彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

183 / 232
ベイビー・ジェネレーションズ6

 正直なところ、花中にとって相手の正体は『想定内』だった。

 クリュとポルの臭いを消せたのは、少女に水を操る能力があったから。恐らく水を用い、自分達が通った道から臭い物質を吸い尽くしたのだろう。

 ミィ達が接近に気付けなかったのは、その身を水で包んでいたから。ミィ曰く「みょーに存在感がない」らしいフィアと同じように。

 そしてフィアは言っていた。二週間ほど前に故郷の池で産卵した、と。

 キャスパリーグの子がミュータントと化したように、フィアの子がミュータントと化してもなんらおかしくない。そして哺乳類と違い、フナであるフィアの子は親の庇護など受けずとも独り立ち出来る。

 こうして目の前に単身現れたところで、なんら不自然ではない。不自然ではないからこそ予測も出来たのだが……それでも彼女が『自己紹介』をした時、花中は動揺した。

 まさかフィアの子が、このような騒動を引き起こすなんて思わなかったのだから。

「ふぅん私の娘ですか。まぁなんだって構いませんがね。それで? 何が目的でこのような事をしたのです?」

 人間である花中は大いに動じたものの、身内である筈のフィアは平然としていた。哺乳類のような『家族』という集団すら作らないフィアにとって、娘も他人も大差ないのである。愛情以前に興味すらろくに持っていないだろう。

「目的はですね、大桐花中を手に入れる事ですよ」

 ただし少女からこの言葉を聞いた瞬間、フィアの無関心は敵意へと変わるのだが。

「……念のために訊きますがジョークや何かではなく?」

「勿論。こんなつまらない冗談は言いません」

「成程お断りします。さっさと失せなさい」

「そうですよねぇ」

 苛立ちを隠さないフィアの言葉に、少女は堪えた様子もなく飄々と受け答えする。しかしその目には徐々に闘志が宿り、全身から覇気を発しているのが花中にも感じられた。

 どうやらフィアの娘に、穏便にやり取りするつもりはないらしい。

「ああ、ならこうしましょう。私がお母様を捻じ伏せた暁には、ご褒美に大桐花中を私にプレゼントしてくださいな♪ 何も言えない状態にするつもりですので、文句も何もないでしょうけどね」

 そして少女は平然と、自らの母に向けて『殺害』と花中の強奪を宣言した。狙っている事をハッキリと告げられ、自分よりも小さな少女に慄いた花中はフィアの背中に隠れてしまう。

 ねだられたフィアは、ビキリと顔から音を鳴らした。作り物の顔面に青筋を浮かべ、口許に獰猛かつ敵対的な笑みを浮かべている有り様。

 フィアはこれまで、家族というものの大切さに理解を示した事はない。それは、我が子に対しても同じようだった。

「クソガキが……潰れなさいッ!」

 フィアは一切の容赦なく、己の右腕を振るった!

 少女とフィアの間は五メートルほど離れていたが、フィアにとっては関係ない。水で出来た身体は伸縮自在であり、自由に伸ばせるからだ。

 フィアの手は五メートルもの長さに伸び、その幅は二メートル近く広がる! 少女よりも遙かに巨大な物体が、なんの容赦もなく少女に叩き付けられた!

 が、少女は揺らがない。

 少女の伸ばした片腕が、フィアの振るった腕を受け止めたからだ。いや、受け止めたというのは、正確には異なるかも知れない。少女の手はフィアの腕に沈み込み、()()していたのだから。

 そしてフィアの腕を、じゅるじゅると啜るように吸い込んでいく。

「ちっ! 小癪な!」

 フィアは自らの腕を切断、少女の手から離れる。明らかに自分より巨大な腕を、少女は手先から一気に取り込んでしまう。されどその姿が変化する事はなく、変わらず少女の姿を維持していた。

 少女は何をしたのか?

