彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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孤独な猫達5

 花中が連れてこられたのは、地元のとある鉄道駅周辺だった。

 この町には他にも二つ鉄道駅があるのだが、路線が複数あり、かつ急行が通過せずに止まってくれる駅は此処しかない。そのため利用客は他の駅よりも多く、平日の午前十時を過ぎた今も、たくさんの人々が行き交っていた。

 そして人が多ければ、商いをしようと考える者が現れるのは必然。一帯にはレストランや本屋、ショッピングモールといったレジャー施設が数多く建ち並んでいた。行き交う人々は大半が私服姿で、買い物や食事を楽しもうとしているのが窺い知れる。年頃も大学生ぐらいの人やお爺さんお婆さん、主婦らしき女性といった、平日に余暇を楽しめそうな面々が大半だ。

 その中を制服姿で闊歩する女子高生四人とワンピース姿の少女一人の計五人組というのは、一体どれだけ目立つのだろう。

 どれぐらい、悪い事をしているのだろう。

「ほら、こっちこっちー!」

「ぅ、うぅぅ……」

 それが気になってしまう花中は、両腕を派手に振って自分達を先導しようとする加奈子と違い、身体を限界まで縮こまらせていた。視線はあっちにキョロキョロ、こっちにキョロキョロ。少し大きな声が聞こえる度に飛び跳ねるぐらいビクつき、そうでなくとも凍えるかのように身体が震えてしまう。守るように自分で自分を抱きしめ、歩みはすり足が基本。ネズミでももう少し落ち着きがあるぐらい挙動不審だ。

 しかしながらそんな花中を、加奈子もミリオンも猫少女も気遣ってはくれない。ミリオンは加奈子と世間話をしていて、猫少女は行き交う人々を真剣そうに観察するばかり。花中の方は見向きもしていない。

「花中さん大丈夫ですか? 気分とか悪くなっていません?」

 心配そうに声を掛けてくれたのはフィアだけだった。

 声を掛けてくれただけで嬉しくて堪らず、張り詰めていた緊張の糸がぷっつりと切れてしまう。花中は跳び込むようにフィアにしがみついた。それがますます人目を集めるとしても、お構いなしである。

「だ、大丈夫……でも、うううぅ……やっぱり学校は……」

「ああまだ学校をサボる事を気にしていたのですが。かれこれ二時間ほど暇を潰していたのでもう心の切り替えは済んだと思っていたのですけどね」

 フィアはしがみついた花中を突き放す事もなく、優しく頭を撫でてくれる。お陰で不安な気持ちを幾分拭えたが、しかしすっきり晴れる事はない。逸れた母親と出会った迷子のように、フィアにしがみついたままだ。

 加奈子に脅され、ゲームセンターに行く事となった花中。

 加奈子曰く開店時間が十時との事なので二時間ほど暇を ― 具体的にはお喋りなどで ― 潰していたが、花中の「学校をサボるのはいけない事だ」という考えは変わらず。未だ、罪悪感に悶えていた。一応欠席する旨は学校に連絡しているので無断欠席ではないが、ずる休みに変わりはない。十時を過ぎ、今更遅刻の事実はひっくり返せないが、それでもウジウジと悩んでしまうのが大桐花中という人間の性分なのである。

「うーん私にはよく分からないのですけど学校って勉強する場所ですよね? だったら今日の分は家でやれば良いのではないでしょうか。そもそも花中さんは日頃から自主的に予習している訳ですから一日二日休んだところで他の人よりも遅れるという事はないと思うのですけど」

「それは、そう、かも、だけど……」

 フィアの意見に、花中は反論の弁もない。実際家では毎日予習と復習をしている花中にとって、一日休んだところで勉強が遅れるものではない。むしろ数日休んでも平気なぐらい、自分で勉強を進めてしまっている。これで欠席日数が多ければ話は別だが、今学期ではまだ一回目の欠席だ。二週間前の『無断早退』を含めても、進級に問題はない筈である。

 しかしそれでも、やっぱり学校にはちゃんと通いたい。

「大桐さん、どったのー?」

 ついには思い悩むあまり立ち止ってしまい、加奈子に声を掛けられてしまった。ハッとなった時にはもう遅く、花中は慌ててフィアから離れ、茹でダコのように赤く染まった顔を俯かせる。

 尤も加奈子はそんな花中の顔を堂々と覗き込んでくるので、俯く事すらままならなくなってしまうのだが。

「どしたの? お腹痛いの?」

「なんでも学校をサボってしまった事を未だ気に病んでいるようです」

「ありゃ、そうなの? 大桐さんは真面目だなぁ」

 羞恥で頭が塗り潰され、言葉が出てこなかった花中を代弁するようにフィアがそう伝えると、加奈子はなんとも真剣みのない反応をし、それから考え込むように腕を組んで空を仰ぐ。

 と、ややあってからポンッと手を叩き、加奈子は不意に花中の肩を力強く掴んできた。突然の、それもかなり強めの力に驚いた花中が思わず顔を上げれば、真っ直ぐこちらを見つめている加奈子と目が合ってしまう。込み上がるバツの悪さと恥ずかしさで逃げたくなる花中だったが、肩を掴まれているので逃げられない。あっちこっちに目を逸らしても、こちらを見つめてくる顔が視界の端にチラチラと映り……やがて根負けして、オドオドしながら花中は加奈子と目を合わせる。

