彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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孤独な猫達6

「なーるほどねぇ……ゲームセンターの機器を壊したと……そこに居る、猫ちゃんが」

「えと、その……あ、あくまで、悪気はなく、その、これは不慮の、事故、みたいなもので、つまり……はい」

 余程痛むのか、苦悶の表情を浮かべながら自身の頭を押さえる晴海に、花中はおどおどと言い訳をしてからこくんと頷いた。

 花中達が今居るのはゲームセンター脇の小道。建物と建物の間を通る道で、人通りや目が殆どない場所である。両側に建物があるので日射しは殆ど入ってこないが、空調の排熱のせいか、表通り以上にねっとりとした熱気に満ちている。長居すれば体調を崩してしまいそうだが……人に知られると不味い話をするにはうってつけの場所と言えよう。多少羽目を外しても目撃者は現れまい。

 だからって、まさか路上で正座をさせられるとは花中も思いもしなかったが。

 花中はアスファルトの上で正座をしていた。ジャリジャリとした小石が柔肌に突き刺さり、正直、かなり痛い。しゅんと項垂れてもいる。

 その花中の隣には、花中と同じく正座をさせられている猫少女が居る。こちらはバツが悪そうにそっぽを向いていて、足ももぞもぞと動かし落ち着かない様子。言葉にはしていないが、相当居心地が悪そうだ。

 ……ついでに言うと、晴海に首根っこを掴まれた状態で、加奈子もまた正座させられていた。へらへらとしていて、反省している様子が欠片もない。いっそ清々しいほどである。

 三者三様の態度。

 そんな三人が何故正座しているのかと言えば、ゲームセンターで起きたパンチングマシン破壊事件の顛末について話す際晴海に命じられたから。まだ『悪い事』をしたとは誰も言っていなかったが、花中の挙動不審ぶりと逃げようとした加奈子の態度から悟られてしまった。

 そしてたった今、全てを話し終えた。

 怒られる。間違いなく、絶対に。

「そ、その、わた、わたしの、監督不行き届きなばかり、に……」

 真っ先に謝ったのは、三人の中で一番肝っ玉が小さい花中。俯き、真摯に謝る。

 その謝罪に、晴海は少し困ったような表情を浮かべていた。

「んー、大桐さんについては怒ってないというか……大桐さん、あまり責任を感じ過ぎない方が良いと思うよ? 他人が悪いところも自分の責任にしちゃったら、本当は何がいけないのか分からなくなっちゃうし」

「で、で、で、でも、ね、猫さんに関しては、その、やっぱり……」

「……そうねぇ……」

 加奈子の首根っこを掴んでいた手を離し、晴海は猫少女の方へと歩み寄る。途端猫少女はますます落ち着きなく足をモジモジとし始めたが、逃げ出したりはせず、そのまま正座を続けていた。

 猫少女のすぐ傍までやってきた晴海は、その場にしゃがみ込んで猫少女と目線の高さを合わせた。威圧感がなくなり幾分緊張も解れたのか、猫少女はようやく晴海と面と向かい合う。表情は相変わらずバツが悪そうだが。

 猫少女と向き合っている晴海は、特別表情を歪めたりはせず、淡々と口を開く。

「ねぇ、何か言っておきたい事はある?」

「……別に。あたしは加奈子に唆されただけだし。あんな簡単に壊れるなんて、知らなかったもん」

「成程、知らなかったのね……それで?」

「んぁ? それでって、何?」

「他に言う事は?」

「特にないけど。あたしは悪くないんだから」

「そう……」

 猫少女の言い分を聞き、晴海は静かに目を閉じた

「ふんっ!」

 のも束の間、晴海は唐突に拳を振り上げ――――容赦なく、猫少女の脳天に振り下ろす! ゴンッ! と鈍器で殴ったような音がその拳の無慈悲さを物語っていた。

 間近でその光景を見ていた花中は、正座したまま僅かに飛び跳ねてしまうほど驚く。猫少女の身体能力を思えばあの程度の一撃、蚊に刺されたほどのダメージも与えていないだろう。晴海もその事は、パンチングマシンを拳一発で破壊したという話から推察出来ている筈。それどころか下手に機嫌を損ねたらどうなるかも……

