彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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あなたはだあれ11

 正直なところ、花中は心の奥底ではほんの少しだけ楽観していた。

 ロボット自体はミュータント能力の解析で得られた、超科学の産物だろう。しかし乗組員はアルベルト、つまりただの人間である。人間の肉体には限界があり、故に人間が乗る機体にも限界がある。

 ……そんなのは、五百年前の人間が「鉄のイノシシなんている訳がない」と思うのと同じような愚行だ。五百年後の技術に今の常識が通じる筈がない。

 故にアルベルトの搭乗した機体が一瞬にして弾丸のような速さまで加速したとしても、冷静に考えたなら不思議ではないと思えただろう。

「ぁえっ?」

 されど心の奥底の常識を揺さぶられた花中は、呆然としてしまう。

 アルベルトの乗る機体は、背中から光の粒子のようなものを吐き出しながら直進。僅かながら機体は浮いており、滑らかな機動を見せ付ける。尤も、正しくアニメに出てくるロボット兵器のような速さに、凡人以下である花中の動体視力では反応すら出来ない有り様。

 もしも隣に立つ清夏が花中を突き飛ばさなければ、花中は棒立ちしたままだったに違いない。そして迫り来る高速の金属塊にぶつかり、文字通り身体が粉々になっていただろう。

「きゃっ!?」

 悲鳴と共に突き飛ばされた花中の居た場所を、アルベルトが乗った機体は凄まじい速さで通り過ぎる。超高速で飛ぶ機体は暴風も起こし、突き飛ばされた花中はその風に煽られてごろごろと床を転がってしまう。

 ロボットの方も自らの機動力を持て余しているのか、機体を傾けながら部屋の壁に激突。壁の方は衝撃に耐えられず粉砕され、機体の方もぐるんぐるんと回転しながら吹っ飛んでいた。壁の向こう側には広い空洞があり、機体は十数メートルと飛んで、やがて別の壁に衝突して止まる。

「花中! 大丈夫っ!?」

「は、はい。わたしは、その、なんとか……」

 清夏の心配した声に、花中は顔を上げながら無事を伝える。ただしその視線は恩人である清夏ではなく、アルベルトが乗っているロボットの方を向いていたが。

 もしも普通の戦闘機があのロボットのように吹っ飛んだなら。

 まず強力な遠心力により、機体そのものがぽっきりと折れてしまうだろう。それに最初の壁にぶつかった時点で爆散確定だが……二度も壁に衝突した筈の機体に、遠目で見る限り損傷はない。おまけに空中で静止しており、飛行能力にも支障はないと見える。恐るべき機体強度だ。

 そして遠心力は、何も機体にだけ加わる訳ではない。中のパイロットにも当然襲い掛かる。あまりにも強力な遠心力が加わると両手の自由が利かず、脱出レバーまで手が伸ばせなくなる事もあるという。更に遠心力が強まれば血液が足や頭など身体の末端に溜まってしまい、良くて失神、最悪の場合死に至る。

 アルベルトも激突の衝撃と遠心力で気を失ってくれていればとても楽だったのだが……花中はあまり期待していなかった。何しろ彼の乗る機体は、いきなりとんでもない加速をしてきたのだ。遠心力も、加速度による慣性も、本質的に大した差はない。恐らく慣性を無効化する機能が付いているのだろう。

【ふぅーむ、思ったよりも操縦が難しい。訓練なしの初めての操作でも簡単に、というのもコンセプトだったが、もう少し改良した方が良さそうだ】

 花中が想像した通り、空中で浮遊する機体からアルベルトの元気な声が流れてきた。曰く操縦に慣れていないようだが、圧倒的機体性能を思えば安心は出来ない。

「か、花中……ど、どうしよう……あんな速いの、何時までも避けられないよ」

「ええ。そうですね」

 不安げな清夏の言葉に、花中も同意する。

 さて、どうするか? 今し方の『一撃』のお陰で、花中は今後について考えるだけの情報を手に出来た。早速思考を巡らせる。

 まず、普通の攻撃ではアルベルトを止める事など出来ない。先の機体がどれほどの速さで突っ込んできたか具体的には分からないが、正しく弾丸のようだった。それほどの速さで『事故』を起こしていながら、機体どころか搭乗員もピンピンしている。建物の崩落に巻き込むだとか、全速力で突っ込んできたのを避けて壁にぶつけるなどの、『常識的』攻撃は通用しないと見るべきだ。

