彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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適応者7

 中国は水爆保有国である。

 その保有数は公開されておらず、詳細は不明。数百発程度という説もあれば、数千発もの数があるという説も存在する。通常戦闘での使用を想定した戦術核のみならず、都市一つを壊滅させるような威力がある戦略核も保有しているという話もあった。

 しかしながら豊富に持っているからといって、そう簡単に撃てるものではないのが核兵器だ。現代では実験的に起爆するだけでも国際的な非難は避けられない。そうした批難を無視して使ったところで、欲しいもの ― 領土なり資源なり ― を汚染してしまうリスクがある。核兵器とは交渉の道具であり、一般的な戦争なり紛争なりで使えるような代物ではない。通常戦闘を想定した小型核兵器といえども、実際に使えるかは別問題なのだ。

 ましてや自国内での使用なんてものは……平和的核爆発という『土木工事』さえも禁止されている現代では……あり得ない。

 あり得ない筈だったのに。

「本当に、使わねばならないのか」

 中国共産党本部にある、小さな会議室にて。共産党最高指導者という地位に立つ男が、ぽつりと呟いた。

 彼の前に立つのは、年老いた男性。中国人民解放陸軍を統括する上将である。彼は最高指導者からの問いに、深く、しっかりと頷いた。

「現場にて収集した戦闘データからの結論です。我が国にて出現した巨大昆虫は、主力戦車の主砲さえも弾くほどに頑強。六百名以上の地上部隊による集中砲火で弱らせた上で、三発のミサイル攻撃にも辛うじて耐えるとの事です」

「しかし、倒せるのであれば通常兵器の利用が適切ではないか?」

「巨大昆虫の数は我々の想定を大きく上回っています。現場からの報告、そして衛星からの情報が正しければ、巨大昆虫の推定個体数は二万以上。一体倒すのに、我々は五百名の歩兵と三十両の戦車を用いました。しかし我が国の総兵力は約二百万ほど……つまり計算上、二万体の巨大昆虫を根絶するには、総動員を掛けて動かせる量の六倍以上の兵力が必要となります。無論これは理論値であり、現実の戦闘では補給部隊や工作兵などが必要です。通常兵器による巨大昆虫の駆逐を望むのであれば、現在の人民解放軍の十倍もの戦力を用いるのが『現実的』でしょう」

「……………」

「加えて巨大昆虫は飛行能力があるため、航空戦力による一方的な駆逐は不可能です。また、この巨大昆虫を遙かに上回る戦闘力を有した巨大鳥類も確認されています。恐らくこの鳥には、戦車砲もミサイルも通用しないと考えられます」

 淡々と語られる現状に、最高指導者はついに黙る。意見を終えた上将は、最高指導者の指示を待つため口を閉じる。沈黙が、部屋の中を満たした。

 上将の報告は、現場兵士……王大佐率いる部隊が上げた情報を多分に含んでいる。彼等は優秀な部隊だ。極めて練度が高く、勇敢で、機転が利く。中国人民解放陸軍において、最強の部隊の一つといっても過言ではない。

 その彼等が、ただ一匹の巨大昆虫を倒すだけで壊滅的被害を受けた。恐らく並の部隊では戦闘中に士気が下がり、逃走や放心などから著しく戦闘力が落ち、壊滅しただろう。最高指導者に告げた十倍という戦力すら、巨大昆虫と『全面戦争』をするには低過ぎる見積もりかも知れない。

 そして恐らく通常兵器が通じない、巨大鳥類の存在がある。

 加えて現在、大型鳥類の中でも飛び抜けて高い戦闘力を有する個体と、その個体とあろう事か生身で戦ってる『金髪の美女』がいる。後半はなんのジョークだと言いたくなるが、二体の戦いを記録した画像や映像データがある以上否定は出来ない。巨大昆虫すら抑えきれない兵力では、この二体の足止めなど夢のまた夢だ。

