彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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地獄の魔物10

 時間にすれば、ほんの十秒にも満たない出来事だった。

 五百メートルの巨体が、空中で仰向けになっている。単にひっくり返されただけの身体は重力に引っ張られ、秒速九・八メートルずつ加速しながら『落下』していく。

 数百万トンはあろうかという身体が大地に接した、その瞬間に地震が生じた。それはこれまでの……破局噴火や震度七以上の大地震などの災禍と比べれば、あまりにも貧弱な揺れである。

 だが、世界の命運を左右する揺れだ。

 ムスペルが、その弱点である腹部を剥き出しにした瞬間なのだから!

「っ! やったわ! アイツ、仰向けに倒れた!」

「やっ、やったああああっ!」

 ミリオンが歓声を上げ、晴海が両手を挙げてはしゃぐ。花中も喜びの感情が込み上がってきた――――のと同時に全神経をムスペルの姿の観察に注ぎ込む。

 仰向けに倒れたムスペル。その腹の中心は煌々と輝いていた。

 まるで太陽のような、白く眩い光り方だ。その輝く場所を囲うように鱗のような突起が外向きに生えており、あらゆる外敵を寄せ付けないという強い『本能』を感じさせる。

 故に明白だ。無防備になったあの腹が、地上のどんな生物よりも致命的な器官であると。

【バルォオオオオオンッ!】

 当然そんな事はムスペルが一番よく分かっている。雄叫びを上げながら身を捩り、急いで体勢を立て直そうとしていた。

 だが、それよりもフィア達が動く方がずっと早い。

「シャオラアアアアアアアッ!」

 真っ先に到達したのはミィ。山をも砕く鉄拳が、ムスペルの弱点へと打ち込まれた!

 小惑星衝突並のインパクトにより、ムスペルが転んだ時など比にならない大きさで世界が揺れた。衝撃波を伝えるような空気は殆どない筈だが、フィアが展開していたドームが余波で吹き飛ぶ。

 恐らくはミィの、全力の一撃。フィア達であってもきっと防ぎきれない、破滅的な打撃だ。

【バッ!? ギッ……!】

 その一撃を受けたムスペルは、今までとは毛色の違う声を漏らした。

 途端、ムスペルの腹が一層輝き始める!

 突然の変化に驚いたのか、フィアとミィは後退るように後退していく。そしてムスペルは……ジタバタと激しく暴れていた。痛みに苦しむという次元ではない。

【バッ! バル、ル、ォ、ガ、ギバ……!】

 ムスペルは口から血を吐きながらのたうつ。その間も腹の輝きはどんどんどんどん強くなり、あたかも太陽のように周りの景色を擦れさせていく。

 なんだ? 一体、何が起きようとしている? ひょっとして強烈な一撃により内臓が行っていた作業、例えばエネルギーの生産に不都合が生じたのか。

 だとすればこれは致命的なダメージだ。これならきっとムスペルを倒せる筈。花中は自然と笑みが浮かび、

「……あの、大桐さん。ムスペルの奴、すっごい光ってるけど……爆発とか、しないわよね?」

 晴海の語る『もしも』を聞いて、一気に青ざめた。ミュータント化せずともミュータント並に強い、ムスペルの体内で渦巻くエネルギー量……一気に開放されたなら、核兵器なんて比にならない大爆発が起きてもおかしくない。

 ましてや今回爆発しそうなのはミュータントのムスペルである。噴火を地球中で起こし、巨大地震を何時間も持続させるエネルギーというのは、水爆が何百万発あっても足りない。つまりミュータントのムスペルの体内には、最低でも水爆数百万発分のエネルギーが蓄積されている筈だ。