 訊くのも野暮というものだ。あの少女がフィアの子であるなら、その能力もきっとフィアと同じもの……『水を操る』事である。フィアの『身体』は水で構成されたもの。少女は自らの能力を用い、フィアが支配下に置いていた水のコントロールを奪い取ったのだ。

 しかし……

「今度はこっちから、お返しです!」

 花中が考え込もうとした時、少女が反撃へと打って出た。足下から半透明な触手……水触手を生やし、フィア目掛けて撃ち出したのだ。

 水触手は花中の動体視力では到底捉えきれぬ速さを出しており、直撃すれば人間など粉微塵に吹き飛ぶであろう。されどフィアはこれを躱そうともせず、むしろ身を前のめりにしながらどしりと構えてこれを迎え撃つ。

 水触手はフィアの胴体に命中。だがフィアは怯まず、それどころか水触手を両腕で抱きかかえる。

「あなた風情に出来る事がこの私に出来ぬ訳がないでしょう? 手本を見せてあげますよォ!」

 意気揚々と宣言するや、フィアが水触手を取り込み始めた!

 抱きかかえた胸へと、水触手は吸い込まれていく。少女がフィアの腕を吸い取った時よりも一層激しく、パワフルに。

 どんどん水触手を吸い取られていく少女だが、彼女は水触手を切り落とそうとはしない。このままでは『本体』を包み込む『身体』の水をも吸い取られてしまうのに、ただただ見つめるばかり。

 フィアが何か手を加え、水触手を切り落とせないようにしているのか。生きてきた年月、そして経験の差が成せる技を使っているのかと花中は思った……自分の勘違いに花中が気付くのに、それから数秒と掛からなかったが。

 何故なら少女が、不意にニタリと笑ってみせたのだから。

「成程、そうやるのですか。こんな感じ、ですかねぇ!」

「ぬぐっ!?」

 少女が声を上げるや、フィアが呻く。

 するとフィアが抱きかかえていた水触手が、逆流を始めた。

 フィアが確保している水が、少女の方へと流れ始めたのだ。つまり、フィアの力を少女が上回ったという事である。よもや負けるとは思っていなかったようで、フィアは顔を顰めて不愉快さを露わにした。

 それでも幼子に負ける事への羞恥など持ち合わせていないフィアは、形勢の不利を悟るや即座に水触手を切り落とした。

「おっとっと。逃げられちゃいましたか」

「……ふん。思いの外やるじゃないですか」

「ええ。とても良いお手本がありましたから」

 ニコニコと余裕の笑みを返す少女に、フィアは鋭い眼差しを送る。フィアの放つ闘志がピリピリしたものへと変わるのが、フィアの後ろに隠れる花中でも感じられた。

 総合的に見て勝負は互角なのか、フィアが押しているのか、少女が勝っているのか。

 花中には判断が付かない。ごくりと息を飲み、友達と、友達の娘の命運がどうなるのか無意識に考えてしまう。

 尤も、友達は自分の娘などどうでも良い訳で。

「それならもっと良いお手本を見せてあげましょうかねェ……」

 ざわざわと金色の髪を揺れ動かしながら、フィアはどす黒い殺気を放ち始めた

 次の瞬間の事である。

「あっ、お腹が空きました」

 少女が間の抜けた事を言い出したのは。

「……は?」

「そうです、そういえば今日は朝ごはんを食べ忘れていました。もうお腹ぺこぺこなのです」

「……はぁ」

「という訳で帰ります。あ、そうそう、私、自分の事をフィリスと名付けています。以後そのように呼んでください」

 少女ことフィリスは世間話のような雑さで自己紹介。フィリスの視線は花中の方を向いていて、自分に話し掛けてきたのだと思った花中はついついぺこりと頭を下げた。フィアに至っては殺気のある顔のまま、『身体』がガチガチに固まっている。

「ではさようならです、はいどろーん」

 そんなフィアと花中を尻目に、フィリスはこれまた間の抜けた言葉を告げる。

 フィリスの足下が突如として爆発し、商店街を飲み込むほどの白煙が広がったのは、それから間もなくの事であった。

「わ、ぼみゃっ!?」

「ぬっ!? 花中さ……んぁ?」

 広がってきた白煙は正しく爆風のそれであり、花中は突き飛ばされるようにして転倒。フィアは素早く手を伸ばそうとしたが、何故か半端な位置で止めてしまう。助けてもらえなかった花中はごろんごろんと地面を転がった。

