彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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適応者6

「クルルルルルルル!」

 木々の生い茂る深い森の中に、怪鳥の喧しい鳴き声が響き渡る。

 その鳴き声と共に怪鳥が放つは、恐竜のように太い足による蹴り。しかしただの蹴りではない。足には能力によるものと思われる強烈な旋風が吹き荒れ、あたかも防具、はたまた武器のように纏わり付いている。その一撃の威力たるや頑強な金属の塊である戦車さえも泥細工のように打ち砕き、何十キロにも渡って破壊を届かせるほどだ。

 されどフィアはこれを正面から受け止める。

 無視出来るほと弱くもない、が、警戒するほど強くもない。ならば敢えて前から受け止め――――手元まで来てくれた足を掴むのが()()()

「ふんっ!」

 腹に喰らわされた巨大な足を両手で掴むや、フィアは己の身を舞うようにぐるんと一回転。たっぷりとスピードを付けてから、怪鳥を大地に叩き付けた!

 怪鳥を受け止めた大地は陥没し、クレーターが出来上がる。拡散する衝撃波により周りの巨木が吹き飛ぶが、フィアにとってはどうでも良い出来事。今はこの忌々しい輩を倒す事しか頭にない。

 怪鳥もまた同じだろう。

 小惑星衝突に値する衝撃を受けた怪鳥は、だが怯みもせずにフィアを睨んだ。軽やかに翼を広げ、力強く一回羽ばたく。

 すると翼からは半透明な歪み……圧縮された空気の刃が飛んだ!

「ちっ!」

 フィアは怪鳥の足から手を離し、身を大きく逸らしてこれを回避。空気の刃は標的を外し、彼方へと飛んでいって……フィア達が居る山の、向かい側にある尾根に命中。刃は尾根を切り裂いて山の向こう側まで飛んでいき、貫かれた事でバランスが崩れた山は崩落を始めた。

 恐るべき破壊力だ。人間達が作り上げた都市でこの力を振るえば、ものの数秒で全てが瓦礫の山と変わるだろう。

 フィアは反射的にこの攻撃を躱した。当たれば間違いなく()()()と、遅れて実感する。

「調子に乗るんじゃありませんよォ!」

 されど臆さず怯まず。フィアは全身から水触手を生やし、怪鳥へと放つ! しかしフィアの拘束から解き放たれた怪鳥は、まるで滑るように大地を滑走してフィアとの距離を開けた。フィアが仕掛けた攻撃は尽く避けられてしまう。

 このまま逃がすつもりは毛頭ない。フィアは躊躇なく怪鳥を追う。怪鳥もフィアに空気の刃を飛ばして牽制するが、フィアは少しずつ怪鳥との距離を詰めていく。

 ついにフィアは再度怪鳥に肉薄。怪鳥の方も吹っきれたと言わんばかりに交戦に転じた。フィアが怪鳥の翼を掴み、怪鳥が足でフィアの胴体を掴む。

 互いに相手の動きを封じた、丁度そんなタイミングで二匹は見落としていた崖から転がり落ちる。だがそれがなんだ。戦車砲だろうがミサイルだろうが通じぬ二匹にとって、崖からの転落など気付きもしない些事である。どちらも相手を離さずに崖を転がり落ちて……

 かくして二匹は、人民解放軍の前に姿を現した。

 軍からすれば突然現れた、恐ろしい存在達。何百もの人間達が咄嗟に武器を向け、攻撃の意思を示す。

「クルキュ! クキュキュ!」

「うっがあああっ! このケチ! 一匹ぐらい寄越しなさい!」

「クキュアアルル! キュッ! クルルルッ!」

 尤も二匹は人間達など見向きもせず、相手を『ボコボコ』にする事で頭がいっぱいだった。フィアは怪鳥の頭目掛けて殴り掛かり、怪鳥もフィアを蹴り潰さんとばかりに足をばたつかせる。勿論どちらも己の能力を用い、人智では真似すら出来ない超常の力を振るっているのだが……やってる事は最早ただの取っ組み合いである。ぶつける言葉も口ゲンカの様相だ。

 しかし繰り出されるパワーは圧倒的。

 フィアは背中から着地した地面に水を染み込ませ、大地の一部を持ち上げた。木も何本か巻き込み、まるで巨人が苗木を掬い上げたかのよう。ついでとばかりに近くにあった戦車が巻き込まれ、何両かがオモチャのミニカーのようにあっさりとひっくり返された。

 被害は大地に留まらなかったが、生憎フィアには植物や人間を慈しむ心などない。

 フィアは持ち上げた大地を、怪鳥へと叩き付けた! 材質こそ土ではあるが、経年により圧縮され、樹木の根によりガッチリと固められたそれは大岩と大差ない。人間相手なら、くちゃっと潰して地面の染みへと変えただろう。

