その『正体』は何か。
考えれば答えはすぐに導き出せただろう。しかし花中達の目の前に現れたイソギンチャクの『化け物』は、花中達が思考を巡らせるよりも早く行動を起こした。
無数の水触手を、次々と花中達の方に向かわせたのである。
あたかも大蛇のようにうねる、半透明なそれにどれほどの重さがあるかは分からないが……軽くうねるだけで根元のアスファルトが捲れ上がり、大きな破片が飛び散っているのだ。人間なんて簡単に叩き潰せるほどのパワーがあるのは間違いない。
そんなものに何十本も襲われたらどうなる? 人間ならば跡形も残るまい。迫り来る水触手を目の当たりにした花中は飛び跳ねるぐらい驚き、恐怖に震えた。
「ふんっ!」
対して、花中の前に立つフィアは何も恐れない。
なんの躊躇もなく繰り出したフィアの拳が、迫り来る水触手をぶん殴る! バチンッ! と激しい音を鳴らして水触手の一本が吹き飛ばされ、勢い余って反対側へと倒れ込む。水触手は真下にあった廃屋を粉微塵に吹き飛ばし、加えられた力の大きさを物語った。
しかし倒れたのはたかが一本。水触手はまだまだ何十本も残っており、どれもがフィア目掛けて突き進んでいる。
するとフィアは両腕を広げ、右手で何本かの水触手を殴り飛ばし――――薙ぎ払うように打ち込まれた水触手の一本を胴体で受け止めるや、開いていた左脇で抱きかかえる!
「ふっ……ぬああああああッ!」
そして水触手を抱えたまま、その身を
大きく捻った!
フィアの動きにより、水触手達が纏めてたぐり寄せられる! 大地の下に続いている部分はそのまま引きずり出され、半透明な塊……直系十メートルはあろうかという水球が地表へと出てきた。
フィアと長い付き合いである花中は、その水球が『彼女』の作り出したものだと察する。恐らくあの中に『彼女』は潜んでいる……『彼女』の母であるフィアもそう理解している筈だ。
水球を見るやフィアはにやりとほくそ笑み、捻った身体をぐるりと一回転。水触手を巻き取るように引いた。水球は強力な力で一気に引っ張られた影響で微かに浮かび、道路を粉砕しながらフィアの下へと引き寄せられていく。
「捕まえたァッ!」
フィアは脇で抱えていた触手を投げ捨て、慣性でこちらに転がってくる水球を両手で捕まえた! 大きさ十メートルの水球はフィアから逃れようとするように藻掻くが、フィアの腕はこれを離さない。指は水球に食い込み、ガッチリと捕らえている。
しかし水球はあくまで水だ。
水球はフィアに捕らえられていない部分を自由に動かし、のたうつように暴れる。フィアはなんとか拘束しようとしてか、指先から『根』のような白いもの……恐らくは自身がコントロールしている水だ……を張り巡らせるも、その『根』は水球の一割も覆わない。なんらかの抵抗に遭っているようだ。
やがて水球は『根』の周りだけを剥がすようにしながら離脱。フィアは舌打ちしながら残った『根』を指から取り込む。あまりにも激しい攻防を見た事で呆けてしまった花中は、事が終わってから慌ててフィアにしがみついた。
そんな花中とフィアの前で、ざっと十メートルほどの距離を取った水球が形を変え始める。あたかも花が開くように、水球が開かれたのだ。花弁のように変形した水の塊はキラキラと光り、花中はその美しさに思わず見惚れてしまう。
故に花中は真っ正面から、水球の中心に佇む者と目が合う。
フィアに阻まれた事など気にも留めてないとばかりに微笑む少女――――フィリスと。
「ご機嫌よう、お母様」
「お前……!」
「ううぅ……!」
フィリスの挨拶に真っ先に反応したのはフィアではなく、キャスパリーグの子であるクリュとポルだった。クリュは怒りを言葉にし、ポルは威嚇の声を上げたが、フィリスは笑みを崩さない。
いや、それどころか見下すような冷笑を浮かべていた。
「おや、まだ居たのですか。ご両親と共に逃げていたかと思ったのですが」
「お前、よくも騙したな!」
「がるるる……!」
「お前達! 前に出るな!」
「駄目! 動いちゃ……!」
挑発的な言葉で煽るフィリスに、クリュとポルが怒りを露わにしながら躙り寄る。キャスパリーグとミィが慌てた様子で二匹を呼び止めるが、怒りに燃える幼子達の足は止まらない。
その二匹を見たフィリスが一層愉快そうに微笑んだので、花中もクリュ達を止めようとしたが……一手遅い。