 しかし走って逃げきれるような、そんな生温い速度でもない。自分達がのろのろ走ったところで、向こうからしたら立ち止まっているようなものだろう。簡単に追い付かれてしまう筈だ。体力を無駄遣いした分、むしろ窮地に追い込まれるかも知れない。

 以上の事から、花中が閃いた打開策は二つ。

 一つはフィア達が来るまで持ち堪える、或いはフィア達の下へと向かう事。アルベルトも認めていたが、あのロボットの性能ではフィア達ミュータントには到底敵わないだろう。羽虫のように逃げ惑うのが精いっぱいで、一撃で叩き潰される程度の存在だ。成長したフィア達なら、逃がす暇すら与えないかも知れない。

 とはいえフィア達が今何処に居るのか、花中には分からない。待とうにもアルベルトの言葉を信じるなら、フィア達の到着まで十分ほど掛かる。合流は難しいと言わざるを得ない。

 なら、現実的な対抗策はもう一つのみ。

「……御酒さん。無茶は、承知なのですが……なんとか、あのロボットを、倒しましょう」

 この場に居る『清夏(ミュータント)』の力で、アルベルトを撃破するという作戦だけだ。

「わ、わたしが!? で、でも、爆発の力、使えなくて……」

 花中からの提案に、清夏は驚きと否定の意見を述べる。無論花中も、今の清夏が爆発を使えない状態なのは忘れていない。恐らくアルベルト達の解析により、可燃性ガスを分解するような物質が部屋の空気を満たしているのだろう。

 されど、だから為す術がないと諦めるのは早計だ。

 ミュータントにどれほどの可能性があるのか、そして清夏の『力』がどんなものであるか、今日の花中は嫌というほど見てきたのだから。

「御酒さん。あなたの力は、あなたが思う以上に、とんでもないものです」

「わ、わたしが、思う以上に……?」

「アルベルトさんが、言っていました。あなたの力……あなたから手に入れた様々な物質を使って、恐ろしい技術を、手にしたと。あのロボットも、あなた由来の技術で、作られている筈です」

「わ、わたし、由来の……でも、わたし、爆発を起こすだけで……」

「それが、勘違いなんです。あなたの力は、そんな()()()()ものじゃない」

 困惑する清夏の横で、花中の思考が駆け巡る。

 アルベルトは言っていた。清夏の正体は微生物の一種であると。

 なら、一体どんな微生物なのだろうか。彼女が酒蔵で拾われた事を考慮すれば、答えは自ずと明らかになる。そしてその微生物の能力と、アルベルト達が入手した技術の源を併せて考えれば……一つの恐ろしい力に辿り着く。

 こんな出鱈目な力があり得るのか? ほんの十数分前までの花中なら、自分の辿り着いた結論に疑問を抱いてしまったに違いない。されど今は違う。ミュータントという存在が、人智では計り知れない事を花中は深く理解したのだ。今更何を迷うというのか。

 花中は大きく口を開け、その言葉を伝えた

 筈だった。

「        」

 なのに口から出てきたのは、吐息にすらなっていない声だけ。

 口が空回りした訳ではない。確かに喉を震わせ、肺から空気を押し出し、自分なりの大声を発した感覚がある。なのに声は自分ですら聞き取れず、清夏の顔もキョトンとしたまま。

