彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

196 / 232
語らない予兆9

 木々を跳び越え、家々を駆け抜け、フィア達は町の奥へと進む。

 夜も更けてきたとはいえ、まだ時刻は午後八時をちょっと過ぎた程度でしかない。町には街灯や家の明かりが灯され、とても明るくなっている。人の声が家々の中から聞こえてきて、未だ大勢の人々が活動しているのが窺い知れた。いや、むしろこの時間にしては賑やかなぐらいかも知れない。

 恐らく『しらせ様』を片付けて、誰もが喜んでいるのだろう。怪しい生物を自分達の手で追い払った、これからもこの町は平和でいられる、所詮迷信は迷信に過ぎない……なんて思っているのだ。ほんの数時間前に起きた大地震も、ただの地震でしかないと思い込んでいるに違いない。或いはその大地震が終わった事で、もう何もかも無事終わったと考えているのか。

 本当の終わりが、足下から着実に迫っているというのに。

「よっこらしょいちー」

 なんて難しい事は露ほども考えず、気儘に突き進んでいたフィアはやがて道路を砕くほどの勢いで着地。その場に留まった。フィアに続き、ミリオンとミィもこの場に降り立つ。

 フィア達の周りにあるのは立派な温泉宿、その温泉宿の宿泊客が利用するであろうお土産屋が多数。お土産屋の大半は「閉店」を伝える紙が一枚貼ってあるため空き家だろうが、中には明かりの点いている建物も見られる。多少廃れているが、駅前よりは幾らか活気がある様子だ。

 まだまだこの場所には、たくさんの人々が暮らしているらしい。だから多分花中が此処に来たら、さぞ悲しい顔をするに違いないとフィアは考える。

「此処が一番マグマが多いってのも、中々皮肉というかなんというか」

 何故ならミリオンが独りごちた通り、この場所こそが最もマグマが蓄積している地帯なのだから。

「しかしなんだって町のど真ん中なんだろうねぇ。端なら、作戦失敗で噴火しても全滅は免れたかもなのに」

「必然でしょ。温泉街として発展したのなら、一番温泉が出る場所に最初の町が出来た筈。一番温泉が出るって事は、元々地熱……つまりマグマの活動が活発な地点よ。そこから同心円状に町が発展したんじゃないかしら」

「ふぅーん。そーいう事か」

「まぁ別に人間が何人死のうがどーでも良いんですけどね」

 ミリオンとミィの話を横で聞いていたフィアは、肩を竦めながら己の感想を漏らす。

 フィアにとっては人間が何百人消し飛ぼうが、生きたまま焼かれようが、なんの興味もない。花中以外の人間など、別にどうなろうと知った事ではないのだ。

 けれども、花中は悲しむだろう。花中は人間が死ぬのを酷く嫌がるから。

 フィアは花中の笑顔が好きだ。悲しむ顔も可愛いとは思うが、笑ってる顔の方がずっと可愛いと思う。()()()()()()()()を奪われて大人しくしているほど、フィアは『思いやり』なんて持ち合わせていない。

 巨大噴火がどれほどのものかはよく知らないが花中を悲しませるなんて忌々しい。そんなもの自分が叩き潰してやる。

 フィアが天災に立ち向かう理由など、こんなもので十分。

「花中さんが嫌がるのならこんな溶けた岩程度ちゃっちゃと片付けませんとねぇ!」

 だからフィアが己が左手を大地へと叩き付けるのに、なんらかの躊躇をするなどあり得ない事だった。

 フィアが叩き付けた手から、大量の水が浸透していく。いや、浸透というよりも『貫通』と呼ぶ方が正しい。猛烈な勢いで地中奥深く……地上から十数キロもの深度を目指す。

 現在の人間の科学力では、この深さまで到達する事は至難の業だ。地球が生み出す圧力と高温により、最新鋭のテクノロジーなど易々と破壊されるからである。しかしフィアが操る水からすれば大した環境ではない。易々と岩を貫き、奥へ奥へと進んでいく。

 やがて目指していた深さまで達した水から、フィアは非常に高い温度を感知した。

 凡そ千二百度。今のフィアならば水の『分子固定』により造作もなく耐えられるが、生半可な生物では一瞬で気化するであろう超高温だ。質感はねっとりとしており、非常にゆっくりとだが流れているのが感じられる。周りの岩を溶かしながら、少しずつ、だが着実に存在感を増大させていた。

 わざわざ花中に訊かずとも分かる。これがこの町の地下に潜み、今にも爆発しかねないマグマの集まりだ。

「さぁーてちょいちょいっと片付けますかねぇ」

 地上のフィアは己の力に意識を向け、地中に伸ばしている水を操作。あたかもクモの巣のように、四方八方へと伸ばしていく。その範囲は町全体に及ぶほどだ。

 次いで広げた水の末端が、地中深くを目指して進んでいく。

 フィアは町の地下にあるマグマを、水から作り出した網によって包み込もうとしているのだ。網は岩盤を貫き、高熱にも耐えながらフィアの意図したように進み……ものの数分で八千立方キロメートルのマグマを完全に包み込んでしまう。

 無論ただ包んだだけでマグマが消えてくれる事はない。『捕獲』した状態なので強引に移動させる事も可能だが、そうすると町の地下に巨大な空洞が出来てしまう。最悪地盤沈下が発生し、町全体が沈んでしまうだろう。それでは作戦の意味がない。

 一番良いのは、マグマを冷やして岩石に戻す事。そうしてほしいと花中にも言われている。

「そろそろ掴んだ? じゃあ私達の出番かしら」

「まっかせとけー」

 そしてミリオンとミィの役割についても、花中が考えている。

「あ。別にこの程度ならあなた方の力は不要です」

 が、フィアはそれを拒んだ。

 キョトンとした二匹の前で、フィアは己の能力で水分子を操作――――マグマを包んでいる水の『分子固定』を()()()()

 熱エネルギー(分子の運動量変化)を拒絶する力が解かれた瞬間、マグマの莫大な熱がフィアの操る水に伝わってくる。一瞬にして数百度もの高温に達した水は、されどフィアが水分子を制御する事で気化には至らない。

