巨大円盤の襲来から、早くも二十日が経った。
二月も終わりに近付いたが、大桐花中の生活にこれといった変化はない。休日である今日はぐっすりと七時過ぎまで眠り、窓から差し込む朝日を浴びて起きる。
ベッド側の床にはフィアが寝転がっていて、花中が起きた音を察知してかすぐに起き上がる。「おはようフィアちゃん」と挨拶すればフィアも「おはようございます花中さん」と返し、フレンドリーなやり取りから活力をもらった。
起きた花中はベッドから降り、パジャマ姿のまま部屋を出て、階段を下りて一階のリビングへと向かう。リビングでは睡眠を必要としないミリオンが新聞を読んでいて、花中に気付くと優しく手を振りながら「おはよう」と言ってくれた。花中も当然これに返事をする。
同居人二匹と挨拶を交わし、花中は上機嫌になりながら洗面台へと向かった。寝起きで働きがいまいち良くない頭をシャキンとさせるべく、冷たい水で顔を洗うためだ。
そうして洗面台の前に立った花中は――――がっくりと項垂れる。
鏡に映った、自分のアフロヘアーを見てしまったがために。
「……この髪、何時になったら戻るのかなぁ」
「専門的な機器がないから正確な計算は出来ないけど、感覚的には髪を包む電子的コーティングは二十日前と比べ殆ど衰えていないわ。この調子ならあと百年は持ちそうね」
「つまり、一生じゃないですか、それ……」
洗面台で項垂れていると、何時の間にやら近くにやってきたミリオンが残酷な情報をさらりと付け足す。長生きするつもりの花中であるが、流石に百十七歳を超える自信はなかった。
「ふぅーむ最初は中々可愛いと思いましたがそろそろ飽きてきましたね。なんとかなりませんか?」
そしてこの惨事から助けてくれなかったフィアは、恐らく自分がわざと見過ごしていた事などすっかり忘れてミリオンに話を振った。
ミリオンはくすりと笑い ― ちなみにその時花中はギラリとフィアを睨んでいた ― を挟んでから、肩を竦めつつフィアの問いに答える。
「どうにかしたいのは私も同じだけど、これはちょっと無理ね。全力でやればコーティングそのものは破れると思うけど、そうなるとはなちゃんが余波でプラズマ化しちゃうから、本末転倒なのよねぇ」
「使えませんねぇ。なら私が力で無理矢理伸ばしてみますか」
「あ、でも一つ良い案があるわ。電子のコーティングは謎光線を浴びた時に生えていた部分だけ覆ってるから、新しく生えた毛は直毛になっているの。だから古い毛を全部抜けば、アフロヘアーはなくなる筈よ」
「ほほう成程。では花中さん今から髪を全部抜きますから大人しくしててください」
「そ、それしたら禿げちゃうよっ!? というか、今ある毛だけコーティングがあるなら、伸びれば戻るじゃないですか!?」
「あ、バレた? てへぺろっ♪」
ミリオンは舌をぺろりと出し、ジョークである事を明かす。危うくツルツルの禿げ頭になるところだったと、花中は安堵の息を吐いた。
「ま、そういう訳だから、あまり不安にならなくて良いわよ。伸びた部分に電子のコーティングがないのは確認してるから、ある程度伸びた段階で切ればそれでおしまい。今のはなちゃんの髪なら、一年半で元通りね」
「逆に言うと、ある程度伸びるまでは、この髪型なんですね……」
「そりゃね。なんならバリカンみたいに苅っても良いけど? 今ならちょっと伸びてるから、やろうと思えば出来るわよ」
「……遠慮しときます」
坊主頭とアフロヘアー。どちらが『悪目立ち』するかなど、考えれば簡単に分かる。花中としては、目立つのが恥ずかしいからこの髪型を止めたいのだ。
それにある意味、今一番目立たないのはこの髪型かも知れない。
「……良し。フィアちゃん。今日は、買い物に行こっか」
「お? 久しぶりの買い物ですね。ここ最近は目立ちたくないからと学校からの帰りは真っ直ぐ家に向かっていましたから」
「やっと覚悟を決めたのね。覚悟するほど大層なもんじゃないけど」