 されど怪鳥はこれに怯みもしない。むしろ怒りを高め、全身から熱気を放つ。

 これは比喩ではない。

 文字通り、怪鳥の全身から灼熱の大気が放たれたのだ! 吹き荒れた高熱は木々はおろか大地すら焼き、溶解させる。遠く離れていた人間達さえも悲鳴を上げ、わたわたと逃げ惑った。

 しかし至近距離でこれを受けるフィアは一歩も退かない。この程度の高温、どうとでもなる。

 それよりもムカつくコイツの顔をぶん殴りたい。

「ふんっ!」

 容赦なく、誇張なしに一撃で高層ビルを何棟も粉砕する拳を怪鳥の顔面に叩き込む。殴られた怪鳥は大きく身を仰け反らせた。

「クルルルッ!」

 お返しとばかりに、今度は怪鳥が己の翼を振るう。刀のように振るわれた一撃は、こちらもフィアの顔面を直撃。フィアの『身体』が大きく仰け反った。

 どちらも相手の攻撃を真っ正面から受けた。しかし怪鳥の身体の周りには大気のバリアがあり、フィアの『身体』は水で出来ている。

 つまりどちらも本体は無傷。

「小賢しいッ!」

「クルルルァッ!」

 両者の闘争は、終わる気配すらなかった。

 ……そしてこの闘争を目の当たりにした人間達は、ガタガタと生まれたての小鹿のように震えていた。

「『た、大佐……早く、早く逃げましょう!』」

「『此処に居ては危険です! 巻き込まれます!』」

 何人かの兵士達は必死に、己のリーダーに逃げるよう母国語(中国語)で促す。彼等は既に撤退を指示されており、今は自主的に足を止めているだけ。次の指示を待たずに逃げた者も少なからずいる。

 そんな彼等のリーダーである王大佐は、ごくりと息を飲んだ。

 なんと恐ろしい光景なのだろう。

 言葉にこそ出さなかったが、王大佐の愕然とした顔がその気持ちをありありと物語っていた。今にも悲鳴を上げそうになる口を閉じるので精いっぱいといった様子。

 しばらくフィア達の戦いをじっと眺めていた彼は、やがて大きな息を吐き、精いっぱいの力強い眼差しでフィア達を睨む。無論フィア達は王大佐達の事など見向きもしない。彼女達にとって人間なんてものは、意識を向ける価値すらないのだから。

 無視された王大佐は悔しそうに歯噛みした。次いで安堵したように眉間の皺が消え……最後に、悲しみに暮れた表情を浮かべた。

「『あの戦闘の映像データは撮れたか』」

「『はい。奴等による震動の所為で少し乱れていますが、状況説明には問題ないレベルです』」

 傍に居る兵士の答えを聞き、王大佐は確信したように小さく何度も頷く。

「『分かった。退却し、その映像データを用いて上にプランBを要請する。怪鳥だけでも十分だと思っていたが、この戦いを見せれば駄目押しの一手になるだろう』」

「『プランBを要請……まさか』」

 驚くように目を見開く兵士に、王大佐はこくりと頷いて肯定した。

「『国土内での使用は望まないが、奴等を野放しには出来ない。我々の、人類の英知を見せ付ける。それ以外に奴等を倒す手段はない』」

 そしてハッキリとした口調で告げた。

 奴等を倒す。

 本来ならば希望のある言葉に、されど聞かされた兵士は表情を強張らせ、何か言いたそうに口をまごつかせる。結局何も言わずに彼は口を閉じたが、王大佐もまた同意するように悲しげな顔を見せた。

 どちらも納得などしないまま、王大佐達も麓を目指して逃げていく。

 超常の生命体を、今度こそ討ち取るために。

 ……………

 ………

 …

 二匹のケダモノ達の争いにより、森の中はぐちゃぐちゃになっていた。

 半径一キロ圏内の木々は余さず倒され、大地を覆う草花は何もかも引っ剥がされた。露わになった岩は砕かれ、もう砂しか残っていない。その砂も、震動が起こる度に舞い上がり、吹き付ける衝撃波で彼方へと飛ばされる。

 フィアも怪鳥も、地面を直接殴るような真似はしていない。

 だが激戦の結果はクレーターという形となって現れていた。

「ぬぎぎぎぎ……!」

「グルルルル……!」

 フィアは怪鳥の翼を掴んだまま前進しようと足に力を込め、怪鳥もまたフィアを押し返さんとばかりに前進しようとしてくる。本来フィアのパワーであれば飴細工のようにへし折れる筈の翼を、怪鳥は能力により強靱に固定しているらしい。フィアの怪力をしかと受け止め、自ら加えた力にも耐えていた。

