彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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地獄の魔物4

 日本の首都である東京が怪物によって溶岩の海に沈んでから、凡そ一時間が経っただろうか。テレビは東京の怪物と同時刻に現れた怪物達についても報道していた。スマホの普及や映像機器の進歩により、世界各地でその姿が撮影され、テレビ局にその動画や写真が送られてきているらしい。

 プロが撮影したものもあれば、一般人が撮ったものもある。動画や画像の質はピンキリで、中には手振れが酷くて悲鳴しか聞き取れないようなものや、ピンボケ写真のようなものまであったが……ちゃんと撮影されたものには、どれも『そいつ』の姿がハッキリと映し出されていた。

 東京を溶岩の海に沈めた、あのおぞましい怪物と同じ姿が。

 それを理解した時、花中から気分の悪さは吹っ飛んでいた。人間がどろどろに溶かされた瞬間を目にした ― もしくはそう思い込んだ ― というのに、いざ本当に恐ろしいものを突き付けられれば我に返る。人間の精神というのは、人間自身が思うより頑丈かつ薄情な生き物らしい。それとも自分だけがそうなのか……花中はふとそんな事を思った。

「……大桐さん。これ、どうしたら良いと思う?」

 幸いにして、あまりの事態に冷静さを取り戻したのは晴海も同じようだ。落ち着いた口振りで尋ねられ、花中はほんの少しの安堵を覚える。

 尤も、胸に渦巻く動揺と比べれば本当に小さな安堵なのだが。

【り、臨時報道です。今度はフランスでも目撃情報があり……み、南アフリカにも?】

 テレビのアナウンサーはおどおどしながら、スタッフから運び込まれる情報をただただ読み上げる。時折スタジオからは女性のヒステリックな悲鳴と、男の喚くような声が聞こえてきた。最早この番組が全国に報道されているという事すら、彼等は失念しかけているらしい。

 平時ならば笑いのタネにもなっただろうが、世界中に怪物が同時出現となれば誰だって彼等のようになるだろう。いよいよこの世の終わりが、現実になろうとしているのだから。むしろ動揺しながらも淡々とニュースを読み上げるアナウンサーは、立派に職務を果たしているといえる。花中達も、彼のお陰で世界情勢を知る事が出来るのだ。どれだけ感謝してもしたりない。

 現在までに確認された、東京に出現したものと同種と思われる怪物の数は()()()()

 これでも未だ情報が続々と集まっているのが現状である。しかも情報が錯綜している中、映像などで存在が証明されたものだけでこれだ。下手をしたら三桁の大台に届く事も十分に考えられる。

 既に幾つかの国では怪物に対し、軍による攻撃が行われたらしい。人類と怪物の戦いが本格的に始まってから、既に一年も経っている。迅速な対応はとても心強い……が、相手は五百メートル級の種だ。たった数十メートルの怪物すら倒せない人類に、到底勝ち目のある相手ではない。奴等を撃退した事例はなく、発せられた『力』により一瞬で壊滅したという。

 軍隊をも壊滅させた怪物達は地殻より多量のマグマを引き連れ、周辺環境を焼き払っているらしい。怪物の進路上に都市部が存在するケースもあり、避難が進められているが……巨大な怪物は時速数百キロもの速さで移動しているという情報も出ている。数十万もの人々を逃すにはあまりに時間が足りず、その事実が人々のパニックを誘発して一層避難の遅れを招いているようだ。

 こんな状況を、どうにかする?

「……今から、サバイバルの訓練をする、とか。これから激変する、環境の中でも、生き残れるように」 

 花中にはなんの案も浮かばず、諦めた口からはジョークが出てきてしまった。

「……打つ手なしって事?」

「正直、わたしには、今すぐ彼等を追い返すような、方法は、思い付きません」

「そんな……だって、じゃあ、どうしたら……」

 告げられた内容を受け入れられないのか、晴海の口から出てくるのは問うような言葉ばかり。しかし花中だけでなく、フィアもミリオンもミィも答えない。

 誰にも分からないのだ。この恐ろしい災禍を食い止める術など。

 むしろ花中の方が知りたいぐらいだ。冗談抜きに、これは人類世界の終焉を招く可能性が高い。

 怪物によって衰退を迎えている今の日本に、失われた大都市を再建する体力はない。此度の災禍で国内の生産力が壊滅状態になれば、そう遠からぬうちに全国の経済とインフラが維持出来なくなるだろう。貧困と生活苦が限界を迎えれば、次に待っているのは秩序の崩壊。無秩序が全国に波及し、動乱による悲劇が憎悪を呼び、かつての同胞が暮らしを脅かす敵となり……やがて日本という国の枠組みが喪失するだろう。

