彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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第十五章 大桐玲奈の襲来
大桐玲奈の襲来1


 十二月二十日。

 今年も残すところあと二週間を切った。去年の今頃、自分は何をしていただろうか? ――――花中はハッキリと覚えている。

 南の島に行くための準備を進めていた。遙か異国の地に住まう従姉妹に思いを馳せ、出会えるその時を心待ちにしていたのを昨日の事のように思い出せる。あの時は、島ではきっと楽しい事ばかりが起きると信じていた。明日は何事もなく迎えられ、世界では大変な事も色々あるけど、きっと少しずつ良くなっていくと疑わなかった。

 『奴』と『彼女』の戦いが起きるまでは。

 ……去年の決戦に起因する『事件』が、今年は多発した。花中の周りだけではない。世界中で恐ろしい怪物が目覚め、暴れ、世界に混沌を招いている。日常生活は日に日に苦しくなり、国が様々な手を打とうとするがどれも特効薬とはならない。むしろ世界は少しずつ、加速度的に、人にとって悪いものになっているようだ。

 来年こそは、良い年になるだろうか。それとも、今よりもっと悪くなるのだろうか。

 花中には分からない。花中に出来るのはちょっとした予想だけであり、その予想も世界の全てを知らない以上いい加減な憶測でしかなかった。

 自分に出来るのは、今まで通りの生活を続け、今まで通りの生活を維持するための『経済活動(お買い物)』を行うぐらい。

 そして経済活動を行うにはお金が必要だ。

「……むぅー……?」

 そのお金と深い関わりがある預金通帳を、花中はじっと眺めていた。

「花中さんどうされましたか? さっきからずーっと通帳を眺めてますけど」

「え? あ、うん。なんでもない、すぐ戻るね」

 フィアに尋ねられ、花中は通帳を閉じてフィアの下へと戻る。

 花中は今、学校帰りに立ち寄った駅構内のATMから、預金を引き下ろしていた。これから向かうスーパーにて食料品を購入するため、お金が必要だったからである。

 それとついでに、今月分の送金を確認していた。

 現在一人暮らし中である花中の生活費は、海外暮らしをしている両親から送られてくる。他所の家の生活費がどの程度のものかはよく分からないが、結構好き勝手に使っても ― 割と花中はお金を惜しまないタイプだ。毎月小遣いを使い果たす加奈子ほどではないが。それと食べ物は意識する方なので、高価でも新鮮で美味しい食品を買っている ― そこそこ余って貯まるぐらいなので、どちらかと言えば裕福ではあるのだろう。お陰で物価が上昇し、多くの家庭が貧困に喘ぐ中、大桐家は金銭的にはあまり苦労のない生活を送れている。

 そのための送金が、今月はまだ行われていない。

 ……普通ならそこそこ慌てるべきなのだろうが、しかし普段些末な事でも不安になる花中は、此度は平然としていた。というのも花中の両親は心配性な花中と違い、仕事である研究以外は極めて大雑把にして無頓着。送金の遅れはまだ良い方で、貯金が十分にあったので言わずにいたら三ヶ月間無送金だった事もある。何故か二ヶ月分送ってきたり、一ヶ月に二度送ってきたりもしてきた。

 大方今月もそんな感じなのだろう。他者の異変に過剰気味な心配をする花中でも、両親だけは雑な対応である。別に親の事は嫌いではない、というよりむしろ好きなのだが、幼少期から割と振り回されてきたので真面目に考える気が起きないのだ。

「さて今日は何を買うのですか?」

 そして気儘な親()()()()()()友達との会話の方が大事だった。

「んっとね、肉じゃがを作ろうと、思うから、お肉とジャガイモを……」

 フィアの質問に答える花中。

 その頭の中には、お金だけでなく両親の事すら残っていなかった。

 ……………

 ………

 …

「まぁ、予想通りの結果ね」

「ええ、まぁ、そうですね……」

 かくして買い物を終え、自宅に戻ってきた花中は、台所にて告げられたミリオンの一言でがっくりと項垂れた。

 花中の目の前にあるのは、キッチンに積まれたジャガイモ。

 以上、終わり。

 ……本当にジャガイモだけである。ジャガイモ自体はそれなりの数はあるものの、ジャガイモ以外のものは何もない。ALLジャガイモであった。

 これがスーパーで買ってきた食材の全てだ。肉やニンジンなどの食材は購入していない。しかし花中は、ジャガイモ以外を買い忘れた訳ではなかった。

 原因は、今の世界情勢である。

 世界中に出没している、人智を超えた怪物達……その影響は日を追う毎に深刻化してきている。特に深刻なのは生態系の壊滅による農耕地や海産資源の破壊、つまり食糧生産能力の低下であった。怪物出現前はカロリー計算上では百四十億人近くを養えるとされた世界の穀物生産は、たった一年で前年度の六十五%程度にまで減少。天然魚や山菜など、自然由来の食糧は生産が半減したものも少なくないという。

