彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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適応者3

 怪鳥の一羽が大きく、黄金の羽毛に覆われた翼を羽ばたかせる。

 空を飛ぶつもりか? フィアはそう考えたが、怪鳥の身体が舞い上がる気配は一向に訪れない。

 代わりに、強烈な『風』がフィアの身に襲い掛かった。

 否、風と呼ぶのは過小評価だろう。何しろ風が通り抜けた後、フィアの背後にある廃屋が音を立てて吹き飛んだのだから。フィアが振り返ってみれば、廃屋はバラバラに砕けて空を舞っている。大地も抉れ、土砂も大空の旅を満喫していた。

 羽ばたいた怪鳥からフィアまでの距離は約三十メートル。村の残骸はフィアから更に数メートルは離れた位置にあった。距離はそれなりにあったが、しかし風はフィアの背後にある村の残骸と大地を易々と吹き飛ばし、更に何百メートルにも渡って破壊していく。

 奇妙な事に破壊の範囲は極めて狭い……それでも幅五メートルはあるが……ものに収まり、どれだけ進んでも広がる事はない。その結果風の通り道は、まるで巨大な球体が通ったかのような歪な光景を形作り、己の痕跡をハッキリと世に示す。

 凄まじい破壊力の風だ。通り道にあった戦車や人の亡骸も、一緒に吹き飛ばされたに違いない。人間が持つ軍事兵器でも、これほどの威力を有するものは殆どないだろう。翼一つでこれほどの力を生み出すとは、正に人智を超えている。

「ふん。微風(そよかぜ)ですね」

 ただしフィアを一歩後退りさせるには、全く以て力不足だったが。

 巨大昆虫よりも遙かに小さな生物が微動だにしない姿を目の当たりにし、風を起こした怪鳥は驚いたように目を見開く。しかし慄くような素振りはなく、むしろ闘志を燃え上がらせた。

 続いてこれならどうだと言わんばかりに、一層力強く羽ばたく。羽ばたきに応じ更に強烈な風がフィアに叩き付けられる。

 その暴風の中フィアは大きく右手を振りかぶった。

 振るったフィアの右手は、文字通り伸びた。水から構成されている『身体』は変幻自在。三十メートルという距離さえも射程内だ。怪鳥の顔面まで易々届く。

 そしてその拳の威力は、一撃で怪鳥の頭蓋骨を粉砕するほど。

「クブジャ……!?」

 殴られた怪鳥は断末魔の悲鳴を上げると、力なく倒れた。後はもうぴくりとも動かない。頭蓋骨どころか脳まで衝撃が届き、損壊して絶命したのだろう。

 恐らくは頂点捕食者、そうでなくとも相当上位の『肉食獣』として君臨していた彼等にとって、体長二メートルにも満たない生物に殴られて死ぬなど想定外だったに違いない。生き残った二羽の怪鳥のうち、一羽は酷く動揺した様子。あからさまに右往左往し、怯えたように目を動かしている。

 そしてフィアを再び視界に入れるや「クルキュルルル!」と泣きべそにも聞こえる声を上げ、慌ただしく羽ばたいた。今度は暴風が村とフィアを襲う事はなく、怪鳥の身体がふわりと宙に浮く。

 羽ばたいた一羽の怪鳥は森の方へと飛んでいった。人間が開発した飛行機よりも速い。フィアならば追跡は可能だが……面倒臭いので止めておいた。去る者は基本追わないのがフィアである。

 それに、まだ怪鳥は一羽残っている。

 フィアが唯一警戒している、巨大昆虫を掴んだままの怪鳥が。

「さっきの奴と一緒に虫を置いて逃げれば見逃してあげたんですけどねぇ」

 フィアは軽口を叩きつつも、全身に力を溜めて警戒する。怪鳥はそんなフィアの前で、ゆっくり、右の翼だけを掲げて――――素早く下ろした。

 ただそれだけの仕草だ。先手を打ってきた、フィアに殺された一羽が仕掛けたのよりも遙かに小さな動きである。

 なのに、不動を貫いていたフィアの『身体』が()()()

 直後、フィアの背後にある村と大地が、爆音を上げて砕け散った!

