彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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語らない予兆5

 ミリオン曰く、『しらせ様(謎生物)』の大群が現れたのは花中達が泊まった旅館周辺だけではないという。

 喜多湯船町の駅前に広がる廃れた町にも謎生物は出現していた。謎生物達は主に上下水道から出現し、今や町のあちこちで姿が見られるという。総数はそれこそ数十万匹を超えそうなほどで、町は桃の身のような柔らかな白さに包まれているそうだ。

 現時点で謎生物に襲われた住人はいないようだが、突然現れた生物に驚いて転び、怪我をしたお年寄りが幾人か出たらしい。詰まってしまった上下水道も多く、また川沿いを走る道路の中には溢れ出した謎生物に埋もれて通れなくなった場所もあるとか。

 冗談抜きに、大パニックである。

「うーん、可愛いなぁ」

 ちなみにそんな謎生物の一匹を、加奈子はぬいぐるみのように抱き締め、愛でていた。

 旅館の一室……寝泊まりしていた八人部屋の和室にて。ミリオンが連れてきた一匹を抱いている加奈子の能天気ぶりに、花中は思わず苦笑い。そして同じく部屋に居る晴海は、怯えたように身体を縮こまらせている。

「ね、ねぇ、本当に大丈夫なの……その、毒針とか出てきたり……」

「その心配はないわ」

 おどおどと、晴海は抱いている不安を言葉にしたが、これを否定したのはミリオンだった。

「私が念入りに、それこそ内臓まで含めて調べたけど、この子達に人間を傷付けるほどの力はないわ。毒針はおろか、胃酸を吐いたりする能力もない。歯もないから噛む事すら出来ないわね」

「え? この子口あるの?」

「そりゃあるわよ。ほら、此処に」

 加奈子からの問いに、ミリオンは指差しで答える。

 花中もミリオンが示した場所を見てみたが、確かに、謎生物の顔面中央には口のような穴があった。しかしあまりに小さい。切れ目の長さですら、ほんの一センチほどだ。意図的に指を突っ込まない限り、噛まれるという事態にはなりそうにない。

 こうなると、こんな小さな口で何を食べていたのかと逆に気になってくる。歯がないという事は何か、柔らかなものを食べていたのだろうか? 例えばクラゲなどの軟体動物とか……

 思考の海へと泳ぎ出す間際、花中は我に返り首を横に振った。生態的な考察は後回しにしよう。ミリオンが安全性については問題ないと言うのだから、そこも心配する必要はあるまい。

 考えるべきは、どうして彼等が突然現れたのか、の方だ。

「そもそもこれほどの数が今まで何処に潜んでいたんですかねぇ」

「そだよねー。こんなにたくさん居るなら、伝承なんて形じゃなくて、もっと普通に見付かっていそうだけど」

「ちなみにその子、肺も鰓もないわ。空気中に何分居ても平気だし、酸素濃度が極端に低い環境に適応した種なのは間違いない……とはいえ肺がないから、何時までも空気中で生きられるとは思えないけど。鰓もないけど、まぁ川とか温泉に現れるぐらいだし、水中じゃないと生きていけないんじゃないかしら」

「あ、そうなんだ。じゃあ、そろそろ水の中に帰してあげよっと」

 ミリオンの話を聞いた加奈子は部屋のベランダへと向かうと、そのままぽいっとベランダ下に流れる川に謎生物を逃がした。加奈子が逃がした謎生物は、川を埋め尽くす仲間をクッションにして着地し水の中へと戻っただろう。何十万もの仲間がひしめく場所が落ち着けるところかどうかは、花中には分からないが。

 ……確かにフィアとミィが疑問を抱いたように、数十万という数はあまりにも多い。

 例えば日本全国に分布しているニホンジカの個体数は、推定で二百数十万頭。日本という広大な土地に分散しながら謎生物の数倍程度の数しかいないのに、彼等は日本人の誰もが知るほどポピュラーな種だ。目撃するのも容易であり、農作物への被害も無視出来ないほど多い。

 ニホンジカ程度の個体数でも人には簡単に見付かり、種として記録される。ならば局所的とはいえ数十万匹、ましてや市町村近くに生息していた生物が、近年まで見付からないなんて事があり得るのか?

