彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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適応者5

 ざふざふと落ち葉を踏み締める音を奏でながら、フィアは森の中を歩いていた。

 森を形成している木々の多くは広葉樹で、実りの秋を迎えてたくさんの木の実を付けていた。葉もまだ青さが残っており、枯れてはいない。動物達にとっては餌がたくさんある状態だ。

 けれども獣や鳥の声、虫の音色は聞こえてこない。

 決して小さな森ではないのだから、シカやイノシシ、クマの類が生息していてもおかしくないのに。否、実際最近まで生息していた筈だ。フィアの鋭い嗅覚は、獣達が生活していた時の臭いをしかと捉えている。しかしその臭いはどれも少し古いもの。新しい臭いが全くない訳ではないし、極めて少数ながら動物の気配はあるが……豊かな森に似付かわしくない低密度だ。これなら大桐家の庭の方が、遙かに豊かな生態系が形成されているといえよう。

 恐らくこの森の動物達の殆どは巨大昆虫に喰われたか、巨大昆虫を恐れて遠くに逃げ出したのだろう。

 そうして獲物が乏しくなったから、巨大昆虫は村を襲ったに違いない。何故大繁殖したかは謎だが……フィアにとっては、あまり興味のない事だ。よく花中が言っている理由 ― 昨年の異星生命体騒動による環境変化 ― だろうと根拠もなく納得する。

 そんな事よりも今は虫探しだ。

 フィアは辺りの臭いを注意深く嗅ぐ。周りから動物の気配や臭いが少ない事は、今のフィアにとってはとても有り難い事だった。フィアの優秀な嗅覚であれば、多種多様な臭いが混ざっていても特段問題なく目当てのものを捕捉出来る。しかしやはり単一の臭いを追う方が遙かに楽なのだ。

 フィアの歩みは快調そのもの。ずんずんと臭いを目指して進んでいける。獲物へと近付くほど臭いは濃くなり、フィアの本能を刺激し、気分を昂揚させた。もう、歩みを止める事すら煩わしい。邪魔な倒木は蹴り上げて吹き飛ばし、通り道を塞ぐ木々は片手で押し退けるように折り、大きな川はそのまま歩いて横断する。

 そうして森の奥へと進んだフィアは、ふと足を止めた。

 辺りを見渡す。此処は日当たりが良く、下草が茂っている。とはいえ木が生えていない訳ではなく、これまでの道のりより幾分低密度なぐらいだ。

 そして何本か、倒れている木がある。

 倒木の断面は、さながら人間の子供が細い枝を折った時のように、ギザギザとしたものになっていた。人がノコギリやチェーンソーを用いて切断したものではない。大きな力により、強引に折られたものだ。

 フィアは、それほどの力を出せるものを知っている。加えて言うなら、そいつは今……足下に居た。

 居場所は、ざっと地下十メートル。なんとなーく視線を感じるので、向こうもこちらの存在には気付いているのだろう。こちらを喰おうとしているのか、隠れてやり過ごそうとしているのか……フィアとしてはどちらでも構わない。

 元より、自分の手で掘り起こしてやるつもりなのだから。

「ふふふふ見付けましたよぉっと!」

 力強い掛け声を、不動の体勢のままフィアは上げる。されどそれは彼女が何もしていない証とはならない。

 フィアは自在に水を操れるのだ。足と接した地面に水を浸透させ、地中に潜む獲物にまで伸ばす事など造作もない。そしてその水で、獲物を雁字搦めに縛り上げる事も。

 大地が激しく揺れたのも束の間、地中から巨大昆虫が飛び出した――――正確には、引っ張り出されたと言うべきだが。

 水触手が身体に巻き付いた状態の巨大昆虫は、六本の足を激しく動かして激しく暴れる。しかしフィアが操る水触手は千切れない。それでも念のため足にも水触手を絡ませれば、もう巨大昆虫は身動きすら出来ない有り様だ。

 フィアは舌舐めずりしながら、捕縛した巨大昆虫に歩み寄る。村で見付けた個体より、少し大きいだろうか? 重さもずっしりとしている。たくさんの餌を食べて丸々と太ったのだろう。何を食べてここまで大きくなったかは知らないし、興味もないが、実に食欲をそそる姿だ。

