野良猫の主な食事とは何か?
一般的には、人間が出した残飯だろうか。或いは鳥やネズミなどの、都市部でも見られる小動物かも知れない。猫は優れたハンターであり、小さな生命体にとっては凶悪な捕食者なのだから。
しかしながらどれだけ優秀とはいえ、猫というのは体長数十センチ程度の生物である。そこまで大きな生物は襲えない。
「牛が食べたーい」
「ボクは豚が良いなぁ。生きたままのやつ」
なのでクリュとポルがそんな事を言い出した時、花中は一瞬キョトンとなった。
クリュとポルは今、父親であるキャスパリーグと共に花中の庭に居る。すっかり夜も更け、大桐家以外の家々の殆どが無人と化しているこの一画は街灯が乏しい事もあって、かなり暗い。人間である花中には自宅から漏れ出る明かりがなければ、庭へと通じるガラス戸から数メートルも離れていないキャスパリーグ達の姿すら見えないだろう。逆に文字通り猫目であるキャスパリーグ達には、暗闇の中に光る大桐家の明かりは少々眩いかも知れないが。
そんな彼等が
用件が済み、娘達を見付けられたキャスパリーグはすぐにでも帰ろうとしていたが、二年ぶりの再会なのだ。どんな日々を過ごしていたか花中も知りたいし……ミィもたくさん話したい様子。
ここで帰してなるものかと考え、花中は彼等親子を食事に誘ったのだ。キャスパリーグは割と渋い顔だったが、子供二匹は目をキラキラと輝かせ、二つ返事で花中の誘いに乗った。父親の了承なしだったが、子供達の無邪気さにキャスパリーグは無言のまま。結果、夕飯を共にする事となった。
で、今し方のやり取りは「何が食べたいですか?」と希望を訊いた後での返答。
つまりクリュとポルは、牛やら豚やらを食べたいらしい。ポルに至っては生きたままのものを。
……野良猫としては些か豪快な要望であるが、しかしキャスパリーグ達の身体能力を思えば、牛や豚を生きたまま捕らえる事など造作もないだろう。むしろ彼等の巨躯を支えるのに、ネズミや小鳥では量が足りないに違いない。よく考えれば、なんらおかしな答えではないと言える。
むしろ生きた牛や豚の味を知っている、その事自体が問題な訳で。
「……あの、キャスパリーグさん。普段、お子さん達には、何を食べさせているのですか……?」
「基本的には肉だ。特にシカや豚、牛などを主に捕ってきているぞ」
「……シカは兎も角、牛や豚は……」
「勿論人間共が餌付けしているものを頂いている。餌付けされていないものは、そういえば見た事もないな」
キャスパリーグは堂々と答えたので、花中は顔に手を当てて項垂れた。「家畜にも所有権があるんです」と語ったところで、猫である彼には理解出来ないだろうし……動物を『所有物』扱いする事に怒りを覚えるかも知れない。
「もー、兄さんったらまた人間からものをくすねてる。人間のものを勝手に盗ったら駄目でしょ」
どう説明したものかと悩む花中だったが、助け船を出したのは、庭に居ながらキャスパリーグ達から少し離れた位置に立つミィだった。
キャスパリーグとその子供達はミィの方へと振り返り、キョトンとしたように首を傾げる。
「何? 俺は人間から家畜を盗んでなどいないぞ?」
「いや、盗んでるじゃん。牛とか豚とか捕まえてるって言ってたじゃない」
「家畜というのは小屋で飼われている、ペットみたいなものだろう? 自分が可愛がって育てたものを喰うなど到底正気の沙汰とは思えんが……まぁ、良い。そういうのは襲っていない。人間など恐れる必要はないが、わざわざケンカを売る事もないからな。獲物として狙うのは野生の奴だ」
「……野生? 野生の牛なんていないと思うんだけど。豚はイノシシがいるけどさ」
「いるじゃないか、牛だってたくさん。餌付けして居着いている奴等がな。信用させて後から殺すとはなんとも忌々しいやり方をしているが、野生ならば人間との揉め事にもならんだろう?」
「えっと……花中、どゆ事?」
「……わたしにも、ちょっと……」
最初はキャスパリーグの言い分が理解出来ず、花中とミィは首を傾げる。が、しばらくして彼の『意図』に気付き、故に一人と一匹は頬を引き攣らせた。
恐らく彼が狙っていたのは、放牧されていた家畜なのだろう。
動物的な視線で見れば、あれは飼われているのではなく餌付けされて集まってるだけという事か。確かに昼間は自由に草を食み、囲んでいるのはその気になれば越えられる質素な柵だけ。寝床の小屋があったとしても、大抵は簡単に突き破れる程度のものだろう。家畜達が本気で逃げようとすれば脱出出来る状態は、「餌付けされてるから居着いている」と言えなくもない。
そしてそれは、野生動物がゴミ捨て場を漁ったり、或いは餌付けする人の周りに集まるのと、何が違うのか? 餌が貰えると学習し、近くに移り住み、その後周囲に越えられる障害物を設置された状態は、果たして『飼われている』のだろうか?