クリュとポルの足下が突如として陥没。地面の中に二匹は姿を消し――――花中がそれを理解する前に、二匹はフィリスのすぐ側の地面から出てきた。水触手でぐるぐる巻きにされた状態で。
「クリュ! ポル!」
「いやぁ、まさかこんな簡単に捕まえられるとは思いませんでした。馬鹿ですね、あなた達」
「うぐ、ぐぐぐ……!」
「パパ! パパァ……!」
「おっと、今のうちに済ませておきますか」
苦しむクリュとポルの声など聞こえないとばかりに無視しつつ、フィリスは何気ない仕草で指先をキャスパリーグとミィの方に差し向けた。
瞬間、キャスパリーグとミィからバヂンッ! という激しい音が鳴る。
何が、と思って花中が振り返れば、キャスパリーグとミィが息を合わせたように大きく仰け反っていた。こんな時に何を? 疑問を抱いてしまう花中の前で、二匹は更に大きく仰け反り……ズシンと音を立てて倒れてしまう。
「ごがっ!? あ、が……!」
「うぎ、ぎぁ、あぁ……!?」
そしてビクビクと痙攣しながら、苦悶の声を漏らし始めた。のたうつように暴れるのは苦しさからか、それとも……立ちたくても立てないのか。
「み、ミィさん!? キャスパリーグさん!? 何が……」
「おや、これで動けるのですか。隙だらけだったので脊髄の方をちょいっと傷付けさせてもらったのですが、想像以上にしぶといですねぇ」
花中の疑問に答えるように、フィリスは淡々と独りごちる。
ゾッとした。
『赤の他人』とはいえ他人の脊髄を易々と傷付ける精神構造に――――ではない。フィアの娘なのだ。フィアならばそのぐらい平気で出来るのだから、彼女の娘に出来ない道理などない。恐ろしい事だが、想定外の展開ではなかった。
ゾッとしたのは、キャスパリーグ達を平然と傷付けたその力だ。恐らくは見えないほど細くした水の糸でも伸ばし、耳などから侵入させたのだろう。いくら骨折という怪我を負い、フィリスに囚われた子供達の事で頭がいっぱいだったとはいえ、キャスパリーグ達の隙を突く……それを易々と成し遂げた事が恐ろしい。
フィリスの実力は、如何ほどのものなのか。
藻掻き苦しむキャスパリーグ達は、少しずつだが暴れ方が静かになっている。弱っているのではなく、ぎこちないが立ち方が上手くなっている印象だ。桁違いの身体能力には、再生能力も含まれている。脊髄の傷も徐々に回復しているのだろう。だが、すぐに復帰出来るとは思えない。
今フィリスと戦えるのは、フィアだけだ。
フィリスは、最初からこの状況に持ち込もうとしていたのだろう。恐るべき力を持ちながらも慎重に事を進めるタイプなのか。わざわざ姿を現したのはクリュとポルの感情を逆撫でし、二匹を前に出させるための策だったのだろう。仮に策が上手くいかずとも、どうせ水で出来た仮初めの『身体』なのだから、なんらかの拍子に殴られたところでダメージとはならない。リスク管理も万全だ。
少なくとも彼女の母親であるフィアには、こんな器用な腹芸は無理だ。
頭が回る相手は厄介である。戦いの中でもその知略を用い、優位に事を運ぼうとするだろう。力の勝る相手でも軽やかに立ち回り、勝利を収める。知恵によって繁栄してきた人類だからこそそう思うのかも知れないが、賢い相手との戦いはとても恐ろしいものだ。
しかし賢いという事は、メリットとデメリットを理性的に判断出来るという事。ならばこちらから別案のメリットを提示する、或いは向こうの目的のデメリットの大きさを指摘出来れば……行動を変えるかも知れない。
話し合えば、戦いを回避出来る可能性がある。いや、そもそもフィリスが何故自分を得ようとしているのか、その目的を自分達は知らないではないか。もしかしたら、一緒に暮らす事だって出来るかも知れない。
「……あの! 一つ、訊きたい事があります!」
花中はフィアの影に隠れながらも、思いきって尋ねてみる事にした。
果たしてフィリスはこちらの話に乗ってくれるのか? 一抹の不安が過ぎるものの、フィリスは目をキラリと輝かせ、すぐに花中と視線を合わせた。どうやら杞憂だったようだ。
「はい、なんですか?」
「あ、あの……どうして、あなたはわたしを、手に入れたいと、思うのですか? 目的を、教えてくれませんか?」
「目的ですか? ええ、構いませんよ。大したものじゃありませんし」
