彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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大桐玲奈の襲来6

 母も父も仕事の内容についてあまり詳しく教えてくれた事はなかったと、花中は今になって思い返した。

 自身の専門が何かについては教えてくれたが、逆に言えばそれぐらいしか知らない。あまり研究内容を外に漏らしてはいけない、仕事場との契約(約束)だからごめんね……そう言われ、困らせてはいけないと思って訊けなかった。高校生になってからも、きっと同じ研究をしているライバルに先を越されないよう等の事情があるのだと考え、あまり気にしていなかった。

 それも今日までの話。

 銃を持った連中が自宅を襲撃し、組織にスパイを送り込み、そこまでして得たい標本……その持ち主である母がただの研究者であると信じ込めるほど、高校生になった花中は純真ではないのだから。

 尤も、そのための勇気を即座に持てるかは別問題な訳で。

「じゃあハッキリ訊けば良いのに何故物陰に隠れて盗み聞きなどしてるのです?」

 フィアが尋ねてくるように、花中は物陰――――和室とリビングを区切る襖の隙間から、和室側を覗き込むのが精いっぱいだった。

 しぃーっ! と口の前で指を一本立てながら花中がフィアに沈黙を促せば、フィアは疑問で眉を顰めつつも押し黙る。花中は再びこっそりと、襖の隙間から和室を覗き込んだ。

 和室の中心には、リビング側に背を向けた母・玲奈の姿がある。

「はい……ええ、そうです。部隊は……駄目です、三日では遅過ぎます。アレの繁殖速度を鑑みれば、人の手に負えるのは精々二十四時間以内……………無理は承知しています。その上での申し出です」

 玲奈は片手に持った通信機器 ― スマホではない。トランシーバーのようなものだ ― を使い、何処かに話し掛けていた。口調は真面目で重々しく、普段の雑さは何処にもない……足下に置かれた書類が乱雑に散っているのを除けば。そんな些末ないい加減さが見えなければ、玲奈の後ろ姿に、花中は『母らしさ』を見出せなかった。

「はい、お願いします。責任についても、あなたに押し付けるつもりはありません。ですから……ええ、お願いします」

 最後に弱々しく言葉を吐きながら、玲奈は通信機を耳から離した。電源ボタンらしきものを押し、小さなため息を吐く。

 次いでくるりと、襖から覗いている花中の方へと振り返った。

 いきなり振り向かれ、ビックリした花中はぴょんっと無意識に跳ねた……のも束の間、玲奈が猛然と花中目掛けて走ってくる。唐突にして想定外な母の行動を目の当たりにし、花中の身体は硬直。微動だに出来なくなる。

 当然回避行動など取れず、花中は玲奈の跳び込んで(突進)からの抱擁(組み付き)を受けてしまう。

「花中ぁ! どうしようぅ~! ママ、お仕事で責任取らされるかもぉ!?」

「ま、ママ……苦しい……で、でも、責任って……」

「うん、上司が言ってた……半年ぐらい減俸されるかもって。あと始末書」

「あ、うん。それぐらいなら別に」

 予想以上に大した罰ではなく、正直花中は拍子抜けした。スパイを助手にしていた挙句大切な標本を奪われるという失態に対し、減俸半年と始末書なら安いものではないか。

 とはいえ本当にこの処分が妥当であるかは、花中には分からない。

 母の、本当の仕事内容が分からないのだから。

「ママ。あの……訊いても良い? なんで、夢路さんはスパイなんかを? それに、あの標本はなんなの?」

「それは……」

「ちなみに教えてくれない場合、私がこの男達からしっかり聞き出すからそのつもりで」

 花中からの問いに口ごもる玲奈だったが、その言い淀みを戒めるような声が話に割り込む。

 リビングの奥に立つ、ミリオンだった。彼女の傍には今、黒い靄のようなもの ― ミリオンの『別働隊』だ ― で拘束された六人の男達……ほんの数十分前、大桐家を襲来した者達が居る。

 栄の仲間達だ。ミリオンに聞き出すと言われて男達の一人――――栄を人質に取る『演技』をし、その後左手を失った男がミリオンを睨み付ける。

「……簡単に話すと思うか?」

「思わないから尋問するつもり。私なら、あなた達の身体を死なない程度に痛め付ける事なんて造作もないわ。そうねぇ、まずは右目の視力から奪っちゃおうかしら。それとも胃腸を引っ掻き回す? 内臓痛は辛いわよぉ」

