彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

134 / 232
あなたはだあれ12

 素っ裸になったまま床に寝転がるアルベルトを、花中は靴の先でちょんちょんと突っついてみる。

 するとアルベルトはビクビクと痙攣するように動き、花中を驚かせた。が、アルベルトの見せた動きはたったそれだけ。起き上がる気配どころか、白眼を向いている目に理性が戻る様子もない。

 どうやら完全に失神しているらしい。

 先の激戦で周囲はすっかり瓦礫だらけで、アルベルトも石ころの布団の上で寝ている状態。部屋の空調も壊れたのか、気温もちょっと温いぐらいまで上がっている。どう考えても寝心地は最悪なのだが、この調子なら彼は当分眠りこけているだろう。

 つまりはもう彼に襲われる心配はないという事であり、花中は胸を撫で下ろした。

「花中……えと、その人……」

 確かめ終えた花中に、離れた位置で待機していた清夏が弱々しく尋ねてくる。言葉は途中で途切れたが、続きを察するのは容易だ。

「気絶している、だけです。当分、目覚めそうには、ないですけど」

 故に花中は正直に、自分の考えを伝える。

 花中からの答えに、清夏は安堵するように息を吐く。その安堵は、アルベルトが気絶している事に対するものか、アルベルトが死んでいない事に対するものか……

 恐らくは両方なのだろう。

「……死なないように、手加減しましたよね?」

「え? あ、うん……」

 花中が尋ねると、清夏はおどおどしながら頷く。

 その気になれば、清夏は機体諸共アルベルトをどろどろに溶かす事が出来た筈だ。何故なら清夏の本当の能力は……『自分の思い描いた物質を合成する』事なのだから。

 アルベルトの言葉と清夏の生い立ちを考えるに、清夏の正体は『酵母菌』の一種……恐らくはアルコール酵母だろう。アルコール発酵に用いられる酵母菌は、主に糖類を分解してエタノールと二酸化炭素を合成する。この性質がミュータント化によって強化され、アルコールのみならず様々な物質を合成出来るようになったのだ。アルベルト達はなんらかの手段で清夏の能力を見付け、様々な方法 ― 恐らく採取した細胞(正確には『個体』だが)にストレスを掛けたり、与える糖の種類を変えたりして ― で多様な物質を合成させたのだろう。

 今まで爆発しか起こせなかったのは、最初の脱走時に爆発を起こした事でそれが自分の力だと誤解したのが原因と思われる。本当の力を自覚してしまえば、あとは念じるだけ。それだけで欲しい物質が簡単に手に入る。

 清夏はその力によって、『人体以外が溶けるガス』と『空気抵抗が大きくて減速するようなガス』の二つを撒いたのだ。これによりアルベルトは機体から投げ出され、気絶する程度の勢いまで減速してから壁に衝突した訳である。

 言うまでもなく、『何もかも溶かすガス』を出せばアルベルトは跡形もなく消え、『減速するガス』を撒かなければ彼は超音速で壁に激突する事になった。前者は兎も角、後者は助ける意図がなければ作らない筈である。

 清夏は自らの意思で、アルベルトを助けたのだ。

「良かったの、ですか? その、この人は、あなたに酷い事をして、人生を、滅茶苦茶にした、張本人ですよ」

「それは……そうだけどさ……でも……」

「でも?」

「……人殺しには、なりたくないじゃん」

 清夏は顔を赤くしながら、花中の疑問に答える。

 清夏の言葉に、花中は数秒ほど真顔を浮かべた。次いで目尻が下がり、頬がぷくっと膨らむ。

「……………ぷふ」

「ちょ!? なんで笑うのよ!? 変な事言ってないでしょ!?」

 そして笑いが吹き出してしまった花中に、清夏は顔を真っ赤にして怒る。無論花中とて、清夏を馬鹿にしたつもりは一切ない。

 ただ、嬉しかった。

 フィア達がこの状況に直面したら、「じゃあ止めを刺しておきますか」とでも言うに違いない。野生生物である彼女達が、自分を追い詰めたものをむざむざ逃す筈がないのだから。それを言わないというのは清夏の優しさであり、彼女が未だ()()()()()事の証明である。