キャスパリーグには、何も違わないように感じたのだろう。人間にとって当たり前の事も、他種の生命からすれば非常識。物の見方というものは、立場によってこうも変わるのだ。人外の価値観に二年近く触れながら、なんやかんやまだまだ学ぶところが多いと花中は感じる。
……感じるままで済ませられたら色々楽なのだが、『誤解』があると分かった状態を放置する訳にもいかない。それに怪物騒動で様々な産業が衰退している昨今、生産効率が悪い畜産業は特に過酷な状況に置かれている。牛一頭、豚一頭失うだけでかなり致命的な損失の筈だ。未来のお肉を守るため、なんとか止めねばなるまい。
「あの、えと……アレも一応、人間が飼ってるもので……」
「何? 貴様ら人間は、餌を食べた野生動物も自分の所有物だと主張するのか? 長らく貴様らを見てきたが、そこまで傲慢だったとはな」
「へぁっ!? や、え、えと、違って、あの……」
「あー、花中。それはあたしが後で説明しとく。人間の花中が話しても、拗れるだけだろうし」
キャスパリーグの言葉に動揺していると、ミィがまたしても仲裁してくれる。申し訳ない気持ちになりながらも、無理に頑張って余計に誤解されてしまう方が問題だろう。
大人しく、花中はミィに後は任せる事にした。「おっけー」と二つ返事でミィは承ってくれる。友達の心強い言葉に、なんとか問題は解決出来そうだと花中は安堵の息を吐いた
「ねーねー、それより生きた豚は食べられないのー?」
「牛はどうなの? ねーねー」
が、問題は全く解決していない。
そうだ。本題は、クリュとポルが普段何を食べているのかではなく、今日何を食べたいのかである。そしてクリュは牛を、ポルは豚を食べたがっている。
花中としてはリクエストに応えたいが、生きた牛や豚は流石に無理だ。というより、牛肉や豚肉も大量には用意出来ない。そうした一品は今や稀少なものであり、今日の大桐家の冷蔵庫には入っていないのである。
魚やネズミならフィアちゃんに頼めばなんとかなると思い、安請け合いしてしまった。失望させてしまうのは申し訳ないが、ここは正直に話すしかない。
「えっと、ごめんなさい……その、まさか牛や豚を食べているとは、思わなくて、用意、出来ないんです」
「えー、牛いないのー?」
「生きた豚、追い駆けながら食べるの楽しいのに……」
「牛の方が頑丈で長持ちするじゃん」
「豚の方が足が速くて楽しいもん!」
さらりと語られる可愛らしい彼女達の残虐な ― しかし二匹が猫だという事を考慮すれば、ネズミや鳥を弄んで狩るようなものかも知れない ― 一面に笑みを引き攣らせつつ、花中は謝るように頭を下げ続ける。
「お前達、飯をご馳走になる身であまりワガママ言うんじゃない」
「だって何食べたいかって訊くんだもん!」
「訊いてきたもん!」
キャスパリーグも子供達の事を窘めるが、二匹は中々不満を抑えてくれない。どうやら『今食べたいもの』という質問が、『今から食べられるもの』という理解に変換されているようだ。
子供らしい勘違いだが、その勘違いを分からせるのもまた難しい。一体どう説得すれば良いのかと、また花中は頭を抱える。
「さっきからぎゃーぎゃー五月蝿いですねぇ。何を騒いでいるのです?」
今度の助け船は、部屋の中から聞こえてきた。
フィアだ。キャスパリーグ達の賑やかな声に苛立ったのか、花中達の下へとやってきたのである。彼女は当然のように花中を背後から抱き締め、首を伸ばして大桐家の庭に顔を出す。
「いやね、実はこの子達が生きた牛か豚を食べたいって言っててさ」
「食べさせてくれるって言ったもん!」
「言ってたもん!」
「そんな事は言ってないだろうが……」
途中参加してきたフィアにミィが説明すると、クリュとポルが反発するように叫んだ。勘違いが勘違いを呼び、すっかり食べさせてもらえる気になってる二匹。キャスパリーグも呆れ顔だ。
フィアはミィから事情を聞くと、「ふーん」と無関心な一声を漏らす。それから興味もなさそうに無言になり、花中をぎゅっと抱き締めるばかり。
しかし何時までもワガママが収まらないクリュとポルを見て、小さく鼻息を鳴らした
「五月蝿いですよこのクソガキ共が」
直後、背中側から水触手を二本伸ばし、クリュとポルに差し向ける。
そしてそれは花中の目には映らぬほどの超スピードでクリュとポルの頭へと向かい、一切の容赦なく二匹の頭を叩いた。ゴズンッ! と鈍器で殴り付けたような音が大桐家の庭に響く。