 そして世界中でこれが起きている。難を逃れた国だって、怪物騒動そのものと無縁な場所なんて何処にもない。援助を出すどころか求める立場だ。一度蹴躓いてしまったら、もう再起の方法は何処にもないのである。強いて安心出来る要素があるとすれば、誰もが自分の事で手いっぱいなため他所に侵略される心配がいらない点ぐらい……今後迎えるのは、他国の独裁者に統治される方が遙かにマシな情勢だろうが。

 加えてあの怪物達の『出現方法』が大問題だ。

「まぁ、思考停止もしたくなるわよねぇ。仮にあの怪物を今この瞬間根絶やしにしたところで、最早この事態は収まらないでしょうし」

「な、なんでよ……?」

「アイツらが溶岩引き連れて、あっちこっちで自然環境を破壊しまくったからよ。今まで辛うじて保たれていた生態系も、アイツらが出現した時点で滅茶苦茶になった。つまり自然のバランスが崩れる事が確定した訳。これからは、これまで以上に怪物が出現するわ」

 まぁ、このままいけばふつーの怪物程度なら絶滅しそうだけど。笑えないミリオンのジョークに、晴海が引き攣った声を漏らしたのを花中は聞き逃さなかった。

 何故一年ほど前から『怪物』が出現するようになったか。確たる証拠はないが……二年前に起きた異星生命体事変が原因だというのが、花中のみならず多くの科学者の見解だ。生態系の仕組みにより大発生や移動が抑えられていた怪物達が、異星生命体と『超生命体』の戦いの余波による環境変化やある種の絶滅により、生息地から溢れたという事である。

 地中より現れた生命体も、異星生命体事変と同じ事をしでかしている。大量の溶岩と共に地上に現れた事で、森林などの環境が焼き払われた。溶岩に含まれる硫黄化合物や二酸化炭素により、大気組成や気候も大きく変化するだろう。更なる自然破壊により、これまで以上に多量の怪物が人間社会に現れる筈だ。その大量の怪物が都市を破壊し、破壊により生じた二酸化炭素などの物質が自然のバランスをまた崩し――――

 ポイント・オブ・ノーリターン。

 本来『引き返し不能点』という意味であるその言葉は、自然保護において「もう何をやってもどうにもならない時」を指す。かの怪物の出現は、どう考えてもこの一線を越える最後の後押しだ。

「つまり、何よ……アイツらをなんとか倒しても、もう地球は終わりって事!?」

「別に地球は終わらないわよ。アイツの目的が何かは分からないけど、ちょっと自然を壊す程度なら怪物が今以上に闊歩して人類文明が滅びるだけ。仮にPT境界並の大気候変動を起こしても、生物種の九割が滅びる程度。一億年も経てば多様性は元に戻るわ」

「そんなの人間からしたら地球が滅びたのと同じよ! そんな事になったら、あ、あたしも、みんなも……もう……ぅ、うう……!」

 感情的に声を荒らげた晴海は、やがて嗚咽を漏らし、項垂れ、しゃがみ込む。世界の終わりを告げられたのだ。今頃晴海の頭の中には自身や家族、友人達の死が過ぎっているかも知れない。悲しみや恐怖で泣き出してしまうのが普通だろう。

 けれども花中は泣かなかった。

 臆病で、恐がりで、何時も怯えている花中だが……だけど数多の超生命体達と出会ってきたからだろうか。近々人類文明の終わりが来る事をずっと前には予感していたし、その終わり方が穏やかなものではなく、ただ一種の破局的活動によって起こされる可能性もなんとなく考えていた。

 正直なところ今回の事態はある意味では『想定内』であり、驚きはあれど絶望や怒りはあまり込み上がらない。「ああ、ついに来たんだ」という達観の方が大きいぐらいだ。

 しかし諦めた訳ではない。

「……フィアちゃん。偵察は、出来る?」

「偵察? あー東京に現れた奴の動きを見てこいって事ですか?」

「ううん、そっちじゃなくて。何処でも、良いけど……日本以外に現れた個体を、見てきてほしいの」

「んー? どういう事ですか?」

 花中がお願いをすると、フィアは首を傾げた。理由がよく分かっていないフィアに、花中は説明する。

「世界中にあの生き物達が、現れているけど、東京に現れたのが、温泉街に居た個体、なんだよね?」

「ええそうです。気配とか力の強さが同じですから間違いありません」

「うん。じゃあ、他の地域とか国に、現れたのは、どんな個体なのかな? ミュータントなのか、普通の個体なのか」

「……ああ成程。確かにそいつらがどうなのかは分かりませんね」

「うん。もしかしたら、全部がミュータントなのかも、知れない」

 逆に、もしかすると……東京に現れた個体も実は普通の個体で、今回の事を画策したミュータントは別にいるかも知れない。

 声には出さなかったが、脳裏を過ぎった最悪の状況に、ぶるりと花中の身体は震え上がる。フィア達の本能を信じていない訳ではないが、相手がミュータントならば何かしらの策や能力を用い、自分の存在を誤魔化している可能性はある。元凶と思しき存在が地上に来ていないとなると、いよいよ手の打ちようがない。しかし目を背ける訳にはいかない可能性だ。