 あり得る、と花中は考える。

 数なんて問題じゃない。生息地が人里近くなのも大した話じゃない。見付からなかった理由は実にシンプル……そこに人間が立ち寄らないから。ただそれだけの話だ。偏見も何もなく、ありのままに受け入れれば答えは見えてくる。

 恐らく、謎生物達の生息地は――――

「皆さん、すみません。少しよろしいでしょうか?」

 考えを纏めていたところ、ふと部屋に男性が入ってきた。反射的に声の方へと振り向けば、そこに居たのはこの旅館の主である勇。

 勇は少し息を切らしており、急いでこの場にやってきた事が窺い知れた。何か、事態の変化でもあったのだろうか?

「どうしたのかしら、そんなに慌てて」

「は、はい。実は……」

 室内に居る中で一番の年長者であるミリオンが尋ねると、勇は胸に手を当て、少し息を整える。

 それは息を乱したまま話しても、人に聞かせられる話にならないから、というのもあるのだろう。

 しかしそれ以上に、勇が落ち着きたがっているように花中には思えた。まるで、今から言おうとしている事を躊躇うかのように。

「……実は、町の人を集めた協議が公民館で行われる事になりまして。私も、その、どうしても参加してほしいと呼ばれてしまい……しばらく旅館を留守にさせていただきたく、お願いに来ました。女将は居ますので、ご用件がありましたらそちらに……」

「協議? 何を協議するのかしら?」

 話し始めた勇に、ミリオンが詳細を問う。しかし本気で問おうとしている声色ではない。答えは分かっているのに、敢えて尋ねている様子だと花中は感じる。

 そして内心を見透かされている勇は、声を詰まらせてしまった。

 ただ、こちらにそれを隠そうとしているようには見えない。図星を突かれた、とも感じていないだろう。

 感じられるのは、不快感。

 それも『協議』自体への不快感であるように花中は感じた。

「……町と温泉に出現した生物の、対処についてです」

 そしてその感じたものが、ただの勘違いではないと花中は理解する。

 対処、とはなんともオブラートに包んだ言い回しだ。それが意味する言葉は現状一つしかない。

 つまり、謎生物を駆除するか否かという事だ。

「ふぅーん。大方、温泉に現れたあの謎生物の駆除の賛否を問うから来いってところかしら。現状ここも被害が生じている訳だし」

「えっ!? あの子達殺しちゃうの!? 可哀想だから止めてよ、勇おじちゃん」

「俺だって止めてほしいさ。『しらせ様』は神様だって曾祖父さんが言ってたんだ。それをどうにかするなんて、バチが当たるかも知れない……まだ決まった訳じゃなくて、それを決めるために話し合いをすると言われたが、どうなる事やら」

 加奈子の懇願に、勇は強く感情を露わにしながら答える。嘘を言っているようには聞こえない。彼も謎生物を殺す事には本心から反対しているようだ。

 同時に、それが難しいとも思っているのだろう。

 花中としても、謎生物を駆除する事には『苦言』を呈したい。これでも人智を超える生命体には幾度となく出会ってきた。母親やその所属組織など、怪物研究に力を入れている人々もこの世には多いので、自分が誰よりも怪物に詳しいとは思わないが、勇や町人達よりはずっと知識がある筈だ。

 自分の意見が絶対に正しいとは思わないし、町の人々が正しい答えを出せないとも限らない。しかし決断を誤らないための手伝いぐらいは出来るだろう。いや、むしろ手伝わせてほしいというのが本心。