 とはいえ花中はフィアの影に隠れていて、白煙の直撃こそ避けていた。つまりは割とマシな衝撃の受け方をしていたと言えよう。お陰で怪我はしていない。

 しばらくして白煙が晴れた時、フィリスが立っていた場所には半径数メートルのクレーターが出来上がっていた。周りの建物は窓ガラスだけでなく屋根や壁も砕け、一部崩れ落ちている部分もある。家の中に居る人々が出てこないのは……家を襲った震動に怯えているからだろう。

 人の事など何一つ考えていない逃げ方を前にして、フィアは顎を擦りながら「ふーむ」と呟いた。

「うぅ……フィアちゃん、酷い」

 そんなフィアの下まで戻ってきた花中は、とりあえず悪態をぶつけておく。

 花中に気付いたフィアはにっこりと笑い、花中を正面からぎゅっと抱き締める。拗ねる花中をあやしている、訳ではなく、自分が抱き締めたいから抱き締めるのがフィアという生物だ。

「おおっと花中さんすみません。つい手を引っ込めてしまいました」

「引っ込めたの!? 助け忘れたじゃなくて!?」

 白煙に飲まれてフィアの動きが見えていなかった花中は、友達の行動に二重のショックを受ける。

 しかしフィアの方も言いたい事はあるようで、ぷくりと頬を膨らませた花中に説明した。

「いえ少々気になりましてね。あの娘の出した白煙……要するに霧でしたがそこに妙なものを感じまして」

「……妙なもの?」

「まぁ分からず終いなんですけどね」

 降参だと言いたげに、フィアは肩を竦めた。

 フィアが感じたものが何か、花中としても気になる。つい思考がそちらに没頭しそうになってしまう。

 けれどもなんとか堪えた。

 今、優先すべきはフィアの疑問ではない……フィリスによって傷付けられた、猫達の方だ。

 キャスパリーグもミィも、道路で四つん這いになって蹲っていた。二匹の下に花中は駆け寄り、恐る恐る声を掛ける。

「キャスパリーグさん、ミィさん、だ、大丈夫ですか?」

「……この程度、大事ない」

「あたしもー……って言いたいけど、駄目だねこりゃ。骨が折れた」

「えっ!? だ、大丈夫ですか!?」

「この程度で死にやしないよ。でも丸一日は安静にしないとかなぁ。戦うのはちょいと無理」

 ミィから症状を伝えられ、花中は安堵と悲痛の入り混ざった表情を浮かべる。命に別状がないのは良いのだが、怪我をした事には変わりないのだ。その痛みを思えば、胸がチクチクと痛んでくる。

 だからこそ、同情も抱いた。

 自分なんかより、もっと深く、もっと辛く……心を痛めている二匹への同情が。

「……あの」

 花中が言葉を掛けたのは、キャスパリーグから離れた位置で身を寄せ合う二匹の猫――――クリュとポル。

 人間など恐れる必要がないほど強い二匹は、花中の小さな声にビクリと身を震わせた。人の幼子の姿を保っている彼女達の顔には、酷い恐怖と怯えがあった。

「ご、ごめんなさい。あの、わ、わた、わたし……」

「ぼ、ボク、パパが盗られちゃうと、おも、思って……」

 ガチガチと顎を震わせ、必死に言い訳する二匹。

 話し始めたきっかけは、花中が呼び掛けた事だろう。しかしその言い訳の行く先は、決して花中ではない。

 自分達の行いにより傷付けてしまった、父親(キャスパリーグ)に向けてだ。

「……良いんだ、大丈夫」

 キャスパリーグは ― 恐らくはミィと同じく骨折している筈なのに ― ゆっくりと歩き、我が子の傍まで向かう。クリュとポルは目を潤ませ、互いに抱き合って、お互いの不安と恐怖を慰め合っている。

