彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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第十七章 ベイビー・ジェネレーションズ
ベイビー・ジェネレーションズ1


「なんかさー、最近大事な事を忘れてる気がするんだよねぇー」

 学校からの帰り道の最中、ミィがふとそのような事を話し始めた。

 季節は五月半ばに入った頃。桜はとうの昔に花を散らし、今では毛虫の餌である若葉をたくさん茂らせている。数多の野草達も勢い付き、枝葉を伸ばして人の生活圏をじわじわと侵略していた。気温は暖かさを日に日に増しており、初夏の到来が近い事を物語る。

 冬ならそろそろ薄暗くなる時刻の午後四時を回っても、今ならまだまだ明るい時間帯。街灯の点いていない住宅地を歩きながら、花中はミィの話を聞く。

 それから、同意するようにこくりと頷いた。

「ミィさんもですか? わたしも、最近何か、忘れてるような気がして」

「花中も? うーん、自分だけなら気の所為かもって思えたけど、花中もそう言うならやっぱり何か忘れてるのかなぁ」

「私は全くそんな気はしませんけど」

 悩むミィに、花中の隣を歩いていたフィアが自身の意見を口にした。が、花中もミィもその意見は参考にしない。何しろフィアは興味がない事柄だと、十秒前の出来事すらろくに覚えていないのだ。彼女の意見は全く当てにならない。

「ミリオンさんは、どうですか?」

 花中はもう一体の友達であるミリオンに尋ねてみる。歩いている道の幅が狭いためミリオンは花中達の後ろを歩いていた。花中は後ろへと振り返り、ミリオンの顔も見る。

 ミリオンは、心底呆れた表情を浮かべていた。

「別にそんな感覚はないわよ。というかあったところで、それがはなちゃんやミィちゃんと同じとは限らないでしょうが。せめてヒントを出しなさいよ、ヒントを」

「あ、はい。ですよね……」

「うーん、なんだっけなぁ。なんかこう、日に日にもやもやするというか、梅雨の時期になんかあった気がするんだよね」

「梅雨の時期? 梅雨の時期ねぇ、なんかあったかしら……」

 ミィが『ヒント』を言葉にし、ミリオンはそれを元に考え込む。

 ミリオンの表情がハッとしたものへと変わるまでに、それから十秒と掛からなかった。

 そしてその顔が引き攣った笑みへと変わるのに、また十秒と掛からない。

「……あなた達、まさか『アレ』を忘れたの?」

 開かれたミリオンの口から出てきたのは、否定してほしいという感情がありありと感じられる言葉だった。

「え? ミリオンさん、何か心当たりがあるのですか?」

「いや、心当たりも何も……えっ、はなちゃんまで忘れてるの? えっ」

 ミリオンの至った答えを花中が尋ねると、何故かミリオンはどん引き。露骨に後退りし、信じられないと言いたげに首を左右に振る。

 どうやら、自分達はかなりとんでもない事を忘れているらしい。

 ミリオンの態度からそれを察した花中は、汚名を返上すべくなんとか自力で思い出そうとする。去年の梅雨、何かあっただろうか。それで今年、何かをしようとしていたのだろうか……気合いを入れて頭を働かせてみたが結果は芳しくない。むしろ変に頭が固くなり、柔軟な発想が妨げられているのを自覚する。これではどれだけ考え込んでも、答えには辿り着けないだろう。

 意固地になっても仕方ない。聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥だという先人の言葉もある。ここは素直に訊いておくのが賢明だ。

「すみません、思い出せません……あの、去年とか、何かありましたっけ?」

「あー、そっちに考えがいっちゃったのね。去年じゃなくて一昨年の話で――――」

 花中がしょんぼりしながら尋ねると、ミリオンはあっけらかんと答えようとしてくれた、が、その言葉は不意に途切れる。足を止め、表情を強張らせていた。

 立ち止まったのはミリオンだけではない。フィアとミィも歩くのを止めており、警戒心を露わにしていた。

「……え……? あの……」

「花中さん。何かが我々の方に近付いてきています」

 困惑する花中を抱き寄せながら、フィアが現状について教えてくれる。

 何か。

 フィアは具体的な正体を語らない。ミリオンやミィがその言葉をフォローする事もなかった。全員が『何か』としか分からないのだろう。野生の本能でその存在を感知しただけという訳だ。