「あ、あの。わたしも、その協議に、顔を出しても、良いですか」

 意を決し、花中は協議への参加を申し出てみた。

「え? えっと……駄目とは言われないと思います。ただ町人ではないので、意見は聞いてもらえないかも知れませんが……」

「はい。それでも、構いません」

「花中さんが出るのでしたら私も行きたいのですが」

「私も興味はあるわねぇ」

「大桐さんが行くなら私も行くよー」

「えっ。あ、えと、じゃあ、あたしも一緒に……」

 花中が意思表示すると、フィア達も協議参加の意思を示す。ミィだけは ― 猫の姿のままなので ― 喋らなかったが、嫌なら今頃フィアの頭の上から退いているだろう。

 全員が参加すると伝え、勇はやや戸惑いを見せる。迷惑だっただろうか、とも思ったが、やがて勇はニコリと笑う。

「……分かりました。協議は公民館にて午後二時に行われます。十二時に此処を出ますので、その時になりまだ参加する意思がありましたら、玄関までお越しください」

 そして時間と待ち合わせ場所を、花中達に教えてくれるのだった。

 ……………

 ………

 …

 喜多湯船町公民館。

 旅館から徒歩でざっと一時間ほどの位置にある、町の公共施設の一つ。普段は老人会や小学校のクラブ活動で使われる程度の、ちょっと閑散とした、だけどのほほんとした雰囲気の絶えない施設だという。

 しかし今日の公民館は、刺々しい空気に満ちていた。

 公民館にあるとある一室。その中を埋め尽くすように、横並びに十ほど列を作ってパイプ椅子に座る大人達が居た。人数は三百人は居るだろうか。あまり大きな部屋ではないので、これだけの人数が集まるとかなり窮屈に感じられる。

 この場に居る人々の性別は男女半々ぐらい。年頃は四十~五十代が多く、次いで六十歳以上の老人が多い。三十代以下の若者は、全体の一割も居ないようだった。

 偏りは見られるが、千差万別な人々がこの一室に集まっている。しかし共通点として、誰もがピリピリとした気配を発していた。殺気、と呼べるほどのものではないが、イライラと呼ぶにはあまりに刺々しい。

 もしも迂闊にも彼等に声を掛けたなら、きっとその棘の矛先は容易にこちらへと向けられるだろう。

「う、うぅ……」

 最後尾で大人達の背中しか見えていないにも拘わらず、臆病な花中は三百人分の感情にすっかり慄いてしまった。怖さから呻くような声が漏れ出てしまい、身体はぷるぷると震えている。

 そして右手で、隣に座るフィアの手を握り締めていた。

「大丈夫ですか花中さん。怖いならやはり退出しますか?」

「う、ううん。大丈夫……怖いけど、ちゃんと話を聞きたい、から、我慢する」

 フィアが尋ねてきたので、花中は擦れた声で答える。そう、確かに怖いが、聞かねばならないのだ。

 此処で、これから行われる協議により、謎生物への対応が決まるのだから。

 花中の横にはミリオンや加奈子、晴海、それから勇の姿もある。ミィはミリオンの膝の上だ。ミリオンやミィは全く動じた様子もないが、加奈子と勇はそわそわとした、晴海に至っては花中と同じように少し怯えたような仕草を見せている。

 もしかすると此処に集まった大人達も、周りの空気に当てられ、それで警戒心を高めているだけなのかも知れない。緊張感が緊張感を呼ぶ状況……花中にはあまり好ましいものとは思えなかった。

 けれども、ではどうしたら良いかと考えても、一回場を解散させて頭を冷やすぐらいしか花中には思い付かない。協議前に解散してどうするんだと自分にツッコミを入れている間にも、時間は刻々と過ぎていき――――

「……はい、十四時になりました。これより『未確認生物への対応協議』を始めます」

 予定されていた時間が訪れたのと同時に、若い男性の声が協議の始まりを告げてしまった。

 声を発したのは、スーツ姿の三十代ほどの男性だった。彼は大人達と花中達全員の視線が向けられている、室内に用意された壇上の側に居た。彼の右手にはマイクが握られ、機械により増幅された声は部屋の最後尾に居る花中達の耳にもしかと届く。

 そしてスーツ姿の男はそのマイクを壇上に立つ、六十代ほどの、強面の男性に手渡す。

「どうも、町長の岩国です。今回はお集まりいただき、ありがとうございます。早速ですが、協議に入りたいと思います」

 男性こと町長の岩国がそう語ると、スーツ姿の若い男は、自身の足下に置いてあった機械を操作。それと同時に、部屋の電気が消された。次いで機械より光が投射され、部屋の一角に画像が映し出される。