 清夏の心の傷は、手遅れにはなっていないようだ。それを確信出来た花中は、思わず笑いが漏れ出てしまっただけなのである。

「ごめんなさい。ちょっと、嬉しくて」

「何よそれ……もうっ」

 花中の謝罪に誠意を感じられなかったのか、清夏は頬を膨らませる。が、口の空気はやがて漏れ出し、笑い声となった。花中もつられるように、もう一度笑い出す。楽しげな笑い声が、廃墟のように荒廃した部屋の中を満たした。

 尤もその笑いは、突如崩れ出した天井が響かせる轟音に飲まれてしまう。

 不意の出来事に花中と清夏は笑みを消し、愕然とした表情を浮かべた。されど二人が抱いた驚きの感情は、花中はすぐに、清夏でも少し経った時には消えてしまう。

 何しろ崩落する瓦礫達に紛れ込んでもハッキリと見える、金色の髪を揺らめかせる少女の姿が見えたのだから。

「フィアちゃんっ!」

「花中さんっ!」

 花中の呼び声に応えるように、爆音にも似た着地音と、それに負けず劣らず大きな喜びに満ちた声を美少女――――フィアは上げた。

 アルベルトはフィア達の到着まで十分は掛かると言っていた。もうそんなに時間が経っていたのか、それともフィアの実力がアルベルトの計算を上回ったのか……時計がない今、どちらが事実なのかは分からない。分かったところで今更どうでも良い事だ。

 花中にとって、フィアにとって大事なのは、大切な友達ともう一度会えた事なのだから。

 花中を見付けたフィアは辺りの瓦礫を蹴飛ばしながら猛然と走り出し、花中も堪らず走り出す。一人と一匹はお互いに大好きな相手を、両腕を広げながら迎え入れ

「花中さぁぁぁんっ!」

「フィアちゃげぼぉっ!?」

 大質量(フィア)と激突し、花中は感動の再会に相応しくない呻きを上げた。物理学的には、そこそこの速さで突っ込んできた自動車に自分から跳び込んだようなものなのだから当然である。

 しかしながら喜びで舞い上がっているフィアは、そんな『些末事』など気にも留めていない。衝撃で目を回す花中を、人外の馬力でぎゅっと抱き締めた。

「ああ花中さん大丈夫ですかお怪我はしていませんか何処か苦しいところはありませんかなんか凄い血の臭いがしますけどおおおおおおおおっ!?」

「ぎ、ギブ、ギブぅ……!」

「あ、フィア。それ本当にヤバそうだから待って。いや、冗談抜きに」

 清夏が止めなければ、果たしてどうなっていたか。

 脳裏に「お尻の下敷きになったシュークリーム」のイメージが過ぎる花中だったが、幸いにして想像が具現化する前にフィアは力を緩めてくれた。花中は息を整え、不安そうにしているフィアに笑顔を向ける。無論作り物ではない、本心からの笑みだ。

「えと、わたしは、大丈夫。ちょっと、手を怪我したけど、御酒さんが、治してくれたから」

「手をですか!? 見せてください……ううこれかなり酷い怪我じゃないですか。ああでももう塞がっているみたいですし大丈夫そうですね」

 花中の右手を掴んで覗き込んだフィアは、物悲しげな表情を浮かべる。とはいえ傷が癒えているのを確かめると、心底安堵していた。

 フィアとしては、傷が治ればそれで良いのだろう。彼女達は『動物』なのだから。しかし人間は、これで終わりとはならない。

 フィアが言うように、花中の手の傷はもう塞がっていた。生命線のように長くくっきりとした、手相と違って肉が盛り上がった傷痕という形で。

 肉が盛り上がっているという事は、恐らく細胞増殖によって塞がったものと思われる。傷を見た清夏は粉のようなものを振りかけてくれたが、あの粉状物質には相手の生命力を活性化させるような効果があったのだろう。時間こそ非常識なレベルであるが、治り方としては自然治癒と大差ない筈だ。

 ならば傷が残るかどうかの境界線も、自然治癒時と変わらないだろう。傷は真皮まで達すると、修復した跡が残るとされている。あの時花中は一定以上の血が出る深い傷を、一発で ― 何分自分が臆病者なのは重々承知している。半端な傷を付けてしまったら、間違いなくそれ以上の痛みを想像して手足が竦むに違いなかった ― 付ける必要があった。なので割と思いっきり傷を刻んだため、もしかするとこれは一生残るものかも知れない。

