しているだろう。

 無論フィアは自分の力をよく理解している。だから自爆であろうとも、本体が傷付くような間の抜けた失態はしない。

 しかし今のフィアの本体はボロボロだった。

「(ぐっ……少し予想を見誤りましたかね……!)」

 自爆時の脱出艇として作り上げた水球の中で、自らの犯した『失態』にフィアの本体は忌々しげに唇を噛む。

 自爆の衝撃は問題なく耐えた。水球の射出方向も正しく、フィアは今高度数百メートル地点を高々と飛行している。しかし一点だけ問題があった。

 星縄により『身体』を形成する水分子の静止状態維持は防がれており、結果、フィアの脱出艇である水球にも星縄の力の余韻が残っていたのだ。そのため水球の厚みにより脱出時通過する粉塵を耐えねばならなかったのだが……最近は専ら『耐熱』により高熱を凌ぎ、破られる時は一瞬。そのため数万度の高熱をやり過ごすために必要な水の量がうろ覚えで、水球の厚みが足りない事に気付かなかったのである。

 粉塵の高熱は水球を少なからず浸透。フィアの本体はところどころ火傷を負い、鱗が剥がれ落ちていた。命に関わる深手ではないが、出来れば療養していたい状態だ。戦いも逃走も可能だが、少し支障が出てしまう。

 そんなフィアに追い打ちを掛けるように――――()()()()()()()()()()()

「なっ!? しま……ぐぅ!?」

 空中飛行中のフィアに、この『攻撃』を咄嗟に躱す術はない。高速で飛来した石は水球を貫通し、フィアの胴体に命中……水球を形成する水により多少減速したものの、フィアの丈夫な鱗を粉砕して肉に到達する威力はあった。

 水球と共に墜落するフィアの身体。傷付いた肉体では能力の制御が不十分で、墜落の衝撃で水球が弾けてしまった。地面に出来た水溜まりの上で、フィアはびちゃびちゃと跳ねる力もなく横たわる。

「ふぅ。流石にあの自爆はヤバかったね。どうにかなって良かったよ、本当に」

 されど気を失う暇はないらしい。

 フィアが倒れる水溜まりの側に、何時の間にか星縄がやってきていた。自爆の直撃を受けても、大したダメージにはなっていないらしい。平然としており、戦う力は十分に残っているようだ。

「さぁて、殺しておくのは簡単だけど……後の事を考えると、それをするのもちょっと困るからね」

 そしてフィアを殺さずにおいても『問題ない』と思うぐらい、先の戦いは余裕だったとの事。

 それが口先だけの自慢でない事は、何処からか取り出した細い金属棒でフィアの胴体を貫いたものの、その棒が内臓や太い血管を傷付けなかった事からも明らかだった。

「ぐがぅっ!? こ……の虫けらが……!」

「おお、怖い怖い。まぁ、あまり心配しなくても良いよ。君が回復している頃には全て終わらせているつもりだからね」

 フィアの咆哮を無視して、星縄は水溜まりに背を向けるやすたすたと歩き出してしまう。

 今ならその背中に『糸』も水触手も叩き付ける事が出来そうなのに、そこまでの体力が身体に残っていない。いや、それどころか身体から出てくる血を止め、傷を治さねばそのまま衰弱死する危険性すらある。後を追う事など出来やしない。

 完全な敗北。一方的に嬲られただけ。

 数多の経験により自分は生長した筈なのに。

「クソが……!」

 悪態を吐いても、現実は何も変わらず。

 花中を傷付けようとする不埒者の背中を、フィアは黙って見送るしかなかった。




そんな感じで始まりました、星縄戦です。
彼女の立ち位置と目的もやっと書ける。
隠していた事を明かせるのってたーのしー!

次回は明日投稿予定です。

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