彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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語らない予兆8

 チューブワーム。

 日本名では『ハオリムシ』と呼ばれるこの生物は、極めて独特な生態を有している。例えば硫化水素などの毒性物質を多量に含み、数百度という高温にもなる熱水噴出口に高密度で群生している点。そしてその身体には()()()()()()()()()()という特徴がある。

 胃も腸も持たない彼等がどうやって生きているのか? 仮説ではあるが、こう説明されている。体内にある種の菌類を共生させており、菌から有機物を提供してもらっているというもの。

 その菌の名は硫黄細菌。

 硫化水素などの硫黄化合物を酸化反応により分解し、それにより取り出したエネルギーを用いて有機物を合成する。彼等にとって硫化水素は正しく『ご飯』であり、どんどん食べて繁殖していく。ハオリムシはこの硫黄細菌を細胞内に棲まわせる事で、熱水噴出口から無尽蔵に放出される硫化水素を糧に出来るのだ。

 『しらせ様』も、恐らくは同様の生態を有する生物なのだろう。

 硫黄の臭いがする事から分かるように、温泉、ひいてはその源泉には微量ながら硫化水素が含まれている。『しらせ様』は体内に棲まわせた硫黄細菌の力で温泉に含まれる硫化水素を分解し、生きるための栄養素を合成しているのだろう。もしかすると彼等がせっせと分解してくれているお陰で、喜田湯船町の温泉は人間にとって安全な水準まで硫化水素濃度が低下しているのかも知れない。

 もしもこの推測通りの生態を有しているなら、『しらせ様』達にとって硫黄細菌は文字通り生命線だ。硫黄細菌を働かせるために好適な環境を本能的に求め、移動するだろう。

 そして源泉内に含まれる硫化水素を糧としているなら、硫黄細菌は高温環境を好む筈。一番硫化水素が豊富なのは地下から噴出した直後の、超高温の熱水なのだから。より硫化水素濃度の濃い、より高温の源泉に近付けるものこそが適応的だ。『しらせ様』は硫黄細菌を最大限働かせるため、どんどん高温に適応していったに違いない。

 そうして高温に慣れ親しんだ身体は、逆に低温環境にはどんどん弱くなっていった筈だ。存分に熱を受け取れる環境で発熱する能力は不要であるし、高熱が中まで伝わる皮膚は体温を守るのに向いていない。

 だから、『しらせ様』は何かが起きると変な場所に現れるのだ。

 例えば大地震の前震により、今まで利用していた熱水噴出口が塞がった。或いは地上で地盤沈下が起きる前に、源泉内の空洞で起きた岩盤崩落によって熱水噴出口が埋まった。または崖崩れが起きるほどの大雨が浸透してきて、源泉の温度が一時的に急低下した……こうした時に『しらせ様』は戸惑い、右往左往し、迷ってしまった一部の個体が地上へと出てくるのだろう。昔の人々はこの事象を長い年月の間に度々目の当たりにし、経験的に異変を察知したのだ。

 さて、ではなんらかの理由でマグマの流れが変わり、熱水噴出口が粗方止まってしまったら何が起きるだろう?

 きっと『しらせ様』達の間では大パニックが起きたに違いない。かつてない異変に、何十万、何百万という個体が大移動を始めた。けれども今度は何処にも良い場所がない……マグマの流れが変わり、何処にも熱水噴出口がないのだから。しばらくして硫化水素も食い尽くし、寒さと空腹で困り果てた筈だ。あっちへふらふら、こっちへふらふら。宛てのない旅を続けた事だろう。

 やがて『しらせ様』の一部が辿り着いたのが――――現代人達が暮らす地上へと繋がる温泉だった。

 それでも彼等が生きるには低温過ぎる環境だったが、自分達が調査していた時に起きた地震により、再びマグマの流れが変わった。結果激しく加熱された熱水が噴き出し、『しらせ様』はその熱水に惹かれて移動を開始した……というのが源泉内で起きた出来事の真相か。

 そして流れが変わったマグマは、今もこの町の地下にどんどん蓄積している。このままでは何処か、最悪町の中心で噴火が起きかねない。

「……と、わたしは、考えています」

 花中は自らの考えを話し終え、ふぅ、と小さくない息を吐いた。

 花中がこの話をしていたのは露天風呂の一角。先程起きた大地震により旅館は大きく傾いてしまい、かなり危険な状態のため、外で話した方が安全と判断した結果である。尤も露天風呂の石床も地震の影響で歪み、大きく波打っていた。