 通常兵器による戦闘では勝ち目がない。奴等を、人智を超えた生物共を駆逐するには、こちらも『神の炎』を用いる以外にないのだ。

 即ち、核兵器の実戦使用である。

「……しかし、アメリカは昨年失敗したではないか」

「アレは異星生命体、つまり地球外の化け物です。当局が入手した情報によれば、あの生命体は核融合を活動エネルギーとしていたとの事。核融合で生きる生物に、核融合を用いた兵器が通用しないのはある意味納得の出来る話ではあります。ですが今回は地球の生命、田舎に現れた虫けらです。通じぬ訳がありません」

 最高指導者の指摘に、上将は明確な答えを返す。最高指導者は思っただろう。その異星生命体を倒したのはヘビの化け物、地球生命だったではないか、と。

 しかし他に手があるかといえば、答えはNoだ。戦車砲もミサイルも効かないとなれば、これ以上の威力があるのは核兵器だけ。

 成功するかどうかではない。他に手がない以上、運命を受け入れるか、或いは抗うかだ。

「……分かった。許可しよう」

「英断、感謝致します」

 最高指導者の決断を、上将は褒め称える。果たして本当に英断となるのか……そう言いたげな最高指導者の顔を見た上で。

 しかし指導者の個人的な『感情』など、実際に出された決定の前では無力。

 最高指導者が承認した時より、人民解放軍は動き出す。アメリカとは違い完全な自国内での使用だ。加えて対象も小さく、まだ拡散していない状況である。何十メガトンもある水爆を用いても、被害が大きくなるばかり。

 使用されるのは、一メガトン級の水爆。戦略核と呼ばれる代物であり、射程五百キロを有する。アメリカが異星生命体相手に使用したものは最大で百五十メガトンのもので、中国が今回用いるのはその百五十分の一の威力しかないが……それでも広島型原爆六十六発分以上の出力だ。そして広島型原爆というのは、現在世界最大級の爆弾の千五百倍もの出力を有す。メガトン級の水爆とは、一発で並の爆弾十万発以上に値する力なのだ。

 加えて、用いるのは一発だけではない。

 投入される数……合計三百発。

 異星生命体にアメリカが投じたのと同等の、合計三百メガトンものエネルギーだ。いや、むしろ一発当たりの爆発半径が狭い事を思えば、単位面積当たりのエネルギー量は遙かに上回る。数が数だけに、搬出にも時間が掛かったが……それでも二時間ほどで準備は整った。司令部の合図と共に、人類が持ちうる最大最強の力が放たれる。

 一年も前ならば、ここで誰かが躊躇っただろう。やっぱり何か案があるのではないかと、中止を決断する可能性もゼロではなかった。けれども人類は学んでいた。世界を、全生命を脅かすほどだと思っていた自分達の力が、如何にちっぽけなものであるかを。余裕ぶって出し惜しみをしていたら、その隙に全てが食い尽くされてしまうと。

 水爆という力は、既に禁忌ではなくなっていた。

 共産党からの指示により、中国人民解放軍の開発した水爆が次々と空を飛ぶ。どのミサイルにも不調はない。正確に、目標目指して突き進む。

 そして――――

 

 

 

 そして人民解放軍が撃ち出した水爆は、フィアと怪鳥のど真ん中に落ちてきた。ずば抜けた戦闘力を有する怪鳥と、その怪鳥と戦うフィアこそが最優先の目標だと判断されたがために。

「(ちょっとちょっとなんかコレヤバそうなんですけどぉ!?)」

 正直フィアは焦りを覚えた。本能的に、目の前にやってきたものの破壊力を察したが故に。

 ミィであれば、その俊足を用いてそそくさと逃げる事も可能だった。しかしフィアにそんな足の速さはない。というより頭の中を駆け巡る思考を()()()()()()()()。実質、何も考えていないような状況だ。