花中の問いに、フィリスはとても気さくな素振りで返答する。隠し事をしている様子は見られない。フィリスはクリュとポルを騙した元凶であり、おいそれと言動の全てを信じる事は難しいが……煌めく瞳に嘘は感じられなかった。
なら、これから告げられる言葉は真実なのだろう。花中はそう思った。
「私、色んな景色を見て回りたいのですよ」
思ったが、語られたフィリスの言葉をすんなりとは受け入れられなかった。あまりにも純朴で、些末な願い事過ぎるが故に。
「……景色を、見て回りたい……?」
「ええ、そうです。私、生まれた池から出た時の景色に感動しましてね。池の中は泥で濁ってなーんにも見えなかったのに、外の世界は彩り鮮やかですごく綺麗だなぁって思ったんですよ」
「な、成程。確かに、池の中と比べれば、外の方が鮮やかでしょうね」
「ええ。それでですね、この世界にはもっと色んな、美しい景色があるのかなーとも考えまして。だからそれを見に行きたくなりまして」
「見に行きたいなら勝手に行けば良いでしょうが。我々に構わず」
しっしっ、と言いながらフィアは片手を前後に振ってフィリスを追い返そうとする。
けれどもフィリスは動かない。如何にも悩ましげに腕を組み、困ったように眉を顰めるだけだ。
「それでも良かったのですけどねー。ただ、一つ大きな問題がありまして」
「問題?」
「私が持っているこの知能と力が、とある人間から与えられたものだと知ったのです。まぁ、知ったのは麓に降りた後からでしたけど」
フィアの問いに、フィリスがさらりと答える。
その答えに、花中は息を飲んだ。
フィリスはフィアと同じくミュータントだ。つまり人間の脳波を受け取り、その人間の知識を得ている筈である。
「(……え?)」
「まぁ、要するに単身で世界を回っていては、何時元の魚に戻ってしまうか分からなかった訳です。なんか五年ぐらい掛かるという知識もありますが、その前にもポツポツ抜け落ちるようですからね。そこで大桐花中の知識を落としてはもう終わりです」
考え込む中で違和感を覚える花中だったが、フィリスはお構いなしに話を進める。ひとまず頭の中の疑問は脇へと退けて、花中はフィリスと改めて向き合う。
「ま、そーいう訳なんで大桐花中を連れ回したかったのですが、どうやら私の母は独占欲が強いようで、貸してはくれそうにない」
「そりゃそうでしょう。花中さんはこの私の大親友なんです。あなたに渡す訳がありません」
「でしょう? それにですね、私もお母様と同じなんですよ……どうせなら、独り占めしたいなぁって。だから襲いました。ついでに邪魔な方々も皆殺しにしておこうかなーっとも思いまして」
とても簡潔に、キッパリとした言葉でフィリスは話を纏め上げる。
花中はごくりと息を飲んだ。
綺麗な景色を見たい。
その気持ちは花中にも分かる。けれどもそれは、あまりにも『些末』な願いだろう。叶わなくても生命には何も影響ないし、他の楽しみだって幾らでもある。勿論フィリスにとってはとても強い願いかも知れないが……だとしても、そのために親を殺そうという考えに至るのか、花中には理解出来ない。挙句全く無関係な家族の愛情さえも利用した。もしかすると自分達が知らない場所で、他にも色々なものを壊しているかも知れない。
人類の観点から見れば、それは邪悪な行いに思える。しかしケダモノ達の視点からすれば、悪でもなんでもない。利用出来るものがあったから使っただけ。邪魔だから排除しただけ。極めて真っ当な生き方だ。
きっとフィアも同じ考え方をするだろう。同じ考え方だからこそ、こう思う筈だ。
それはこっちの台詞だ、と。
「ふんっ! 要するに花中さんを力尽くで奪うつもりという事じゃないですか! 絶対に絶対にぜーったいに! 花中さんは渡しません!」
「元より期待などしていませんので。さぁ、お母様。今度こそ本気で遊びましょうか?」
闘争心を剥き出しにするフィアを前にして、フィリスは片手を前に出すや挑発的な仕草でフィアを招く。
あまりにも強い自信だ。なんらかの罠を仕掛けているのではないか。
人間である花中は、フィリスの態度をそう読んだ。が、彼女の『母』はそこまで頭が回らない。
「この私に本気を出さるなんて百年早いですよォォォォッ!」
瞬時にブチ切れたフィアは、花中が警告するよりも前に音よりも速く突っ込んだ!