恐らく、人間相手なら頭蓋骨粉砕どころかパーンっと弾けているような一撃。
「ニャーッ!?」
「ウニャアッ!?」
尤も猫二匹には、程良い力加減だったらしい。クリュとポルは自分の頭を抱えながら、悲鳴を上げるだけだった。
「ちょ、フィアちゃん!?」
「だってコイツら五月蝿いですもん。黙らせるならこれが一番です」
「パパぁー! アイツがぶったぁー!」
「びえええええええっ!」
「……余計五月蝿くなった気もしますが」
泣き喚くクリュ達を見て、想定外だと言わんばかりにフィアは方を竦める。相変わらず手が早く、そして考えなしの友達に、花中は大きく項垂れた。
「あ、あの、ごめんなさい、キャスパリーグさん。叩いちゃって……」
「……まぁ、あまりしつこければ俺がやっていた事だ。お前達、あまりワガママ言うとあの怖い奴にまた叱られるぞ」
「ぐずっ……うぅ……」
「叩かれるの、やだ……」
「じゃあ、ちゃんと聞き分けろ。良いな?」
二匹の頭を撫でながら語るキャスパリーグに、クリュとポルは渋々といった様子で頷く。納得はしていない。だけどこれ以上怒られたくない……そんな気持ちが見えてきて、花中には二匹が少し可哀想に思えた。何か、とびきり美味しいものを食べさせてあげたい。
そう考えた花中の脳裏に、一つの名案が浮かぶ。大桐家に牛や豚の肉はないが、もっと刺激的で美味な肉は山ほどあるのだ。それを出せば機嫌を直してくれるかも知れない。
そう、白饅頭の肉だ。
「え、えと……じゃあ、今日は牛と豚よりも美味しいお肉で、ステーキを作ります! クリュちゃんも、ポルくんも、お肉、たくさん食べられますよ!」
花中なりに、二匹を励まそうと思ってこう提案した。
クリュとポルは、黙ったまま。けれどもこくりと頷き、花中の提案に同意する。元気になったとまでは言えないが、ちょっとだけ気持ちを持ち直してくれたようだ。
なら、後はとびきり美味しいものを食べさせてあげれば、きっと元の元気さを取り戻してくれる筈。
「良し! じゃあ、すぐに作りますね! 待っててください!」
花中は元気よく宣言するや、キッチンへと向かうべく身を翻す。フィアは抱き締めていた手を離さず、花中の動きに合わせて器用に向きを変え、花中と共に歩く。
「ほら、何時までも拗ねるな。美味いものが食べられるんだからな」
「そーそー。ご飯は楽しまなきゃ損だよー」
庭の方からキャスパリーグとミィが、幼子達を宥める声が聞こえてくる。フィアの拳骨はちびっ子二匹の心を相当痛め付けたらしい。
これは相当腕によりを掛けて作らねばなるまい。あと、フィアちゃんには後ほどしっかりお説教をしよう。
決意を胸に、花中は台所に立つ。より美味しいものを作るため、全身全霊を持ってまな板と食材と向き合った。
だから当然周りの音など聞こえない。
ましてや遠く離れた庭での声なんて、頭の中に引っ掛かりすらしない。
だから、
「……なんでみんな、あの人間の事ばかり……」
「パパも、おばちゃんも……」
二匹がぽつりと漏らした言葉など聞き取れる訳もなく。
「んふふんふーん♪ 真面目な花中さんも可愛いですねぇ」
そしてバッチリ聞き取れている筈のフィアは、その言葉に露ほどの関心も向けておらず――――
事態の深刻さに花中が気付いたのは、翌朝になってからだった。
「い、い、家出、ですか!?」
「いやー、家はないから、親出? じゃないかなぁ」
朝日がようやく昇り始めた明朝五時の事。自室からリビングにやってきたパジャマ姿の花中に、庭に立つミィがあまり取り乱していない調子でしょうもない訂正をした。そんな事を言ってる場合かと詰め寄りたくもなったが、それこそ時間の無駄と考え花中はぐっと口を閉じる。
一晩経って、キャスパリーグの子供達二匹が姿を消した。
誰にも、何処へ行くなんてクリュ達は話していない。勝手に二匹とも親元から離れてしまったのである。
人間ならば一大事だ。幼い子供が何時の間にかいなくなってしまったのだから。猫として見ても、キャスパリーグの言葉通りなら二匹は生後二ヶ月程度。独り立ちをするには早過ぎる『歳』といえよう。
危険な目に遭っているのではないか、或いは悪い人間に騙されていないか……嫌な考えがどんどん浮かんでくる。
「ちょっと昨日、強く怒り過ぎたかねぇ? 一体何処に行ったのやら」