 まるで、そこに混ぜてくれと言わんばかりに、キャスパリーグは二匹を抱き寄せた。

「ぱ、ぱ……?」

「ああ、良かった。本当に、無事で良かった……」

 困惑する子供達の前で、キャスパリーグは怒らない。ただただ安堵し、喜びの言葉を呟く。

 それは彼の偽らざる本心。

 赤の他人、どころか他種族である花中にも分かるのだ。幼いとはいえ血の繋がったクリュとポルに分からぬ筈もない。

 クリュとポルの目が潤み、涙が溢れ出る。二匹は自分達を抱き締める父親に、自らの手を回して抱き付く。

「ごめんなさい……ごめんなさい……!」

「ごべんなざいぃぃ……!」

 ついにはわんわんと泣き出しながら謝る。

 それは、とても暖かな光景。

 声を掛けながらも無視されてしまった花中だが、親子が仲直り出来たのなら、そんなのはどうでも良い事だった。

「茶番ですねぇ」

 ……フィアの一言で、折角の暖かな気持ちは吹っ飛んでしまったが。

「もう、フィアちゃんったら。空気読んでよ」

「私がそういう事に不得手なのはご存知でしょうに。子供なら何やっても許されるなんて理解出来ませんよ」

 フィアは肩を竦め、本当に訳が分からないと言いたげだ。魚類である彼女に、親子の絆なんてものはなんの価値も見出せないのだろう。

 そしてフィアの娘もそれは同じという事か。

 フィリス。

 彼女は何故自分を求めているのか? 今日初めて顔を合わせたばかりの花中に、彼女の真意は読み取れない。何か理由があるのなら、もしも自分に協力出来る事なら、力を貸したいのだが……

 疑問は他にもある。しかしどれも此処で考え込んでいても答えには辿り着けないような気がした。自分ではさっぱり分からぬ時は、詳しい者に訊くのが一番だ。

 そして恐らく、此度の事態に一番詳しいのは『彼女』。

「ミリオンさん、出てきてくれませんか? お伺いしたい事が、あります」

 花中は虚空に向けて、友を呼んだ。

 ミリオンは、姿を現さない。

「今答えても良いけど、人目が気になるし、はなちゃんの家に戻らない?」

 けれども声はしっかりと発してくれた。

 確かに、と花中も納得する。虚空から声が聞こえてくるなんて怪奇現象、自分以外の者が経験したら腰を抜かしてしまうだろう。加えて先の争いにより、商店街も少なからず被害を受けた。そろそろ警察などの『公務員』が来てもおかしくない。

 ここは一旦退却が正解か。

「……分かりました。えと、ミィさん。わたしの家まで、一人で戻れますか……?」

「見くびらないでほしいね。骨折はしたけど、此処から花中の庭まで行くのなんて簡単だよ。むしろ兄さん達を現実に引き戻す方が大変かも」

「お任せしても、大丈夫ですか?」

「逆に訊くけど、花中にどうこう出来る?」

 花中は首を横に振った。ミィはニッと元気に笑い、骨折してるとは思えない足取りでキャスパリーグ親子の下へと向かう。

 ミィの背中を見つめながら、花中はフィアに抱き付いた。

「ん……じゃあ、フィアちゃん。家まで、戻ろう」

「了解です。しかしミリオンの奴あの小娘の何を知ってるんでしょうねぇ?」

 まるで見当が付いていない。そんな様子で独りごちるフィアに、花中は「そうだね」と同意の言葉を返す。

 だが、内心はまるで逆だ。

 何故ミリオンは今まで姿を見せなかった? 彼女はフィリスの何を知っている?

 フィリスの正体、そしてミリオンの目的。それらを考えると、なんとなく、花中は答えが見えた気がした。

 けれども、その答えは出来れば当たってほしくない。

 もしもその答えが当たっていたなら……

「花中さん?」

「あ、ううん。なんでもない」

 フィアに声を掛けられ、自分が考え込んでいた事に花中はようやく気付く。首を横に振りながら、花中はフィアに強くしがみついた。

 なんでもない、という答えに納得はしてないようで、フィアは一瞬眉を顰める。けれどもそれだけだ。基本能天気で何事にも無関心な彼女は、花中の『考え事』にさしたる興味も持たない。

「分かりました。では行くとしましょうか」

 フィアは花中を抱き寄せ、その場から力強く駆ける。颯爽とした足取りは、自転車よりも遙かに速い。

 大桐家の庭に辿り着いたのは、それからほんの数分後の出来事だ。

 ……………

 ………

 …

 そして大桐家の庭に全員が揃ったのは、フィアと花中が帰宅してから更に十五分ほど経ってからだった。

 クリュとポルは、父親であるキャスパリーグに抱き付いていた。それはもうべったりとしていて、そのうち本当に癒着するのではないかと思わせるほど。顔には満面の笑みが浮かんでいて、すりすりと頬を擦り寄せている。

