彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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ベイビー・ジェネレーションズ9

「うっぎぃー! くーやーしーいーっ!」

 大桐家の庭で、ミィが癇癪を起こしていた。

 地団駄を踏む度に、ズシンズシンと大地が揺れる。遠くから何かが崩れるような音がした上に、大桐家からもギシギシという不穏な音が鳴った。空から燦々と照り付ける朝八時の日差しが大桐家自宅の隙間から噴き出す埃を鮮明に写し出し、どれだけ激しく揺れているかをしかと物語る。

「全くだ。二度目はない。絶対に」

 ミィの兄であるキャスパリーグも、憤怒の形相で苛立ちを露わにする。彼はミィのように地団駄は踏んでいないが……時折苛立ちが爆発するかのように、強烈な足蹴を大地に喰らわせていた。

 こちらはそれこそ大地震。大地が激しく上下するほどである。傷付いた家屋は止めを刺され、健全な建物は深手を負う。もうあと十回もやれば、なんやかんや無事である大桐家も耐えきれなくなりそうだ。

 現在一応大桐家の家主である花中は顔を青くした。冗談抜きに、このままでは家が倒壊しそうである。いや、自宅だけでなくそのうち大桐家以外の、この地域の外側にある、まだ人が住んでいる建物さえも倒壊しかねない。住人達は今頃突然かつ不自然な大地震に震えているだろう。

「お、落ち着いて、ください……あの、家が壊れちゃうから……」

「うぅー……分かってるけどぉ」

「分かってはいるが……」

 花中が説得すれば、二匹は一応の理解を示す。そう、彼女達も悪気がある訳ではないし、自分達のパワーが人間にとって大きな脅威である事も承知している。

 単に、抑えきれないだけなのだ。身内を殺されかけるという、かつてのトラウマを掘り起こされて。ましてやその『犯人』におめおめと逃げられたとなれば、苛立ちも増すというものである。

「全く女々しい輩ですねぇ。ちょっと子供を殺されかけたぐらいで」

 尤も、『犯人(我が子)』を平然と手に掛けようとしたフィアに、そんな二匹の心境は理解出来ないだろうが。

 キャスパリーグが鋭い眼差しでフィアを睨む。しかしフィアは特段気にも留めず、大きな欠伸をした。

「ふん。貴様には分からんだろうな。我が子を殺される事がどれほど辛いかなど」

「分かりませんね。血の繋がりなどなーんの価値もないのにどうしてそれだけで大切なものになるのやら」

「……その割には、フィア、ちょっと嬉しそうだよね。フィリスに逃げられてからさ」

 キャスパリーグの嫌味にも無関心気味に淡々と答えるフィアだったが、ミィがぽそりと漏らした言葉には目をパチクリさせた。それから顎に手を当て、しばし考え込む。

「おぉ。なんと私はアイツに逃げられて喜んでいたのですか」

 やがて至った結論に、自分自身驚いている様子だった。

 全く無自覚に喜んでいたのだと告げられ、ミィは思いっきり顔を顰めた。キャスパリーグも忌々しげに歯を剥き出しにしている。

 花中もちょっと乾いた笑みを浮かべる……同時に、フィアに対し少し親しみを覚えた。

 恐らくその喜びは、本能によるものだろう。

 地球の生命は子孫を残すのに『適した』性質を有する。時折「子孫を残すのが生命の目的」という意見を見掛けるが、それは誤りだ。生命に目的などない。子孫を残すのに適した性質の持ち主の方が、子孫を残すのに適さない性質の持ち主よりも、子孫を残しやすいだけである。

 フィア(フナ)は子育てをしない。血縁に価値を見出さない。だから我が子を殺す事になんの躊躇も持たない。

 そんな性格であっても、子孫が生きている事実に『喜び』を覚えれば……積極的に子孫を殺そうとはしないだろう。それは子孫を、自らの遺伝子を拡散する上でより適応的な反応といえる。