「なんとも面倒な事をしますね。喋らない奴から殺していけばそのうち誰かが吐くんじゃないですか?」

「その方法じゃ、知ってる奴を殺しちゃうかも知れないでしょ。みすみす手放すのは勿体ないわ」

「話さないなら知ってても知らなくても同じじゃないですか。大体私としてはコイツらが何者とかあまり興味ないですし」

 ミリオンが告げたおぞましい尋問方法に、フィアが別のやり方を提案する。現実的にはミリオンの言う通りあっさり殺すのはデメリットが大きいのだが……淡々と交わされる言葉から、彼女達が殺人や拷問になんの抵抗もない事は男達にもしかと伝わった筈だ。

 加えてフィア達の力が如何に強大であるかを、彼等は自らの身を以て体感している。

 脅しではない。自分達が生きているのは、彼女達の気紛れに過ぎないのだ……そんな恐ろしい事実に気付いてしまったのだろう。男達の何人かは顔を青くし、ガタガタと震え始めた。冷や汗を流し、ガチガチと顎を鳴らす。

「わ、分かった! 話す! 話すから助けてくれ!」

 ついに心がへし折れたのか、一人が半泣きで叫んでしまう。

 誰もがゾッとした事だろう。一人が脅しに屈したなら、最早他の者達……自分の沈黙はなんの意味もない。むしろ利用価値のない役立たずであり、維持コストを考えれば『処分』した方が得なぐらいだ。

 こうなると、後は「自分も生かしておけば得だ」と自己アピールをするしか生き残る術はない。

「お、俺も話す! 話すから!」

「お願いだ! 助けてくれぇ!」

 男達の殆どがミリオンに懇願するのに、数十秒も掛からなかった。「さかなちゃんナーイス♪」と褒めるミリオンだったが、何時でも素であるフィアはキョトンとしている。

 かくして襲撃者達は事情を話してくれる事となった。彼等が全てを知っているかは分からないが、概要ぐらいは理解していると期待しても良いだろう。

 そして彼等が話してしまう事で、玲奈の沈黙も価値を失う。

「……分かってる。今更誤魔化さないって、私の部屋でも言ったでしょ? ちゃんと全部話すわ」

 改めて覚悟を決めるように、玲奈は花中に告げる。

 花中は無言で頷くと、自ら玲奈の抱擁を抜け出し、母が立つ和室側へと足を踏み入れるのだった。

 ……………

 ………

 …

 この世界には、人智を超えた生物が無数にひしめいている。

 そうした生物は『怪物』と呼ばれた。現在までに確認されただけで、種数は六百以上。今も毎年一~二種ほど新種が発見されている。個体数は数十~数千前後と少数であるが、いずれも最新鋭の兵器を易々と打ち砕き、社会のみならず文明すらも粉砕する力や生態を有する。彼等が食物としている生物達も、戦車ぐらいならひっくり返したりする驚異的な力を有す存在だ。

 怪物の存在は各国政府や『秘密結社』の力により隠蔽されている。しかしもしも彼等がなんらかの理由で表に出てくれば、人の世は混乱に陥り、自壊する事もあるだろう。戦うにしても相手の方が実力は上。まず勝ち目はない。

 かといって水爆などで生息地を完膚なきまでに破壊し、怪物達を根絶やしにすれば良いかと言えば、それもまた違う。彼等は生態系の一員だ。もしも彼等の存在により()()()()()()()、繁殖が抑えられている恐ろしい怪物がいたなら……それらの大増殖は人類にとって最悪の脅威となる。そもそも水爆の直撃すら一切通用しない可能性がある種も、少数ながら確認されている始末。

 必要なのは理解。

 この星にはどんな怪物達がいるのか、どんな生態を有し、自然界でどのような役割を果たしているのか。どうすれば彼等を封じ込められるのか、何をしなければ彼等に見逃してもらえるのか――――全てを知る事こそが、人類を存続させる鍵となる。研究を行い、相手を理解せねばならない。

 『ミネルヴァのフクロウ』はこのような経緯から発足・運営される、国際連合直属の()()()()だ。

「ママとパパはそこで怪物の研究者をしているんだけど……」

 そうした話をした後に玲奈は少しおどおどした様子を見せながら、結論としてこの一文を添える。

 自宅の和室にて、花中は玲奈と正座をした状態で向き合いながらここまでの話を聞いた。傍にはフィアも居たが、あまり興味がないのだろう。フィアはぼんやりと退屈そうにしているだけ。きっと殆ど話を聞いていない。