 どう考えても、此処ら一帯が跡形もなく吹き飛ぶ程度で済めば『マシ』である。

「え、ちょ、に、逃げ」

「落ち着きなさいはなちゃん。爆発はしないわよ」

 とりあえず距離を取ろうと思う花中を引き留めたのは、ミリオンだった。何故? 理由を問おうとする口は、脳裏を過ぎった恐怖のイメージにより強張って上手く動かない。

 そんな花中に答えを教えてくれたのは、ミリオンではなくムスペルだった。

 ムスペルの腹の輝きが、段々と静まっていったのである。暴れ方も落ち着いていく。

 光が収まったので接近しようとするフィア達だったが、ムスペルの周囲に『槍』が並び、これを妨げる。ドームが壊れた事で大気が戻り、また固体窒素を作り出せるようになったのだ。フィア達を遠ざけたムスペルは、今度は落ち着いた動きで身体を傾けていった。

 やがて仰向けだったその身を、ムスペルはうつ伏せに戻す。

 ムスペルが復帰した。その事実に花中は勿論、直に戦ったフィアやミィも表情を強張らせる。しかしながら、戦闘中ほどの危機感は感じさせない。

 何故ならムスペルは、すっかり弱っていたからだ。

【バル、バッ……ガブッ……ゴボ……バッ、ルルォオオン……!】

 絶え絶えとなった息と息の間に、口からどろどろと血が流れていく。ムスペルは内臓が飛び出すほどの大怪我を負っても復活する、驚異的生命力の持ち主であるが……その姿から余裕は感じられない。どうやらミィが与えた一撃は、ムスペルにとって本当に危険な打撃だったようだ。安静にし、回復に努めなければ命が危ないだろう。

 だというのに。

【バル、ルオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!】

 ムスペルに退く気はなかった。

 ヒレを広げてどっしりと構え、フィア達と向き合う。今まで自分を支えてくれていた周辺の大地を液化し、溶岩の海へと作り替えた。放つ闘志にも陰りは見えない。

【ふん。死に損ないが……】

「そっちがやる気なら、こっちも退く気はないよ!」

 フィアとミィもまた、起き上がったムスペルから逃げるつもりはない。ミリオンも同じだろう。ビリビリとした殺意がぶつかり合い、争いの火蓋が再び切られようとしている。

 その様子を見て、花中は違和感を覚えた。

 もしかするとムスペルは、花中達が思うほどの重傷ではないかも知れない。しかしダメージを受けた際の暴れ方からして、無視出来るような傷でないのは確かだ。かなり消耗しているのは間違いない。

 自分をこれだけ痛め付けた輩に、手負いの状態で挑むのは得策か?

 勿論答えはNo。挑むにはそれなりの準備が必要である。だから一時的にでも逃げて、体勢を立て直すのがベストだ。生命力の強さや、逃走先である地殻の環境から考えるに、フィア達から追撃を受けてもなんとかなりそうである。野生生物であるムスペルに人間的なプライドがあるとは思えず、退却を躊躇う理由はあるまい。

 ついでに言うなら、あのような重体で地球全体の環境を変えようとするのは大きな負荷になるだろう。極めて危険だ。体力を回復してから、もう一度やる方が良い。少なくとも花中がムスペルの立場なら、この二つの理由からすぐに退却を選ぶ。

 されどムスペルは退かない。退く気配すらない。

 何かがおかしい。どうしてムスペルは逃げないのか。どうして恐ろしい敵であるフィア達と立ち向かうのか。

 何か、理由があるのではないか?

 その理由を知らぬまま……ムスペルを倒して良いのだろうか?

「……良くない」

「大桐さん? どうし」

「ミリオンさん! ムスペルの下に、近付いてください! それが駄目なら、わたしの声を、届けてください!」

 晴海の言葉を遮り、花中はミリオンに頼み込む。

 前者は最初から無理だと分かっていたが、後者ならきっと大丈夫。そんな花中の予想通り「声だけなら」とミリオンは受け入れてくれた。『望遠鏡』の傍ににょきっと生えてきたのは一本の黒いマイク。