 フィアと怪物の押し合いは、最初拮抗していた。どちらも一歩と進めず、踏ん張っている足場を大きく凹ませるだけ。

 しかし十数秒と経つと、状況が動き出す。

 怪鳥がフィアを押し始めたのだ。

「ぬぐ……ぐ……ぐぅぬううううぅぅ……!」

 負けじとフィアは唸りを上げて踏ん張るが、後退していく身体の動きは止められない。否、それどころか加速していく。

 どんどんどんどん押されていき、辿り着いたのはクレーターの淵という名の壁。

 怪鳥を押し止める事が出来なかったフィアは、その身を激しく『壁』に叩き付けられてしまう。衝突時のスピードは暴走自動車もかくやといえるほど。衝撃を受け止めきれなかったクレーターの淵は砕け、粉塵を舞い上がらせる。

 尤もこの程度の打撃では、フィアの内で燃え盛る怒りの炎に油を注ぐだけ。

「ぐぬあぁっ!」

 怒りのボルテージを上げたフィアは、渾身の力で怪鳥を持ち上げ――――さながらジャーマン・スープレックスのように、怪鳥を背後の地面に叩き付けた!

 凄まじい勢いでの墜落。大地が衝撃波で吹き飛び、クレーターの内側にもう一つのクレーターが生み出される。並の生物、いや、並の『怪鳥』ならこの一撃で絶命するであろう。

 しかしこの怪鳥は生きていた。生きているどころか、まるで堪えていないかの如く表情を変えない。

 怪鳥は強引に身体を捻り、起き上がる。フィアは怪鳥の翼を掴んだままだったが、怪鳥はわざと翼を広げ、そのフィアを大地に擦り付けるようにして甚振った。

 ごりごりと地面が抉れるほどのパワーを受けるフィアは、鋭い眼差しを揺らがせる事もなく怪鳥の翼を掴み続ける。

 あまりにもしつこく捕まるからか、怪鳥は片翼だけを大きく羽ばたかせ、フィアを大地に幾度も叩き付けた。扇ぐ度に爆風が吹き荒れ、翼と向かい合った先にある山の尾根が爆薬でも仕込まれていたかのように吹き飛ぶ。遙か彼方の山が吹き飛ぶほどの威力である。フィアが受けている風の力は、最早人類のスケールでは語り尽くせない。

 爆風と打撃をフィアは一身に受け、それでもフィアは怪鳥の翼を離さない。離してやるつもりは毛頭ない。

 このまま一気に、ぐちゃぐちゃに潰してやるつもりなのだから。

「クキュルッ!?」

 怪鳥の方も異変を察知したのだろう。危機感のある声を上げた、が、既に遅い。

 フィアの身体から伸びた水が、怪鳥の身体に纏わり付いたのだ。それも()()

 怪鳥は全身に空気のバリアを纏っている。このままではどれだけ殴ろうとダメージは殆ど入らない。そこでフィアは一ヶ所……今までずっと掴んでいた翼の先を、指先に形成した水のドリルで集中的に攻撃。小さな穴を開け、バリアの内側へと水を侵入させたのだ。

 このまま血中に入り込んでも良いが、それをすると即座に翼を切り落とすなどの行動を取られ、逃がしかねない。手負いの獣は危険だ。出来るだけ短時間で息の根を止める方が得策である。

 水は表面に展開された空気の層の下を進み、怪鳥の全身へと広がっていく。怪鳥は激しく藻掻いたが、フィアが操る水はこの程度のパワーでは振り解けない。翼から放つ刃のような風なら切断も可能だろうが、水は既に網の目状に広がり、怪鳥の頭から尾の先まで包み込んでいる。今更水の一部を切ったところで無駄だ。

「ふふふん。このまま締め潰してあげますよっ!」

 完全な捕縛で勝利を確信したフィアは、止めを刺そうと操る水に力を込めた。

 が、その確信はすぐに揺らぐ。

 ()()()()()()()

 フィアがどれだけ力を込めても、怪鳥の身体は微動だにしなかった。それほどまでに表皮が硬いのか? そんな筈はない。他の怪鳥はもっと弱い力で頭蓋骨を粉砕出来ている。コイツだけがやたら皮膚が頑丈なんてあり得ない。