「ぬぅ……!」

 浮かび上がった『身体』の姿勢を立て直しつつ、フィアは背後の景色を確認。

 目が悪いフィアにもハッキリと見える。村の外に、高さ数百メートルはあろうかという白い靄のような『刃』があった。『刃』は凄まじい速さで直進し、通過した場所には鋭くて深い傷跡を刻んでいる。村の中心をその傷跡が横断しており、『刃』が一瞬で村を通り過ぎたのだと分かった。

 やがて『刃』は村を囲う山の一部に直撃……否、切断した。山を縦方向に真っ二つに切り裂いたのだ。出来上がった小さな隙間から、山の向こう側の景色が映っていた。

 フィアは理解する。怪鳥は先の小さな仕草一つであの『刃』を放ち、『刃』は目にも留まらぬ速さで自分を襲ったのだと。威力だけではない。隙も、スピードも、全てが先程の怪鳥が放った攻撃とは次元が違う。

「上等っ! こうでなくては面白くない!」

 その恐るべき戦闘能力が、フィアの闘争心に火を付ける!

 フィアは両足から水を噴射し、空を駆けた。まさか飛行するとは思わなかったのか怪鳥は一瞬身体を強張らせ、しかしフィアが来る前に己の翼を盾のように構える。強風を起こすほどの翼だ。さぞや頑丈に違いない。

 ならば防御の手薄な場所を狙うか? 答えはNoだ。

 そんな面倒な事などせず、真っ正面からぶち破れば良い!

 フィアはぐるんぐるんと右肩を回し、腕に運動エネルギーを蓄積。怪鳥に肉薄するや、ご自慢の翼目掛けて拳を繰り出した!

 戦車砲すらも比にならない破滅的一撃。命中の瞬間衝撃波が発生し、周りの廃屋や木々を薙ぎ払う。直撃を受ければ生半可な生物どころか、非常識な怪物さえも打ち砕く破壊力だ。まともに喰らえばこの怪鳥とてバラバラに砕け、跡形も残らないだろう。

 まともに喰らえば。

「(ちっ! 防ぎましたか……!)」

 手応えからフィアは理解する。自分の渾身の一撃はこれっぽっちも届いていない。

 怪鳥が盾のように構えた翼。その表面には、()()()()()が出来ていたのだ。この壁がフィアの拳に対する鎧となり、衝撃を防いでいた。恐らく怪鳥の翼自体には傷一つ付いていない。

 無傷の怪鳥は、ほくそ笑むように嘴をカチッと鳴らす。尤もフィアがその態度に苛立ちの表情を返す暇はない。

 カウンターとばかりに、突き刺すような衝撃がフィアへとお見舞いされたのだから。

「ぐっ!? おのれッ!」

 何があったのか? 衝撃はあれど攻撃は見えず、されど闘争心が戸惑いの感情を抱く隙間すらないほど満ちているフィアは即座に反撃を試みる……が、続け様に不可視の打撃が顔面を襲った。作り物の顔だから痛みなんてない。しかし加えられた運動エネルギーはフィアの『身体』を傾かせるには十分な威力を持ち、宙に浮いていたフィアは体勢を崩してしまう。

 怪鳥はこれを逃さない。盾のように構えていた翼を広げるや、すかさずその凶悪な足でフィアを蹴る!

 ただの蹴りならば、フィアの『身体』が有する重さ……今はざっと二千トンはあるだろう……で受け止められた。だが、怪鳥が放った一撃はフィアに奇妙な事象を起こす。足が触れるよりも早くフィアの『身体』に衝撃が走り、重量などお構いなしに飛ばされたのだ。

 挙句蹴り飛ばされた後も、フィアの『身体』は減速するどころかどんどん加速していく。まるで透明なジェットエンジンでも付けられたかのように。

 動力もないのに加速するという摩訶不思議現象に見舞われたフィアは、弾丸をも超える速さで村を横断するように何百メートルと吹っ飛ばされた! しかも何時まで経っても止まらない。加速が終わる気配すらないのだ。

