彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

197 / 232
語らない予兆10

 燦々と降り注ぐ朝日の下、地平線の彼方まで黒い岩が続いている。

 その黒い岩が地表に出てきたマグマ……正確には溶岩と呼ぶのが正しいのだが……が冷え固まって出来た、玄武岩である事を花中は知っていた。玄武岩は地球上で最もよく見られる岩石と言われるほど有り触れており、噴火後の形成物としても一般的だ。とはいえ地表全てを覆い尽くすほどの量ともなれば、その光景は圧巻の一言に尽きる。草一本どころか苔すらない。生命の息吹が微塵も感じられないそれは、見方によってはある種の美しさも感じられるだろう。

 加えてこの地平線の先まで玄武岩に覆われた景色は、ほんの一晩で創られたもの。大自然の圧倒的パワーに、誰もが畏怖や尊敬の念を抱くに違いない。

 此処に昨日まで大勢の人々が住んでいたと知らなければ、であるが。

「……酷い」

 ぽつりと、花中は己が胸のうちを声に出す。

 話はフィア達から聞いていた。

 彼女達が嘘を吐くなんて思っていない。だけど町一つなくなってしまったなんて、どうして言葉だけで信じられるだろうか。昨日まで人の営みのあった場所が今では虫一匹居ない荒れ地だなんて、どうして受け入れられようものか。

 道路も、電柱も、建物も、そして生き物も、全てマグマの海に沈んだなんて――――

「花中さん顔色が悪いようですが大丈夫ですか? 気分に優れないのでしたら帰った方が良いと思うのですが」

 傍に立つフィアが、気遣いの言葉を掛けてくる。どうやら余程酷い顔をしていたらしい……花中は俯いた後どうにか口角を上げて笑おうとしたが、筋肉が引き攣って上手くいかない。

 無理に笑うのは止め、青ざめた顔をフィアに見せる。フィアは眉を顰め、困ったような表情を浮かべた。

「……やっぱり帰りませんか? こんなところを見ても何も変わらないと思うのですが」

「それは、そうだけど……わたしは、ちゃんと知りたい、から……」

「はぁ。そういうものですか。花中さんがやりたいのでしたら止めはしませんけど」

 花中の意思を全面的に汲みつつ、フィアは納得していないのか首を傾げる。

 フィアからすれば理解出来ないのも仕方ない。溶岩に沈み、最早何も残っていない大地を延々と眺めたところで、何が変わる訳でもないのだから。そんなのは花中も分かっている事だ。

 それでも、花中はこの景色を記憶に焼き付けようと思う。

 六百二十二人。

 この町に暮らしていた住人のうち現時点で()()()()となっている者の数だ。高齢者~中年が大多数を占めるが、花中ほどの年頃の女子や、生まれたばかりの赤子も含まれていると聞く。そして彼等が今どうなっているか、それを予想するのは極めて簡単な事だった。

 きっともう、誰も見付からない。

 だからせめて、此処に彼等が生きていたのだという記憶だけは、忘れないようにしたかった。

「でも立花さんも小田さんもやってない訳じゃないですか。本当にやる必要あるんですかね?」

「あはは……必要あるかって、言われると、困るかな。でも、二人とも、来たがっては、いたよ。多分、そろそろ来るんじゃないかな」

 フィアからの問いに答えながら、花中は友人達の事を思い起こす。

 晴海も加奈子も両親への連絡や安否確認のため、今は町外れに設置された『避難所』に向かっている。勇も親族への連絡や安否確認の手続きのために同行中。花中の分の確認もあるが、それは『変身』したミリオンが代わりにやってくれている。花中の気持ちを汲んでくれた上で、代わってくれたのだ。

 避難所は県が急いで設置した仮設のものであるため、人手やらマニュアルやら、色々足りないところが多いだろう。なので手続きに少し手間取るかも知れないが……だとしてもそう時間は掛かるまい。何しろ手続きを行う、人間そのものが殆ど居ないのだから。

 町を飲み干すマグマ。破滅的な災厄から逃れられた町人は、僅か僅か三十六人だった。しかもその多くは八十を超えた老人であり、前日には町から『一時的』に出ていたという。大地震で町から離れた者もいたが、僅か数人……一家族だけだ。

 生き延びた者達は口を揃える。「『しらせ様』の警告は本当だった」と。成程、確かにその通りかも知れない。出来れば『しらせ様』が現れた時点で、せめて大地震があった時にでも隣町に避難していれば、誰もがこのマグマの噴出から逃れられた筈だ。そのための時間は十分にあった。

 だが、多くの人々はそれを無視した。あまつさえ警告者を亡骸へと変え、無意味な『勝利』の余韻に酔う始末。誰もが浮かれ、酒を飲み……最期は為す術もなく、噴き出す大地の血液に飲まれた事だろう。

 これは人への戒めなのだろうか。自然や先人の警告を無視した人類への鉄槌なのか。

 ――――違う。

「……フィアちゃん。地面の下に、何か、居る?」

「さぁ? 気配は感じないので居ないかも知れませんが遠くに潜んでいるという可能性もありますね」

 問えば、フィアはそう答える。

 破局噴火を裏で引き起こした『生物』がいる。それもマグマの下、遙か数十キロもの地下深くに。

 フィア達からこれを聞かされた時、なんの冗談かと思った。破局噴火という大災厄を自在に起こせる生物なんて、存在する訳がない。大量絶滅さえも引き起こす災いを、地球という星の力をも超える地球生命なんている筈がない……理性は反射的にそう考え、フィア達の言葉を否定した。