 すると加奈子は犬のように愛らしく、純朴な笑顔を花中に見せた。

「ほら、折角遊びに来たのになんで暗い顔してんの? 笑って笑ってー」

「で、でも、み、みんなが、ちゃんと勉強、し、してる時に、遊ぶ、なんて……」

「でももへちまもないよぅ。それにさ大桐さん、よく考えて。私達はなんのためにサボったの?」

「それ、は、えと……小田さんが、みんなと話したいから……?」

「うーん、二十九点」

「へぅっ!?」

 赤点な点数を言われ、花中はおろおろと戸惑う。

 そんな花中の頭を加奈子は優しく撫で、

「正解は、みんなの話を聞いて仲良くなる事、だよ♪」

 ニカッと、今までで一番眩く、朗らかな笑みを見せてくれた。

「みんなと、仲良く……?」

「別にね、みんなが人間じゃなかったとか、私としてはどーでも良いの。私はただ、みんなと仲良くなりたい。だから話を聞きたいし、遊びに来たの」

「……………」

「勿論大桐さんの言いたい事は分かるよ。でもさ、過ぎた事は考えても仕方ないと思わない? 大事なのはこれからでしょ」

「これから……ですか」

「そう、これから。過去を振り返るのが悪いとは言わないけど、振り返ってばかりじゃ、『これから』が見えないよ?」

 加奈子の言葉で花中はハッとなる。

 確かに後悔するのは簡単だ。その場で立ち止まり、しゃがみ込んでいれば良い……しかし、それでは決して前に進めない。崩れてしまった橋を延々と眺め、無為に時間を浪費するだけ。もしかすると、急げば渡れたかも知れない『橋』が崩れるところまで見る事になるかも知れない。そうなったらもう本当に、何処にも行けなくなってしまう。

 後悔は何時でも出来る。だけどそれは、立ち止まりながらする必要なんてない。

 今は前を向こう。そして、やりたい事をやろう。

 もしかしたら、それは今しか出来ない事なのだから。

「……分かりまし、た……わたし、一生懸命、サボりを、楽しみます! そんで、みんなと、小田さんと、もっと仲良しになります!」

「おう! その意気だよー」

 花中は力強く拳を握り締めながら、覚悟を言葉にした。花中を応援するように、加奈子はパチパチと拍手をしてくれる。

「ちょろいですね」

「ちょろいわね」

「ちょろいなぁ」

「?」

 そして何故かフィア達動物三人衆が妙に温かな眼差しを送ってきたので、最後の最後で花中は締まりなく首を傾げてしまった。なんでだろう? と考えようとするも、それより早く加奈子が手を掴んで引っ張る。

「さ、こっちこっち!」

 戸惑う花中の気持ちを吹き飛ばすぐらい元気よく言い、加奈子は力強く歩き出した。花中は引っ張られるがまま加奈子の後を追い、フィア達は花中の後ろをテクテクとついていく。

 人混みの中を加奈子は迷いない足取りで前に前にと進んでいく。向かうは駅近くの、様々なお店が並ぶ一角。服屋やアクセサリー店などの煌びやかなお店を横目に歩き続け……加奈子が立ち止まったのは、その煌びやかな中で一際強い電光を放つお店の前だった。

 店先に出ているクレーンゲームに、自動ドア越しに見える大きな機械の数々。そして漏れ聞こえる楽しげな音楽が、周りの店とは明らかに異なる存在感を演出している。

 「ここだよー」と言う加奈子に連れられて進めば、開いた自動ドアから冷たい風、それから賑やかな音楽に出迎えられた。店内は外の暑さから解放されていたが、音楽の激しさは祭りを彷彿とさせる。明滅する機械の光も、綺麗だとは思うがちょっと眩しい。楽しそうな雰囲気は嫌ではないのだが、なんだか自分が酷く場違いな場所にいるような、サイズの合わない椅子に座ってしまった時に似たそわそわとした気持ちになってしまう。

 これがゲームセンター……未知との遭遇に、花中は入ったばかりの入り口で立ち尽くしてしまった。

「大桐さん? どうかした?」

 到着早々固まってしまった花中が気になったのか。加奈子は手を離すとくるりと振り返り、キョトンとした顔を向けてくる。呼び掛けられて自分が呆けていたと気付き、花中は赤くなった顔で右往左往しながら掠れた声を絞り出した。

「す、すみません……あの、は、初めての、ゲームセンターなの、で、つい……」

「あ、ゲーセン初めてなんだ」

「は、はい……そ、その、わたしみたいなのが、居て、良いのかなって……場違いじゃ……」

「んもー、何言ってんの大桐さん。遊ぶ場所に誰が場違いとかないでしょ、ちゃんと遊ぶ分にはさ」

「そ、そう、だとは、思いますけど……」

 加奈子の言い分に納得は出来る。けれども、すんなりと受け入れられるかは別問題。居心地の悪さは本能的で、頭でどうこう出来るものじゃない。落ち着かず、花中はおのぼりさんのように辺りを見渡してしまう。

 そんな情けない姿を晒すものだから呆れられたのか、一緒に店に入ってきた猫少女は花中の事をジトッとした眼差しで見ていた。キョロキョロしているうちに猫少女と目が合ってしまった花中は慄くように後退り。助けを求めてフィアの姿を探し、

 何処にも、フィアとミリオンの姿は見当たらなかった。

「……あれ?」

「どしたの大桐さん。またキョロキョロしちゃって」

「あ、えと、フィアちゃん達は何処に行ったの、かと……」

「あれ? そーいえば居ないね。あれれ?」

「……アレじゃない?」

 フィア達を見付けられず二人揃って首を傾げていると、猫少女が店内のある場所を指差す。言われるがまま猫少女の指し示す先を見てみると、確かに自分達から少し離れた場所にフィア達らしき姿があった。

 そして道理ですぐに見付けられなかったと花中は得心がいく。何しろ二人は花中達から離れているだけでなく、とある機械を覆っている暗幕の中を揃って覗き込んでいたからだ。顔が隠れていては分からないのも仕方ない。フィアが地面に着くほど長い金髪を持っていなければ、居場所を教えらても簡単には納得しなかっただろう。

 しかしながら、二匹は一体何を覗き込んでいるのか?