 無論花中は玲奈の話をしっかりと聞いていた。これまで様々な『裏の組織』と関わってきたが、まさか身内までその一員とは思いもよらず、強い驚きが胸の中を満たす。

 反面、ショックや嫌悪感は殆ど覚えなかった。

 裏の組織、といっても国連直属だ。一般人に怪物の存在を隠す事の是非は兎も角、胡散臭いものではない。それにやっている事も『野生生物』の生態研究であり、とても大事なお仕事である。きっと母や父の研究結果は、多くの人々の生活を守ってきたに違いない。どうして嫌悪を抱くというのか。むしろ誇らしいぐらいだ。

「そうなんだ……凄いお仕事してたんだね」

「う、うん。ごめんなさい、今まで話せなくて……」

「気にしないで。そういう事なら、話せなくて当然だと思うし……それに、ちょっとカッコいいと思うもん」

 申し訳なさそうにする玲奈に、花中はにっこりと笑みを返す。自分の正直な気持ちに従った、自然な笑み。

 娘の気持ちをしっかりと読み取った母は、強張らせていた表情を安堵したように緩めた。母親の笑顔が見れて、娘である花中も大満足である。

 ――――さて。家庭の問題は解決したが、これで全てが済んだ訳ではない。

 栄に盗まれた標本。あれが一体どんなものであり、何故盗まれたのか、夢路栄とは何者なのか……それを花中は知りたかった。勿論『秘密組織』の一員である玲奈がぺらぺらと喋ってくれるとは考え難いが、訊かなければ何も分からない。それにもしも ― 十中八九そうだと思うが ― あまり触れてほしくない事なら、好奇心から調べ回るのも母に迷惑を掛けてしまうだろう。

「でも、なんで夢路さんは標本を盗んだの? あの標本はなんなの?」

 訊くだけならタダだと、花中は玲奈に率直に尋ねてみた

「アレはとある国で発見された、ある種の『怪物』の天敵よ」

 ところ、玲奈はあまりにもあっさりと教えてくれた。

 知りたかった事を教えてもらえて、花中としては当然嬉しい……が、無理だと思っていた事が覆された驚きの方が大きい。しばしポカンと、口を半開きにした間抜け面を浮かべてしまう。

 そんな顔をしていると、玲奈はぷくっと頬を膨らませた。

「ちょっと花中? そんなに驚かなくても良いじゃない」

「へ? あ、ご、ごめんなさい。本当に教えてくれるとは思わなくて……」

「これでもママですから。一度話すと決めたからには、娘が訊きたい事にはちゃーんと答えます。それに、もしかすると……」

「もしかすると……?」

「……なんでもないわ」

 玲奈はそう言うと、口を閉ざす。まるで、その先は何があっても言うまいと決意するかの如く。

 母が何を考えているかは分からない。しかし言いたくない事なら、無理に訊き出したくもない。大体、何を隠しているのかさっぱり分からない。

 なら、それよりも教えてくれる事を訊いた方が良いだろう。

「分かった。なら、その天敵がどんな生き物か、訊いても良い?」

「ええ、良いわ」

 花中が改めて尋ねると、玲奈は淀みない口振りで話し始めた。

 その昆虫が発見されたのは今から十年前、ユーラシア大陸に存在するとある湿地帯での事。

 その湿地帯には、体高五メートルにもなる鯨偶蹄目(ウシの仲間)の怪物が生息していた。怪物の皮膚は分厚く、戦車砲でも貫けないほど頑強。対して怪物の足は、一撃で戦車を踏み潰すほど強力。核兵器による攻撃も恐らく効果は限定的とされ、十年前はおろか、現代でも手の付けられない生命体である。

 そんな怪物に寄生する、小さなハチがいた。

 彼等は怪物に卵を産み付けて寄生し、その身を自らの支配下に置く。そして少しずつその身を喰らい、中で増殖し……最後は何もかと食い尽くして溢れ出す。典型的な、捕食寄生を行うハチである。