 早々他人からは見えない場所であるが、少女の身体に傷が残ったのは確たる事実。

「あの、花中……ごめん。わたしが、上手く治せなくて……」

 清夏が傷痕を見て謝ってくるのも、彼女が『人間』だからだ。

「まさか何か後遺症が残るのですか?」

「後遺症というか、傷痕が残るかも知れないし……」

「? それの何が問題なのですか?」

 フィアは首を傾げ、何がいけないのか分かっていない様子。彼女達野生生物からすれば、生きるのに支障がない傷痕などどうでも良いものなのだ。

 そして花中にとっても。

 傷痕が残って喜ぶような勇ましい性格などしていない花中であるが、元より自身の美醜自体にあまり関心がない。頬などに出来た傷ならかなりショックを受けただろうが、掌という目立たない場所ならあまり気にならなかった。

 それに友達を守るために刻んだ勲章と思えば、むしろ消えるのが勿体なく感じるぐらいである。

「えへ、えへへへへへへ」

「……え? なんで花中、ちょっと嬉しそうなの?」

「さぁ?」

 漏れ出た笑いに怪訝そうな顔を浮かべる友人達。されど花中はニタニタとした笑みを消せない。

「カチコミじゃごらぁっ!」

 笑顔が真顔へと変化したのは、室内の壁の三割を粉砕しながらミィが現れた時。

「ようやく見付けたわ……あら、私が最後みたいね」

 その直後、反対側の壁を砂塵に変えて侵入してきたのはミリオン。

「ミィさん! ミリオンさん! 大丈夫、でしたか!?」

「お、花中じゃん。勿論全然余裕だったしぃ?」

「やっほー。ちょっと手間取ったわ。お陰で良い勉強にはなったけどね」

 現れたミィとミリオンを前にして、花中は喜びの声を上げた。本当なら二匹の下に駆け寄りたいが、フィアに抱き締められていて、生憎それは叶わない。フィアが居なくても、二匹はそれぞれ向かい合うように現れたので、身体が一つしかない花中は真ん中で右往左往するばかりだろう。

 動けない花中に代わり、ミリオンとミィは自ら花中の下へと集まる。どちらも勝ち誇った笑みを浮かべ、ミィは自慢げに胸を張り、ミリオンは上品に髪を掻き上げた。二匹の仕草はどれも自らの健全ぶりをアピールし、花中の心から不安を打ち消してくれる。

 友達全員の無事を確かめる事が出来て、花中は安堵の息を吐く。

「本当に、心配しました……みんな、酷い目に、遭ってましたから……」

「おや花中さんもしや私が苦戦しているところを見てしまったのですか?」

「う、うん。みんなの、分も……」

「なんと! いやはやこれは恥ずかしい。人間如きにああも翻弄されるとは情けない話ですよ全く」

「えぇー……花中見てたの? じゃあ誤魔化した意味ないじゃん」

「みんな、無駄にプライドが高いわねぇ……勝てば官軍と言うでしょ? 勝ったんだからそれで良いじゃない。それに、みんな見違えるぐらい成長したみたいだし」

「おや分かりますか?」

「ふっふーん、その通り。すっごくパワーアップしちゃったよー」

 わいわいと自分達の苦戦ぶりと成長を誇示するフィア達。彼女達の成長の瞬間をモニター越しとはいえ見ていた花中は、当時の事を思い出す。あの時は彼女達に対し恐怖に近い感情を抱いたが、こうして何時もとなんら変わらないところを見ると、怖がっていた自分が馬鹿馬鹿しくなってきた。

「あ、あの……みんな! わたしの話も、聞いてくれる?」

 その和やかな雰囲気の中、やや緊張した様子の清夏が話に加わろうとしてきた。

 花中とフィア、ミィとミリオンは一斉に清夏の方へと振り向く。全員に見られた清夏は一瞬後退りしたが、自力で踏み留まり、一人と三匹分の視線に負けない眼力で見つめ返す。

「……わたし、実は……人間じゃなかったの!」

 そして覚悟を決めるような一呼吸を挟んでから、堂々と自らの正体を打ち明けた。

「うん、知ってる」

「知ってたわよー」

 尤も、花中達からするとそんなのは「何を今更」程度の話。

 あまりにも呆気なく受け止められ、清夏はキョトンとしてしまった。

「……え?」

「あ、ちなみに正体はアルコール発酵に用いる酵母菌よ。そこまで知ってた?」

「え? あ、えと、微生物とは、聞いたけど」

「へー、清夏って菌だったんだ。ちなみにあたしは猫で、コイツはインフルエンザね」

「猫? インフルエンザ? え?」

 まるで自己紹介のようにカミングアウトされ、清夏は目を丸くする……尤も、やがて彼女は吹き出すように笑ったが。自分の悩みが、どれだけちっぽけだったのか気付くかのように。