 謎生物に埋め尽くされた川の画像だった。

「えー、現在我が町では、未確認生物が大量に出没しています。このままでは市民生活に大きな影響が出ると判断し、どのような対策が望ましいか、皆様の意見を聞きたく」

「そんなもん、駆除で良いだろ!」

「そうだそうだ! 早く退治しちまえよ!」

 岩国が画像を見ながら前口上を述べていると、早速大人達……この町の市民の一部から駆除を求める声が上がった。

「あー、えー、そうですね。駆除も含めた対策を検討しておりまして」

「アイツらの所為で下水が詰まって大変なのよ! トイレも使えないじゃない!」

「上水道も何ヶ所か詰まって、一部の家じゃ水道が使えないという話じゃないか」

「うちなんて川沿いに家があるから、道路にまでアイツらが出てきて、車が出せないぞ。買い物にも行けん」

 宥めようとする町長の言葉に、されど市民達は耳も貸さない。出てくる意見はどれも謎生物の駆除を求めるものだった。

 彼等の言いたい事は、花中にも理解出来る。旅館から公民館へと向かう道のりの中で、町がどれだけ謎生物に溢れているか、ミリオンから聞き、そしてこの目で見てきたのだ。上下水道が詰まれば生活に支障が生じるのは容易に想像が付き、道路を埋め尽くしている個体についても、足腰の弱いお年寄りからすれば十分に障害物だ。かといって無理に車で行こうとすれば、轢いた際に体液などでスリップして事故となりかねない。

 ライフラインと交通が遮断されたなら、現代文明はその機能を維持出来ない。謎生物を放置したままこの町に住み続ける事は困難だ。

 『環境変化』により産業が廃れても、それでもこの町を離れなかった住人が此処に集まった者達だ。郷土を想う気持ちは、誰よりも強いに違いない。()()()()()()()生物に暮らしを奪われるなど、我慢出来ないのだろう。

 とはいえ、誰もがその意見で一致している訳ではないらしい。

「待たんか。アレは『しらせ様』じゃぞ。駆除なんて、そんな罰当たりな事をするもんじゃあない」

 例えば興奮する民衆に一切物怖じせず己の意見を表明した、齢九十を超えていそうなよぼよぼの老婆のように。

 駆除を進言していた住人達の視線は、一斉に老婆へと向けられた。老婆は集まった三百人近い住人達の丁度真ん中辺りに座っており、全員の視線をその身に受ける。老婆に向けられる視線はどれも鋭く、親の仇を見るような、という言い方も過言ではないほど敵意に満ちていた。

 いや、実際彼等は仇を見ているつもりなのかも知れない。故郷を奪おうとする化け物の味方という、仇を。

「なんだ、田中の婆さんはあんな昔話を信じてるのかよ」

「信じるも何も、そのものじゃないか。白く、まあるい生き物が、川や湯から現れる……」

「なんとまぁ非科学的な……」

「非科学的? お前さんはつまり、テレビに出ているお伽噺の化け物みたいな生き物達は科学的と言うんか。科学的ってのはなんなんだかねぇ」

 煽るように否定する二人の中年男性だったが、老婆の口に負かされ黙り込む。

 老婆はしかし、彼等に情けを掛けるつもりもないらしい。二人が黙ってすぐに、自分の話を始める。

「昔の人が伝えてくれた事なんだ。素直に受け止めりゃええ。アレは悪い事を知らせに来てくれたんだ。さっさと村を離れた方が身のためだぁよ」

「町を捨てろって言うのか!? あんな、気持ち悪い生き物の所為で!」

「駆除したけりゃすればええ。わしらの家族は村から離れる。それだけじゃい。でも、お前等にバチが当たってもわしゃ知らん」

 反発する大男に、老婆は不敵に笑い、堂々と向き合う。腕力で老婆を易々と捻じ伏せられるであろう大男が、怯んだように身動ぎした。

「……私も、駆除には反対です」

 老婆の話が終わると、一人男性が手を上げ、椅子から立ち上がる。

 勇だった。

「私は曾祖父から『しらせ様』について聞きました。曾祖父は『しらせ様』のお陰で地震の難から逃れ、助かったと聞いています。私が産まれてこられたのも、『しらせ様』が曾祖父達を助けてくれたお陰です。私には、『しらせ様』を退治するなんて……恩を仇で返す真似は出来ません」