 声は間違いなく出ている筈なのに、音が出ていない。

 花中がこの『不可思議』な事象の原因をアルベルトと決め付けるのに、数秒と掛からない。振り向けば、アルベルトが乗る機体は片腕を花中の方へと向けている姿が見えた。

【……危ない危ない。君の声の波長と逆位相の音波をぶつけて、声を掻き消させてもらったよ】

「   」

 そんな……と声を漏らしたつもりだが、やはり自分の声は聞こえてこない。

 アルベルトが今更嘘を吐くとも思えないし、原理的にも納得は出来る。恐らくは彼が言う通りの技術が使われたのだろう。

 衝撃を受けたのは、そうまでして自分の『言葉』を封じられた事の方だった。

【学を付けられると、流石に少し面倒だからね。さて、次はサンプルを黙らせるとしようかな!】

 しかしその事に打ちひしがれる暇もなく、アルベルトが乗る機体は花中達目掛け飛来してくる!

 五メートルはある巨体は背中にある翅を広げ、さながら虫のように軽やかな動きで迫ってきた。あまりにも滑らかな飛び方に、一瞬大した力はなさそうに見えたが、しかし巨体から繰り出される運動エネルギーを想像して花中は顔を青くする。

 幸いだったのはアルベルトの機体が床に対し垂直の角度を、つまり翼の先で床を斬るような傾きを付けた事。機体の翼が水平を保っていたなら、高く跳び上がる事も速く走る事も出来ない花中は、今頃胴体が真っ二つだったに違いない。

 不幸だったのは、アルベルトの乗る機体の翼は、花中と清夏の間に割って入るようなコースを取っていた事だった。

「    !?」

「きゃっ!?」

 襲い掛かる刃のような翼に、花中は驚きからひっくり返ってしまい、清夏も飛び跳ねて避ける。どちらもギリギリで直撃を避けたが、通り過ぎた余波もあって、花中達は引き離されてしまう。

 しまった、と思った時にはもう遅い。機体は ― 通常ならば中の人間がぐしゃりと潰れてしまうほどの ― 急旋回を行い、再突撃。

 狙われた清夏は避けようとしたが、相手の機動力の方が遙かに上。機体の翼が直撃し……清夏の腕に、深々とした断面を刻む。

「痛っ!? ひ、あ、あぁ……!」

「     !          !」

 自分に出来た傷を目にして、清夏の顔が青ざめていく。花中はなんとか落ち着きを取り戻させようとするが、やはり声は出てこない。

 清夏は流れる血を止めようとして、出来上がった傷を必死に片手で押さえる……が、直後に光の線が、清夏の腹から延びるように生えた。光の太さは五センチほどで、見えたと思った直後に消えたが、光が通った場所は穴という形で残る。

 そう、清夏のお腹には、五センチほどの穴が空いていた。

 小さな穴から、どぽどぽと赤黒い体液が溢れ……ない。恐らく危険な損傷故に、清夏の意思を無視して傷が塞がったのだろう。けれどもその様を見ていた花中は「ああ、大きな怪我にならなくて良かった」とは決して言わない。顔面蒼白で震える清夏を前にして、そんな能天気な考えは過ぎりもしなかった。

 しかし今の光はなんだ?

 答えは、光の軌跡を辿れば明白だった。清夏を斬り付けたアルベルトの機体が、二十メートル以上離れた位置で、銃のようなものを構えていたのだから。

 アレはなんだ? まるで花中のそんな考えを読み、答えるかの如く、アルベルトの乗る機体は花中の目の前で銃の引き金を引いた。瞬間、銃口から放たれたのは一直線に伸びる光……光線だった。しかし通常のレーザーと違い、光は弾丸が超高速で放たれるような、そのような挙動を見せる。アニメなどに出てくる、光線銃と例えるのが一番分かり易いだろうか。正しく空想兵器と呼んで差し支えない、現代科学の常識に当て嵌まらない攻撃だ。

 二発目の光線銃は清夏の頭を掠めるように当たり、彼女の頭の一部を抉っていく。バクテリアの塊である清夏にとって、この程度の損傷は擦り傷のようなものだろう。即座に肉が盛り上がり、傷は塞がった。

