彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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あなたはだあれ9

 ……それから、どれぐらいの時間が経ったか。

 フィア達の唸り声が消え、絶望の中で花中はゆっくりと目を見開く。出来る事なら見たくない。だけど見ない訳にはいかないと心を振るわせ、拒むように閉じようとする瞼を開く。

 フィアの部屋を映し出しているモニターには、変わらず超高出力アークが飛び交っていた。接触面が五万度にもなるというプラズマが部屋中を縦横無尽に駆け回り、何もかも焼き尽くさんとしている。

 その部屋の中心で、フィアは立ち尽くしていた。

 まるで屍のように力なく項垂れ、ぴくりとも動かない。アーク放電をどれだけ受けようとも呻き一つ上げず、されるがままである。

 その力ない姿に花中は顔を青くし――――されどすぐに、違和感を覚えた。

 これまでフィアはアーク放電による攻撃を受けた際、呻き声を漏らしていた。それは急激な温度上昇による蒸発を耐えるため、能力を限界まで使う事により思わず出ていたもの……と花中は考えている。本当の理由はどうあれアーク放電を耐えるのは楽な事ではなく、その声こそがフィアの苦しみを物語っていた。

 なのにどうして今のフィアは、放電を受けても声一つ上げないのか。力尽きているから? 否、もしもそうなら今頃あの部屋に居るのは金髪碧眼の美少女ではなく、こんがりと焼けたフナの亡骸だ。あの愛らしい姿はフィアが能力を用いて維持しているものなのだから。

 何か、おかしい。()()()()()()()()()()()()()()()()

「……妙だな。計算上は、そろそろ形状が崩壊する筈なんだけど」

 アルベルトも同様の疑問を抱いたのか、デスクにあるコンソールを操作。すると新たなモニターが天井から下りてきて、アルベルトの前で止まる。アルベルトはそのモニターを訝しむような眼で眺めた

 瞬間、彼はその目を大きく見開き、モニターに掴み掛かるように肉薄する。

 何が彼の意識を惹き付けるのか? 花中としても気にはなる……が、不意にモニターより聞こえた『足音』により、そちらに気を取られる。

 モニターを見れば、フィアが少しだけ動いていた。

 今度は花中が見ている前で、フィアはズシンと音を鳴らして歩いてみせる。動いたという事は生きているという事。フィアの無事を確信し、自然と花中は笑みを浮かべた。

 ただしその笑みは瞬く間に強張る。

 人としての本能が叫んでいる。『アレ』を許してはならないと。

 アレとはなんだ? 花中の感情は必死に惚けようとする。されど人間の本能が、人間の生命が喚き散らす。認めるまで離さないとばかりに頭の中にしがみつき、思考を揺さぶりこんな考えを強要してくるのだ。

 あり得ない。こんな事あり得てはいけない。

 『フィア(アレ)』の存在を許したら人の未来はない、と。

【……ふっふふふふふ。ふはははははっ。なぁるほど成程こんな感じでやれば良いんですねぇ。コツを掴めばどうという事もありません】

 モニター越しに、フィアの上機嫌な笑いが聞こえてくる。

 その声に何時ものような余裕は殆どない。息は明らかに乱れていて、『身体』の作りも荒いのか()()()()輪郭になっている。

 しかし消えていく様子は微塵もない。

 部屋の中を満たすプラズマにより、その『身体』を形成する水分子は次々に分解されている筈。フィアの『身体』は刻々とダメージを負い、削られていなければならない。だというのにフィアの『身体』は小さくなる様子すらなかった。否、あまつさえ輪郭が徐々にハッキリしていく。

 即ちそれは、フィアが段々と体勢を立て直している事を意味していた。

「馬鹿な! 何故だ……何故温度が上がらない!? どうして表面温度が、千八百度で停滞している!?」

 今、フィアの身に何が起きているのか? その答えは、先程からずっとモニターを見ていたアルベルトの叫びが教えてくれた。アルベルトが食い入るように見ていたのは、フィアの表面温度だったのだろう。その温度が千八百度で留まっているらしい。

