彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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幕間十四ノ十五

「うん、うん……OK、分かったわ。ありがとう。ええ、また今度会いましょうねー」

 明るい答えを携帯用通信機器の向こうに居る相手に返し、女性は通話を切った。

 女性は長い黒髪をポニーテールの形に束ねており、強気な目付きで辺りを見回す。袖の長い作業着を着ており身体のラインは分からないが、端正な顔立ちと胸の膨らみ、そして軽やかな身のこなしから、そのスタイルが魅惑的なものである事が想像出来るだろう。背負うリュックサックは大きく、重さだけなら小さな子供一人分はありそうである。見た目の年頃はざっと三十代前半ぐらいで、大人の女の魅力を最大限に発揮していた。

 町中であれば、下心を持った男性の一人二人が声を掛けてくるに足る容姿。されど今の彼女に声を掛けてくる者はいない。そもそも行き交う人々の姿がない。

 何しろ此処は、鬱蒼と茂る密林の中なのだから。

「れ、玲奈さぁん。待って、くだ、げほっ! げほ、ごほっ!」

 玲奈と呼ばれた女性は後ろから声を掛けられ、くるりと軽やかに振り返る。そこには大きな ― しかし玲奈のものより一回り小さな ― リュックサックを背負い、ひーひー言いながら地面に横たわる木の根を跨ぐ、眼鏡を掛けた若い女性が居た。眼鏡の女性は玲奈よりもやや細身で、玲奈と違い疲労の色を滲ませている。

 玲奈は女性が来るまで立ち止まり、息を切らし、咳き込む彼女が落ち着くのを待ってから話し掛けた。

「どーした新人君。新種のウイルスにでも感染したのかな? 多分この辺りの土地の病原菌には薬なんて効かないから、自己免疫を高めるためにも休憩だけはしっかり取りなよ?」

「咳き込んだだけで史上最悪に不穏な事言わないでくださいよ!? 疲れてちょっとむせただけです!」

「いやいや、そう思い込むのは危険よ。何しろ此処は人類立ち入り禁止の――――おっと」

 顔を赤くして反論する女性に真面目な話をしていた最中、不意に玲奈は女性の頭を掴むや大地に捻じ伏せる。いきなりの暴行に女性は「ぐえっ!?」とカエルが潰れるような声を上げ、ジタバタと暴れた。

 玲奈は暴れる女性の耳許で、しー、と囁く。女性は顔を顰めながらも、その口を閉じ、暴れるのを止めた。

 すると遠くから、ずしん、ずしんと、足音のようなものが聞こえる事に気付くだろう。

 足音を聞いた女性が静かになったのを確かめると、玲奈は女性を置いて、ゆっくりと前に歩く。木々の陰に身を隠し、少しずつ音がする方を覗き込む。

 そこから見えたのは、不気味な生物だった。

 まるで亀の甲羅のようなものを背負っていたが、断じて亀ではない。何故ならその手足は軟体生物のような、肉の塊であったのだから。頭のように出している部分からは筒のようなものが伸びていて、近くの木々の葉や枝を毟っては食べている。

 そして何より目を惹くのは、その大きさだ。甲羅の高さだけで二十メートルはあるだろう。

 甲羅を背負った軟体生物の動きは緩慢であるが、身体が大きいので速度そのものはそれなりに速い。やがて玲奈の隠れる木々の傍まで生物はやってきて、枝葉を毟り取り、美味しく頂くと彼女達の前を通り過ぎていく。

 五分も経った頃には遠くまで移動し、玲奈は隠れるのを止めた。

「れれれれ玲奈さん今のは……!?」

「組織では『テラ・ノーティラス』、陸のオウムガイと呼んでいるわ。ま、オウムガイとは全然関係ない生物だけどね。遺伝子解析では鱗翅目、つまり蛾の仲間に近いと分かってる。幼生成熟だから、翅が生えて飛ぶ事はないけど。ちなみにあの筒は皮膚の一部が変化したもので、口じゃないわ」

「あ、あんな怪物だったとは……データで見ましたが、その……」

「迫力が違うでしょ? 新人はみんなそう言うわ」

 玲奈が先んじて予想を語ると、眼鏡の女性はこくりと頷いた。彼女はまだ心臓がドキドキしているのか、胸を片手で押さえている。

「そ、それで、あの怪物に弱点はあるんですか?」

 それから女性は玲奈にこう尋ねる。

 その一言だけで、ニコニコ笑っていた玲奈の顔を不機嫌なものへと変えるには十分だった。

「……なんで倒す話になってるのよ」

「だ、だって、あんな怪物が森の中にいたんですよ!? 危険です! 今、世界中でどれだけ怪物による被害が出ているか知らない訳じゃないですよね!? 危険な芽は事前に摘むべきです!」