 そして子育てをする生物である花中(人間)としては、我が子を平然と殺すよりも、例え危険な存在であろうとも我が子の生存を優先する考えの方が親しみを感じられた。

 身内を殺されかけたミィとキャスパリーグも、同意は出来ずとも気持ちは理解するのだろう。不快さこそ露わにしたが、言葉による非難はなかった。

「おっはよーぅ、みんな。元気してるー?」

 或いは、何か言葉を発する前に『彼女』が割り込んできただけかも知れない。

 ミィとキャスパリーグが跳ねるように声の方へと振り返る。花中ものろのろと振り返り、フィアは視線だけを向けた。

 空中をふわふわと漂い、ゆっくりと降下してくる美女……ミリオンの方へと。

「ミリオンさん……」

「いやー、正直こっちが勝つとは思わなかったわ。まさかあの子、あんなしょーもない弱点があったなんてね。戦わせて様子を見て良かったわぁ」

「ふん。どちらが勝とうと貴様は損をしないという訳か」

「そういう立ち回りが上手く出来ると、人生色々と楽になるわよ。ま、楽に生きるのだけが幸せなじゃないけどね。偶には燃え上がるような困難もないと」

 キャスパリーグの非難もなんのその。ミリオンは余裕ぶった返事をする。キャスパリーグとしても、手助けはしなかったが妨害もしていないミリオンに怒りをぶちまけるのもバツが悪いのだろう。苛立ちを込めた鼻息を鳴らし、そっぽを向くだけだ。

 とはいえやはり怒りは抑えきれないのか、キャスパリーグからピリピリとした感情が撒き散らされる。場の空気もどことなく張り詰め、花中にとっては居心地が悪い。

「あ、あの、ところで、クリュさんとポルさんは、何処に、居るのでしょうか? 姿が、見えないのですけど」

 どうにか雰囲気を変えたくて、少し気になっていた事でもあったので、花中はキャスパリーグにそう話を振った。

 キャスパリーグとしても怒り続けるのは疲れるのか、花中が話し掛けると、ややあってから深いため息を吐く。それから少しだけ口角を上げ、父親らしい優しい笑みを浮かべた。

「アイツらなら、世の中の事を勉強するといって少し遠出中だ。今回の事で、自分達があまりに物を知らないと痛感したらしい。ま、歩きでも十分かそこらで戻る距離とは言っていたがな」

「え? あの子達だけで、ですか? その……大丈夫、なのですか?」

「その大丈夫は、クリュとポルがという意味か? それとも、俺は、という意味か?」

「えっと……」

 問い返され、花中は言葉を詰まらせる。

 正直に言えば『両方』だ。幼いクリュとポルが心配なのは勿論、あの二匹を溺愛していたキャスパリーグも子供達から目を離して大丈夫なのかと思う。言っては難だが、心配のあまりまた暴走するのではないかと少し心配だった。

 そんな花中の考えを読んだかのように、キャスパリーグは眉を顰めた。怒るように鼻も鳴らす。

 けれども優しい笑みは崩さない。

「俺も少し過保護だったかも知れん。自分の子供が、自分で歩き、自分で考えられる事に気付いていなかった。独り立ちの時期までそう長くはないだろう。なら、自分の足で歩き、自由に学ばせてやる方がアイツらのためになると思っただけだ。今回のように、狡賢い奴に騙されないようにな」

 遠くを眺め、強い想いを感じさせる横顔を、キャスパリーグは花中に見せる。

 猫の子育ては、長くとも半年、短ければ三ヶ月程度といわれている。

 クリュとポルは産まれて一月が経っているという話なので、残りの子育て期間は精々二~五ヶ月。猫の寿命を考慮しても、あまりにも短い。その短い時間の一部を、バラバラに過ごすというのは……きっと凄く辛いのだろうと、花中は思う。

 それでも、子供達を愛しているから。

 子供達が一匹でも元気に、誰かに利用される事がないように……幸せに生きていけるように。

 それが一番の願いだから、離れていても平気なのだろう。子供達も、此度の出来事で父親が自分達を愛していると分かったから、自分達だけで、心配させない範囲で行動しようと思ったのかも知れない。

「そーいうもんですかねぇ。というかいきなり自由行動もどうなんですかね?」

 フィアには、彼等の愛情深さが全く理解出来ないようだが。

「ふん。俺の子供達を甘く見るなよ。今回の事で悪い奴等は優しい言葉を掛けてくると分かったし、自分達がどれだけ無力かも知った! 怪しいと思ったらすぐに大声を出すよう言い付けてあるし、いい話だと思ってもまず親に相談しろとも言った! 大体十分程度の距離なら、本気で探せばすぐに見付けられるからな! 今でも此処から真上に跳べば、すぐに子供達の姿は確認出来る!」

「うーんこれが親馬鹿というやつですか」

「あはは……そうかも」

 堂々と答えるキャスパリーグに、フィアは呆れ、花中も笑いながら同意する。ミィも肩を竦めていた。

「まぁあなたが良いというなら私は気にしませんけど。しかしまぁ本当によく平気なものですねぇ」

 フィアは独りごちるように呟きながら、キャスパリーグの選択に納得していない感情を示し続ける。

 ……少し、花中は引っ掛かりを覚えた。

 フィアにも『親心』のようなものはあると分かったが、それが向くのはあくまで自分の子供だけだろう。血縁どころか種すら異なるキャスパリーグの子供達など、なんの興味もない筈である。

