超越種1
じっと、己の手を見つめてみる。
なんの変哲もない手だ。空から降り注ぐ穏やかな十一月初旬の朝日を受けて、手の皮は艶々と幼い煌めきを放っている。あと数ヶ月で高校卒業となる『女性』の手としては、ちょっとばかし小さくてぷにぷにしているとは思うが、少なくとも不思議な力があるようには見えない。多分、きっと、恐らく。
そんな手を左右共に、前へと伸ばしてみる。
手を伸ばした先にあるのは、草一本生えていない乾いた平らな地面の上にある、一メートルほどの高さまで積まれた瓦礫の山……その瓦礫の山から一メートルほど離れた位置に置かれた、コンクリートの破片だ。置かれている破片は厚さ三センチ程度、横の長さはざっと十数センチのもの。幼い子供でも片手でひょいっと持ち上げられる小ささだ。瓦礫の山を作っているのも、同じぐらい小さな ― ただしコンクリート以外の、プラスチックや鉄など様々なものが混ざった ― 破片達である。
手とコンクリートの破片までの距離は約三メートルほど。手と瓦礫の山までなら四メートル。言うまでもなく人間がこの距離で一生懸命手を動かしても、コンクリート片や瓦礫には干渉なんて出来やしない。
普通の人間ならば。
「む、むむむむむむむむむ……」
可愛らしく ― 当人としては真面目に ― 唸りながら、両手に力を込めていく。
するとどうだ。子供っぽい二つの手がほんのりと光り始めたではないか。
眩い朝日の中では極めて分かり辛い、とても淡いものであるが、確かに発光していた。更に力を込めていくと、手の光もまた強くなっていく。
やがて地面の上に置かれた小さなコンクリートの破片が、カタカタと揺れ動いた。
風は吹いていない。しかしコンクリート片の動きは何時までも止まらず、それどころかどんどん大きくなっていく。ついにはまるで自らの意思を持つかのようにコンクリートの破片は立ち上がり、垂直の姿勢へと移る。
そしてコンクリートの破片は、ふわりと浮かび上がった。
無論コンクリートの破片に、糸のようなものは付いていない。あまり大きなものではないとはいえ、石の類なのだから重さだってそれなりにある。にも拘わらず浮かび上がったコンクリートの破片は、落ちるどころか少しずつ高度を上げていった。浮かび方も綿毛のようにふわふわしており、局所的な上昇気流や、物理的に引っ張られている訳ではないと一目で分かるだろう。
ついに破片は高さ一メートル程まで上がり、そこでピタリと止まる。
前に伸ばしていた両手を、もっと伸ばすように力を入れてみた。すると浮かび上がったコンクリートの破片は、静かに前進を始める。当然浮遊したままで。ふわふわしていていまいち力強さはないが、着実に前へと進んでいく。
やがてコンクリートの破片は瓦礫の山の上に到達し、両手を下ろせば、破片もぽとりと落ちた。
……ちょっとだけ疲れが滲み出ている、だけど満足げな息を吐く。次いでニヤッとした笑みを浮かべた
「大桐さんってばすっかり超能力者ねー」
「ほぎゃああぁんっ!?」
直後に声を掛けられたものだから、驚きやら恥ずかしさやらが一気にこみ上がり――――花中は悲鳴を上げてしまった。ついでに勢い余って転びそうになる始末。
狼狽えながら真っ赤になった顔で後ろを振り向けば、そこに居たのは晴海だった。生温かな眼差しは、先の出来事の一部始終見ていたと主張している。
つまりは花中が両手を伸ばし、触れもせずにコンクリート片を動かした……その姿を目撃された訳だ。
尤も、見られたところで今更である。晴海は、今の花中にそんな『不思議な力』がある事を知っているのだから。なので花中的には、不思議な力を使って悦に浸っているところを見られた方が重大である。
ぶっちゃけ子供染みたところを見られて恥ずかしい。
「えぁ、あ、その」
「しっかしまぁ、随分力の使い方が上手くなったというか、普通に使えるようになったというか」
「あ、は、はい。結構、簡単に使えるように、なりましたね」
とはいえ晴海の方は花中の羞恥などどうでも良いようで、淡々と話題を振ってくる。花中はこくりと頷き、未だほんのりと顔に残る熱さを我慢しつつ、再び己の手を見つめた。
ざっと二週間前の事。花中は超能力に
きっかけは恐らく、星の在り方そのものを変えようとしたムスペルとの遭遇。圧倒的なパワーで暴れる存在を前にして、生存本能が覚醒したか、或いはなんらかの刺激を受けたのか……詳細は不明だが、なんにせよ花中の身に常人ならざる力が宿った。
その力を一言でいうならば、