 予想外の晴海の行動に戸惑うのは花中だけではない。猫少女も殴られた頭を両手で押さえつつ、苦悶も何もないキョトンとした顔で晴海を見つめている。

 そんな猫少女に晴海は、今度は力強く指を向けた。そしてそのまま、凛とした声で告げる。

「何があたしは悪くない、よ! 自分が壊したのに悪くない訳がないでしょうがっ! 壊したらごめんなさい、それぐらい分からないの!?」

「だ、だって、あんな簡単に――――」

「アンタがどれぐらい強いかは知らないけど、人間が自分より弱いって事ぐらい知ってんでしょ!? だったら人間に合わせなさいよ!」

「に、人間だって猫に合わせた事なんてないでしょ!? だったら」

「言い訳しない! ここは人間の世界なんだから人間のルールに従いなさい! 猫だろうがなんだろうが関係ないわ!」

「――――っ! こ、この……!」

 最初は戸惑うだけだった猫少女の顔に、唐突に憤怒が滲み出す。

 何がそんなに気に障ったのかは分からないが、その怒りが晴海の方を向いている事は間違いない。晴海はただの人間だ。フィアやミリオンですら手に余る怪力を、一パーセントでも受け止められる訳がない。頭に血が昇っている今、ちょっと手を払うだけで悲劇なんて甘い言葉では済まない惨事が起こりかねない。

 しかし晴海はどれだけ鋭い眼差しで射抜かれようと寸分も怯まず、堂々と仁王立ちしたままその細い指先を猫少女に向けて、

「あたしはね、アンタを猫じゃなくて人間として扱うつもりなんだから!」

 真っ直ぐに、そう告げてみせた。

「な……え……な、何を、言って……」

 あまりにも真っ直ぐに言い放たれた『間違い』に、猫少女が動揺している。花中もまた、隣で聞いていて呆気に取られていた。

 だって、猫少女は、猫なのだから。

「そりゃ猫には猫の事情があるだろうし、アンタにはアンタなりの事情があるのかも知れない。けど、少なくともこの町には人間の暮らしがある。人間にだって人間の都合があんの。勿論ただの猫にこんな事は言わないけど、アンタは人間の言葉を話すし、人間と同じぐらい頭も良いじゃない。だったら人間のルールだって理解出来るでしょ」

「そ、そんな事言われても、あたし、猫だし……」

「都合の良い時だけ猫ぶらないで。良い? アンタはゲームセンターにある物で、人間と同じ使い方と目的で遊んでいたの。だけどゲームセンターにある物は全部人間用で、猫用じゃない。だったらアンタは誰に合わせないといけないのかしら?」

「に、人間、です……」

「人間に合わせるんだったら、物を壊したらどうするのが正しいの?」

「謝るのが正しい、です……ごめんなさい」

 晴海の勢いに飲まれ、猫少女の返事はすっかりしおらしいものに。望み通りの答えに満足したのか、晴美は強張っていた表情に笑みが戻る。

「うん、分かったなら今度は気を付けて遊んでね。あとごめんね、いきなり叩いたりして。痛くなかった?」

 そしてそう言いながら頭を撫でるものだから、猫少女はいきなりの優しさに戸惑いを見せていた。

 晴海は、猫少女に偏見など持っていないのだろう。

 猫だから仕方ないと諦めない、猫だからこんなものかと思わない。猫でも人と同じだけの知能があるのなら、それは人として扱う。人間として人間のルールを、誠意を持って伝える……それが晴海の考え方なのだ。思えば昨日教室で、晴海はフィア達を部外者(人間)扱いしていた。ルールに従えとは言っていたが、人間以外が学校に入ってくるなとは言っていない。お化けだと誤解していた時は怖がっていたが、そうでないと分かってからは面と向かって文句を言っている。彼女達には旧校舎を破壊するほどの力があると、分かっているにも関わらず。

 種族の違いや持っている力の差など、晴海にはどうでも良いのだろう。話が出来て、それなりに意思の疎通が出来るのなら対等であり、『人間』である……きっと、そういう考えなのだ。

 でも――――

「もー、晴ちゃんは真面目だなぁ」

 そう考えていたら、ふと聞こえてきたのは気の抜けた声。

 それが何時の間にやら正座を崩し、胡坐を掻いていた加奈子の声だと分かるや否や、晴海は駆け出してその無防備なおでこに水平チョップをお見舞いした。大きく仰け反り、加奈子はそのまま大袈裟に倒れる。花中でも嘘臭く感じる挙動、晴海が手心を加えてくれる事はなかった。

「あだだだ……酷いよ晴ちゃん」

「酷いも何もないわよっ! アンタが学校サボってゲーセンに寄らなきゃこんな事にはなってないっつーの!」

「いやー、そんな結果論を持ち出されても困るよー……それに、ルールを守れって言うけど、だったら私含めて無罪放免じゃないのかなぁ」

「はぁ!? 何を言って――――」

「だって、猫ちゃんは猫なんだよ? 晴ちゃんの考えとは関係なしに」

 おっとりとした加奈子のその言葉で、晴海は喉まで登っていた筈のものを飲み込んだ。

「私、頭そんなに良くないから間違ってるかもだけど、動物がした事って、普通法律で罰したりしないよね? だって動物は人間のルールなんて分かんないんだし」

「う、そりゃ……そうよ。でも猫ちゃんは人間の言葉が分かるから」

「だから、『動物は人間のルールじゃ罰せない』よね? 頭の良し悪しとか言葉が分かるからなんて理由で逮捕するかどうか決めるなんて、私、聞いた事もないんだけど」

 加奈子の反論に、いよいよ晴海は言葉を失ってしまう。何かを言おうと口をパクパクさせていたが、空回りしているだけで吐息の音しか出ていない。加奈子の言い分の意味が分からないのか、猫少女に至ってはポカンとしている有様だ。