 しかし()()()()()()()、致命的ではなくても治療が必要な傷。

「ひぃ!? 痛い、痛い痛い痛いっ!」

 清夏は目からぼろぼろと涙を零し、既に治っている傷痕を両手で押さえながらしゃがみ込んでしまう。

 アルベルトの機体は清夏の『隙』を見逃さない。光線銃を下ろすや三度高速飛行を始め、無防備な清夏に翅による体当たりを喰らわせる。刃のように鋭い翅は清夏の身を易々と斬り、清夏の頭が縦に割れた。傷はまたしてもすぐに治るが……清夏は、悲鳴とも叫びとも取れる声を上げる。

「あああああああぃぃっ!? ひいぐういいいいいいいぃぃっ!?」

【ふぅむ、思ったよりも効果があるようだ。ほら、さっさとその身の丈に合わない神経回路なんか捨てて、大人しいサンプルに戻れよ】

「嫌ああああっ! やだ、助けて! お母さぁん! お父さぁぁん!?」

【……全く、躾はきちんとやらないとね】

 這いずるように逃げる清夏に、アルベルトは光線銃を撃ち込む。今度は両手に一発ずつ。傷を押さえる事が出来る手に傷を負い、清夏は悲痛な叫びを上げた。

 ひたすらに嬲り、蔑み、傷付ける。

 惨たらしいという言葉すら足りぬアルベルトの暴虐に、花中は心の芯が震え上がる。同時に沸騰するような怒りも込み上がってきた。

 そして彼の意図も脳裏を過ぎる。

 一見してここで繰り広げられている行為は、ただの暴虐であり、散々辛酸を舐めさせられた事に対する八つ当たりにも思える。されど優秀な科学者である彼が、人類への狂信的愛を持つ人間が、迫り来るフィア達(絶望)を知りながら悠長に遊んでいるとは思えない。猶予はたったの十分しかないのだ。つまりあの残虐非道の行為には、別の目的がある。

 花中が辿り着いた推論は、アルベルトは清夏の心を潰そうとしている、というものだった。

 人間としての心があるから脱走を企てる、人間だという想いがあるから非道な実験に拒否を示す……ならばその人間の心を消し、本来の正体である微生物――――『単細胞の集まり』としての心に戻してしまえばどうだ? 単細胞生物は何をされても文句など言わないし、抗議も行わない。与えられた栄養を下に増殖し、『仲間』が殺されても心を痛めたりしない。当然脱走など企てる事すらしないため、定められた管理方法を守れば流出すらしなくなる。これなら『事故』はもう起こらない。ゆっくりと研究を重ね、フィア達にリベンジが出来るのだ。

 では人間としての心を消すには、どうするのが一番か? それは人類の歴史が教えてくれる。

 即ち、拷問だ。

 徹底的に加えられる痛み、それと同時に起きる非人間的能力……これにより、清夏の心身に過度の負荷を掛けようとしているのだろう。人間ならばこれほど痛め付けられれば心より前に身体が駄目になるが、微生物の集合体である清夏にその心配はない。徹底的に、無慈悲に傷付け、人間ぶった事を後悔させる……それがアルベルトの狙いなのだ。

 このままにはしておけない。身体の傷は後で適当な栄養素でも与えておけばいくらでも治るだろう。だが清夏の心が摩耗し尽くしてしまう。人としての心を失い、反射的な行動のみを取る単細胞の集合体へと()()()しまうのだ。

 それは御酒清夏という『人間』の死と、なんら変わりない。

「(どうにか、しないと……!)」

 清夏を救うために、花中は思考に全意識を集中させた。

 打開策はある。清夏が己の真の力を自覚し、それを用いれば良い。彼女の『本当の力』の前ではアルベルトが操る超技術など羽虫同然なのだ。そして花中は清夏の『本当の力』に気付いており、後はそれを伝えるだけ。