 このままでは山どころか、大陸の彼方まで吹っ飛ばされそうである。

「ぬううううううううっ小癪なぁァァァァ……!」

 唸りを上げながらフィアは全身から水触手を伸ばし、大地へと突き立てる! 強靱な水触手は飛ばされそうになるフィアを支え、加速する『身体』を無理矢理引き留めた。どうにか着地したフィアだったが、彼方に飛ぶような加速度はまだまだ終わらない。

 いや、これは正しい表現ではないだろう。

 風、というよりも大気の流れと呼ぶべきか。それがフィアを押し流そうとしているのだ。ただの風ならばやり過ごす方法などいくらでもあるし、そもそも二千トンもあるフィアを吹き飛ばす爆風となれば辺りは跡形も残るまい。しかしその大気はまるでフィアに纏わり付き、極めて局所的に吹き付ける。

 不自然を通り越して出鱈目な風。されど元凶は分かっている。そしてどうしてこの奇妙な風を起こせるのか、フィアはすぐその答えに辿り着く。

 元凶は今正に相手をしている怪鳥。アイツがこのおかしな空気を扱えるのは……自分と同じだから。

 フィアの獲物を奪い取った怪鳥は、ミュータント化した個体なのだ。

「怪物のミュータントですか。通りで歯応えがある訳です」

 フィアは数百メートル彼方に陣取る怪鳥を睨みながら、余裕を崩さずに独りごちる。しかし本体は能力により血流を速め、身体機能を活性化。己の力を更に高めていく。

 ミュータントが相手ならば手加減をする訳にはいかない。自分が負けるとは全く思わないが、互角の相手である事を認めないような『阿呆』な真似を野生生物であるフィアはしないのだ。

 相手の怪鳥も、フィアが己と同様の力を有した存在だと理解したのだろう。少しずつだが戦意をより高めている。昂揚する気分と共に、肉体に宿る力を増している筈だ。

 両者は巨大な大気を挟んで睨み合う。ただただ睨み、高め、窺い――――

 二匹は同時に動いた。

 怪鳥は、瞬きする間もなく飛ぶ! 翼をぴたりと胴体に付け、あたかも自身を投げられた槍のように射出したのだ! 能力により加速しているのだろう。その速さたるや、音など遙か彼方に置き去りにする。

 怪鳥の突撃はあまりに速く、フィアにも全く見えなかった。が、それは反撃が不可能である事を意味しない。フィアは己の周りに無数の『糸』を展開。切断された刺激を以て周囲の水分子に振動を伝達し、それにより『身体』の動きを制御……早い話が自動的に動き始めた拳で殴り掛かる!

 怪鳥がフィアの目前でくるりと体勢を変えて翼から体当たりしてきたのと、フィアが己さえも意識していない鉄拳を放ったのは、一瞬の狂いもなく同時であった。ぶつかり合った衝撃は爆風となって近隣に吹き荒れる。大地が抉れ、隕石でも落ちたかのような巨大クレーターが形成された。人間ならば、側に居ただけで跡形もなく『蒸発』するだろう。

 されど超常の生命にとっては、戦いを止めるきっかけにもなりはしない。

「クルルルルルルルルル!」

 クレーターの中心で怪鳥は、広げた翼を刃のようにしてフィアへと振り下ろす。フィアは本能的に身を捻り、脳天に迫っていた攻撃を回避。

 翼は大地にぶつかるや、まるで熱したバターでも切るかのように易々と切れ目を入れた。大地の断面からは湯気が立ち昇り、一瞬にして岩をも溶かす高温になった事が窺い知れる。

 名前は忘れた(アルベルト)との戦いで数万度の高温にも耐えられるようになったフィアだが、この怪鳥の攻撃に耐えるのは無理だと感じた。理屈などない。ただの直感だ。しかし人智の及ばぬ生命体であるフィアの直感は、人類最高峰の知能が導き出した小難しい理屈よりも遙かに正確に物事を捉えていた。