 しかしそれだけ分かれば十分。

 彼女達が警戒するほどの存在など、ほんのごく僅か。人間の兵器どころか怪物さえも足下に及ばない、不条理で巨大な力の持ち主のみ。

 即ち、ミュータント。

 人智を凌駕する超生命体が接近している。これだけ分かれば人間(花中)が背筋を凍らせるには十分だった。

「かなりの速さです。これは……」

「あれ? この感じ……」

「噂をすれば、ってやつかしらねぇ」

 花中が答えに辿り着いた時、動物達は三者三様の反応を見せる。フィアはあくまで冷徹に、ミィは呆けたように、ミリオンは半笑いを浮かべながら。

 その反応の答えは、花中の正面で起きた大爆発が持ってきた。

 爆発といったが、火薬的なものではない。炎が見えず、舞い上がるのは土砂と道路の破片のみ。数多の戦闘経験 ― 主に眺めているだけだったが ― から、花中はこの爆発がなんらかの『運動エネルギー』によって起きたものだと瞬時に見抜く。

 とはいえ粉塵の高さが数十メートルに達するほどの衝撃だ。普通の爆発と同じく衝撃波が生じ、辺りの家々の窓ガラスを粉砕する。悲鳴が町中に響き渡り、穏やかだった市街地が一瞬で地獄へと変貌した。

 高々と舞い上がった粉塵は中々落ちず、数十秒と漂う。近くの家々から人々が顔を出し、朦々と漂う茶色い霧を怯えた表情で眺めた。日常を脅かす大爆発が起きたのだから、誰だって恐怖を覚えて当然である。加えて昨今、世界では『怪物』と呼ばれるおぞましい生命体の出現が頻発している事を、人々は嫌というほど耳にしている。この爆発もそうした怪物出現の兆しなのではと考えるのは決して考え過ぎではないし、軍事兵器すら通用しない生命体を警戒するのは臆病な反応とは言えまい。

 対して花中はフィアに守られていた事もあり、爆発そのものにはあまり恐怖を感じていなかった。或いは、『爆発を起こしたモノ』への恐怖がそれを塗り潰しているだけかも知れないが。

 晴れてきた粉塵の中に、大きな人影があった。シルエットからして男の人に見える。二年前と比べれば平気なったとはいえ、まだちょっと男の人は苦手だ。花中は無意識にフィアにしがみつく。

 しかし恐怖は、やがて驚愕に押しやられる。

 人影は歩き出し、粉塵の外へと出て花中達の前にその姿を現す。第一印象の通り、人影は『男の人』だった。

 そう、筋肉隆々な肉体を隠しもせず剥き出しにした、黒い長髪を携えた若い男。細面の顔をし、肉食獣を彷彿とされる鋭い眼光でこちらを見つめてくる。歩みはしっかりとしていて、先の大爆発の中心に居ながら、一見して人間のようにしか見えない身体が一切傷付いていない事を花中達に示した。

 花中は知っている、『彼』の事を。彼との出会いは()()()()()()()であり、それからずっと顔を合わせていなかったが、こうして顔を合わせればその名は簡単に思い出せた。もしも姿が変わっていたら分からなかったかも知れないが、現れた姿は二年前に見せたものとなんら変わらない。もしくは、変えていない、と言うべきだろうか。なんにせよ、お陰で問題なく花中はその名を言える。

 キャスパリーグ。

 花中の大切な友達であるミィの、唯一の肉親だ。

「(わ、わ、忘れてたあああああああああああああああああっ!?)」

 そして花中が、完全に忘れていた『梅雨時の出来事』そのものであった。

 キャスパリーグと出会った二年前、彼は人類に対し激しい憎悪を抱き、復讐を企てていた。その計画は妹であるミィにより防がれたが、彼の心から憎悪は消えていなかった。

 そこで彼はミィと約束した。人間達をもっとちゃんと理解しよう。その上で、復讐を続けるかどうかを決めよう。

 ――――期限は()()()で。

「……おい。そこの人間……確か、オオギリカナカだったよな? まさか俺の事を忘れていた訳じゃないだろうな?」

「っ!? ままままままさかそそそそそそんなわわわけわけわけめ」

「はなちゃん、動揺し過ぎ」

 図星を点かれて挙動不審になる花中に、ミリオンが優しく脳天をチョップ。冷静なツッコミを入れられ、花中も少し落ち着きを取り戻す。

 まずは深呼吸。

 心を落ち着かせた花中は、キャスパリーグと向き合う。キャスパリーグは恐るべき身体能力を持つ強敵だったが、基本的にはフィア達と『互角』の存在だ。もし今襲い掛かってきたとしても、フィア達が力を合わせればどうとでもなる筈。以前とは比べようもないぐらい強くなった可能性もあるが、フィア達だってそれは同じだ。力の面で臆する必要はない。