 しかしアルベルト達の技術により、花中は声を封じられている。清夏の声やアルベルトの音声が聞こえる事から、花中の声の波長をピンポイントで打ち消しているのだろう。場所を移動してみたり、声色を変えてみたりしたが、やはり声は聞こえない。こんな小細工で技術的な隙間を付くのは難しそうだ。

「(何か、ないの!? 何か……)」

 周囲を見渡す花中だったが、しかし使えそうな道具はない。あるのは精々崩れた壁と、散乱した瓦礫の塊ぐらいなものだ。

 こんな残骸だけで、何をどうしたら良いのか。壁に文字でも書けば良いのか? しかしペンなど何処にも落ちていない。試しに瓦礫を掴んで近くの壁に打ち付けてみたが、傷一つ付かなかった。何度も何度も執拗にやれば小さな傷は作れるかも知れないが、数分で文章を書くのは不可能だろう。

 この方法ではダメだ。そう判断した花中は次の策を考えようとするも、考えが纏まらない。縋るように壁に手を当てながら、頭が痛くなるほどに思考を巡らせ――――

「(……あれ?)」

 悩んでいた花中の脳裏に、ふと一つの案が過ぎる。

 花中は自分の手を当てていた壁を、ぺたぺたと触っていく。壁表面の堅さは、場所による違いはない。材質的な差も感じられず、かなりざらざらとした感触だ。

 そう、まるで紙ヤスリのような。

「……!」

 閃く一つの『秘策』。上手くいく保証はないが、時間の掛かるものではない。試さない理由はなかった。

 後は覚悟と、少し鋭利な何かがあれば良い。

 花中は再び、周囲を見渡した。今度は宝の山が見えた。アルベルトの機体による破壊で、瓦礫はそこらに散乱していたのだから。粉砕された壁や床の一部は、断面が刃物のようになっているのが見て取れる。

 花中は駆け足でそれらに駆け寄った。手を伸ばせば届くぐらい瓦礫に近付いた花中は、足を止めるとごくりと息を飲む。それから深々と息を吸い、ゆっくりと吐き出す。

 ……花中が動いている最中にも、アルベルトの清夏へと『拷問』は続いていた。

【ほらほらほらぁ、まだ諦めないのかい? 往生際の悪さが美徳なのは、人間だけだよ?】

「う、うぅ……!」

 アルベルトの問い掛けに、清夏は耳を塞ぎながら蹲る。

 が、そんな清夏を、アルベルトが操る機体は大きな足で蹴飛ばした。光線銃や飛行突撃と比べあまりにも原始的な一撃は、されど小娘一人を傷付けるには十分。清夏の華奢な身体は宙を舞い、床に転がり落ちる。床には血の跡がべっとりと残った。

 人間なら死んでいてもおかしくない打撃に、床に転がった清夏も苦悶の声を漏らす。しかしアルベルトは同情一つする事なく、清夏の足に光線銃を撃ち込んだ。血と肉が散り、清夏に更なる痛みを与える。

「あぎぃ!? い、ぃ……!」

【痛がるふりとか止めたらどうだい? 微生物の塊である君に痛覚なんてないんだ。精々、個体間の連絡があるぐらいじゃないかな。その気になれば、痛みなんて消せる筈だよ】

 苦しむ清夏に、アルベルトは甘言を囁く。

 彼の言葉は、実際正しいであろう。しかし痛みを消し、何も感じなくなれば、それは普通の人間から一歩遠離ってしまう。無論世界には障害などで身体的な痛みを感じられない人間がいて、彼等の心が化け物染みている訳ではない。痛覚を捨てたところで、清夏の心から人間味が失われるとは限らない。

 けれども自分の意思で痛みを消してしまったら、心のハードルは低くなる。

 一度跳び越えてしまえば、他の辛い事からも『安易』な方法を選ぶのに、どうして躊躇するというのか。最後の一線、という言葉があるが、人が堕落する時は最後で踏み留まる事など稀だ。最初に踏み越えてしまった時点で、終わりに向かって突き進むばかり。

 それを分かっているのか、無意識に感じているのか、単にアルベルトへの拒絶か。清夏は身体を震わせ、痛みに悶え続ける。

【……やれやれ、本当に……しぶとい】

 アルベルトは苛立ちを隠さない声を独りごちるや、機体の足で清夏の腕を踏みつける!