 ただ一人花中だけが、確かにそうだと納得する。

 加奈子の言い分は正論だ。基本的に法律やルールというものは人間のために制定されており、守る義務を負うのは人間だけ。例えばペットに関する規定を破った場合、ペナルティを追うのは基本的にペットではなくその所有者……つまり人間である。動物や植物、細菌類がどれだけ人に損害を加えようと、法やルールでは裁けないのだ。尤も、代わりに憲法による生存権なども認められていないので、裁判抜きに駆除や保健所送りという手段が取れるのだが。

 そして法律的に、人間とは『生物学的』に区分される。仮に知能や形態の程度で分けた場合、解釈次第で障害者や異文化人などを人間扱いしない事も出来てしまうからだ。最悪政府が邪魔な個人を非人間と認定し、合理的に殺害する事も可能になる。人間の定義は生物学的分け方以外にやりようがない。

 つまり猫少女は猫であるが故に、何をしても責任を負う必要がない。人間として扱う、だから人間のルールに従ってほしいという晴海の言い分は、『人間のルール』に乗っ取れば間違いとなるのだ。

「そして私はあの子の飼い主ではないので、猫ちゃんが何かやらかしたところでその責任を負う必要もないのだ! どやっ!」

 ……答弁の目的が自身の責任回避でなかったなら晴海を言い負かせただろうに、実に勿体ない話である。

「お ま え はぁぁぁぁ……なんで巻き込まれた側の大桐さんがあんなに思い詰めて、アンタは何時までもへらへらしてんのよっ! ちょっとは責任感じなさいこの自由人!」

「ふははははっ! 私の自由は何人も犯せな、あだだだだだだだだだ! ごめんなさい調子に乗りましたぁーっ!?」

 自由を手にしようとする加奈子に、晴海はその顔面を掴んで握り潰さんばかりに力を込める。秩序に重きを置く自身と真っ向対立する意見だけに、晴海の暴力には容赦がない……ゲームセンターの前で一悶着やっていた時は仲が良いと思っていたが、本当はこの二人、仲が悪いのではないだろうか? しかし学校ではよく一緒に居るところを見ているのだが……

 よく分からない関係に、花中はちょっと混乱気味。とはいえ、やっぱりケンカは良くないと思うのが大桐花中という少女な訳で。

「あ、あの、二人とも、おち、落ち着いて、ください……」

 なんとか双方落ち着かせようと正座したまま声を掛けたのだが、それが不味かった。

「もう! 大桐さんはどっちの味方な訳!?」

 声を掛けたばかりに、晴海にこうして、どちらの意見に賛成なのかと問い詰められてしまったのだから。

「ふぇ? ……ふぅえぇえぇええっ!? み、味方って、わ、わた、わたしは……」

 答えを用意しておらず、右往左往する花中。どちらの意見にもそれなりに賛同しているので、どちらが正しいか間違っているかなど答えようがない。打算的に考えれば晴海が怖いのでそちらに賛同するのが吉だろうが、意見を求められているのに、そんな不誠実な態度をする訳にはいかない。

 ――――そもそも意見を聞くべき相手は自分じゃないだろうに。

 その考えの元、花中は逃げるように――――ちらりと、猫少女を見遣る。

 そしてそこで猫少女と目が合ってしまい、ハッと息を飲んだ。

 ……こちらを見つめる猫少女の目に、戸惑いの色はない。誰かを非難するでもなく、期待しているようでもなく、縦割れの瞳孔でこちらを真っ直ぐ射抜くのみ。

 言うならそれは、純粋な好奇の眼差し。剥き出しとなった衝動のようだと、花中には思えた。

「……………」

 動悸の激しい胸に手を当て、花中は静かに、何度か深呼吸をする。少しずつ整える呼吸と鼓動、そして頭の回転。

 別に、なんという事はない。猫少女が何を期待していようと、加奈子と晴美がどんな答えを求めていようと考慮の必要はない。晴海からの質問は「あなたはどう思うか」――――だったら己の考えを打ち明ければそれで良いだけだ。