しかし『身内』である筈のミィは、赤の他人どころか他種族である花中が心配している前でもやたら冷静だった。
「な、なんでミィさん、そんな落ち着いて……! 昨日は、あんなに心配していたのに!」
「いや、あたしも心配はしているよ? すぐになんときゃしなきゃなーって」
だけど、と言ってミィは視線を花中から逸らす。花中はつられるようにしてミィの視線を追う。
視線が向いた先は、大桐家の庭の一角。
「クリュうううううううっ!? ポルうううううううううううっ! 何処行ったアアアアアアアアアッ!」
そこではキャスパリーグが咆哮を上げ、火山噴火が如くパワーで大気を震わせていた。
――――あ、そういやわたし、この大声に叩き起こされたんでしたっけ。
自分が何故朝五時という時間に起きていたのかを思い出し、花中は急に冷静さを取り戻す。世の人は言った……自分よりテンパってる奴を見ると、むしろ冷静になれると。
今一番テンパってるのは、他ならぬキャスパリーグであった。
「あの雄叫び、声に指向性を持たせてあって、何十キロ彼方にまで届くらしいよ。三十メートル以内で直撃を受けたら戦車もバラバラになるけど」
「最早兵器ですね……」
「人がいなくて良かったねぇ。今の兄さんを止めるのは、ダムを壊そうとしたあの時より間違いなくしんどいよ」
呆れた様子のミィの言葉に、苦笑いを浮かべて花中は同意する。愛は憎しみに勝るようだ。
なんにせよ、キャスパリーグのお陰で冷静にはなった。深呼吸をして、状況を整理する。
まず、二匹がいなくなったのは夜九時以降から朝五時までの八時間の間。何故夜九時以降かといえば……花中には夜九時以上の夜更かしが出来なかったから。今日も学校があるので無理して起きる訳にもいかず、その時間に寝たからである。他の動物達も同じく眠りに就いた。
……そういえば、ミリオンの姿が何処にもないなと今更ながら思い出す。普段から彼女は神出鬼没かつ文字通り空気のように漂っているため、居るのか居ないのか分からない状態であり、花中でも時折その存在を失念してしまう。
しかし記憶が確かなら、ミリオンを最後に見たのは
……つい、思考がズレてしまった。ミリオンは良い『大人』なのだから、無断外泊ぐらいしてもおかしくないだろう。それよりも今考えるべきは『子供』達の方だと、花中は思考の行く先を戻す。
クリュとポルがいなくなった原因は、ミィが言うように昨晩怒られた事に対する抗議か。しかし二匹同時に、それもキャスパリーグやミィに勘付かれる事もなく離れるなんて、相当難しい筈だ。
いや、そもそも。
「あの、なんで此処で、名前を叫んでいるの、ですか?」
何故キャスパリーグは、
人間ならば、姿を消した子供を探すのは至難の業だろう。されどキャスパリーグ達ミュータント……いや、『動物』から、困難ではあっても不可能ではない筈だ。
何故なら彼等には嗅覚という優れた感覚器がある。臭いという痕跡を追えば、子供達の通った道のりが分かるだろう。実際キャスパリーグは昨日、そうやってクリュとポルの居場所を見付けたと花中は聞いている。
なのに今日のキャスパリーグは、叫んでばかりで動こうとしない。状況は昨日よりも深刻である筈なのに。
「……実はこれ、かなり変な話なんだけどさ」
疑問を抱く花中に、子供の捜索に必死なキャスパリーグに代わってミィが答える。怪訝そうな表情から、彼女もまたかなり困惑しているのだと分かった。
「臭い、何処にもないんだよ」
そして花中もまた、告げられた言葉の意味が理解出来ず、呆けたように目を丸くする。
しばらくしてようやく理解はしたが、それは更なる困惑を花中にもたらした。
「に、臭いがないって、えっ?」
「いや、うん。正直あたしにも訳分かんない。どうしてってのもあるけど、どうやって、の方が気になるかな」
戸惑う花中に共感しながら、ミィは自分が感じた疑問点を言葉にしていく。そのお陰で花中も、自分の抱いていた疑問を言葉として理解出来ていった。
まず、『どうして』。
親が寝ている間に遠出するだけでなく、臭いまで消して痕跡を消すというのは……常軌を逸している。人間的な例えではあるが、家出の際、日記やら何やら、自分の後を追うヒントとなるものを尽く処分するようなものだ。まるで夜逃げや駆け落ちである。怒らせた側がこういうのも難だが、たかが夕飯のメニューが期待通りにならなかったぐらいでそこまでするだろうか?