 花中はマイクを握り、口を近寄せる。すっと息を吸い込んで肺に空気を溜め込む。

「む、ムスペルさぁぁんっ! わたしの話を、聞いてくださああぁぁぁぁぁぁ、げほ、ごほごほっ!?」

 それから頑張って大きな声を出し、残念ながら慣れない行動故にむせてしまった。なんとも決まらない格好だが、声を届けるという目的は達成したので問題ない。

 ミュータントなら、人間の言葉を理解出来る筈。気になるのは反応してくれるかどうかだけ。果たして結果はどうか。寄り添ってきた晴海に背中を擦られ、感謝を伝えてから花中は顔を上げる。

 フィアはこちらの方を見ていた。ミィの姿は遠過ぎて見えないので分からないが、フィアの動きだけ分かれば十分。間違いなくこちらの声は三十五キロ彼方の場所まで届いていた。

 そしてムスペルは……ちょっとだけ、顔を花中達の方に傾けていた。

 ほんの僅かな傾きだ。しかし花中からすれば大きな、とても大事な傾きである。ムスペルがこちらの言葉に反応したという確信が得られたのだから。

「ムスペルさん! あの、どうしてあなたは、地上を溶岩の海に、しようとしているのですかっ!」

 花中は力強い言い方で問う。ムスペルは、その顔の傾きを直した。花中の声など聞こえていないと言わんばかりに。

「逃げないでくださいっ!」

 だから花中はムスペルを叱責する。

【バルルオオオオオオオオンッ!】

 するとムスペルは素早く花中達の方へと振り向き、威嚇するような大声で吼えた。

 獰猛で、恐ろしい鳴き声。晴海は一発で慄いたようで、小さな悲鳴と共にへたり込んでしまう。正直なところ花中も腰が抜けそうになった。

 それでも立っていられたのは、鳴き声に必死さを感じられたから。こちらを見下すようなものでなく、こちらを恐れるようでもない……生き物らしい必死さを。

 それはムスペルと戦っていたフィア達の咆哮のような、生への執着を感じさせるものだった。

「……ムスペルさん。わたしには、あなたが何故、そこまで必死なのかは、分かりません。わたしは、それを知りたいのです」

 花中は落ち着いた言葉で、自分の気持ちを伝える。

 互いに相手の事を知る必要がある、とまでは言わない。ムスペルはこちら(地上生命)の事情を知った上でやってるだろうし、追い返すだけなら花中達もムスペルの事情を知る必要はないのだから。

 だが、ムスペルが必死になる何かを知らないでいる事は、自分達にとって良い事なのだろうか?

 花中は、そうは思わない。

「教えてください。手伝える事なら、手伝うつもり、です。一緒に、考えられる事なら、一緒に、考えましょう。だから……一度だけで良いので、話を、してくれませんか?」

 自分の気持ちをムスペルに伝え、花中は一度口を閉じる。

 これで話し合いに乗ってくれるだろうか?

 正直、あまり期待はしていない。ムスペルが本当に必死であれば、こんな話し合いの提案などすぐに蹴るだろう。そもそもムスペルは人間の言葉、具体的には日本語を話せるのだろうか? 反応したので理解はしたようだが、その理解もどの程度のレベルなのか。意思疎通が難しくては話し合いは困難である。何より傷付いた状態でこちらの『テリトリー』に入ってくるのは、きっととても怖い事だろう。

 断られる事は織り込み済み。むしろ花中の本命は、ムスペルに時間を与える事だ。

 時間を与えれば、ムスペルも少しは冷静になるだろう。落ち着いて考えれば……自分が如何に勝ち目のない戦いを挑もうとしているか、それを理解する筈だ。

「今すぐでなくても、構いません。落ち着いた時に、また、此処に来てくれたなら……その時、ゆっくり話しませんか?」

 そして落ち着いた心であれば、きっとこの話が『悪いもの』ではないと分かるに違いない。

 ムスペルはしばし動きを見せない。じっと、考え込むように止まっている。

 やがて動き出したムスペルがした行動は、自分の足下に振動波を打ち込む事。

 地下深くまで溶けたであろう一撃の後、ムスペルは自分が溶かした場所に頭から跳び込む。五百メートルもある身体は、あっという間に地下へと沈んだ。

 ムスペルが地下へと消えると、形成されていた溶岩が少しずつ固まっていくのが見えた。近くで起きていたマグマの噴出も止まり、地震による地鳴りも聞こえなくなる。

 どうやら、話し合いはしてくれないらしい。

 最高の結果ではない。が、次善ぐらいの結果だ。花中はそれなりに満足し、ため息を漏らす。

 またムスペルが現れた時、今度も地上を地獄に変えようとするかも知れないが……もしかしたら今度は話し合いをしてくれるかも知れない。甘えた考えかも知れないが、花中は後者を信じたかった。