 この巨大昆虫は、ハオユーが言っていた生息地である洞窟から出てきたのだろうか。答えは分からないがどうでも良い事だ。目当ての獲物を見付けたのなら、最早洞窟を探す必要はない。フィアは早速その身に食い付くべく、巨大昆虫の甲殻に手を伸ばし――――

「……ちっ。こそ泥が」

 舌打ちと共に、フィアは掲げた両腕を頭上で組んだ。

 瞬間、空からやってきた爆風がフィアに襲い掛かった! 風はフィアを中心に据えて吹き荒れ、大地と木々が余波でバラバラに砕けながら飛んでいく。しかしながら巨大昆虫に対しては、まるで風は意思を持つかのように避け、傷一つ付けない。それどころか拘束している水触手だけを綺麗に切るではないか。

 自由になった巨大昆虫はおろおろしながらも翅を広げ、低空飛行でこの場を慌ただしく逃げ出した。折角のご馳走が手元を離れてしまい、フィアは忌々しげに顔を顰める。

 そして睨み付けるは頭上の彼方。

 微かに見える黄金の輝きが、『アイツ』の存在を物語る。今の妨害で確信した。アイツはあの巨大昆虫を、余所者に渡すつもりは一切ないらしい。巨大昆虫を養殖でもしてるのか、はたまた巨大昆虫以外食べられない身体なので『備蓄』したいのか、もしくは単に独り占めしたいだけか……理由は幾つか考え付くが、どれであろうと関係ない。

 フィアはどうしてもあの巨大昆虫が食べたい。その一口すらも渡すつもりがないのならアイツは敵だ。

 敵ならば排除するのみ。

「そっちがその気なら望むところです!」

 怒りと欲望を剥き出した咆哮を、フィアは空目掛けて上げた

 刹那、アイツ――――怪鳥のミュータントはフィアの側に()()()()()()

 フィアは即座に怪鳥が現れた場所の景色を、その方角から飛んでくる光を取り込む事で『視認』する。顔を向ける必要はない。作り物の頭に嵌まった偽物の目を通す必要などないのだから。

 怪鳥は黄金に煌めく翼を大きく広げていた。しかしその飛び方に優雅さなんてものは一欠片も含まれていない。あるのは濃密な闘志。全身に力を滾らせ、一瞬にして最大の力を発揮出来るような体勢にあるのが察せられた。

 そしてその顔にあるのは怒り。

 怪鳥は怒り狂っていた。一度ならず二度までも巨大昆虫を狩ろうとしたフィアに、底なしの敵意と憤怒を向けている。赤い瞳をより鮮やかな真紅色にし、口内からは湯気が立ち上りそうなほど熱い吐息が吐き出されていた。

 今度のコイツは『本気』だ。村で出会った時とは違う。

「っ!」

 相手のやる気を感じ取ったフィアは、即座に怪鳥と向き合う。が、一手遅い。

 その時にはもう、怪鳥は自らの足を前へと繰り出していた。恐竜と見分けが付かないほど太く、丈夫で、禍々しい……そして半透明な空気の渦を纏ったもの。

 怪鳥のキックが直撃したフィアの『身体』は、フィアさえも抗えないパワーで押し出され――――

 

 

 

 森の中を、人間達が進む。

 彼等の名は中国人民解放軍……中国が保有する『軍隊』だ。それも本来ならば滅多な事では出動しない、精鋭中の精鋭達。

 地方に配備されていた部隊は、先日巨大昆虫により壊滅した。このまま野放しにすれば巨大昆虫は首都……共産党幹部達が居る場所まで流れ込むかも知れない。無論首都からこの山までの距離を考えれば、到着までには長い月日が掛かるだろう。その間に作戦を練り、散開している部隊を集結させる事は可能だ。しかし人を喰うとなれば、道中の町で巨大昆虫が繁殖する可能性がある。放置すれば、人民解放軍の総力を以てしても抑えきれないほど増えるかも知れない。