買い物を提案すれば、フィアはうきうきと楽しそうに、ミリオンは呆れたように反応する。どちらの指摘もその通りだったので、花中は少し顔を赤らめた。
羞恥心で熱くなる顔をぷるぷると横に振り、平静を取り戻した花中は力強い鼻息一つ。
まずは顔を洗って、それから朝ごはんを食べよう。着替えはその後だ。
普段買い物に行く時と同じような準備を、花中は頭の中で思い描く。髪がアフロヘアーになろうとも、自分がやる事は何も変わっていないのだ。
そう、何も変わっていない。
『彼女達』が日常を浸食している以外には――――
……………
………
…
花中は今日の買い物を商店街で済ます事にした。
自宅が建つ、未だ復旧の進まない ― というより最早放棄されたも同然な ― 廃墟の中を通り、市街地へと出る。市街地を五分も歩けば目当ての商店街だ。極めて短い距離で、子供でも行ける道程である。
「ねーねー、あそんでー」
「じゅーすちょーだーい」
「おにくちょーだーい」
その短い道程の半ばなのに、花中は既に三匹の幼女もどきに囲まれていた。
「えっと、ごめんなさい。今、手持ちがなくて……用事もあるから、遊ぶ事も、出来ないんです」
「そっかー」
「じゃあ、べつのひとにきこうよ」
「そだねー」
花中が丁寧に断ると、幼女もどき達は素直に納得し、とことこと離れていく。そして言葉通り、今度は花中の後ろを歩いていた通行人に話し掛けた。
後ろを歩く通行人の男性も花中と同じアフロヘアーで、幼女もどきに紙パックのジュースを渡していた。幼女もどき三匹は跳ねて喜んでいる。男性はにこりと微笑みながら、手を振って三匹に別れを告げた。
「おねーさん、おねーさん。ごはんをいただけますか?」
そんな微笑ましいやり取りを見ていた最中、別の幼女もどきが花中に話し掛けてきた。
大人しい性格の子なのだろうか。花中と目が合うと、少し後退りし、おどおどしたように身を縮こまらせる。なんだか自分を見ているような気がして、花中は親近感を覚えた……が、生憎渡せるものがない。
「えっと、ごめんなさい。手持ちがなくて……」
「そうですか……わかりました。ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げ、幼女もどきはとことこと立ち去った。
「相変わらず無駄に数が多いですねぇ」
四匹の幼女もどきの姿が見えなくなった頃、花中の隣を歩いていたフィアがぽつりと独りごちる。フィアの傍に立つミリオンも、同意するように頷いていた。
花中も、『無駄に』の部分以外については同じ意見だ。苦笑いを浮かべてしまう。
巨大円盤襲来から二十日。その二十日で、町には新たな住人が増えた。
幼女もどきである。小型円盤に乗って町に降り立った彼女達は、未だ町に居座っていた。目的は勿論、花中達に狼藉を働いた十数匹と同じく「じゅーす」と「おにく」をもらうため。
ミュータントには慣れっこの花中ですら最初の対応を間違えた相手だ。出勤中の会社員や通学途中の学生が正しく応対出来る筈もなく、彼等は次々とアフロヘアーに変貌。主婦や老人達 ― 何故かつるつる頭にもアフロヘアーが生えてきた ― までも被害に遭い、社会的パニックが起きた。今や町人の七割がアフロヘアーであり、普通の髪型の方が珍しいぐらいである。ちなみに今ではいたずらにすっかり飽きてしまったのか、アフロヘアー攻撃は激減しているらしい。アフロヘアーは遭遇初期の被害者である証だ。
そして幼女もどき達は、今でも町を跋扈している。政府発表によると推定個体数は三十万体らしい。この町の人口が約十三万人なので、人口面では圧倒されているのが現状。基本的に数匹程度の群れで移動するとはいえ、人より頻繁に出会えるのも頷ける値である。
「まぁ、最近は実害もないし……良いんじゃないかな。それに賑やかなのは、好きだよ」
「確かに、賑やかよねぇ。買い物でよく話をするおばあちゃん、孫が毎日来てくれているみたいで嬉しいって言ってたわ」