「うちにあったのは、その寄生蜂の標本よ。趣味用のやつね」

「……趣味で標本、確保してて良いの?」

「ええ、大丈夫よ。研究所にパラタイプ標本は置いてあるし、ハチ自体もあの湿地帯ならいくらでも採取出来るぐらい生息数は多かったから……まぁ、踏み入るためには自走する食虫植物とか、自動車ぐらいの大きさがある甲虫とか、金属を好んで食べるアリとかを切り抜けないといけないけど」

「それは簡単な事じゃないと思うんだけど……」

「花中は他の怪物の事を知らないから、そう思うのも無理ないわ。でもこれぐらいはまだ初心者向けよ?」

 初心者ではなく修羅向けでは……とも思わずツッコみたくなる口を、花中はぐっと閉ざす。生物というものが人類の手に負えるものでない事は、これまで散々突き付けられてきた。思い返せば、成程、()()()()なら初心者向けと言えなくもない。『ミネルヴァのフクロウ』がどれほどの実力を有するかは不明だが、花中がこれまで接触した数々の組織なら……この寄生蜂に関して言えば、多少の犠牲さえ覚悟すれば採取可能な種であろう。

 しかし疑問がある。

「えと、貴重なのは分かったけど、じゃあ、なんで夢路さん達はそのハチの標本を欲しがったの?」

 ここまでの話だけでは、ハチの標本に学術的な価値以外見出せなかったからだ。

 勿論栄の身体がどろりと溶けた事は今も忘れていない。もしもあれがハチの仕業だとすれば、何かしらの利用価値があるとは思う……が、断定するのは早計だ。栄が持っていたのは、あくまでハチの標本に過ぎないのだから。もしかするとあの時披露した技は、何か特殊な体質に由来する可能性も否定は出来ない。

 ……花中の勘は、そのハチの仕業だとしきりに訴えていたが。そんな花中の『確信』を肯定するように、玲奈は二本の指を立てた。

「考えられる理由は二つ。一つは、標本の『蘇生』が期待出来るようになったから」

「蘇生……? えっと、復活するって事?」

「そう。花中の町で起きたでしょ、不死身のイノシシ騒動。あのイノシシは実のところ何度も死んでいたけど、その度に蘇生していたの。つまり一度死んだ個体、標本でも生き返る可能性が出てきた訳」

 玲奈の語る説明で、花中の心臓が大きく跳ねる。

 今でも勿論忘れていない。何百もの人々の命を奪い、大切な友人さえも犠牲になるところだった事件。あの事件により、生命の死とは絶対的なものではない事が明らかとなった。

 ならば、確かに標本が蘇生してもおかしくはない。どのような利用価値があるかは分からないが、生物の特性を利用するのなら生きたサンプルは必要不可欠だ。標本に価値がないとは言わないが、生体の方が研究上は遙かに有益だろう。

「で、でも、生きたサンプルが欲しいのなら、生息地に採集に行けば良いんじゃないの?」

「ところがそうもいかないわ。あのハチの生息地は、さっき言った怪物以外にも危険な生物がうじゃうじゃいるの。うちの組織が開拓した独自ルート以外からじゃ、まず侵入出来ない。だから今まで他の組織には生体サンプルが採れなかった。でも……」

「……ただの市街地に、生き返るかも知れないサンプルがある」

「その通り」

 花中の言葉を、玲奈は肯定する。

 標本の価値が大きく上がり、そして『正規の方法』よりも簡単に手に入る……栄達が行動を起こした理由は分かった。

 とはいえそれでも、武装集団を雇って『国連職員』の自宅を襲撃するというのは生半可な行いではない。職員が襲撃されたのなら、組織はキッチリやり返すだろう。やられっぱなしとは『無抵抗』を意味し、次の襲撃を誘発しかねないのだから。そして玲奈が属す組織は国連直属のもの……報復に出てくるとしたら国連軍か。半端な気持ちでケンカを売れる相手じゃない。

 なら、あのハチはその報復さえも些末に思えるメリットがある筈。

 国際連合(多数の国家)を敵に回してでも、例え復活があくまで可能性に過ぎなくても……その巨大なデメリットに勝るメリットとは、なんだというのか。

 疑問が一層深まる花中に、玲奈は一旦止めていた説明を再開した。その疑問の答えだと言わんばかりに。

「そして襲撃を決意させたと思われるもう一つの理由は、あのハチに寄生されると強力な力を得られるから」

「強力な力?」

「実はあのハチが寄生する怪物には、もう一種類天敵が存在するの。体長三メートルにもなる、巨大なオオカミ。戦闘能力に優れ、戦車でも敵わない草食性怪物を一撃で倒すぐらい強い」