 兵は拙速を尊ぶ……孫子の教えだ。生物相手に時間を掛ける事は愚策である。疾風迅雷の勢いで殲滅せねば、無辜な人民が犠牲となるだろう。

 故に王大佐は、面倒を嫌う上層部に恐喝紛いの言葉をぶつけてでも戦力を出させた。

「大佐。第三斥候部隊が巨大昆虫を発見との報告。ですが相手の方もこちらを発見し、交戦状態になったとの事です」

「了解した。斥候部隊は後退し、第二地点まで移動。全部隊をその場に集結させ、包囲殲滅する」

「ぜ、全部隊を、ですか?」

「そうだ。奴等には戦車砲も通用しなかったと聞く。如何に辺境の中古品とはいえ、戦車には違いない。中央に配備されている最新型でも、何処まで通じるか分からん。必要な戦力も分からぬうちに小出しにするのは愚策だ。完璧な配置と全戦力を用いて撃破する」

「りょ、了解しました」

 報告をしてきた部下に王大佐は素早く指示を出し、部下は戸惑いながらも承知。全部隊に命令を伝える。

 王大佐は内心舌打ちをした。軍部は誰も彼も敵を見くびり過ぎだ。昨今現れている『怪物』達は、欧州や米国で猛威を振るっていると聞く。西洋諸国の戦闘兵器は、悔しいが個々の性能では人民解放軍の兵器よりも上だ。その彼等の軍隊すら止められない怪物を、どうしてそれより劣る兵器で倒せるというのか。

 自然保護派の連中も、自然が人間にとって都合の良いものだと盲信していて反吐が出る。田んぼで発生したイナゴは、スズメやクモに喰われても、時には稲を枯らし尽くすほどに増える。生物の増減に摂理などない。あらゆる種が無秩序な増殖と衰退を繰り返し、結果他種の繁栄を邪魔して、それが調和のように見えるというだけだ。自然の摂理に身を委ねていた古代人の総人口がたった数万人である事を思えば、『自然』というのがどれだけ冷酷で残虐なのか分かるというもの。人の営みを脅かす怪物が現れたのならば、抗わねばならない。そうしなければ、多くの人々がこの世にいられなくなるのだから。

 しかしながら『事態を解決する』という意思があるだけ、方針は同じでもこの田舎村の村長の方が、中央の軍人や共産党幹部よりはマシかも知れない。中央の連中は内乱を恐れるあまり、此度の事変を隠蔽し、見なかった事にしようとしていたのだから。部下を通じてこの情報を国内外マスコミにリークさせていなければ、一体どうなっていたか……

 王大佐はため息を吐いた。

 彼は賢い人間だった。賄賂やコネが飛び交う中国社会で、一切の不正なく今の地位を築くほどに。それでいて自らの不勉強を自覚し、様々な知識を……科学、政治、軍事……積極的に取り込んでいた。彼は自分や国の立ち位置がよく見えている人間だった。

 同時に彼は気高い武人だった。人民の血税を私欲のために使うなど言語道断。汚職は決して許さない。その高潔さは、同じく高潔な部下を集め、不埒な輩を遠ざけた。彼の周りは、中国社会の中でも最もクリーンなものの一つである。

 無論賢い彼は、自国の汚職が酷い事をよく理解していた。賄賂なしではこれ以上の出世は無理だという事も。しかし武人である彼にとって、戦場から離れる事は望むものではなかった。

 そして人民を守るためならば、自らの命を賭す事も厭わない。

「我が部隊も前線に出るぞ。敵の能力を正確に把握したい」

「了解。第一部隊、前進します」

 王大佐の指示を受け、彼が直轄する部隊も動き出す。王大佐を乗せた戦車も動き、前進していく。

 王大佐の部隊は、数分ほどで草木がない開けた場所に到達した。現代の戦車であれば難なく超えられる程度の小さな崖があり、王大佐の部隊はその崖の上にて停止。崖の下には幅十メートルほどの砂利で覆われた平坦な川岸が広がり、中央に一メートルほどの幅しかない川が流れていた。川の流れは穏やかだが、草木の生えていない空間が十メートル近くあるという事は、そこそこ頻繁に氾濫を起こしていると考えられる。此処もまた、恐るべき自然の暴力に満ちている場所だ。