 勇はハッキリとした言葉で、町人達に伝えた。

 真っ直ぐな言葉だ。勇は本心を町人達に伝えたに違いない。それは『しらせ様』への恩義だけでなく、町の人々を愛するがために、バチが当たってほしくないという想いから出たのだろう。

 しかし、言葉と想いは届かない。

 恐怖と不安と嫌悪という殻に包まれた町人達には、何も。

「いいや駆除すべきだ! あんなのがいたら生活出来ない!」

「そもそも本当に『しらせ様』だとして、災いの原因がそいつらじゃないってなんで言える!?」

「もしもあの生き物を餌にする、でっかい怪物が出てきたらどうするんだ!」

 どんどん沸き上がる駆除すべきだという意見。公民館の中に、不気味で、加熱した共闘意識が育っていく。

 一年か二年前までなら、まだ落ち着いた議論も出来ただろう。

 しかし今は時代が悪かった。世界中で怪物が現れ、人の世界を滅茶苦茶にしている。発展途上国も先進国も関係ない。自分達は無関係だと()()()()には、あまりに世界は変わり過ぎた。

 自然は自分達に優しくない。世界は自分達の思い通りになるほど弱くない。

 寛容が死を招く今、未知を受け入れる余裕なんて人々にはないのだ。現れた未知を滅ぼさねば自分達が滅ぼされてしまうと、本気で考えている彼等に冷静さなど備わる筈もなかった。

「静粛にっ! 静粛に! 皆様落ち着いてください!」

 あまりの興奮ぶりに町長である岩国が声を上げて人々を宥めようとしたが、人々は止まる気配すらない。いや、それどころか一斉に岩国の方へと振り返り、攻撃的な視線を送る。

「町長! 町長はどう考えているんだ!」

「えっ!? あ、いや、私は……その、せ、専門家の意見を聞いてから、必要なら駆除を、依頼する事に……」

「その専門家ってのは誰だよ! つーか何時答えが来るんだよ!」

「何日も水道が使えなかったらどうやって生活するの!? 給水車にしたって、道路が使えないなら走れないでしょ!」

 町人達は立ち上がり、町長へと詰め寄る。岩国は狼狽えて後退りするが、町人達は情けを掛けずに四方八方から罵声を浴びせ掛けた。町長の口から、望む言葉を引き出すために。

 立ち上がらなかったのは、三百人近く居た町人達の中でたったの十数人。

 勇があそこで自分の意見を表明したのは、ある意味では正解だろう――――もし今この瞬間に先の発言をすれば、二百人を超える人々から『説教』されていたに違いないのだから。

「いやぁ盛り上がってますねぇ」

 そんな混乱を眺めて、フィアは楽しそうに笑いながら独りごちる。

 花中の方は、人間達の盛り上がりを見て大きなため息を吐いた。

「……うん。ほんと、大盛り上がり、だね」

「ちなみに花中さんはどうすべきだとお考えで?」

「……わたしは、駆除には反対」

「理由は?」

「原因が、分からないから。退治した方が良いのか、退治しちゃダメなのか、まだ分からない。だから退治しない方が、良いと思う。した後に、ダメだったって分かっても、手遅れだから」

 ぽつぽつと、万が一にも興奮した町人達に聞かれぬよう小声で花中は答えた。

 どんな生物にも、生態系での役割がある。それはハッキリとは分からぬものかも知れないが、確かに存在するものだ。もしもその役割が何百年も掛けて少しずつ積み上がっていくものなら、仮にある種の生物が絶滅したとしても、その影響が出てくるのは数百年後である。不味いと分かった時には手遅れだ。

 そして謎生物は、本当に謎の生物だ。何を食べているのかすら分からない。しかも何十万という大群である。もしも彼等を無闇に退治した時、どうして何も起きないと言いきれるのか?