 逃げ出すなんて夢のまた夢。

 流れた時間は百分の一秒未満。しかしケダモノの本能が二匹を反応させ……空から超音速で落ちてきた水爆は、地面と衝突する前に起爆した。

 放たれる莫大なエネルギー。

 内部で起きた小規模の核爆弾により、『燃料』である重水素化リチウムを圧縮。極限まで圧縮された原子はクーロン力を乗り越えて融合し、新元素を創造。その際の余剰質量(余りもの)全てをエネルギーに変換していく。

 生じる熱は、中心部分で四億度。

 それは本当にごく狭い範囲での話であり、広がる爆風は急速に冷めていくが……それでも半径十一キロを超える広範囲に、人を死に至らしめる事が可能な熱風が吹き荒れた。フィア達の戦いから逃れた森の木々も吹き飛び、炭化し、消滅する。爆風は麓まで駆け下り、無人と化した廃村を薙ぎ払う。

 されど攻撃は終わらない。

 水爆は三百発の投入が決定されていた。一発撃って十分な破壊力だから止める、なんてならない。そもそも多少の時間差はあれども既に水爆達は空を飛んでいるのだ。今更止める事など出来ない。

 最初の一発は、多少の偶然も絡んでフィア達のど真ん中かつ至近距離に落ちてきた。他のミサイルはそこまで近くには来なかったが、それでも爆風が去ったコンマ数秒後を狙い、十数発が高度五十メートルほどの位置で炸裂する。とても高い高度に思えるかも知れないが、生じる火球そのものが五百メートル以上の範囲に広がるのだから誤差のようなもの。合計十数メガトンの破壊が繰り返される。

 攻撃は終わらない。太陽と同質の力は、山を、自然を、何もかも破壊していく。

 この場に生きられる地球生命などいやしない。いてはならない……核兵器を撃たせ、その結果を確認している人間達は誰もが同じ気持ちを抱いている事だろう。

 もしもこの大水爆攻撃に耐える生命がいたなら、もう、それは人の手には負えない事の証明なのだから。

 爆撃は続き、二百メガトン分のミサイルが無事に役目を終えた頃には、既に山など跡形も残っていなかった。麓の村など痕跡すら存在しない。

 それでもまだ作戦は三分の二しか終わっていない。残り百発分の水爆も己が使命を全うすべく、目標値点目掛け空を駆ける。そして先行する十数発が新たに起爆

 しようとした直後に、爆炎から現れた『糸』がミサイルを切断した。

 制御装置ごと切断された水爆搭載のミサイルは、核融合による爆発を起こせない。核融合を起こすためには、緻密に計算されたタイミングでの原子爆弾の発破が必要だからだ。ボンッ! と小さな核爆発を空中で起こすのが精々。切り落とされたミサイルは、人類最高の英知とは思えぬほど呆気なく潰える。

 十数発の水爆が落ちた。

 この地から遠く離れた場所で事態を観測していた人間達は今頃唖然としているだろうが、機械には関係ない。規定されたプログラムに則り、後続の十数発の水爆が現場に到着。

 されどそれらもまた粉砕された――――爆炎を吹き飛ばして現れた、半径一メートルほどの小さな竜巻によって。

 竜巻は数十キロ彼方まで伸び、超音速で飛来する水爆を起動前に撃ち落とす。数と包囲によってどうにか接近した水爆も、今度は振り回される『糸』によって切り落とされた。そして竜巻や『糸』による攻撃は、最期の足掻きと呼ぶにはあまりにもパワフルで、極めて正確。

 残り百発の水爆は、役目を果たせず撃墜される。核により広がった爆風は時間と共に小さくなり……しかし待ってる暇はないとばかりに、内側から膨れ上がるようにして霧散。

 焼け爛れた大地の上に、二体の『化け物』が立っていた。

「……ふしゅうぅぅぅぅぅ……流石に今のはちょっと効きましたねぇ……!」

 フィアは『身体』の表面を紅蓮色に光らせ、少々疲れた息を吐きながらも強気な声を発する。余裕があるとは言い難いが、瀕死には程遠い姿だ。

 本来水分子は二千度程度で分解されてしまう。だがフィアは能力により水分子を固定し、迫り来る四億度の熱を耐えた。放たれる多量の放射線も、怪物の姿となるために蓄えた莫大な水が意図せず遮断。

