彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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異種族帝国7

 パタパタと動かす二本の足。

 豪勢な装飾を施された椅子に見合う、それなりに高価そうなマント。

 頭の上に乗せられた可愛らしい王冠。

 他の幼女もどきと異なる点が幾らか見られる。こちらを見つめる顔の間抜けぶり、変わらず浮かべる愛くるしい笑顔、話し掛ける時の口ぶりはこれまで出会った幼女もどき達のそれと同じだが、明らかに他の個体とは『役割』が違う。

 花中は確信した。

 巣の緊急事態にも拘わらず、目の前で相変わらず呑気にしているこの幼女もどきこそが――――自分達が探し求めていた、幼女もどき達の『お母様』なのだと。

「んー? でもこのいきもの、しらないこだなぁ。おさかなさんみたいだけど、なんでここにいるんだろー?」

 『お母様』は首を傾げながら、自分が対峙した花中とフィア……正確には魚面の怪物に呑気な感想を述べる。直径六十メートルはありそうな巨大ホール故に、花中達と『お母様』の間には二十メートルほどの距離があったが、『お母様』の声は花中にもとてもよく聞こえた。フィアが増幅してくれたのかも知れないが、身を乗り出して目をパチクリさせる子供らしい仕草を見るに、『お母様』の方がこちらにちゃんと聞こえるような大声で話したように思える。

「だれかがつれてきたのかなぁ? ねぇー、だれかぁー」

「ま、まま、待って! えと、他の人を呼ばないで!?」

 いきなり ― しかし極めて当然な行動として ― 仲間を呼ぼうとする『お母様』を、花中は即座に呼び止めた。花中は今怪物形態のフィアの内側に居るが、フィアの計らいで花中の声は外にも送られる。

 声を掛けられた『お母様』は、とても素直に仲間を呼ぶのを止めた。それから底なしに無邪気な顔を花中に向けてくる。幼女もどき達は誰もが同じ顔なのだが、この『お母様』はなんとなく他の子よりも更に能天気に思えた。

「よんじゃだめなの? なんで?」

「え? え、あ、はい。えと。その……フィアちゃん、わたしを外に出してくれる?」

【……あまり気乗りはしませんがまぁ向こうに敵意はなさそうですし良いでしょう】

 花中からのお願いに、フィアは渋々といった様子で同意。

 ずるりと花中が居る空間ごと動き出し、花中はフィアの『身体』の外へと運び出された。とはいえ完全な剥き身ではなく、透明な水球の中の居る状態だ。花中の安全のため『敵』の前で生身を晒すのは拒否する、というフィアの意思表示だろう。

 壁越しというのも些か失礼な気はするが、声が伝わるだけでも対話は可能なのだ。こうして顔も合わせられた分だけ良いと考え、花中は水球内に留まったまま『お母様』と話をする。

「えと。まずは、自己紹介を……わたしは、大桐花中と、言います。こっちはフィアちゃん。あなたのお名前を、教えてくれませんか?」

「わたしのなまえ? とくに、きめてないなぁ。でも、みんながおかーさまっていうから、おかーさまでいいよー」

「お母様、ですね」

 無垢な自己紹介に、花中は自分の考えが間違っていない事を確信する。同時に、あまりにも相手が無邪気なものだから、こうして探りを入れている自分が酷く根暗で陰湿な生物に思えてきた。

 しかし罪悪感に苛まれている暇などない。お母様と話をしに来たのは、伊達や酔狂ではなく、人類文明が存続する未来を掴むためなのだから。

「えっと、今日は、お願いがあって、こちらに来ました」

「おねがい? なになにー?」

「今日、あなたがわたし達人間に、送ってくれた、プレゼントについて、ですが……」

「ぷれぜんと?」

 花中からの問いに、お母様はキョトンとした表情を浮かべた。まさか忘れてる? もしそうだとしたら、今回の策略は色々修正を余儀なくされるのだが……

 過ぎる不安から顔を真っ青にする花中だったが、お母様はポンッと手を叩いた。思い出した! と言いたげに目もキラキラさせている。

「あー、あれかー。みんななかよくなるびーむのことだねー」

 事実、お母様は無事思い出してくれた。

「……みんな仲良くなるビーム、ですか?」

「うんっ! にんげんって、おなじ『す』のなかまあいてでも、いっつもけんかばかりでしょ? ちがう『す』のなかまとけんかするのはたまにあるけど、それだってよくないとおもうし、おなじ『す』のなかまとけんかするのは、もっとだめだよねー」