 そして川の向かいには、鬱蒼と茂る森がある。

 此処に来るまでに通った森と、ハッキリした違いがある訳ではない。しかし王大佐は、眼前に広がる森に得体の知れない不安を覚えた。何かは分からないが、これまでの森とは『違う』。

 王大佐は警戒心を強めながら、広がる森を凝視。数十秒も経てば他の部隊も王大佐が居る方の岸に続々と集結し、同じく怪しげな森を警戒する。時間が経つほど戦力は多くなり、今や三十両もの戦車と、五百人の歩兵がこの場に集まっていた。支援要請を行えば、地対地ミサイルによる援護もある。

 この地で散った駐屯軍とは訳が違う。人民解放軍の『本気』だ。

 その本気を示す時は、訪れた。

「ひっ! ひ、ひぃっ!」

 悲鳴混じりの声を上げ、森から一人の男が飛び出した。

 王大佐は此度の作戦に参加した兵、全ての顔を覚えている。彼は斥候隊に参加していた歩兵の一人だ。出発時、カモフラージュのため最新かつ新品の迷彩服を着ていた、健康的な二十代の男。

 しかしどうした事か。今の彼の迷彩服は、まるでボロ雑巾のような有り様だ。地肌が剥き出しとなり、陰部も丸見えである。おまけに出発前まではあった彼の左腕が、今や何処にも見られない。

 致命的な重傷だ。今から救助をして助かるとも思えないが、手を尽くさない訳にはいかない。

 王大佐は彼の救助に向かうよう、側近の兵に命令を出そうとした

 その直後、森から五メートルはあろうかという黒い影が現れた。

「ひ、ひぎぃぎゃっ!」

 黒い影は森から出てきた男を、その丸太のように太い足で叩き潰すように殴った。男は呆気なく潰され、人間から肉塊へと変わってしまう。

 黒い影……巨大昆虫は、自分が仕留めた男を悠々と食べ始めた。崖の上に展開している王大佐の部隊など、まるで見えていないと言わんばかりに無視して。

 王大佐は怒りに震えた。

 部下とはいえ直轄の指揮下にはない人間。顔は覚えていても、詳しい性格や人間関係は知らない。だがきっと彼にはたくさんの友人がいて、肉親がいた筈だ。あんな、食肉工場に運ばれた牛のような目に遭うべき人間ではない。

 されど王大佐は怒りを鎮めなければならない。怒り狂った人間の指揮は、最高の戦果を生まないどころか、最悪の失敗を引き起こす事もある。冷静に、冷徹に、上に立つ者は指示を出さねばならない。

 王大佐は、それが出来る人間だった。

「総員、眼前の巨大昆虫に対し攻撃を開始しろ!」

 王大佐の指示を受け、歩兵の銃が火を噴き、戦車砲が爆音を鳴らす! 放たれた無数の弾は、全て狂いなく巨大昆虫へと向かい……直撃。

「ッ!?」

 戦車砲数発を受け、巨大昆虫は大きく身を仰け反らせた。

 仰け反らせただけだった。

 鳴き声一つ上げずに体勢を立て直した巨大昆虫は、全身から怒気を放つ。複眼である目は当然感情による変化など起きないが、しかし王大佐の目には、怒りに燃えているように映った。こちらの攻撃が全く効いていないという事はないが、戦意を挫くには全く足りない。いや、むしろ相手の闘争心に火を付けてしまったと言うべきか。

 戦車砲の次弾装填に掛かる僅かな時間。しかし巨大昆虫が反撃へと転じるには、あまりに長い隙だった。

 巨大昆虫は目にも留まらぬ速さで駆けた! 狙うは偶々目の前に居た一両の戦車。

 巨大昆虫は頭から戦車に突っ込む! 同格の戦車砲すら受け止める戦車の装甲が、まるで豆腐のようにぐちゃりと潰されてしまう。しかし巨大昆虫の怒りはまだまだ収まらない。腕を振り下ろし、ぐしゃりぐしゃりと執念深く叩き潰す。戦車の全長は約十メートル。巨大昆虫はその半分ほどの大きさしかないというのに、まるで戦車がハリボテに見えるほどのパワーで破壊していった。あれでは中の兵士は助かるまい。