 かくしてフィアは水爆の直撃を見事やり過ごしたのである。尤も途中で苛立ち、『糸』という形で後続の()()()は振り払ったが。

「クキュルルルルルル……」

 怪鳥もまた健在。目視可能な空気の歪みを纏ったまま、大きなため息のようにも聞こえる鳴き声を漏らす。

 怪鳥もフィアと同じく、能力により水爆の猛攻を耐え抜いた。空気を操れる怪鳥にとって、空気分子から伝わる爆風など操作対象に過ぎない。放たれた高熱は空気密度を下げる事により無力化。放射線も、防御のため圧縮して纏っていた大気に含まれる水分子が防いだ。こちらも耐えようと思えば幾らでも耐えられたが、やはり面倒臭くなったので残りのミサイルは排除した。

 ミュータント二匹は、人類最高の英知を、神の炎を、宇宙の神秘を、我が身一つで切り抜けたのだ。

「いやぁ今の爆弾は中々のもんでしたねぇ。なんか普通の爆弾とは違う感じでしたがあれが核兵器とかいう奴ですかね?」

「クキュルルルル! クキュ! キュルルルルル!」

「? なんか怒ってます? まぁ確かにちょっとしんどい攻撃でしたし一発ぐらいお返しでぶん殴った方が良いかもですけど」

「キュルルル! キュルゥ!」

 フィアがキョトンとする中、怪鳥はばたばたと翼を動かしながら地団太を踏む。何やら不満な事があるらしい。

 一体何が不満なのやら、と思っていたフィアだが、ふと空に気配を感じた。また核兵器かとも思ったが、ミサイルのような速さではない。

 見上げれば、夕暮れの空に巨大な鳥が何羽か飛んでいた。

 怪鳥だ。恐らくはミュータント化していない『普通』の。

 森に棲んでいた彼等もまた、核攻撃を生き抜いたのだ。しかしそれは何も不思議な話ではない。彼等は戦車砲すら受け止める巨大昆虫さえも凌駕する、圧倒的身体能力の持ち主なのだ。十数キロにも広がった衝撃波や、数百度程度の高温などどうとでもなる。森が蒸発し、山が砕けようとも、彼等は生き延びるのだ。

 とはいえ超常の力はないのだから、至近距離で受ければ一溜まりもあるまい。幾らかは死んだ個体もいるだろう。その事に怪鳥は怒っている? 一瞬そんな考えも過ぎるが、これはあり得ないとフィアはすぐに否定した。仲間が殺されても平然としているのは、怪鳥の仲間をこの手で殺したフィアは目の当たりにしているのだ。

 一体何が気に入らないのやら、とフィアが首を傾げた……最中に、唐突に大地が揺れ始める。

 地震?

 違う。フィアの鋭敏な感覚器は、この揺れが地中深くから自分達が立つ地表目掛けて『移動』している事を察知していた。それも『震源』はかなり小さな固まりで、複数箇所で生じている。これは自然現象としての地震ではない。

 得体の知れない感覚。とはいえ大した脅威は感じられないので、逃げも隠れもせず、迎撃も行わずに放置してみる。

 すると震源は地表面まで昇ってきて……ボゴンッ! と荒廃した大地を砕いた。

 現れたのは、巨大昆虫。

 それも一匹だけではない。出来上がった穴からわらわらと、間欠泉を彷彿とさせる勢いと数で現れたのだ。何十、或いは何百か。彼等の大移動が不可思議な地震の正体だったのだ。

 挙句フィアが感知した震源は一つではない。山があった場所、そのあちこちから巨大昆虫が噴出している。一体何処にこれだけ隠れていたのやら、と思いたくもなったが、答えは明白だ。