「え、えっと……」

「だから、あなたのなかみを、こう、くにゃーとかえるびーむをおくったの。ついでに、ほかのいきものもみんななかよくできるようにしたんだ。うまくいくかちょっとしんぱいだったけど、せいこうしてよかった」

 拙い言葉で長々と語られ、花中は少し理解が追い付かない。要約するに「仲間同士でのケンカはダメ」だから、人間同士が仲良くなれるよう頭の中を()()()()()()()()らしい。

 頭の中身とは、脳の神経細胞の事だろうか? それを自在に、個人差どころか生物種の差異すら無視して操るなんて、正に出鱈目な技術力である。人間なんて足下にも及ばないどころか、この宇宙に彼女達を超える科学文明が存在するのかさえ疑わしく感じてしまう。

 幸いなのは、この超科学による人体改造は、あくまで善意に寄るものだという点だろう。善意でやったのだから、こちらが困っていると伝えれば素直に止めてくれるかも知れない。

「あ、あの、その……大変、申し訳ないのですが……変えてしまった、頭の中身を、戻してほしいのです」

「え? もどすの? なんで?」

「その、あなたのしてくれた事の、お陰で、確かに、ケンカは、なくなりましたけど……でも、色んな人が、ちょっと、能天気になってて……社会が、成り立たなく、なっているんです」

「そーなの? でも、わたしたちと、おなじぐらいかしこくはしてるよー?」

「……あの調整わざとだったんですね」

 じゃあ頭の良さを保ったまま性格だけ穏やかにしてくれても良かったじゃん、とも思ったが、幼女もどき達としては『知能レベル』の高低はそこまで問題だとは考えていないのだろう。彼女達は能力によって超絶技術を発揮しているのだ。知能はおまけ、程度の考えなのかも知れない。

 同時に、あの知能低下に大した理由がないのなら、止めてくれるのも簡単な話の筈である。

「ま、いいや。こまってるなら、おかえしにならないもんね。あとで、もとにもどすきかいをはつめいしとくね。あしたのあさぐらいにはかんせいするよー」

 お母様は特段渋る事もなく、拍子抜けするほど呆気なく『みんな仲良くなるビーム』の影響を打ち消す機械の発明を約束してくれた。あまりにも話が上手く進むものだから花中は一瞬呆けて、次いで喜びから満面の笑みを浮かべる。

 最初のお願いはとても上手くいった。正直もう少し揉めるかもと考えていたぐらいである。これならもう一つのお願いも、今ほどすんなりとはいかずとも、聞き入れてくれるかも知れない。

 楽観的な感情が心の中に沸き立つ。なんとかなる、きっと大丈夫だという想いが頭の中を満たした。

 つまるところ、それは『油断』というものであり。

「で、では、もう一つ、お願いがありまして。今、やってる、人間社会への攻撃を、一旦止めては、くれませんか?」

 故に花中は、この言葉を真っ直ぐに伝えた。

 瞬間、お母様の顔から笑みが消える。

 本当に一瞬の出来事だった。今まで見せていた子供らしい顔は幻覚か、或いは一瞬にして別個体と入れ替わったのでは? そんな馬鹿げた考えが、花中の脳裏を過ぎるほど。

 同時に花中は理解した。自分が何か、取り返しの付かない失敗をした事に。

 まるで外に出ていた幼女もどき達に「お母様と会いたい」と伝えた、あの時と同じような……

「……あ、えっと……?」

「こうげき? わたしを、ここからだそうとしてるやつらにしてること?」

「えと、あの、そ、そうですけど……あ、あの、無理にとかじゃなくて」

「あいつら、わたしにでてこいっていった。ここはわたしのおうち。わたしは、わたしがでたいときだけ、そとにでる」

「あ、は、はい。外には、出たくないの、ですね。えと、なら、それで良いと、思います。あの、なので攻撃は」

()()()()だれにもわたさない。わたしのすべては、わたしたちのものだから。だからわたしは、あいつらをゆるさない」

 壊れた機械のように、お母様は花中を無視して淡々と呟く。

 花中は気付いた。自分のしていた勘違いに。

 お母様を守ろうとしていたのは、下っ端の幼女もどき達の意思であると。いや、そういう意思は勿論あるのだろう。花中が誤解していたのは、お母様本人にも()()()()()()という意思があったという点。誰であろうとも自分を、自分の意思以外の理由で外に連れ出す事は許さない。