 液体を保ったままの水は凄まじい速さで流動。マグマから離れるように移動し、地上に居るフィアの下に戻ってきた。そして熱せられた水は、地面に突き立てた手からフィアの中へ流れ込む。

 数百度にも達する超高温水。フィアはこの水を背中側へと回し……背中から細長く伸びる水触手に用いて、チョウの翅のような輪郭の翼を形作った。

 広げられた翼の大きさはざっと三メートル。水触手が枝分かれして紋様を作り出しているそれは非常に表面積が広く、多くの外気に触れる事で急速に冷却され、一気に数十度程度まで落ち着く。加えて能力により強制的な水蒸気化を起こし、気化熱による冷却も行う。強引な気化冷却により水は凍結寸前の温度まで下がり、冷やされた水は再び地中へと潜ってマグマの下に向かう。そしてマグマにより加熱された水はまたしてもフィアの下へ……

 フィアは単身で、物体の冷却能力を有していた。無論気化熱による冷却を行うとその分水を失う事になるが、ここは温泉地。地下水が豊富なため、水は幾らでも補充出来た。

 自然ではあり得ない急速な冷却により、マグマの温度は急速に低下。どろどろのマグマが、外側から段々と固まり始めた事をフィアは水を介して感知する。とはいえ固まり始めたのは外側部分だ。内部はまだまだマグマの状態を保っている。

 本来外側だけが固まってしまったマグマを更に冷却するのは、固まってしまった部分が断熱材の役割を果たすため難しいだろう。しかしフィアの操る水ならば、岩を砕きながら浸透する事が可能だ。

 フィアの周りには放熱された莫大な熱により、蜃気楼が生じている。されどこの熱により大気が加熱され、上昇気流が発生。新鮮で冷たい空気が地上より常時供給されていく。大気が数百度に達し、地上が灼熱地獄と化す心配もない。

 時間にしてものの数分。

 フィアは、ゆっくりと地面から手を離した。背中から生やしていた翼を仕舞い、放熱も止める。流れ込んでいた風は徐々に止み、静寂が辺りを満たす。

 そしてフィアはくるりと舞うように、ミリオンとミィの方へと振り返る。

「はいこれでお終いです。私がぜーんぶ固めちゃいましたから」

 次いで何処までも不遜な、その不遜さに相応しい偉業を成し遂げたと、ミリオン達に告げた。

 フィアはたった一匹で、易々と『破局噴火』クラスのマグマを固めてしまったのだ。本来ならミリオンとミィの三匹でやるべきところを、多分自分だけで十分だと勝手に判断して。

 これにはミリオンとミィも目を見開き、しばし呆然と立ち尽くす。しばらくして歪んだ二匹の顔に浮かんだのは、不満の表情だった。

「ちょっと、何自分だけ遊んで満足してるのよ! 私達の出番は!?」

「ありませんよそんなの」

「なんだよそれぇ。みんなで協力しなきゃどーにもなんないと思ってたのにぃー」

「別にあなたのような雑魚が一匹二匹居たところでねぇ?」

 肩を竦めながら飄々と語るフィアに、出番を奪ってしまった事への罪悪感など微塵もない。むしろ煽るような笑みと言葉を向ける始末。

 花中は恐れていた。フィア達がどれほど強かろうと、破局噴火という地球環境そのものを粉砕する大災厄を止めるほどの力があるのかと。

 結果的にその心配は杞憂だったのだ。フィア達ミュータントの力は、自然災害すらも嘲笑う。星が渾身の力で放出した莫大なエネルギーさえも、ミュータントを滅ぼすには足りない。単身で星の力すら乗り越えてしまう……そんな『怪物』がミュータントなのだ。

「というかあなた方そんなに噴火の押さえ込みをやりたかったのですか?」

「別にやりたかないけど、ここまで来て手ぶらで帰るとか癪じゃない」

「そーそー。あたしなんか任せとけーって言っちゃったんだよ。なんもしませんでしたーなんて、カッコ悪いじゃん」

「なんともまぁ身勝手な方々ですねぇ」

「さかなちゃんにだけは言われたくないわ」

「そーだそーだ。どーせ花中に良い格好見せたいとか、そんな理由で勝手にやったんでしょ」

「いえただあなた達と協力するのが面倒だっただけなのですが」

 やいのやいのと、年頃の少女達のような話を交わすフィア達。噴火が止まった事への安堵よりも、自分の活躍する機会がない事への憤りが勝っていた。地球生命を尽く滅ぼすであろう破局噴火を止めるという行いさえも、彼女達にとってその程度の意味しかない。

 かくしてフィア達はひっそりと、彼女達自身大きな達成感もないまま、この星の平穏を守ったのであった。

 ――――このまま終われば、であるが。

「そんじゃあそろそろ花中さんの下へ帰りますかねぇ」

 フィアは二匹からブーイングを無視して、山で待つ花中の下へと向かおうとした

 直後、フィアは跳ねるような勢いで背後を振り返る。

 それはフィアにとって無意識の行動だった。本能からの命令に、身体が反射的に従った結果。そしてフィアの知性が『本能』の意図を察するのに、瞬き一つ分の時間も必要としない。振り向いた時にはもう、フィアは何もかも理解していた。

 故に、ぞわりとした悪寒に身を震わせる。

 ()()()()()()()()

 突如としてその気配は現れた。いや、感知出来る距離まで急速に接近してきたというべきか。気配は地面のすぐ下ではなく、かなり深い位置に……フィアが冷やしたマグマよりも更に地中奥深くに潜んでいるようだ。

 そう、地中奥深くに。

 フィアは()()の気配には敏感だ。反面水平方向や足下の気配もそれなりには感じ取れるが、頭上ほどではない。距離が離れれば簡単に分からなくなる。

 頭上以外で何十キロという距離があっても分かったのは……二年ぐらい前に出会った、『化け物ヘビ』ぐらいなものだ。

 即ち、

「(アレに匹敵する何かが地面の下を動いている――――!)」

 フィアが自分の感じたものを言葉で理解した、丁度その瞬間の事だった。

 大地が突如として揺れ始めたのは!