 周りに居た歩兵が距離を取りつつ銃で撃ち続けるが、巨大昆虫は怯むどころか気付いてもいない様子。王大佐は間接部を狙うよう歩兵に指示し、歩兵達は化け物を前にして果敢にその指示を全うした。だが、巨大昆虫の関節は弾丸を容易く弾く。最も脆い筈の部分すら、銃弾が通じていなかった。

 恐るべき耐久力。これが世界を蹂躙している『怪物』なのかと、王大佐は戦慄する。

 しかし戦車砲で怯ませる事には成功したのだ。ならばそれを上回る攻撃であれば、仕留められるかも知れない。

「基地に要請。地対地ミサイルを奴に喰らわせる」

「了解」

 部下に命じ、部下は即座に基地へと連絡。ミサイルを要請する。

 遠く離れた地上基地より放たれた三基のミサイルは、音速を超えた速さで飛来。高度な演算装置と誘導システムにより、正確に目標地点へと向かう。勿論相手は巨大とはいえ生物だ。大きく動き回られては当たらない。

 そのため王大佐の部隊は戦車砲による足止めを慣行。砲撃を途切れさせないよう、集中砲火ではなく時間差での攻撃を行う。歩兵もアサルトライフルではなく、後方に控えていた対戦車兵器(ロケットランチャー)を装備した部隊へと交代。火力重視の攻撃を行う。

 一秒一発、正確に放たれる戦車砲。絶え間なく行われるロケットランチャーの援護。例えアメリカ軍の戦車でも、これほどの攻撃を受ければ三秒と経たずにバラバラの鉄くずへと変わるだろう。巨大昆虫はこの攻撃に何十秒と耐え、目に付いた戦車をひっくり返すなり叩き潰すなりの反撃をしたが……やがて甲殻の欠片が飛び散り始めた。

 欠片はとても小さなもので、致命傷には程遠い。巨大昆虫の体格から考えれば、精々甲殻の表面が削れた程度だ。けれども確実に、無敵に思われた甲殻が脆くなっている証左である。

 そして彼方より落ちてくる人類の鉄槌は、戦車砲ほど優しくもない。

「総員、巨大昆虫から離れろ!」

 王大佐が指示を出し、全部隊が巨大昆虫から距離を取る。今まで勇ましく戦っていた人間達が急に逃げたからか、巨大昆虫は戸惑うようにその場で足を止めた

 直後、地上基地より撃たれたミサイル三発が巨大昆虫に直撃した! 巨大な爆炎が上がり、衝撃波が広がる。戦車砲が放つものを上回る危険な波動は、逃げ遅れた兵士の何人かを横転・怪我をさせてしまう。『仲間』からの攻撃に巻き込まれた兵士達は、その心に大きな傷を負っただろう。

 無論直撃を受けた巨大昆虫が、一番凄惨な目に遭っていたが。

 ギチギチと、関節が軋むような音が爆炎の中で聞こえた。

 これでも叫び一つ上げないのは、あの巨大昆虫には声帯に当たる器官がないからか。しかし間接の軋む音は、断末魔の叫びのように激しく辺りに響いた。炎に紛れて甲殻の欠片が飛び散る……今度は、巨大昆虫のサイズから見ても危険なほどの大きさで。