「……わたしは、猫さんの意見を聞いた方が、良いと、思います」

 そうして花中が言葉にした答えは、ある種放任主義的なものだった。

「え、でもそれは……」

「あの、た、立花さんに、反対って訳じゃ、ないです、けど……でも、自分が、何か、は、自分で決めたいと、いうか……猫さんの意見を、訊かずに、人間とか、猫とか、わたし達が決めて良い事じゃ、ないと、思うのです」

 人間である事は、確かに素晴らしい事だろう。自己とは何かを問い、未来に想いを馳せ、他者に無償の愛を与える事が出来る生き物は、きっと人間の他にはいない。花中も生まれ変わるなら、出来れば人間に生まれ変わりたい。

 けれども猫には猫の考え方が、猫の素晴らしさがある筈。

 人間の生き方が素晴らしいと、尊いと説くのは構わない。だけど人間の素晴らしさを他の生物に押し付けるのは、人間が一番優れていると傲慢に振る舞うのと変わらないのではないか。あなたはなんだとこちらから決めるのは、人間に全ての決定権があると思い上がるのと同じではないのか。

 自分がなんなのか、どんな生き方をするのか。

 その答えはきっと、『生き物』によって違う。秩序に縛られる代わりに安寧を得る人間と、無秩序の危機に晒されつつも孤高に生きる猫……どちらの生き方を望むかは、自分で決めた方が良い。

 だって、誰かに自分を決め付けられる人生ほど、息苦しい世界なんてきっとないのだから。

 それが花中の考えだった。

「猫さんは……猫でいたい、ですか? それとも、人間に、なりたい、ですか?」

 花中の問い掛けに、猫少女は僅かに顔を俯かせる。それは悩んでいるようで、だけど、ちょっと驚いているようでもあって。

「……あたしは、猫でいたいな。人間じゃなくて、猫が良い」

 少し間を開けて告げられた答えは、一寸の迷いもなかったように花中には聞こえた。

「そういう事、なら、今回の責任は、わたしにあると、思います。猫さんが、凄い力を持っているのを、わたしは知って、いたのです、から」

 猫少女の言葉を受け取った花中は、晴海にそう伝える。晴海は自らの頭を指先でポリポリと掻き、表情は当惑しきったもの。どう答えたものかと悩んでもいるようで、唸るような声も漏らしている。

 やがて、晴海は諦めたようにため息一つ。

「……分かった。猫ちゃんと大桐さんがそう言うなら、そういう事にするわ」

「やった! これで私は無罪放免」

「んな訳ないだろがぁーっ!」

「ぎぃうえぇえええぇえええええっ!?」

 余計な事を言わなければ良いのに、言ってしまった加奈子は晴海の脳天ぐりぐり攻撃を受ける。余程痛いのか、悲鳴に普段のおっとり風味は残っていない。

 やっぱり二人ってあまり仲良くないんじゃ……小心者の花中としては気が気じゃない。苦笑いを浮かべつつ、宥めるタイミングを窺う。

「ああ此処に居ましたか花中さん」

 そうこうしていたところ、ふと表通りの方からやたら早口な声が。振り向けば、建物の影から頭だけを出してこちらを覗き込むフィアと、そのフィアの後ろから手を振って自身の存在をアピールしているミリオンが居た。

「あ、ふ、二人とも……えと、どうしたの? ゲームは、もう良いの?」

「いえまだまだ遊び足りないのですが実はちょっと花中さんにご相談したい事がありまして。ところでアレは一体何があったのですか?」

 そう言ってフィアが指差したのは、未だ悶えている加奈子と未だ(なぶ)っている晴海。確かに一部始終見ていなければ、何がどうなったのかなど分かるまい。説明しようと思えば出来る事だが、最初から最後まで話すのは中々骨が折れそうである。

「……まぁ、色々、あって」

「はぁ。色々あったのですか。大変でしたね」

「いや、それで納得するんかい」

 適当に答えたところ、すんなり納得したフィアにミリオンがツッコミを入れる事となった。ミリオンには後で話を聞かれるかも知れないので、予め話し方は考えておこうと花中は頭の中にメモしておく。