 だが、フィアは単身で八千立方キロメートルという、最大級の破局噴火で溢れ出すマグマを単身で堰き止めてみせた。

 ならばどうして、三十万立方キロメートルのマグマを生み出す生命体が存在し得ないと言えるのか。言える筈がないのだ。花中はもう幾度となく、生命がどれほど途方もなく強大であるかを見ているのだから。

 存在しないなんて事はあり得ない。だから考えるべきはこれからについて。

 地中にはまだ、この災禍を起こした生命体が潜んでいる筈なのだから。

「(といっても、探す事すら出来ない訳だけど)」

 如何せん、場所が深過ぎる。海底ならばフィアの能力で簡単に探せるだろうが、地下奥深くとなれば時間も手間も掛かる。探索は不可能だ。

 勿論直接地底に乗り込めば、探索可能だろう。フィアやミリオンの能力ならばそれを成し遂げる事は難しくあるまい。しかし相手にとって地底は、恐らく最も得意とするフィールドである。ただでさえ途方もない力を持つ存在なのに、環境まで有利では本当に勝ち目がない。のこのこと地底に乗り込むのは自殺行為以外の何ものでもなかった。

 手を出せる相手ではない。それは花中も理解しているところである。

 だけど、だから仕方ないと諦めるのが正しいとも思えない。いや、何もせずにいる事がどれだけ愚かしいか。此度の『元凶』かどのような理由で破局噴火を引き起こそうとしたのか分からぬ以上、この町を襲った惨事はもう二度と起こらないなんて言える訳がないのだ。

 自分はこの町で『何』が起きたのかを知っている。その『何』かに対抗する事が出来る、かも知れない友達がいる。恐らくこの星で『何』かに立ち向かえる人間は自分だけ。

 なら、自分は――――

「花中さんなんだか難しい顔をしていますけどまた変に責任とか感じていませんか?」

 考えを巡らせていた時、フィアが声を掛けてきた。ハッとして親友の顔を見れば、ムスッと唇を尖らせた、なんとも愛らしい不満顔を見せている。

 地球の命運すらも握る超生命体の少女らしい表情に、花中は思わず笑みが零れた。「笑って誤魔化さないでください」とフィアに窘められてしまう。

「あはは、ごめんね。誤魔化した訳じゃ、ないんだよ。今回は、責任とかは、感じていないから」

「本当ですかぁ?」

 あまり信用していないフィアの眼差しに、本当だよ~などと柔らかな声で花中は答える。

 本当に、責任は感じていない。

 何もかも自分で背負おうとするのは止めたのだ。そもそもフィア達が活躍してくれなければ、破局噴火は止められず、地球環境は激変していたであろう。火山の冬が訪れ、大量絶滅が起きた筈だ。人間も、今日明日ではないにしろ何億何十億と死んだに違いない。

 フィア達が食い止めてくれたからこそ、被害は『この程度』で済んだ。花中は止め方を相談して決めただけ。なのにもっと上手くやればだの、自分の案が良ければだの……責任を感じる事自体が不遜である。

 ただ、()()()()()()()とは思う。

「おーい、はなちゃーん」

「んぁ? ミリオンの奴戻ってきましたか」

 遠くから花中を呼ぶ、ミリオンの声が聞こえてきた。『避難所』での書類作業などが終わったのか、はたまたどうしても花中本人が行かねばならない状況なのか。話を聞く必要がある。

 二人きりの時間が終わり、フィアはつまらなそうに口をへの字に曲げた。独占欲の強い友達の手をぎゅっと握り締め、花中はにっこりと微笑む。

「ん、そうだね。わたし達も、あっちに行こ」

「花中さんがそう言うのでしたら」

 出来れば自分とだけ一緒に居てほしい気持ちを隠さないフィアを、花中は握り締めた手を引いて先に進もうと促す。留まろうと思えば簡単に留まれるフィアは、なんの抵抗もなく花中と共に歩いた。

 責任は感じない。けれどもそれは後悔しないという意味ではない。

 今回町の人々が犠牲になったのは、地下に破局噴火を起こせる生物がいるなど考えもしなかった事が原因だ。知っていたら、迂闊な手出しが相手の行動を誘うと考え付いた筈だから。ちゃんと状況を把握出来ていれば、もっと良い方法が思い付いて、たくさんの人々を助け出せたかも知れない。

 人が死ぬのは嫌だ。嫌だから、次こそは止めたい――――花中がこの場を訪れ、何があったのかを知ろうとしたのはそのため。そこに責任感なんてこれっぽっちもありはしない。

 これは、花中の『やりたい事』なのだから。

「(そのためにも、もっと、地下とか地震について、勉強しないとね……!)」

 ひっそりと、だけど確かな覚悟を胸に刻み込む。

 あたかも、そんな花中の気持ちに応えるように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 小さな地震が、数秒だけ起きた。

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。