 そもそもにしてフィアやミリオン達が居るのだから、建物が崩れてきても恐ろしいものでもないのだが。

「ふぅーむ成程成程そういう事でしたか」

 フィアは特段考えた素振りもなく、花中の話を殆ど鵜呑みにしている。

 そんなフィアとは違いミリオンはちゃんと考えている様子だったが、反論の言葉などは出てこない。ミィも何も言わず、晴海や加奈子も黙ったまま。

「……一つ、確認させてくれますか」

 意見してきたのは、勇だけだった。

「あ、はい。えと、なんでしょうか……」

「『しらせ様』の生態については、間違いないのでしょうか?」

「硫黄細菌と、共生しているのは、間違いありません。ミリオンさんが、見付けて、くれました」

「マグマが町の地下に溜まっている事は?」

「フィアちゃんが、調べて、くれました」

「えっへん」

 花中の話に出たのを誇るように、フィアは胸を張る。勇は口許に手を当て、しばし考え込む。

「……残念ですが、それでは証明になりません」

 やがて出てきた答えは、花中の結論を全面的に否定するものだった。

「おじちゃん!? なんで信じてないの!?」

「早とちりするな。俺はこの目で見てきたから、ちゃんとこの話を信じている。この子の考えが多分正しくて、町がピンチなのもそうだと思う。だが……」

「人智を超える生物達が調べました、火山が噴火するのですぐに逃げましょう……なんて言って、誰が信用するかしらねぇ」

 勇の言葉の続きを、けらけらと笑うミリオンが代わりに答えた。

 そう。花中の推論には()()()()()

 最先端の科学技術ですら、地下の様子を探るのは難しい事だ。それを見た目ただの『小娘』二人が生身で調べましたと言って、どうして人々が信じるというのか。むしろ信じてしまうような人は、色んな意味で危ういと言わざるを得ない。

 花中達だけで証明するには、フィア達が人間ではないと教える必要があるだろう。しかしそれは非常に危険だ。怪物の出現により、人々は今まで以上に『脅威』を受け入れられなくなっている。フィア達が正体を明かせば、間違いなく町全体が敵に回るだろう。無論フィアが数百人程度の人間にやられるなどあり得ないが、助けるという観点では最悪である。それに町の人々を助けた後も花中達の生活は続く。妙な悪名が付き纏うようになっては色々不味い。

 研究者達に学術的な調査をしてもらい、噴火の危険を述べてもらうというのが一番確実な方法だが……

「フィアちゃん、マグマは……その、かなり、危ない感じだったんだよね」

「そうなんじゃないですか? どんどこ集まってるような感じでしたし。あれはもう何時噴き出してもおかしくないんじゃないですかねぇ」

 フィアの感知した状態が正しければ、最早一刻の猶予もない。暢気に科学者を呼んでいては手遅れになる。

 どうすべきなのか。どうしたら良いのか。どんなに考えても、花中には答えが出せない。

 何をしたらこの町の人達を救えるのか――――

「……お客様方。お逃げください」

 考え込む花中に『提案』してきたのは、勇だった。

 顔を上げた花中の目に、微笑む勇の顔が映る。その微笑みはとても優しく、そして、辛そうなものだった。

「この場所も、もしかしたら噴火に巻き込まれるかも知れません。危ないですから、一刻も早く逃げた方が良いです」

「そうですね。さっさと逃げましょうよ花中さん」

「で、でも、それをしたら、町の人は……!」

「……お客様達が居なければ、誰も噴火の事など知りようもありませんでした。『しらせ様』を目の当たりにしても、です。ならばここでお客様が逃げても、結果は何も変わりません。いえ、私と妻が逃げられる分、二人の命を助けたと言えます。素晴らしいご活躍じゃないですか」

 勇は宥めるように、悲しみを滲ませながらも淡々と語るばかり。花中は反射的に反論しようとして口を開くが……良い言葉が思い付かない。

 何故なら、勇の言葉に納得してしまったから。

 火山噴火は天災だ。これまでに何度も、人類誕生の何十億年も前から繰り返されている災禍である。人間はその力に為す術もなく逃げ惑い、そして次代こそ悲劇を免れるよう様々な言い伝えを残してきた。