 未だ立ち昇る爆炎から、巨大昆虫が自らの力で出てくる。ミサイルの直撃を受けてもなお生きている事に、王大佐含めた兵士達は酷く動揺した。これが怪物の力なのか、と。

 同時に、希望も抱く。現れた巨大昆虫は、甲殻の中身を露出させ、体液を撒き散らしている有り様だったから。

 これなら、こちらの装備でも勝てる。

「攻撃を続行しろ! 手を緩めるな!」

 王大佐は攻撃再開を命令。勝利を確信した兵士達に、戦闘を躊躇うような弱さはない。歩兵は対戦車兵器を構え、戦車はその照準を怪物の内臓へと向ける。

 止めの一斉攻撃。

 ロケットランチャーが巨大昆虫の内臓を破裂させ、戦車砲が貫く! 巨大昆虫は複眼のある頭部を動かして人類を、王大佐を睨み付け……力なく倒れ伏した。

 倒れた際の振動で、何人かの兵士が転ぶ。動かなくなった巨大昆虫を前にして、兵士達は息を飲む。

「生死を確認させろ」

「了解」

 王大佐の指示を受け、三人の兵士が巨大昆虫に歩み寄る。相手は戦車さえも易々と叩き潰す怪物だ、例え瀕死の身で繰り出した反撃であっても人間の一人二人は簡単に殺せるだろう。二人の兵士が内臓などを触って調べ、一人が些末な動きも見逃さぬよう監視する。

 二人の兵士の顔に笑みが浮かんだのは、調べ初めて二分ほど経ってから。

「死んでいます。間違いなく」

 下された『診断』に、兵士達は歓声を上げた。王大佐も顔を綻ばせ、安堵の息を吐く。

 自分達は、人間は、怪物を征伐出来たのだ。

 これで全てが解決した訳ではない。村で最初の戦闘を行った駐屯部隊の報告によれば、巨大昆虫は相当の個体数がいる筈だからだ。一匹の巨大昆虫を倒すためだけに、最新鋭戦車三十両と五百人の兵を用意し、そして目算ではあるが三割ほどを喪失している。仮に二体同時に相手をしたならば、恐らく文字通りの『全滅』状態になって倒せるか否かとなるだろう。軍本部が想定している、どんな敵国の兵器よりも強大な存在だ。

 だが、人民解放軍の力で倒せる事が証明された。もっと強力な支援体制 ― 迫撃砲や空爆など ― を備えたり、或いは亡骸から得られた知見に基づく新兵器を開発すれば、もっと少ない犠牲で倒せる筈だ。

 人類はこの戦いに勝てるのだ。

 ギチギチ、ギチギチギチギチギチギチ。

 ……王大佐のそんな想いは、呆気なく砕かれた。この、おぞましい虫の間接音を聞いた事で。

 王大佐は、いや、全兵士が音のした方へと振り向いた。

 故に彼等は目の当たりにする。森の中から、無数の巨大昆虫が跳び出してくる光景を。

 一匹二匹なんて規模ではない。ぞろぞろと、何十匹もの群れが王大佐達の前に現れたのだ。それどころか、王大佐から遠く離れた尾根から ― あの巨体と体型で何をどうすれば可能なのかさっぱり分からないが ― 飛び立つ巨大昆虫の群れが幾つもある。現れた数だけで何百匹、或いは何千匹といるかも知れない。

「ひぃっ!? こ、こんなに、たくさん!?」

「お、王大佐! ど、どうしたら……」

 兵士達が動揺している。当然だろう、一体倒すのに三割近い戦力を失った化け物が、何千も姿を見せたのだから。こんな状態で戦っても一瞬で食い殺されるに決まっている。如何に勇猛果敢な兵士でも、犬死にしたい訳ではないのだ。

 しかし王大佐は、それよりも未来を予測して絶望する。

 人民解放軍の総戦力は『正規軍』だけでも二百万人を超えている。だが、相手の数がもしも三千体もいたなら、その戦力比は此度の作戦と同程度のものにしかならない。いや、補給部隊や工兵など、支援部隊の存在を考慮すれば実質的な戦力比は下回ると考えるべきだ。二百万の大軍を動かすための物資などすぐには用意出来ない事を思えば、更に戦力差は広がるだろう。

 航空支援をいくらお見舞いしても、果たしてこの大群を止められるのか……

 敵戦力を的確に分析する頭脳を持つからこそ、王大佐は絶望的状況に震えた。それでも何か打開策を見い出そうとして辺りを観察し……気付く。

 しかしそれは起死回生の一手ではない。現状の不可解さだ。

 巨大昆虫が、自分達を襲わない。

 彼等は慌ただしく駆け回り、森から出てくるだけ。美味しい人間達を前にしても、襲い掛かってくる気配すらない。中には仲間同士でぶつかり合い、一瞬敵意を剥き出しにして向き合うも、すぐにそのぶつかった相手と揃って走り出す個体も見られる。