 ここで正しい判断をしなければ、自分達人間が生き残る事は出来ないだろう。

「そうよねぇ。思えば私達は、あの子達について何も知らない訳だし。今のまま戦いを挑むのは、無謀でしかないわ。どいつが元凶なのかを確かめるのもそうだけど、生態もある程度調べないとね」

「はい。それも必要だと、思います。だからこそ、調査が必要です。生態を解明すれば、撃退方法、それが見付からなくても、逃げ方や、共存の方法が、分かるかも知れませんし」

「ふむふむ成程。つまり弱点を探すのですね! 奴等をボコボコにするために!」

「んー。難しい事はよく分かんないけど、つまり東京以外の奴等がどんななのか調べた方が良いって事?」

「……まぁ、そうね。大体そんな感じ」

 花中の言いたい事をちゃんと理解しているのはミリオンだけ。呆れきった表情を浮かべるミリオンに共感し、花中も苦笑いを浮かべる。

「……大桐さん、もしかしてだけど……諦めて、いないの?」

 そんな花中達の話を横で聞いていた晴海が、か細い声で尋ねてくる。

 彼女の震えるような言葉は、まるで英雄を求める少女のよう。絶望的だからこそ、『諦めていない』人の姿になんらかの希望を見出したのか。

 期待には応えたい、が、嘘は吐けない。花中はハッキリとした動きで、首を横に振った。

「いえ、諦めては、います。多分、人類文明は、もうダメだと、思います。彼等の方が、『一手』、早かった。わたしには、ここから逆転する手は、思い付きません」

「そんな……でも、ならどうして……」

「人類文明は終わりだと、思いますけど……でも、人間が滅ぶかどうかは、別ですから」

 晴海の疑問に、花中は強い言葉で答えた。

 確かに、文明の存続は最早不可能だろう。ミリオンが言ったように、『そいつ』らが出現した時点で地球環境はズタズタにされている。今から『そいつ』らを全員討ったところで、今度は地球全域から怪物の総進撃が始まるだけ。いや、『そいつ』らも地球生命の一員である以上、普段は何かしらのバランス維持を担っていた筈だ。考えなしに殺し尽くせば、下手をすれば彼等の出現など比にならない大災厄をもたらすかも知れない。要するにどんな手を打ったところで、もうどうにもならないのである。

 でも、人間だって生物だ。

 PT境界――――地球の歴史上最大の大量絶滅では、全生物種の九割以上が滅んだという。原因は諸説あるが、劇的な酸素濃度の低下と火山活動による大気汚染及び酸性雨の増加、海水温や気温の上昇……これがほぼ同時期に起こるという地獄のような惨状が原因らしい。

 されどこれほどの危機でありながら、哺乳類も爬虫類も、昆虫も甲殻類も生き残った。種レベルでは壊滅的なまでに滅びても、分類群そのものが消失した訳ではない。生命とはそれほど逞しいのだ。

 人間も生命だ。知的生命体なんて()()()()呼び名を自分で付けているが、その前に地球で生まれ、地球で進化してきたサルの一種である。文明などなくとも、厳しい自然環境の中で生き抜く力は未だこの身に宿っている筈。

 人類は『そいつ』に敗北した。もうこれはどうやってもひっくり返らない。

 しかし負け方をマシにする事は出来る。大人しく滅びを受け入れるのまた美学かも知れないが、そんな美学は他の生物からしたらただの阿呆だ。どんなに惨めでも、どんなに屈辱的でも、足掻いて足掻いて足掻き抜いて、次代を繋ぐ……そうしてきたのがこの星の生命である。

 本当の敗北は、自分達が絶滅する事。それが花中の考えだった。

「まぁ、このままだと、多分、人間滅びちゃいますからね。彼等を追い返せば、もしかしたら、ちょっとは希望がある……かも」

「……そう、なのかな。まだ、あたしも、家族も……友達とかも……死なずに、済むのかな」

「全員は、難しいかも知れません。でも、不可能ではないと、思います」

 花中は自分の考えをありのまま打ち明ける。最初は少しぼうっとしているような、現実味がないような顔をしていた晴海だが……不意に、ぼろぼろと涙を零し始めた。

「ふぐ、う、うあああああああ! あだし、あたしまだ、死にたく、ない……!」

 そして大声で泣きながら、花中の胸へと跳び込んでくる。

 恐怖が限界に達したのだろう。いや、むしろここまでよく我慢したものだ。花中のように人類が薄氷の上で栄えている事を以前から知っていたなら兎も角、怪物の出現という漫然としたものでしか理解しておらず、挙句今日になっていきなり最早手遅れだと告げられたのだ。遠回しに近々お前は死ぬと告げられたのも同然。それもおぞましい怪物に殺されるか、飢えや寒さで野垂れ死ぬかの二択である。安らぎも尊厳もない死に迫られたなら、恐怖に震えるのが普通なのだ。