 激しく大地が上下する。路上駐車されていた車が浮かび上がり、アスファルトで舗装された道路が波打ちながら粉砕。建物が次々と浮かび上がり、落ちた衝撃で潰れていく。

 震度で表せば七近い、巨大地震だった。とはいえフィア達からすればこんなものは大した脅威ではない。建物の下敷きになろうが、千切れた電線が直撃しようが、なんのダメージにもならないのだから。

 しかし『アイツ』は無視出来ない。無視していられるような存在感ではない。

「んにゃっ!? これは――――」

「中々、面白い事になってきたじゃない」

 ミィもミリオンも気配を察知しているようだった。だがフィアからすればそんなのは当然の事。むしろ、これほど巨大な存在感を感じ取れない方がおかしいぐらいだ。

 『アイツ』がナニモノかは未ださっぱり分からないが、知らないままでいる事ほど危険なものはあるまい。

「さかなちゃん!」

「ふん! 言われる前にやっています!」

 ミリオンが言葉を発する前に、フィアは返答通り地面に手を付けていた。その手からは水が浸透し、大地を貫き地中深くへと浸透していく。マグマを冷ますために包み込んだあの時よりもずっと速く、遙かに慎重に。

 フィアが伸ばした水は固まったマグマを貫き、奥へ奥へと進んでいく。三十キロほどの位置で水はマグマの海に突っ込んだが、『分子固定』の力を用いれば千数百度程度の温度ではビクともしない。更に進んで五十キロほどの位置に達すると、再び頑丈な岩盤が行く手を遮る。これも容易く貫きもっと先へと進めば、七十キロ地点でまたマグマの海へと入った。

「ぬぅ……こんな場所にもマグマが出来ているとは……」

「何処まで進んだの?」

「ざっと七十キロほどでしょうか。感覚的にそろそろ『アイツ』が潜んでいる辺りだと思うのですが」

「そう……ちょっとさかなちゃん、今何キロって言った?」

 ミリオンが肩を掴み、また尋ねてくる。同じ事を言わされる面倒に顔を顰めるが、言わなければもっと面倒だと思ったフィアはすぐに答えた。

「七十キロ地点です。三度教えるつもりはありませんからね」

「それよりこの地震は何が原因なのさ。いい加減収まらないと、人間の家が全部倒れそうなんだけど」

「あーそれは七十キロ地点に広がってるマグマが原因かと。なんか踊るように跳ね回っています。これが地面をぼこぼこ持ち上げてますね」

「うへぇー、地震ってそんな感じに起きるんだ。始めて知ったよ」

 未だ収まらない地震にミィが疑問を抱き、フィアが理由を答える。ミィは特段違和感もなく納得していた。

 ――――もしも此処に花中が居たなら、間違いなく思考の大海原に旅立っていただろう。

 地下七十キロ地点にマグマは存在しない。確かに地下五十キロより深い場所は、岩石の融点を超える高温環境である。しかし高過ぎる圧力により、岩石は固体の状態を維持し続けるからだ。

 一般的に地震の原因はマグマの動きではない。硬い岩盤に圧力が加わり続け、やがて大規模な破壊が起きた時に広がる衝撃によるものだと考えられている。大体マグマが激しく上下するというのがそもそもおかしい。東西への流れなら地球の自転などで説明出来ても、一体何がその上下運動を起こしているのか。

 花中ならばフィアの言葉をこう考えただろう。そしてこの場には、花中と同じく科学的知識に富んだミュータントが居た。

 異常な場所にあるマグマ、とんでもメカニズムで起きる地震……そしてこの町の地下に現れた『存在』。

「さかなちゃん警戒して! マグマと地震はそいつが生み出しているものよ!」

 ミリオンだけがこの結論に達した時には、もう遅かった。

 フィアの伸ばした水が地下の出来事を感知する。

 ふわりと、なんらかの『力』が水に伝わってきた。よく分からない力で、衝撃波のように広がったが、物理的干渉は何一つ起こしていない。電気的なものでもなければ、化学的な反応でもない。そんな不思議な『力』だった。

 それを受けたフィアの水は、一瞬で気化した。

 最初フィアはなんらかの錯覚かと思った。分子固定を施している水ならば、数万~十数万度の高熱にも耐えるのだ。水爆の直撃さえも平然とやり過ごし、最早太陽すらこの身に纏う水を引き剥がせない。そんな水を易々と気化させるなどあり得ない事である。

 だが、あり得ない事が起きた。間違いなく地下深くに浸透させていた水は、跡形もなく消えたのだ。

 この事実を瞬時に受け入れられたのは、フィアが野生のケダモノだからである。ケダモノにプライドはない。自分の力が打ち破られた悔しさや驚きは、大きければ大きいほどすぐに収まり、本能が現状を正しく理解する。

 理解出来たがために、フィアは背筋が凍った。

 数万度という超高熱に耐える水さえも分解する『力』は、衝撃波のように広範囲に広がっている。ならばフィアの操る水だけに影響が及んだ訳ではあるまい。自慢の水が呆気なく気化したのに、ただの岩や金属があの不思議な『力』を受けて無事だと考えるのは、いくらフィアでも馬鹿げた楽観視だと思う。

 そして水は()()()()()ほどの位置まで消失している。

 ならば今、自分達の足下三キロ地点の岩盤は――――

 フィアの脳裏に『予感』が走った、刹那、彼方より轟音が響く。まるで獣が唸るかのような重低音と共に、震えるような震動が地面から伝わった。

「っ!? アレ見て!」

 真っ先に反応したのは、フィア達の中で最速を誇るミィ。フィアとミリオンもすぐに身体が動き、ミィと同じ方角を見遣る。

 視線を向けた先には、夜空すら染め上げるほど強く光る、真っ赤なものが噴き上がっていた。まるで間欠泉のような勢いでどんどん出ているが、よく観察すれば噴出している赤いものが水ほどさらさらしていないと分かる。べっとりした粘性があり、朦々と湯気を立ち昇らせるもの……

 マグマだ。

 町の中心から離れた位置で、大量のマグマが噴出したのである。フィアが予感していた通り、広範囲に広がった『力』は岩盤を気化・溶解させたらしい。気化した岩盤は一気に膨張し、液化した岩盤はその気化岩盤に押し上げられて地上までやってきた。そして地中から掛けられた圧力により比較的脆い部分が砕け、結果マグマが噴き上がった……といったところか。

 なんにせよ自然現象の噴火とは全く異なるメカニズムによって起きたものなのは、フィアでも理解している。しかし出来事自体は自然界の噴火と大差ない。

 広範囲に『力』が展開されたからには、相当量の岩石が溶解し、マグマと化している筈。それこそ今し方冷やして固めた八千立体キロメートルどころではない、途方もない量のマグマがあるだろう。

 もしもそれが一気に地上へと溢れ出したなら、どうなる?