 そもそも、彼が現れた理由がまだ分からない。復讐の再開を告げに来たのかも知れないが、和解の意思を伝えに来た可能性もゼロではないのだ。ここは冷静な対応が肝心である。

「あん? あなた誰でしたっけ?」

 例えば親友(フィア)の、素直であるが故に相手の神経を全力で逆撫でするような発言をフォローするとか。

「……ほぉ。忘れたという訳か」

「ご、ごご、ごめんなさい! あ、あの、フィアちゃん、大抵の事はすぐ忘れちゃうので……」

「……ふん。まぁ、良い。貴様に用はないからな。今回用があるのは人間の方だ」

 キャスパリーグは不機嫌そうに鼻を鳴らし、次いで花中の方を睨むように見てくる。

 鋭い眼光に少し怯みつつ、花中はキャスパリーグの『用件』について考えを巡らせた。とはいえかれこれ二年ぶりの再会である。二年の間どんな経験をしてきたかも知らないのに、彼が何を求めているかなど分かる筈もない。

 ごくりと、息を飲む花中。

 するとキャスパリーグは、ぐっとその身を前屈みになるよう傾けた。まるで突撃でもしてくるかのような体勢に花中はビクリと身体を震わせたが、キャスパリーグは何時まで経っても突撃などしてこない。

 代わりに彼の背中から、二つの小さな顔が覗き出た。

 子供の顔だ。小学生、いや、幼稚園児ぐらいの小ささだろうか。一方は女の子らしい顔立ちで、もう一方は男の子っぽい顔立ち。どちらも黒髪で、まん丸に見開かれた目はキラキラと輝いている。二人の瞳にこちらへと敵意は感じられず、好奇心がありありと見て取れた。服は着ておらず、大事な場所は獣のような毛で覆われているだけ。

 彼女達は今までキャスパリーグの背中に隠れていたのだろうか? しかし一体その子達は何者なのか。

「紹介しよう。俺の子だ」

 花中が疑問に思っていると、キャスパリーグはその考えを読んだかのように、すぐ教えてくれた。

 ……教えてくれたが、花中はその言葉の意味がよく分からなかった。

 こども。コドモ。子供?

「ぇ、えっ!? こ、こど」

 驚き、目を見開く花中。

 しかし此処には、花中以上に驚く者が居た。

 ミィ()である。

「えええええええええええええええええええええええええええっ!?」

 驚いたミィは、思いっきり声を上げた。あまりにも大きな声だった。具体的には、衝撃波と変わらないほどの。

 人智を超えた大声は空気を振るわせながら辺りに広がり、花中の全身に打ち付けられる。致命的な破壊力ではない。が、割と殴られたような衝撃だ。なんの覚悟も準備もしていなかった心は、一撃で彼方へと吹っ飛ばされてしまう。

 窓からキャスパリーグ達を見ていた一般人も、透明な拳で殴られたかのように顔を仰け反らせ、バタンと倒れる。彼等が住む家々も衝撃を受けて激しく揺れた。辛うじて残っていた窓ガラスは粉砕され、屋根の一部が吹き飛んだ。

 キャスパリーグが起こした爆発並の大災害により、野次馬根性を剥き出しにしていた人間達は余さずノックアウトされてしまう。ミィの声が止むのと共に、市街地には静寂が訪れた。人々は全員目を回し、もう、誰も喋らない。

 平然としているのはミィ本人とミリオン、フィアにキャスパリーグ……そしてキャスパリーグの背中に隠れる二匹の少年少女のみ。

「……やっべ」

「やっべ、じゃないでしょ。どーすんのよ、これ」

「野良猫あなた花中さんに何するんですか」

「いや、これ不可抗力じゃん! だって兄さんの子供とか……え、マジで? マジで子供なの?」

 目を丸くしながら、ミィはキャスパリーグに改めて問う。

 問われたキャスパリーグは深いため息を吐く。ジト目でミィを睨み、不愉快そうに口許をへの字に曲げる。

「……そんなに驚かなくても良いだろう。俺もお前も、もう良い歳なんだから」

 やがてぽつりと、不服そうな言葉を漏らすのだった。




はい、という訳でキャスパリーグ再登場。
リアル時間的な意味でも結構久しぶりの登場です。

次回は明日投稿予定です。

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