 彼女は自分こそがこの『巣』の中枢だと理解し、『巣』の安全を第一に考えているのだ。だから自分を外に連れ出そうとする言動を嫌悪し、絶対的な敵意を露わにする。自分を掌握されでもしたら、『巣』そのものの存続に関わるのだから。

 そう、彼女達の種族がなんであるかを理解しているのだから、この価値観は読み取れる筈だった。

【やっぱり虫けらといったところですか。話し合いなんて出来ませんね】

「……わたしは、ちょっと期待、してたけど」

 フィアは肩を竦めて早々に諦め、花中は目を逸らしながら自分の気持ちを告げる。

 されど部分的にはフィアの言う通りかも知れない。

 確かに幼女もどき達の『正体』には社会性がある。しかしその社会は、人間とは大きく異なるもの。彼女達の社会は『利他』こそが自己の利益。彼女達は決して社会を裏切らず、社会のために自らの命を捧げる事も厭わず、不正すらも決して行わず、謀反も革命もリーダー争いも起こさない。故に自己の利益を最大化出来る……元来十数個体程度の群れが精々である人間が作り上げたなんちゃって社会とは全く違う、究極の社会性を有する生物種。

 その名は新社会性昆虫。

 その中でも『マーブル模様』のある巣を作る種は……何種か存在するが……大まかにまとめてしまえば答えは一つ。

【相変わらず花中さんは夢見がちですねぇ。大体()()()()()なんて人間をしょっちゅう殺してる虫じゃないですか。敵ですよ敵】

 フィアがぽつりと呟いた、自分達が辿り着いた予想。

 その予想が正しい事は、フィアの言葉を聞いたお母様の全身が激しく波打ち始めた事が物語っていた。

「わたしのこと、しってる? なんで? なんで?」

【あなた達の臭いは独特ですからね。嗅げさえすれば一発で分かりましたよ】

「……正直、色々信じられない事も、多いですけど」

 お母様に尋ねられ、自信満々に答えるフィアの横で花中は頭を軽く押さえる。

 フィアが言うように、幼女もどき達の『正体』はスズメバチなのだ。スズメバチはマーブル模様の巣を作り、肉と糖類をとても好む。お母様という呼び名も、『女王』だとすれば納得だ。階級社会の頂点という事で人間は女王蜂と呼んでいるが、本質的にその個体は全ての働き蜂の母親なのだから。スズメバチの寿命というのは女王でも一年未満であり、この時期は ― ある種の寄生虫に付かれたものを除いて ― 誕生したばかりの女王蜂以外死滅している筈だが、超科学で個々の寿命を延ばしていても不思議ではない。

 しかし、だとすると彼女達が用いる兵器の素材は……

 脳裏を過ぎる『出鱈目』に、花中は苦笑い。尤も今はそんな事を悠長に考えている暇などないのだが。

 お母様が自分達に向けている無機質な眼差しは、どう考えても友好的なものではないのだから。

「わたしのこと、しってる。わたしのこと、そとにだそうとしてる。きけん、きけん、きけん」

【なんとまぁ沸点の低い事で】

「た、多分、昆虫だから、刺激に対して、一辺倒な反応を、しちゃうんじゃないかな……」

 フィアの感想に、花中が補足するように推論を述べる。

 昆虫というのは極めてシンプルな生物だ。ある種の刺激に対し、回答が本能的に決まっている。餌を食べる時さえ、ある種の物質に引き寄せられ、ある種の物質を検知して噛み付き、ある種の物質を検知して飲み込む……という流れによって生じているぐらい。

 一見七面倒な仕組みだが、実態は凄まじく効率的だ。生まれたばかりの幼虫が親に教わらずとも餌を理解し、蛹から羽化したばかりの成虫が幼虫時代とは全く異なる餌を躊躇なく食べられるのだから。学習なんて面倒な時間は不要。産まれた時から正解を知っている。