物体に触れずして動かす力だ。神話の頃より語られる『不思議な力』の一つであり、なんとも分かりやすい超能力である。先程コンクリートの破片を浮かび上がらせ、瓦礫の山まで運んだのもこの力によるものだ。言うまでもないが、普通の人間は勿論、既知のどんな生物にもこんな事は出来ない。
しかしこうした不思議な力を使える『生命体』を、花中達は知っていた。
「超能力を使えるとか、なんというか、本当に『ミュータント』よねぇ。漫画とか映画みたいな感じ」
「ですねー」
晴海の言葉に、花中はあっけらかんと同意する。
そう、ミュータント。人智を超えた力を振るう怪物達であり、文明はおろか星すらも滅ぼしかねない脅威の生命。
どうやら自分は、そんなミュータントの一体らしい。即ち人間のミュータントであり、ただの人間とは違う存在なのだと花中は理解していた。
……割と、だからどうした、と花中は思っているのだが。星は勿論、人間を滅ぼそうなんて露ほどにも思っていないし、別にミュータントだから人と共に暮らせないとも思わない。能力に目覚めたところで凶暴性が増大したり、食性が変わって人間を喰ったりはしないのだから。
それでも普通なら、ここで自分という存在について思い悩むものだろう。しかし花中はこれまでに様々なミュータントと出会い、誰もがありのまま生きている姿を見ている。ミュータント達は、自分がミュータントである事などこれっぽっちも気にしていない。得られた力を存分に活用し、日々を生きている。当たり前だ。ミュータントだのなんだのなんてものは、人間が勝手に作った括りでしかない。野生を生きる彼女達からすれば「自分は自分」以外の何ものでもないのだ。
己がミュータントかどうかなんて、そんな
大体にして、自分が何者かなんて考えは『余裕』があるから出来る事である。今の人類に、自分は何者なのかなどという哲学的思考をしている暇などないのだ。
「ところで、小田さん。避難所の、方は……」
「んー。みんな頑張ってはいるんだけど、やっぱり資材が全然足りないわねぇ。この分じゃあと一月か二月は、全員分のベッドは用意出来なさそう」
「そう、ですか……」
晴海からの話に、花中は俯き気味に相槌を打つ。
花中達は今、避難所……学校があったグラウンドにて寝泊まりしている。理由は、自宅が震災により倒壊して住めなくなったからだ。学校も校舎が倒壊して瓦礫の山だが、だだっ広いグラウンドは辛うじて生活可能な状態だった。生活可能といっても『足を伸ばして眠れる』程度のものだが、瓦礫の山の上よりはマシである。
現在グラウンドという名の避難所には、花中達を含めて五十八人の人々が生活を行っている。勿論校舎が潰れているためベッドも屋根もない暮らしだ。花中や晴海ぐらいの歳ならまだしも、幼児や老人には過酷な環境である。そのため少しずつ生活環境を整えていく必要があるのだが……何もかも瓦礫の山と化した中では、まともなベッドが見付かる訳もなし。瓦礫の中から廃材を引っ張り出し、どうにか整備を進めているが、期待通りの進展はしていないのが実情だ。
そしてこんな生活を強いられるようになった元凶もまた、先月現れた怪物ムスペルである。
ムスペルによる被害は甚大だった。土地の溶岩化・火山噴火の多発により、世界のあらゆる場所で政府機能が停止。都市と都市を繋ぐ交通網が分断され、ライフラインも破壊された。基地局が溶岩に沈んだり、本社が消滅するなどの事態により、通信機器も途絶している。
ムスペルはその後全個体が地殻へ退却ないし死亡したが、彼等が刻み込んだ傷跡までも消える訳ではない。物資不足や情報不足による混乱から、幸運にも無傷だった都市の機能すらも数日で失われた。物資が足りない地域、或いはそんな『噂』が流れた都市では略奪が横行するようになる。しかしそれを制圧する治安維持組織が統治機能の喪失により動けず、略奪は新たな不安のタネとなって際限なく広がり続けた。略奪は更なる破壊を生み、一層社会に傷跡を負わせる。
かくして人類文明と呼べるものは、ムスペル出現からたったの一週間で完全崩壊してしまった。日本も政府機能が失われ、自衛隊はおろか警察も消防も機能停止している。というより警察官や消防隊員が要救助者、ごく少数だが略奪者になっている有り様。今まで治安と人命を守ってきた者の矜持はないのかと言いたくもなるが、矜持で腹は膨れない。誰もが自分や家族の身を守るだけで精いっぱいで、他人に手を差し伸ばせる余裕なんてないのだ。
……というような話を、花中は一週間ほど前にミリオンから聞いている。ネットどころかラジオすら通じなくなった世界であるが、四方八方に拡散して情報を集められるミリオンならば文字通りの『人海戦術』で情報を集められるのだ。彼女がいなければ花中には救助が来るのかどうかすら分からず、不安と希望の板挟みで精神を病んでいたかも知れない。