「そういうものですか。孫が来る事の何が嬉しいのかはさっぱり分かりませんけど。賑やかというより喧しいと思いますし」
花中とミリオンの意見に、いまいちピンと来ていないのかフィアは肩を竦めた。
そうこう話し込んでいると、やがて商店街の入り口が見えてくる。
商店街には、大勢の人々が集まっていた。中からはわいわいと、活気ある声も聞こえてくる。パッと見ただけで、盛況である事が窺い知れた。
しかしこれは本来妙な事である。
何しろ昨今は異星生命体事変の影響に加え、怪物による被害で、世界的かつ全産業で供給能力が低下している状況だ。食糧品は高値どころか棚に並ばず、日用品すら品切れが続く有り様。経済基盤が脆弱だった発展途上国のみならず、先進国でも市民生活の破綻がいよいよ現実味を帯びてきたとも言われている。
商店街もその煽りを受けて常に品薄状態。結果客足が遠退き、非常に閑散な状態が続いていた。定食屋には行列どころか、お昼の書き入れ時に閑古鳥が鳴いている事すら珍しくない。
それが今や、人が溢れるほどに押し寄せている。これが奇妙、いや、異常でなければなんなのか。
「……噂には聞いてましたけど、思っていた以上に、すごい事に、なってますね」
「これでも一時に比べればマシなんだけどね。円盤が来てから五日目辺りがピークだったかしら」
「良いんじゃないですか? 花中さん賑やかなのは好きなんですよね?」
立ち尽くす花中に、フィアはこてんと首を傾げながら訊いてくる。確かにその通りだ。それに商店街に活気があるのは、地元民として喜ぶべきだろう。
「それも、そうだね。行こっか」
花中はフィアの手を掴み、フィアはその手をしっかり握り返す。仲良く手をつないだ一人と一匹は共に歩き、保護者役の一匹が後を追う。
商店街に入った花中達は、人で埋め尽くされた道の洗礼を受けた。
「す、凄い、人の数……むぎゅ」
「おっと花中さん大丈夫ですか? 私がしーっかりガードしてますからねー」
人の波に押されて潰れる花中を、フィアは抱き付くようにして自分の腕で囲う。見た目は華奢でも超生命体の身体。人間の波など逆に押し返し、花中を圧力から守る。
抱き付かれているのでちょっと歩き辛いが、そもそも単身では前に進めるかも怪しい。これなら自由に、好きな場所へ行ける。何より友達と触れ合えて凄く嬉しい。花中は満面の笑みを浮かべた。
「うん、ありがとフィアちゃん。えと、じゃあ、お肉屋さんに、行ってくれる?」
「りょーかいでーす」
花中が頼めば、フィアはずんずん歩き出す。人の波などなんのそのだ。ミリオンも一匹とことこ、横に並んで平然と歩く。
フィアと歩みを合わせながら花中も進み、辺りを眺めて商店街の様子を見る。
商店街の中でも、幼女もどきの姿はよく見られた。むしろかなりの高密度だ。足下をするすると走り抜けるもの、お店の屋根に座っているもの、人の頭に乗っているもの……まるで昔からの住人であるかのように、堂々と景色に溶け込んでいる。道行く人々は幼女もどきを気にする事もなく、各々の買い物を楽しんでいた。
花中達一人と二匹も、目当ての肉屋に辿り着く。外から見えるショーケースは空。ここ最近では、あまり珍しくもない光景だ。
しかし今日の光景は、最近のものとは意味合いが違う事を花中は知っている。
「こ、こんにちはー……」
「おじゃましまーす」
「はい、いらっしゃい! あら、花中ちゃん達じゃないか。久しぶりだねぇ」
か細い声で店の中に呼び掛け、フィアが普通の声で挨拶すると、カウンターの奥から恰幅の良い中年女性……この肉屋の『店主』が大きな声と共に姿を現す。その顔は如何にも申し訳なさそうに眉が垂れ下がっていたが、抑えきれない嬉しさで口角が上がっていた。
「ごめんなさいねぇ、もうお肉、売り切れちゃったのよ」
「いえ、今日はご挨拶に、来ただけですので……えと、繁盛している、ようで、何よりです」
「いやいや、本当にね! 最近まで暇で暇でこれからどうしようなんて考えるぐらいだったのに、今じゃもう、そんなの考える暇がないぐらい忙しいから」