 怪鳥もきっと「通じる」と考えたに違いない。両翼を広げるや交互に、素早くフィアを斬り付けてくる! 危険なのは翼だけではない。翼から飛んでくる空気の刃も、触れたものを加熱して切り裂いた。射程は百メートル以上あるらしく、躱し続けるフィアの周りには、まるで体長一千メートル級の猫が爪研ぎでもしたかのような傷跡があちらこちらに刻まれる。

 こうもボロボロになると、大地といえども不安定になる。このままでは足場が崩れ、バランスを崩してしまうかも知れない。フィアならば足下の土に水を染み込ませて固定する事など造作もないが、それをすると大地から足を離せなくなるため動きが鈍くなってしまう。怪鳥の攻撃はミュータントであるフィアからしても苛烈そのもの。俊敏さを失えば、怪鳥は容易くこちらを両断するであろう。

「調子に……乗るんじゃありませんよォッ!」

 フィアが選ぶ打開策は、反撃一択であった。

 攻撃を躱しながら、フィアは自らの右腕を変形。ナイフのような形にして振るう。変化した腕はあくまで形態的に『刃』となっているだけ。空気を操る怪鳥のような、理不尽な原理は秘めていない。

 だが、込められた力はインチキそのもの。

 音速を軽く超えた速さで、フィアの右腕は怪鳥を斬り付ける! 怪鳥は翼を構えてこれを防ぎ、故に大地を切り刻む連撃は止まった。

 今度はこちらの番だとばかりに、フィアの猛攻が始まる。さして鋭さなどないなまくら刀の腕を、ただただ強引な力でのみ動かし、切るというよりも叩き付けた。ぶつかる度に衝撃波が広がり、怪鳥の巨体を僅かながら後退させる。あまりにも強引な攻撃は、もしも此処が市街地ならばビルや住宅を何十と纏めて吹き飛ばしたに違いない。それほどの馬鹿力を一秒に十数回も喰らわせてやった。

 しかし怪鳥の翼には傷一つ入らない。

 この怪鳥の同種は翼の羽ばたきにより爆風を起こしたが、単純なパワーではなく翼の構造により生み出されたものだろう。でなければ局所的な暴風など起こせる訳がない。その原理を応用すれば空を飛ぶ力にも役立てるため、翼に大きな強度は必要なくなる。必要がなければコスト削減のため、どんどん脆弱になっていくのが『進化』というものだ。怪鳥はその大きさは見た目ほど、頑強な生物ではない筈である。

 進化論的な話はフィアにはあまり分からないが、鳥の身体が脆弱極まりない事は本能的に理解していた。普通ならばフィアの強烈な打撃を受ければ、怪鳥といえども骨は呆気なく砕ける。

 そうならないのは、ひとえに翼が纏う『透明な壁』……空気のバリアが原因だ。

「(ちっ! この壁が鬱陶しい!)」

 フィアは打撃を続ける中で、忌々しい空気のバリアに内心舌打ちする。

 どれだけ強い力で殴り付けても、空気のバリアは揺らぐ気配すらない。恐らく単純な物理的威力でこのバリアを破るには、野良猫(ミィ)並のパワーが必要だろう。如何にフィアでも、身体能力に全てのエネルギーを費やしているミィほどの怪力は出せない。悔しいが力技でこの壁を破るのは不可能だ。

 ならば小技を用いるしかない。

 フィアは腕の形を再び変化させる。今度は刃ではなく、高速で回転する……所謂ドリル。

「貫けぇっ!」

 フィアの掛け声と共に、ドリルが怪鳥の翼に突き立てられる! 腕のドリルはギャリギャリと金属染みた音を鳴らし、空気のバリアを削り取ろうとする。

 広い打撃で駄目なら一点突破。フィアらしいシンプルな、故に効果的な攻撃方法の変化に怪鳥は顔を顰めた。まるで忌々しい輩を睨み付けるかのように。

 事実新たな攻撃は効果覿面だったに違いない。でなければ、翼が纏う空気のバリアが()()()()()事はないのだから。

「……小賢しい」

 悪態を吐いたフィアは攻撃を止め、跳び退いて距離を取る。怪鳥も追撃は試みず、羽ばたきながら後退。フィアとの距離を十分に開けた。フィアはドリルと化した腕を人のそれへと戻し、怪鳥も翼を身体に付けて休みの姿勢を取る。