「あれ? 花中さんアイツ変な力がある人間じゃなかったのですか? なんか人間として扱えと言われていたと思うのですが」

「……あ、うん。フィアちゃんの、好きに思えば、良いんじゃないかな」

 ちなみにフィアは花中とした約束を中途半端にしか覚えていなかった結果、清夏の事を人間と勘違いしていた。「何処まで興味がないの」という呆れと「人間だろうがそうじゃなかろうがどうせ態度変わらないし」という思いがまぜこぜになった花中は、大変雑な返事をする。フィアは特段気にした様子もなく納得していた。

 ……さて。楽しい話に花が咲き、このまま何時間でも過ごせそうだが、そうもしていられないだろう。

 アルベルトは恐らくフィア達の打倒を諦めていない。その事自体は、未来を思えば是非とも努力してほしいと花中も思う。しかし友達が傷付けられ、一人の少女の一生を狂わす事は容認出来ない。殺すのは花中の信念に背くのでやらないが、誘拐犯として警察には突き出しておくべきだろうと考える。

 なら、気絶している今のうちにアルベルトさんを拘束してもらわないと……花中は友達三匹への依頼を思い描きながら、ちらりとアルベルトに視線を向けた

 つもりだった。

「あれ?」

 されど花中の口から出たのは、友達にお願いをする言葉ではなく、疑問の声。

 何故なら自分の見た先に、アルベルトの姿はなかったのだから。

「あ、あの、すみません。皆さんに、一つ、確認が……」

「ん? なぁに、はなちゃん」

「えと、あそこに寝ていた、人が、何処行ったか、知りませんか……?」

 花中がアルベルトの寝ていた場所を指差すと、フィア達ミュータントは互いの顔を見合う。言葉はなく、数秒の沈黙があるだけ。

 されど生物的第六感による交信か、本能の奇跡による読心術か、或いはあまりにも簡単な質問だったからか。

「「「裸で寝ていた男ならあっちに逃げていきましたよ(いったよ)(いったわよ)」」」

 三匹は声をぴったりと重ね、同じ方角を指差しながら、打ち合わせたように同じ文章で答えた。

 裸で寝ていた男ならあっちに逃げた。

 なんと簡潔な文章だろう。解釈違いを心配する必要のない、素晴らしい回答だ。けれどもそれが花中の、そして清夏の心を掻き乱す。

 つまり、アルベルトが何時の間にか逃げ果せていたという事なのだから。

「な、な、なな、なんで?! なんで逃がしてんのよ!?」

 顔を青くした清夏が、フィア達を問い詰める。彼女からすれば悪の権化が解放されたようなものだ。平静ではいられまい。

 おまけに何処に逃げたか知っているという事は、フィア達は気付いていながらアルベルトを逃がしたという事だ。何故そのような行為に出たのか清夏には、いや、彼女達と一年以上友達をしている花中にも分からない。

 故に向けられた追及なのだが、フィア達はポカンとした、言ってしまえば間抜け面を浮かべる始末。責任を感じる以前に、何故清夏が必死なのかも分かっていない様子である。

「なんでって……だって裸でしたし」

「うん、裸だったからね」

「そうね、裸だったもの」

 ややあって出てきた答えは、何故か三匹とも裸であった事に関するもの。

 質問との関連性がまるで見えない答えに、花中も清夏も動揺する。

「えと、ど、どうして……?」

「あまりに不様な姿でしたから戦いに巻き込まれた一般戦闘員の一人かなぁと」

「悪の親玉が全裸でぶっ倒れてる訳ないし」

「逃げ方も股間を隠しながらこそこそーってしてて、こっちの視線に気付いたら顔真っ赤にしちゃうし。なんか指摘するのも可哀想に感じて……」

 花中が詳しく訊いてみれば、どうやら三匹とも、アルベルトが重要人物だと気付いていなかったらしい。

 確かに花中も、全裸でぶっ倒れている男を見て「コイツが今回の首謀者だ」とは思わないだろう。いや、むしろ思いたくもない。『あんなの』に殺されかけたとなると尚更である。彼が機器を操作しているところを見てないフィア達が全く警戒しなかったとしても、仕方ないというより納得のいく話だ。白衣の一枚でも着ていれば、学者の類と見抜いて多少は不信感を抱けたかも知れないが。