 が、欠点がない訳ではない。何しろ常に回答が決まっているので――――融通が利かないのだ。

 ミュータント化によって人間並の知能を手に入れても、幼女もどき(スズメバチ)達の本質的な部分は変わらなかったのだろう。『巣』を攻撃するものは排除する。それはスズメバチ達にとって絶対的なルールであり、理性なんかでは捻じ曲げられない本能の決定なのだ。

 どうにか冷静になってもらわねば、こちらの話は聞いてくれないだろう。そして本能の決定を覆すには、その本能よりも『優先度』が高い刺激を与えねばならない。

 例えば、生命の危機とかの。

「フィアちゃん……打ち合わせ通りに、お願い」

【ふふんお任せあれ】

 花中の言葉に、フィアは自慢げな鼻息と共に答える。直後、フィアは花中を包んでいる水球を再び自分の内側へと取り込んだ。次いで怪物らしい前傾姿勢を取り、お母様を睨み付ける。

 『全身』から感じられるフィアの闘志。フィア達ミュータントのような鋭い感覚を持たない花中であるが、フィアの本気を感じ取ってごくりと息を飲んだ。

 お母様はゆっくりと椅子から降りる。王冠を投げ捨て、マントも脱いだ。背中から光の翅が四枚生え、着ている服が光り輝くや鎧のようなものへと変化する。

 端から見て完全な戦闘モードだが、お母様の表情は変わらない。喜怒哀楽のあらゆる色を消し、闘志も殺意も敵意もない、無機質な眼差しでフィアを見つめる。しかしそれは彼女の無気力を物語るものではない。元来感情などという『非合理的』なものを持たないスズメバチにとって、この無感情こそが真の臨戦態勢なのだと花中は理解した。

 向こうは()()()()()だ。油断すれば、やられるのはこっち……百戦錬磨にして野生のケダモノであるフィアに、それが分からぬ訳もなし。

 故に、今のフィアは手を抜かない。

【ふんっ!】

 躊躇いなくフィアは腕を振るい――――何十メートルと伸ばした半透明な腕が、お母様へと襲い掛かった!

 フィアの腕は花中の目には見えぬほどの速さで動き、正確にお母様を捉えている。対するお母様は微動だにしない。あたかも花中と同じく見えていないかのように。

 否、関係ないのだ。

 お母様の周りには『見えない壁』が存在し、フィアの渾身の一撃を呆気なく跳ね返したのだから。

【ぐぬぅ!? アニメとかに出てくるバリアですか! ですがそういうのは強い力で壊れるものなんですよォォッ!】

 一度は弾かれた事に驚きを見せたが、フィアは諦めない。それどころかより獰猛な笑みを浮かべるや、今度は両腕をお母様目掛け伸ばした。

 ただし今度は殴らない。

 手は一メートル近く横に広がり、お母様を包むバリアをガッチリと掴んだのだ。両手から掛けられる握力は、戦車程度ならば一瞬で丸いボールに変えてしまうほどのもの。されどお母様が展開するバリアはビクともしない。

 元よりフィアもこれは本命ではあるまい――――フィアとの付き合いが長い花中は即座に察し、だからこそ思いっきりその場で頭を抱えてしゃがみ込んだ。

 フィアは短気なのだ。埒が明かないと思えば、すぐにもっと効果的な方法を選ぶ。

 即ち接近戦。

【喰らいなさいッ!】

 咆哮と共にフィアは自ら伸ばした腕を一気に収縮させる!

 強靱な力により収縮した腕は、当然そこにつながっているフィアの『身体』を引っ張った! さながら『身体』をパチンコの弾とするかのようなやり方は、しかしパチンコなど比にならない速度……音速の数十倍という出鱈目なスピードを生み出す。

 止めとばかりにフィアは『身体』を変形させ、頭をドリル型に。微細にして頑強な刃が高速回転している先を、お母様に迷いなく向けた。

 お母様に逃げ場はない。動きもしない。フィアとバリアが激突し、そのバリアが貫かれればお母様を守るものはない。そしてバリアは、フィアのドリル攻撃を一秒と受け止められずに砕け散った。