 とはいえその甘えを信じる前に、確かめるべき事がある。

「……あの、ミリオンさん。他の国とか、地域については……」

「流石にまだ分からないわ。あと三十分は待たないと」

 それをミリオンに尋ねると、返ってきたのはそんな答え。仕方ない事だ。避難所にて情報収集をしているとはいえ、その手段は主にインターネットである。溶岩噴出で数多くのライフラインが途絶してるであろう現状を思えば、三十分で世界の情報が分かれば御の字だ。

 まだ何も分からない。もしかすると期待は裏切られるかも知れない。

 だけど花中としては確信している。

 世界中で起きていた地獄への変化は、もう止まっているのだと。

「えっと、その、大桐さん。あの、あたし勘違いしてるかもなんだけど……」

 同じくそうした確信を持ちつつ、しかし安易に結論も出せなかったのだろう。晴海が、おどおどしながら花中に尋ねてくる。

 花中にも根拠はない。けれども確信はしているのだ。だから迷いなく、自信たっぷりに答える。

「はい。異変は、止まりました。この地球上で、わたし達は、まだ暮らしていけます」

 自分達が地球を救ったのだと。

 最初は、すんなりとは受け入れられなかったのだろう。晴海は右往左往し、大きく狼狽えた。けれどもやがてその顔には笑みが浮かぶようになる。右往左往していた身体は、そわそわとしたものに変化した。

「ぅぅいやったあああああ!」

 そして満面の笑みと共に、晴海は花中に抱き付いてきた。

 力強い抱擁に、花中の貧弱な身体は少しだけ苦痛を訴える。しかし引き離そう、突き飛ばそうなんて考えはちっとも過ぎらない。

 花中だって晴海と同じ気持ちなのだ。むしろこちらだって同じぐらい強く抱き締めたい。それぐらい胸のうちには喜びが満ちているのだ。

【花中さあああああああああんっ! アイツ逃げていきましたよおおおおおおお!】

 なお、その気持ちは体長五百メートル近い『身体』になっているフィアも同じようで。

 ズドンズドンと、爆撃のような足音を鳴らしながらフィアがこちらに駆け寄ってくる。未だ残っている溶岩を水溜まりのように跳ねさせながら、真っ直ぐ、躊躇いなく、理性など感じさせずに。

 なんというか、本当にその巨体のまま抱き締めてきそうな気がする。というより自分が今特撮映画でも出てこないようなサイズだという事を失念しているのではないか?

「あっ、フィアちゃん、ちょっとタンマ……タンマ、ねぇ、タンマって言ってるんだけど!?」

「え、ちょ、ぎ、ぎゃーっ!?」

 マイクを用いた花中の必死な制止も、晴海の悲痛な叫びも、爆走するフィアを止める事は叶わず。

 全長五百メートルの怪物が自分目掛けて跳び込んでくるという、割と本気で死を予感する光景を、花中達は目の当たりにするのであった。

 

 

 

「ずーるーいー!」

 ぷっくりと、頬を膨らませて怒りを露わにする加奈子。

 丸くなった顔は、無邪気な子供のようで大変可愛らしい。しかしながら彼女はこれでも十八歳の女子高生であり、法律的には『大人』として色々許されるお年頃。何時までも童心では困ってしまう。