 つまり。

「……わたしの所為?」

「……服ぐらいは、残した方が、良かったですね」

 清夏からの問いを花中は否定出来ず。

 しばし顔を見合わせ、二人は同時にゲラゲラと笑い出した。

 あれだけ超科学を誇りながら、最後は全裸でこそこそと逃げ出す。想像しただけで、おかしさで花中はお腹が痛くなるほどだ。きっと、清夏も同じ気持ちなのだろう。

「あー! どうしてやろうかと思ったけど、なんかもう、どうでも良くなってきちゃった」

「……そうですね。もう、あんな人なんか、どうでも良いですよね。そんな事よりも……」

「……うん」

 花中の途切れた言葉に同意するように、清夏はこくりと頷いた。

 最早フィア達にとって、この建物にある兵器は脅威でもなんでもない。全てを破壊するのは容易だ。

 適当に暴れて中を滅茶苦茶に破壊すれば、ミュータント由来の技術は壊滅するだろう。無論外に分散している可能性はあるが、どの道フィア達の敵ではない。研究を進めようにも、今や清夏は真の力に目覚め、通常の武装で捕まえるのは不可能だ。これ以上の技術発展や量産化は出来ないと考えられる。

 即ちアルベルト達の組織が清夏を狙う事はない。狙ったところで返り討ちに出来る。

 ならば、清夏がこの地に留まる理由はない。

「ようやく、お家に帰れます、ね」

「……うん」

「あの、短い間でしたけど……楽しかった、です」

「……うん。わたしも、楽しかった」

「……………」

「……………」

 短い言葉を交わした二人は、口を閉ざすのと同時に俯く。

 アルベルト達の脅威がなくなり、力の制御も出来るようになった今、清夏は家に帰る事が出来る。いや、家族や友人の事を想えば、帰らないという選択肢はない。

 清夏の家は、花中の暮らすこの町とは違う、別の県だ。勿論今時電車という大変便利な交通機関があるのだから、休みを丸一日費やすだけで会いに行ける。話をするだけなら電話やメール、SNSの類を用いれば良い。

 しかしそれでも、離れ離れになる事は変わりない。

 ほんの短い間だけとはいえ、同じ家で暮らしていた仲間と別れるのは……かなり寂しい。清夏が家族の下へと帰れる事の喜びと同じぐらい、暗い気持ちが花中の胸の中を満たしていた。

「花中さん花中さん。コイツ何処かに行くのですか?」

 そんな花中に、後ろから抱き付いたままのフィアが能天気に話し掛けてくる。

「え、あ、うん。御酒さんを、襲う人達は、もういなくなるから、お家に帰る事に、なるよ」

「ほーそうですか。成程成程」

 花中が説明するとフィアは納得するようにこくこくと頷く。やがてにっこりと、心底嬉しそうな笑みを浮かべた。

「でしたら今夜はパーティーですね! 私と花中さんの生活からお邪魔虫が一匹居なくなるのですから!」

 続けてとても元気よく、なんの悪意もなくフィアはそう提案してくる。

 ミリオンはにっこりと微笑み、ミィはポンッと手を叩く。誰もが楽しそうに。

 一瞬ポカンとしていた『人間』二人も、吹き出すように笑い出した。

「あはははっ! そうだね、フィアちゃん。パーティー、しないとだね。ちゃんと、旅立ちは、お祝いしないと」

「そうでしょうそうでしょう」

「そのパーティー、勿論わたしも参加して良いんだよね?」

「別に良いんじゃないですか? 出来れば私と花中さんだけでやりたいところですが」

 フィアは大変正直に自分の感想を伝えると、清夏と花中はもう一度大笑い。フィアはこてんと首を傾げた。

 別れは辛いし悲しい。だけど泣き顔でお別れなんかもしたくない。思い返す時、めそめそ泣き続けた顔が浮かぶなんて懲り懲りだ。

 だからお別れパーティーは盛大に。

 悲しい記憶なんて忘れてしまうぐらい、最後は楽しく賑やかにやろうと花中は思うのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「クソ、クソッ! クソぉっ!」