 元々日本は自給率がカロリーベースで四割程度しかなく、世界情勢の不安定化の影響を受けやすいと言われてきた。これまでは、世界最高峰の経済力で多少の価格高騰は乗り越えてきたが……しかし生産量がここまで衰退すると、幾ら金を積んでも食べ物は手に入らない。怪物出現による生産能力の壊滅により、日本に食糧を輸出してくれる国は激減した。

 日本政府とて無策だった訳ではない。このような事もあろうかと、政策で農業を推進していた。特に推奨されたのが生産性が高い作物……ジャガイモである。ジャガイモは元々日本でも自給率七十%を超えており、全体的な食糧自給率が低い日本でもそれなりの数が育てられていた。ノウハウは十分にあり、政府による後押し(という名の補助金)を受ければ増産は比較的容易。また『異星生命体事変』の影響により、世界情勢の悪化を懸念する国民が多く、全体的に政府に協力的なのもプラスに働いた。

 これらの要因により、今年の日本でのジャガイモ生産量は、推定ではあるが自給率百十五%を誇ると言われている。お陰でジャガイモは豊富で、貧しい人々は米とジャガイモを多く利用するようになっていた。安くて栄養のあるジャガイモの十分な流通により、日本で食うにも困る人はあまり出ていないらしい。世界で最も資本主義を体現しているアメリカでは餓死者が続出しているという話なので、それと比べれば日本の食糧事情はかなり良いものだろう。

 無論、良い事ばかりではない。国産でも飼料は輸入頼りであった牛肉や豚肉は、非効率という事で全く援助がなく、この一年で壊滅していた。ニンジンやタマネギも、ジャガイモなど単位面積当たりの生産カロリーに優れているものに置き換わり、かなり自給率が低下している。ネギのような薬味の類は、流通量が減り過ぎて今や高級食材の仲間入り。

 そう、国の政策によりカロリーベースの自給率は改善したが、品揃えは著しく悪化していたのだ。お陰でスーパーに並ぶのはジャガイモばかり。花中は肉じゃがを作りたかったのに、ジャガイモしか買えなかったのである。

「どうする? ジャガイモの醤油煮でも作る?」

「それをするぐらいなら、素直に、茹でジャガにします……」

「バターもないけどね。しっかし、ジャガイモばかりじゃ栄養が偏るわよねぇ。生きるだけならこれでも良いけど、はなちゃんの長生きのために、やっぱり私が買い物に行こうかしら」

「……そう、ですね」

 少し躊躇いがちにではあるが、花中はミリオンの提案に肯定的な意思を示す。

 何時もなら、遠慮するだろう。自分の買い物を頼む事への申し訳なさや、少しは運動しないとという健康意識……加えて、ミリオンという『反則技』を使う事への罪悪感があるからだ。

 とはいえ学校通いでどうしても平日の午前中に買い物へと行けない花中には、ミリオンを頼らねばちゃんとした食材を買えない立場にある。そしてこのままでは、本当に毎日ジャガイモだけの食事だ。短期的には問題ないとしても、長期的にはタンパク質やビタミン類が欠乏し、体調を崩しかねない。流石に命を削るのは勘弁だ。

 ……一応ミリオンに頼まずとも、食事のバリエーションと十分なアミノ酸やタンパク質を補給する手立てはある。あるが、そちらの選択肢は割と最後の手段だ。

「おや? 花中さんどうされましたかそんな思い詰めた顔をしてもぐもぐ」

 同居人であるフィアがおやつとして食べている昆虫(イモムシ)という、世界的には案外ポピュラーでも、現代日本の女子には厳しい食材だったので。

「あ、うん……なんでもないよ……うん」

「そうですか? まぁ花中さんが言うのでしたら良いですけど……んぁ?」

 話していると、ふとフィアが視線を逸らしながら間の抜けた声を漏らす。

 緊張感に欠けた声だったが、一年半になろうかという同居生活で花中は学んでいる。彼女がこのような声を漏らす時は、気になる気配を察知した時だ。

「どうしたの、フィアちゃん?」

「……妙な気配がします。なんと言いますかこれは……花中さんに似てますね」

「わたしに、似てる?」

 尋ねてみると、帰ってきたのはなんとも不思議な回答。自分は此処に居るのに、どうして自分に似た気配が此処ではない場所にあるのだろうか。

 疑問を覚える花中だったが、その最中突然玄関からガチャンッ! という音が聞こえ、驚いた花中は飛び跳ねてしまう。

 その音が鍵の掛かった玄関の扉を開けようとした際のものだと気付き、花中は安堵――――する間もなく、背筋を凍らせる。

 普通、知らない人の家の扉をいきなり開けようとする者はいない。ノックなりインターホンなりで「来客ですよ」と知らせるのが礼儀だ。そして今、大桐家に住むのは自分とフィアとミリオンだけ。その全員が今、この家に居る。

 なら、一体誰がこの家の戸を開けようとしている?