ガハハと楽しげに笑いながら、店主は上機嫌に語る。どうやら商店街の活気による恩恵をしかと享受しているようで、花中としても嬉しい。
「ほんと、うちの旦那にも教えてやりたいところだよ」
……この店の『前店主』の行方を知る者としては、特に。
「……そう、ですね」
「おっと、辛気臭い話をしちゃったね。いや、本当に感謝してもしきれないよ。足を向けて寝られないね――――『ディスカー』様には」
空気を変えるように、力強く笑いながら店主は話を変える。花中は店主の言葉に、こくりと頷いた。
花中達の暮らす町は今、かつてない好景気に湧いている。理由は、町上空に現れた円盤、そして幼女もどきのお陰だ。
円盤や巨塔の数々は、人々の好奇心を大いに刺激した。一般人達の多くは、幼女もどき達の説明不足や怪物でもない普通の生物が人智を超える筈ないという思い込みもあって、幼女もどき達を宇宙人と認識。異星間交流を体感出来ると誤解した大勢の人々が、国内外問わずこの町に集まってきたのだ。
勿論昨今の世界情勢は色々厳しく、海外旅行どころか国内旅行すら『贅沢』となったが……人類初接触の ― しかも異星生命体と違って友好的な ― 『異星人』というのは、全世界の人々の心を掴んで離さなかった。むしろ現在の悲惨な世界情勢が、この町でもギリギリ捌ける程度にまで観光客数を抑えてくれたと言えるかも知れない。幼女もどき達は『
さて、円盤人目当ての観光客達であっても、それなりの期間滞在するからには飲食の必要性が生じるだろう。ジュースやお肉を求めるいたずら好きな幼女もどき達への『護身』道具も持っておきたいところだ。スーパーやコンビニで買うのも良いが、折角の旅行なのだからもう少し『立派』な店で買いたい。
露天系のお店やレストラン、そして精肉店やスイーツ店は、そうしたニーズにがっちりと嵌まったのである。商店街のど真ん中に一本塔が突き刺さったのも、観光名所という意味では幸運だった。多数の観光客が商店街に殺到し、あらゆる食品を買い占めたのである。勿論供給能力自体が衰えている現代、食材を集めるのは骨が折れる事だが、割高な支払いをすればまだなんとか集められる。そして値段が高くとも、宇宙人に舞い上がる観光客には売れる。
異星人好景気の到来だ。観光客が集まるのは主に食料品系の店だったが、そうした店の従業員も消費者の一人。収入が上がれば他の店で消費し、得られた金を世間に回す。店として見た場合でも、レシートやビニール袋のような消耗品を仕入れねばならないのだからお金は使われる。観光客の落としたお金が、町に活気を与えていた。
更に幸運な事に、幼女もどき達が求めたのは『贅沢品』である肉や甘味であり、ジャガイモや米などの『主食』ではなかった。そのため恩恵を受けていない市民でも、生活水準そのものは悪化していない。極めて理想的な好景気だ。
……勿論、問題が全くない、なんて事はないのだが。
「今日は、ちょっと様子を見に来ただけで……元気そうで、何よりです。また、来ますね」
「ええ、何時でもいらっしゃい。もしお肉を買いたくなったなら、午前七時頃いらっしゃい。店開き前だけど、花中ちゃんなら特別に」
【我々は警告する!】
再来店の意思を伝え、耳寄りな情報をもらった直後。店外から喧しい声が聞こえてきた。
スピーカーで大きくした声のようだが、余程大声で叫んだのか、音が割れていた。貧弱な花中の耳はキーンッと響くような痛みに襲われ、花中に抱き付いたままのフィアも不快そうに眉を顰める。店主は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべていた。ミリオンだけは顔色を変えていないが、ちらりと音がした外を見る。
「ああ、またアイツらかい……ほんと、懲りない連中だよ。この前も警察呼ばれたのに」
店主がぽつりと悪態をこぼす。中年らしく人の噂が大好きな彼女だが、基本的には明るく快活で、人の悪口を言うようなタイプではない。