我が子に対し、フィアはなんら躊躇いなく拳を振り上げる。すると拳はみるみる変形し、刃のような形となった。その上刃の表面は水分子で形成された『棘』が無数にあり、超音速で蠢いている状態だ。
その形は、例えるならば電動ノコギリ。
そんなものを迷いなく娘の脳天に振り下ろせるのは、フィアが子供への愛情など持ち合わせていない種だからに他ならない。
ならば、フィアと同じ種であるフィリスが、母からの暴力に戸惑う筈もなかった。
「おおっと」
おどけるような声を出しながら、フィリスは片手を伸ばした。他の事に力を使いたくないのか、この時クリュとポルは遠くに投げ捨てられる。尤も、子猫二匹など端から眼中にないフィアの攻撃が、これで止まったり遅くなったりする筈もないが。
フィアの刃とフィリスの掌がぶつかり合う。ギャリギャリと金属同士が削れ合うような音が鳴り、フィアが本当に容赦ない一撃を加えた事が花中にも分かった。
だが、これでもフィリスには届かない。
最初は、受け止めているフィリスの手が大きく波打っていた。フィリスの手から破片が飛び散り、作り物の『身体』がダメージも負っている。フィアが圧倒的な優勢だった。
しかし時間が経つと、フィリスの手から破片が飛ばなくなる。手が波打つのも止まった。それどころかフィリスはフィアの刃を受け止めている手を、ぎゅっと握り締めてしまう。高速回転する刃は更に甲高い音を鳴らしたが、フィリスは気にも留めない。むしろ爪を立て、一層強く刃に抵抗を掛けた。
するとフィアの刃の動きが、段々と鈍り始めた。
フィアが苦々しく表情を歪めた。素直にやられなかったから、ではない。彼女は『そこそこ強い』相手には嬉々とした笑みを返し、楽しんでボコボコにしてやるタイプだからだ。表情を歪めるという事は、本当にヤバいという事。
パワー負けしている。
或いは生後数日の赤子が、歴戦の勇士を押していると言うべきだろうか。
「ぐっ……ぬぐぐぐぐぐぐ……!」
「へぇ、成程成程。こういう使い方もあるんですねぇ。勉強になります。つまり、こうやれば良いんですよね、お母様?」
唸るフィアの前で、フィリスは開いている片方の手をわざとらしく掲げた。その手はゆっくりと変形し、フィアが自身にぶつけようとしている刃と同じ形になる。
違いがあるとすれば、その回転数だろう。フィアにしろフィリスにしろ、刃の蠢く速さは人間である花中の目に見えるような鈍足ではないのだが……フィリスが形成した刃の周りでは、空気が歪んで見えた。恐らく、高速回転により周辺の空気が超音速で掻き分けられている影響だ。しかし切り裂いているのは刃の表面部分のみ。範囲は極めて小規模で、このような事象は花中も初めて見る。
そう。今まで幾度となく見てきたフィアの刃でも、こんな事象を起こした事はない。
「これなら、及第点でしょうかッ!」
フィリスは楽しげに笑いながら、フィアに刃を振り下ろした!