「いぎぁあっ!? あああああっ! ひっ、ひぃっ!?」

【ほらほらぁ。まだ諦めない訳? いい加減その叫びも鬱陶しいんだけど】

「あがっ!?」

 再びアルベルトの機体は清夏を蹴り上げ、清夏の身体は壁に叩き付けられた。べっとりとした血が壁に付着し、清夏は床に落ちる。

 清夏は起き上がり、怯えた眼差しでアルベルトを見る。アルベルトの機体は、呆れるように肩を竦めた。それからゆっくりと、光線銃を構える。

 銃口が狙うのは、清夏の頭だった。

【そうだ、頭を丸ごと入れ替えれば良いのかな? 脳みそがある訳じゃないけど、少しは聞き分けの良い個体が代わりをするかも知れないからね】

「ひっ!? や、止めて……お願い、痛いの、嫌なの……!」

【だから、痛みなんか消せるんだよ。君なら。ほら、練習相手をしてあげるよ。痛みがなくなるまで、何度でも】

 清夏がどれだけ頼んでも、アルベルトは光線銃を下ろしはしない。

 清夏はガタガタと震えながら、逃げるように目を逸らす――――と、丁度アルベルトが乗る機体の後ろに立つ、花中と目が合った。

「か、花中ぁ……!」

 清夏が、泣きそうな声で助けを求めてくる。されど花中には、自身の身の丈より三倍以上巨大な機械を止めるような力なんてない。

 清夏は花中に目を大きく見開いた顔を見せ、困惑し、震えた。ぎゅっと目を閉じ、祈るように、請うように両手を合わせる。

【それじゃあ、一発やってみようか】

 されどアルベルトは淡々とぼやきながら、超兵器の引き金を引く。

 慄く清夏目掛け放たれる光子の塊。音速を超えた速さのそれは、一片の容赦もなく清夏の額目掛け突き進み――――

 彼女の顔の、ほんの数センチ手前で()()()()()

【……あれ?】

 目の前で起きた事象に、アルベルトは呆けた声を漏らす。が、彼の優秀な頭脳は即座に違和感を覚えたのだろう。光線銃から二発目のビームが放たれた。

 されどそのビームの輝きも、清夏には届かない。今度は数センチ手前どころか、十センチは離れた位置で光は消えてしまった。

 それは一見して、清夏が何かをしているかのような光景。事実清夏は『何か』をしていた。でなければビームが消えるなどあり得ない。

 尤も、清夏自身も困惑した様子だったが。

【……お前……何をした】

「え、え? あ、えと」

【何をしたんだ!】

 浴びせられる罵声に驚き、清夏は飛び跳ねると、アルベルトの背後を指差した。アルベルトは素早く、獣染みた動きでその指が示す方角へと振り返る。

 故にアルベルトは目にする。

 ずっと自分の背後に立っていた、花中の姿を。辛そうに息を乱し、涙がボロボロと零れている顔を青くして、今にも倒れそうにしている一人の無力な少女の姿を。

 その花中の掌から、だらだらと血が垂れている事も。そして花中の背後に書かれた、赤黒くて、大きな文字……

 「光をすうものでろとねんじて」という言葉を。

【な、なんだ、これは!? これは、まさか……】

 声だけで驚きと怒りと困惑を示すアルベルトに、顔面蒼白で涙目の花中は、にやにやとした笑みを向けた。

 花中はなんとしても、清夏に自身の本当の力を教えたかった。

 けれども声はアルベルトの手により消されてしまった。なら、どうするか? 文字を書けば良い。でもそのための筆記用具は? ないなら自前のものを用意するまでの事。

 花中は断面が鋭い破片を用い、掌に傷を付けたのだ。そして溢れ出した自らの血液をべったりと壁に塗りたくり、さながらペンキのように文字を書いたのである。

 鋭利な瓦礫が山ほどあって助かった。もしもゴツゴツとした岩のような破片しかなかったら、血が出るような傷を付ける前に参ってしまっただろう。思った以上に傷が深くて、ちょっと貧血気味になってしまったほどだ。加えて壁の表面が比較的ザラザラとしていて、血を乗せやすかったのも幸いした。つるつるしていたら、血がどんどん流れて、書いた文字が潰れた筈である。