「あらあら、不味いわね。噴出口が出来ちゃったみたい」

「……つまり、噴火しちゃったって事?」

「そゆ事。破局噴火の序章ね」

 ミリオンが語るように、『破局噴火』となるのだとフィアも思った。

 これからどうする?

 取れる選択肢は、二つに絞れる。噴火なんて無視してこの場からそそくさと逃げ出すか、或いは噴出口に駆け付けて起ころうとしている破局噴火を食い止めるか。

 逃げるのは圧倒的に楽だ。足下に潜むモノがどんな輩で、どんな目的があるかなんて知る由もないが、この町から逃げれば追っては来まい。地震は今も続き、何処からマグマが噴き出すか分からないものの、自分達の身体能力ならどうという事はない。難なく切り抜けられるだろう。

 しかしそうすると噴火は止められず、世界は大きく変わり果てる。

 花中が言っていた。破局噴火が起こると地球の寒冷化が始まり、世界は滅茶苦茶になってしまうと。正直フィアにはあまり想像も出来ていないのだが、世界がとても寒くなるのはしんどい。食事である虫だって少なくなるだろう。

 更に心優しい花中は、そんな世界を見たら泣いてしまうかも知れない。

 世界を終わらせる災害かどうかなんてどうでも良い事。けれども花中を泣かせる『奴』の好きにさせるなんて我慢ならない。そもそもこの町の下にマグマが出来ていたのも、足下に潜む『アイツ』の仕業じゃなかろうか。

 だとしたら『アイツ』は花中を泣かせようとしている張本人である。

 自分の好きなものを奪おうとする輩の好きにさせるほど、フィアは優しくなかった。

「ふん! 歯応えがなくて拍子抜けしていたところです! 今度は本気で遊ぶまでですよォッ!」

 フィアは揺れる大地を蹴り、高々と跳躍! マグマが噴出している地点へと向かう!

 跳んだフィアは町の中心から約三百メートルほど離れた位置に着地。顔を上げ、周囲の状況を把握する。

 着地地点は町中央にある繁華街より少し外れた、地元民が使っていそうな商店街。シャッターが目立つものの、これは単に夜だから閉まっているだけか。明かりの灯された家は疎らであるが、それなりに多く、たくさんの人々が今も住んでいるようだ。

 尤も、それは過去形にした方が良さそうだが。

 マグマが噴き出していたのは、そんな商店街の一角だった。溢れ出すマグマの勢いは留まる事を知らず、近くにあった家は飲まれ、離れた家も飛び散るマグマにより燃え上がっている。明かりの灯された家も激しく燃えていたが、悲鳴などは聞こえてこない……つまりはそういう事なのだろうとフィアは理解した。

 逃げ出す暇なんてないだろう。マグマはとんでもない高温を発している。フィアはマグマの噴出口から三十メートルは離れているが、打ち付けられるように感じる熱波は数百度を軽く超えていた。人間ならば一瞬で内臓までこんがりと焼けているに違いない。仮になんとか生きていて、家から逃げ出そうとしたところで無駄というものだ。マグマは既に道路を埋め尽くし、人間が通れる道を塞いでいるのだから。フィアだからこそマグマを踏み締められるのであり、人間では自棄を起こしたところで三歩と進めまい。何も出来ず、熱波を受け……家の奥で蒸し焼きになっている筈だ。

 この辺りの人間は全滅か。花中さんの話を聞いて昼間のうちにさっさと逃げていれば助かっただろうに。

 人が死んだ事実を、されどフィアは淡々と受け入れた。()()()()はどうでも良い。問題はこのマグマと共に大量のガスが噴き出し、環境を変えようとしている事だ。マグマの勢いは留まる事を知らない……否、むしろ噴出口はマグマが溢れる度に少しずつ削れ、穴がどんどん大きくなっている。どうやらマグマの余力はたっぷりあるようだ。放置していても止まるのは遙か未来の事だろう。

 人間からすれば終焉を予感させる光景だが、フィアからすればチャンスだ。マグマが激しく出ている噴出口という事は、この穴の先には大量のマグマが溜まっている筈。穴に水を突っ込めばマグマを一気に冷却出来、冷え固まったマグマが蓋の役割を果たして噴火を止められるに違いない。

 懸念があるとすれば、未だ足下の気配が移動していない事。何を企んでいるのか。或いは何も考えていないのか。強烈な存在感以外分からない以上、その意図を読み取る事は不可能だ。もしかすると噴火を止めようとした時点で、なんらかのアクションを起こすかも知れない。そのアクションを真っ正面から受け止めるのは、フィア自身難しいと感じる。相手の存在感を、力の強大さを感じ取れるからこそ、その感覚の確かさには『自信』があった。

 けれども相手を気にして動かなければ、それこそ『アイツ』の思惑に嵌まるようなものだ。動かない、なんて選択肢はない。

「ふんっ。なんだか分かりませんがこの私を嘗めるんじゃありませんよォ!」

 フィアはマグマの海を踏み越えながら前へと進み――――マグマが噴き出す穴に、躊躇いなく己の腕を突っ込んだ!