 そんなフィアが、何故キャスパリーグの子供達の安否にそこまで関心を寄せるのだろうか。

 キャスパリーグやミィも同じ事を思ったのか、自然と視線がフィアの方を向いていた。ミリオンも横目でフィアを見つめる。そうして全員の視線が集まったが、フィアは気にも留めない。そう、彼女は元より他者の視線など興味もないのだ。言いたい事を言い、言いたくない事は言わない。

 一つ確実なのは、フィアはまず嘘を吐かないという事。

「まだ五匹も辺りに潜んでいるのに」

 だから平然と語られたその言葉は、少なくともフィアは本心から信じている事であり。

 だからこそ、ミリオン以外の全員の顔を青くさせるのに十分な言霊を秘めていた。

「……えっ、ご、ごひ……!?」

「っ!」

「兄さん!?」

 花中は困惑し、キャスパリーグは瞬間移動が如く速さでこの場から動く。ミィは兄の後を追ってか、同じく姿を消した。

「……おや。全員離れていきますね。バレたと分かって逃げていきますか。良かったですね花中さん厄介事にはならずに済みそうですよ」

 フィアは花中に抱き付きながら、心底嬉しそうに報告する。フィアの言う事だ。間違いはないだろう。

 そう、間違いはない。

 五匹居る。

 何が? フィアは存在を感知したが、ミィ達は気付いていなかった。そのような微妙な存在感の持ち主には、つい先程接触したばかり。

 『フィアの子供』だ。

 フィアは、自分の子供達があと五匹、この付近に居ると語ったのである。ミュータント五体が総掛かりになって、ようやく撃退出来た恐るべき存在があと五体も居るのだ。

 そして彼等……或いは彼女等は……何処かに散った。

 この世界の、何処かに。

「……フナって、勿論種類とか個体差もあるけど、二年もすれば繁殖活動に参加するそうよ」

 ぽつりと、独り言のようにミリオンが語る。『雑学』に対しフィアは「ほへー」と無関心な声を出すだけ。

 そんな事は花中も知っている。知っているからこそ、それがどんな意味を持つか分かっている。

 二年後にはフィリス達が繁殖を始める。六匹のミュータントそれぞれから六匹のミュータントが産まれれば、二年後の新世代は三十六匹。三十六匹が更に二年後六倍に増えれば……数は加速度的に増していく。

 それどころかミュータント同士が交配して、より高い比率で産まれるようになったら?

 ましてやフィリスすらもミュータントとしては『未完成』も良いところだったなら?

 これはフィリス達だけの話ではない。クリュとポル、他の見知らぬミュータントにも言える事だ。ほんの十年と経たないうちに彼等は繁殖し、天敵の存在し得ない彼等は次代を易々と残すだろう。

 世界はこれから大きく変わる。人間が思っているよりも激しく、そして何よりも早く。

 世界はもう、取り返しの付かない変化の中にあるのだと、花中は思い知るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「いやー、最後の最後で負けちゃいましたねぇ。あっはっはっ」

 住宅地の側を流れる小川の岸にて。小さな胸を張りながら、フィリスは心底楽しそうに笑った。

 時刻は夕方を越え、夜になったばかり。近くの家々には明かりが灯され、わいわいと賑やかな家族の談笑が聞こえてくる。まだまだ人間にとっては活動時間帯。されど積極的に外を出歩く時ではなく、小川の付近に人間の姿はない。

 降り注ぐ月の光を受け、フィリスの金色の髪がキラキラと輝く。吹いた風で靡けば、その煌めきは何処までも広がり、風と一体化していた。自信に溢れた笑み、整った顔立ち……全てが麗しく、魅力的である。