 キャスパリーグは二匹の子供達とは違い鋭く真剣な表情を浮かべていたが、両手はバッチリ子供達の頭やら背中やらを撫でていた。口からは、時折ちょっと上機嫌そうな声が漏れ出ている。彼の妹はそんな姿を生暖かい眼差しで見守っていた。

「遅かったですね何時まで遊んでいたのです?」

 対して十五分も待たされたフィアは、露骨に不機嫌な様子。花中を背後から抱き締めたまま、むすっと唇を尖らせた。すっかり昇った朝日を受けてキラキラと輝く髪と肌がそんな怒りの顔を鮮やかに彩り、非常に魅惑的な表情にしている。

 彼等の身体能力ならば怪我を負っていても一分と掛からず商店街から大桐家まで来られる筈なのだから、待ち時間という意味ではフィアが苛立つのも仕方ない事だろう。勿論、哺乳類である花中はキャスパリーグ達が遅れた理由に見当が付くので、怒ったりはしない。むしろ微笑ましさのあまり、頬がとろんとろんに緩んでしまうぐらいだ。

「まぁまぁ、フィアちゃん。積もる話もあるんだよ、きっと」

「話が積もるほど長時間離れていたとは到底思えないのですが」

 合理的な意味では極めて正しい主張をしながら、フィアは眉間に皺を寄せる。

 合理的でない花中としては、何時までも親子の仲睦まじい姿を見ていたいところだが……本題の方をほったらかしにも出来ない。コホンと咳払いをして、気持ちの切り替えと周りに注目を促す。

「えっと、ミリオンさん。改めて、話してくれませんか。フィリスさんの事を」

 花中は再び虚空に向けて呼び掛ける。

 今度は、声による返事はなかった。

 代わりに黒い靄が空中に現れ、形を作り始める。花中はすっかり慣れてしまったが、見慣れぬ者達から見ればおどろおどろしい光景だ。キャスパリーグの子達は父親にしがみつき、キャスパリーグは真剣な眼差しで靄を睨む。

「はーい、良いわよーっと」

 されど睨まれている黒い靄当人――――ミリオンは彼等の視線などこれっぽっちも気にしていなかったが。ふわりと空を舞うように漂い、ミリオンは軽やかに着地。

 キャスパリーグ達を無視するように、ミリオンは花中と、花中を抱き締めるフィアの方へと顔を向ける。花中はすっと息を吸い、静かに吐き……気持ちを強く持って、ミリオンと向き合った。

「ミリオンさん、確認したい事は、二つあります」

「あら、二つで良いの? 謙虚ねぇ」

「一つは、あの子……フィリスさんが、どうしてわたしを、狙うのか。その理由を、ご存知ですか?」

 まずは相手の真意を問い質す。もしもなんらかの重大な理由があるのなら、花中としては手伝いたいからだ。

 問われたミリオンは「ええ、知ってるわ」と答えた。迷いは全くなくて、嘘を吐いている素振りはない。

「でも教えてあげない」

 そして間髪入れずに告げられたこの言葉に、悪意は何一つ感じられなかった。

「……教えて、くれないのですか?」

「ええ。教えたら、はなちゃんだと名案浮かんじゃうかもだしねー。それじゃあ、私が困る」

「ミリオンさんが、困る……」

「あなたの都合じゃないですか。というかあなたどっちの味方なんです?」

 返ってきた答えに不信感を覚えたのか、フィアがミリオンを問い詰める。

 花中としても、二つ目の質問としてフィアと同じ事を聞きたかった。ミリオンはフィリスの暴虐を無視し、戦いになっても姿すら見せていない。ミリオンの桁違いの強さを思えば、加勢した方が勝つというのに。

 フィアに問われると、ミリオンは嫋やかな仕草で口許を隠した。しかし花中の目線からは、その口に獰猛な笑みが浮かんでいるのがハッキリと見える。或いは、花中には見せているのかも知れない。