勿論もう一週間も経てば状況が変わる可能性もあるので、今でもそうとは限らない。が、あまり期待は出来ないだろう。むしろより悪化していると考えるのが自然だ。文明復興に必要な資材もエネルギーも人材も、全てムスペルの力により奪われたのだから。
救助が来る可能性はゼロ。しかし自力で避難しようにも、瓦礫に埋まった世界で車を走らせる事なんて出来ず、歩きで移動するしかない。道中で暴徒や野生動物の群れ、雨や土砂崩れなどの自然災害、そこらを闊歩している怪物などに襲われたら一溜まりもないだろう。そうした危機を全て乗り越えたとしても、その避難所の収容人数がパンクしていたら間違いなく受け入れは拒否される。
だったら助けを期待するのは諦めて、今居る避難所を直して使う方が合理的である。
かくして花中達は故郷の避難所に留まっているのだが、瓦礫に囲まれた中で文明的な生活は送れない。瓦礫を退かし、ゴミを片付け、生活に必要な物資を探す毎日。人が持ち得ない超能力だろうがなんだろうが、使えるものは使わねば生き残れないのだ。思い悩む暇すらありゃしないのである。
そしてこんな状態でも、他と比べてまだ『マシ』だというのだから悲惨だ。
「そういや、さっきまた新入りさん達がやってきたよ。十人ぐらい」
「あ、そうなのですか……えっと、その人達も、もしかして……」
「ん。他の避難所からやってきたみたいで……最初はなんとか共同生活をして、やり直そうとしていたみたいだけど、食べ物の奪い合いで暮らしていけなくなったって話」
「……そう、ですか」
「なんというか、やるせないよね。みんなが一致団結して頑張らないといけない時なのに、たくさんの人が集まると食べ物が足りなくて、仲間割れになるなんて」
「はい……」
こくりと頷き、そのまま俯く花中。晴海も悲しげな顔で俯く。
花中も晴海も幼い子供ではない。世の中が綺麗事だけでは動かない事、追い詰められた人間が凶行に及ぶ事、『犯罪』が悪意だけで行われる訳ではない事……どれもよく分かっている。条件が違えば、自分達がそれをしていた事だって想像出来た。
それでも自分達が協力して暮らしている時に、凄惨な行為が何処かで行われていると思うと……息苦しさにも似た、激しい情動が込み上がる。
「うん! 考えても仕方ないわよね! 難しい話はなしなし!」
そうした感情的な苦しさから、表情が歪んでいたのかも知れない。晴海はちょっと引き攣った笑みを浮かべながら、話を強引に打ち切った。
「……ごめんなさい」
「もぉー、なんで大桐さんが謝ってんのよ。そうそう、こんな無駄話してる場合じゃなかったわ。そーいう訳で新しく十人ぐらい人が増えるから、今晩の食事はその分増量してほしいんだけど、食材足りそう?」
「あ、はい。えっと、んー……多分、大丈夫です。今、丁度穫ってきてもらっている、ところですし」
「そうなんだ。じゃあ、ご飯は心配ないってみんなに伝えておくね」
「分かりました、お願いします。わたしは……もうちょっと、此処の片付けと、力の練習をしていますね」
「あいよ。じゃ、程々に頑張ってねー」
大きく手を振りながら、晴海はこの場を後にする。花中も手を振り、遠ざかっていく晴海を最後まで見送った。
そして晴海の姿が見えなくなると……振っていた手を止め、じっと見つめる。
自分で言うのも難だが、なんとも弱々しい手だと花中は思う。実際筋力なんて小学生の男子未満であり、人の殴り方なんて知らないのでポカポカと痛くない叩き方しか出来ない。むしろ叩いた自分の手の方が痛いぐらいである。
その手で使える不思議な力は、小さな瓦礫をふわふわ漂わせるのが精いっぱい。前進させるスピードも遅く、幼児でも持ち運べるものを一メートル移動させるのに十数秒、準備時間も含めれば数十秒と掛かっていた。これなら素手で運んだり投げたりする方が遙かに早い。おまけに素手よりもずっと疲れる。
正直、割としょうもない超能力だ。少なくとも見た目上はそう見えるし、この力で誰かと戦えと言われても困る。ぶっちゃけこの能力を使って頑張るより、へっぽこながら己の拳で殴る方が遙かに強いだろう。
だけど花中は理解している。
自分の力がどれだけ
「……ちゃんと、使えるようにならないとね」
ぽつりとそう呟いてから、花中は再び小さな欠片を浮かばせるのであった。
超能力少女・花中爆誕!
でも未だ戦力外です。幼稚園児の力以下の能力は、如何に人類がアレでも流石に迫害の対象にならないと思う。というか思いたい(儚い願望)
次回は明日投稿予定です。