「……なんか、怪物というより怪獣みたいな気がするんだけど」

「強さ的にはそっちの方がしっくり来るかも知れないわね。でもまぁ、細菌とか植物とか虫とかもいるから、『獣』だと語弊があるのよ……話が逸れたわね。兎に角草食性怪物にはハチ以外にも天敵がいる訳だけど、これが寄生蜂にとって不都合なのは分かる?」

「うん、それは大丈夫」

 玲奈に確認され、花中は迷いなくそう答える。

 難しい話ではない。要するにそのオオカミと寄生蜂は、獲物を奪い合う関係なのだ。しかも寄生蜂からすれば、オオカミは自分の『住処』すらも破壊する存在。ハチからしてもオオカミは天敵と呼べるだろう。ハチの立場からすれば、さぞや鬱陶しい輩に違いない。

「なら、寄生蜂がオオカミに対しなんらかの対策を編み出す事も、不自然じゃないと思わないかしら?」

 ただしこの問い掛けには、思わず息を飲んでしまったが。

 寄生者が宿主に何かしらの影響を与える事は、自然界において珍しいものではない。例えばカマキリなどに寄生するハリガネムシは、産卵場所である水中へと戻るため、宿主の脳を狂わせて水の中に跳び込ませるという。他にも繁殖にエネルギーを割かれるのを防ぐため去勢してしまう、本来越冬出来ない個体を越冬させるなど……行動を支配するだけでなく、生理的・生態的な変化を与える種も存在する。

 寄生虫とはただ食事と寝床を貪るだけの、だらしない生き物なんかではない。彼等も厳しい自然界を生き抜くために必死なのである。

 宿主の都合などお構いなしに。

「この寄生蜂に寄生された草食性怪物は、極めて高い身体能力を得る。それこそ、天敵であるオオカミを確実に返り討ちにするほどの、ね」

「天敵を返り討ち……もしかして、夢路さん達は……」

「この身体能力増強に目を付けたのかもね。うちの組織でも、それを利用するための研究はあったわ。身体能力が高くなれば、これまで危険過ぎて入り込めなかった場所の調査も進めやすくなるし」

 玲奈の話に、花中は頷きながら納得する。同時に、その試みが失敗したであろう事も察した。何しろ母は「研究は()()()」と過去形で語っているのだ。何かしらの問題が生じたに違いない。

「なら、何が問題だったの?」

 花中は問う。

 玲奈は一瞬だけ口を閉ざし、神妙な面持ちと共に答える。

「……身体機能向上をもたらす成分に、重篤な副作用が存在したのよ」

「副作用?」

「細胞の結合性と、免疫系の自他認識機能を低下させる事」

「……えっと……?」

 母の言い回しがよく分からず、花中はキョトンとしてしまう。細胞の結合が低下するというのは、栄がどろりと溶けてみせた事か? 免疫の自他認識の低下は、抵抗力の低下ぐらいしか連想出来ない。

 確かに重大な副作用である。しかし花中は自分の考えに違和感を抱く。これだけなら、使用者の健康を害するだけでしかない。勿論良いものではないが、『裏切り者』が勝手に使う分にはさして問題ない事の筈だ。

 なのに、どうしてなのだろう。

 母が、まるでその事を恐れているかのように震えているのは。

「……結合が弛んだ細胞は液体のように振る舞い、他生物の細胞へと浸食する。他種なら、生理作用の違いによる拒絶反応で侵食した細胞はやがて自壊するわ。でも同種の場合、生理作用に大きな違いがないから自壊は起こらない。しかも免疫機能が低下しているから、拒絶反応も生じない。そして結合を弛めた成分があるから、取り付いた細胞の結合も弛む。そうなると両者は、なんの問題もなく混ざり合う」

 玲奈は語る。最初は玲奈の言いたい事ががよく分からず、花中は考え込んでしまったが……やがてその真意に気付く。

 故に花中もまた震えた。

 馬鹿な、あり得ない……否定の言葉が脳裏を過ぎるが、言葉として出てこない。自分の母は何時もだらしなくて、適当な嘘を吐いた事もあるし、約束を破った事も一度や二度ではない。けれども本当に大事な事を誤魔化した事は一度もない。だからそう言ったのなら、それは事実に他ならないのだ。