 フィアは操る水を介して状態を解析。原因はすぐに判明した。

 水が浮かび上がっている。

 一度は皮膚に張り付いた筈の水が、何時の間にか皮膚から剥がされていたのだ。皮膚との間には空気のバリアが出現しており、完全に怪鳥の身を覆い尽くしている。

 フィアにはその空気の出所はさっぱり分からない。分かる筈もない。

 何故ならこの空気は、怪鳥が自ら皮膚に開けた穴から噴かせたものなのだから。

 危機に陥った怪鳥は能力を用い、肺に取り込んだ空気の塊を直に体内へと吸収。血管を通じて全身を巡らせ、水がある場所から噴かせる事で、フィアが展開した水の下に新たな空気の層を作り上げたのだ。本来空気を血管に通せば詰まってしまうところだが、能力で空気を操れる怪鳥にこのリスクはない。仮にフィアが水を体内に侵入させたとしても、血管に流し込んだ空気で押し出しただろう。

 新たに現れたバリアに、フィアが困惑したのは瞬き一回にも満たない時間。しかしそれだけの隙があれば十分。

 怪鳥は翼を広げるや、自分が纏っていた空気のバリアを『パージ』……外へと放出した。凄まじいパワーを有しており、フィアが絡み付かせていた水は全て吹き飛ばされてしまう。フィア自身も、ついに吹き飛ばされてしまった。

 何百メートルと大地を飛び、二本の足でなんとか着地するフィア。折角の肉薄状態が解かれてしまい、敵意を剥き出しにした鋭い眼差しで怪鳥を睨み付ける。怪鳥の方も、一時は危機に陥ったがダメージ自体は少なく、また疲労もないらしい。落ち着きのある凜とした佇まいで立ち、フィアを睨む。

 どちらかが動けば、即座に行動を起こせる体勢。そして動こうと思えば、即座に自分から動き出せる状態。

 何時戦闘が再開してもおかしくない中、フィアは本能に直結した思考を巡らせる。

 かなり強い。

 これまでフィアは様々なミュータントと戦ってきた。中には虫けら同然の雑魚もいたが、基本的には ― 自分ほどではない、という言葉は頭に付けるものの ― どいつもこいつも中々の強さだったと記憶している。

 この怪鳥はその中でもかなり強い方だ。中々に器用であるし、何より馬力が大きい。純粋な力の『大きさ』では恐らく自分よりも上だとフィアは判断していた。

 そして何より厄介なのは……

「……時間を掛けるつもりは元よりありませんがちょっとばかしやる気出しますかねぇ!」

 睨み合いの中、最初に動き出したのはフィア。

 フィアは足下より、無数の水触手を生やし、それを怪鳥に差し向けた! 一本一本が高層ビルすら容易く貫く破壊力を有しており、それが何十も押し寄せる。人間の作り上げた都市程度ならものの数秒で灰燼と帰すであろう、破滅的な攻撃だ。

 その恐るべき光景を目の当たりにし、されど怪鳥は一歩たりとも動かず。

「クリュルッ!」

 示した行動は、力強い一声を上げただけ。

 その一声と共に吹き荒れた爆風は、フィアが繰り出した水触手を尽く吹き飛ばす! 否、それだけでは足りぬと言わんばかりに風はフィアの下まで到達。余波だけでフィアの身体を大きく仰け反らせた。

 なんという強力な力なのか。自慢の水触手がこうも容易く吹き飛ばされるとは、フィアにとっても少々予想外。

 何より、取っ組み合いの争いをしていた時は()()()()()()()()()()()()()()()

「っ……鳥風情が調子に乗るんじゃありませんよオオオオオオオッ!」

 咆哮を上げたフィアは突進。最大級のスピードを持って体当たりをお見舞いする! 人間サイズとはいえ、フィアの『身体』は超高密の水の集まり。その莫大な質量とスピードの掛け合わせは、流星が如くエネルギーを生み出す。

 だが、怪鳥はこれを正面から受けて立つ。

 身体を傾けた怪鳥は、自らの翼を盾のように構えてフィアの突進を止めた。両足を広げて腰を下ろした体勢とはいえ、小惑星規模の力を受けたにも拘わらず、怪鳥の身体は一センチと後退しない。フィアの方は反動で数メートルと後退したのに。