そんな彼女が「懲りない連中」というような相手。関心がないといえば嘘になる。
加えて花中は、その者達に心当たりがあった。顔見知りという意味ではなく、あくまで知識として知っている程度だが……だからこそ、俄然興味が湧いてくる。
「……あ、えと、じゃあ、失礼します」
「ん? ええ、またおいで」
改めて別れを伝え、花中達は肉屋から出る。
外の雰囲気は、店に入る前と少し変わっていた。
通行人達の声には先程までの明るさがなく、ざわざわとした困惑の色に染まっている。全員が一方向を見ていて、原因がそこにあるのだと、人混みに『途中参加』した花中達に教えてくれた。とはいえすぐ近くでの出来事ではないらしく、加えて周りは大人ばかり。背丈の小さな花中には、人々が何を見ているのかさっぱり分からない。
【何故この町の人々は考えないのか!? 楽な方へと逃げるのか!】
しかし花中が見えていない事などお構いなしに、『懲りない連中』の話は進んでいるようだ。
普通の人なら、この演説をちゃんと聞くためには人混みを掻き分けてでも前に行かねばならないだろうが……花中には頼りになる友達がいた。
「んー……フィアちゃん、ちょっとあっちで、演説している人が、居るみたいだけど、映像みたいなの、出せる?」
「映像ですか? こういう感じでしょうか?」
花中がお願いすると、フィアは掌を花中に見せてくる。その掌には、花中の顔と周りの景色が表示されていた。花中本人の動きに合わせて、掌に表示されている花中も動く。
これもまたフィアの能力の応用。肉眼では見えないほど細く水を伸ばし、取り込んだ光から遠距離の画像を表示しているのだ。これなら人を掻き分けなくても、遠くの光景を見られる。
幸いにして、拡声器を使っているのか声は離れた花中達の下までしかと届いている。映像さえ見られれば不都合はない。
「うん。こんな感じで、大丈夫」
「分かりました。ちょっと待っててくださいね」
フィアの言葉を境に、掌に映る画像が動く。段々と視点が高くなり、花中の頭上を通り、人々の上を飛んでいく映像が表示された。今頃フィアの頭からは一本の『糸』が出ていて、人々の上を移動しているのだろう。
不可視の『糸』は誰に気付かれる事もなく、やがて商店街の入口付近までやってきた。と、そこで奇妙な画像が映り込む。
商店街の前に、数十人程度の人が集まっていた。一見して老若男女問わずな集団は、誰もが頭に赤い鉢巻きをしており、手には文字が書かれた板……プラカードを持っている。プラカードには『人間の誇りを忘れたか!』だの『考えなしの家畜!』だの、過激な言葉が数多く並んでいた。
そして彼等の先頭に立つのは、若い女性だった。二十代後半ぐらいのようだが、顔付きは険しく、可愛らしさなどない。この時期には見合わない薄手であるが、気に留めた様子もなかった。かなりの気迫を感じさせる……頭がアフロヘアーになっていなければ、だが。
女性は拡声器を握り締め、口許近くに当てると大きな声で話し始めた。
【奴等は当然やってきて、私達の町を破壊した! 巨塔を落とし、円盤で襲来し、私達を攻撃した! 何故彼等を受け入れるのか!? 奴等は侵略者なのに!】
「そうだー!」
「侵略者に媚びる非国民が!」
女性の声に続き、後ろに控える人々が賛同するように過激な声を上げる。拡声器なしなのに、遠く離れた花中も微かに聞こえるぐらい威勢の良い叫び声だった。
【あまつさえこの商店街の人々は、奴等と利益関係にある! 奴等は侵略者に魂を売った! 最早人間じゃない! この町から出て行け!】
「出て行け!」
「出て行け!」
「出て行け!」
集団は少しずつ、確実に、興奮を強めていく。言葉遣いは過激になり、レッテルとしか言えない表現で商店街の人々を扱き下ろす。
「おやおや随分と喧しい人間ですねぇ」
「う、うん……」
「へぇ。コイツらこんなところにも出るのね。ああ、いや、此処だから出るのか」