「別にどちらの味方でもないわ。さかなちゃんと、さかなちゃんの子供。勝った方に味方するだけよ」

 そしてミリオンはあっさりと、己の真意を打ち明ける。

 意外な回答ではない。

 ミリオンは花中の友達だが、この関係はミリオンにとってその方が『好都合』だから成り立つものだ。彼女の目的は常にただ一つであり、大事なものもただ一つ……亡き想い人との思い出のみ。

 花中を傷付ける意図がないのなら、花中の傍に居るのがフィアでもフィリスでも、難なら全然別種の生物でも構わないのだ。昨今の怪物の大量出現、その怪物達のミュータント化などを考えれば、より強い者で周りを固めた方が花中を守るという意味では好都合。ミリオンからすれば、RPGで新規加入の仲間と今のスタメンを入れ替えるような気分なのだろう。

 花中の気持ちなど、最初から気にも留めていないのである。尤も、その程度の事は一番の友達であるフィアで慣れっこだ。花中の動揺を誘うほどではない。

 それに、得られた情報は大きい。

 ミリオンが許容しているという事は、フィリスは花中を酷い目に遭わせようとはしていないという事だ。捕まっても命が危ない展開にはならないし、万が一の時には自らの身を『交渉材料』に使える。囮だとか盾などにも役立てるだろう。

 ……捨て身の作戦ばかりだなぁ、と思う花中であるが、むしろ使えるだけマシというものだ。普通のミュータントなら、人間がその身を盾にしたところで呆気なく踏み潰され、気付いてすらもらえないのがオチ。使えない以前の問題である。

 強いて懸念があるとすれば臆病な自分にそんな覚悟を持てるかどうかだが、殺されないという確証があるのなら、多分、頑張れる。花中はぎゅっと拳を握り締め、心を強く持とうとした。

 ――――さて、花中が訊きたい二つの事は以上で終わりだ。

 公平に強い方を決めたいミリオンが、花中とフィアにとって有益な情報を流す事はないだろう。ミリオンを説得する事も、彼女の愛の強さを考慮すれば不可能だと言わざるを得ない。

「分かりました。訊きたい事は、以上です」

 花中は自ら、話を終わらせた。

「あらそう? 訊きたい事があったらまた呼んでね、答えるかどうかは別だけど」

 じゃ、またね。

 最後に一言そう付け加えて、ミリオンは姿を消した。朝日の中に溶けるような、静かな消え方だった。

 尤も、居なくなったように見えるだけで、ミリオンは周囲を漂っている筈。花中が吐いたため息もミリオンはしっかり()()()()だろう。

「珍しいですね花中さんの方から話を打ち切るなんて。そんなにムカつきましたか?」

 勿論フィアからの問い掛けも、そしてこれからする答えにも、耳を傾けているだろう。

 此処での話もまた情報だ。しかしミリオンは『公平』である。この話を聞かれたところで、フィリスにべらべらと喋りはしないだろう。

 フィリスに聞かれるとちょっと不味いかも知れない話を、花中は隠さずに答える事とした。

「うん、ムカついた訳じゃないけど……ただ、あまり時間はないかなー、って思って」

「時間?」

「フィリスさん、来るとしたら、多分そんな先の話じゃないよ。もしかしたら、もうすぐかも」

 花中の予想にフィアは目をパチクリ。そしてキャスパリーグとミィは全身を強張らせ、クリュとポルは父親にしがみついた。脅すつもりはなかったが、怖がらせてしまったと花中は少し反省する。

 しかし決して冗談や思い付きで言ってる訳ではない。

 何故、フィリスはクリュとポルを唆したのか? 恐らく、キャスパリーグとミィを排除したかったからだ。ミュータント二匹 ― フィアを含めれば三匹 ― と真っ向から戦う事は、フィリスとしても避けたかったに違いない。だからこそクリュ達を自分の側に付け、キャスパリーグ達の油断を誘い……殺害を狙ったのだろう。

 しかしながら途中でフィアが乱入した事で、目的を果たす前にキャスパリーグ達を解放する羽目になった。結果親猫達は負傷こそしたものの、命は助かっている。

 戦力外にする、という意味では成功だが、骨折ならばいずれ治癒する。それもキャスパリーグ達の再生力ならばたった一日のうちに、だ。

 流石に強靱な再生能力までは知らないとしても、相手をあと一歩で逃がした事はフィリスも分かっている。時間を掛ければ戦力が回復するのは明らか。おまけに手の内を知られた状態なので、またクリュとポルを唆して、なんて手口は使えない。