 勿論、先程フィアがさらっと投げてきた言葉の『ボール』を返すのが最優先ではあるが。

「あ。そういえば、相談って、何かあったの?」

「おおっとそうですそうです。実はこれなんですが」

 花中が尋ねると、フィアは思い出したように手をポンっと叩く。それから胸元に自らの手をブスリと突き刺し、中から何かを引き摺り出した。

 スプラッターな仕草の筈なのに最近は何も感じない。慣れって怖いなぁ、と思いながら花中はフィアの手を覗き込む。

 そこにあったのは、一丁の拳銃だった。

「……………」

 何度見ても、一丁の拳銃だった。目をパチクリさせ、ごしごしと擦っても、拳銃が消える事はなかった。

「えっと……これ……何?」

「ゲームセンターに入ってすぐに私とミリオンが向かったゲームの事は覚えていますか?」

「あ、うん。お化けを退治するやつ、だよね?」

「ええそれです。一通りゲームをやり終えたのでそいつをもう一回やっていたのですがねその時コントローラーをうっかり引き千切ってしまったのです」

「はぁ……………はぁ?」

「ですからねうっかり引き千切ってしまったんですけどどうしましょう?」

 困ったように首を傾げながらフィアが指差すのは、自身が持っている玩具の拳銃、の底部分。

 ぶらんと垂れ下がったコードの切っ先は、正に引き千切ったとしか言えない状態になっていた。内部の赤と青の線が、更にその中身である銅線までもが剥き出し。断面は広がっており、力で無理やり引っ張ったのが窺い知れる。

 どう考えても修復不可能。弁償事案である。

「って、なんで千切っちゃってるのおおおおおおお!?」

「いやー興奮していたらついうっかり」

「ごめんねー。私もそこそこ夢中になってて気付かなかったわ。てへっ♪」

 つい。うっかり。

 責任感皆無なそんな言葉で答えるフィアに、悪びれた様子はない。花中はガックリと正座状態から崩れ落ちてしまう。ああ、そうだ。いくら力が強くとも抑える意思を持っていた猫少女より、抑えようという意識が希薄なフィアの方が遥かにトラブルメーカーではないか。

 項垂れる花中を前にしても、「これからどうしたら良いですかね?」とフィアは相変わらず呑気な様子。弁償だとか自分の正体が人間にばれる恐れとか、何も考えていない。自由気儘、野生動物の本性そのものだ。

 いや、それはフィアの性格の話であり、どうこう言う話ではない。

 問題はこれからどうするか、どうすべきか。

 ……考える事自体を先送りしたいのだが、生憎花中は先程『答え』を出してしまっている。

「……あの、フィアちゃん。ミリオンさん……ひとつ、質問したいの、だけど」

「はいなんでしょうか」

「え? 私にも? まぁ、別に良いけど、何?」

「フィアちゃんは、その、人間と魚、どっちの生き方が、したい? ミリオンさんは、人間と、ウィルス、どういう生き方を、したい?」

 花中が問い掛けると、フィアとミリオンは目をパチクリさせながら同時に首を傾げる。

「質問の意味がよく分かりませんがどうして好き好んで人間のような束縛の多い生き方をする必要があるのです? 発明品や制度は利用させていただきますけど生き方まで人間流に縛られるのはごめんですね。私はあくまでフナですので」

「どういうも何もウィルス以外の生き方なんて出来ないと思うんだけど。あの人もありのままの君が好きだって言ってくれたし……きゃっ! 思い出したら恥ずかしい~っ♪」

 そして二人は、さも当然と言わんばかりにそう答えた。

 自分の利益のためなら他者の損失など気にしない。都合の悪いルールでも従うような協調性なんて持たない。利用出来るものがあるのなら厚顔無恥に利用する……野生動物らしい、実に『正しい』選択だ。

 そんな二匹を野放しにしていた責任は誰にあるか? 今さっき言ってしまった手前、言い繕おうとする意思すら湧かない。

「ですよねー……あは、あははは……………これもわたしの責任かぁ。手持ちで足りるかなぁ」

「ちょ、は、晴ちゃんもうホント無理です!? ギブ! ギーブッ!? 大桐さん助けてぇーっ!?」

 背後から聞えてくる加奈子の救援要請を、大空へ飛び立とうとする意識を掴むのに必死な花中が受信する事はなかった。

 

 

 

「はふぁ……なんか、疲れたぁ~……」

 とぼとぼとした足取りで歩きながら、猫より猫背になっている花中はそうぼやいた。

 時刻は夕方の六時を過ぎた。七月も間近に迫り陽は高くなっているが、流石にここまで遅くなると辺りは暗くなる。街灯に照らされながら疲労を隠さず歩く花中の姿は、些か年頃の女子高生らしくなかった。

 何故ここまで疲労し、また帰りが遅くなったかと言えば、ゲームセンターに対し謝罪をしていたからだ。

 具体的に言えば、フィアが壊してしまったコントローラーについて花中が頭を下げていたのである。パンチングマシンについては猫少女の超絶パワーが世間に露呈してしまうので心苦しいながらも隠蔽する事になったが、コントローラーぐらいならフィアの能力が疑われる心配はないだろうと謝罪と説明を決断。足を滑らせた拍子に千切れてしまったと店長さんに話し、弁償もすると伝えた。