フィアは人間達の闘争心を『喧しい』で片付け、花中はあまりの過激さに慄きながら頷く。ミリオンはフィアの掌の映像を見ながら、納得したように独りごちた。
彼女達の演説は、そこからまだまだ続く。女性は代表という訳ではないのか、拡声器は別の人に渡され、今度はその人 ― アフロヘアーの中年男性 ― が主張を始める。長々とした話だったが、要約すると「奴等は経済を掌握し、人類を支配しようとしている」というもの。典型的な陰謀論だった。思う存分言いたい事を言った彼は、今度は赤子を抱いた夫婦に拡声器を渡す。
そうして延々と述べられる彼女達の主張は一貫して、異星人こと幼女もどき達への嫌悪と、それを受け入れる人間への憎悪に満ちていた。
分かってしまえばなんて事はない。彼女達は『反異星人団体』であり、これは彼女達のデモ活動なのだ。
幼女もどき襲来から二十日が経ち、その存在についてどう思うかという意見はネット上でもよく見られるものとなっていた。そうした意見の中で異星人への反感を示した者達が集まり、団体として活動を始めたもの……それが反異星人団体である。呼び名の通り、異星人こと幼女もどき達を市民の力で追い出そうというのが彼等の基本的な主張だ。一つの纏まったグループではなく、思想や求める結果ごとに分かれているため、何百もの組織があるらしい。
彼女達が異星人を憎悪する理由は様々だ。人類以外の知性が認められない思想的過激派、高度な科学力への恐怖心、幼女もどき達によるいたずらの被害者……その理由に納得出来るかどうかも人それぞれだろうが、いたずら被害を受けた者については恐らく最も共感してもらえるだろう。幼女もどきとアフロヘアーの関係の周知が不十分だった数日間、容姿を理由に企業面接を断られた、営業など対人業務に支障が出てキャリアに傷が付いた、恋人に別れ話をされた……等の被害が生じていたからだ。
実際に話を聞くと一部「それだけが原因じゃないでしょ」と言いたくなるものもあったが、当人達が思い込めばそれが唯一無二の原因となる。彼等の中で自分達は『被害者』であり、幼女もどき達は悪魔の化身なのだ。
かくして異星人への憎悪を撒き散らす彼等だが、しかしここで一つ問題があった。
【ですから子供達の健康を守るためにも、異星人との接触は避けるべ、き……!】
力強く主張していた夫婦の夫が、急に言葉を詰まらせる。後ろに控えている集団も一瞬で顔を強張らせ、後退りした。そして全員が、一斉に視線を同じ方へと向ける。
自分達に歩み寄ってきた、一匹の幼女もどきへと。
幼女もどきは何も語らず、じっと彼等を見つめる。理不尽なテクノロジーを振るう素振りも見せていないし、言葉で威圧してくる事もない。
ただただ、自らを否定する者の顔を見つめるだけ。
【……わ……私が言いたいのは、両者は適切な距離を取るべきという事です。何も知らないうちに受け入れるのは、その、双方にとって不幸を招く。それは人類の歴史が教えてくれま、す】
夫婦の夫は、先程までの力強さは何処へやら。主張の根幹こそ揺らいでいないが、明らかに穏便な言葉を発するようになった。一言一言終える度に、ちらちらと幼女もどきの顔を見ている。
傍から見れば情けなさすら覚える変化だが、彼の仲間達は何も言わない。それどころか主張をオブラートに包んだ夫婦の夫を、不安そうに見つめるばかり。
幼女もどきは未だ夫の顔を見ている。何を考えているか分からない、つぶらで透き通った眼で、瞬き一つせずに。
【……で、では、我々の訴えは以上になります。皆様、懸命な判断をお願いします】
やがて夫の後ろに控えていた人混みの中から三十代ぐらいの男性が出てきて、持っていた拡声器を用いてデモの終了を宣言してしまう。あまりにも唐突な、恐らく土壇場で決めたであろう打ち切りに、一人の若い男性参加者が何やら叫んでいた。尤も周りの参加者に止められ、彼は数人掛かりで遠くに運ばれてしまうのだが。残りのデモ参加者は黙々と片付けを始める。