「ひぐ、ひっ、う、うぐ、うぅ……!」

「……守りますとは、約束、出来ません。わたしに、なんとかする力は、ありませんから……でも、出来るだけ頑張ります」

 嗚咽を漏らす晴海を、花中はぎゅっと抱き締める。偽りの言葉で安心させようとはしない。晴海なら、過酷な現実を受け入れられる勇気があると信じていたから。

 晴海が泣いていたのは五分か、それとも十分は経っただろうか。あっという間のようにも感じられた時間が過ぎ、おずおずと晴海は顔を上げる。目許だけでなく頬まで赤くなった顔を、晴海は花中から隠すように逸らした。

「ご、ごめんなさい。なんか、その……変に、思い詰めちゃったみたいで」

「いえ、普通の反応だと、思います。わたしは、まぁ、変に慣れちゃった、だけですし」

「むぅー。泣き止んだなら花中さんから離れてくれませんか? そこは私の特等席なのですから」

 泣き止んだ晴海と少し話を交わした辺りで、フィアが我慢ならないとばかりに割り込んできた。両手を花中と晴海の間に突っ込み、晴海を押し出して自分が花中の前へと居座る。次いでぎゅうっと力強く抱き締め、ご満悦な笑みを浮かべた。

 どうやら花中を取られてヤキモチを焼いたようだ。ワガママかつ自由な友達に、花中はくすりと笑みを零す。晴海も最初は少し不満げだったが、しばらくして呆れたように肩を竦め、すぐに笑みを浮かべていた。

「友情ごっこは済んだ? やるなら出来るだけ早く始めた方が良いと思うのだけど」

 むしろ一番のお邪魔虫は、毒舌混じりのミリオンだろう。

 割とムカッとくる言い回しだが、しかしその言い分には一理ある。出現した怪物達の目的は不明だが、時間が経てば何かを……それこそ直ちに人類が滅びるような事をしてくるかも知れない。暢気に友情を育んでいる暇などないのだ。

 言い方に怒るのは後回し。今は行動を優先すべき時である。

「……はい。えと、ミリオンさんと、ミィさんも、何処でも良いので、あの怪物が現れた、地域に、出向いて、様子を見てきてほしい、です。時間が惜しいので、手分けしましょう」

「ま、そうなるわね。良いわ、私は異論なし」

「あたしもOK。観察するだけならなんとかなるっしょ」

「ありがとう、ございます。それで、立花さんは――――」

 申し訳ないけど留守番を頼みたい。此度の相手はフィア達でも勝てるかどうか分からぬ存在なのだから。

「勿論、あたしも手伝うわよ!」

 そう伝えようとした花中よりも先に、晴海は自らの意思を表明した。

 花中は驚き、目を見開く。自分達の中では一番『常識的』である筈の彼女のアクティブな言葉は、花中にとって予想外のものだった。

「えっ!? え、でも、あの」

「危ないのは承知してるわ。巻き込まれて死ぬのだって勘弁。でも、もしかしたら人類が滅びるかも知れないのに、何もしないでいるなんて出来る?」

「それ、は……で、でも」

「少しでも情報はあった方が良いでしょ? 確かにあたしにはフィア達みたいに鋭い感覚はないけど、でも弱い人間だから気付ける事もあるかもよ?」

「うぐっ」

 なんとか言いくるめられないかと考える花中だったが、逆に晴海の意見に押し負ける。晴海の言い分は正論だ。人類の危機だからこそ、一片たりとも情報を逃してはならない。もしかすると人間にしか感じ取れない情報があるかも知れないのだから、人間の協力者は居た方が良いに決まっている。

 晴海も誰かと共に行き、調査に参加してもらうのが人類にとって最も有益な選択だ。そして()()()()()事に、ここで問答をしている時間的余裕はない。

「……ご両親の許しは」

「スマホなんて今は通じないわよ。みんな、一斉に連絡取ろうとしてるから。だから無理。許可も不許可も、ね」

 せめてもの足掻きとして吐いた台詞も、一瞬で切り捨てられる。

 花中は大きく息を吐く。ため息ではなく、己が覚悟を決めるための吐息だ。

「……分かりました。あの、ミリオンさん。立花さんを、お願い出来ますか」

 決心した花中はミリオンに晴海を任せようと考える。フィアは自分と一緒に行きたがるだろうし、ミィの身体能力を活かすには『脆弱』な人間など傍に居ない方が良い。ミリオンが晴海のパートナーとしては最適に思えた。