 一見してただ向き合ってるだけの二匹だが、内心では未だ激しく闘志を燃え上がらせている。相手が何かしらの動きを見せたなら、即座に対応するつもりだ。あくまで今は様子見でしかない。

 探り合いの中でフィアは思考を巡らせる。

 まず、勝てない相手ではない。ドリルによる攻撃でバリアを厚くしたという事は、そのままでは防ぎきれないという判断をした証拠だ。怪鳥自身が過度の心配性でない限り、その判断は適切なものであろう。つまり相応のやり方で挑めばバリアは貫ける、そしてそれは自分の力でも可能な事、ならばコイツは倒せる……極めて簡単な三段論法だ。

 同時に、相手はまだまだ余力を残している。苦もなくバリアを厚くする事が出来る程度には。

 手加減はしていないだろう。しかし全力を出してはいないという事だ。感覚的な話ではあるが、この怪鳥はまだまだ隠し球を持っているような気がする。その隠し球がどのような性質の代物かは流石に分からないが、空気のバリアや大地を切り裂く高熱よりも更に強力な代物なのは間違いない。

 そこまで考えながら、けれどもフィアに逃走の意思はない。隠し球があるのはフィアも同じだ。おめおめと逃げ出すには早過ぎる。

 闘志も戦意も勝機も十分。何時でも戦いを再開出来る。

 しかし――――

「……止めますかね」

 フィアは完全に構えを解き、闘志も冷ました。

 フィアが戦闘への意欲を失うと、怪鳥の方も同じく警戒を解く。最早どちらの身体にも力はなく、今から昼寝にでも行くかのように気怠げ。すっかりやる気をなくしていた。

 というのも、戦う必要がなくなったからだ。

 何故フィアはこの戦いを始めたのか? アイツが奪った獲物(巨大昆虫)を取り返すためだ。勿論鳥が嫌いでムカつくというのもあるが、戦いまで至った理由はその一点である。獲物さえ取り返せたなら、まぁ矛を収めてやっても良いかなぐらいは思えただろう。恐らく巨大昆虫を奪った怪鳥も、同じような考えの筈だ。

 ところがその肝心の獲物が……何処にも見当たらない事に、今になって気付く。

 恐らく殴り合いや空気の刃により、吹っ飛んでしまった、或いはバラバラになってしまったのだ。適当に放った『糸』だけで足が切れるほど、フィアから見た巨大昆虫は()()。加減なしのパワーのぶつかり合いには、余波すら耐えきれなかったとしても不思議ではない。

 フィアとしては鳥自体が嫌いなので、このまま戦い続けて殺してもそれはそれで構わないのだが……怪鳥の方が完全にやる気を失っている。殴り掛かったところで、ひょいっと躱してすいっと逃げるのがフィアの目にも浮かんだ。そして素早さに関して言えば、間違いなく怪鳥の方がフィアよりも上である。

 戦いを挑んだところでどうせ逃げられる。なら、最初から挑まない方が疲れないだけマシというものだ。それに『獲物』はまだまだ生息している。最初に捕まえた個体に固執する必要なんてない。

 さっさと気持ちを切り替えて別の巨大昆虫を探す……野生の本能が示す最も『合理的』な選択がそれだった。

「ふん。命拾いしましたね。言葉が通じているか分かりませんが念のために警告しておきましょう。二度目はありませんよ」

「……クキュルゥルルルル」

 それはこちらの台詞だ、とでも言ってるのだろうか。怪鳥は一鳴きするや翼を広げ、ゆったりとした速さで森の方へと飛んでいった。フィアは飛び立つ怪物を目で追い、遠ざかる背中に不機嫌な鼻息を送る。