 悪態を吐きながら、一人の男が月夜の照らす路地裏を駆けていた。

 男の名はアルベルト。天才科学者として製薬会社アスクレピオスに採用され、数多の新薬を開発し、そして超未来的兵器の発明に大きな貢献をした者。

 そんな偉大な業績を有する彼は、ボロ布一枚だけという今時ホームレスですらしないような格好だった。歩く路地裏も生ゴミや空き缶が転がり、得体の知れない液体が水溜まりを作っている不衛生な環境。街灯なんてものはなく、月明かりがなければ文字通り暗闇に閉ざされていただろう。その光もビルなどで頻繁に遮られ、一メートル先も見通せない。昼ならまだしも夜に歩けるような状態ではなく、ゴロツキどころか浮浪者の姿すらない場所だ。

「何がいけなかった……理論上あの兵器達は五百年先のスペックなんだぞ……現代で運用するには補給面の問題があって、室内でしか使えないぐらいなのに……何故あれが破られたんだ……!」

 ぶつぶつと悪態を吐きながら歩くアルベルトは、不意にバタリと倒れるように転んだ。空き缶を踏み、体勢を崩したのだ。胴体の下にあった生ゴミを潰した感触が、彼の身体に走る。ぷるぷると身を震わせながら、アルベルトは立ち上がろうとして地面に両手を付いた。

 その両手に、ナイフのような刃物が突き刺さる。

 突然の事にアルベルトは目を丸くしたが……傷口から鮮血が吹き出すのと共に、彼の顔には『痛み』を自覚した表情が浮かんだ。

「ひ、ぎぃやあああっ!? あが、あがぐぃぎ……!?」

【あまり動かない方が身のためですよ。我々としても、あなたの職人的な手が義手になるのは望みませんから】

 痛みから悲鳴を上げるアルベルトに、暗闇からくぐもった男性の声がした。アルベルトは顔を顰めながら暗闇を凝視すると、道の先を満たす暗闇から数体の、白色の装甲で身を包んだ『人型』が現れる。

 一見して全身を防具で固め、大きな銃器を持った機動隊員のようにも見える人物。しかし科学者であるアルベルトはすぐに気付いた。この人型の物体が、通常の人間よりも細い体格をしている……つまり身体の上に装甲を乗せたものではないと。

 ロボットだ。それも人が搭乗していない、極めて高度な技術の産物。『現代』の人類科学では作り出せない、超技術の結晶体である。

 こんな物を作り、運用出来る組織など、アルベルトは一つしか知らない。

「た……タヌキ共か……! 僕に、なんの用だ……!」

【君が我々について知っている事は、潜り込ませたスパイのお陰で把握しているよ】

 アルベルトがその正体を指摘すると、ロボットの中の一体……その機体を遠隔操作しているであろう『雄』から、肯定を示す回答が返ってきた。

 タヌキ。

 ミュータントの中でも安定的な繁栄を掴む方へと進化し、現代社会を裏から支配する種族。高度な技術とそれを支えるインフラを持ち、人口比が十分の一ながらも戦争をすれば人類側の敗北が濃厚である存在。

 アルベルト達、人間至上主義者からすれば鬱陶しい事この上ない相手だった。

【用件は手短に伝えるとしよう。君達の活動は我々にとって不利益だ。しかし君の技術を失うのは惜しい。そこでスカウトに来た。君が我々の組織に協力するのなら生かし、しないのなら此処で変死体となってもらう】

「ふん……随分野蛮な、交渉だな……あまり僕を、嘗めるなよ……お前達の仲間に、なるぐらいなら、死を選んでやるさ……!」

【そうか。ではその通りにしよう】

 アルベルトの回答に、タヌキの男は淡々と答えながら手に持った銃器を構える。アルベルトはロボットを睨み付けながら、足掻く素振りもなく口を閉じ――――

【と言いたいところだが、上から君の確保に全力を尽くすよう指示されていてね。変死体になってもらうのは、本当にどうしようもない時だけ。だからあまり得意ではないが、君の説得を試みるとしよう】