フィアは開いている片方の手を素早く頭上で構え、これを受け止める。こちらからも金属同士がぶつかったような甲高い音が鳴り響き、人智を超えた強度と力のぶつかり合いを物語った。フィアがフィリスに刃を振り下ろした直後と同じ構図だ。
フィリスの時との違いは、最初は問題なく受け止めていたフィアの手が、少しずつ歪み始めたという事。歪みは大きな波打ちに変わり、波打ちが大きくなると小さな水滴が肉片のように辺りに飛び散り出す。
「ちっ!」
最後は、フィアが跳ぶようにして後退。一メートルほどフィリスから離れる。
受け止めていたフィアの手を切り裂いて、フィリスの腕が大地を叩いたのはその直後であった。
もしもフィアが意地を張って留まっていたなら、そのまま頭から股下まで一気に切り裂かれていたに違いない。それほどの力強さを、花中はフィリスの動きから感じ取る。フィアが『身体』で攻撃を受け止めなかったのも、本能的に防げる気がしなかったからに違いない。
「おっとっと。手が地面に……んー、中々面白い使い方ですけど、難しいですねこれ。形を保つにも意識しないとだし……っとと、どべっ」
フィアと花中の緊張感を他所に、フィリスは地面に突き刺してしまった己の手を引っこ抜くのに四苦八苦。力強く引き抜いた反動でひっくり返り、頭を地面に打つ。
あたかも力に振り回されているような動き。あれは演技だろうか? 一瞬そう考える花中だが、違うだろうと結論付ける。
恐らく、フィリスは本当に自分の力の使い方をよく分かっていない。
フィアも初めて会った時からとんでもない力を使っていたが、それでも今ほどの出鱈目ではなかった。二千度程度の温度にも耐えられなかったし、一億トンの水を溜め込むのすら精いっぱい。今でこそ数万度の高温を平然とやり過ごし、数千万トンの水を軽々と操ってみせるが、これは様々な経験により成長した結果だ。無数の試行錯誤と閃きが今のフィアを形作っている。
対するフィリスは、フィアの子だ。ミュータントの個体毎の能力差がどの程度かは不明だが、フィリスがフィアより『性能』的に劣っているとは限らない。仮に同等の力を有しているなら、やり方さえ分かってしまえばフィリスにはフィアと同じ事が出来てしまうのだ。
フィリスにとってフィアは最高の『お手本』だ。フィアが戦えば戦うほど、技を使えば使うほど、フィリスは真似して強くなる。圧倒出来るのは最初だけ、技はすぐに互角の水準まで持ち込まれてしまう。
いや、それどころか……
「うーん、カッコいい技ですけど、私好みじゃないですね。私ならもっと小洒落て美しいものが好みです。こんな感じのやつ、がね!」
思考を巡らせる花中。その花中に見せ付けるかのように、優雅に舞いながらフィリスは腕を前に出す。
その指先から
否、レーザーではない。超高圧縮された水を一直線に放つ……かつて『マグナ・フロス』が用いた技と同じものだと花中は見抜いた。最も見抜いたところで、レーザーと見紛うほどの速さの攻撃に反応など出来ない。
フィアも避ける事すら叶わず、フィリスの繰り出したレーザーもどきがフィアの胸部を打った。正確には水を飛ばしているのではなく、レーザーのように細く圧縮した水の塊。棍棒で突かれるようなものだったらしく、フィリスが繰り出した水は飛び散る事もなくフィアを大きく押し出した。フィアの身体が貫通される事はなかったが、一気に数メートルとフィリスから離される。
そのフィアの足下から無数の水触手が生え、フィアの身体に絡み付いた!
「ぬっ……この程どぅおっ!?」
水触手を切ろうとしたのか、それとも取り込もうとしたのか。しかしなんらかの行動を起こすよりも、フィリスの水触手が動き出し、フィアの身体を持ち上げる方が早い。
水触手はフィアを彼方へと放り投げ、更に数十メートルとフィリスから引き離す。一年以上前に行われたオオゲツヒメとの戦いにより、この地が廃墟と化していたのは不幸中の幸いだった。もしも此処が今も住宅地だったなら、投げ飛ばされたフィアによって何十もの家が倒壊したに違いない。
投げられたフィアの身体は瓦礫の山に激突し、まるで積み上がった埃のように石やコンクリートの欠片を舞い上がらせる。辛うじて原形を残していた廃屋も震動で倒壊し、瓦礫の仲間入りを果たした。如何に無人の家とはいえ、誰かの思い出が消えてしまった事に花中は胸が締め付けられる。
されど今はこんな、『無意味』なものを気にする余裕などない。
吹き飛ばされたフィア目掛け、無数の水触手の上に乗ったフィリスが突撃を仕掛けたのだから。
「おのれ……っ」
瓦礫を吹き飛ばし、復帰したフィアに無数の触手が迫る。フィリスの操る水触手はアスファルトを砕きながら前進を続け、止まる気配すらなかった。
このままでは正面衝突だ。しかしこの程度で怯むほど、フィアの闘争心は生温いものではない。
「小賢しい小娘がアアアアアッ!」
それどころか一層ボルテージを上げ、フィアはブチ切れる!