 腕を突っ込むほど肉薄した事で、右半身が噴出するマグマに包み込まれる。マグマの温度はざっと三千度以上。一部気化しているのかボコボコと泡のようなものを含み、気泡が弾けた際の衝撃がフィアに伝わる。先程まで地下に溜まっていた分のマグマとは比較にならない、途方もないパワーだ。油断すれば大量の水で固められているこの身でも浮かび上がり、吹っ飛ばされてしまうかも知れない。

 フィアは足から出した水を地面に浸透させ、自身の『身体』を固定。その後腕を文字通り伸ばしてマグマの内部へと進出する。腕から水を四方八方へと伸ばし、マグマの全貌を把握しようとした。

 マグマ溜まりが出来ているのは、やはり地下三キロ地点。奥へ行くほど高温になるのは、圧力により沸点が高まっている事が理由か。しかし沸点ギリギリの温度には変わりなく、何所もかしこもボコボコと泡立っている。そうした気体の力がマグマの噴出を後押ししているのかも知れない。

 無論この地点は、最初のマグマ冷却時には普通の岩盤であった。水を直接通したのだから間違いない。謎の『力』……恐らくは『アイツ』が放ったであろうものにより、溶解させられたのだ。

 何より凄まじいのは、これが半径数十キロにも渡って広がっているという事。

 深さ三キロ地点から、恐らく七十キロより更に下まで広がるマグマの海。水を操るがために、フィアにとって体積の計算は得意分野だ。この町の地下に形成された、新たなマグマの体積も簡単に算出出来る。

 今この地で蠢くマグマの総量は、推定三十万立体キロメートルだ。

 ……仮にこれが一気に噴出しようものなら、巨大隕石の衝突に匹敵するエネルギーをぶちまけたも同然である。破局噴火という言葉すら生温いほどの災禍が地球を呑み込み、数多の生命が滅びるだろう。フィアにはそこまでの事は分からないが、「流石にこれはヤバい」とは感じた。

 すぐにでも冷まさないと不味い。フィアは伸ばした腕の『分子固定』を解除し、マグマから熱を受け取る。加熱された熱はすぐに引っ込めて『身体』へと戻し、背中から生やした水触手の翼から放熱。冷却後に再び地中へと戻す。

 やる事は先程と全く同じだ。マグマ(液体)の熱を全て吸い尽くし、岩石(固体)へと変えてしまう。これだけで良い。

 良いのだが、今回は上手くいかない。

「(流石に……多過ぎる……!)」

 マグマの量が、あまりにも莫大だったからだ。

 冷まして岩石に戻しても、周りにある大量のマグマから熱が伝達し、すぐにマグマへと変化してしまう。一回目がコップのお湯に氷を落とすようなものだとすれば、今回はお風呂の湯船に氷を落とすようなものだ。莫大な熱を有するためいくらやっても冷めきらない。先程のマグマよりも遙かに高温なのも、冷め難い要因の一つである。

 最悪なのは、マグマ自体が『発熱』している点だ。気化した際に生じる泡や、浮上するマグマ同士が擦れ合う事で、摩擦熱が生じている。単位面積当たりの摩擦熱は微々たるものなのだが、三十万立体キロメートルという圧倒的巨大さにより無視出来ない量となっていた。良くて奪い取る熱ととんとん、下手をすると生み出される熱の方が多いかも知れない。

 このままではジリ貧だ。状況を変えるには、もっと多くの熱を吸い取り、放熱する必要がある。

「もう! フィアったら先走り過ぎ!」

「さかなちゃん、どんな感じかしら?」

 そのために必要な『モノ』が、今になってようやく近くにやってきた。

 フィアはマグマの噴出口に手を突っ込んだまま、首だけを動かして遅れてきたミィとミリオンを見遣る。次いで何かを告げる前に、背中から二本の水触手を伸ばした。

 一本の水触手はミリオンの腕に絡まり、もう一本はミィの身体に巻き付く。二匹とも避けようとすれば避けられるものだったが、僅かにキョトンとしながらも回避行動は取らない。

 何故ならこれは最初の打ち合わせで決めていた、本来の作戦なのだから。

「地下にマグマが溜まっています! 大体三十万立体キロメートルほどです!」

「三十万って……シベリア・トラップの十分の一が一気に溢れ出したら、下手しなくてもPT境界線以上の大量絶滅が起きるわね。猫も犬も滅びるわねこりゃ」

「シベリアなんちゃらとかぴーてぃーなんたらが何かは知らないけど、猫がヤバいならほっとけないね! ちゃっちゃとやるよ!」

「では遠慮なくっ!」

 ミィの掛け声を受け、ミリオンの返事を待たずにフィアは『策』を始めた。

 やる事は極めてシンプル。マグマより取り込んだ熱を水触手へと送り、その水触手の熱をミリオンとミィが受け取るだけ。

 熱を自在に操る力を持つミリオンにとって、マグマから回収された莫大な熱の制御などお茶の子さいさいというもの。大気など比にならない、早さと下げ幅の冷却が可能だ。二千度近くまで熱せられた水が、数秒と経たずに氷点下手前まで冷える。

 ミィもまた排熱能力に優れている。身体に溜まった熱を血液で運び、吐息と共に吐き出す。これを積極的に行えば身体を極低温まで下げる事も可能だ。外気温よりずっと低い身体は、ミリオンほどではないが冷却効果に優れる。これにより自身の身体に巻き付いた水触手を冷ますのだ。

 これこそが花中がミリオンと相談して編み出した、対マグマ用の策。フィアが回収した熱を、ミリオンとミィの力により排熱・冷却を行う。そうして効果的にマグマを冷やそうというのである。最初のちっぽけなマグマには用いる必要すらなかったが……これを考えておかねば、今頃何も出来ずに逃げるしかなかっただろう。

「ふっははははは! これならばなんの問題もありません! 一気に冷やしてやりますよ!」

 強力なサポートを得たフィアは高笑い。操る水をマグマ全域に、広く浸透させていく。

 今やフィアは冷却を意識する必要がない。水を伸ばし、熱を集める事だけに注力出来る。広範囲から莫大な熱を掻き集め、それらを全てミリオン達に押し付けていく。先程までの数倍以上の効率でマグマを冷却しており、最早摩擦による発熱などあってないようなもの。どんどんマグマの温度は低下していった。

 ついにマグマの集まりは二千度を下回り、部分的ではあるが岩石に戻り始める。まだまだこれだけでは冷却不足だが、それでも終わりが見えてきたのは確かだ。フィアはニヤリとほくそ笑む。