 哀れ、巣の主は侵入者の攻撃に貫かれる

 ――――それで済めば話は簡単なのだが。

【……ちっ。やはり止めますか虫けら風情が】

 フィアが悪態を吐く。

 お母様は、ドリル型に変形した頭を片手で受け止めていた。受け止めた手はフィアの打撃によりひび割れていたが……逆にいえばこの程度の損傷しかない。

 そのダメージさえも、フィアが攻撃の手を緩めている数秒の間にみるみる再生していく。

 ナノマシンによる修復か。フィアの突進で目を回していなければ、花中はそう思っただろう。花中が教えなければ『なのましん』なんて小難しいものは分からぬフィアだが、短時間で傷が治る事さえ理解出来れば十分。

 そして極めて単純なフィアの脳細胞が導き出す対策が、複雑なものである訳がない。

【ふん! 勝手に治るっていうのなら治る前にぶっ潰すまでです!】

 フィアは極限まで高圧縮した腕で、お母様の頭を殴り付けようとする! お母様は素早く両腕を自身の頭上で交差させ、フィアの豪腕を受け止めた。

 打撃の破壊力は凄まじく、周囲に吹き荒れた衝撃波は周りのタイルを粉砕する。核すら耐える壁が無残に砕かれ、運動エネルギーの一部が熱となって吹き荒れた。人間、いや怪物であろうとも、余波だけで跡形も残らない一撃である。

 しかしこれさえもお母様を砕くには足りない。

 足下のタイルが粉砕した以外、お母様に目立った傷は出来ていなかった。なんらかの方法で打撃のエネルギーを受け流したのか、それとも純粋に耐えたのか。いずれにせよ攻撃が通じなかったフィアは忌々しげに顔を歪め、同時に一層興奮した狂気的な笑みを口許に浮かべる。

【くっかかかかかかっ! 虫けら風情が中々やるじゃないですか! ならこれはどうですかっ!】

 高笑いと共に、フィアは自らの『身体』から無数の触手を生やし、お母様に巻き付けた。子供のように小さな身体が、フィアの出鱈目な怪力によって締め付けられる。

 これだけでも十分に悲惨だが、まだまだフィアの攻勢は終わらない。フィアはお母様を投げ飛ばそうとして身体を大きく捻った

 が、それは叶わない。

 お母様はフィアが巻き付けた触手を、光り輝く手刀で切り裂いたのだ。拘束を抜けた片手で触手を掴むや、お母様はフィアと同じく身体を捻る。

 そして自身を投げ飛ばそうとしていたフィアを、逆に投げ飛ばした!

「ひやぁっ!?」

【ぬぅうっ!? ちょこざいなァッ!】

 超音速に達したのではと思うほどのスピードで三十メートル以上彼方の壁に叩き付けられ、中に居た花中は悲鳴を上げ、フィアは一層の闘争心を露わにする。加わるGも相当なものではあったが、フィアも花中も、フィアの能力により操作された血液で肉体が補強されていた。この程度の打撃はダメージとなり得ない。

 お母様もそれは理解しているのだろう。物理攻撃でフィアを打ち倒すのは、不可能ではないが効率的でない、と。

 だからこそお母様は自らを縛る水触手の残りを手で切り裂くや、その手をフィアの方へと差し向け、

 指先から光り輝く刃を、射出するような速さで伸ばした。

【グルアァッ!】

 フィアが猛り吠えながら、迫り来る光の刃を拳で殴り付ける! 殴られた刃はバチンッと弾けるような音を奏で、フィアから大きく逸れた。お母様の腕も共に大きく揺れる。

 直撃は免れた。しかし完全に防いだとは言い難い。

 殴り付けたフィアの手から、じゅうじゅうと湯気が立ち昇っていたのだ。熱核兵器すらも耐え抜く出鱈目防御が破られた証。もしも殴って軌道を変えなかったら、今頃フィアの身体を貫通していたに違いない。