 『しらせ様』は正にその言い伝えの一つ。

 けれども現代の人々はこれを無視した。自然への、先人への敬意を忘れ、自分達のプライドにしがみつき、豊かさを奪ったものを憎むようになったから。自分達が無力と知り、生命と先人の声に耳を傾ければ、誰もが助かったのに。

 そして花中(自分)達は、その災禍をなんとか出来ると思っていた。

 しかしこれこそ自惚れなのではないか? 助けられる命を助けたいというのは、人として当然の想いだろう。だけど全ての命を助けたいなんて、それこそ神様ぶってるようではないか。古来では神の力と恐れられた天災相手に、神様ぶるなど『不敬』だ。しかも自分だけでは何も出来なくて、友達の力を借りねば噴火の事など分からなかった癖に。

 勇とその妻である早紀を助けられる。本来噴火によって吹き飛ぶという、二人の『運命』を覆したのだ。人の身でありながらこれだけ出来れば、それは偉業なのかも知れない。そして何時までも逃げずにちんたらしていたら、勇と早紀、晴海や加奈子も噴火に巻き込まれる。

 決断の時は迫っていた。

「大桐さん……」

 晴海が、花中と目を合わせる。その目は悲しみに暮れていて、けれども突き付けられた現実を受け入れているように見えた。

 フィアも、ミリオンも、ミィも、花中に意見などしない。全員を助け出すなど端から無理だと考え、合理的な結論を既に導き出しているのだろう。だから意見などない訳だ。

「……フィアちゃん。ミリオンさん、ミィさん。出来るだけ、遠くに、此処に居るみんなを――――」

 『現実』を受け入れ、花中は友達に自分達の保護を求めた

「ちょおおおっと待ったぁ!」

 刹那、一人声を上げる者が現れる。

 底なしの元気さ。

 論理的な思考を感じさせない、衝動の強さ。

 それでいて人間らしい健気さ。

 こんな声を出せる者は、この場にただ一人。声を詰まらせた花中だけでなく、全員が一斉に彼女の方へと振り返る。

 ビシリッ! と花中に指を指している、小田加奈子の方へと。

「……小田、さん……?」

「大桐さんタンマ! 諦めるのはまだまだ早いぞぃ!」

「加奈子、お前何を言っているんだ? 早いも何も、みんなをどうやって避難させるつもりなんだ」

「無理矢理避難させるってんなら、拒否するわよ。そんな事したら面倒になるに決まってるんだから」

 加奈子を牽制するように、ミリオンが先んじて拒否を伝える。ところが加奈子は不敵な笑みを浮かべた。

「ふふふふふ。無理矢理はやってもらうけど、避難なんかじゃないよ。大体それじゃあ勇おじちゃんの旅館、吹っ飛んじゃうし」

「じゃあ、どうするつもりよ」

「避難じゃないってどゆこと?」

「さぁ?」

 ミリオンだけでなくミィとフィアも、加奈子が何かを企んでいると気付き顔を顰める。不安、なんてものはないだろうが、面倒臭さは感じているのだろう。

 しかしその顔は、すぐに呆気に取られたものへ変化する事となる。

「ズバリ、噴火そのものを()()()()()んだよ!」

 加奈子が告げる、あまりに荒唐無稽な『作戦』によって。

「……は? 噴火を、やっつける?」

「そう! ミリきち達ぐらい強いなら、火山の一つ二つどーとでも出来るでしょ!」

「いや、加奈子。お前は何を……」

「出来るでしょ! 出来るんならやってよ! そうしたら、みんな助かるんだから!」

 叔父の制止も無視し、加奈子はミリオンに縋り付く。

 ミリオンは顰め面と共に口を閉ざし、加奈子の問いに答えない。答えないという事が、ミリオンの答えを物語る。

 ――――()()()のだ。

 ぞくりと、花中は背筋が震えた。恐怖ではない。期待と確信で震えたのだ。確かにフィア達の出鱈目なパワーならば、人智を超えた力ならば……噴火という巨大な自然の力をも捻じ伏せられるかも知れない。

 でも、それは許される事なのか?