 ――――あたかも、それを見ていたかのように。

 不意に、地中の気配が動いた。

 ほんの小さな動きだった。精々もぞりと身を捩った程度。されどフィアは全身にぞくりとした冷たさが広がったのを感じる。反射的に防御態勢を取ろうとし、操る全ての水に『分子固定』を施した。

 今度は、不思議な『力』の波動は来なかった。

 代わりに、固まりかけていたマグマの温度が突如として上昇を始めている。二千度を超え、三千度……四千度をも超えた。フィアの水にはなんの影響もないのに、マグマだけに異様な温度上昇を起こしているのだ。

「なっ!? 何が――――」

 突然の高温化にフィアが驚愕した、直後、東の方角から爆音が響く。

 振り向けば、何百メートルも先で大地が弾け飛び、血のように赤いマグマが噴き出している光景が見えた。しかも一ヶ所だけではない。二ヶ所、三ヶ所……次々と大地が破裂し、マグマが噴出している。当然大地の上にある家々は吹き飛び、燃えながらバラバラに砕け散っていた。

 東での光景に目を奪われていると、今度は西、続けて南でも同じ事が起きる。町から続々とマグマが噴き出す。夜にも拘わらず、町がどんどん明るくなっていく。

 先の急激な加熱により大量の岩石が気化し、その圧力で一気に複数箇所でマグマが噴出したのか。状況を分析しながら、フィアは唇を噛み締める。

「小癪な手を……!」

 そしてフィアは足下にある気配を一瞬睨み付けた。

 どのような意図かは分からない。だが、足下の気配は間違いなく、なんらかの目的を持ってこちらの行動を『妨害』したとフィアは思った。でなければあのタイミングで、こちらが固めたマグマを()()()という行動を起こす筈がない。それが本能的な行動なのか、或いはなんらかの知性が下した決断なのかは流石に判別出来ないが、どちらにせよ大した違いではあるまい。

 本能ならば『アイツ』は一切の考えなく、ある程度固まった段階で再び岩石を加熱してマグマに変える。

 知性ならば『アイツ』はこちらが諦めるまで執拗に、目的を果たすまで岩石を加熱してマグマに変える。

 何も変わらないのだ。これから自分を遥かに上回る強大な存在と、終わりの見えない根比べをしなければならないという事実は。

「ミリオン! 野良猫! 少しばかり吸い上げる熱量を増やすので覚悟しなさい!」

「ええ、構わないわよ。どうやらあちらさん、正面からやり合うつもりみたいだし」

「うぐぅ。こっちの体力持つかなぁ……」

 ミリオンとミィも気配や周りの状況から、地下で何が起きたか察したのだろう。元より二匹の了承がなくとも真っ向勝負をするつもりだったフィアは、張り巡らせた水へ強く意識を傾ける。

 ただ広範囲に展開していただけの水を、フィアは更に細かく分けていく。さながら植物の根のように、産毛のような突起を生やしたのだ。これにより水の表面積は劇的に増加。より広い面積のマグマに触れ、より多くの熱を受け取れるようになる。

 そして受け取った熱は、全てミリオンとミィに押し付ける。ただ巻き付くだけでは足りない。こちらも細かく分岐し、ミリオンは両腕に、ミィは胴体から首下までぎっちりと巻き付いた。

 加えてミィには、巻き付いた皮膚表面にある毛細血管へと浸透。血液に直接高熱を明け渡す。

「ぶぎゃっ!? あぢゃっ!? あ、熱いんだけど!? フィア何してんの!?」

 さしものミィも血液に熱を直送され、本気で苦しそうな悲鳴を上げる。尤も、ミィでなければ一瞬で血液が一千数百度まで加熱され、気化した血液により爆散しているだろうが。

 フィアとしてもミィに死なれては困る。『冷却装置』が一つ欠けた状態で勝てるほど、『アイツ』が手緩い相手とは思えないのだから。

「あなたの血に直接熱を送り込んだだけです! それともっと気張りなさい! これからもっと熱を流し込むのですから!」

「ちょ!? アンタあたしを殺す気!?」

「死なれては困るから全力で踏ん張れと言っているのです!」

「死ぬから加減しろって言ってるんだけどぉ!?」

 ミィの抗議には耳を傾けず、フィアは宣言通り更に熱を吸い上げ、二匹に送り続ける。

 三十万立体キロメートルものマグマが発する熱量は膨大だ。人間の機械では、何万台冷却装置を用意しようが処理しきれない。ましてや生身の生物では、僅かに触れただけでプラズマ化するだろう。受け止め、排熱するなど出来っこない。

 されどミリオンはこの莫大な熱を受け止める。身体を形成している数千京もの『個体』が、熱そのものを運動エネルギーに変換。大気中の分子にこのエネルギーを分け与える事で『排熱』を行う。

 ミィもまた口より灼熱の吐息を吐き出し、フィアから与えられる高熱を処理していた。吐息の通り道には蜃気楼のような揺らめきが生じ、どれほどの熱が濃縮されているかを物語る。

 二匹が何をしているかなど、フィアには分からない。だが何かをしているのなら、コイツらなら多分大丈夫だという確信がある。だからなんの遠慮も躊躇もなく、フィアは集めた熱を送り続けた。

 人類科学では太刀打ち出来ない、最早自然現象ですらない巨大なパワーを、たった三匹の存在が受け止め、流していく。如何に異常な状態であろうとも、地下のマグマとて無限の存在ではない。奪われた熱の分だけ冷めていき、マグマは瞬く間に固まっていく。町のあちこちから噴き出していたマグマも収まり、地震も静まった。少しずつ、少しずつではあるが、平穏が戻ってくる……

 だが、地中の気配はやはりそれを許さない。

 マグマ全体が固まり始めた時を見計らうように、再び地下に潜む気配は身を揺れ動かす。ただそれだけで冷ましたマグマは一気に沸騰し、大地に空いた穴から止め処なく溢れ出た。ご丁寧に勢いを増した状態で。

