彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

145 / 232
第十四章 輪廻拒絶
輪廻拒絶1


「今からちょっとばかし『あるぜんちん』の方へ旅に行こうと思います」

 唐突に友達がこんな事を言い出したなら、普通は困惑しつつも何故と理由を訊くべきだろう。アルゼンチンとは海外であり、「今からちょっとばかし」で行けるような場所ではないのだから。

 しかしながらこれを言い出した友達――――フィアが普通でない事を知っている小田加奈子は、特段驚きもなく「ふーん」と一言呟くだけだった。隣に立つ立花晴海も同じ反応をしている。

 十一月に入り、かなり肌寒さを感じるようになってきた今日この頃。今日行う全ての授業が終わり、生徒達が帰り支度を始める中、部外者であるフィアはやってきた。理由はきっと、一番の友達である大桐花中と話すためであろうと加奈子は考える。実際フィアの視線は自分達の方を向いておらず、花中だけを見ていた。

 尤も、フィアについて詳しいであろう花中も目をパチクリさせており、まるで事情を把握していない様子。いそいそと勉強道具を通学鞄にしまいながら、こてんと首を傾げる。まるで人形のように整った顔立ちでそんな愛くるしい仕草をされたら、大抵の人は胸がキュンキュンしてしまうだろう。後は目付きが良ければ男の子にモテモテだろうになぁー、などと加奈子はひっそり思った。

「……それは、良いけど、なんで?」

「実はですね暇潰しに立ち寄った図書室にこのような新聞記事がありまして」

 花中が尋ねると、フィアは自分の胸部にずぶりと手を突き刺す。しばらくして胸から引き抜かれた手には一束の新聞紙が握られていた。

 なんともホラーチックな行動だが、フィアの正体と能力を知っている加奈子達には見慣れた光景である。むしろ貸出カードなんて作っていない、というより作れない筈のフィアが、どうやって図書室の新聞を持ってきたのかの方が加奈子としては疑問だ……花中の青くなった顔が大体事実を物語ってくれたので、尋ねる必要は感じなかったが。

 なんにせよフィアは新聞を提示し、花中がそれを受け取った。新聞は丸めた状態でとある記事が表向きになっており、花中はそこに目を向ける。加奈子も晴海と共に新聞を覗き込み、記事を心の中で読み上げた。

 曰く、アルゼンチンにて巨大な『イモムシ』が出現したとの事。

 見た目はチョウやガの幼虫に酷似しているが、イモムシの体長は十五メートルを超えている。動きも機敏で、自動車並のスピードで都市部を蹂躙しながら激走。アルゼンチン軍が攻撃を行い多少のダメージは与えたものの、イモムシは一匹ではなく数十匹も存在し、手に負えない状態だという。犠牲者の数も数百人を超え、アルゼンチンでは非常事態宣言も出されたらしい。

 ……と、ここまで読んだ加奈子は思った。「()()()()()()()()()()()」、と。フィアが何を気にしているのか、よく分からない。

 しかし一年以上一緒に暮らしている花中は、すぐに察したらしい。

「えと、このイモムシを、食べたいの?」

「はいっ!」

 花中の予想に対し、フィアはにこやかに笑いながら頷いた。

 ああ、そういえばこの子の正体って魚だったなぁ……加奈子が納得していると、フィアは片手を上げ、爽やかな身のこなしで花中に背を向ける。

「では私はそろそろ行ってきますね! 早くしないと人間に先を越されてしまうかも知れませんから!」

 そして明るい言葉を残して、颯爽と駆け出した。

「あ、うん。そうかもね……頑張ってねー」

「はいっ! お土産期待しててくださいね!」

 花中が小さな声で適当な応援を送ると、フィアは元気よく返事をしながら満面の笑みを向けてくる。足取りは一層軽やかになり、あっという間に教室から出て行ってしまう。

 やがて外から爆音と悲鳴、そして校舎全体の震えが届き、フィアが旅立った事を加奈子達に教えてくれた。どんな旅立ちの仕方をしたかは、加奈子にもなんとなく想像が付く。花中はガックリと項垂れたが、こんなの何時もの事だからそんな気にしなくて良いのに、と加奈子は思った。

 加えてこんな些末事よりも、加奈子には気になる点が一つある。

「……ところでアルゼンチンって何処にあんの?」

「南米よ。日本からだと、えーっと……ざっと一万八千キロ離れた国みたいね」

 疑問を口にすると、晴海がスマホ片手にすぐ教えてくれた。一万八千キロ。遠過ぎていまいちピンと来ないが、とんでもない距離なのは理解する。

 だとするとフィアは何日も海を旅するつもりなのだろうか?