 フィア達は人間ではない。けれども噴火を止めようとするのは、人間の意思によるものだ。自分達が助かりたいという一身で、地球という母なる星の脈動に干渉して良いのか? 干渉した結果起きるかも知れない『何か』への責任を取れるのか?

「あ、あの、小田さん。火山の噴火は、地球規模の、活動です。止めたら、何が起きるか……」

「だから?」

 堪らず尋ねる花中だったが、加奈子はキョトンとしながら答える。

 その反応に、質問した花中の方が目を丸くして戸惑う。まるで地球のバランスが崩れる事など、知った事かと言わんばかりだったから。

「何が起きるかなんて分かんないよ、私は神様じゃないんだからさ。でも、それを言ったら人助けなんて出来ないじゃん。助けた子供が将来殺人鬼とかテロリストになるかも知れないでしょ?」

「そ、それ、は……そう、かもです、けど」

「地球がどうなるとか、変な事が起きるかもとか、心配になる気持ちは分かるけど……私は、難しい事はよく分かんないから。だから、助けられる人はとりあえず助けたいの。困った事が起きたら、そん時に考えれば良いんだよ!」

 加奈子からの意見に花中は後退り。パクパクと喘ぐ口から、言葉は出てこない。

 あまりにも真っ直ぐだから。

 その真っ直ぐさが花中には羨ましい。あれこれ考えてしまう前に、やりたい事をやろうと言えるその気持ちが。

「……あたしも、今回は加奈子に賛成」

 そして彼女の真っ直ぐさは、友人をも動かす。

 晴海が加奈子の傍に立ち、加奈子に賛成を示した。

「おっ。晴ちゃんも私側なんだ」

「今回はね。地震とか噴火を無理矢理押さえ付けるのは、確かに危険かもだけど……

もしもを考えるより、今をなんとかしなくちゃ前になんて進めないもの」

「立花さん……でも……」

「勿論大桐さんの心配は分かるわ。人間がなんかやろうとして失敗したーなんて、フィクションじゃお約束過ぎて飽きてくるような展開だし。それでもあたしは、やらないでする後悔より、やってからする後悔の方がマシだと思う」

「……立花さん……」

「おっ、晴ちゃんカッコいい事言うねぇ」

「茶化さないの。アンタだって偶には良い事言うじゃない」

「私ゃ毎回良い事言ってるゼ」

「調子に乗んな」

 ぺちんっ、と優しく加奈子の頭を叩く晴海。わざとらしく両手で頭を摩りながら加奈子はニコリと微笑み、晴海と共に笑い合う。

 花中は、小さなため息を吐く。とんでもない事を言い出した、加奈子や晴海に対してではない。自分に向けてのため息だ。

 そうだ、自分はもう少し正直に生きようと決めたではないか。全ての生命がそうであるように、自分に出来る事を精いっぱいやろうと考えていたのに……地球のバランスなんて『大袈裟』なものに気圧され、我を見失うとは情けない。

 噴火? 地下のマグマが噴き出してくる、ただそれだけの現象ではないか。熱い液体が出てくるという意味では温泉と変わらない。ちょっと温泉よりも熱くて、どろどろして、危ないだけ。

 地面の穴から水が出てくるので栓をした。

 マグマが噴き出そうとしているから押さえ付けよう。

 二つの間に()()()()()()()()()()()()。ある訳がないのだ。水よりマグマが神聖にして偉大、故に人が手を出したら罰が当たるなんて、それこそ人間的な思い違いである。

 今やれる事をやろう。その結果何かが起きたら、その時に考えよう。

 加奈子が語るように、そして人間以外の地球生命が、そうやって迫る危機を切り抜けているように。

「盛り上がってるところ悪いけど、やるのはそっちじゃなくてこっちなの忘れてない? 念のために言うけど、こっちはやる気なんてないわよ」

「流石にマグマをどうこうするのはしんどそうだもんね。人間は助けたいけど、ひーこら言いながらやる義理もないし……人間じゃないとバレて、ネットとかに画像上げられたら迷惑だし」