 地下である。思い返せばハオユー(村の人間)が言っていた。巨大昆虫は洞窟に潜むものであると。その洞窟への入口は、フィア達を狙った核攻撃により消し飛んだようだが……洞窟は、地下深くまで伸びていたに違いない。核攻撃さえも届かないほど、遙か深くまで。

 だとすると、地表に現れた巨大昆虫なんてものは全体のごく一部だったのではないか。

 フィアの脳裏を過ぎる可能性は、溢れ出てくる巨大昆虫が物語っていた。数えきれないとは正にこの事だと、そう思わせる大群だ。

 しかし数は多くとも、所詮は狩られる側だ。巨大昆虫はフィアの傍に立つ怪鳥を見るや、慌てて逃げていく。無論ミュータント化した怪鳥であれば、いや、例えミュータント化していなくとも、この巨大昆虫を一匹捕らえるぐらいは造作もない。無駄な足掻きというやつだ。

 ところがフィアと戦っていた怪鳥は巨大昆虫に手を出さない。むしろ忌々しげに睨み付けるばかり。

 怪鳥が巨大昆虫を襲わない理由は、フィアにも分かった。そして怪鳥(コイツ)が何に対し怒り狂っていたのかも。

 穢れたのだ。地表に出てきたその瞬間に、大切な食べ物である虫達が。

 フィアは人間の科学になど興味はない。が、『知識』としてなら多少の見識を有している。核攻撃が行われた場所は、放射性物質という猛毒によって汚染されてしまうと。

 放射線は感じ取れるようなものではない。が、知識としてあれば、放射性物質塗れの虫を食べようという気にはならないだろう。この怪鳥も、自分達に向けて行われた核攻撃が何をもたらすのか、知っていたに違いない。

 独占していた獲物が穢された。怒り狂うには十分な理由だ。

 そして怪鳥にはもう、フィアと戦う理由がない。毒に侵された食べ物を守るため、命懸けで戦う獣なんていないのだから。

「……クキュルルルル」

「ん? 帰るのですか? まぁこれから大変かもですが頑張りなさい。偶には遊びに来ますよ」

 フィアがぞんざいに別れの言葉を伝えると、怪鳥は翼を広げ、空へと飛び上がった。

 戦いで見せたような超音速ではなく、むしろふわふわとした飛び方だったが……怪鳥の姿は、どんどん小さくなっていく。目があまり良くないフィアには、そいつの姿はすぐに見えなくなった。

 辺りに残るのは、溢れ出し、何処かに向けて大群で移動する巨大昆虫のみ。

 今なら取り放題というやつだ。怪鳥からの妨害もあるまい……しかし爆心地に出てきてしまった以上、彼等の身体にも放射性物質は付着しているだろう。つまり汚染されている訳だ。

 フィアとしても、猛毒に侵された巨大昆虫(食材)なんて興味もない。当初の目的が果たせなくなった今、此処に留まる理由は何もなかった。

「……まぁ楽しく遊べましたし良しとしますか。さぁて私も帰りますかねぇー」

 フィアは独りごちると、のんびりとした足取りで『山』だった場所を降り始める。

 目指すは、自分が上陸直前まで居た川。

 そこからでないと、帰り道がよく分からなかったので。

 ……………

 ………

 …

 のんびりと歩く事一時間。夕陽が沈み、世界が薄ら暗くなってきた頃。フィアは村があった場所に辿り着いた。

 その場所も荒野となっていた。核爆発の衝撃波の前では、木造の家屋の強度などないに等しかったという事だろう。本当に、何一つ残っていない。焼け焦げた砂だけが地平線まで続いている。フィアは野生の本能で「此処が村のあった場所」と認識しているが、人間の目には此処が『どんな場所』だったかなんて分かりようがないだろう。

 この分だと川まで蒸発していそうである。そうなると帰り道が分からなくなりそうだ。尤も、東に向かって突き進めばいずれ海に着くだろうとは思っていたので、フィアはあまり気にしていないが。