「クルルッ!」

 今度はこちらの番だとばかりに、怪鳥はフィアにして蹴りをお見舞いした。

 もう何度も受けてきた攻撃。フィアもこれまでと同じく正面から受け止める……が、今までのようにはいかない。

 キックの威力が、これまでとは桁違いに上がっていたのだから。

「ぐぅっ!? これは……!」

 予想以上の破壊力に、フィアも驚きの声を漏らす。その場に留まるどころか、打撃を受けた『身体』が砕けぬよう踏ん張るのが精いっぱい。

 どうにか形は維持するが、体勢までは保てない。フィアは大きくその身を仰け反らせてしまう。

 怪鳥はこの隙を逃さなかった。大きく翼を振り上げ――――放つは山をも切り裂く空気の刃。

 ただし此度は、一度に()()と放ってきたが。

「ぬっぐぅぬあアァッ!」

 広範囲に放たれた刃を見て回避は不可能と判断。少女らしさをかなぐり捨てた雄叫びと共に、フィアは本体を包む水を限界まで圧縮する! 極限まで高めた密度で、風の刃と正面からぶつかり合う。

 フィアの渾身の防御は、殆ど通じなかった。腕二本は切断され、胴体も縦に深々と斬られてしまう。胴体に飛んできた風の刃こそ高密の水により軌道を逸らし、本体への直撃を避けたが……そうでもしなければやられていた。やはり防ぎきるのは無理だった。

 怪鳥も同じ考えなのだろう。更に二度三度と翼を振り上げ、三つ六つと風の刃を飛ばしてくる。逸らす事は出来たが、何度も受けられるものではない。

 フィアは『身体』を崩し、どぷんと音を立てて地面に伏せる。風はフィアの頭上を通り過ぎ、彼方の山まで飛んでいく。そして何本もの切れ目を山体に刻み込んだ。ついでとばかりに、切断面をどろどろしたマグマのように溶かすという芸当付きで。

 高速で通り過ぎた風との摩擦で、岩が溶解するほどの高温になったのだ。明らかにこれまでとは威力が違う、恐るべき攻撃だが……フィアは戦慄などしない。しているぐらいなら次の手を打つ。

 フィアは『身体』を崩したまま地中を掘り進む。怪鳥は地面に向けて追撃を放ってきたが、見えなくなってしまえばこちらのもの。攻撃を躱し、地中に潜ったフィアは思考を巡らせた。

 ()()()()()()()()()()()

 怪鳥の戦闘能力は、初めて出会った時、そして今繰り広げているこの『ケンカ』が始まったばかりの頃と比べて格段に向上していた。今まで手を抜いていたのか? それはない。自分が相手を『強敵』と認めたように、怪鳥もまた自分を『強敵』と認めていたようにフィアは感じている。強敵相手に手を抜くような間抜けはいない。そもそも手を抜いていたなら、その隙を突いてとっくに殺せている自信がフィアにはあった。

 では肉体的な『成長』したのか? 一年ぐらい前に出会ったヘビのミュータント ― 名前は忘れたが、その存在はフィアでも覚えていた ― は、成長するという能力を持っていた。この怪鳥もそれに類するものだろうか? ……これも違うだろう。怪鳥の見た目に変化はない。成長し、身体機能がより優れたものへと変化したのなら、その見た目が大きく変わる筈だからだ。フィアは「大きくなってないから違う」という大変シンプルな解釈をしていたが。

 ならば何が原因か? フィアの心当たりは一つだけ。

 成長したのである。ただし身体ではなく、能力そのものが。

 フィアがアルベルトとの戦いで大きく成長し、数万度という高熱にすら耐える力を得たように。怪鳥もまたフィアという強敵との激戦で、能力の質を大きく成長させたのだ。風をより精密に、そしてパワフルに操れるように。

 そして恐らく、怪鳥はフィアと出会うまで、ミュータントとの戦いを一切経験していない。

 最初の戦いの時点で、フィアと互角だというのがおかしいのである。数多の敵を倒してきたフィア並の強さである事が、ではない。明らかにフィアより大きい怪鳥が、フィアと同レベルの力しかない事がだ。体長三十センチ程度のフナと体長十五メートルの怪鳥が互角というのは、メダカの稚魚とカラスの成鳥が互角なのとスケール的には同じ。『能力』という単純なサイズ差では優劣が決まらない戦いとはいえ、この体重の開きはあまりにも大きい。

 怪鳥が今まで巨大昆虫や同種という、『雑魚』ばかり相手にしていて力の扱いが下手なままだとすれば、自分より遙かに小さいが経験豊富な生物に苦戦するのも頷ける。そしてそれは、経験さえ積めば体格差から繰り出される圧倒的パワーで押し潰せる事も意味していた。

 無論フィアも怪鳥との戦いにより、現在進行形で成長している。しかし全く未経験の新人とそれなりに鍛練を積んだ玄人、どちらが成長著しいかは語るまでもない。

「(……面白い)」

 ニタリと、フィアはほくそ笑む。

 確かに怪鳥は強い。今でも十分に強いし、これからもどんどん強くなるだろう。持久戦は不利だが、短期で止めを刺せるような策もない。つまり現状を打開出来るという確かなものは何もない訳だ。