「む? 話はもう終わりですか? 最初は強気だったのに急に曖昧な言い方で……何が言いたかったのですか?」
なんとも尻窄みな終わり方の所為で、人間への理解がいまいちなフィアはすっかり混乱している様子だ。
花中はデモ隊の一員ではないので、彼等の本心は分からない。けれども花中と彼等は同じ人間なので、胸中を想像するぐらいは出来る。
「えっと、言いたい事は、宇宙人は出て行けー、だと思うよ」
「宇宙人? ああ円盤からやってきた奴等の事ですか。ならハッキリ言えば良いのに。丁度近くに一匹来ていましたし」
「えっと、来たから言えなかったというか……」
「?」
「……要するに、怖いの。あの人達、そこまで本気で、宇宙人と戦うつもりなんて、ないから」
ハッキリと、花中はフィアにそう説明する。
『
幼女もどきの科学力が、人類など足下に及ばない水準であるという点だ。直径十五キロの巨大建造物や光学迷彩、高高度から落ちても壊れない巨塔など、彼女達のテクノロジーは明らかに人類を圧倒している。今はただ浮遊し、いたずらする程度だが……その科学力で作られた兵器が、人間に理解出来る水準の筈がない。
もしもSF作品に出てくるような、地球そのものを消し飛ばすような兵器を持っていたなら? 本気で機嫌を損ねた結果、その兵器を使われたなら、人間に勝ち目なんてない。
こうした理由から表立って幼女もどきと敵対する団体というのは、実のところ殆どいなかった。主張も、基本的には幼女もどきが見ていない場所で行う。幼女もどきに見られていると、ああして解散してしまうものも珍しくない。
結局のところ彼等は、ぶつけられない怒りを『ちょっと関係していそうな人々』に向ける事で鬱憤を晴らしているだけなのだ。
「はぁそうなのですか。私にはよく分かりませんがまぁ人間って何時も本音を言いませんからそういうものかも知れませんね」
花中から説明されたものの、フィアは首を傾げながら、あまりピンと来ていない様子。フィアからすれば、嫌いな相手に何故嫌いと言わないのか、よく分からないのだろう。
花中としても、幼女もどき達が予想通りミュータントであるなら、デモ団体の心配は杞憂だと思う。彼女達が人間の支配を考えているとは思えない ― それを考えているならもっと『上手く』やるだろう。それが出来るだけの力と知恵はある筈なのだから ― し、
とはいえ、ではデモ団体の存在はなんの問題もないかといえば、決してそんな事はない。
人間というのは、野生生物ほど合理的にはなれないのだ。いや、むしろ下手に自分のやりたい事を『理性的』に我慢してしまう所為で、合理性から一層遠退く。
だからこそ、
「きゃああああっ!?」
商店街の中で、悲鳴が聞こえてくるのだ。
「ひっ!? 悲鳴……? ふぃ、フィアちゃん!」
「んぁ? あー見に行きたいのですか。花中さんも結構自分から首を突っ込むタイプの人間ですよねぇ」
呆れたような口振りでぼやくや、フィアは花中をお姫様抱っこの形で抱え上げる。花中がフィアの身体に抱き付いて振り下ろされないようにすると、フィアは颯爽と駆け出した。
勿論商店街の人混みは未だそこに存在している。しかしフィアのパワーならば掻き分ける事など造作もない。フィアは容赦なく一般人を突き飛ばしながら、悲鳴が聞こえた方へと進んでいく。
やがてざわざわとした喧噪が聞こえ始め、人混みが動きを止めている事に花中は気付いた――――丁度その時、フィアはついに人混みを抜けた。
「この宇宙人の奴隷共がァァァァッ!」
瞬間、花中の耳に獣染みた咆哮が届く。
「ひっ!?」
突然の大声に花中が怯え、フィアが不愉快そうな眼差しで前を見つめる。
人混みを抜けた先に居たのは、一人の男だった。見覚えのある顔だ……花中はそう思い、記憶を辿ってみる。答えはすぐに思い付けた。
先程デモを行っていた反異星人団体の一人だ。具体的に言えば、代表らしき人物が終わりを宣言した際に暴れ、仲間達に連れて行かれた若い男である。仲間を振りきり、此処に戻ってきたようだ……しかし何故?