 何らかのゲームの筺体のようではあるが、何分花中はゲームセンター初体験。遠目で見ても何のゲームかはさっぱり分からない。

 とりあえず訊いてみれば良いや、と花中はフィア達の方に早歩きで向かう。それからゲーム音楽が鳴り響く店内でも自分の小声が聞こえるだろう距離までフィア達に近付いた

「ぅひっ!?」

 ところで、花中は小さくない悲鳴を上げた。

 何故ならフィアとミリオンが覗き込んでいるゲームは、ゾンビや怪物などのモンスターを倒していくものだったからだ。暗幕にはこのゲームに出てくるだろう敵のイラストが描かれていたが、どれも血まみれで、内臓剥き出しで、皮膚はべろんと剥がれているというかなりのグロテスクさ。リアリティを追求したデザインなのも、花中の心にグサッと突き刺さる。

 怖いものが大の苦手な花中は顔面蒼白になりながら、逃げるように三メートルぐらい後退。

 花中の気配を察してくれたミリオンが暗幕の中から出てくるまで、花中はその場で固まる事しか出来なかった。

「あら、はなちゃん。ごめんねぇ、何も言わずに動いちゃって。さかなちゃんがこのゲームに興味を持っちゃったみたいなの。しかも何故か私を連れていこうとするし」

「は、はぁ。それは良いのですけど……フィアちゃんは、その、なんでまた」

「おお! やはり二人プレイが出来ますよ! それに対戦も出来るようです!」

 花中が質問しようとするのを妨げるように、フィアは暗幕から顔を出すや弾みきった声でミリオンにそう言った。言ってから花中の存在に気付いたようで、驚いてビクつく花中ににっこりと微笑む。

「ああっと花中さんではないですかすみませんちょっと面白そうなものを見付けまして」

「ぁ、うん……それは良いけど……や、やりたい、の?」

「ええ。このゲームでならミリオンとケリを付けられますから」

 獰猛に口角を上げたフィアは何処からか巨大な拳銃を取り出し、ミリオンにその銃口を突き付けた。銃の握り部分の底からコードが伸びゲーム筐体の方に続いていたので、専用のコントローラーなのだろう。

 玩具の拳銃を突きつけられたミリオンは、困ったようでちょっぴり楽しそうな、仮に銃が本物だとしても変わらなかっただろう笑みを浮かべる。

「あら。私と勝負したいの?」

「先々週の戦いでは少々遅れを取りましたからね。負け越しというのは性に合わないのですよ。あと化け物を殺しまくるとかすごく楽しそうですからあなた付き合いなさい」

 どうやら単に遊びたいだけらしい。

 あっさり本音を打ち明けるフィアに、ミリオンはくすくすと楽しそうに笑った。

「OK、素直なのは美徳ね。その美徳に敬意を表して、正々堂々対決してあげましょう」

 負ける気など毛頭ない挑発的な言葉で返すと、ミリオンは暗幕の中に入って行った。そうこなくては、と上機嫌になりながらフィアも暗幕の中に引っ込む。

 ……ややあってからフィアだけが暗幕の中からまた顔を出し、

「すみません花中さんお金を少々頂けませんか?」

「……うん」

 子供の如く素朴に頼んできたので、花中は言われるがままあげる事にした。暗幕にはワンプレイ百円と書いてあったが、二匹でやるなら多分二百円、その後もしフィアが負けたらムキになって何度か挑むだろうから、一応千円札を渡しておく。

 お金を受け取ると、こんなに要りませんよ~、と言いながら、フィアは駆け足で近くの両替機の下に行ってしまった。目覚まし時計一つ止められないフィアに両替が出来るとは花中には思えないが……ミリオンが後を追ったので、多分大丈夫だろう。

「へー、フィアちゃん達はこれをやるのか」

 一通り事が済むと、遅れて加奈子もやってきた。後ろには猫少女も居る。猫少女の視線はゲームではなく、加奈子の方を向いていたが。

「私達もこれやる? 最初はフィアちゃん達の応援って感じだけど」

「え、えと、ぁ、ううぅ……」

「……もしかして、怖いの?」

 あからさまな言いよどみで誤魔化せる筈もなく、内心をあっさり見抜かれた花中は顔を赤くしてこくんと頷く。

 怖がる花中を見て、加奈子は自身の唇に指を当てながらしばし黙考。

「じゃあ私達は別のゲームで遊ぼうか」

それからあっさりと、フィア達とは別行動をしようと提案してきてくれた。

 花中にとっては実にありがたい話。けれども、加奈子はフィア達と話をしたかった筈な訳で。

「……良いの?」

「怖い系のゲームを無理やりやらせる訳にはいかないよー。ゲームは楽しんでやらなきゃ意味ないしー」

「でも、小田さんは、みんなの、話を……」

「あ、そっち? そっちは別に何時でも聞けるじゃん。それに」

 そう言うと加奈子は不意に、花中の肩を抱き寄せる。一気に密着する形となった花中は戸惑い――――しかし加奈子の、いたずらを思いついた子供のような笑顔を見ていたら、なんだか呆気に取られてしまう。

「フィアちゃんとミリきちが居ない方が、大桐さんを問い詰めるのに好都合だしね♪」

 挙句本人に言っては意味がない事を堂々と告げるものだから、花中は思わず吹き出してしまった。

 どうやらこの人には、勝てそうにない。

「……分かりました。一緒にゲーム、しましょう」

「うんっ、そうこなくっちゃね!」

「あ、えっと、猫さんも、一緒に、どうですか?」

「え? あたしも?」

 少しポカンとした様子で猫少女は訊き返してくる。猫少女の目的は様々な人間を観察し、知る事。そうした事情を知っている花中から誘われるとは思わなかったのかも知れない。

 そう考えると途端に自分が空気を読んでないような気がして、花中は「よ、良ければ、ですけど……」と尻窄みな言葉を付け足してしまう。そんな花中を見て、猫少女は面倒臭そうに自分の頬を指先でポリポリと掻く。