 兵士達も段々と自分の置かれている状態を理解し、恐慌状態から脱した。それ自体は悪い事ではない。誰かが恐怖に駆られて発砲し、怒り狂った巨大昆虫数百匹に跳び掛かられるよりは遙かにマシである。

 しかし明らかに『異常』だ。自分達が食い殺されるよりも、ずっと恐ろしい事がおきているのではないか……そんな予感が、王大佐の脳裏を過ぎる。

 予感は正しかった。

「クキュルオオオオオオオオンッ!」

 まるでパイプオルガンを叩き鳴らすような、荘厳にして不気味な鳴き声が森から響く。

 次いで王大佐達の眼前に広がる森から、一羽の『怪鳥』が人間達の前に現れた。

 体長十メートルはあろうかという、巨大な生物だった。広げた翼はその巨体を易々と持ち上げ、空を自由に駆けさせる。全身を覆う羽毛は黄金に輝き、生きた神話である事を人間達に知らしめた。尤も、この場にいる人間達には、現れた鳥を崇める余裕などなかったが。

 何しろ怪鳥は、森の木々が吹き飛ぶほどの爆風を伴って現れたのだから。

「うわああああっ!?」

「ま、また、新しい化け物が……」

「なんなんですか、なんですかこの山は!?」

 新たな怪物の出現に、兵士達は動揺する。されど現れた怪鳥は人間達など見向きもしない。

 その鋭い眼が狙うは、王大佐達の周りを走る巨大昆虫の一匹。

 降り立った怪鳥は、一匹の巨大昆虫の上に降下。まるで恐竜のように太い足一本で踏み付ける。するとどうだ。巨大昆虫は呆気なく押し倒されるどころか、ぐしゃりと音を立てて甲殻を砕かれたではないか。内臓を潰され、巨大昆虫は一瞬で力尽きる。

 仲間を殺され、巨大昆虫達の間に動揺らしきものが走る。やがて混乱のあまりか、はたまた一矢報いようとしてか、一匹の巨大昆虫が怪鳥に飛行して突撃……するも、怪鳥はこれを適当に広げた翼で叩き落とす。叩かれた巨大昆虫はまるで石ころのように吹っ飛ばされ、手足や翅をバラバラにしながら大地を転がった。

 恐ろしい光景だった。巨大昆虫の甲殻を破るために、人類は戦車砲や対戦車兵器を延々とぶつけ、更には複数のミサイルまで直撃させている。これでも倒すには一手足りない有り様。なのにあの怪鳥は、易々と巨大昆虫の甲殻を貫いたのである。つまりあの生物のキックは、ミサイルや戦車砲とは比較にならない破壊力があるという事だ。おまけにその身体は、戦車をも粉砕する巨大昆虫の体当たりを翼一つで弾くほど頑強ときた。きっとあの怪鳥は、ミサイルを何百発喰らわせたところで死にやしないだろう。

 王大佐は理解した。この黄金の怪鳥こそが、あの村で語られている『神の使い』であると。この怪鳥には、人民解放軍がどれだけの戦力を費やそうとも勝てやしないと。

 ましてや、その怪鳥が更に何十羽と現れたなら?

「クキュルルルルルルル!」

「クキュールルルル!」

 森の中のざわめきに次いで、姿を露わにする黄金の輝き。人智を嘲笑う超生命体が、近くの森から、或いは遠くの尾根から、次々に飛び上がる。

 怪鳥達はどれも人間には興味を持たず、逃げ惑う巨大昆虫達に襲い掛かった。ある怪鳥は戦闘機染みた速さで飛んで逃げる虫を追い、ある怪鳥は優しく捕まえた一匹をゆっくりと生きたまま啄む。

 巨大昆虫達にとっては地獄のような状況だろう。しかし人間を食い殺す巨大昆虫が次々と死ぬ様は、ある意味で『救世』的でもある。兵士達の中には笑みを浮かべ、応援するように声を上げる者もいた。

 しかし王大佐は、別の可能性を考える。

 もしも巨大昆虫が町に入り込めば、この怪鳥もやってくるに違いない。

 虫を喰らう益鳥だとしても、その力は間違いなく化け物だ。余波だけで、何百もの人命を奪いかねない。いや、何かの拍子に人間の味を覚えてしまい、獲物と認識されたなら? 豊富な人間を餌にして繁殖し、数を増やしていったら?