 だが、フィアは勝利を確信している。

 何故ならフィアは自分の強さを信じているからだ。こんな『鳥』風情に負けるつもりなど毛頭ない……それは人間からすれば単なる強がりか、現実が見えていないだけに思える発想。されど野生の本能に付き従うフィアは、相手の実力を正確に把握している。本当にヤバいと思えば、プライドなんて簡単に捨てて逃げている。それをしないのは、本能的には『勝機』があると感じているからだ。

 ついでに言えば、フィアはフィアなりに作戦を考えてはいる。

 相手の方がパワーが上だというのなら――――自分もまた同じだけパワーアップすれば良いのだと。

「ぬうううううううううぅ……!」

 唸りを上げ、フィアは能力を極限まで振り絞る。

 地中に広げていく無数の水。植物の根よりも細かく、隙間なく浸食していく力は、周囲の大地から水分を根こそぎ奪い取る。干からびた土は脆く、小さくなり、山の至る所で崩落が生じた。

 大地が崩れる中、怪鳥は軽やかに飛び上がる。ざっと百メートルほどの高度まで上がると、翼を動かす事もなく、悠然とその場に漂う。

 それはフィアにとって『吉報』だ。何しろ彼女は自分の上を飛ぶものに敏感なのだから。地上に立っていた時よりも、ずっと強い本能的確信で怪鳥の位置を把握出来る。

 だからフィアは迷わずに手を伸ばす。

 大地を砕いて現れた、長さ百メートルを超える半透明な手を!

「クキュ、グッ!?」

 慌てて離れようとする怪鳥だったが、一手遅い。大地を粉砕しながら生えてきた手……フィアが操る水の塊は、怪鳥の身体をしかと握り締める。

 このまま握り潰す事が出来ればフィアの勝ちだ。けれども怪鳥も素直にやられはしない。握り締められる寸前、空気のバリアを強化していたようだ。どれだけ力を込めてもビクともしない。

 ならばとフィアが作り出した腕は、怪鳥を勢い良く投げた! 弾丸のように飛んだ怪鳥は山へと叩き付けられ、衝撃で大地は陥没。砕け散った無数の岩が空を舞う。

 生半可な生物ならばとうに死んでいるだろう。しかしこの程度で終わるようなら、今頃戦いは終わっている。

 怪鳥は素早く浮かび上がり、その場から離脱。

 フィアが生み出した巨腕は怪鳥の動きに間に合わず、先程まで怪鳥が居た場所に鉄拳を喰らわせた! 拳の破壊力は凄まじく、打撃を受けた場所は噴火するかのように土砂が舞い上がる。更には大きな衝撃波も広がり、これまでの戦いで脆くなっていた山々を次々と崩していった。

 破滅的な破壊力だが、空を飛ばれては殆ど届かない。飛行する怪鳥は難を逃れた。

 腕だけでは埒が明かない。

 そう判断したフィアは、更なる『身体』を出す。水分を吸い尽くされた大地は次々と崩落し、自然も山も全てが荒廃していくが、フィアは気にも留めない。

 やがてフィアは崩れゆく大地の中から現れる。されどそこに、金髪碧眼の美少女の姿は何処にもない。

 代わりに、ぬらりとした魚の頭が現れる。魚の頭といっても、造形が似ているだけ。半透明な『身体』はぷるんぷるんと揺れ、何処を見ても鱗がない。腹はでっぷりとしたカエル腹で、一見して愛嬌たっぷりのように見えるだろう。作り物の瞳が捕食者の恐ろしい眼光を放っていなければ。

 そしてフィアの本体は、このカエルとも魚とも付かない『身体』の内側に潜んでいた。

 この格好こそが、フィアにとっての戦闘モード。

 周辺全ての水を吸い尽くし、体長五十メートル近くまで巨大化したボディ……これを纏った戦法こそが、フィアの繰り出す『全力』だ!

【逃げるんじャアリマセンヨォォォッ!】

 羽ばたきで空高く上がった怪鳥に、フィアは怒りの咆哮をぶつけた

 直後、フィアはその背中から何十本にもなる水触手を放つ! 怪鳥はこれを目視で捉え、水触手を迎撃するためか無数の風の刃を放射。美少女姿のフィアになら十分に通用する一撃だ。

 風の殆どはフィアが放った水触手を直撃する。先程までは水触手どころか本体さえも逸らす事で手一杯だった攻撃は……しかし今度は通じない。

 風は水触手に深々とした傷を刻んだ。だがその傷は無意味。何故なら刻まれた傷の深さは一メートル程度なのに、水触手の太さはざっと二メートルはあるのだ。どんなに深かろうと、太さに満たない傷では何もを切り落とせない。