「まぁ、良いよ。遊ぼうか」

 だから断られるかと思っていたのだが、予想外の答えに今度は花中の方がポカンとしてしまった。

「……い、良いの、ですか? だって、あなたの目的は……」

「へ? そんな事気にしてたの? あたしはただアンタ達の邪魔になるんじゃないかなって」

「え?」

「……案外あたしとアンタは似た者同士かもね」

 恥ずかしそうな、笑っているような。よく分からないため息を漏らす猫少女に、花中はおどおどと戸惑う。

「気にしないで。それより何で遊ぶの?」

 しかしそう言われては追求もし辛い。

 それに遊びたいのは花中も同じなのだ。どうせ無意味な疑問だと、気にしない事にした。

「えっと、わたしは、ゲームセンターの、事は、よく分からない、です……すみません」

「そっかー。あたしもなんだよねぇ……そもそもゲームって何をしたら良いの?」

「おおう、なんという初心者共……さて、どうしたもんかなー」

 初っ端から躓く花中と猫少女を前に、加奈子はしばし口元に指を当てて如何にも考えています風のポーズを取る。やがて花中の手を取ると「こっち来てー」と言い、店の奥へと進み始めた。

 初めてのゲームセンター、引っ張られながら花中はおのぼりさんのように辺りを見渡す。学校をサボって遊びに来ている自分が言えた事ではないと思うが、平日の午前中にも関わらずゲームセンターは意外と盛況。子供や若者の姿はあまりないが、代わりにそれなりに歳を召した方々が多い。そういえばゲームセンターに熱中する高齢者が増えているというのをテレビで見たなぁ……等と思いながら、花中は加奈子と猫少女と共に店の『何処か』へ。

 加奈子が引っ張る手を離したのは、とあるゲーム筺体の前だった。とはいえゲームセンター初心者の花中にそれがどんなゲームなのかすぐには分かる筈もなく、既に興味深そうに筺体を眺めている猫少女と共にじっくりと観察してみる。

 そのゲーム筺体は他の台と比べ倍近い大きさで、椅子は二つ、レバーやボタンなどの操作器もツーペア用意されている。筺体の塗装は……稲妻をイメージしているのだろうか、なんだかギザギザのオレンジ模様が描かれていた。はて、一体これはどんなゲームなのかとモニターへと視線を移し、

 そこには殴り合う、筋肉質でふくよかな体型をしている半裸の男達の姿が!

「ひっ!? こ、これ……!?」

「ん? 『ストリート・ヨコズナー』、格ゲーだよ?」

 格ゲー……即ち格闘ゲームだと教えてもらった花中だが、ジリジリと後退り。

 最初は不思議そうに首をかしげていた加奈子だったが、小刻みに震える花中の姿を見て、驚いたような、呆れたような、なんとも付かない目の見開き方をした。

「まさかこれもダメなの?」

「だ、ダメです……な、殴るとか、殴られる、とか、想像するだけで……」

「えー……」

 これには流石に加奈子も困惑したのか、苦笑いを浮かべる。しかし駄目なものは駄目。後退りを続け、すっかり花中と加奈子の距離は開いてしまう。

「うーん、そこまで言うなら別のにしても良いけど。あ、パズルゲームとかはする? 『ふよふよ』とか」

「『ふよふよ』ですか? えっと、同じ色のふよふよを、四つ、つなげると、き、消えて、相手に、おじゃまふよふよ、を、送って、埋めた方が勝ち、というやつの、事な、ら……あれなら、可愛いし、殴ったりも、しない、から、小学生の頃から、やってます。一応、最新作、も」

「それなら良かった。『ふよふよ』ならアーケード版が置いてあるからね。ところで腕前はどのぐらい?」

「えっと、一応全シリーズ、ストーリーは、クリア、したぐらいで、しょうか。一度も回転させずに、ストーリークリア、とか、そのぐらいしか、やり込んでないです、けど」

「やっぱ『ふよふよ』はなしで。あのラスボスを無回転クリアとかないわー」

「!?」

 どうして却下となったのか。やはりあの弱いラスボスをふよふよ無回転クリアぐらいでは退屈させてしまうという事なのか、自分は()()()()苦戦したのに……

 予想される加奈子の驚異的技量に慄く花中を余所に、加奈子は考え込む姿勢を見せていた。

「うーん、格闘ゲームは怖くて出来ない、パズルゲームは色んな意味で相手にならない。レースゲーム、は初心者にいきなり対戦やらせても微妙な結果にしかならないだろうし……うむむむむ」

 とはいえ目を細めながら天井を仰いでも、妙案は中々浮かばないようで。

「ねぇ、あたしにもこれ、遊べる?」

 そんな加奈子の悩む姿勢を崩したのは、格闘ゲーム(ストリート・ヨコズナー)の画面を指差しながら尋ねる猫少女だった。

「え? 猫ちゃん、これやりたいの?」

「うん。人間が普段どんなもので遊んでいるか知りたいし。それにこれ、格闘ゲームって事は、要は殴ったり蹴ったりして相手を倒せば良いんでしょ? だったらあたしにも出来そうだし」

 そういうと猫少女はゲーム筺体の前にある椅子には腰掛けず ― 腰掛けたら椅子が潰れるので ― 、立ったまま歩み寄る。それから筺体に書かれている説明書きをしばし黙読した後、カチャカチャとレバーやボタンを弄り――――

「……動かない」

 目の当たりにする至極当然の事象に首を傾げたので、加奈子はガクッと脱力していた。

「いやいや、お金入れないと動かないから。しかもそこプレイヤー2の方だし。まだ一人分の料金すら入れてないよぅ」

「お金? ……あー、そういえば人間はお金で色んな物を交換するんだっけ。ゲームをやるのにも使うんだね。でも、あたしお金持ってないけどどうすれば良いのかな?」

「ああ、猫だもんね。んじゃ、ほいっと」

 加奈子は財布から百円玉を二枚取り出し、投入口に入れると椅子に腰掛ける。お金を入れてすぐに画面表示が切り替わり、二人プレイが可能になったと知らせてくれた。

「はい、これで動かせるようになったよー」

「お、おおー……」

 早速とばかりに猫少女がレバーを動かしてみれば、ゲームモードの選択画面が合わせて動く。小さな感動を覚えているのか、猫少女はしばらくレバーをひっきりなしに動かしていた。