 見た目なら加奈子より遙かに子供っぽい花中は、加奈子の主張に苦笑いを浮かべてしまった。

「ず、ずるい、ですか?」

「ズルいズルい! 何さ二人して世界の平和を守っちゃって! 私もヒーローになりたかったのにぃー!」

「別にヒーローになった訳じゃないっつーの」

 戸惑う花中の横に座っていた晴海が、心底呆れた表情を浮かべながら加奈子を窘める。

「大体、ヒーローになっていたらこんな野生児染みた生活なんてしてないわよ」

 次いで自嘲するように笑い、そう答えた。

 ……ムスペル達による『世界の終末』から丸一日が過ぎた。

 彼等、もしくは彼女等がこの星の地上に与えた被害は甚大なものだった。何しろムスペルの力により、世界のあちこちで溶岩が噴出したのだ。自然環境はボロボロにされ、人の住処の多くが溶岩に沈んだ。たくさんの稀少な種が絶滅しただろうし、どれだけの人が亡くなったのかも分からない。

 日本も『首都圏』が丸ごと溶岩の海に沈み、尋常でない数の人命が失われた。政府機能も喪失している。『世界の支配者』達の事だから、早々に安全な場所に避難しているかも知れないが……ここまで被害が大きいと、彼等とて自分達の社会体制維持だけで手いっぱいだろう。政府からの救援は期待出来ない。自衛隊や警察も、果たして機能しているのか怪しいものである。

 花中達の町も大きな被害を受けた。マグマ浸しにこそならなかったが、巨大地震により大半の建物が崩落。地面そのものが波打っていたのだから、耐震性は最早関係ない。

 つまり震災時の避難場所として使われる予定だった、学校や公民館などの施設も倒壊していたのである。というより使える建物が何も残っていない有り様。文字通り全壊した家には住めないし、お隣さんや友人達の家も全滅だ。

 残す寝床はただ一つ。

 ……『野』であった。

「学校の校庭で、テントもなしに寝るのは……中々、大変でしたね」

「あたし、結局殆ど寝てないし」

「あははは。背中が石でごつごつして痛くて、私も寝られなかったよ」

 花中と晴海のぼやきに、加奈子も笑いながら同意する。

「……手足を伸ばせて眠れたのは、悪くなかったけどね」

 ただし加奈子の笑みも、すぐに悲しげなものへと変わってしまう。

 花中達が野宿の場所として選んだのは、高校の校庭。無論学校は前日地震によりぐしゃっと潰れていたが、しかし広々とした校庭はなんとか瓦礫で埋め尽くされずに済んでいた。人の手でほんの少しだけ片付ければ、花中達の力でも自分達の寝場所ぐらいは確保出来たのである。

 ……言うまでもなく、高校は隠された避難場所なんかではない。むしろ何もかも倒壊した町の中において、学校ほど開けた土地はないとすぐ思い付く筈だ。住処を失った大勢の人々が集まってくるのが自然であり、思いの外片付けが進まず、僅かなスペースにぎゅうぎゅう詰めで暑苦しい夜を過ごすのが『正しい』姿である。

 だが、校庭に人は殆ど来なかった。

 晴海や加奈子の家族は来た。見知らぬ老人の集団や、独りぼっちの幼子なども来た……集まったのは、精々二十人ぐらいだけ。誰もが手足を伸ばせるぐらい、校庭内に人は集まらなかった。

 生き延びて避難場所を探せば、誰もがこの学校を目指す筈。なのに誰も集まらないという事は……生き延びた人の少なさを物語っている。当然だ。フィア達が元凶であるムスペルと戦っている間も延々と地震は続き、激しく揺れ動いた瓦礫によりたくさんの人が()()()()()()のだから。花中のように人智を超えた力に頼れなかった人々は、幸運に見舞われる以外に助かる術はなかっただろう。

 近代的な建築技術も、大き過ぎる災禍の前では無力。いや、むしろ仇となったのだ。これなら野性的な、原始的な生活の方がまだ被害は抑えられた筈である。極論平地で野宿をしていれば、建物の倒壊に巻き込まれる心配はないのだ。その証に生存者としてこの校庭にやってきた老人達の大半は身形がかなり『不衛生』であり、恐らくはホームレスの方々だと思われる。川岸や公園などを活動拠点にしていた彼等は、建物の倒壊による生き埋めを免れた訳だ。無論同じホームレスでも、駅構内など建物内を拠点としていた者達は助からなかったが。