疑問に思う花中だったが、若い男がぐるりと振り向くように自分の方を見てきたので、そんな『些末』な考えは吹っ飛んでしまった。
「テメェら、う、宇宙人と共謀して、俺達みんなを殺す気なんだろ!?」
加えて、ぶつけられた質問はあまりに意味不明。
花中の疑念は恐怖にすり替わり、恐怖は困惑に塗り潰されてしまった。
「……え、えと、きょ、共謀……?」
「経済活動のふりをして、宇宙人に資金提供してるんだ! それで、自分達だけが貴族階級になって、俺達みたいな何も知らない市民を奴隷にするつもりなんだ! そうだろう!?」
「……花中さん私この人間の言ってる事ががさっぱり理解出来ないのですが。殺されるのか奴隷にされるのかどっちなんですかね?」
フィアはキョトンとしたように首を傾げながら、花中に疑問をぶつけてくる。しかし花中にだって、彼が何を言いたいのかさっぱり分からない。
分かった事があるとすれば、この若い男性が陰謀論者……それも極度の疑心暗鬼に取り憑かれた、危険な『思想』を持っている事ぐらいだ。
彼に説得は通じない。自分の主張に賛同する者以外、否、賛同したとしても
そして『悪』を倒す事に、『正義』が躊躇う理由などない。
「そんな事はさせねぇ!」
男が懐から一本のナイフを取り出した時、男を囲う人混みと花中は悲鳴を上げた。
人混み達は一斉に男から離れる。花中はフィアに抱き付き、フィアはぼんやりとその場に立っていた。花中達は男の前に取り残される形となり、男は花中達に狙いを定める。
「死ねえええええっ!」
男は叫び、ナイフを構えたまま花中達の方へと走り出した。
「峰打ちっ!」
直後、彼の背後に現れた一匹の『黒猫』。
何処からともなく現れた黒猫は、男の首にチョップを一発。「きゃんっ」などと姿に似付かわしくない声を上げ、男はぱたりと倒れた。
あまりにも呆気ない倒され方。しかしそれも仕方ない。
目の前の黒猫は、本物の宇宙人よりも怖い生物なのだから。
「……あ、ミィさん。えと、ありがとうございます」
「やっほー。いやー、危なかった……って事はないだろうけど、面倒な事になってたねぇ」
花中が話し掛ければ、黒猫ことミィは明るく返事をした。
「おや野良猫ですか。何故黒猫の姿なのです?」
「人の姿でいるとあのちっぽけな宇宙人達が集まってくるから、ろくに昼寝も出来ないんだよ。だから猫の姿の方が色々楽なの」
「あなた元々猫でしょうが」
「それを言ったら、本当の姿はこんな小さくないし」
世間話を交わす二匹。彼女達の足下に倒れる男はピクピクと痙攣するだけで、跳ね起きて襲い掛かる気配もない……起きたところで、瞬殺されるだけだが。
人混み達も、男が動かなくなったと分かるや少しずつ集まり始めた。そろそろミィとの会話と聞かれてしまうかも知れない。
「……人が、集まってきました。この人は、他の人に任せて、わたし達は、此処から離れましょう」
「了解です」
「あ、ミィさん。えと、一緒に、来ませんか?」
「ん、良いよ。ああ、そうそう。どうせなら喫茶店寄りたいな。あたし最近コーヒーにはまってるんだー」
「……猫ってコーヒーを飲んでも良いのですか?」
「普通の猫なら死ぬけど、このあたしなら全然平気。体重五十トンはあるからコップ一杯なんて水滴みたいなもんだし。そもそもカフェインは胃で高熱分解してるからね」
「いよいよ持って化け物ですねぇ」
「アンタには言われたくないけどなぁ」
彼女達にとっては世間話をしながら、花中達は男を置いてこの場から去る。悪い事をしたとは花中も思っていないが、警察に通報し、自分達も事情聴取を受けるとなると少々面倒だ。出来るだけ早く立ち去りたい。
そうした想いから、花中は自分達が逃げる事ばかり考えていた……だから、花中は見落としてしまう。
事の顛末を、店の屋根から眺めていた幼女もどきの存在に。
節穴である彼女達の目に、確かな知性が宿っていた事など、知る由もなかった。
宇宙人が現れたら、絶対人間は内輪揉めすると思う。
一致団結しても勝てるか怪しい相手なのにねぇ。
次回は8/9(金)投稿予定です。