「……あの、フィアちゃん。い、一緒に、来て、くれる……?」

「ええ構いませんよ」

 一人で応対するのが不安になり、花中はフィアに同行をお願いする。フィアは二つ返事で了承し、花中はすぐフィアの腕にしがみついた。人間的には大変歩き辛い格好だが、フィアは気にした素振りもなく花中と共に玄関へと向かう。

 花中達が向かう間、玄関戸を開けようとする動きは止まっていなかった。むしろガチャガチャと、鍵の掛かった扉を開けようと奮戦している様子だ。曇りガラスに映る影は二つあり、二人組である事が分かる。執拗に侵入を試みるところに花中は恐怖を感じ、フィアの身体に隠れるように身を縮こまらせた。

 そんな花中の姿を横目に見ていたフィアは、一度花中を自分の腕から離した。そして玄関戸の前まで一匹で向かうと、おもむろに扉に手を伸ばし、鍵を開ける。

 次いで間髪入れずに扉を開けた。

「おおう!?」

 突然扉が開かれ、玄関を開けようとしていた者が声を上げる。ドアノブを掴んでいたのか、フィアが扉を強引に開けるとその身は家の中へと引きずり込まれた。

 するとフィアは入り込んできた何者かに、素早くその手を伸ばす。

 恐らくは捕まえて拘束しようとしたのだろう。しかし何者かはフィアの動きに反応するかのように、その身を捻る事で回避。それどころか素早くフィアの手に自らの腕を絡ませる。

 更に何者かはぐっと体重を乗せ、捕まえようとしたフィアを引き倒そうとしてきた。恐らくは反撃として、逆にフィアの方を拘束しようとしたのだろう。

 常人ならば、何者かの行動により体勢を崩され、身動きを封じられただろう。仮になんとかやり過ごしたとしても、突然の『攻撃』で幾らか隙は出来たに違いない……が、フィアは常人ではなく怪物。あらゆる点で人間を凌駕する。

 例えば反応速度だったり、或いは怪力だったり。

 何者かが繰り出した反撃など、フィアにとっては小細工ですらない。人間如き力では倒すどころか動きもしない体重でこれを耐えると、軽々と掴まれている方の腕を振るった。やる気になれば自動車どころか大型トラックすら持ち上げる馬力だ。人間には踏ん張る事はおろか、僅かでも動きを妨げる事すら叶わない。

「うぐっ!?」

「きゃあっ!?」

 フィアは何者かを壁に叩き付け、何者かは苦しみに塗れた呻きを、外から更にもう一人の悲鳴が上がった。

 フィアが捕らえた者は、大人の女性だった。

 彼女は如何にも日本人らしい、黒髪と黒い瞳の持ち主だった。今は苦悶の表情を浮かべているが、端整な顔立ちは笑えばとても魅力的に見える事を容易に想像させる。四肢はすらりと伸び、大きな胸やハッキリとした腰の括れなど、女性的な魅力があった。黒い髪はポニーテールの形で纏められ、彼女の活発な性格を物語るようだ。

 玄関の外に居るのも女性で、眼鏡を掛けた、弱々しい印象の人だった。栗色の髪には軽くウェーブの掛かっており、セミロングの長さで切り揃えられている。相方を襲った出来事が理解出来ていないのか、わたふたするばかり。

 フィアに拘束された女性は、フィアの腕を掴みながら苦しげに笑い、語り掛けてくる。

「……いきなり、これは、酷くないかしら?」

「見知らぬ侵入者には丁度良い扱いと思いますが?」

「いやいや、いきなり捕まえようと、してきたのはそっち、じゃん? 大体、此処は多分私の家、だし」

「多分とか言ってる時点で怪しさ満点です」

「そりゃ何時の間にか、家の周りが、廃墟と化してるし……手紙で、聞いてなかったら、迷ってたかも」

「手紙?」

 女性と問答を繰り返す中で、フィアは違和感を覚えたように眉を顰める。

 そんなフィアと女性の背後で、花中はガタガタ震えていた。

 しかしその顔に浮かぶのは驚き一色。普段ならフィアが無意識に行った『暴力』や、不法侵入者への恐怖心で引き攣るところなのに。ましてや『侵入者』に歩み寄るなんて事は、ちゃんと心を落ち着かせてからでないとする筈がない。

「……花中さん?」

 さしものフィアも花中の行動を奇妙に思い、横目で花中を見ながら呼び掛ける。花中はごくりと息を飲み、震える口をゆっくりと開いて

「ま、ママ!?」

 フィアが取り押さえている女性を、そう呼んだ。

 フィアは目をパチクリさせ、壁と自身の腕で挟む事により拘束している女性を見遣る。女性は、これまた苦しさは拭えていない様子ながらも、にっこりと人の良い笑みを浮かべた。

「はぁい、花中。元気してた? 出来れば、このお友達を説得してくれると、ママとっても助かるんだけど……」

 そして二年ぶりに再会した『(花中)』に、助けを求めるのだった。




はい、登場しました花中の母・玲奈です。
花中の母がナイスバディ(死語)なのは初期より決めていました。うん、遺伝子の奇跡(ゲス笑み)

次回は明日投稿予定です。

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