 尤も居なくなってしまえば、フィアとしてはもうどうでも良い事。怪鳥の姿が見えなくなるのと共に、フィアは気持ちを切り替える。にっこりと笑みを浮かべた。

「さぁーて別の虫でも探し……」

 その笑みが曇るのに、瞬きほどの時間も必要なかった。

 目の前に広がるのは、瓦礫の山。

 来た時にはボロボロながら残っていた家々は全て破壊されている。潰れているだけならまだマシ。フィアの周りに至っては残骸すら残っていない。大地は捲れ上がり、抉れ、あちらこちらにクレーターが出来ていた。

 どうやらあの怪鳥とケンカしているうちに、村を破壊し尽くしてしまったらしい。フィアとしては、そして恐らく怪鳥としても、本気は出したがまだまだ全力ではないというのに……どうして人間の建物というのはこうも脆いのだろうか? お陰で辺りが凸凹していて歩き難いではないか。

 いや、歩き辛い事はこの際良い。人間の住処が壊れた事なんて興味すらない。

 問題は、巨大昆虫の気配が何処にもないという点だ。

 戦闘の前まではたくさんあった虫達の気配が、今やすっかり消えている。自分と怪鳥の戦いを恐れ、そそくさと逃げ出したのかも知れない。自分達を襲う捕食者同士がこちらに目もくれずに争っているのだから、そりゃさっさと逃げるのが得策である。フィアだって巨大昆虫の立場なら、同じ行動を取るだろう。

 戦いに夢中になり過ぎて本命を忘れるとは。自らの失態に肩を落とすフィアだが……すぐに立ち直り、歩みが向いたのは崩壊した村の中だった。

 確かに虫達の気配は殆ど消えた。しかし致命的な臆病者というのは何処にでも、どんな種族にも存在するものだ。

 フィアの感覚は確かに捉えている。未だに逃げていない、たった一つの気配を。

 先程見付けた虫よりも遙かに小さく、脆弱な気配だが、確かに存在している。あまりにも弱々しいので違和感も覚えるが、此処は虫達と怪鳥が暴れ回った跡地だ。他の生物がいるとは思えない。きっと生まれたての幼虫とかが必死に身を隠しているのだろう。

 気配があるのは、怪鳥との戦闘跡地からざっと数百メートルは離れた場所。辿り着いたのは、大きな家が潰れた事で出来たと思われる廃材の山だった。人間ならば柱を一本動かすのも至難の業だろうが、フィアにとっては紙きれの束みたいなもの。

 しかし一本一本抜き捨てていくのも面倒臭い。

「ふんっ」

 なのでフィアが選んだのは、思いっきり蹴飛ばす事。

 人外の足蹴は、一軒家丸々一つ分の材木を一発で吹き飛ばした。山のように積まれていた廃材が空を舞い、瞬きする間もなく大地が剥き出しとなる。

 そんな一瞬の出来事だったからか。そいつはその身が外気に触れたのに、何時までも蹲ったままだった。

 小さな、人間の少女は。

「……あら?」

 思っていたのと違う『獲物』の姿に、フィアは首を傾げる。場所を間違えた? しかし気配があるのは此処だけだ。

 だとすると間違えたのは、自分の感覚か。

 どうやらこの人間が気配の正体だったらしい。まさか人間の存在と虫を勘違いするとは、とフィアは自らの『失態』に舌打ちする。言い訳をするなら、普段なら臭いで判別出来るところ人間の村なのでそこら中が人間臭く、それでいて巨大昆虫が暴れ回ったので巨大昆虫の臭いにも満ちていたため間違えた、といったところなのだが……フィアはその手の言い訳を考えるような思考を持っていなかった。二度とこんな失敗はするまいとちゃんと反省する。

 それはそれとして。

 この人間は、何時まで蹲ってるつもりなのだろうか?