 ……人間は怪物の存在により、自分達が地球の支配者ではないと、自分達が特別な生命ではないと理解した。そして自然を見くびらず、全力で立ち向かわなければ、いずれ人間の『居場所』はなくなってしまうと多くの人々が感じている。その考え自体は花中も正しいと思う。

 しかし全力で立ち向かう事は、無知への免罪符とはならない。

 謎生物は本当に駆逐すべき生物なのか、それとも手を出してはならない存在なのか、或いは伝承通り何かを伝えようとしているのか――――

 分からないものに手を出す事ほど、愚かしい行為もあるまい。自分は失敗なんてしないという『自惚れ』でしかないのだから。人類はその自惚れで何度も痛い目を見ているというのに、ここまで追い詰められてもまた繰り返すというのか。

 ……問題は、それを指摘しても『盛り上がっている人』は耳を貸さない訳で。

「成程そういうものですか。ではどうしてあの人間達にそれを言ってあげないのですか?」

 しかしフィアが無邪気に尋ねてきて、その気持ちが揺さぶられる。どうせ無駄だから……その気持ちもまた『自惚れ』というものだ。言ってみなければ本当にそうなるかなんて分からない。

 万一『失敗』して大変な事がおきたとしても、フィア達が居るならなんとかなるだろう。

「……あの、皆さん。えと、わたし、言いたい事があるので……言っても、良い、でしょうか?」

「えっ? いや、お客様それは止めた方が」

「良いんじゃないかしら。いざとなったら私とさかなちゃんでなんとか出来るし」

「ふん。あなたの力などなくとも私だけで十分です……ところで何をなんとかするのです?」

「私は異議なし。なんか聞いててムカムカしてきたし」

「あたしも、まぁ、あの人達の意見に全面的に賛同するのはなんか癪だから構わないわ」

 花中が意見を表明すれば、勇だけが反対し、友達は全員賛成する。正確にはミィは何も言わなかったが、Noも突き付けてこない。

 花中は立ち上がり、大きく息を吸い込む。

「あ、あの! すみまひぇんっ!」

 その息を思いっきり使い、大声で興奮する町人達に呼び掛けた。

 慣れてない大声故に少し噛んでしまったが、振り返った町人達はそんな些細なミスなど気にも留めていないだろう。誰もがギラギラとした、苛立ちと敵意に満ちた眼差しを花中に向けてくる。

 正直、怖い。

 フィアが居なければ、きっとこの言葉は飲み込んでしまっただろう。だけどフィアが居るから、花中は自分の考えを外へと出す勇気が持てた。掴んだままのフィアの手を強く握り締めながら、花中は出来るだけ大きな声で自分の意見を伝える。

「あ、あの、落ち着いて、考えましょう。確かに、あの生き物は、何か分かりません。危険かも知れないという考えは、尤もだと、思います。で、でも、もしかすると、あの生き物が、本当に危険なものを、抑えているかも知れない訳で……」