 例えそれがどんなに非常識で、おぞましいものであったとしても。

「簡単に言うと、同種の生物を『吸収』出来るようになるの……成長し、寄生者がたくさん繁殖出来るようにするために」

 玲奈が告げた『恐怖』を、花中は否定する事が出来なかった――――

 

 

 

 午後十時を回った頃、市街地から外れた場所にある雑木林の側に、無数の車が停まった。

 車は白の大きなワゴン車。ドアが開くと、一見して警察の機動隊のような姿をした面子が車の中からぞろぞろと出てくる。数はざっと五十人。ヘルメットからは生身の顔が見え、彼等がロボットではなく人間だと教えてくれた。

 車から出てきた人間達は大きく分けて銃を持つ者とライオットシールドを持つ者の二つであり、銃を持つ者の方がシールド持ちよりも倍近く多い。物々しい武装集団である。彼等は誰の指示もなく自ら隊列を形成し、シールド持ちが前列、銃持ちが後方に位置した。そうして隊列を整えると、彼等はぴたりと動かなくなる。

 ……時間にして約五分。無言のまま隊列を維持していた彼等の中から、後方に佇んでいた一人が前へと歩き出す。

 その一人の視線の先には、市街地から隊列が待つ雑木林の方へとやってくる人影があった。隊列から出てきた者はヘルメットを取り、老いながらも気迫を感じさせる男の顔を外気に晒す。男はその場でしばし立ち、やってくる影を待った。

「夢路、遅かったじゃないか。予定よりも五分ズレている」

 そしてヘルメットを取った男 ― 部隊を率いているように見えるため『部隊長』と呼ぶとしよう ― は、影に呼び掛ける。

 影は、栄だった。彼女は今、女物の服を着ていた。煌びやかで露出が多い、夜をイメージさせるデザイン。眼鏡もしておらず、如何にも『風俗嬢』のようである。純朴な顔立ちの栄には些か似合わない格好に、部隊長は僅かに眉を顰めた。

 尤も、栄は部隊長の態度など目に入っていないかのように平然としていたが。にこにこと、心底嬉しそうに笑うばかり。あまりにも楽しそうな笑みを目の当たりにし、これまで微動だにしなかった隊列が微かに揺らめいた。