「(まぁどうでも良いですけど。さぁて他の気配は……なさそうですねぇ。全部逃げてしまいましたか)」 

 人間ならここで少女に声の一つでも掛けるだろうが、生憎フィアは人外である。人間への関心は殆どなく、それよりも虫探しの方が大事。他に気配がない事から、近くに巨大昆虫がいないと考え落胆した。

 しかしこれで虫探しを止めるほどフィアの諦めは良くない。臭いの濃淡を感知すればまだまだ追跡は可能だ。逃げた場所を見付ければ――――

 今後について考えていたところ、蹲っていた人間がもぞりと動いた。フィアが横目で見れば、人間の少女は怯えた顔で辺りを見回している。目には涙が浮かび、余程怖い想いをしていたのだろう……そんな少女の姿を見て、フィアはふと思い出す。

 この少女は自分に石をぶつけてきた人間ではないか、と。

 顔については最早薄らぼんやりとした印象しか残っていないが、ハッキリ覚えている臭いの情報と合わせれば、確信が持てる。逃げ遅れたのか、逃げる距離を見誤ったのか、逃げきれないと判断して建物内に隠れたのか……理由はどうあれ自分と怪鳥の戦いに巻き込まれたらしい。そこまで考えてもフィアは罪悪感など覚えず、むしろ「のろまですねぇ」と思うだけだが。

 そして少女はフィアの存在に気付くと、ビクリと身体を震わせて

「……◇□×△×□○□▽!」

 やはりフィアには何を言ってるか分からない言葉を叫びながら、何故かフィアに抱き付いてきた。

 可愛いもの好きなフィアとしては、そこそこ可愛い少女に抱き付かれて悪い気はしない。だが、理由が分からない。言葉が理解出来れば簡単に分かるのだろうが、今のフィアにその術はなかった。

 それにちょっと邪魔だ。これから自分は虫探しに行きたいのに。

 片手で押し退けると、少女はフィアから離れる。フィアの怪力に人間が敵う筈もないので、突き放すのは簡単だった。尤も少女は少し距離を開けるとその場に佇み、フィアから離れようとしない。いや、それどころかフィアが歩くと、距離を保つように少女も歩いた。

 どうやらついてくるつもりらしい。何故? と考えてフィアは足を止めた。

「□□△!」

 そうしていると、遠くから人間の声が聞こえてきた。

 声が聞こえた方を見れば、かなり離れた位置に人間の姿がある。目が悪いフィアにはよく見えないが、少女には識別出来ているらしい。少女は花咲くように眩い笑みを浮かべると、両腕を大きく振って自らの存在をアピール。

 少女のアピールを見るや、遠くに居た人間は駆け足で近付いてくる。距離が縮まれば、フィアにもその人間の姿がハッキリ見えるようになった。

 一言でいうなら、年老いた男だ。六十か七十歳ぐらい。しかし走り方に老いは感じられず、肉体的にはもっと若々しいようだ。彼の頭には髪一本生えていないが、口許には長々と伸びた白髭を携えている。アニメや漫画に出てくる仙人のような姿だとフィアは思う。

 男は少女の方へと駆け、少女も男の下へと走り出す。そして抱擁出来るぐらい近付いた

「×××○!」

 刹那、男は少女の脳天に拳骨をお見舞いした。かなり強烈かつ手加減のない一撃。人間にしては中々の威力だと、フィアさえも「ほほう」と声を漏らしてしまう。

 叩かれた少女は目を白黒させ、右往左往。しかし男の方は少女を労るどころか、ガミガミガミガミガミガミガミガミ……彼等の言葉が分からないフィアにも「ああ怒ってるんですね」と思えるほど、激しく叱責した。時折少女が何かを話したが、すぐに男に叱られしょんぼりする。

 怒られている少女は助けを求めるようにフィアに視線を向けてきたが、フィアからすれば彼女がどれだけ怒られようと知った事ではない。フィアはあっさりと少女の『訴え』を無視する。