「任せときなさい。あんまりヤバくない限りは守ってあげるわ」

 そんな花中の考えをすぐに察したミリオンは、淡々とした口調でこう答える。

 つまり本当にヤバければ見捨てるつもりらしい。

 花中はちらりと晴海の方を見遣る。晴海はこくりと頷き、ミリオンの言葉の意味を理解したと伝えてきた。花中としては言いたい事がたくさんあるものの、しかし晴海の覚悟を無下にしたくなく、その想いをぐっと押し込んだ。

 これを堪えてしまえば、語るべき言葉は一つだけ。

「……よろしくお願いします」

「可能な限り善処するわ」

 頭を下げて頼む花中に、ミリオンは普段通りの口調で応える。

「さぁ、みんな行きましょ。時間は有限なんだから」

「ふん。あなたに仕切られずともやりますよ。さぁ花中さん一緒に行きましょう」

「あたしは何時でも良いよー」

 左程緊張していない声で口々に語りながら、フィア達は動き出す。フィアが花中を抱き上げ、ミリオンが晴海の手を掴み、ミィは一匹準備運動を始めた。

 残る人間二人は顔を見合わせ、同時にこくりと頷いた。身支度は必要ない。後は花中の一言があれば、全員が動き出す。

【こ、ここで政府からの発表が入りました!】

 そうして口を開けた花中の耳に、テレビの男性アナウンサーの声が聞こえてくる。そういえば消し忘れていたなと世俗的な事を思い出しながら、ふとその音声に耳を傾けた。

【日本政府は対策本部を設置。世界各国と共同で対処に当たると発表しました。また今回現れた生物を、今後は、ムスペル、と呼称するとの事です】

 男性アナウンサーからの発表には、地中より現れた怪物の『名』が含まれていた。

 ムスペル。

 確か北欧神話に出てくる炎の巨人の名前だったか。世界の終末の際、軍勢を率いてやってくるという。地の底より溶岩と共に現れ、数多の同種が出現する様は、成程実に神話の描写そのものである。

 生憎、『神様』と呼べるような化け物には見慣れているのだ。この程度で花中は怯みはしない。

 フィアに頼み、テレビを消してもらう。音声が消え、大桐家の中を静寂が満たした。

「……行きましょう。あの怪物……ムスペルについて、調べましょう!」

 その静けさの中では、花中のそこまで大きくない声もよく通る。

「分かりました」「ええ」「あいよーっ」「やってやるわ!」

 花中の号令を受け、三匹と一人はバラバラに返事をした――――大桐家から『人』の姿が消えるのに、それから瞬きほどの時間も必要としない。

 人間と人外達による調査が始まったのだった。

 

 

 

 というような事が大桐家で行われた、ほんの三十分後。

「な ん な の よ ! この寒さはぁぁぁぁぁ!?」

 晴海が、不満を爆発させたような叫びを上げていた。

 晴海が立つ地は冷たい雪に覆われ、白く色付いていた。その視線を少し上げれば、視界を埋め尽くす木々の壁が見える。真っ直ぐに伸びた幹、寒さの中でも濃い緑を保っている葉……典型的な針葉樹だ。更に視線を上げて空を見上げれば、どんよりとした雲が広がっている。

 つまりは極めて寒い環境な訳で。

 そんな環境下に長袖とはいえ可愛らしいセーラー服姿で居れば、寒いに決まっているだろう。

「そりゃそんな格好してればねぇ」

 晴海の傍に居るミリオンは、極めて真っ当なツッコミを入れた……正確には、真っ当に聞こえるだけなのだが。

 何しろこの地に晴海を連れてきたのは、ミリオン当人なのだから。

「アンタが行き先も告げずにこんな場所に連れてきたんでしょぉが!? 知ってたら厚着の一枚ぐらい羽織ってきたわよ!」

「そう? でも私ちゃんと言ったわよね。ちょっと北の方に行くって」

「北海道より更に北はちょっととは言わない!」

 キョトンとした様子で答えるミリオンに、晴海は感情を剥き出しにしながら叱責する。と、ミリオンはくすくすと笑い出した。絶対分かっててやったなと、案外『イタズラ好き』なミリオンの一面を知った晴海はがるると唸る。

 此処はロシア連邦に属する州の一つマガダン。

 極めて寒冷な地域であり、面積の四分の三をツンドラと寒冷地に適応した樹木による森林が占めている。十月でも平均気温はマイナス一度になり、セーラー服一枚で来るような場所ではない。