「ごめんなさい。ちょっとトラブルがあったのと、仲間を集めていまして」

「仲間……? それについては追々確認しよう。例の物は?」

「手許にはありません」

「……何?」

「端的に言いましょう。作戦は失敗しました、が、目標は作戦行動中に蘇生。私に卵を産み付けてきました」

 栄の説明に、隊列を作る集団に小さなざわめきが起こった。ただしそのざわめきは部隊長が小さな一歩を踏み出しただけで止まる。

 部隊長は栄を睨むような、鋭い眼差しで見つめてきた。されど栄は笑みを崩さず、堂々とその視線を受け止める。

「……卵の回収は出来るか」

「卵や幼虫は無理かも知れません。でも、成分の分離は可能でしょう。身体能力の向上は起きていますから、きっと全身に巡っている筈です」

「分かった。すぐに車に乗り込め。研究所に戻る」

 部隊長は撤収を言葉にし、隊員達もただちに動き出した。ガチャガチャと装備の擦れる音が辺りに鳴り響く。

「ああ、その必要はありません」

 その大きな音を静めたのは、ただ一言。

 栄が零した、ほんの小さな一言だった。

「……どういう事だ?」

「私は、経験しました。特異生命体がどれほど恐ろしいかを。アレは、強化兵士を百人二百人集めたところでどうこうなる相手ではありません。次元が違う」

「なんの話だ? 戦力的な劣勢を覆すのが目的でないのは最初から」

「ですが、私は一つの妙案を閃きました。この身に撃ち込まれた卵によって」

 部隊長の言葉を栄は遮る。案があると言われた部隊長、そして彼が率いる隊員達は栄の方を見た。

 が、隊員達の多くが身を強張らせた。部隊長もまた身動ぎした。

 栄は笑っていた。

 まるで飢えたケダモノが獲物を見付けて歓喜するような笑みを、同種である人間達に向けていたのだ。自然と息を飲むような音が聞こえ、後退りする足音が聞こえてくる。

 それでも誰一人として逃げ出さないあたり、この場にいる者達全員が気高い戦士なのだろう。そして戦士であるが故に察したに違いない。

 今の栄が、自分達の知る栄とは『別物』だと。

「……是非とも聞かせてもらおう。もっと良い手があるならそれに越した事はない」

 部隊長は警戒心を露わにし、栄から三メートルほど離れるように後退りしながら訊き返した。

 栄はにっこりと微笑み、彼の要望に応える。

「簡単な話です。大勢の力を束にしても勝てないなら、一人に纏め上げれば良い」

「……? 意味が分からないが……」

「つまりですね」

 栄は前置きをするや、軽く腕を振るう。

 本当に、ただそれだけの動作だった。

 そもそも彼女は人間である。『仲間』である彼等はそれを知っていた。

 だからこそ想像出来なかったに違いない。

 栄の腕が三メートルもの長さをするすると伸び――――部隊長の頭に触れるや、どろりと解けて癒着するなんて。

「……は……ぇ? な、は、ぐぎぎ……!?」

「た、隊長!?」

 隊員の一人が部隊長を呼ぶが、彼は困惑と苦しみに満ちた声を漏らすばかり。

「あなたと私が一つになる。一個の生命体となる……そうすれば()()は力を完全に合わせられるでしょう? 全ての人間の力を合わせて、最強の人間を作り上げるのですよ」

 その声も栄の濁りきった、喜びに満ちた声が塗り潰す。

 次の瞬間、部隊長の身体が栄の手に吸い込まれた。

 文字通り吸い込まれ、部隊長はその姿を消した。彼の痕跡を示すのは、彼が立っていた場所に残された装備だけ。

 唖然としたように立ち尽くす隊員達。栄は彼等の方へと振り返ると、粘ついた笑みを浮かべる。

「あなた達も、私と共に生きましょう?」

 そして語る言葉が、彼女の狙いをハッキリと明かした。

「う、撃て! 隊長の仇討ちだ!」

 部隊の中の誰か ― 恐らくは副隊長 ― が指示を出すや、隊員達は素早く陣形を立て直す。シールドを持った者が前へと出て壁となり、彼等の影に隠れるようにして銃を持った者が位置取りする。

 準備を終えるや、彼等は栄目掛けて銃撃を始めた。

 栄の背後には市街地があったが、しかし彼等の技術は的確で、撃ち込んだ弾丸のほぼ全てが栄に集中していた。栄も殆ど動かなかったため、弾丸は見事栄に命中する。

 銃口から放たれたのは、長さ五センチ近い弾丸。一発で人を撃ち殺せるそれは栄の肉に食い込み、抉り飛ばそうとする。しかし栄の肉体は微動だにしない。血肉が飛び散るどころか、むしろ弾丸の方が凹んで落ちる始末。

「怖がる必要はありません。これは偉大な行い、種の存続のための『結託』なのですから」

 栄はゆっくと手を伸ばし、隊員達へと伸ばした。

 繰り広げられる暴虐。

 シールドは正面から叩き潰し、構えていた人間を取り込む。腕は何十発もの銃弾を撃ち込まれても怯みもせず、のたうち、纏めて隊員達を蹴散らした。無論、倒した隊員は一人残らず取り込む。逃げようとする隊員も、命乞いする隊員も、跳弾が当たって瀕死の隊員も……誰一人として逃がさない。

「ひいいいいいいっ!? 嫌だ、嫌だ嫌だ、あ、あがががごぼぼぼぼ」

 最後の一人も取り込み、栄は満足げなげっぷを一つ。ぺろりと舌舐めずりをして、愉悦に染まった笑みを浮かべた。

 だが、すぐにその顔は暗く、憂いに満ちたものへと変わる。

「まだ、足りない。こんなものでは、奴等には敵わない。もっと、もっとたくさんの人と『協力』しないと……もっと、もっともっともっと」

 ぶつぶつと栄は呟く。声を濁らせ、感情を撒き散らす。背中が蠢き、何かの『顔』のようなものが浮かび上がり、再び身体の中へと染み込むように戻る。

 それからゆっくりと、歩き出す。

 夜の闇が満たす中、煌々と光り輝く歓楽街。

 夜が更けようと、大勢の人々が行き交う街並みを目指して……




標本が生き返る……絶滅危惧種の復活が期待出来ますね。
なお、復活した生物は危険極まりない模様。

次回は7/20(土)投稿予定です。

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