人間の姿を捨て、フィアは己の身をぶくりと膨れ上がらせた。服も髪も身体の内へと格納し、顔は両生類と魚類の合いの子のようなものへと変形。全長は五十メートル近く、体表は白銀に輝き、二足歩行するカエルのような姿へと変貌する。
この歪にしておぞましい姿こそ、フィアが誇る肉弾戦特化形態。格上だろうがなんだろうが、強引に叩き潰してきた暴力の化身である。
されど此度の相手は自らの娘。
「あら、次は直接対決の作法を教えてくださるのですか? なら、同じ舞台に立ちませんとネェ!」
フィリスは乗っていた水触手を一度下半身から取り込み、次いで同じく下半身から無数の水触手を生やした。更にその身は一瞬で膨らみ、変形していく。
フィリスもまた、フィアと同じくカエルの化け物のような姿へと変身した。ただしこちらは背中に無数の水触手を生やし、サイズはフィアよりやや小ぶりな四十メートル程度。見た目だけなら、気味は悪いがフィアよりも力が弱そうである。
【潰レロオオオオオッ!】
尤もフィアはこれで加減してくれるような、家族愛など持ち合わせていない。フィリスの変形が終わる前に突撃し、完了した直後に正面からぶつかりあう!
体当たりを受けたフィリスの身体は大きく仰け反った、が、フィリスはその両生類とも魚類とも取れる顔に笑みを浮かべる。
反撃とばかりに繰り出されたフィリスの右手は、ドリルのように回転していた。
ドリルはフィアの顔面を穿ち、抉り飛ばす! フィアの顔を形成していた水が飛び散り、一瞬にして顔面の三割が崩壊。内部を露わにする……とはいえ所詮作り物の顔だ。中身が露出したところでフィアにとっては痛くも痒くもない。もう一発体当たりを喰らわせてやるとばかりに、フィアはその身を僅かに屈める。
フィリスはこれを見逃さない。
己が打ち込んだドリルによって、フィアの顔面から飛び散った水。怪物の顔でフィリスが目配せすると、なんと飛び散った水が空中で止まった。
更に、まるで指揮棒でも振るかのように手の形を留めている右手を動かせば、飛び散った水がフィアへと突っ込む! 水は自ら出した速度に耐えられなかったのか、フィアとぶつかった瞬間爆発するように粉砕。濃厚な霧のように漂い、フィアの正面を塞いだ。
【グッ……鬱陶シイッ!】
「お褒め預かり光栄です。ほぉーら、こうすればもっと鬱陶しいですよ?」
咆哮染みたフィアの怒りも、フィリスは何処吹く風。平然と煽り返す。
されど言葉だけではない。
フィリスの言葉に応えるように――――
霧の動きを目の当たりにしたフィアは一瞬身を強張らせた。大概の事は気にも留めないフィアが足を止めたのだ。それでも、次の瞬間にはやはり突進したが……霧と接触した瞬間、轟音を轟かせて弾かれてしまう。霧は文字通り、壁のような頑強さを有していたのだ。
【グッ……ウヌゥ……!】
自らの体当たりの衝撃でよろめいたフィアは一歩二歩と後退り。
どうにか踏み止まり、転倒こそ避けたが、怪物の顔に驚愕と苦悶の色が浮かぶ。
【馬鹿ナ……ドウシテ霧ヲ操レルノデスカ……!】
そしてその困惑を、唸るような言葉でぶつけた。
花中もフィアと同じ心境である。フィアの能力は水を操る事だが、その力には幾らかの制限がある。操れるのはフィア本体と接触している、或いはフィアが操っている水と
故にフィアは霧を操れない。霧は細かな水滴が無数に浮遊している状態……つまり一粒一粒に僅かではあっても隙間が空いている状態だからだ。無論水触手や『糸』を展開し、霧を形成する水滴と触れさえすればコントロール下に置けるが、それは最早霧ではない。
なのにフィリスは、霧を霧のまま操っている。
産まれて数日程度の彼女が、成熟した大人であるフィアさえも真似出来ない事を成し遂げているのだ。
「……? 何を戸惑っているのです?」
ましてやそのフィリスに、自分のしている事がどれだけ非常識かの自覚がないとしたら?