 では何故晴海はこんな場所に連れてこられたのか。

「まぁ、そのうち嫌でも暖かくなるわよ。ほら、すぐそこまでやってきた」

 その『目的』が傍までやってきたと、ミリオンは指を指して教えてくれた。

 視界を埋め尽くす樹木……その奥で、煌々とした赤い輝きがある。

 輝きは極めて強く、曇り空までも朱色に染め上げ、夕焼けのような景色を作り出した。一見して美しい風景だが、まるで怪物の唸り声のような地鳴りが一緒ではとても堪能する気になどなるまい。

 森からはふわりと風が流れてくる。とても暖かく、乾いた風。この極寒の地においては大変ありがたいそれを受け、晴海はぞくりとした悪寒を覚える。

 刹那、森からたくさんの動物が現れた。

 最初に現れたのはウサギやキツネ、ネズミなどの小動物の類。それも地面を埋め尽くすという言葉が比喩でないほどの、圧倒的大群であった。どの動物も余裕など感じられない全力の速さで駆けており、草食動物が肉食動物を押し退けて前に行くという滅茶苦茶な光景が繰り広げられている。群団を形成するのは哺乳類だけでなく、虫やトカゲ、カエルなども混ざっていた……雪が積もるような環境では、変温動物である彼等は普通冬眠しているのではないか? 暖かな風により目覚めた? 場慣れした花中なら疑問の一つも覚えたかも知れない。

 しかし晴海にとって、こんな生き物大群団を目の当たりにしたのは……四ヶ月前の温泉での出来事が始めて。加えてあの時の生物は妙に間が抜けてて、この大群のように鬼気迫る雰囲気などなかった。此度の生命が発する迫力に押され、晴海の頭の中は真っ白になってしまう。

 ましてや小動物に続くように、森からクマやシカまで出てきたなら、そんな『些末』な事を気にしている余裕などない。

「ひっ!?」

 晴海は悲鳴を上げ、ミリオンにしがみつく。ミリオンは微動だにせず、真っ直ぐ森を見据えるだけ。

 動物達はミリオンを避けるように動き、晴海達が彼等の体当たりを受ける事はなかった。動物達は何処かに向けて去って行く。その先にはもしかすると人間の町があるかも知れず、動物達と人間の間で一悶着ある可能性も否定出来ない。

 だけどそれ以上に、人間が町からとうに逃げ出している可能性の方が高いだろう。

【バルォォォオオオオオオオォンッ!】

 『生物』の鳴き声が、森の奥より響いてくる。

 晴海はこんな声で鳴く生物を知らない。いや、勿論テレビでは何度も流れていて、聞いてはいる。だから理性的には結び付くのだが、感覚的には違った。

 その雄叫びは身体の芯を、感情を揺さぶる。

 抗ってはならない。刃向かってはならない。『奴』はこの星で最も強大な生物なのだと本能が理解する。人間が何をしたところで、この化け物には太刀打ちなんて出来やしない。人間に出来るのは奴に背を向け、がむしゃらに走り続ける事だけ。

 晴海が肉体より沸き立つ衝動に支配されかけた、瞬間、()()()()爆音が聞こえてきた。連続した爆発だ。かなり遠くで起きているのか音自体は小さいものの、身体にはなんとなくだが衝撃が伝わってくる。相当強烈な爆弾……それを大量に用いた『攻撃』なのは間違いないと晴海は確信する。

「どうやら人間の軍隊が戦ってるみたいね。私達もちょっと様子を見てみましょ」

「え? 様子って、うひゃあっ!?」

 ミリオンも晴海と同じ結論に至り、されど「危ないから離れていよう」と思った晴海とは違う指針を立てたらしい。返事を待たずに晴海の手を掴むと、ミリオンは飛行機のような速さで空へと飛び上がる。

 本来なら慣性により晴海の内臓はぐちゃぐちゃにされるだろうが、体内にミリオンの個体が何十兆と入り込み、全身の細胞を補強してくれている……らしい。日本からロシアへ移動中聞かされた話を、晴海は今になって思い出す。あの時の移動は音速の数倍もの速さだったため、肉体的には無事でも精神的に半分死んでおり、今の今までその話はすっかり忘れていた。

 軽やかに高度数百メートルの高さまで上がるとミリオンはその場で静止。どのような力を使っているかは不明だが、ふわふわと晴海と共に空中を漂う。恐らく人類でも経験した人は殆どいない、正真正銘の空中浮遊。平時ならば、晴海も興奮しただろう。