 とはいえこれでは何時まで経ってもゲームが始まらない。一旦加奈子は猫少女を止め、自分で操作して対戦プレイを選択。キャラクター選択画面に入った。花中と違い猫少女はゲーム自体やった事がない訳だが、そこは加奈子も配慮しているようで、キャラクターの特徴やボタンについて色々細かく教えている。やがて猫少女は強面の横綱を、加奈子は長髪美形の横綱を選択。ステージ選択はランダムを選び、切り替わった画面で二人の選んだキャラが対峙した。

 いよいよ試合開始――――の前に、花中は猫少女の耳元に顔を近付ける。

「あ、あの、あまり力を込めると、その、壊れて……」

「大丈夫だよ。加減するのは得意だし、どれぐらいの力までなら壊れないかもさっき動かして確かめたからね。そりゃ我を忘れたらその限りじゃないけど、遊びで負けたぐらいで頭が真っ白になるほど子供じゃないし?」

 不安を打ち明けると、猫少女はさして気を悪くした様子もなく悠々と答えた。確かに猫少女がレバーやボタンを動かしていた時、まるで人間と変わらぬ力しかないような精密な力加減で操作していた。いらぬ心配だったと、花中はぺこりと頭を下げて後退り。

「そもそも負けるなんてあり得ないけど。あたしには無敵の動体視力と人間なんて置き去りにする反応速度があるんだからね。コイツがどれぐらいこのゲームが得意かは知らないけど、種族の差というものを思い知らせてあげるよ」

「お? 言ったな~? だったらこっちも手加減なんてしてあげないもんねーっ」

 軽い挑発の応酬を繰り広げると、二人揃ってニカッと笑い合う。

 そして、ゴングを鳴らしたような効果音と共に試合が始まり――――

 

 

 

【ぷれいやーっ、くろぼしーっ!】

「なんでにゃああああああああああああああっ!?」

 如何にも猫っぽい悲鳴が、ゲームセンター中に響き渡る。悲鳴を聞いた周りの人々が一瞬ざわめくが、しかしすぐに収まり、店内はゲームの音だけで満たされる。

 そうなるのも当然。何しろこの悲鳴、既に十回以上は叫ばれたのだから。

「あ、あのー、ね、猫さ」

「花中! 百円ッ!」

「は、はひっ!?」

 なんとか宥めようとする花中だったが、悲鳴を上げた『人物』である猫少女の返事は金銭の要求。何時の間にか名前を呼んでくれていたが、そんな事に喜ぶ暇もない。ひしひしと伝わってくる怒気に充てられ、言われるがまま花中は百円玉を手渡し。今やすっかり猫少女の『財布』だ。

「……ねー、そろそろ別のゲームやろうよー」

 そして加奈子は猫少女の傍、プレイヤー2側の椅子に座っていた。とはいえ、猫少女の対戦相手を勤めている訳ではない。

 今の猫少女が必死になって戦っている相手は、『人間』でもクリア出来る程度の強さしかないコンピューターだった。一応先のプレイでは何回か勝っていたが、加奈子曰く「まだ中盤」辺りでやられてしまった。

 しかも一回だけならまだしも、花中が見ているだけで三回も負けが続いている。

「どうして、どうしてこのあたしが、このあたしがぁぁぁぁぁ……!」

 プルプルと全身を震わせながら、猫少女はレバーを握り締めながらコンティニュー。額に青筋を浮かべる様は全然楽しくなさそうだが、ゲームをやめる気配は微塵もない。

 しかし無理もないかと、花中は思う。

 最初にやった加奈子との対戦は、猫少女のボロ負け。何かの間違いだともう一戦するもやっぱりボロ負け。いやこれはレバーやボタンの反応が悪いのだと席を交換しボロ負け。いやいや相性が悪いんだとキャラを変更してもボロ負け。ついには練習が必要だとストーリーモードを選び……人間以下の相手にボロ負け。

 全てを彼方に置いていく圧倒的な身体能力を誇っていながらこの体たらく。悔しくて悔しくて堪らないという気持ちは、プライドの低い花中にだって分からなくもない。

 ……だからと言って、六時間もやり続けるのは流石に如何なものかと思う訳で。

「はぁ、こうなるなんて思いもしなかったよぅ」

 ぼそりと漏らした加奈子の愚痴に、花中は苦笑いで同意してしまった。

 猫少女が一人でストーリーモードを始めてから既に六時間が経っている。両替した百円の束を渡しておいたのでプレイ中花中達の行動が妨げられる事はなく、昼食を済ませたり、リズムゲームをやったり、シューティングをやったりで、遊ぶ事自体は出来ている。しかし加奈子の本来の目的はみんなと遊びながら話を聞かせてもらう事。こんな風に、自分の世界に入ってこちらの話を聞いてくれない状況ではない。

 それでもフィアやミリオンが居れば、力尽くで引っ張って終わらせる事も出来ただろうが……ゾンビ退治ゲームをやっていた筈の二匹の姿は何時の間にやら消えていた。どうやら二匹は自由気ままに遊んでいるらしく、時折聞こえてくる、金髪碧眼の美少女が上げていそうな雄叫びがその証拠だ。探したところで、あちらも自分達の世界に浸っているだろう。

「なんか、すみません……」

「大桐さんは悪くないよ。というか別に誰が悪いとかは思ってないもん。ただ、予想外ってだけで」

「……はい」

「んー、フィアちゃん達は兎も角、猫ちゃんはどうにかならないかなぁ。アレ、ムキになってるだけっぽいから、クリアまでいけば満足すると思うんだけど」

「わ、わたしも、そう思います」

 加奈子の愚痴に同意し、そしてすぐに花中は首を傾げた。

 多少下手な程度なら理解出来る。猫少女は今日初めてゲームで遊んだのだから。しかし擬似体験とはいえ格闘をするゲーム、猫少女の圧倒的動体視力と反応速度は大きなアドバンテージの筈だ。対戦相手が熟練プレイヤーならいざ知らず、人間に負ける程度の強さしかない筈のコンピューターにどうしてこうもボコボコにされているのか。

 何か、プレイ方法に問題でもあるのだろうか?