 ふと、タヌキは構えていた銃を下ろした。アルベルトは痛みで顔を顰めながら、タヌキの行動を怪訝に思う。

「説得……? 出来ると思って、いるのかい……?」

【先程も言ったように、得意ではない。しかし上からの指示には逆らえない。君も社会で生きている身なら、この苦労は分かるだろう?】

「……ふん。そんなに辛いなら、野性に返って、野原を駆けずり回れば良い。それが、お似合いだよ」

【生憎今の我々は社会生活に適応し過ぎてしまってね。日曜日にZ級ゾンビ映画を見ながらコーラを飲まないと、体調を崩してしまうのさ】

 悪態を吐くアルベルトに、タヌキの操るロボットは冗談を交えながら近付く。アルベルトの頭の近くまでやってきたロボットは、如何にも人間らしい動きでその場にしゃがみ込んだ。

 そしてアルベルトの耳許で、タヌキは囁く。

【良い事を教えてやろう。君は我々ミュータントを研究する事で怪物のみならず、ミュータントさえも乗り越えようとしているようだが……それは全くの逆効果であり、人類の破滅を後押しする行為だ】

 アルベルトの信念だけでなく、人類の在り方さえも嘲笑うような言葉を。

 アルベルトは跳ねるように身を起こし、タヌキの操るロボットを憤怒の形相で睨み付けた。自身の手がナイフで貫かれている事さえ忘れたような怒りの感情をモニター越しに見たであろうタヌキは、自分の操作するロボットにおどけるような仕草を取らせる。

 それがますますアルベルトの怒りを買うが、しかしそれでも彼は科学者である。激昂して掴み掛かるような真似はせず、まずはその真意を問い質す。

「どういう、意味だ……!」

【君は五世紀先のテクノロジーを開発し、それを存分に発揮出来る環境で用いた。しかしミュータント達はそれを打ち破った。何故だと思う?】

「……奴等が、予想以上の急成長を、したから……」

【そうだ。良いか、五世紀先の技術なんてものは、奴等にとっては一足跳びで乗り越えられる程度の代物なのさ。じゃあ、今度は更に未来の技術で攻撃したら、奴等はどうなる?】

「……更に成長すると?」

【ご名答。我々はそれを危惧している】

 タヌキの返答を、アルベルトは鼻で笑った。

 成長するのがなんだというのか。相手が成長するのなら、こちらもそれ以上に成長すれば良い。

 それを期待していないタヌキは、まるで

【ちなみに我々の計算では、人類科学は二十八世紀から三十世紀相当が限界であると予想されている】

 人間の限界を、知っているかのようではないか。

 ――――考えを見抜かれたような言葉に、アルベルトは目を見開く。カタカタと身体を震わせ、歯を食い縛るように口許を強張らせた。

 あり得ない。あり得る筈がない。

 科学の限界が、長くともあと九百年で訪れるなんて。

 ミュータントが、その先を行く筈がない。

「う、嘘だ! そんな事は……!」

【生憎本当だ。人類の脳細胞の学習効率と肉体的寿命を、科学体系の複雑さが上回る。要するに、生きている間に学べる事の限界がやってくる訳だ。肉体をサイボーグ化や電子化しても無駄だぞ。二十二世紀後半以降の技術レベルに達するには、現代数学の発展に加え、観念的数学論が必要だからな。これを行うのに電子機器は適していない。心当たりがあるだろう? お前は二十五世紀相当の技術を作り上げたのだから】

「……ぁ……あぁ……!」

 タヌキに言い返す事も出来ず、アルベルトは嗚咽のような声を漏らすばかり。

 人類の底が、すぐ近くまで来ている。

 認めたくない。しかしアルベルトは直に触れて理解していた。五世紀先の技術さえ、理論を展開しても理解出来る者はごく少数……世界でも有数の『天才』達ですら完全な理解者は僅かだった。未解明部分があまりに多過ぎて、量産体制など夢のまた夢。

 それほどの技術をほんの数分で跳び越えたミュータントに、どれほどの伸び代があるのかなんて想像も付かない。

【人類科学ではミュータントに勝てない。奴等はその遙か先を進む者達だ】

 タヌキの宣告を否定するだけの論理を、今のアルベルトは持つ事が出来なかった。

 アルベルトの反応を見届けたタヌキは立ち上がると、銃を仲間のロボットの居る方へと投げ捨て、両腕を広げた。さながら、演説をするかの如く。

【衝撃の真実が明らかになったところで、ある一つの大問題が考えられる。なんだと思う?】

「……………分かる、もんか……」

【なぁに、簡単な話だ。現在世界中でミュータントの発生数が増加している。我々が把握しているだけで、総数は四千五百を超えた。繁殖も始まっているし、一体何時『脳波』に触れたのか分からない個体が三千以上も存在している。原因は不明だが、恐らく今後も増え続けるだろう。さて、ここで一つ問題だが】

 もしもミュータント同士の食物連鎖が作られたら、どうなる?