――――それは、花中が考える中で最悪の可能性。
かつてミリオンと戦ったRNA生命体は、こう語っていたという。DNAには簡易ながらも学習・判断能力があると。そのちっぽけな知性により様々な進化を起こし、地球上に広く繁栄していったと。
そしてあまりにも優秀過ぎて、RNAによる制御が必要だったと。
ミリオンが聞いたRNA生命体の言い分が正しければ、三億年で単純な生命体から今の生態系を構築出来たという。一足飛びの進化などお手の物という訳だ。
それが、ミュータントに起きたなら?
フィアの能力は圧倒的だ。水爆すら通じない力を持った今、人類文明では彼女の暴虐を止められない。正しく最強無敵のモンスター。
けれどもDNAからすればまだまだ改善点が多いのだとすれば? 一代目であるフィアはいわば試作品であり、一代目が積み上げた経験を元にして、欠点や非効率な部分を解消した状態で産まれた次世代こそが『真のミュータント』であるならば……
果たして
「……ふぅーん。成程、そういう事ですかぁ。出来ないんですねぇ、お母様にはぁ」
【……………】
「図星ですかねぇ? まぁ、良いですけどね。そーいう事であるならば……こっちからがんがん押させていただくだけですからァ!」
黙りこくったフィアに、今度はフィリスが突っ込む!
四股を踏み、フィアはフィリスを迎え撃つ! 自分よりも一回り小さな体躯を胴体で受け止め、一歩たりともフィアは後退しなかった。
だがフィリスの攻撃はここで終わらない。
フィリスの背中に生えている数十もの水触手がうねり、四方八方へと伸びて地面に突き刺さる。地面から水を吸い上げるのか? フィアが強敵相手に使う手口と似ていたがために、花中はそう思う。
フィリスの場合は違った。
フィリスは、なんと地面を
しかしそれはテレキネシスではなく、水を操る能力の延長線上の現象。恐らくは土中の水分をコントロールし、浮遊させているのだと花中は考えた。霧を操れるという事は、水の遠隔操作が可能だという事。それを応用すれば、水の染み込んだ土を持ち上げる事など造作もあるまい。
フィリスの水触手が大きく波打つと、持ち上げられた土の塊が粉々に砕ける。砂のように小さな粒となった土は、ふわりと舞い上がり、直系二十メートル近い大きな渦を作った。渦は徐々に加速していき、ものの数秒で花中の目にはぼやけた茶色い球体にしか見えないほどの速さに達する。まるで砂から造られたドリルのようだ。
おまけにこれは一箇所だけの話ではない。フィリスが伸ばした水触手は数十本とあり、その全てが巨大な土の塊を持ち上げ、そして粉砕していた。
生み出される莫大な数の渦。
フィリスは触手を伸ばし、これらをフィアにぶち当てる! 渦と渦はぶつかり合うと合体して一つになり、巨大化した渦はフィアの全身をすっぽりと覆い尽くしてしまった。
【グゴ……グウウウウウッ!?】
渦に包まれたフィアが呻きを上げる。大きく仰け反り、フィリスから後退ってしまう。
土を細かな粒子へと変え、凄まじい速さで渦を描かせる……例えるなら、それは超高速で回転するヤスリのようなものだ。おまけに水分を含むとはいえ、攻撃の主体は土。フィアの能力でコントロールする事は勿論、取り込んで自分のものにする事も出来ない。
水爆にも耐える『身体』が、ヤスリという原始的な攻撃で徐々に削られている。フィアは両腕を振り回して砂の渦を吹き飛ばそうとするが、その渦はフィリスの能力により制御されるもの。フィアが腕を振り回したところで、吹き飛ばせるような代物ではないのだ。
【ヌゥアアッ! 小賢シイッ!】
ついにフィアは、悪態を吐きながら砂嵐から逃げ出す。
無論逃げねばやられてしまうのだから、この行動は仕方ないもの。しかし逃げるという事は、自らの形勢が不利であると声高に主張するのと同じだ。
フィリスからすれば、みすみす逃す理由なんてない。