「大桐さん。フィアの奴、どれぐらいで帰ってくると思う?」

「え? 多分、今日の夜中か、明日の朝には、戻ってると思います、よ」

 恐らく同じ疑問を抱いたのであろう晴海が訊いたところ、花中から返ってきたのは予想外にとんでもない答えだった。一万八千キロ……いや、往復するのだから三万六千キロか。地球一周である約四万キロに匹敵する距離を、イモムシ狩りという目的のためだけに走破し、半日と掛からず帰ってくるとは。どうやらフィアにとって、地球という星は狭い庭らしい。

 凄いパワーがある事は加奈子も知っているが、具体的な例を出されて少し驚く。そういえば少し前に、かなりパワーアップ出来たとフィアちゃん自身が言っていたなぁ……と過去の話を思い出す。こんなトンデモな力があるのなら、イモムシの怪物など簡単に倒してしまうだろう。

 何時もネズミみたいにビクビクしている花中が友達が危険地帯に向かうと聞いても、どうりで平然としている訳だと加奈子は納得した。

「あっ! そ、そうだ! わ、わたし、今日は急いで、帰らないと、いけないのでした!」

 なお、友達が怪物と戦うと知っても平然としていた顔は、用事に遅れそうだと気付いただけで真っ青になった。

「あ、そうなの? ごめんね、引き留めちゃって」

「い、いえ! わたしが、勝手に居続けた、だけですので……あ、そ、そうだ、新聞……」

「あー、これぐらいあたしらで片付けておくから」

 フィアが持ってきてしまった新聞をチラチラ見ていた花中に、晴海が後を引き継ぐと申し出る。最初花中は遠慮がちに目を伏せていたが、実際時間があまりないのだろう。

「……お、お願いします」

「任された」

 ぺこりと頭を下げ、素直に晴海に後を任せた。

「で、では、失礼します!」

「はい、また明日」

「ばいばーい」

 慌ただしくこの場を後にする花中に晴海は手を振り、加奈子も別れの挨拶を送る。律儀にこちらに振り返り、もう一度頭を下げようとして転びそうになる花中だったが、ふと現れた黒い霧に支えられて難を逃れた。

 花中の『もう一人』の友達だ。彼女が現れなければ何もない場所で転んでいたのだから、やはり花中は鈍臭い。そこが子供っぽくて可愛いと感じている加奈子はにっこりと微笑み、晴海も同意するように優しい笑みを浮かべた。

「……さてと。この新聞を返しに行くとしましょうか」

 それから新聞を手に取り、極めて良識的な意見を述べる晴海。

 先程まで晴海と同じ表情を浮かべていた加奈子は、ここで眉を顰めた。

「えぇー、面倒くない? 図書室三階だから、階段登らなきゃいけないじゃん」

「どんだけ物臭なのよ。あと日替わりで入るとはいえ学校の備品なんだから、ちゃんと返さないと駄目でしょ」

「そーだけどさぁー」

「というか、アンタちょっとは新聞読むようになったの? 高校生なんだから、そろそろ社会勉強が必要じゃない?」

「あー……」

 丸めた新聞紙でびしりと指しながら尋ねてくる晴海。加奈子は思いっきり言い淀み……逸らした視線が事実を物語る。

 加奈子とて、新聞は読んだ方が良いと思っている。

 怪物が現れたのはアルゼンチンだけではない。オーストラリアでは巨大な怪鳥が農村を襲撃して数十人が死傷。モーリシャスでは高確率でアナフィラキシーショックを起こす花粉を撒き散らす植物が大量発生し、首都機能が停止したという。韓国では巨大類人猿が工業団地を破壊し、カナダ近海ではクジラの怪物が漁船を幾つも沈めているらしい。

 次々と現れる怪物達……テレビの自称専門家も訳が分からないと語るこの事態だが、花中曰く昨年末に起きた異星生命体事変 ― なんかでっかい宇宙生物が暴れ回ったとかなんとか、程度の知識しか加奈子にはない ― の影響らしい。そいつが暴れ回った事により多くの地域で地殻変動が起き、その地殻変動による生態系の乱れが日を追う毎に表面化しているのではないかとの話だ。

 ゲームや小説、漫画だと、自然のバランスが崩れると大変な事が起きている。テレビの真面目な番組でもそういう事が起きると言っていた。そして怪物の出現により、更に自然のバランスが崩れると。

 これからの世界は今までよりも激しく、急激に変化するだろう。時代を理解するためにも、新聞やニュースなどで常に新たな情報を得る努力が必要だ。それは加奈子にも分かる。

 分かるのだが……加奈子は不安なのだ。

 別段加奈子は花中のような怖がりではない。最初は本物の怪獣だぁーと暢気にはしゃいだものだ。しかし死者が出て、怪物達の出現が止まらず、色々と世界がおかしくなり始めると……流石に、ちょっと怖くなる。