そして何より『どうやって』。
臭いを消すというのは生半可な事ではない。身体から常時発せられるものであり、絶え間なく垂れ流しになっているのだから。クリュもポルも昨日は全身泥だらけになったため行水しているが、野良生活をしている動物の臭いが軽い水洗い程度で落ちる事はない。精々人間が
雨が降っていれば、通り道の臭いを消す事は可能だろうが……昨晩の天気予報では昨晩から今夜に掛けて晴れで、雨は降らないというものだった。弱々しい明朝の明るさでは少々分かり難いものの、庭の地面は濡れていないように見えるので、予報が外れたという事はなさそうである。
一体二匹はどうやって自分の臭いを消したのか? 何故臭いを消して失踪した?
二匹は今、何処に……
「花中さぁーん……何処でふかぁ……」
……考え込んでいると、なんとも緊張感に欠ける声が聞こえてきた。
キャスパリーグの出した爆音で花中と一緒に跳び起きながら、まだ暗いという理由で二度寝したフィアである。どうやら二度寝してしばらく経ってから、ようやく花中が部屋から居なくなった事に気付いたらしい。
何処までも能天気な友達に、花中の心もつられて緩む。が、事態は何一つ解決していない。キリッと口許を引き締め、花中はフィアと向き合う。
「あー……花中さぁん……むぎゅ」
「うぎゅ」
尤も寝惚けたフィアは花中の顔が見えていないようで、花中を真っ正面から抱き締めてきた。正直嬉しいが、甘えている場合ではない。
ジタバタしてなんとかフィアの腕から抜け出し、花中は、花中としては真面目な顔で改めてフィアを見た。
「もう、フィアちゃんったら。今、大変なんだよ」
「……んー……大変?」
「うちの兄さんの子供達、また何処かに行っちゃったみたいでさ。しかも臭いを消して。フィアはなんか知らない?」
眠たそうな顔のフィアに、ミィはあまり期待していない事が分かる口ぶりで問う。自分の好きなもの以外全く興味がないフィアでは、どうせ何も気付いちゃいないか、気付いた事すら忘れていると思っているのだろう。
花中としてもそこは否定しないし、似たような事は正直思っていた。しかしフィアの嗅覚は尋常でなく鋭い。哺乳類と魚類では神経の作りも異なるだろうから、ミィ達には感知出来ないものを拾える可能性はある。期待は少なからずあった。
「……あー……なんか夜中にやってましたねぇ……その後
そして今日のフィアは、期待に応えてくれた。期待していた花中の思考が止まるほどに。
三匹。
三匹とフィアは言った。
キャスパリーグの子供達は、二匹しかいないのに。
「さ、三匹って、えっ!? フィアちゃん、どういう事!?」
「どうもこうもそのままの意味ですが。野良猫の兄の子供達以外になんかもう一匹来てましたよ」
「嘘!? あたしらそんなの知らない!」
「あなた方じゃ無理かもですねぇ。あなた達私の接近にも気付かないですし」
「は? いや、まぁ、アンタ水で身体を包んでるからか、なんかみょーに気配薄いし……それが何?」
「ですから……あふぁ」
ミィから問い詰められるも、フィアは暢気に欠伸一つ。
そしてあろう事かその場でごろんと横になってしまった。おまけに花中を抱き締めたままで。
「ちょ、ふ、フィアちゃん!? 起きて! 起きてよ!?」
「もー……無理……です……暗い……眠い……ぐぅ」
「ぐわーっ!? コイツこんな寝起き悪かったっけ!?」
花中のお願いも虚しく、フィアは死んだように動かなくなった。完全に寝入っている。昨年末母が来た時は朝早く起こされても眠らなかったが、今回はタイミングが悪かったのだろうか。