 この場所にも用はない。そそくさと立ち去ろうとする。

 その間際、フィアはふと気付いた。

 村のあった場所……その少し離れた位置に、人影がある事に。

 人影の傍には車が止まっていたので、その人物は車でこの場所に来たらしい。別段人影に興味などないが、偶々進もうと思っていた東側にその影は立っていた。じゃあついでに正体も見ておこうかと、結果的に人影を目指すように歩く。

 五分も歩けば、フィアは人影の顔が見えるぐらい近付けた。

 ハオユーだった。フィアは彼の名前を忘れていたが、彼の『臭い』はまだ覚えていたので、手を振りながら声を掛ける。

「おー久しぶりですね。あなた生きてましたか」

「ええ。軍人に、仮説避難所を、追い出されまして。あなたも、無事でしたか……核攻撃だったと、噂では、聞きましたが」

「多分そうなんじゃないですか? まぁこの私にとってはちょっと派手は爆発程度のものでしたけどね」

 胸を張り、自慢げに核攻撃を耐えたと主張するフィア。本来ならば世迷い言であるが、ハオユーはフィアが山に行った事、そしてフィアには巨大昆虫や怪鳥を上回る力がある事を知っている。「流石ですね」という彼の言葉に、疑念の意図があるとはフィアには感じられなかった。

「ところであなたこそこんな場所に居て良いのですか? よく知りませんけど核攻撃をされた後って『ほーしゃのーおせん』とやらで大変な事になるそうじゃないですか。私は水で身を守っていますけどあなた死んじゃうんじゃないですか?」

「はっはっはっ。確かに、そうかも知れません。ですが元より老い先短い身。今此処で死んだところで、数年……もしくは数日、寿命が縮んだだけです」

「ふぅーん」

「……故郷の、こんな姿を、見るぐらいなら、爆風で、消し飛んだ方が、マシだったかも、知れませんが」

 物悲しそうなハオユーの言葉。尤も、家や家族なんてものに価値を感じないフィアには、彼が何を悲しんでいるのかなど見当も付かない。そもそも興味すらない。

 そう、例え彼が放射線の影響で死んだとしても、だ。

「まぁ好きにすれば良いじゃないですかね。先程虫がたくさん出てきましたからもう人間には逃げきれないでしょうし」

「……そうですか。地獄の蓋は、開かれた、という事、ですかね」

「開けたのはあなた達人間ですけどね」

 けらけらと笑いながら、フィアはハオユーの言葉を囃し立てる。フィアに悪気はない。思った事を、そのまま言っているだけだ。ハオユーもフィアの皮肉に「その通り」と答え、自嘲するように笑みを浮かべるばかり。

 そんな話をしばししていると、遠くからキュリキュリという金属的な音が聞こえてきた。勿論フィアの優れた聴覚だからこそ察知出来た音であり、人間かつ老人であるハオユーはその音に気付いていない様子。

 しかし音そのものが近付いてくれば、やがてハオユーにも聞こえてくる。

 ハオユーが後ろを振り返った時、彼の背後には数台の戦車がやってきていた。一瞬彼は驚いたようにビクリと身体を跳ねたが、すぐに冷静さを取り戻し、淡々と戦車を見つめる。

 戦車数台はハオユーとフィアを通り越す、が、一台だけハオユーのすぐ傍に停まった。車体上部にある蓋がぱかりと開き、中からガスマスクを被った男が出てくる。

 王大佐だった。とはいえフィアからすれば面識のない人間。誰だコイツ? と思いながら首を傾げる。

「『何をしている! 早く此処から避難しろ! この辺りは放射性物質に汚染されている! 装備もなしに数時間もいれば、死に至るぞ!』」

 対する王大佐は、中国語でフィア達に避難を促してきた。

 日本語しか分からないフィアは、王大佐の警告にキョトンとするばかり。そしてハオユーは、睨むような、蔑むような眼差しを王大佐に向けた。

「『今更何処に逃げろと? あの虫共の大群から、どうやって?』」

「『それは……』」

「『核兵器で村を焼いただけでなく、虫の巣穴をほじくりおってからに。もうこの地域は、いや、国も、大陸も終わりじゃ。なら、せめて老い先短い身としては、故郷で死にたい。そんな願いすら叶えてくれんのかね?』」