「逃げる方が楽ですからね。町とか他の人間とか別にどーでも良いじゃないですか」

 決意を固める花中だったが、ここで水を差してきたのは人外の友達三匹であった。

 彼女達は基本物臭だ。そして人間の命も虫の命も大差ない。飼われていたダンゴムシを助けるため、老朽化していてなんだか崩れそうな家屋に突入出来るか? ちょっと危険で、ちょっと面倒で、旨味がない……彼女達からすれば、花中達の話はそのぐらいの意味合いに聞こえたかも知れない。

 だからこそ、説得は容易だ。釣り合う旨味があれば良い。そして『旨味』とは、何もメリットだけではない。

「あんれぇ? もしかしてビビってるぅ?」

 例えば加奈子がやっているような煽りだとかもその一つ。

 ぴくりと、三匹の身体が震えた。身体全体だけでなく、口許も僅かに引き攣っている。

 とはいえミリオンは理知的であり、故に合理的。挑発されたという事を理解するだけの知能があり、そう簡単には乗ってこない。フィアは単純だが、彼女の物臭ぶりは筋金入りだ。こんな煽り文句一つではまず動かない。

 一番に動いたのは、意外と負けず嫌いなミィだった。

「……ビビっちゃいないし」

「じゃあなんとかしてみせてよ」

「いや、まぁ、出来るけど、でもほらなんというか……面倒で……」

「ほらほらやっぱりビビってるぅー」

「ビビっちゃいねぇし!」

 言われている側でなくとも割とイラッとくる加奈子の物言いに、ミィが()()()。メキメキと身体を鳴らしながら肥大化……初めてミィの『変身』を見た勇は腰を抜かしたが、ミィは構わず続け、人間と変わらぬ姿になる。何時もの黒髪スレンダーな少女だ。

 やる気満々闘志十分。『噴火阻止作戦』にミィが参加する事が決定的になった証だった。

「結局やるんですねあなたは……まぁ好きにすれば良いんじゃないですか? 私は面倒だからやりませんけど」

 意見を翻したミィに、フィアは淡々と自分の感想を述べる。自分にやる気はないという姿勢に変わりはない。当然だ。元より彼女は周りの意見など気にもしないタイプなのだから。

 そんなフィアだが、ミィが籠絡すれば仲間に引き入れるのは簡単である。

 フィアが花中(自分)の事が大好きなのを、花中は知っているのだ。

「うん、ミィさん、噴火を止めるなんて、カッコいいなぁ。わたし、大好きになっちゃいそう」

「ふふーん花中さんそんな薄汚い野良猫などに頼らずともこの私が噴火の一つ二つ簡単に止めてやりますよええそうですともこの私が!」

 軽く靡いてみせれば、今度はフィアが釣れた。いや、釣れたというより船に自ら跳び込んできたような勢いである。花中は加奈子と晴海とハイタッチし、フィアは仲良し三人組の姿をキョトンとしながら眺める。

「それで? 残りはアンタだけになったけど、どうする? ミリオン」

 そして残るミリオンに、晴海が話し掛ける。

 ミリオンは肩を竦め、呆れるような、諦めたような笑みを浮かべた。

「……多数決に従う理由もないのだけれど」

「お祭りとかの類と思ってやれば良いんじゃない?」

「気軽に言うわねぇ。うっかり失敗して大噴火しても良いのかしら?」

「良くはないけど、あたしらだけじゃなんも出来ないからね。やってもらっておいて失敗したら非難するとか、そーいう筋の通らない事はしたくない。むしろその責任は、煽ったあたし達の方にあるだろうし」

「立花ちゃんって、割りと生き辛そうな性格よねぇ……ま、良いわ。全員が参加しているゲームにクールを気取って不参加しても、なんの得にもならないし。それに暇潰しぐらいにはなりそうね」

 世間話の末、ミリオンも手伝う意思を表明した。

 三匹の友達が力を貸してくれる。

 花中としてはこれ以上ないほど頼もしい状況だ。いや、フィア達だけではない。加奈子と晴海の後押しがなければ、自分はきっと口を噤み、フィア達の意見に頷いてしまっただろう。