フィリスは水触手をうねらせる。一つに合体していた渦は分離し、再び二十メートルほどの渦となって水触手の先端に乗った。フィリスはこの水触手を、数百メートル先まで逃げるフィアへと伸ばす。
恐らく、フィリスの遠隔操作も完璧ではない。射程距離自体は短く、自身の操る水から二十メートル程度が限度なのだろう。フィリスのこれまでの攻撃から、花中はそう推測した。
だが、それがどうした。
フィリスには水触手がある。水触手を伸ばせば、幾らでも射程距離は伸ばしていけるのだ。これにも限度はあるかも知れないが、直接の殴り合いで問題になるものではないだろう。
逃げるフィアに、フィリスは伸ばした水触手と共に渦を押し付ける。逃げても逃げても追ってくる渦に、あまり我慢が得意でないフィアは怒り心頭で振り返り……けれども形のない、おまけに能力で制御された渦を止める事は出来ない。
【グ……グゥ……ウゥゥ……!】
唸り、威嚇をすれども、フィリスの描く渦は消えない。フィアはその場に膝を付き、動けなくなる。濃密な土の渦の向こうに居るフィアの姿は、花中の目には見辛いが……段々と、小さくなっている事は分かった。
「はっはっはっ! 降参しますかぁ? まぁ、降参しても許すつもりもありませんがね。私なら、助かったら必ずリベンジを企てますので」
【……ッ】
「だからここで粉々になって死んでくださいな、お母様」
自らが追い詰めた『母親』に、フィリスはなんの感傷もなく死刑宣告を下す。
「お、お願い! もう止めて! あの、わ、わたし、一緒に行きますから、だから……!」
花中は咄嗟にフィアの助命を求めたが、フィリスは怪物の眼を一瞬チラリと向けただけ。返答はおろか、渦を止める気配すらない。先程フィアに向けて告げたように、生かせばフィアは花中の奪還に来ると見透かされているのだ。
止められない。止める方法が思い付かない。
なんとかして策の一つでも捻り出そうと考えを巡らせるが、フィリスは悠長に待ってはくれない。自身が戦いの中で著しく成長したように、フィアもまた戦いの中で成長するのを理解しているのだろう。操る渦は一気にその速さを増し、フィアの姿を完全に覆い隠す。摩擦による静電気によるものか、湿った土で出来ている筈の渦からは雷撃が飛び交い、付近に打ち込まれて破壊を広げていく。
強過ぎる。どうにもならない。
「フィアちゃん……!」
出来るのは追い詰められた親友の名を呼ぶ事だけ。そしてこんな言葉には、なんの力も宿っていなかった。
つまり、花中は何もしていない。
何もしていないのに――――フィリスの巨体が、唐突に吹っ飛んだ!
「ぐぬあっ!? 何……!?」
呻きを上げながら、怪物の身体を軽やかに動かしてフィリスは体勢を整える。まるで体操選手のようなアクロバティックな動きだったが、百メートル以上飛ばされたフィリスに余裕はない。
フィリスが離れた事で、渦はコントロール圏外に出てしまったのだろう。超高速回転していたそれは、四方に飛び散るようにして霧散。そこにフィアの影はない……と一瞬花中は錯覚して顔を青くしたが、よくよく見れば渦の中心に小さな人の姿がある。人間形態になっているフィアだった。防御を固めるために、体積を小さくしていたのかも知れない。
花中は遠く離れてしまったフィアへと駆け寄る。二匹が暴れた事で、元々廃虚状態だった住宅地はすっかり更地。花中でも楽々と駆け抜けられる。
近付くほどに、助かったフィアのキョトンとした顔がハッキリと見えるようになった。詳細は訊かねば分からないだろうが……間違いなく、フィアは何もしていないだろう。彼女は演技が出来る性格ではないのだ。
何よりもしもフィアが何かしたのなら、フィリスの前にあの二匹が立っている筈がない。
黒い髪を携えた、小さくて、とっても親思いで……そしてパワーに満ちた獰猛な捕食者。
クリュとポルが、怪物姿のフィリスの前に立ち塞がっていたのだった。
次回、子供達の猛反撃!
こう書くとファミリー映画っぽいですね! なお、やるのは血みどろ大乱闘の模様。
次回は明日投稿予定です。