 幸運に恵まれたというのもある。しかし恐らくアルベルト達は、想定もしていなかったのだろう。

 こんな原始的な作戦で、何もかも破綻するなんて事は。

【こ、この……!】

 怒りを露わにし、アルベルトの乗る機体は花中へ銃口を向ける。言うまでもなく、花中はただの人間だ。ビームで額を撃たれたなら、一発で仏様の仲間入りである。というよりちょっと血が出過ぎていて貧血気味の今、これ以上の深手を負うと本当の危ない。

 しかし花中は怯えない。今更何を恐れるというのか。

 アルベルトの背後には、彼なんかどうでも良くなるぐらい恐ろしい(頼もしい)怪物(人間)が居るというのに。

「……半信半疑でやってみたんだけどさ、なんか上手くいっちゃったね」

 ぽつりと、少女が呟く。

 その擦れるような声一つで、アルベルトの乗る機体はビクリと震えるように固まる。機体はぎこちなく、恐らくアルベルトの操縦が強張ったもののために、壊れたオモチャのように後ろを振り返った。

 清夏は立っていた。何事もなかったかのように、平然と。

 ただしその瞳は虹のような煌めきを放ち、髪は風もないのに揺らめく。掌が服を撫でると付いた汚れは簡単に落ち、まるで新品のような艶を取り戻す。

 それは、人智を超える姿だった。

【お、前……まさ、か……】

「でもさぁ、なんで出来たんだろうね。『光を吸うものが出るように念じて』って言われて、その通りにやってみたらビームが消えるんだもん。おかしくない? わたしの力って、爆発だと思ってたんだけど」

【う、うぅ……!】

 淡々と独りごちるだけの清夏を前にして、アルベルトの機体は後退り――――したのも束の間、清夏が掌を向けると、その動きはぴたりと止まる。

 否、まるで見えない縄で拘束されたかのように、機体の四肢が束ねられた。頭だけは自由が利くのか、戸惑うように右往左往させていた。

【なんだ!? 何故動きが……!】

「今もさ、『磁力の強いやつ』とか適当に思ってそのロボットに当ててみたんだけど、ふぅーん、そうなるんだ」

 アルベルトの機体が不様にのたうつ横を、清夏は悠々と歩いて通り過ぎる。

 清夏は花中の傍までやってくると、血塗れになった花中の手を撫でる。傷口を触られる痛みで花中が顔を顰めたのはほんの一瞬。清夏の手から出てきた霧状の粉が傷を塞ぐと、痛みと熱さがすっと引いた。

 花中の顔色も少しだけだが良くなり、清夏は安堵の笑みを浮かべる。尤も、その顔はすぐに膨れ面となって、花中への怒りを露わにしたが。

「花中ったらやり過ぎなんだから! 女の子がこんな傷を付けちゃ駄目でしょ!」

「        」

 清夏に叱られ、花中は音にならない声で謝る。清夏も、花中がどんな状態なのかは知っている。聞こえない謝罪の言葉に、清夏は申し訳なさそうに顔を俯かせた。

【このカビ風情がぁ!】

 その最中、アルベルトの咆哮が室内に響き渡る。

 同時に、身動きが封じられていた機体が、拘束を弾き飛ばすかのように力強く四肢を広げた。

 自由を取り戻したか、と思い花中はアルベルトの機体に目を移す。そしてその姿を見た瞬間、彼の乗る機体が大きな変化を遂げている事に花中は気付いた。

 背中から生えていた昆虫の翅状パーツは、まるで十徳ナイフのように中から更に数枚の翅を展開していた。全身から粒子のようなものが溢れ、白く光り輝いている。ほっそりとしていた手足も装甲の一部が開き、甲冑を纏ったかのようなスタイルに変貌していた。