 中国は、いや、人類はこの怪鳥に喰い滅ぼされるかも知れない。

 考え付いた可能性を、馬鹿馬鹿しいと否定する事は出来なかった。神の使いだかなんだか知らないが、なんとしても倒さねばならない。しかし通常兵器では無理だ。もっと強力なものが必要になる。

 幸いにして王大佐には『当て』があった。そして上層部の一部には、此度の怪物騒動解決のためその使用を求める明確な動きがある。表向き反対を示している幹部でも、この実態を知れば容易に立場を変えるだろう。自国内で使う分には諸外国の反発も少ない事は、『あの国』が一年前に証明していた。上手くいけば即日実施される筈である。

 しかしそのためには大前提として、中央政府が此処で起きた出来事を正確に知らねばならない。

 必要なのは、自分達が生きて報告する事。

「総員、撤退しろ!」

 王大佐は部下達に退却命令を飛ばす。命令を受けた兵士達は一瞬呆けたように固まり、ややあって自分が大変危険な状態に晒されている事を思い出したのか、慌てて撤収準備を始めた。撤退するにも隊列などがあるので少し時間は掛かるが、虫達は鳥から逃げるのに精いっぱいで、鳥は虫の方に夢中だ。今なら人間は安全に退却出来る。

 やがて準備を終え、人間達は麓を目指して急ぎ足で進み始めた

 最中に、それは起きた。

「――――ッ!」

 怪鳥が鳴くのを止め、バタバタと翼を羽ばたかせてその場から飛び立つ。

「ッ!」

 身を竦めた巨大昆虫は、慌ただしく地面に潜り始めるか、飛んで彼方へと逃げる。

 いきなりの事だった。今の今まで繰り広げられていた自然の営みが、一瞬にして終わったのだ。何人かの兵士が足を止め、辺りを不安そうに見渡す。撤退中に立ち止まるとは明確な命令違反だが、王大佐はそれを戒めない。王大佐自身も、自分が乗る戦車を止めさせていたのだから。

 そして人間達は目の当たりにする。

 突如として、人間達が見ていた森の一部が()()()。まるで大量の火薬でも仕込んでいたかのような爆発は、されど一欠片の炎も光も含んでいない。純粋な『衝撃』だけで、森が吹き飛んでいた。続け様に半透明な歪みが吹き飛んだ森の中から飛び、遠くの尾根を直撃。歪みは尾根を貫通……否、切断した。山体は豆腐のように崩れ、恐らくは人類史上例を見ないほどの大崩落を起こす。すると今度は半透明な『触手』が大地から生えて近場の大地を叩くようにのたうち、新たな崖崩れを引き起こす。

 何もかもが滅茶苦茶だった。戦車をも潰す巨大昆虫や、巨大昆虫を易々と仕留める怪鳥は人智を超えるほどの驚異だが……今、目の前で起きている事はその比ではないと王大佐は感じた。次元の違う、人間では立ち入る事すら出来ぬ何かが起きている。

 呆然と立ち尽くす人間達の前で、『何か』は激しさを増していく。山々が幾つも崩れ、大地が割れ、森が滅ぼされていく。自然を打ち砕く破滅的な事象は、やがて人間達の目前でも起きるようになる。

 そこで初めて、人間達は『何』が起きているのかを知るのだ。

 黄金に煌めく怪鳥と、黄金の髪を持つ美少女が、取っ組み合いのケンカをしている事に――――




くくく、あの虫は我等怪物の中で最弱……という訳ではないですが、まぁ、所詮餌です。
その分繁殖力は強いんですけどね(ぁ)

次回は5/11(土)投稿予定。

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