「『わ、我々にはまだ戦力はある! ロシアや中東、インドにも援軍を要請している! 彼等も虫共の駆逐に手を貸してくれる筈だ!』」

「『希望的観測が混ざってるようじゃ、こりゃ駄目じゃのう。仮に思惑通りいっても、それで足りるとも思えんがな』」

「『っ……!』」

 ハオユーの反論で、王大佐は口を噤む。

 二人の口論を聞いていたフィアは、意味も分からなかったのでもう帰る事にした。

「じゃあ私は帰りますね」

「ええ、お気を付けて。もう二度と、会う事は、ないでしょうが」

「そうですか。ではこれにて」

「ええ……ああ、そうだ。一つ質問が」

「? はい?」

 帰ろうとするフィアを、ハオユーが呼び止める。フィアは振り返り、ハオユーの言葉を待つ。

「もしも、虫達が、人間の町に、降りたなら、あなたは人間のために、戦ってくれますか?」

 やがてハオユーは、そう尋ねてきた。

 フィアは彼の言葉の意味をよく理解する。

「戦いませんよ。というか何故私が人間なんかのために戦わねばならないのです?」

 理解した上で否定し、どうしてそんな願望を抱くのかが分からず問い返した。

 ハオユーは快活に笑った。答えが分かっていたかのように。

「確かに! 我々人間は……やはり、自惚れが過ぎる、という事、でしょうか」

「人間が自惚れてるのなんて今更でしょうに。話はそれで終わりですか? なら私は今度こそ帰りますよ」

「ええ、今度こそ……お別れです」

「『っ!? おい! そこの女! お前、まさかあの時鳥の戦っていた……』」

 ハオユーは別れを告げ、フィアは背中を向けて歩き出す。途中王大佐が何かを叫んでいたが、フィアには中国語が分からない。興味もないので無視した。

 しばらく歩くと、唐突に地面が揺れ、大地が砕ける音が聞こえた。どうやら巨大昆虫が地中から、この近くに現れたらしい。

 此処も多分放射性物質に汚染されている。なら此処に現れた巨大昆虫も汚染された。食べ物にならないのならなんの価値もない。フィアは足を止めもしなかった。

 やがて背後から砲撃音が聞こえる。爆音が轟き、金属が叩き潰される音も耳に届いた。どれもフィアにとってはただのノイズだ。振り向きもせず川を探し……なんとなく、それっぽい跡地を見付けた。水は流れていなかったが、足下に水を浸透させて調べれば、他の土壌より地下の水分量が多い。表面は消し飛んでも、地下には痕跡が残っていた。

 この痕跡を辿れば、海に辿り着けるだろう。

 フィアは川の跡地を東に向けて歩いて行く。その直前、大きな『力』を感じ取ったが……こちらに『力』は向いていない。向けてくる様子もない。

 なら、フィアにはどうでも良い事だ。

「『な、なんだこの巨大昆虫は!? 接触した砲弾の軌道が捻じ曲がったぞ!?』」

「『ひぃっ!? 地面が、地面が槍のように尖ってリーを……!』」

「『まさかコイツ、あの化け物鳥と同じ……ぎゃああっ!?』」

 背後から聞こえてくる人間達の阿鼻叫喚も、フィアの心には届かない。意味が分からないし、知らない人間がどれだけ死のうがどうしようが関心すらないのだ。

 そんなものよりも重大な問題がある。

「遊び過ぎて予定より随分遅くなってしまいました。花中さん心配してないと良いんですけど」

 大切な友達に伝えた帰宅時間より、かなり遅れての帰宅になりそうな事だった。




たくさん遊べて大満足。
結果世界が滅茶苦茶になっても構わない。
だってケダモノだもん。

次回は5/19(日)投稿予定です。

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