 勿論この決断が最善の結果をもたらすとは限らない。だけどどんな結果になろうとも、友達を煽った一員として受け入れよう……尤もこんな覚悟すら今はまだ皮算用である。

 ()()()()()()()()()()()()。今はこれだけで十分だ。

「……本当に、噴火を止められるのですか?」

 心の整理を終えたところで、ふと、勇が花中に声を掛けてくる。その声は淡々としていたが、無感情ではない。むしろ必死に抑えようとしているようにも感じられた。

 勇がどんな答えを期待しているかは、花中も薄々感じ取れる。

 だからといって嘘の希望は与えたくない。嘘だったと分かったなら、勇はより深く傷付くだろうから。

 だけど、もしかしたら、であるなら答えられる。

「上手くいくかは、分かりません。でも、何も出来なくは、ないと思います。フィアちゃん達は、そのぐらい、強いですから」

「……そう、ですか。なら、私から言える事は一つだけです」

 勇は一歩後ろに下がり、深々と頭を下げる。

「この町を、人を、よろしくお願いします」

 そしてその言葉を、花中達に伝えた。

「……はいっ」

 花中は力強く答え、晴海と加奈子も頷く。町の人間から頭を下げられ、頼まれたのだ。やる気がどんどん込み上がる。

 方針は決定した。後は行動を起こすのみ。そしてその行動は早ければ早いほど良いというものだ。何しろ町の地下には、今にも噴き出しそうなほどのマグマが集まっているのだから。

 とはいえ『敵』を知らねば最適解など出せる筈もない。まずは現状を正確に把握する必要がある。特にどれだけのパワーを有しているのか、相手の実力を把握するのは急務だ。

 幸いにしてそれは花中達にとって容易な事である。

「フィアちゃん。町の地下に集まってるマグマって、どれぐらいの量か、分かる?」

「んーそうですねーちょっと測り直してみますね」

 花中が尋ねると、フィアは足下から何本かの水触手を伸ばし、露天風呂の石造りの床を貫いて地面に突き立てる。

 恐らく伸ばした水触手は土壌を浸透し、地下深くのマグマを直に囲って計測しているに違いない。人で例えれば、これは手で直接対象を触ってサイズを推定するようなもの。なんとも原始的な方法であるが、地中に向けて放った音波やら電磁波やらの反射を掴んで推測するより、遙かに正確な測定だ。

 花中はフィアの答えを待つ。加奈子と晴海と勇も、ミリオンとミィも静かに待つ。数十秒ほどの沈黙が流れる。

 やがてフィアは水触手を地面から引き抜き、自分の『身体』へとしまう。次いでこくりと頷き、自信に満ち溢れた笑みを浮かべた。

「分かりましたよ花中さん! ざっと八千立方キロメートルといったところでしょうかね!」

 それからハッキリと調査結果を語る。

 ……聞かされたところで、単位が単位なので大半の者はいまいちピンと来ていない様子だったが。

「晴ちゃん、八千立方キロメートルって、どんぐらい?」

「えーっと、立方キロメートルでしょ。一立方メートルが一辺一メートルだから、キロで千倍して……一纏めにしたら一辺二十キロの正六面体に収まるぐらいのマグマって事?」

「なーんかいまいちよく分かんないなぁ。つーか思いの外少なくない? あたしはもっとこう、百キロぐらいのでかーい塊があるのかと思ったんだけど」

「町一つ吹き飛ばすには十分だと思いますが……まぁ、でもその程度の大きさというのは朗報かも知れません。最悪町から逃げればなんとかなりそうですし」

「ふふんこれが多いのか少ないのか知りませんがこの私の力ならばどうとでも出来るでしょう多分」

 町全体を飲み込むのに十分な量のマグマながら、しかしその程度と分かり気が抜ける三人と二匹。

 対して、花中とミリオンは違った。

 花中はすっかり顔を青くし、ガタガタと震えていた。ミリオンも表情を強張らせ、かなり神妙な面持ちをしている。どちらも余裕なんてものはなく、先程まで抱いていたある種の『気楽さ』は消えてしまっていた。

 フィア達なら、例え火山噴火であってもどうにか出来るかも知れない。花中は確かにそう思った。そう思ったが、それは普通の噴火が相手ならの話だ。もしも相手が普通でないのなら話は別である。

 八千立方キロメートルのマグマ。

 この()()()()全てが噴出する訳ではない。だが一割も噴き出せば、十分にその言葉の要綱を満たす。万が一にも大半が出てきたら……それこそとんでもない事だ。

 この町の地下に眠るマグマは、全てを滅ぼす災禍の名を冠するに値する。数多の種を根絶やしにし、世界をも変えうる悪夢の事象。生物史の中で幾度も起こり、無尽の命を奪い去った『神の鉄槌』。