 タヌキの問い掛けに、アルベルトは答えた。ただし声ではない。驚いたように目を見開き、顔を青くする事で物語ったのだ。

 三匹のミュータント達……フィア達は、これまで多くのミュータントやそれ以外の怪物と戦ってきた事をアルベルトは知っている。しかしそれまでの戦いで、彼女達が『死力』を尽くした経験は少ないだろう。いざとなれば逃げれば良い、無理に勝たなくても良い、別に殺すつもりもない、相手が強過ぎて尽くす暇すらない……今回の戦いのように、()()()()に追い詰められた事はなかったのだろう。

 では、食物連鎖が作られたなら?

 ……食物連鎖は喰うものと喰われるものの、正しく命を賭けた闘争。喰うものは腹を満たさねば生きていけず、喰われるものは逃げねば生きていけない。無論ミュータントにとって、同じミュータントを相手に戦うのはリスクが大きい……そもそも能力の相性次第では捕食・被食の立場が入れ替わる恐れすらある……のだから、好んで襲いはしないだろう。しかし繁殖を繰り返せば、絶対的強者である彼等が既存の生物を駆逐し、置き換わるのは必然。何時か必ず、ミュータント同士の生存競争――――死力を尽くして戦う日々が始まる。

 生存競争が始まれば、ミュータントは加速度的に成長を遂げるだろう。そして生き残った個体だけが子孫を残し、より精錬された力が進化していく。複雑怪奇な新能力が生まれ、理解不能な力が自然界を満たしていく。

 果たして次代のミュータントは、人類の限界で撃退出来る程度の力なのか? アルベルトには、到底思えない。

「そんな、そんな事が……」

 絶望しきった表情を浮かべるアルベルト。するとタヌキの操るロボットは、おどけるような動きと共に、彼の顔に顔面部分を近付ける。

【そこで一つ提案だ。我々のプランに協力してほしい】

 その状態でもう一度、タヌキは自分達の要求を突き付ける。

 アルベルトは、拒絶の言葉をごくりと飲み込んでいた。

【実を言うと、我々も技術的限界は人間と大差ないという研究結果が出ていてね。まぁ、知能レベルが大差ないのだから当然と言えば当然だ。ミュータントとはいえ、能力による強さよりも、知性と技術による安定的繁栄を選んだ我々では新時代は生き残れない。そこである計画を立ち上げたのだよ】

「……計画?」

 思わず訊き返したアルベルトに、ロボットは耳許まで顔を寄せた。

【我々と共にこの星を離れ、新天地を目指さないかね?】

 そして小さく、けれどもハッキリとした声で語る。

 アルベルトの目が見開き、思案に耽り――――にたりとした笑みが彼の口許に戻る。

「成程な……不愉快な方針だが、背に腹は代えられない、か」

【協力者は既に用意している。尤も、全面協力ではないがね。あちらは我々と違い、ミュータントの力は残したままだからな】

「……念のために訊こう。その計画で脱出する人数に、人間はどれだけ含まれる?」

【全体の八十%。一割は我々、残りの一割が協力者のために使われる】

「九割を寄越せ」

【数値に関しては上層部の判断を仰がねばならない。交渉をするなら私ではなく彼等相手だ】

 つまり、自分達の下に来いという事か。

 露骨な誘導に、しかしアルベルトは笑みを崩さない。

 彼は見付けたのだ。人類が生存するための道筋を。それは屈辱の決断ではあるが、されど予想される未来を思えば最善の選択であり、唯一の活路でもある。

 ならば彼は躊躇わない。

 アルベルトは人間を愛し、人間を慈しみ……人間を救いたいからこそ、科学者となったのだから。

「なら、まずは交渉からだ。君達の親玉のところに案内してもらおうか」

【勿論。良い答えを期待しているよ】

 アルベルトの答えに、ロボットは上機嫌に()()

 かくして一人の天才科学者が、表の世界から姿を消した。

 全ては、人間という種を守るために……




宇宙フラグが立ちましたが、花中達の前でイベントは起こりません。諸悪の根源みたいなもんですしね。

次回は今日中投稿予定。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。