 幸いだったのは話を聞いた店長がその説明に疑問もなく納得してくれた事、そして、特に損害賠償を求められずに放免してくれた事である。予想外の展開に花中が理由を尋ねたところ、店長曰く「機材を壊しても逃げる人が多い中、君はちゃんと申し出てくれた。君のように正直者が馬鹿を見てはいけない」とかなんとか。『正直者』どころかむしろ噓しか吐いていないので、花中としては心が滅多刺しにされたように痛んだが。

 尤も、これで済んだら帰りが遅くなる筈もない。実際はその後書類やら話やら形式的な注意やらがあり、色々やっているうちにここまで帰りが遅くなったのである。騙していなければ、気分はもう少しマシな状態だっただろう。

「あーあうっかりでしたねぇ……あそこでコントローラーを壊さなければ大逆転出来た筈なのにチャンスを棒に振ってしまうとは」

「いやいや、さかなちゃん。その展望は甘くない? 私とダブルスコア差ついてたでしょ? ラストステージだったでしょ?」

「ラスボスが残っていたじゃないですか。ラストなんですからどどーんと点が入る筈です。ボーナスとかもありますし勝てた筈です!」

「うわー、ここまで壮絶な皮算用見た事ないわー」

 疲れ果てている花中に対し、花中の前を歩いているフィアとミリオンは元気にゲームセンターでの出来事を話し合っていた。なんやかんや無関係であるミリオンは兎も角、フィアは物損事件の真の当事者なのだが、まるで反省の色がない。確かにフィアは野生動物で、野生動物が器物破損の重大さを理解するのは難しいだろう。それは分かっているのだが、こうもケロッとしていると色々黒い感情が沸き立つのが人というものである。

 それでもあまりうじうじと悩まずにいられるのは猫少女のお陰かも知れない、と花中は思っていた。

 ただし励まされているからではなく、自分より色んな意味で『低調』っぽいからなのだが。

 ちらりと花中が後ろを振り向けば、そこに猫少女が居る。

 しかし今の猫少女には、何時もの凛とした、猫らしい孤高さが感じられなかった。では明確に沈んでいるかと言えばそうでもない。頭は俯いているというほど俯いてはいないし、表情は落ち込んでいるというほど暗くもない。背筋は伸びていないが丸まってもいないし、足取りも弾んではいないが花中達から遅れるほど重くもない。

 なんというか、『しょんぼり』している。雨の日の日曜日ぐらいな感じに。

 晴海の説教を受けた後から、急に元気がなくなったような気がする。怒られたのだから落ち込むのは()()()()()普通な気もするが、しかし加奈子の指摘や花中の意見もあって、いくらかフォローはされていた筈。こうも長く尾を引くとは、ちょっと考えにくい。

 どうしたのだろう。何か、気になる事でもあったのかな?

 だけどそれを訊いて良いものなのか……考え込みそうになった花中だったが、すぐに首を横に振る。

 どうにも自分は考え込んだまま、結局何もしないところがある。幼い頃からの悪癖で、これまで直したくても直せなかったが……今日は加奈子の行動から一つ学んだ。

 衝動のまま行動しても案外悪い結果にならないものだ、と。

 猫少女が自分の名前を呼んでくれるようになった。猫少女の熱中しやすい性格が分かった。加奈子ともっと仲良くなれた。ゲームセンターが意外に楽しい場所だと分かった……全て加奈子が、深い考えもなしに学校をサボったから得られたものだ。

 臆病者は失敗を恐れる。しかし成功の前例があるのなら、人間は勇気を持てる。

「あの、猫さん」

 加奈子が教えてくれた勇気を持って、花中は猫少女に話し掛けた。

「ん、何?」

 顔を上げた猫少女は普通に応えてくれた。こちらをまっすぐ見据え、笑顔は明るく、背筋も自然と伸びている。あまりにも普通な、隠し事などないと言わんばかりの態度に花中は言葉を詰まらせてしまう。

 だけど話し掛けてしまった以上今更後には退けない。花中は息を吸い、吐いて、また吸って……キョトンとする猫少女に向け、喉奥で止まっていた言葉を吐き出した。

「あ、あの……何か、ありましたか? えと、その、具体的には、悩み、みたいな……」

「? 悩みと言われても、特にないけど……ああ、もしかしてあたし、暗くなってた?」

「は、はい……その、何時も、よりは」

「そっか。でも別に悩んでいた訳じゃないよ。ただ、ちょっと考えてて」

「考え事、ですか?」

「うん、大切な考え事」

 そう答えると、猫少女の表情がまた変わる。悲壮さはない。だけど眼差しに真摯な感情が宿り、射抜かれた花中は、気持ちが澄んでいくような感覚を覚えた。

「……花中は、人間の中では変ってる方なの?」

「え? えと……多分、そうだと思います。十五年も、友達が居なかったの、なんて、珍しいと、思います、し……」

「じゃあ加奈子は? 晴海は?」

「うーんっと……」

 不意に始まった質問攻めに花中も戸惑う。尤も、それも最初だけだった。

 答える事は簡単だ。晴海は『他の人』より真面目で、例えパンチングマシンを粉々に粉砕する相手だろうと向かい合うほどに規律を大事にする。加奈子は……正直よく分からない。ふわふわと自由で、掴みどころがない。フィア並に身勝手なところもあるが、しかしフィアのように好戦的ではなく、むしろ誰に対しても友好的。普通の人はあそこまで自由かつ身勝手かつ平和的ではないだろう。