 だが、今は違う。

 ――――燃え上がる森の中心に、真っ赤な池が出来ている。

 池はガスを漂わせ、ぼこぼこと泡立っていた。触れた木々をたちまち燃やしてしまう熱さを伴ったそれは、ゆっくりと、だが着実に広がっている。あたかも己の支配圏を拡大するかのように。

 そしてその中心には佇む異形の怪物の姿があった。

「ムスペル……あれが、アイツが……!」

 世界を終わらせる巨人。

 正真正銘の『怪物』の姿を、晴海はついに肉眼で目の当たりにしたのだ。

【バルォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオォンッ!】

 晴海が見ている前で、一際大きな咆哮がムスペルの大口から発せられた。

 生の鳴き声はテレビで聞いたのとは比較にならないほどの、身体が芯から震え上がる重厚感があった。まるで何十と用意したラッパを一斉に吹き鳴らすような、或いはピアノの全ての鍵盤を同時に力いっぱい叩くような、そんな鳴き声だ。

 しかしその鳴き声など比較にならないほど存在感を示すのが、圧倒的な巨体。

 溢れ出した溶岩の上で平然としている五百メートルもの身体は、ただ大きいというだけで、これまで経験した事がない強い恐怖を晴海に植え付けてきた。

「ひっ……あ、あんな生き物が、居たなんて……」

「ムスペルって北欧神話に出てきた巨人よね。そこから引っ張ってくるなんて、随分クールな名前の付け方するわねぇ日本政府も。それともヨーロッパ発なのかしら? 各国政府と連携を取るとか言ってたし」

 怯える晴海の手を掴むミリオンは、世間話のように語りながら肩を竦める。ミリオンと共に空高く飛んでいる晴海には、そんな肩の動き一つでも少なくない不安を覚えた。

 しかし怯え、震えているような暇はない。自分が此処に来たのは、ムスペルがどんな生物であるかを調べるためなのだ。晴海はこれまで『怪物』と呼べる存在と遭遇した事がなく、どんなものが重大な情報になるか全く分からない。いや、世界中に現れた多種多様な怪物達の姿形から察するに、共通するものなんてきっとないのだろう。

 ましてやムスペルは、なんの仲間なのかも分からない種。一見して些末な行為が、生物学的に重大な意味を持っている可能性も否定出来ないのだ。全ての行動をこの目に焼き付け、詳しい者(花中)に伝える必要がある。

 そう、決して目を逸らしてはならない。瞬きだって出来るだけしない方が良い。

「あら、ロシア空軍かしら」

 けれどもミリオンが淡々と漏らしたこの言葉により、晴海は反射的に視線をムスペルから外してしまう。

 意図せず目を向けた空には、激しいエンジン音を鳴らしながら飛行機が飛んでいた。軍事兵器には詳しくない晴海だが、細長くて小さな形は旅客機のものでない事は一目瞭然。間違いなく戦闘機だ。見れば空のあちこちを飛んでいて、ざっと五十機はある。

 ついつい眺めていると、一機の戦闘機から唐突に白い煙が出た。事故か、と思ったのも束の間煙は戦闘機よりも速く直進。煙の先に小さな塊が見え、それがミサイルだと晴海は理解する。

 他の機体も次々とミサイルを撃ち、その全てがムスペルに命中。人間どころかコンクリート製の建物だって一撃で粉砕するであろう、大爆発が無数に起きる。更には何機かの戦闘機がムスペル目掛け何かを落とし、やがてムスペルと接触した何かは、ムスペルを覆い隠すほどの大爆発を起こした。

 凄まじい攻撃だ。人間というのはこんなにも強いものだったのか。本能的には今でも人間の勝ち目なんてないと思っているが、理性ではこの爆発に耐えられるものなどないと思える。これほどの攻撃なら、倒す事は無理でも怪我の一つぐらい負わせられるのでは……

 人類の強さに希望を抱く晴海だったが、晴れた爆炎の中から『現実』が顔を覗かせる。

 ムスペルは無傷だった。いや、それどころかキョトンとした様子で、何をされたかも分かっていないようにすら見える。精々周りを漂う煙が鬱陶しいぐらいで、顔を左右に振って煙を吹き飛ばしていた。

 人類の攻撃がまるで効いていない……晴海の目にも明らかな事を、ロシア軍が分かっていない筈もない。そして爆発は先程からずっと続いていた。ミサイルや爆撃はもう何百発も喰らわせていて、それでもムスペルは健在なのだろう。空軍の攻撃では埒が明かないのは明白。

 人類が『切り札』を用いるのも致し方ない。

 唐突に、戦闘機達はムスペルから離れるように飛んでいく。晴海には一目散に逃げているとしか思えない、物凄い速さでの離脱だ。しかし攻撃も受けていないのにどうしてそんな大慌てで逃げるのか。