 流動するマグマに突き上げられ、大地震が町を襲う。深度七という最大級の値すら生温いほどの揺れが襲い、町が、世界が崩落し始めた。

 フィアですら、バランスを崩し膝を折る。腕を突っ込んでいる穴からはこれまで以上に激しくマグマが噴き、フィアの全身に降り掛かった。二千度近くまで加熱されたマグマが、折角冷やした水分子をまた温めていく。

 このままでは押し返される。直感的に判断したフィアは、更に二本の水触手をミリオンに巻き付け、ミィの足にも一本の水触手を絡み付かせた。

「っ……これは流石に辛いわね。ちょっと、強めの『排熱』するわよっ」

 これまでの倍の熱量を受け取り、ミリオンは水触手の巻き付く腕を持ち上げた。両手の掌を向き合わせ、しかしながらくっつける事はなく、数センチほどの隙間を保つ。

 やがてその手と手の間に、眩い光が生み出された。

 熱を光へと変換しているのだ。最早運動エネルギーに換えて周りの分子に渡すだけでは間に合わず、もっと『非効率』な変換による消費に切り替えたのである。閃光は周囲を昼間よりも眩く照らし、最も光に近いミリオンの姿を掻き消してしまう。

「ぬっ、こん、ちく、しょおぉぉっ!」

 ミィも無策では耐えられないとばかりに咆哮を上げた、刹那、その身を大きく膨れ上がらせる。

 ボキボキと骨が折れるような音と共に、少女の姿が変貌していく。顔面の骨格が変形し、腕は何倍もの太さへと膨れ上がる。臀部より一本の尾が生え、振るった勢いだけで道路に深々と傷を入れた。

 その身が三メートルはあろうかという巨体へと変化した時、もうそこに少女どころか人の姿はない。ミィは本来の姿である、巨獣の姿へと戻ったのだ。

「すぅぅぅ……ゴオオオオオオオオオオオッ!」

 そして空を見上げるや、開いた口から青い火焔を吐き出した!

 全身の力を解放して全力で流動させた血液の熱は、排出先である肺の空気をプラズマ化させ、火焔という形に変化させたのだ。これにより体内の熱は一気に放出されていく。

 ミリオンとミィの『本気』。フィアが吸い上げた莫大な熱は二匹が全力で廃棄し、新たなマグマも冷め始める。地震が収まり、フィアが腕を突っ込んでいる穴のマグマも静まった。

 直後、地下の気配は四度目の動きを見せる。

 今度の気配は、震えるように()()()()()()()。動き続けるという事は……謎の力が放たれ続けるという事。

 マグマが瞬時に沸騰し、またしてもフィアの腕が入っている穴から溢れ出す。だが、此度はそれだけに留まらない。

 地下の気配が放つ力は止まる気配すらない。マグマは冷めて固まるどころかどんどん熱くなり、放射されている熱が伝わった岩石は続々と溶解していく。最早岩が残っているのは地表付近だけだ。

 即ちマグマが大地を掻き分けて昇ってくるのではなく、大地そのものがマグマと化している。

 此度町の至るところで噴き上がったマグマは、今までのように圧力で大地を吹き飛ばしたものではない。大地そのものが溶け、膨張し、弾け飛んだ結果だ。液体と化した地面に建物を支える力などなく、例外なく続々と沈んでいく。眩い紅蓮の輝きが、町そのものを包み込んでいった。

 フィア達の足場が無事なのは、フィア達が熱を吸い上げているからに他ならない。三匹が力を合わせても、フィアを中心にした十数メートルの地面を保つのが精いっぱいだった。

「……全く忌々しい」

 ぽつりと、フィアは呟く。

 この結果は分かっていた事だ。

 地下に潜む何かの存在感からして、『アイツ』は途方もない強さを持っている。様々な敵と戦ってきた事で大きく成長し、今の自分は二年前と比べ桁違いに強くなったが……一年半以上前に出会ったあの『ヘビ』には、未だ勝てるどころか、まともな傷を与えられるとも思えない。

 三匹力を合わせればなんとかなるかもと思ったが、少し『アイツ』がその気になればこの様だ。

 幸いにして直接襲われている訳ではない。高々数千度のマグマを歩いて渡るぐらい容易い事である。脱出は容易。諦めた、その瞬間に逃げ果せられる。

 だから――――フィアは動かない。

「どうせ負け試合なら最後ぐらい本気を出すとしましょうかァ!」

 まだ彼女は、このケンカを諦めていないのだから!

 フィアの全身から、無数の水触手が生える! その触手が伸びる先に居るのはミリオンやミィではない。遙か彼方、何十メートル、何百メートル先へと伸びていく。

 伸びた水触手はマグマの海に突き刺さり、あたかも巨大な塔のように町のあちこちにそびえ立つ。水触手からは翼のように平べったい膜が伸び、四方に面積を広げていく……理由は勿論効率的な放熱のため。

 町はマグマと、フィアが放射した熱による蜃気楼で満たされた。煌々と放たれる赤い輝きを揺らめく空気が乱反射させ、ぼんやりとした真紅が世界を塗り潰す。マグマより漂う高濃度硫化水素により、周辺のあらゆる生命が駆逐され、命の息吹が潰えていく。

 もう、そこに町は存在しない。あるのは紅蓮色の地獄だけ。

 町だった場所に何百もの塔と翼が広がり、マグマの海から吸い上げた熱を大気中に放射していく。マグマは固まる側から『アイツ』が放った力により溶け、一層熱くなっていくが……フィアは止まらない。

 ミリオンもミィも逃げ出さない。どちらも全力でマグマの熱を排出し、フィアの冷却を手助けする。二匹とも逃げようと思えば簡単に逃げられるのに。

 元より三匹は、この町を守ろうなんて思っていない。地球生命の存亡すら、ミィ以外は興味が薄い始末。破局噴火を食い止めようと思ったのは「そのぐらいならなんとかなるかも」というある種の楽観が理由である。