 つまりは二人とも、人間の中では『変わっている』方と言えるかも知れない。

 だけど、きっと猫少女が求めている答えはそうじゃない。

「……本当は、もう、答えを決めているんじゃ、ないですか?」

 だから花中は、そう訊き返した。

「……あたしね、人間を見にきたの」

 顔を少し俯かせた猫少女の答えは、花中の問いとすぐには結び付かない。

 それでも花中はじっと猫少女を見つめ、その話に耳を傾ける。

「人間は悪い奴だって聞いてた。あたし達猫の事をおもちゃぐらいにしか思っていない。可愛いと言ってご飯をくれたのに、フンをするな、うちに入るな、夜に鳴くな……そして最後は邪魔ってだけで殺そうとする。自分達は何をやってもいいと思っている。そういう自分勝手で、残酷な種族だって」

「……否定は、しません。そういう人が居るのは、事実ですから」

「うん。そういう人間はたくさんいた。『猫殺し』なんかがその一人」

 でも――――そう言った猫少女は俯かせていた顔を上げる。

「そうじゃない人間も、たくさんいたっ!」

 そして太陽のように眩しく、力強く笑ってみせてくれた。

「加奈子はアホだったけど、あたしと友達になろうとしてくれた。晴海は嫌な人間っぽかったけど、でもあたしの事を仲間だと認めてくれて、間違いを指摘されたらちゃんと受け入れる真面目な奴だった。そして花中は……」

「わたしは?」

「臆病で、卑屈で、結構ワガママ。それでいて優柔不断で、しかも偽善者っぽい」

「ぴっ!?」

 ダメ出しの連続に、花中は悲鳴染みた声を上げてしまう。しかもどれも自覚している部分だけに ― 尤も、身に覚えのないところだったとしても筋金入りの『臆病』なので ― 否定出来ず、ぶわっと込み上がった涙が目に溜まってしまう。

「だけどあたしと対等に接してくれた。あたしの気持ちを分かろうとしてくれた。あたしは、人間の中じゃアンタが二番目に好きだなっ」

 猫少女がそう言ってくれなかったら、きっとその涙は溢れていただろう。代わりにどん底から一気に持ち上げられた事への嬉し恥ずかしで、今度は顔が真っ赤になってしまったが。

「そ、そんな事は……それを言ったら、立花さんだって、平等だし……」

「平等だけど、アイツはやっぱり人間が中心で、人間の考えに従わせたがっている。それは、まぁ、あたしもやるから良いというか、悪いとは言えないけど……でも、花中は違う。アンタはあたし達のとこまできて、分かってもらおうとする。従わせるんじゃなくて、納得してもらおうとしている。それは自分と相手が本当に対等だと思ってないと出来ない事だよ」

「……そう、でしょうか。その、話をするのです、から、相手の意見を聞くのは、普通、かと……」

「その普通が出来るのが、花中の良いところなの。だから――――」

 不意に、猫少女は足を止めた。

 花中も一緒になって立ち止る。前を進んでいたフィアとミリオンも花中達の足音が止んだのに気付いてか立ち止り、こちらへと振り向く。

 視線が集まる中、猫少女は花中を真っ直ぐ見据える。もう表情は笑顔ではない。凛として、落ち着いていて……なんだか今にも泣いてしまいそうで。

「だから花中に、頼みたい事がある」

 そんな『ヒト』からのお願いを断る『勇気』など、花中は持ち合わせていなかった。

「……わたしに、出来る事、なら」

 励ますように、花中は出来る限りの笑顔で答える。それで少しでも、目の前の子の気持ちを軽く出来たらと祈る。

 ――――しかし、猫少女の表情は変わらない。いや、そればかりか険しさを増していた。

「説得してほしい猫がいる。その猫はあたしにとって大切な猫で、だけど、今その猫は大変な事をしようとしている」

「猫さん以外の、猫? 大変な、事って……?」

「人間が悪い奴ばかりだったらそれでも良かった。でも、あたしは良い人間も知っていて、だからちゃんと知りたかった……本当に、人間は悪い奴ばかりなのかを」

「……」

「やっぱりあたしが感じていた事は正しかった。悪い奴も居たけど、良い奴も居た。どっちが多いかは分かんないけど、人間はたくさん居る。なのに一纏めにするなんて、絶対おかしい。纏めて全部悪者にするなんて、優しい人間にまで復讐するなんて、やっぱりおかしい」