 そしてお母様の手の輝きは、まだ衰えていない。

 ぞわりとした悪寒が花中の身に走る。この気持ちに同意するかのように、フィアの『身体』もまた震えた。友達と気持ちが一つになったが……こんなの嬉しくもなんともない。

【見くびるんじゃありませんよこの虫けらガァァァァッ!】

 一歩も退かないフィアに、お母様の『剣技』が披露された。

 さながらそれは舞うかのような、リズミカルで隙のない、不規則な動き。花中にもお母様の動きは見えているが、あまりの不規則さに一太刀分の軌跡を理解した時にはもう何十と切り刻まれていた。この動きに合わせて殴り返し、時には身を仰け反らせて切り抜けるられるのは、本能に支配されたケダモノであるフィアだからこそと言えよう。

 だが難なくという訳にはいかない。

 お母様の手から伸びた光の刃は、何十回フィアが殴り付けても割れるどころか変形すらしていない。恐らくは、なんらかのエネルギーを刃のようにしているのだろう。物理的な形を持たなければ、どんな怪力だろうと粉砕出来ない訳だ。無論一体どんな原理を使えば光輝くエネルギーを固定出来るかは、人間である花中には皆目見当も付かないが。

 対するフィアは、少なからず『身体』を削られていた。殴る度、受け流す度に、当たった箇所から湯気が微かに昇る。十万トンという今のフィアが操っている水の総量からすれば、考慮するにも値しない微々たるもの。それでも消耗に違いはなく、何処からか綻びが生じてもおかしくない。

 形勢はフィアの方が不利。このままラッシュの打ち合いをし続けても、フィアだけが一方的に消耗するばかりである。

【グルアアアアアアアッ!】

 フィアもまたそれを理解し、動き出す。叫びながら、お母様へと突進したのだ。

 お母様は淡々と手から伸びる光を縮め、構えを変える。その姿は、まるでフェンシングのようなもの。

 花中にも、次にどんな攻撃が来るのか予想が付いた。それでもフィアは止まらない。真っ直ぐ、がむしゃらに、音すら彼方に置いていく速さで、お母様の真っ正面を目指して駆け抜けるのみ。

 出来るものなら花中は警告しただろう。しかし怪物達の決戦は、人間の反応速度の追随など許さない。

 花中の脳が言語的に状況を理解する何段階も前に、お母様は直進するフィアに向けて腕を突き出す。

 併せてその手先から、太陽よりも眩い光の刃が撃ち出される!

 放たれたのは極太の光線。進路上の大気がプラズマ化しているのか、稲妻のようなものが光の周りを飛び回る。全てを焼き払う光は、フィアを容赦なく捉えていた。

 お母様からの一撃はフィアの顔面を直撃。魚面の顔が歪み――――されど光を受け()()

 放たれた光の刃はフィアの顔面に弾かれ、その軌道を逸らした!

 かつて『妖精さん』と戦った時に活用した、光線を逸らす構造だ。魚が水の流れを受け流すように、光さえも適した形態で受け流す。光の刃がレーザー光線と似たようなものと気付いたフィアは、以前使った技を用いて防いだのである。数多のミュータントとの戦闘経験が、この防御を瞬時に閃かせた。

「……っ」

 対するお母様は、ここで僅かながら眉を顰めた。

 お母様達スズメバチには、ミュータントとの戦闘経験はなかったのだろう。初めての敵に自慢の技術を破られ、昆虫でありながら少しだけ動揺したのかも知れない。

 それは人間では掴む事も叶わない、微かな心理的混乱。しかしながら猛獣達の中では明確な隙。

 猛然と駆けるフィアの十万トンもの身体が、超音速でお母様に直撃した!

 お母様はその打撃を押し留めようとしたが、フィアのパワーが圧倒的に勝る。大質量を投げ飛ばすほどの馬力を有したお母様の身体は、まるで蹴られたボールのように宙を駆けた!

 吹っ飛ばされたお母様は体勢を整えようとしたが、飛んでいくスピードはあまりに速い。方向転換は間に合わず、その小さくてあどけない身体は壁に叩き付けられた。六角形で出来たパネルがひしゃげ、お母様の身体は深々とめり込む。砕け散った破片が辺りを舞う。

 響き渡る爆音が、衝突のエネルギーの大きさを物語った。もしも人間が喰らったなら……即死どころか跡形も残るまい。バラバラに飛び散るどころか、衝突前の摩擦熱で気化するだろう。