 彼等ほど極端な生活でなくとも、開発があまり行き届いていない土地の方が安全な筈である。そう、例えば農業しか産業がないような、閑静な田舎の村とかが……

「……加奈子は、なんで戻ってきたのよ。親戚の引っ越し先、都会から離れた山奥みたいだし、此処より被害はマシだったんじゃない?」

 花中が考え込んでいると、晴海が加奈子にそう尋ねた。加奈子は昨日親戚の引っ越し手伝いのためこの町を離れており、所謂田舎の方に滞在していたためにこの災禍を逃れている。確かに地震は収まったが、瓦礫などが崩れてくる二次災害は終わっていないし、余震などもあるかも知れない。しばらくは親戚の家の厄介になった方が良いに決まっている。

 どうして加奈子はこの町に戻ってきたのだろうか。

「あー、まぁね。向こうもそれなりに被害はあったけど、こっちみたいに町人全滅みたいな事態にはなってないし」

「なら、どうして?」

「……だって、心配だったし」

「心配? 家が?」

「晴ちゃんや大桐さん達だよ! 勿論他の友達もだけど……う、うぅ……」

 大きな声で叫ぶと、加奈子は目に涙を浮かべ、嗚咽を漏らす。普段らしからぬ反応に晴海は狼狽え、けれどもすぐに加奈子を抱き寄せ、自らの胸元で彼女を泣かせた。

 加奈子には、たくさんの友達がいた。

 その友達は誰もこの校庭にやってきていない。加奈子は普段ふざけてばかりいて、『おバカ』な事はよくやっているが……決して『馬鹿』ではない。むしろ聡いぐらいだ。友達の身に起きた事は、ちゃんと理解している。

 テレビにしろ、伝聞にしろ、町の災禍を聞いたであろう加奈子は皆の安否を確かめずにはいられなかったに違いない。例えそれが、どんなに危険であっても。

 花中もまた、泣きじゃくる加奈子をそっと抱き締めた。しばし少女の悲しげな嗚咽が、校庭内に響く。

「あー、花中と晴海が加奈子を泣かしてるー。いけないんだー」

 その陰鬱で悲しげな空気を読まない、一匹の『猫』の声が花中達の間に割り込んできた。

 顔を上げてみれば、ミィが生暖かい眼差しをこちらに向けていた。どうやら三人で仲良しこよしをしていたと思われたらしい。いや、実際悲しむ友人を慰めるのは、それなりに仲良しこよしな行為ではあるだろうが……

 ミィの声を聞き、加奈子も自分の姿を客観視出来たのか。もぞもぞ動きながら、抱き付く花中達を押し退けた。その顔は珍しく真っ赤に染まっていて、恥ずかしがっているのが窺い知れる。

 友を想って泣いていたのだから、恥ずかしがる事じゃないのに。そう思う花中だったが、しかし考えてみればクラスメート達が死んだかどうかはまだ分からない。他の安全な場所に避難しているかも知れないし、瓦礫の下に生き埋めになっている可能性もある。

 そのための救助活動は、既に始まっていた。目の前に居る、人智を超えた生命体達の手によって。

「ミィさん。どんな状況、でしたか?」

「んー……割と最悪。殆ど死んでるね。今日は三人ぐらいしか助けられなかったよ」

「三人……いえ、ありがとうございます」

 助け出した人間の数に花中は、痛いほどの悲しみと、同時に心からの喜びを覚えた。町一つ消えるほどの災禍なのだ。数人でも生存者がいるのは、十分に『吉報』である。

「ただいま戻りましたー」

「たっだいま、っと」

 ミィからの報告を受けたすぐ後に、更にもう二匹……フィアとミリオンも校庭に戻ってきた。

 彼女達にも花中は人命救助を頼んでいる。ムスペル出現時はムスペルを優先していたため頼めなかったが、奴はもういない。人命などなんの興味もないフィア達であるが、興味がないからこそ、花中のお願いをすんなり聞いてくれた。