「……え……?」

 復讐――――単なる相談には似つかわしくない、鉛の如く重い言葉が花中の心に圧し掛かる。

 決して軽い気持ちで相談に乗った訳ではない。困ったら投げ出そうなんて思いもしていない。けれども今の言葉は、猫少女の『相談』は花中の想像を超えて重過ぎる。

「あ、あの、ちょ、ちょっと待って……」

「もう時間がない。このままだと始まっちゃう、このままだと大変な事になる!」

 ほんの少し、本当にちょっとだけで良いから気持ちを整理する時間が欲しい花中だったが、猫少女は切羽詰まった様子で、こちらの話を全く聞いてくれない。いや、聞こえていないのかも知れない。

 猫少女はいきなり花中の肩を掴むや近くの塀まで追い詰め、花中の逃げ道を塞ぐ。肩を掴む手にはギリギリとした痛みを感じるほど力を入っており、振り払う事も出来そうにない。向けてくる顔は鬼気迫るもので、花中は少なからず恐怖を覚えてしまう。

「早く止めないと、たくさんの人が――――」

 そして悲痛な声で何かを叫ぼうとし、

「おい、何をしている?」

 その叫びは何処からか聞こえてきた、この小さな声に遮られて止まった。

 ぶわっと、猫少女の全身から油のように粘った汗が噴き出す。花中に何かを伝えようとしていた筈の口は喘ぐようにパクパクと動くだけで、乾いた息の音しか出していない。未だ離さず掴んでいる手は、まるでアルコール依存症の患者の如く小刻みに震えていた。

 一体何があったのか。

 訳が分からずどぎまぎする花中だったが、ふと猫少女の視線が自分に向いていない事に気付く。その眼球は、小刻みに震えるだけで動かない……いや、きっと動けなくなったのであろう猫少女の身体を補助するように視界の端ギリギリまで寄せられていた。

 花中は無意識にその視線を追って自身の横、塀に追い詰める前までは進行方向だった道へと振り向いた。

 ―――― 一体、何時から居たのだろう。

 外見の年齢は二十代後半ぐらい。屈強な肉体を持った男が、そこには立っていた。面長ながら端正な顔は所謂美形に属していたが、狩猟者を彷彿とする鋭い眼光や、壮年の力強さを感じさせる表情筋の強張り方にアイドルのような軟弱さは欠片もない。胸元の高さまで伸びている黒髪も女性的な柔らかさなど微塵も感じられず、むしろ触れば自分の指の方が傷付けられてしまいそうな刺々しさがある。

 そして百八十センチ以上ありそうな体躯は同年代の男性より少し幅広なぐらいだが、全身からビリビリと発している威圧感で、その身体に乗せた筋肉が見た目通りの重さではないと察せられる……ここまで一目で分かるのも彼が獣の毛で覆われている股の部分以外ほぼ裸だったからなのだが、羞恥を覚えるよりも肉体的存在感に気圧されてしまう。人の裸ではなく野生の獣を見ているようで、『些末』な感情がまるで湧いてこない。

 この人、人間じゃない。

 直感的に花中の脳裏を過ぎったのは、そんな一文。しかしそれを声にするよりも早くフィアとミリオンは花中と男の間に入り、花中の姿を男から隠すように陣取った。二人とも花中と同様のものを感じ、且つ危機感も覚えたらしい。

 そんな少女達の反応を目の当たりにした男は、やれやれと言わんばかりに首を横に振る。

「全く、ここまで警戒をせずとも……」

「失せなさい。でなければ殺しますよ」

「言わなくても分かるでしょうけど、躊躇してもらえるなんて思わない方が身のためよ」

 脅迫染みた警告をするフィアとミリオンだが、男は自らの髪を掻き上げるとおどけるように肩を竦めた。警告をまともに取り合っていないらしく、しかし視線はずっとフィア達を捕捉し続けている。姿勢にも崩れがなく、動こうと思えばすぐにでも動ける体勢のようだ。

 恐らく、あの男も気付いている……フィア達が人間ではない事に。

 しばらく男はフィア達と対峙し続けたが、やがて疲れたようにため息を一つ。それから穏やかな笑みを浮かべると視線だけを動かし――――猫少女を見る。目が合った猫少女は花中から手を離すと怯えるように後退り。

 それでも男は猫少女を見つめる事を止めず、こう切り出したのだった。

「さて……『妹』よ。一体こんなところで何をしていたのか、俺に教えてくれないか?」




諸事情で投稿が遅くなってしまいました。まことに申し訳ありません。

次回は8/6投稿予定です。

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