 されどこの場においてその美貌は、さして目立つものではない。

 何故なら、小川の岸部にはフィリスと同じ顔が五つも並んでいたのだから。

「笑って誤魔化してますけど要するに失敗したって事ですよね」

「狡賢いから、あの馬鹿親ぐらい簡単に出し抜いて持ってこれるかと思いましたのに」

「何時も口ばかり。期待して損した」

「所詮は液化も出来ない雑魚ですねぇ」

「この私に任せなさいとか啖呵切ってこの様ですか」

「あっはっはっ。好き勝手言ってくれますねぇ、全員殺しますよ?」

 歯に衣着せない物言いをする五つの同じ顔に、フィリスは笑いながら殺意を剥き出しにする。尤も、それで怯むモノは皆無だが。

 当然だ。彼女達もまた、フィリスと『同じ』力を持っているのだから。

「ほぉーん? 小手先ばかり器用でパワーのないあなたがこの私を殺すと? 正面から潰してやりましょうか?」

「小狡いだけのあなたでは、私の知略を見抜けるとは到底思えませんがね」

「争っても時間の無駄。失敗は失敗。素直に受け止めれば良い」

「そうですねぇ。でもまぁ、元から定期的に戻ってくれば良いだけの話ですし、大した問題はないですけど」

「そうそう。コイツはあくまで保険ですからね」

「……全くコイツらときたら」

 労うどころか馬鹿にしてくる自分の顔に、フィリスは肩を竦める。

「別に人間ほど親身になれとは言いませんが、それが妹に対する態度なんですかね。お姉様方」

 そしてぽつりと、自分の『姉』に向けて悪態を吐いた。

 そう、此処に集ったのは全てフィリスの姉。

 即ちフナのミュータントであり、つまりはフィアの娘達であった。姉といっても実際に先に産まれたかどうかは分からない。単純に、出会った時の身体の大きさで決めただけだ。挙句姉である彼女等がフィリスと似ているかといえば、そこまででもない始末。

 長女は短気で単純。

 次女は悪辣にして不遜。

 三女は冷静かつ欲深。

 四女は暢気であるが理知的。

 五女は残忍ながら慎重。

 そして六女のフィリスは姑息なのに向上心がある。

 同じ母親から産まれたとは思えないほど性格はバラバラ。おまけに能力も全員『水を操る』でありながら、得意分野がまるで違う。例えばフィリスがトリッキーな使い方が出来るのに対し、長女は尋常でないパワーとスピードを有しているように。

 姉妹で一番賢くて知識が豊富な四女曰く、「DNA達の思惑だか本能だかで多様性が増してるんじゃないですか?」との事。四女の話は難しくて、フィリス含めた他の姉妹にはよく分からない。

 こうもバラバラでは共闘なんて土台無理な話。元から同族意識なんてものが希薄なのもあって、姉妹でありながら協調性は皆無なのである。皮肉でなく、花中を手に入れるために母親を殺そうとしたフィリスが一番『協調的』なぐらいだ。フィリスがフィアと戦っている間も姉達は遠目から観戦していたが、助太刀しなかった理由はなんて事はない――――フィリスとフィアの隙を突き、自分こそが花中を独占しようとしていただけである。

 そしてそれが叶わなくなれば、もうこの場に用はない。

「さってと。私は海にでも行ってきますかねぇ。強い奴とか居ないかなー」

「お好きにどうぞ。私は山に行きます。富士山、一度登ってみたかったので」

「私は隣の国に行ってみる。大きな虫がいっぱい居るらしいから」

「あの国の虫は放射能塗れだって言ったじゃないですか。まぁ、好きにすれば良いですけど……私は人の町でも見て回りますかねぇ。図書館で本を読んでみたいので」

「私は静かな場所を探します。あなた方の側は喧しくてしんどかったので」

 各々好き勝手な事を言いと、それぞれが自分勝手に動き出す。

 長女は川の下流へと跳び込み、

 次女は上流に向けて跳び込み、

 三女は地面の中へと潜り、

 四女は市街地に向けてのんびり歩き出し、

 五女は北に向けて何百メートルと跳躍する。

 残された六女は、身勝手な姉達が居なくなってからゲラゲラと笑った。

「恐らく今生の別れなのに、淡泊な方々ですねぇ。ま、べたべた引っ付いてきて鬱陶しいのよりはマシですが。私は、グレートバリアリーフとやらでも見に行きますかね。どれだけ綺麗なのか楽しみです」

 フィリスは人の姿をぐにゃりと歪め、巨大な黒い鳥へと変身する。

 広げれば三メートルはある翼を羽ばたかせればその身はふわりと浮かび……超音速で、南東目指して飛び立つ。

 物音に気付いた何人かの人間が家の窓から顔を出した時、そこにはもう誰の姿もない。故に恐ろしい怪物達が世界中に散った事を知る者は、誰一人としていなかった。

 だが、彼等はいずれ知るだろう。

 終わりの時は、もう間近に迫っているのだから――――




という訳でフィアさんちの六姉妹は元気に世界に旅立ちましたとさ。
どう考えても人類終了のお知らせです。

次回は今日投稿予定です。

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