今すぐにでも、フィアだけが知っている事を教えてほしかったのに。
「……ああもうっ! 兎に角、誰かがあの子らと一緒なのは分かった! なんか妙な話になってる気がするけど、夜中に出てったのも分かった! ちょっと遠くまで探しに行ってくる!」
「あ、は、はい。わ、わたしは、フィアちゃんが起きたら、話を聞いてみます」
「お願いね!」
ミィは花中に後を任せ、瞬間移動染みた速さで移動。しばらくして庭から二つの爆音が轟く……恐らくはキャスパリーグも、ミィと共に子供達を探しに行ったのだろう。
子供達がすぐに見付かると良い。花中は本心からそれを願っている。フィアから話を聞き出す前に全て解決するのが一番だ。
だが、恐らくはフィアから話を聞かねばならなくなるのだろうと『確信』していた。
フィアが語る第三者。
それの意味するところが、自分の考える『最悪』の存在を示しているとすれば――――
「ねぇ、やっぱりパパのところに帰らない?」
弱々しい声で、ポルが尋ねる。
朝焼けにより茜色に染まる市街地。朝早く故に人気のない人間達の住処を、ポルはおどおどとした足取りで進む。
そんなポルの前を歩いていたクリュは、歩きながらポルの方に顔だけ振り向かせる。そうして見せた顔は、とても子供らしい不機嫌さを露わにした、可愛らしくも生意気なものだった。
「何よポル。アンタ、まだそんな事言ってるの?」
「だ、だって……勝手に出たら、またパパに怒られるし……」
「そのパパと一緒に居るための作戦でしょーが。このままじゃパパをあの人間に盗られちゃうかも知れないわよ」
「うぅ……それはやだ、だけど……」
「もう、アンタってほんと意気地なしなんだから」
煮えきらない態度のポルを、呆れるようにクリュは小馬鹿にする。と、ポルの目が一気に鋭くなった。
クリュの方も目を鋭くし、立ち止まる。二匹は互いに相手の事を睨み付け……
「ケンカするほど仲が良い、というやつですかねぇ」
暢気な声が、二匹の間に割って入った。
温度差のある一言が、二匹の空気を緩和する。クリュは肩を竦め、ポルは怯えるように身を縮こまらせた。
「ふん。それより、これで本当に分かるのよね?」
「勿論。あの人間があなた達に教えたとおりの、非常に危険な人間であるのか。それを確かめるには、この方法が一番です。来てくれたなら杞憂、そうでなければ……シンプルで良いでしょう?」
クリュの懸念に、くすくすと笑いながら『そいつ』は答える。楽しげで、緊張感がなくて……何処までが本心か分からない。
「……ま、良いけどね」
いまいち信用出来ない。そんな感情をクリュは隠さなかった。
それでも『そいつ』が笑みを崩す事はない。
「さぁて、そろそろ始めましょうかね……覗き見している奴は、どうやら
『そいつ』はわざとらしく空に向けて語り、なんの返事もない事に微笑む。それから足を止め、くるりと舞うようにしてクリュ達と向き合う。
金色の髪が、茜色の日差しを受けて煌めく。
小さくて華奢な身体に纏う純白にして華美なエプロンドレスはふわりと舞い上がり、『そいつ』の可憐さを一層際立たせる。
端正な顔立ちは彫刻のように整っていたが、浮かべる表情の明るさに彫刻らしい静寂はない。碧い瞳は喜の感情をこれでもかというほど露わにし、内面の賑やかさを物語る。
つまりは愛らしくて華やか、とても魅力的な少女である『そいつ』は、微笑みながらこう語るのだ。
「あなた方家族の愛が今もあるのか、確かめるとしましょうか」
自らが子猫達に囁いた言葉を……
金髪碧眼の美少女。
おや、見覚えがありますな?(今更)
次回は明日投稿予定です。