「おかえり。えっと、どう、だった?」

「ふっふっふっ。この私の手に掛かれば人間の救助などお茶の子さいさいです。町中ひっくり返して五人も助けましたよ!」

「あら、それなら私の勝ちね。私、十人助けたから」

「んなっ!?」

 ミリオンは勝ち誇るように語り、フィアはそれを聞いて心底悔しそうな表情を浮かべた。どうやら救助人数で競争していたらしい。

 不謹慎にも思えるが、それでやる気を出してくれるのなら戒める必要はあるまい。少なくとも今に限れば。

「……うん。ありがとう、フィアちゃん、ミリオンさん」

「ぐぬぬぬぬ……ふんっ! まぁ良いでしょう! 花中さんに褒めてもらえましたしね!」

「ほんと単純ねぇ」

 花中に褒められ、あっさり上機嫌になるフィア。ミリオンはそれを微笑ましげに見つめ、花中もくすりと笑う。

「あと、はなちゃん。あまり油断しちゃ駄目よ? 今の地球は、ムスペル襲撃がマシに思えるぐらいヤバいんだから」

 そうして笑った花中を、ミリオンは窘める。

 花中は笑みを消して、静かに、こくりと頷いた。

 世界中の政府・報道機関が壊滅した今となっては、最早正確な数は知りようがないが……花中が最後に確認した時、世界に現れたムスペルの個体数は百を超えていた。

 東京のムスペルは地中へと帰ったが、他のムスペルは帰らなかった。他のムスペルは本当にただの野生動物であり、東京の個体と違って明確な目的などなかったのだろう。なんらかの理由で地上まで出てきて暴れただけ。だから『親玉』が帰っても、地殻には戻らない。

 あくまで自発的には、であるが。

 ミリオンが調べたところ、出現が確認されたムスペルは全て地殻へと帰っていた。中には死んだ個体も存在していたという。『何か』が世界各地でムスペルと戦い、撃退したのは間違いない。

 無論人間の力どころか、生半可な怪物の力であってもムスペルには立ち向かえない。野生のムスペル達を追い返せるのは、もっと強大で、もっと尋常でないパワーの塊のみ。

 ミュータントだ。

 世界中にミュータントが出現していたのだ。それも百体のムスペルを追い返せる、或いは殺せるほど大量に。

 想定はしていた事だ。ゴリラや怪鳥など、恐らく花中と無関係な場所で産まれたミュータントの存在から、世界中にミュータントが出現している可能性は。ミュータント達が自分達の住処を守ろうとした結果、ムスペルによる自然環境へのダメージは当初予想していたよりも深刻ではないらしい。勿論それでも被害は甚大で、元々個体数の少なかった種は相当数絶滅しているだろう。しかし個体数が少ないという事は、生態系への影響力は限定的。絶滅による問題はすぐには起こらない……とミリオンは分析している。

 地上の環境が辛うじてでも踏み止まっているのなら、それは喜ばしい話だ……その環境に人類が棲めるのなら、という前置きは付くが。いよいよこの世界は、ミュータントのものとなるのだろう。

 果たしてそこに人の居場所はあるのだろうか……

「全くミリオンは心配性ですねぇ」

 花中が不安を覚えていると、フィアが能天気な声色で答えた。何一つ心配していないその堂々たる姿勢は、なんの根拠も提示していないのに見ているだけで安心感を与えてくれる。花中の頬はふにゃっと柔らかくなり、自然と笑みが零れた。

「そんな心配などせずとも今の花中さんなら逃げる事ぐらいなら自力でやってくれますよ。うん!」

 直後にポンッと、フィアが花中の肩に手を置いてきた。

 ……花中は首を傾げる。

 どうやらフィアは、自分がミュータントから身を守れると思っているらしい。自分の力なんて、ミュータントどころかただの野良猫にすら勝てるか怪しいのに。いや、今まで散々ひ弱だの脆弱だの言っていたのに、どうしていきなりそんな考えを持つに至ったのか。

 馬鹿馬鹿しい。支離滅裂だ。

 ――――なのに。

 どうしてミリオンは、顔に手を当てた状態で俯いているのだろうか?