 なので親が点けているテレビや新聞の一面を見るぐらいはするが、好んで情報を集めようとはしていなかった。加奈子としてはちゃんとした理由のつもりだが、晴海にこれを知られたら、くどくどお説教されるような気がする。

「と、ところで晴ちゃん! そろそろバイトの時間じゃない? 行かないと遅刻になるんじゃないかなぁー」

 なので露骨に加奈子は話を逸らす。

 晴海は眉を顰めたが、しかし手にしたスマホをちらりと見て、肩を落とした。

「……まぁ、良いわ。確かにそろそろバイトに行かないとね」

「バイトはどうなの? 楽しい?」

「んー、まぁ、そこそこ。レンタル店だから毎週色んな新作映画のレンタルが確認出来るし、旧作なら従業員特権でただで借りられるしね」

「あー、良いねぇ。今度良さそうな映画あったら教えてよ」

「ええ、良いわよ。売上に貢献してくれるなら何時でも歓迎するから」

 荷物を通学鞄にしまう晴海との会話を、加奈子はのんびりと楽しむ。やがて晴海は一通りの身支度を終えると、ぽんっと新聞紙を加奈子の前に置いた。

「それ図書室に返しといて。あたしは忙しいから」

「うへぇ、薮蛇だったか……また明日ねー」

「うん、また明日」

 互いに手を振り合い、加奈子は教室を出て行く晴海を見送る。

 友人の姿が見えなくなると、加奈子は小さく息を吐き、少しだけ全身から力を抜いた。

 最近晴海はバイトを始めた。なんでも家計を助けるためにとの事だ。

 怪物達による被害は世界中に及び、様々な物資が不足している。日本にも昨今その影響が及び、色々なものの値段が上がっている。本やゲームなどの娯楽品であれば我慢すれば済む話なのだが……食料品や医薬品の高騰はそれこそ命に関わる問題だ。

 加奈子の家では、今のところ生活に大きな変化は起きていない。しかし晴海の家はちょっと()()()()状態のようだ。晴海がバイトをして、お小遣いとお昼代を自前にしただけでなんとかなる程度だったようだが……今後世界が良くなる兆しはない。

 果たして何時まで晴海は働けば良いのか。いや、そもそもレンタルDVDという娯楽を楽しむ人が何時まで居てくれるのか……

「こーいうのは楽しくないなぁ」

 加奈子は唇を尖らせながら、ぼそりと独りごちる。

 加奈子は楽しい事が大好きで、楽しくない事は好きじゃない。みんながゲラゲラ笑うのが楽しくて、しょんぼり項垂れるのを見ても笑えない。どうにも世の中がどんより暗くて、自分の気持ちまで暗くなってくる。

 加奈子は顔を横に振った。こんな暗い考えを払拭するためにも、楽しい事をせねばなるまい。

 さて、どんな事をしようか――――考えれば、加奈子はすぐに一つの案を閃く。というより考えるまでもない。何故今の世間はどんより薄暗いのか? それは生活が苦しいからだ。生活が苦しいとはつまり食うに困るという事である。

 ならばそれを一時的にでも解決すれば良い。

 そう、例えばたくさんの料理に囲まれたパーティーを催すとかの方法で。

「……良し。いっちょ一肌脱ぐかね」

 力強く立ち上がり、加奈子は決意する。

 それは大した決意ではないし、これからの生活を変えるようなものではない。加奈子自身これがちっぽけな自己満足、いや、それ以下の現実逃避であると分かっている。

 しかし小田加奈子という少女は、何処までも自分本位にして楽天家。未来の事なんて考えても仕方ないと割りきり、今この瞬間に楽しむ事を至高とする。

「行動開始だぁ!」

 教室の中で元気よく、加奈子は声を上げる。教室に残っていたクラスメイト達はびくりと身体を震わせ、誰もが一斉に加奈子の方を見た。

 しかし加奈子が賑やかなのは今に始まった事でもない。誰もがなんだアイツかとばかりに納得し、向けた視線を元に戻す。

 唯一変化があるとすれば、ほんのりと笑顔の数が増えた程度。

 人目を気にしていない加奈子がその事に気付く筈もなく、彼女は意気揚々と教室から出るのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ちなみに図書館の新聞紙は既に加奈子の頭から忘れ去られ、晴海の机の上に置きっ放しになっていた。

 これが加奈子に自業自得な災難をもたらすのだが、今日の出来事には関係ないので割愛とする。




今回はなんと! 加奈子が主役です。
晴海と加奈子だと、お馬鹿な分だけ加奈子の方が動かしやすくて良い。

次回は明日投稿予定です。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。