「○×◇○×?」

 ところが今度は男の方がフィアを呼び止めた。言葉は分からずとも、こちらを見ながら話し掛けてきたのだ。そう判断するに足る状況である。

 彼は自分も怒るつもりなのだろうか? 人間の怒りというのは ― フィアから見れば ― 理不尽なものばかりだ。何が理由でぶつけてくるか、フィアには想像も付かない。

 別段人間に怒鳴られても何一つ感じないが……無駄な時間を費やすのも面倒だ。 

「いや何言ってるのかさっぱり分かりませんが」

 なので自分にその言葉が通じない事をハッキリと伝えた、日本語で。

「む。あなた、日本人、でしたか?」

 すると男は拙いながらも日本語で返してきた。

 まさか日本語で返事があるとは思わず、フィアは驚きで目をパチクリさせる。とはいえそこは野生生物。瞬時に平静を取り戻し、彼には日本語が通じる事を理解した。

「おや。あなた日本語を話せるのですか」

「……昔、少し、習いました。あまり、上手く、ないです」

「みたいですね。まぁ通じるならなんの問題もないです。それで私に何か用ですか?」

「はい。私の孫を、助けてくれて、ありがとう、ございます。何か、お礼を、したいです」

「はぁ。別に人間からのお礼とかどうでも良いですお金とか興味ないですし。それよりも虫取りに行きたいのですが」

「虫取り?」

「この村を襲った虫ですよ。アレを捕まえようと思いまして」

「!? なんと……それは、とても難しい事です。軍隊でも敵わない相手、です。一人で挑んで、勝てる相手では、ありません」

「あなた方人間にとってはそうでしょうね。ですがこの私にとっては虫けらでしかありませんよ」

 フィア的には ― そして実際に ― 事実を語るも、男は顔を顰めるだけ。どうやら信じていないらしい。

 ところが男の孫である少女が何かを話すと、男は大きく目を見開いた。それから何度か少女と言葉を交わすと、また顔を顰めたり、困惑したように目を右往左往させたり、目まぐるしく表情を変える。

 しばらくして、動揺からか何時の間にか乱れていた呼吸を男は整え……改めてフィアと向き合う。

「……少し、お話をしたいです。我々が居る、避難所に、来てはくれませんか?」

 彼はフィアにお願いをしてきた。

「嫌ですよ面倒臭い。先程も言ったでしょう私は虫取りに来たのです。あなた方と話すためではありません。多分虫は森の方にいると思うのでそちらに行こうかと」

「でしたら、尚更来た方が良い。私達はあの虫、そして鳥についての知識を、少しですが、持っています。大きな虫の集まる場所、あの鳥について、お話出来ますが」

「む……」

 即座に断るフィアだったが、男は魅力的な話を振ってくる。確かに臭いや気配で虫の探索は可能だが、住処が分かるに越した事はない。あの怪鳥についても色々な情報が得られれば、奇襲や獲物の横取りを防げる可能性が高くなる。

 時間を惜しみ情報なしで挑むのと、ちょっと時間を割いて情報ありで挑む……どちらが有効かは時と場合によるだろう。そして此度は相手が未知の昆虫と怪鳥、それでいて昆虫の数はそれなりに豊富。つまり時間的猶予はあり、失敗のリスクは高いというシチュエーション。

 少し話を聞いて失敗の確率を下げられるのなら、その方が面倒は少ないかも知れない。

「……そうですね。そういった話が聞けるのなら是非伺いましょう。あなた達の住処はどちらにあるんです?」

「ご案内します。さぁ、こちらに」

 歩き始めた男、その男の傍に立つ少女の後を追う……前にフィアは森の方へと振り返る。

 感じられる、無数の気配。

 巨大昆虫や怪鳥の力。

 野生の直感で得られた『情報』に、ぺろりとフィアは舌舐めずり。獰猛さと好奇を併せ持った視線を送る。

「んふふふふ。軽い運動の後の食事は最高ですからね。楽しみです」

 ぽつりと独りごち、それからフィアは男と少女の後を早歩きで追うのだった。




はい、という訳で今回の相手は怪物のミュータントです。
そして話し合いも何もなく、とりあえず殴りにいくという。
どっちも野蛮だけど動物だから仕方ないね!

次回は5/4(日)投稿予定

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