「破局噴火クラス……!?」

 滅びの対象は町どころか人類ですらなく、地球生命全体に及んでいたのだと、花中はようやく理解したのだった。

 

 

 

 人類最大の水爆とされていたツァーリ・ボンバの最大威力は、TNT換算(要するに爆薬の量)にして百メガトンと言われている。

 つまりたった一発で、一億トンもの爆薬を炸裂させたのと同等の威力を有しているという事だ。凄まじい破壊力である。あまりに強過ぎて、最早実用的ではない。そして人類は秘密裏に水爆の研究を進め、百五十メガトン級もの水爆も開発していた。もしもこの百五十メガトン級の水爆を使用したなら、小国など丸ごと吹き飛んでしまうだろう。

 破局噴火と呼ばれる噴火は、この百五十メガトン級の水爆のざっと()()()()()のエネルギーを放出する。

 爆発的勢いで噴き出したマグマは巨大なカルデラを形成。溢れ出した火砕流や噴石、衝撃波により半径数十キロ圏内の生物を皆殺しにする。しかしこんなのは序の口だ。

 本命はその後成層圏まで立ち昇る、莫大な量の噴煙。

 この噴煙は長期間成層圏を漂う事で、太陽光を遮ってしまう。ただの曇り空、なんてものではない。西暦一九九一年に起きたピナトゥボ山の噴火は、破局噴火と呼ばれる水準の僅か百分の一程度しかないものだったが……この噴火の影響で地球の平均気温が〇・四度低下した。更にはオゾン層も破壊されたとされる。破局噴火はピナトゥボ山の噴火の約百倍の規模であるのだから、これらの環境変化もより大きなものとなるだろう。しかもこれが何年も、或いは何十年も続くのである。もしも破局噴火が起きれば過酷な氷河期が訪れる、という説もあるほどだ。

 そして噴煙に含まれる莫大な二酸化硫黄は、大気汚染や酸性雨の原因である。これにより広域の環境が化学的なダメージを受け、深刻な破壊が起きるのだ。噴煙には多量の二酸化炭素も含まれているため、大気の組成すら変化する可能性がある。

 寒冷化、自然破壊、大気汚染……他にも火山灰による生体の損傷や、巨大地震の誘発など、()()()ものも挙げれば切りがない。あらゆる事象を持って生命を刈り取ろうとする、巨大隕石にも匹敵する大災禍だ。

 そして今、喜田湯船町の地下にはその破局噴火に匹敵する量のマグマが溜まっている。

 もしも八千立方キロメートルものマグマが噴出すれば、怪物による攻撃を受ける前の……最も体力のあった人類文明すら一瞬で滅ぼされただろう。こんなものは地球という星の中核を流れるもののほんの一部に過ぎないが、その一部だけでも人が幾万年掛けて積み上げたものを滅ぼすには十分なのだ。

 星の力とは、それほどまでに凄まじい。

「ふん! 地球だろうがなんだろうがこの私に敵うと思わない事ですねぇ!」

 だというのにフィアは一歩も退かず、それどころかあたかも見せ付けるかのように足踏みした(地球を踏み付けた)。月明かりを浴びる金髪はキラキラと煌めき、麗しい容姿は不遜な笑みをも魅力に変える。

 そんなフィアの背後に立つ花中は、友達の揺るぎない自信を見て、呆れと、それ以上の頼もしさを感じた。晴海も花中と同じような顔をしていて、加奈子は期待するようにわくわくした笑顔を浮かべる。勇は、フィアの実力を知らないからか、或いは身を縮こまらせて怯える彼の妻・早苗を安心させるためか、真剣な面持ちを崩さなかった。

 現在花中が居る場所は町外れにある小さな山……その一角にある、麓を見下ろせる草むら。この場所の地下にはマグマがないため、『万一』の時比較的安全だろうという判断から、人間達の待機所として選ばれた。西の方を見れば、麓に広がる一見して穏やかな喜田湯船町が確認出来る。遠目からではあるが、『しらせ様』らしき存在は町の中には見られない。住人が全力で片付けたからか、それとも地下の熱水に惹かれて立ち去ったからか。いずれにせよ『しらせ様』の脅威は去り、町人は取り戻した平穏を満喫しているに違いない。