「退治したらアイツが押さえているものが一斉に活性化するわよー」

「あの怪物より危険なものって、何がいるって言うんですか!?」

「致死性の活性酸素をばらまく植物。草体全体がその活性酸素で満たされているから、耐性を持つテラ・ノーティラス以外は食べられないのよ。ちなみに枯れたり燃えたりすると大気中に活性酸素がばらまかれるから、それも退治するなんてナンセンスな事は言わないでよ?」

 玲奈の答えに、勢い付いていた女性は一瞬で黙りこくる。その顔は、すっかり青ざめていた。

 玲奈は女性の不安そうな顔を両手でがっしりと掴む。驚いたように見開かれた女性の目に、玲奈の優しい笑みが映り込んだ。

「我々の組織の目的は、自然の摂理を解き明かす事。世界のルールを学び、そのルールに従った生き方をするための知識を蓄積する。歯向かい、抗う事じゃないわ」

「……はい……でも……」

「ま、どうしても倒したいなら、タヌキとか人類連合とかの仲間入りすれば良いんじゃない? ただまぁ……」

 玲奈はちらりと、巨大生物……テラ・ノーティラスが去った方を見遣る。

 テラ・ノーティラスが通ったであろう地面の痕跡上に、薙ぎ倒された木々が何本も横たわっていた。恐らく通行の邪魔、或いは気に入らないなどの理由からテラ・ノーティラスに倒されたのだろう。若々しく立派なその植物達がどのようなものか、玲奈は『夫』から聞いている。

 曰く、戦車砲の直撃に耐える表皮を持ち、人間の四肢ぐらいなら掠めただけで簡単に吹っ飛ばす針を飛ばしてくるとか。

 つまりテラ・ノーティラスには、戦車を上回るパワーと、砲撃に耐える防御力があるという事。

 そんな相手と戦えばどうなるか?

「私には、人間が勝てるビジョンは浮かばないけどね~」

 まったりとした口調で告げられた玲奈の答えに、眼鏡の女性は口を噤んでしまった。何かを言おうとしてか、口元をまごつかせてはいたが、言葉を発する事はない。

 しばし森の中を、虫と鳥と獣の鳴き声が満たす。

 沈黙を打ち破ったのは、玲奈が持っている通信機からの微かなバイブレーションだった。危険な生物と対峙中に音や光、強い震動が起きると、生物を刺激してしまう恐れがある。故にこの通信機は骨伝導を利用し、音を殆ど立てずに着信を知らせるのだ。

 玲奈は手早く腰のポーチにしまっていた通信機を手に取る。近くに獣の気配はないが、周りを警戒しながら通話のボタンを押す。

「やっほー、こちら玲奈。どしたの? さっき連絡してきたばかりじゃん?」

 それから全く警戒心のない言葉で、返事をした。

「うん、うん。へー、日本の……え? あ、そこうちの娘の居る町じゃん。イノシシがねぇ……うん、うん。成程……それであの連中が……ふぅん」

 最初はお気楽な反応をしていた玲奈だったが、段々と空気が張り詰めていく。

「……分かった。ありがとう、すぐに知らせてくれて。ええ、そうね。『アレ』は組織の研究所で保管しましょ……破棄は駄目よ、一応パラタイプ標本だし。こんな事になるなら、自宅で保管とかするんじゃなかったわ……ええ、手配の方は任せたわ。じゃあね」

 玲奈は砕けた口調で、しかし表情から笑みを消したまま、話と通信を終えた。それから小さく息を吐く――――間もなく歩き出す。

 その歩みが向かう先は、テラ・ノーティラスが向かった方角だった。

「れ、玲奈さん!?」

「急ぎの用事が出来たわ。さっさと発信器を取り付けて、今日中には基地に帰るわよ」

「いやいやいや!? 当初は寝床を突き止めて、寝ている間にやるって話でしたよね? 起きてる時にやるのは危ないからって! というか此処まで来るのに三日掛かってますし!」

「んー、一度は通った道だし、なんとかなるんじゃない?」

「なったら最初から往復一週間の行程なんて組みません!」

「はっはっはっ! 新人君、世の中はマニュアル通りにはいかないのだよ!」

「マニュアルを自分からぶっ壊して言う事じゃないですよねぇ!?」

 新人の至極真っ当な意見に、されど玲奈は快活に笑うばかり。聞く耳も持たずに歩き続ける。

 真面目だった玲奈の顔には、今や笑みが浮かんでいた。

 『目的』は笑えるものではない。しかしそれでも、家に帰るきっかけが出来た。破天荒で気儘、雑で無計画。天才故に非常識な考えの持ち主であっても、彼女もまた人の子であり、人の親である。

「さぁーて、うちの娘は元気してるのかしら。二年ぶりの再会だし、お土産たくさん買ってかないとね!」

 家に置いていった、小さくて可愛い愛娘との再会が、待ち遠しくて堪らないのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 第十五章 大桐玲奈の襲来

 

 

 

 

 

 




という訳で次回はついに花中のおかん出現。
不在の間に娘さんは良くも悪くも成長しましたよ。

次回は6/29(土)投稿予定です。

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