「……んん?」

 そう思っていたところ、加奈子の口から怪訝そうな声が。何か気付いたのかと加奈子の顔を見てみれば……ハッとしたというより、何故か呆れている様子。

「ねぇ、なんで猫ちゃんさっきからダッシュ強パンチしか出さないの?」

 そして開かれた加奈子の口から出てきたのは、些か単純過ぎる問題点だった。

 画面から目を離さず、猫少女は苛立った口調で答える。

「ああん? だってこれ出が速くて威力あるじゃん。最初の敵とかこれでガンガン押し潰せるし」

「そりゃ最初の敵はAIが弱いからそれでいけるだろうけど、途中からは無理だって」

「なんで? 殴ったり蹴ったりすれば勝てるんでしょ。だったら勝てるって」

「いや、技使おうよ。このゲーム投げ技結構強いし、体力が赤まで来たら超必殺技使えるし」

「は? なんで技なんかの方が強いの? 殴った方が強いに決まってるじゃん」

 訳が分からないと言わんばかりにキョトンとされ、加奈子は少なからず戸惑いを見せていた。

 対して、花中の方は成程と納得する。

 思い返すと昨晩のフィアとの『ケンカ』の時も、猫少女は相手の隙を誘うだとか、身動きが取れないよう関節技を決めるとか……そういった『技』を見せていない。ひたすら殴り、蹴り、叩き潰す。シンプルな攻撃ばかり繰り広げていた。どうやらゲームでもその戦法で挑んでいたらしい。確かにそんな戦い方では、序盤は兎も角中盤以降は厳しい戦いを強いられるだろう。

 だが彼女の戦い方がシンプルになってしまうのも仕方ない事だ。何しろ猫少女の能力は圧倒的な身体能力であり、適当に手足を振り回せばそれが『能力』となって敵を粉砕する。彼女にとって優れた戦い方とは、より強く、より速く手足を振り回す事。そもそも誰も彼女のスピードについていけないのだから隙を突く必要なんてないし、敵を投げたければ摘み上げてポイすれば良い。彼女が『技』というものに対し価値も見い出せなくても、種族的に当然の発想なのだろう。

「ほれ、お手本を見せてあげるから。こういう感じに敵が近付いてきたらボタン両押しで、はい巴投げー」

「おお、変な格好で敵を投げた! ……で、ともえなげって何?」

「今キャラクターがやった技だよ。寝転がるように身体を倒して相手を引っ張り、蹴り上げるように相手を足で持ち上げてぶん投げるスモウ・奥義なのだー」

「へー、スモウの技なんだ」

 ……さりげなく嘘を教えるのはどうかと思うが。というより、横綱ばかり登場するゲームで何故巴投げをするキャラが居るのか。色々ツッコみたい。

「よーし、今度こそ……ほっ、ほっ、とっ、とっ」

 尤も、猫少女からすれば巴投げがなんの技かなどどうでも良い事だ。操作を代わると早速教わった事を生かそうと、猫少女は積極的に相手に巴投げをお見舞いしようとする。

 果たして加奈子の教えの効果があったのか。技を使おうとしてかぎこちない動きをしていたが……どうにかこうにか、猫少女は敵を倒せたようだった。勝利を告げるアナウンスがゲームから鳴り響く。

 しかし猫少女ははしゃぐ素振りもなく、ぐったりと項垂れた。

「……なんか、どっと疲れた」

「え? そんなに疲れた?」

「だって相手の動きに集中しながら技のボタンも色々押すなんて、しんど過ぎる。あたし一つの事にしか集中出来ないんだよねぇ……」

 そう漏らす猫少女は本当に疲れ切った様子。どうやら圧倒的な動体視力や反応速度にも、一つの事にしか向けられないという弱点があるらしい。尤も、技なんて必要ないぐらい強いのだから、人の身で突けるような弱味ではないが。

 そんな事より、これは好都合。一区切り入れるのに丁度良い。

「えっと、このゲームはこれぐらいに、して、そろそろ、別のゲームを、しません、か?」

「ん……そだね。なんか疲れてきちゃったし、ずっと同じ姿勢でいたから身体も凝ってきちゃったかも」

 出してみた提案に猫少女はこくんと頷き、背伸びをする。これ以上の散財の危機も去り、花中も安堵の息を吐く。

 そして花中の後を引き継ぐように、加奈子が元気よく手を上げながら話し出した。

「よーし、それじゃあ気分転換とストレッチを兼ねて、ちょっと身体を動かしてみない?」

「身体を動かす? 外で運動するって事?」

「のんのんのーん。人間の娯楽追及力を甘く見てはならんのだ」

 そう言い椅子から立ち上がった加奈子は、手を振りながら店の奥へ。花中と猫少女は互いに見合った後同時に首を傾げ、誘われるがまま加奈子の後を追う。

 ゲームの筺体を避けるように進んで行き、辿り着いたのは店の壁際付近。人の姿は見当たらず、置かれている筺体の形もホッケー台のようなものやモグラ叩き、大きな太鼓が付属していたりと、今までやってきた物とは毛色が違っていた。物静かというほどではないが、音楽も比較的五月蝿くない。

「あの、小田さん。ここは……」

「んっとね、簡単に言うと実際に身体を動かしながらやるタイプのゲームが集まってる場所だよ」

 ゲームセンター初心者である花中にはそれらが何なのかよく分からないので尋ねてみたところ、加奈子はそう教えてくれる。どうやら見た目通り、ホッケーやモグラ叩き、太鼓などで遊べる代物のようだ。凝り固まった身体を解すのには丁度良いかも知れない。