 だから、これは意地だ。

 折角楽しんでいたのに、ふらりとやってきて何もかも滅茶苦茶にしていって……

 そんな奴に好き勝手されるなんて、癪なのだから。

「ぐぎぎぎぎ……!」

 歯を食い縛り、唸り、フィアは渾身の力を込めて水を操り続ける。

 莫大な熱を相手に、フィア達は奮戦していた。相手は破局噴火の数十倍ものスケールのパワーを、易々と連続で繰り出すような相手。人間ならば文明の総力を結集したところで、最初の一発で跡形もなく消し飛んでいる。三匹は間違いなく、地上の生命にとって英雄的活躍をしていた。

 だが、英雄とて不滅ではない。

「ぐ、ゴオオオオオオオオッ! ゴ、ゴボッ、ゴオオオオッ!」

 ミィの口から吐き出される炎が、勢いを衰えさせる。熱を受け取った際の僅かなダメージが蓄積し、十分な熱循環が出来なくなってきたのだ。排熱行為である火焔は途切れ途切れになり、身体がどんどん熱くなる。

「……………」

 ミリオンは口も開かず、光を生み出し続ける。しかしその光はあまりにも強烈なものとなり、既に物理的エネルギーを伴うようになっていた。なんらかの指向性を持たせレーザーとして放てれば良いのだが、如何にミリオンとて万能ではない。手の内から全方位に放たれた光は、()()()()に立つミリオンを直撃。小さくとも確実な打撃をミリオンに与えた。

「ふぬううぁぁぁぁぁ……! この程度でえぇェェェェ……!」

 最も負担が大きいのはフィアだった。三十万立体キロメートルもの体積に水を張り巡らせた挙句、表面積を増やすため何百と生やした水触手を可能な限り複雑な形態へと変形させている。本能的な制御とはいえ、脊椎動物であるフィアの本能が宿る場所は脳だ。無意識の計算が頭の中を引っ掻き回し、頭痛となって襲い掛かる。そもそも操る水の量が莫大で、体力がみるみる削られていた。

 いくら挑もうと、マグマも地震も収まらない。いや、激しさを増していくばかり。最早足下の地面を残すだけで必死な有り様だ。破局噴火を食い止めるなんてやってる場合ではない。

 あと少し。もう少し。せめてムカつく『アイツ』を苛立たせるぐらいには。

 思えども、願えども、力の差は埋まらない。如何にマグマの海をも渡れる能力があるといっても、それは体力や精神力がある程度残っている状態での話だ。このまま精根尽き果て、そんな状態でマグマの海に沈む事となれば、フィア達とて生還出来ない。

 そろそろ退き際か――――フィアは地上の水触手から伸ばしていた翼を畳み始めた、丁度その時だった。

 不意に、地下深くの気配が消えたのである。

「……は?」

 思わず、フィアは呆けた声を漏らす。

 慌てて気配の方に意識を向ける。見失った……否、違う。気配が移動したのだ。より地下深く、地球の深部に向けて。

 そして気配は戻ってくる様子がない。正体不明の『力』も感じ取れない。

 つまり今、地上を焼き尽くそうとしているマグマ達は――――通常よりも遥かに高温である以外、()()()()()()だという事。

「……あなた達! 最後は一気にいきますよォ!」

「任せなさい!」

「どーんとこーい!」

 フィアの掛け声に、二匹は意気揚々と答えた。

 マグマや岩石を加熱する『力』さえなければどうという事とない。ミリオンとミィ、そして何百と伸ばした水触手は、毎秒莫大な熱を大気中に放出。マグマを急速に冷却していく。

 『力』による援護がなくなり、マグマが再加熱される事はもうない。地表のマグマはすぐに冷やされて固まった。四千度を超えていた地下数キロ地点のマグマも、ものの一分で元の岩石へと戻る。更に奥深くのマグマは、冷却作戦開始前からマグマだったものだが……ものはついでとばかりに冷却。分厚い岩盤に変えてやった。

 気配が去ってから、ほんの十分程度。

 もう、地震は起こらない。大地から噴き出すマグマもない。突き立てられた水触手も常温となり、放熱がない大気は透き通ったものに戻る。

 世界を幾度も終わらせられるであろう地中のエネルギーは、三匹の生物により完全に処理されたのだ。

 尤も、それを成し遂げた三匹は呆けたように立ち尽くしていたが。

「……終わりですよね?」

「戻ってくる感じはないわね」

「何か企んでるとか?」

「企まれるほど善戦した覚えはないのですが」

「なら、帰ったんでしょうね。飽きたか、諦めたか、目的を果たしたのかは知らないけど」

 三匹は言葉と意見を交わし、現状を理性的に理解する。

 だけど、こんなのは別になくても良かった。

 彼女達の本能は、既に戦いの終わりを感じ取り、すっかり弛んでいたのだから。

「うはぁー……やぁっと終わりましたかぁー」

「づ、つかれだぁ……」

「あら、情けないわねぇ。疲労如きでへばるなんて、これだから生命体は」

「疲労すらしないあなたがおかしいんですよこの無生物が」

「そーだそーだ」

 軽口を叩き、笑い合う三匹。

 これが勝利であるかは分からない。しかしもしも『アイツ』の好きにさせていたなら、今頃破局噴火により地上環境は激変していただろう。フィア達が食い止めた事で、噴火の勢いは最小限に抑えられ、放出されたガスも環境に影響を与えるほどのものにはならなかった。

 ならばきっと、『アイツ』の思惑通りにはならなかったのだろう。今はそれだけで十分だ。少なくともフィアはそう思っていた。

 或いは、()()()()よりも重大な問題があって、単に『アイツ』の事など頭の隅へと追いやっただけか。

「……さぁーてこれを花中さんにどう説明しますかねぇ。頑張ったのですから褒めてほしいのですけど」

 フィアは眉を顰めながら辺りを見渡す。あたかも大した問題ではないかのように。

 事実フィアにとっては気に留めるような問題ではない。けれども花中にとっては大問題だ。二年以上一緒に暮らしているのだから、いくらフィアでも分かる。

 かつて温泉街があった場所。けれどもそこにはもう、町と呼べるものは何もない。

 地平線の彼方まで、夜空のように黒い岩だけが続いていたのだから……




破局噴火を都市消失レベルまで抑えたので勝利です(震え声)
実際成果的には大勝利なんですけどね。

次回は10/4(金)投稿予定です。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。