「……アンタ、見ないもんだが誰だ?」

「え。あ、えと、わたしは、その、ただの観光客で……」

「部外者なら黙っててくれんか? これはこの町の問題だ」

 正直に正体を明かせば、町人の一人がキッパリと拒絶を示す。

 あまりにもハッキリと言われた花中は、喉の奥にあった筈の言葉が、すっと消えるような感覚に見舞われた。

「町長! アンタが決断しないなら、俺達は自分達の手で町を守るからな!」

 そして花中がほんの一瞬言葉を失った隙を突くように、血気盛んな若者が町長に決別の意思を伝えた。

 町長からの返事はなかったが、人々からは「そうだ!」「自分の町は自分で守るんだ!」という賛同の声が次々に上がる。

 やがて二百人を超える町人達は、バタバタと駆け足で部屋を出てしまい……ほんの十数人しか残らなかった公民館の一室は、がらんとしたものに変わってしまった。

「……なんとも人間らしい決意表明ねぇ。熱血アニメなら勝ちフラグなんだけど」

 くすくすと、ミリオンが嘲笑う。確かに熱血アニメなら勝ちフラグだが……此処は現実だ。浅慮が招くのはろくなものではない。

「大桐さん。これからどうする?」

 花中が痛む頭を抑えていると、加奈子から質問が飛んできた。

 顔を上げると、加奈子だけでなく晴海もこちらを見ていた。二人とも、こちらの意見を訊きたいらしい。

 花中は、考える。

 ……実際問題、彼等の判断が誤りとも言いきれない。

 花中は『失敗』した時のリスクを恐れ、町人達に一時立ち止まるよう進言した。しかし彼等が恐れていたように、あの謎生物が危険な存在だとすれば……排除するのは妥当な判断だといえよう。むしろ誰かが言っていたように、謎生物を餌とする凶暴な『怪物』が町に接近中だとしたら此処でのんびり話し合う事自体が愚行だ。今すぐに謎生物を排除する必要がある。そもそも謎生物が『しらせ様』だという考えは伝承で語られている姿からの推測であり、収斂進化や擬態により姿が似た別種という可能性も否定出来ない。前提を否定するような事を言えば、偶然伝承と見た目が一致しただけの、全く関係ない生物かも知れないのだ。

 花中の判断が正しいとはいえない。町人の判断が正しいともいえない。判定を下すにはあまりにも情報が不足している。

 そう、足りないのは情報だ。情報さえあれば、どちらの選択が正しいかどうか分かる。或いはどちらも間違いだと気付けるかも知れない。

 今するべきは、調査である。

「……調べたいと、思います。『しらせ様』が何ものであるかを」

「ん、そっか。よーし、それなら私も手伝うよ!」

「あたしも手伝うわ。あの生き物の正体が気になるし、警察とか学者より、大桐さんの方が百倍詳しいだろうからね」

「っ!? 加奈子、何を言ってるんだ!? お客様達もそんな、調査なんて……」

 花中が考えを伝え、加奈子と晴海がそれに同意したところ、勇が狼狽えながら話に割り込む。勇からすれば、少女三人が未確認生物に接しようとしているのを、大人として見過ごせないのだろう。

 しかし加奈子はへらへらと、全く緊張感もなしに笑うばかり。晴海も、笑いこそしていないが自分の言葉を取り消しはしない。フィアもミリオンもミィも、勇の味方などしない。

 取り消す必要がない事を、勇以外の誰もが知っているのだから。

「平気だって勇おじちゃん。だって『しらせ様』は良い神様なんでしょ? なら危ないなんて事はないって」

「いや、確かにそうだが……そもそも『しらせ様』というのは俺の勝手な想像で、もしかしたら本当に危ない動物かも知れない訳で」

「大丈夫! 大桐さん、は全然弱いけど、フィアちゃんとミリきちとその猫はめっちゃ強いから!」

 戸惑う勇に、加奈子は胸を張って答える。しかしその答えはなんの説明にもなっていない。勇はますます戸惑ってしまう。

 本来なら、勇にはちゃんと説明すべきだろう。されどそのための時間があるかは分からない。

 申し訳ないが今は行動を優先させてもらう。

「……行きましょう。えと、旦那さんも、来てくれるなら、来てください。その途中で、話をしますから」

「い、いや、しかし……」

「ところで花中さん何処を調べるつもりなのですか?」

 フィアからの問いに、花中はこくりと頷き、考えがある事を示した。

 謎生物を知るためには、どんな調査が必要か?

 勿論謎生物そのものを調べるのも方法の一つだ。しかしそれは昨晩のうちに多少なりと行った。もっと別の、新たな知識が欲しい。

 例えば、生息地の環境。

 そしてその環境を理解するためには、現地に乗り込むしかない。

 故に花中はこう答えた。

「旅館の温泉。あの地下に、多分、『しらせ様』の巣があるから」

 あくまで仮説の、けれども自分の中では確信がある、謎生物の住処を――――




未確認生物が大量発生した時、あなたはどうしますか?

次回は明日投稿予定です。

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