 特段問題ないかのようにお母様はめり込んだ壁から出てきたが、ちらりと見た指は変な方向に曲がっていた。すぐに治ったが、ダメージ自体は入ったらしい。

【ふふん呆れるほど頑丈ですがやはりこの私の敵ではありませんねぇ。今のでも壊れないのならもっと強くもっと速くぶん殴るだけです】

 お母様の怪我を見て、フィアは上機嫌な様子。再生されようとも、ダメージが入るなら問題ないと考えているのだろう。花中としても、瞬時に再生される事は絶望的な状況に思えるが、ダメージが入るのなら勝機はあると思える。

 ――――きっとお母様も同じ事を思ったのだろう。

「……もーどちぇんじ」

 ぽつりと、お母様が呟く。

 瞬間、部屋中の壁が一斉に動き始めた。

 お母様の部屋を形成する黒いパネル達は、なんの刺激もなしに、まるで崩れるようにバラバラと落ちる。しかし機能を停止した訳ではないらしく、崩れた後はふわふわと浮遊していた。直径六十メートルもの部屋の壁を形成する何百何千もの六角形のパネルが、あたかも花中とフィアを包囲するように漂う。

 花中はゾッとした。大型円盤の壁を形成するパネルは、フィアでも破壊するのは一苦労な代物。おまけにレーザーなどの攻撃手段も有する。これらが全てお母様の援護に回れば、フィアといえどもかなりの苦戦を強いられる筈だ。

 だけどフィアならきっとなんとかしてくれると、希望も捨てていなかった。フィアがパネルを粉砕出来る事は、これまでの戦いで明らかなのだから。多勢に無勢でも勝機が潰えた訳ではない。

 なのに。

【……ええい忌々しい】

 フィアはこれまで勝ってきた相手に向けるようなものではない、憎々しげなぼやきを漏らした。

 何故フィアはそんな言葉を? 答えはすぐ明らかとなった。

 パネル達は、一斉に動き出した。

 しかしその行動は攻撃でもなければ、フィアの身動きを封じるものでもない。パネル達は、なんと自らを()()、細長い糸のように形態を変化させたのである。糸は全てがお母様の方へと向かうや、その身に纏まり付いた。

 何百という糸が集まり、巨大な足を形作る。

 何百という糸が集まり、屈強な腕を作り上げる。

 何百という糸が集まり、分厚い胴体を生み出す。

 見る見るうちに、お母様の身体は糸に埋まり、変化していく。無論この『変身』を黙って見ている義理はない。フィアが攻撃を考えていない筈もなく、指先から水弾丸を放った……が、糸が集まり、お母様への攻撃を防ぐ盾となる。フィアでも彼女の変身は止められない。

 どんどん姿が変わっていくお母様。その様を見続ける中で、ふと、花中は理解した。

 一つ疑問だったのだ。どうして幼女もどき(働き蜂)達は、お母様の部屋に集まらなかったのか。スズメバチ、いや、真社会性を有する昆虫にとって、産卵が可能な女王は正に巣の中枢である。それこそ命を賭してでも守らねばならない。

 なのにフィアがお母様の下に辿り着くと、幼女もどき達は現れなくなった。最初は、フィアを刺激してお母様が戦いに巻き込まれるのを防ぐためかとも考えたが……戦闘が始まっても、幼女もどき達は一向に姿を見せない。何か奇妙だと考えていた。

 その答えが今になって分かった。

 巻き込まれないためだ――――お母様ではなく、『自分』が。

 不要なのだ、守りなど。彼女が本気で戦うのなら、その時にちっぽけな自分達なんて、足下を歩き回る虫けらと変わらない。力を貸すどころか、踏み潰されて地面の染みとなるのが精いっぱい。

 巣への侵入者は排除する。お母様に会おうとする者も排除する。お母様が怒ったら、とってもとっても怖いから。

 そしてもしもお母様が怒り出したら、自分達は安全な場所に身を隠す。

 それが()()()()を守る方法なのだ。

【シフト完了。排除行動に移行する】

 電子音性的な声で、準備が終わったと語る『お母様』。そこにはもう、かつての愛くるしくて間抜けな幼女の姿はない。

 代わりに佇むのは、全長五十メートルもの、無骨な巨大ロボットだった。




さぁ、本章のボス『お母様』です。
巨大ロボットVS巨大生物。浪漫だよね!

次回は明日投稿予定です。

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