 知性など必要ない。策など用いるまでもない。相手が小手先の技でこちらを翻弄するのならば、桁違いにして圧倒的な『物量』で押し潰すのみ。

 これこそが、水という莫大な量の資源を自在に操るフィアの全力なのである。

「クキュル……!」

 迫り来る水触手を、怪鳥は倒しきれないと判断したのだろう。翼を羽ばたかせ、回避を始める。

 ただの鳥であれば、フィアが伸ばした無数の水触手を躱す事など出来まい。しかし怪鳥は、超音速まで瞬く間に加速したり、そうと思えば急停止し、羽ばたきもないまま垂直下降や上昇をしていく。

 空気を操る能力により、自らの身体を自由に飛行させているのだろう。気流の流れなどを察知し、死角からの攻撃も回避していると思われる。どれほどの数の水触手を用いても、点の攻撃では躱されてしまうに違いない。

 ならば、面で攻めよう。

 フィアは水触手達を一度止め、怪鳥を囲うようにぐるりと展開。怪鳥は何かを察したのか全身に闘志を滾らせるが、もう遅い。

 フィアは水触手から、ネット状に展開した水の『糸』を射出した!

 『糸』は空を覆うかのように広がり、怪鳥を完全に包囲。そしてそのまま、一気に範囲を狭める! 『糸』といっても表面には電動ノコギリのように、形成された鋭い歯が高速で循環していた。当たれば戦車だろうが高層ビルだろうが、なんでも切り裂く必殺の攻撃だ。怪鳥には空気のバリアが存在するため、一本二本では届かないだろう。しかしながら何十、何百とぶつければ……

 これには怪鳥も慄いたのだろう。大きく目を見開き、慌ただしく翼を羽ばたかせる。そう、慄きはしたが……これは達観には変わらない。

 怪鳥は広げていた翼を畳み、まるで閉じた傘のように身を細める。次いでどのような航空原理が起きているのか、ぐるんぐるんとその身が横方向に回転を始めた。

 同時に起きるは、巨大な竜巻!

 怪鳥の周りに現れた爆風は、迫り来る『糸』のみならず、フィアが展開した水触手さえも吹き飛ばす! 如何に細い『糸』であっても、自然の竜巻程度ではどれほど大規模では切れはしない。ましてや太さ二メートル以上の水触手となれば尚更だ。怪鳥が起こした竜巻は最早地球で、いや、宇宙の何処かの惑星で起こるような規模ではない。

 フィアの包囲網を破った怪鳥は、今度は閉じていた翼を、鋭く、突き刺すようにフィア目掛けて伸ばす。フィアまでの距離はざっと三百メートルほどある。当然翼の先は届かない。

 だが、フィアの『身体』には強烈な打撃が伝わった!

【グヌァッ!? コレハ……!】

 五十メートルもの巨体を形成する水が、ぐらりと揺さぶられる。ここまでの戦いでまた奴の能力が成長したのか? そうした要因もあるだろうが、それだけではない。

 これまで刃という形で広範囲に放っていた攻撃を、一点集中にしたのだ。力の大きさはそのままにして面積を十分の一にすれば、当然面積当たりのエネルギー量は十倍になる。

 巨体という物量で挑む相手には、火力を集中させて挑むという事か。この方法ならば確かにこの『身体』を貫き、フィアの本体まで風を届かせる事が可能かも知れない。非常に危険な攻撃だ。

【上等オオオオオオッ!】

 だが、フィアは退かない。

 『身体』を貫かれる程度など、数多の戦いの中で何度も経験した。それは最早恐怖に値しない。むしろそうでなくては()()()()()()

 怪鳥も、フィアの覇気を受けても逃げはしない。フィアが繰り出した『糸』による包囲という、危うく死ぬかも知れなかった体験に怖じ気付きもしていない。翼を広げ、臨戦態勢を維持し続けている。目付きは鋭いままだ。

 フィアも怪鳥も相手を睨む。されど今の二匹の眼光にあるのは、純然たる殺意などではない。

 二匹の化け物は戦いを止めない。何度でも、いくらでもぶつかり合う。己の渾身の技を、最大級の力をぶつけ、共に高みへと登っていく。

 ならばもう、それは殺し合いなんかではない。

 ちょっとばかし激しい、コミュニケーションでしかなかった。

 ……………

 ………

 …

 果たして、どれだけの時間が経っただろうか。

 戦い始めた頃はまだまだ高かった筈の陽はすっかり沈み、辺りが紅色に染まる中……山の中でケダモノ二匹はクレーターの中心に立っていた。

 自分達のケンカで作り上げたそのクレーターは今や半径三キロはあり、中は何もかもが砕けて砂塗れの状態。無論ケダモノ達はクレーターを作るために争っていた訳ではない。生じたエネルギーの大半が熱や音などに変換され、クレーター形成とは無関係な事を思えば、戦いの中でどれほど莫大なエネルギーが生じたかなど人類には想像も付かない事だ。