 時間を掛ければ不利になるのはフィリスの方。これだけの『作戦』を練る事が出来た彼女なら、それぐらいの先は見通せる筈だ。勿論何日か後に、油断しているところを奇襲してくるという可能性もゼロではないが……フィアの『本能』がどれだけ鋭いか、フィアの子であるフィリスならなんとなく推し量れているだろう。

 総合的に考えて、短期決戦がベストなのだ。本気で花中(自分)の事を奪い取るつもりならば。

「ふぅん。我が子にしては随分と小賢しい手を使うようで……まぁなんであれ雑魚には違いありません。この私が叩き潰してやりますよ」

 花中の語る推論を聞かされて、されどフィアは寸分も自信を揺るがせずに胸を張る。自分が、自分の子に負けるとは露ほどにも思ってないのだろう。

 花中としても、基本的には同じ考えだ。フィアの記憶が確かなら、フィアがフィリスを産み落としたのはほんの二週間前。卵から産まれたのはそこから更に数日後の筈なので、フィリスは生後十日前後と思われる。卵黄は消えて餌を食べ始める頃かも知れないが、未熟な身体には違いない。

 そんなフィリスの力が、数多の激戦を切り抜けてきたフィアに勝るとは到底思えない。

 ……思えないが、一つ、懸念がある。

 キャスパリーグとミィもまた、それなりの年月を生きた大人のミュータントだ。少なくともミィは、フィアに負けず劣らずの強敵と戦ってきている。実力は折り紙付きだ。

 その二匹が、人質を取られたとはいえ敗北した。いくらミュータントでも、生後十日の赤子にそこまでの力が宿るのか?

 脳裏を過ぎる謎。その謎の答えを探そうと花中は首を傾げた、丁度そんな時だった。

 突如として、大桐家の庭が揺れ始めたのは。

「ひゃあっ!? え、じ、地震!?」

「ぱ、パパぁ!?」

「ななな、な、なにこれぇ!?」

 花中とクリュとポルは、突然の地震に驚く。花中はフィアに抱き付き、クリュとポルはキャスパリーグに抱き付いた。誰にも抱き付かれなかったミィが、ふて腐れるように頬を膨らませる。

 尤も、ミィの口から空気が抜け出るのにさして時間は掛からない。

 地震は止まらず、どんどん大きくなる。大桐家周りの家々も震え、木々が激しく揺れ動く。大桐家自宅の屋根から瓦が落ち、ガチャンガチャンと地面にて割れた。破片は花中の方にも飛んできて、フィアが水触手で周りを囲んでくれなければ、今頃花中の足には小さな切り傷がたくさん刻まれていただろう。

 しかし瓦の破片など些末なものだ。

 少なくとも、弾け飛ぶ道路のアスファルトに比べれば。

「ひっ!?」

「おっとこれは……よっと」

 飛んできた道路の欠片 ― 大きさはざっと一メートルはあるだろうか ― を前にして、花中は悲鳴と共に縮み上がり、フィアは軽々とこれを殴り飛ばす。粉砕されたアスファルトが飛び散り、怪我人であるミィ達を襲った。襲われても、四匹は小石が飛んできたかのように目を細めるだけで、避けはしなかった。

 勿論この行動は、道路の破片が当たったところで怪我などしないという自信によるものなのは違いない。されどそれ以上に、彼女達は目を離す事が出来なかったのだ。

 道路を砕いたのが、高さ何十メートルにもなる巨大な半透明の触手……水触手だったから。その水触手は何十本も生え、まるで巨大なイソギンチャクのような姿を形作ったのだから。

 そしてその水触手が、まるでこちらを見るかのように、その先端を向けてくるのだった。




伐とした親子関係ですねぇ。
でもまぁ、魚の親子関係なんて親が子供を食べるぐらいな程度のもんですし
(そもそも自分の子供と気付かないという)

次回は9/6(金)投稿予定です。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。