「ふーん……ねぇ、お勧めのやつとかないの? あたしにはどれがどういうのかよく分かんないから、教えてほしいんだけど」

 猫少女も関心を持ったようで、先程まで強張っていた表情はすっかり解れていた。辺りをキョロキョロと見回し、早速何かで遊びたいようだ。それこそ『子猫』のような愛くるしさに、花中の顔にも笑みが浮かぶ。

「そうだねぇ、猫ちゃんでも楽しめそうなのは……あ、アレとかどう?」

 ただ、加奈子が店の壁際に設置されている、二メートルぐらいある肥満体の男性を模したゴム製人形を囲う機械――――パンチングマシンを指差したので、花中は笑みを浮かべたまま凍りついた。

 普段ゲームセンターに寄らない花中も、テレビや漫画で見た事があるのでそれがどんなゲームかは知っている。名前の通り殴った衝撃がスコアになるというものだ。殴る場所は恐らくこの肥満体の人形だろう。格闘ゲームのように複雑な操作を必要としないシンプルな遊び方だけに、猫少女も今まで以上に楽しめるかも知れない。ハイスコアだってきっと狙える。

 ……ハイスコアで済むかどうかが不安なのだが。

「これはどうやって遊ぶものなの?」

「全力でぶん殴ればいいんだよー。強く殴れば殴るほど高得点になるから」

 猫少女の怪力について知らないからか、加奈子は正直に猫少女にパンチングマシンの使い方を伝授する。猫少女は「へぇー」と呟き、中々興味がある様子だ。一回ぐらいはやってみるかも知れない。

 もし、あの超絶パワーをぶつけようものなら……

 脳裏を過る最悪のパターン。止めないと不味いと思った花中は猫少女を引き留めようと手を伸ばし、しかしハッとするや伸ばした手を引っ込め、力いっぱい頭を振りかぶる。

 猫少女は自分の力量の高さをよく把握しているではないか。

 格闘ゲームをしていた時も、レバーをへし折らないよう加減が出来ていた。イライラした程度なら力のコントロールを失わない事は、既に猫少女が自ら実証しているのだ。なのにまたしても注意を促すというのは、猫少女の事を信用していないのと同義。一緒に遊んでいる相手に対する酷い裏切り行為だ。

 自らの考えを恥じ顔を赤くし、後ずさる花中。その花中を余所に加奈子はパンチングマシンにお金を入れると付属のグローブを手に嵌めて、

「どっせーいっ!」

 ぽこんっ! とゴム人形を殴ってみせる。ゴム人形の辺りから「ぐわーっ!」と叫び声が上がり、機械の上の方でピコピコと音を鳴らしながら画面に数字が表示される。

 出てきた数字は『100トン』だった。一説によるとパンチの衝撃力はプロボクサーでも体重の二倍から三倍程度らしいので、常識的に考えればあり得ない数字。どうやらかなり大袈裟な結果が表示されるものらしい。

「こんな感じにやるのっ! 猫ちゃんもどう?」

「じゃあ一回やってみようかな」

 猫少女は加奈子からグローブを受け取ると、真似するように装着する。初めての『装備』に少し戸惑った様子だが、二・三度握ったり開いたりで掌を動かし、感覚を馴染ませた時にはもう戸惑いの色は消えていた。悠々とパンチングマシンの前に立つ。

「ふっふっふ。私の記録を抜けるかなー?」

「んぁ? そんなの余裕に決まってるじゃん。人間が出した記録を塗り替える程度、本気を出すまでもないんだけど」

 加奈子の挑発も何処吹く風、猫少女はパンチングマシンに対し横を向いたまま小突くように拳を打ち込む。

 軽く放ったであろう猫少女の拳は、ドグシャアッ! と高らかな音を奏で、パンチングマシンがバラバラに砕け散るほどのスコアを軽々と弾き出してみせた。

「……え?」

 パンチングマシンがバラバラに砕け散るほどのスコアを軽々と弾き出してみせた。大事な事なので二回花中は思った。

「……はぇ?」

「……あれ?」

 加奈子は笑顔のまま固まり、猫少女はキョトンとしたまま首を傾げる。

 どんな屈強な男の拳だろうと受け止められる筈の『それ』は、今や原型すら残していなかった。ゴム人形も機械部分も大小様々な破片となって辺りに散らばり、何が何やら分からない。この残骸を見てパンチングマシンが破壊されたとは、きっと誰も思わないだろう。

 そこにあった筈のパンチングマシンが消えている事に気付かなければ、だが。

「バッチリガッチリ壊してるじゃないですかこれぇぇぇぇぇぇぇ!?」

「え? えっ!? えぇぇっ!? だ、だって、まさかこんなに脆いなんて思わなくて……もしかして不良品?」

「いくら不良品でも殴っただけでこうはなりませんからぁ!?」

 詰め寄ってはみたものの、猫少女が自分以上に呆気に取られていたので無駄だと悟る。どうやら本当にこのぐらいなら大丈夫だろうと思いながら放った、軽めのジャブだったらしい。ある意味、猫少女は人間を過大評価していたようだ。

「ど、ど、どう、どうしよう、どうしようこれ……!」

「どうするって……逃げるしかないんじゃないかな?」

 パニックに陥る花中だったが、その傍で加奈子は即断即決。あまりにもあっさり下された身勝手な決定に、花中は目を見開いて驚く。

「に、逃げるって、だって、こ、壊し、たら、弁償」

「いやー、お値段いくらかは知らないけど、高校生である私らには無理だよ。親を泣かせるのも申し訳ないし。てな訳で猫ちゃん、大桐さん抱えてちょーだい」

「あ、うん」

 思い留まらせようとする花中だったが、加奈子に命じられた猫少女の肩に担ぎ上げられてしまう。手足をばたつかせて抵抗するも、拳一発でパンチングマシンを粉砕する怪力を振り解ける筈もなく。