 流石にこれほどのエネルギーを消費したとなれば、フィアといえども疲れるというもの。フィアと互角に戦った怪鳥もまた同じ。

 二匹は、クレーターの中心で息を切らしながら向き合っていた。

【フシュウウウゥゥゥゥ……フシュウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……!】

「キュルルルルル……ルル……ルルルルルルルルル……!」

 五十メートル近い怪物の姿を維持したままのフィアが唸りと共に熱い吐息を吐き、怪鳥も甲高い声が息によって途切れ途切れになっている。

 しかしどちらも闘志は潰えていない。

【グルアアアアアアァッ!】

 フィアは咆哮を上げ、腕を高々と上げる!

「グキュルルルアアァッ!」

 怪鳥も足を止めたまま、翼を前へと突き出す事で空気の塊を撃ち出す!

 超常の力を纏った両者の『拳』は、されど互いにぶつかり合う事もなし。

 どちらも狙いは相手の顔面。

 お互い干渉する事もなく突き進んだ一撃は、見事相手の頬へと突き立てられた! フィアが打ち込んだ水の塊は怪鳥を守る空気のバリアを歪め、怪鳥が放つ空気の塊は水で出来たフィアの頭を粉砕する。

 どちらも致命傷とはいえない程度のダメージ。

 しかし疲れきっていた両者が膝を付くには、十分過ぎるほどの破壊力だった。

【ヌグウゥゥゥ……! ぶはっ! はぁふ……ふぅ……!」

「クギュルゥゥ……」

 フィアは脱力しながら怪物から人の姿へと変化し、怪鳥は両翼を地面に付いて項垂れる。最早立ち上がれないほどの疲労感。少なくともフィアはこれ以上戦えないし、恐らくは怪鳥の方も同じだろう。

 自然と、両者は顔を合わせる。

 今の今まで命のやり取りをしていた『敵』。その敵を前にして、フィアと怪鳥は同時に微笑んだ。怪鳥の顔はフィアほど表情豊かではないが、フィアには笑っているように見えた。

「ふっはははは! あなた中々やりますねぇ。この私の全力とここまでやり合えたのはあなたが初めてですよ!」

「クキュルルル! キュル、キュルルオオオオン! キュルッ!」

「何言ってんのかさっぱり分かりませんがまぁなんだって良いですね」

 四肢を広げ、フィアは大地に寝転がる。

 怪鳥も、翼を広げうつ伏せに倒れる。

 フィアは『敵』を許さない。今でもミリオンは警戒対象だし、野良猫(ミィ)も信用なんてしていない。この怪鳥にだって全幅の信頼を寄せてなどいなかった。

 けれども命のやり取りをしたという()()で、他の評価が変わる事なんてない。

 ミリオンと遊んだり、ミィとじゃれ合ったり出来るのは、信頼関係を築いたからではない。彼女達との遊びがまぁまぁ楽しくて、今では『ケンカ』する可能性があまりないと分かっているからだ。その価値観は例え怪鳥相手でも変わらない。

 楽しいケンカだった。思いっきり、全力を出せたのだから楽しくない訳がない。後はもう、向こうがこちらの命を付け狙わないという確信さえあればそれで良い。

「(あれ? そういえばなんでコイツとケンカをしていたんでしたっけ?)」

 そしてフィアは途中からケンカそのものに熱中していて、ケンカになった理由を忘れてしまっていた。

 そこそこ大事な理由だった気がするのだが、なんだったろうか。確か自分は美味しいものを探してこの地まで来た筈……

 能天気に考え込むフィア。だが、その思考は唐突に途切れてしまう。

 空から、何かが落ちてきたから。

 何か、途方もなく大きな何かが。

「? あれは……っ!?」

 一瞬何が来ているのか分からず首を傾げるフィアだったが、次の瞬間には危機を察知した。怪鳥も起き上がり身構えた。けれども二匹に逃げる暇もなく、

 空から落ちてきた巨大な金属の塊が、二匹の間に突き刺さった。

 装甲の表面に、丸を囲うように三つの扇型の図形が配置された、独特のシンボルマークが描かれた金属が……




ケンカするほど仲が良い
(なお環境破壊)

次回は明日投稿予定です。

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