「……おっと、これは危ない」

 考え込んでいると不意にミリオンが独りごちた、刹那、晴海の視界は真っ黒に染まった。

 何を、と反射的に声を上げる前に、ずどんっという音と震動が晴海の身体に伝わった。大きなものではなかったが……芯が震えるような、重みのあるものだった。

 最初の音と震動は十数秒ほどで収まったが、その後何度も何度も立て続けに続いた。凡そ一分は経っただろうか。やがて震動も音もなくなったが、晴海の視界は何時までも塞がったまま。全く何も見えない。

 手足を動かしてみれば、晴海は自分がなんらかの球体の中に居ると気付けた。視界が塞がれているのではない……よく分からない場所に閉じ込められているのだ。

「ちょっとミリオン!? 何してるの!?」

 これはきっとミリオンによるものだろう。そう考えた晴海はミリオンを問い詰めた。

 実際犯人はミリオン以外にあり得ない。微細な個体の集合体である彼女は、個体の幾らかを晴海の周りに展開し、取り囲んでいた。

「ああ、ごめんなさいね。ちょっと水爆が飛んできたから、一言訊いてたら間に合わないと思って」

 そしてミリオンはそれを隠しもせず、淡々と打ち明ける。が、晴海の頭はようやく返ってきた答えの大半を聞き流した。

 文全体の意味よりも、『水爆』という一単語の方が遙かに重大なのだから。

「……す、すすす、すい、水爆!?」

「ええ。さかなちゃんが平気だから私もいけると思ったけど、案外どうって事もないわね。直撃を二発ほどもらったけど、結構へっちゃらだったわ。自分でも知らないうちに強くなったものねー」

「直撃したの!? えっ!? ほ、ほ、放射能とか、そういうのは……」

「なんのための全身包んでるのよ。放射線ぐらいカット出来るから安心なさい」

 慌てふためく晴海を、落ち着いた口調で宥めるミリオン。確かにもしもそのままの放射線を浴びていたなら、きっと今頃自分は死んでいるだろう。少し、晴海は落ち着きを取り戻す。

 しかしまさか水爆を使うとは。それも震動の数からして、何発もぶち込んだのだろう。これならば或いは……

 そんな希望を抱きかけて、晴海は首を横に振る。

 二発直撃を受けたというミリオンが「大した事ない」と言っているのだ。彼女さえも警戒する存在が、どうしてこの水爆で倒せるというのか。

「さぁて、立花ちゃんはちょっと離れたところに行っててもらえる? どうやらあの子、私と遊びたいみたいだから」

 最悪の事態を想定していると、ミリオンから不意にそんな言葉を掛けられる。

 同時に、晴海を包んでいる球体が動き出す。何処に向かっているかは分からないが、晴海が向いている方……ムスペルが居た場所とは反対側に進んでいるのは感じられた。

「み、ミリオン!? 何を……」

「別に帰れなんて言わないわよ。ちょっと遠くで、私達の遊びを見ていけば良いって話。大丈夫よ。私の勘が誤ってなければ、コイツ相手ならどうとでも出来るから」

 ミリオンは気軽な言葉を送り、晴海を包む球体は飛行機のような速さで飛ぶ。

 数分後急停止した球体は開かれ、晴海の身体は外気に触れた。放射線は大丈夫なようで、即死したり苦しくなったりはしない。開かれた球体はあたかも絨毯のように広がり、晴海が空高い位置に居るための足場となる。

 お陰で彼方に陣取るムスペルの姿がよく見えた。奴が乗っていた溶岩は今やほんの僅かで、周りには幾つもクレーターが出来ている。被害を免れていた森もかなり吹き飛んだようだ。障害物はなく、『これから』起きる事を観察するのに支障はないだろう。

 だがそれよりも今は。

「ミリオン!」

「はぁい、呼んだ?」

「どぅおえぃっ!?」

 思わずその名を大声で呼び、しかし直後背後から返事をされたものだから晴海は跳ねるぐらい驚いた。

 振り返れば、晴海が乗っている絨毯からニョキッとミリオンが()()()()()。そういえばあの球体はコイツ自身だったと、晴海は今更ながら思い出す。心配して損した、とまでは言わないが、安堵の気持ちが芽生えた。

 とはいえミリオンが『やる気』なのは変わらない。

 だから晴海は前へと向いた。ムスペルの姿を直視すると身体は自然と震えてきたが、それでも目を背ける訳にはいかないと自分に言い聞かせる。

 これより始まるものをしかと見て、何があったかを理解する。

 ただの人間である自分に出来るのはそれだけだと、晴海は理解しているのだから。




水爆は賑やかし。
現代人類の兵器は色々インフレしているから、中々滅んでくれなくて困る(オイ)

次回は明日投稿予定です。

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