 『しらせ様』は、本当に危険を知らせに来たというのに。

 人間達は誰も気付かない。自分達の足下に、自分達を跡形もなく吹き飛ばしてしまう力が潜んでいる事に。今まで自分達はその力のほんの僅かな余韻を得て、経済を回していたにも拘わらず。

 それが、酷く情けないように感じて。

「……大桐さん、大丈夫? さっきから怖い顔してるわよ」

 晴海に言われるまで、花中は自分の顔が酷いものになっていると気付かなかった。ハッとした花中は、慌ててぷるぷると顔を横に振る。もにゅもにゅと頬を両手で解せば……少しはマシな顔になった筈。

「安心なさい。さかなちゃんだけじゃなくて、私も手伝うから」

「あたしもいるぞー」

 それでもまだ強張り気味だったのか、今度はミリオンと、少女の姿をしているミィが声を掛けてくる。

 励まされた花中は、しかし先程よりも少しだけ表情を硬くした。

「……なんとか、出来そうですか?」

「さぁ? 生憎噴火を、ましてや破局噴火を食い止めるなんて初めてだもの。相手は『地球』そのもの。何が起きるかさっぱりだわ」

「今まで色んな奴と戦ったり、戦ってるところを眺めたりしたけど、今度の敵は地球かぁ。なんだか実感湧かない感じ」

「あら、怖いの?」

「なんで怖がる必要があるのさ。地球なんて所詮岩の塊でしょ」

 気後れした素振りも見せないミィに、ミリオンはくすりと笑う。

 フィア達三匹全員、特段プレッシャーは感じていない様子である。

 破局噴火がどれほど恐ろしいものであるか、ミリオンは最初から知っていたし、フィアとミィにも花中から話してある。その上でこの態度なのは、己が力への信頼もあるだろうが……ある種の達観もあるのだろう。

 もしも失敗したなら、巨大噴火により地球環境が激変するかも知れない。

 だけど全力を尽くして失敗したのなら、どうやっても失敗した筈。だから失敗するかどうかなんて気にしない……そういう達観だ。彼女達は人間と違い、『もしも』なんて事は考えないのである。無論経験は次に活かすが。

 そんな潔さが、任す側としてはありがたい。関わらせたがために気負いする事となっていたら、花中としては申し訳なくて堪らないのだから。

「さてと、そろそろ時間もないし……始めましょうか」

「こっちは何時でもいけます」

「あたしもー」

 ミュータント三匹が行動開始の意図を言葉にし始める。それぞれが前傾姿勢を取り、

「ま、待って!」

 花中が、一度彼女達を呼び止める。

 フィアが真っ先に振り返り、次いでミリオンとミィが振り返った。三匹の友達と向き合った花中は、とことこと歩み寄り、ごくりと息を飲む。

「……頑張って!」

 そして一言、応援の言葉を伝えた。

 ただ、それだけ。

 この一言を伝えたくて、花中は三匹を呼び止めた。このためだけに、三匹の行動を阻んだ。

 だけど三匹は怒りもせず、にこりと微笑む。

「ふふん花中さんに応援されたなら一肌脱がねばなりませんね!」

「ま、やるだけやってはみましょ」

「任せとけーっ!」

 三匹が三匹、自分らしい反応で花中の声援に応える。

 次の瞬間彼女達の姿は消え、

 身体を突き抜ける衝撃波が、花中の身体を襲った。殴られたような強い痛み……彼女達の圧倒的パワーを物語るものだ。

 何時もなら、困ってしまうほど頼もしい力。

 だけど今日はそこまでの力強さを感じられない。不安と心配が拭いきれない。何故から地球という星の力ならば、この何百倍もの強さを簡単に生み出せるのだと花中は知っているのだ。

 そしてこの圧倒的な力の前では、人間に為す術などない。

「……みんな……せめて、無事に……」

 人間である花中達に出来るのは、祈る事だけだった。




試される大地(影響範囲地球全土)
破局噴火は本当にヤバいです。調べるとイエローストーンに浪漫を感じます(ぇ)

次回は明日投稿予定です。

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