「……さかなちゃん、その話は止めときましょうって昨日話したわよね?」

「んぁ? ……………?」

「ああ、こりゃ完全に忘れてるわね。そのうちバレるとは思っていたけど、半日持たないとかどういう事よほんと……」

 フィアと話すミリオンは心底呆れている様子で、馬鹿にされた事を理解したフィアはムスッと唇を尖らせる。普段の大桐家でも交わされている、よくある会話のパターン。

 その見慣れたやり取りが、花中になんともいえない悪寒を走らせる。

 どうやらミリオンは、フィアに何かを秘密にするよう伝えていたらしい。しかしフィアは、丸一日も経たずにその秘密を忘れてしまったようだ。

 そしてその秘密は、花中(自分)に由来するものらしい。

 花中は無意識に辺りを見渡す。加奈子は興味深そうにこちらを見ていたが……晴海は、ハッキリと目を逸らした。ミィもバツが悪そうに視線を外す。

 フィア、ミリオン、ミィ、晴海だけが知っている事。そして昨日の話。

 一体、みんなして何を隠している?

「……まぁ、良いわ。隠していた理由も、今話してもいっぱいいっぱいになるからであって、いずれ話すつもりだったし」

「み、ミリオンさん。あの、何を」

「はなちゃん、まず一つ尋ねるわ」

 動揺する花中の言葉を抑え、ミリオンは花中の肩を掴む。まるで逃がさないと言わんげな行動に、花中の心臓は大きく跳ねた。

「あなた、さかなちゃん達がムスペルを持ち上げようとした時……何をしたか覚えてる?」

 次いで告げられた問いに、今度は全身が寒気を覚える。

 何をしたか? 何もしていない。自分はただ、応援していただけだ。そんなのは『床』になっていたミリオンが一番よく知っている筈。

 なのに何故そんな事を問うのか。

 まさか、その時に自分が何かやってしまったとでも言いたいのか……

「何も覚えてないみたいね。良い? はなちゃんは自覚がないみたいだけど、あなたは確かに『何か』をしていたわ」

「何、か……?」

「『何か』は分からない。でもね、あの時のはなちゃん……身体がちょっと光ってた。それとあの時、ムスペルの身体を持ち上げる力が()()()()()ぐらい増えたのよね」

 戸惑う花中に、ミリオンは淡々と説明していく。決して難しい話ではない。なのに花中の頭はその単語を全く飲み込めないでいる。

 自分の身体が光っていた。なんとも不思議な話だが、しかしこんなのはどうでも良い。ムスペルを持ち上げる力が増えた。これだって些末な問題だ。

 一番おかしなところは、『仲間一匹分』という言葉。

 ミュータントであるミリオン達が、仲間と思えるような力。そんなものをただの人間が出せるだろうか? 答えは勿論Noだ。原水爆すら、彼女達にとっては助力と呼ぶには弱過ぎるぐらいなのに。

 なのにミリオンは、花中(自分)が何かをしてきたと言っている。

 自分は何をした? 応援しただけのつもりだ。ムスペルには触れるどころか、三十五キロも離れた場所で眺めていただけ。

 しかし花中は知っている。触れずにものを動かす事が出来たとしても、なんら不思議ではない『生命体』の存在を。人間がその『生命体』に至ったとしても、なんら奇妙な事ではないと。そしてその『生命体』ならば、フィア達が仲間と認識するに足る力を有している。

 辿り着けた答えは一つ。他の考えはこれっぽっちも思い付かない。

「……わたしが、ミュータント……?」

 だから花中は、その考え以外言葉に出来るものを持たない。 

 誰も花中の答えを肯定しなかった。

 だけど誰も、花中の答えを否定する事もしなかった――――




衝撃? の真実と共に次章に続く。
花中にミュータントの素質があるのは、最初から決めていた設定です。ようやく出せたー

次回は今日中に投稿予定です。

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