 恐らくはリミッターを解除した姿……或いは出力を暴走させた姿なのだろう。だとするとその戦闘能力は、これまで見せたものの比ではない筈だと花中は確信する。

 機体はぐるりと、花中達の方を振り向いた。無機物でありながらハッキリと纏った怒りの感情と共に。

【貴様……自分が何をしているか、分かっているのか!? お前の愚行が何をもたらすか、考えているのか!】

 アルベルトの叫びに、花中は無言を貫く。どうせ声は出せないのだ。言ったところで届きはしない。

 だが、言いたい事はある。

 アルベルトの言い分は、人間としてはぐうの音が出ないほどの正論だ。花中が人智を超える『怪物』に英知を与えた事で、人類の発展が妨げられようとしている。いや、それどころかこれから世界に溢れるかも知れない、破滅の怪物に抗う力を失おうとしている……大勢の人間からすれば、花中の行動は愚行と呼ぶのもおこがましい大罪に違いない。

 自分の理性も、同じような警告をしていた。フィア達ミュータントの成長を見逃してはならないと。このままでは人の世が終わってしまう。人間としてすべき事は、アルベルトの手助けに他ならない。

 だから花中は心の中で思う。

 「それがどうした」、と。

 誰かの大切な友達が虐めておきながら、世界の平和がどうのこうのなんて、どの口が言えるのか。そんな輩の語る世界平和など、人類愛など()()()()()だ。種の存続や繁栄? そんなものを願い、目的とする生物種はこの世にいない。次代を残すのに役立たない性質の個体が死に絶え、役立つ性質を引き継いだ個体が繁栄するだけ。本能という名の衝動に突き動かされ、誰もが好き勝手にやっているだけだ。

 花中もまた、その本能に突き動かされただけの事。友を助けたいという根源的想いの前に、人類への愛という『高尚』な思想などありはしない。

 花中は大きな声でその小さな胸のうちにある言葉を発する。アルベルトが操る機械により、花中の声は外には届かない。けれども大きな口の動きを見たなら、きっと誰もが花中の発した言葉を理解するだろう。

 バーカっ、の一言を。

【こ、この小娘があああああああっ!】

 瞬間、アルベルトは機体を花中達目掛け突撃させる! 恐らくは音速を超えた、超スピード。花中はおろか、清夏にも見えていないだろう。

 尤も、見る必要などないのだが。

 アルベルトの操る機体が清夏の五メートル圏内に入った――――瞬間、機体がじゅわっと音を立てながら白煙を撒き散らす。飛行速度はまるで急ブレーキを掛けたかのように遅くなるが、装甲の消える速さは衰える気配すらない。外側フレームは瞬きする間もなく消失し、次いで内部の機械が尽く消えて、アルベルトの姿が剥き出しになる。

 そのアルベルトも、着ていた服がどろりと溶け、あっという間にすっぽんぽんに。

「はぇ?」

 間抜けな声を漏らした大人が一人、花中達の頭上をすっ飛んでいく。花中達に手足の一部が掠る事もなく、下着すら着けていない裸族が空を駆けた。

 言うまでもないが、人間は空を飛べないものである。アルベルトの飛行は彼が先程まで乗っていた、今し方一瞬で消失した機体の慣性によるものだ。

「え、わ、わ、あひああああああああああああああああっ!?」

 故にアルベルトが、どれだけ悲鳴を上げようと、どれだけ手足をばたつかせようと、その軌道を変える事は出来ない。

 天才科学者は猛スピードで、部屋の壁に激突。

 壁から剥がれるように落ちた時、彼は白眼を向いて失神していたのであった。




全裸の男が空を飛ぶ。
需要はなさそうですが、本作需要など気にせず書いてますゆえ。

次回は明日投稿予定。

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