「あばよとっつぁ~んっ!」

「や、だ、ダメ……ひゃああぁあああぁああ!?」

 成す術もなく、花中はその場から強制的に逃亡する事となってしまった。

 早々に逃げ出したとはいえ、マシン破壊時の音は相当のもの。聞き付けた店員や客がぞろぞろと集まり出し、花中達の方へと押し寄せてきた。だが加奈子達はひょいひょいと人混みを掻き分けていく。道中リズムゲームで盛り上がっている金髪の少女と喪服姿の美女が一瞬見えたが、背を向けている二匹は横切る花中達に気付かず、加奈子達は傍を素通り。堂々と、慌てるでもなく、さも「お腹空いたからかーえろっと」と言わんばかりに一人と一匹は駆け抜ける。

「はい、だっしゅーつっ」

 結局花中には何も出来ないまま、店内から脱走する事になってしまった。加奈子はわざとらしく額の汗を拭い、猫少女にようやく下ろしてもらった花中はビクビクしながら自動ドア越しの店内へと振り返る。

 花中達が居なくなった店内からは、鳴り響くゲーム音楽にも負けないぐらい大きなざわめきが聞こえてくる。相当数の人が周辺に集まっている事だろう。間違いなく警察沙汰になる。

「ど、ど、どうしたら、これ、どうしたら……!」

「いやー、どうにもならないと思うよー」

「……………」

 加奈子は相変わらず能天気。一緒に逃げた猫少女も自分は知らないと言わんばかりにお店から顔を背けている。二人とも、目の前でやらかしてしまった現実と向き合わない。

 唯一慌てふためくのは花中だけ。たった一人で悩む事の心細さとも戦いながら、どうしようどうしようと右往左往し――――

「あれ? 大桐さん?」

 不意に名前を呼ばれ時、花中は心臓が止まる想いだった。

 もしかして、お店の人?

 心情は追い詰められたネズミの如く様相、花中は殆ど反射的に声がした方へと振り返る。

 そして再度仰天し、怯えていた表情が驚き一色に染まる。

 だって振り向いた先に居たのは……どういう訳か、クラスメートの晴海だったのだから。

「た、たち、立花さん!? ど、どうして、ここに!?」

「へ? どうしてって、この先の本屋に行こうとして此処に来たらなんか騒がしいからなんだろうなーって思って」

「あ、ああ……そう、言えば、授業は、もう、終わってる時間、でしたね……」

「というか大桐さんこそどうしてこんなとこに居るの? 今日学校休んで……ふむ」

 不思議そうに尋ねてきた晴海だったが、視線がちらりと動いたのと共に納得したような声を漏らす。

 晴海の視線を花中も追ってみれば、そこに居たのはこちらに背を向け抜き足差し足の姿勢を取っていた加奈子。

「加奈子、待ちなさい」

 晴海の一言で、無言で立ち去ろうとしていた加奈子がビクリと震えて止まる。ギチギチと音を鳴らすようにぎこちなく振り返って見せた加奈子の顔は、なんというか、家人と出くわしてしまった泥棒の如し。引き攣った笑みを浮かべていた。

「……や、やぁやぁ晴ちゃん。あの、なんのご用かな?」

「ご用かな、じゃないでしょ? 時々学校休んでいた割に翌日元気良く登校してくるからそういう事なんだろうなーとは思っていたのよねぇ。まぁ、ぶっちゃけあたしが言えた立場じゃないし、出席日数が足りてるなら人それぞれで良いかもだけど……でもいくらなんでも他人を巻き込んだら駄目じゃないかしら?」

「あ、いや、えっと、そ、そう、これは大桐さんがね提案した訳で」

「んな訳あるかぁーいっ!」

「ごめふっ!?」

 晴海のチョップを脳天に食らい、加奈子は受け身も取らずにビタンッと地面に倒れ伏した。まるで、正義の味方に一撃で倒される小悪党のように。

 動かなくなった加奈子を見下ろし、晴海は安堵したようにため息を吐く。そして花中に、申し訳なさそうな顔を向けてきた。

「大桐さんも災難だったわね。コイツ、思っていたよりずっと性悪だったでしょ?」

「あ、えと、その……しょ、性悪と、言うか、自由な、人、だとは」

「自由も度が過ぎれば悪党よ。自分が勝手するだけならどーでも良いけど、他人を巻き込むんじゃないっつーの」

「……ふふっ」

 腹立たしそうに愚痴る晴海に、花中は思わず笑みが零れた。以前晴海から『思い出話』を聞いた事があるだけに、彼女がそういった事に厳しいのは納得出来る。そしてこうして怒るという事は、本当の意味では怒っていないのだろう。

 思いっきりチョップをお見舞いしたが、それぐらい二人は仲良しという事だ。微笑ましくて笑いが出てしまうのも仕方ないと、心の中で花中はこっそり言い訳をしておく。

「あー、そうだ大桐さん」

「ふぇ? あ、ぅ、は、はい。なんです、か?」

 そうして笑っていたところ、晴海からお声が掛かってきた。花中は緩んでいた頬を一旦両手でぐにぐにと揉んでから、ちょこんと姿勢を正して晴海と向き合う。

「さっからこのゲーセンがやたら騒がしいけど、なんで?」

 しかし面と向かってこう問われた途端、花中は即座に顔を逸らした。

 逸らしたが、晴海はガッチリと花中の頭を掴むと無理やり自分の方へと振り向かせた。ひ弱な花中に、抗うだけの力はない。

 無理やり振り向かされた花中の眼に、ニコニコと微笑む晴海が映る。

「で? この騒ぎは何かしら?」

 しかし紡がれたその問い掛けは、「答えない」という優しい選択肢を許してくれそうにはなかった――――




ふと、作品情報を見たらお気に入り登録数が10件を超えていました。

……ええ、超えていたのです。

こんなにもたくさんの方に読んでもらえて、大変嬉しく思います。
まだまだ未熟者ではありますが、面白いお話が書けるよう今後も精進する所存です。
これからもよろしくお願いいたします。


次回は8/5に更新予定です。

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