 これはあり得ない事だった。何故ならば熱力学の法則に反しているからである。高い温度は常に低い温度の方へと流れ込む。凍らせたペットボトルを冷蔵庫から出せば外気から流れ込んだ熱によって溶けていき、熱々のラーメンが冷めるのは自身より冷たい外気に熱を渡すからだ。五万度のプラズマアークを受ければ、フィアの『身体』はその五万度にどんどん近付いていくのが自然。水分子が崩壊してしまう二千度付近で留まるならばまだしも、それより二百度も低い状態を維持するなど起こる訳がない。

 ましてや、

「せ、千七百五十……千七百……千六百五十……!? ど、どうして……!?」

 下がるなんて、絶対にあり得ない。

 アルベルトは目を見開きながら、デスクにあるボタンを操作。するとデスクから一本のマイクが生えるように現れる。アルベルトはそれを握り締めるや、狼狽しきった声を出した。

「おい! お前は、お前は何をしているんだ!?」

【あん? なんですか? というかあなた誰です?】

 アルベルトが声を荒らげると、フィアがキョトンとしながらモニターの方 ― フィアからすれば声が聞こえてきた方なのだろう ― を見つめてくる。どうやらアルベルトのデスクから出てきたマイクは、フィアの部屋に音声を届けるものらしい。

「質問に答えろ! お前は何をしているんだ!? どうやってアーク放電に耐えているんだ!?」

【あーくほーでん? ああさっきから飛び交ってるこれの事ですか。あなた黒幕なんですかね?】

「何をしたんだと訊いているんだ! こんな事あり得ない! あってはならない! 五万度に達するアーク放電を受け、水分子が形を保てる訳がないんだぞ!?」

【何をしたと言われましてもねぇ】

 アルベルトが錯乱気味に問い詰めると、フィアは考え込むように少し沈黙を挟む。

【熱くなると水分子がぷるぷる震えるみたいですからその震えをちょっと強引に押さえただけですけど】

 それから平然と、種を明かす。

 アルベルトは、何を思ったのだろうか。一瞬呆けた後、その顔をどんどん青くしていった。ぽっかりと口を開け、息を乱し、今にも卒倒しそうなぐらい苦しみ始める。

 花中がそうならなかったのは、偏にフィアと友達だからだ。そして何度も何度も、フィア達ミュータントの非常識を見てきた事で、幾らかの耐性も持っていた。

 それでも気絶しなかったのは、奇跡であると花中自身思う。

 熱とは何か。

 答えは物質を構成する粒子……原子や分子などの運動エネルギーから生じるもの。高い熱エネルギーを持った粒子は激しく動き回るようになり、周りにその熱を分け与えていく。現在の熱力学ではそこに別途エネルギーを与えない限り、この熱の移動を妨げる事は()()()()()()()。それを許してしまったら、鍋のお湯が火を付けていないのに勝手に沸騰したり、真夏の部屋が空調も付けていないのに氷点下になったり、冷蔵庫の中身が焼き焦げたり……そんな馬鹿げた事が『あり得る』事になってしまう。それは最早世界の常識が否定されるどころの話ではない。宇宙の成り立ちそのものが否定されてしまう事に等しいのだ。

 だが、フィアは成し遂げた。

 どうやってかは分からない。何故そうなるのかも分からない。しかしフィアは水分子を――――分子の運動を、力尽くで止めてしまったのだ。それもちょっと疲れる程度の、ほんの僅かなエネルギー消費だけで。

 最早これは熱力学の崩壊。宇宙の未来すらも占う学問が踏みにじられた瞬間だ。人類こそが世界を支配するに足る種族と信奉するアルベルトにとって、これほど恐ろしい怪物……否、悪魔はいまい。

 しかし、それよりも。

 それよりも花中が『恐ろしい』と感じたのは……

「あり得ない……こんな事が出来るなんて、データにはなかった筈だ! 二千度以上の温度にも耐えるが、それは水を循環させる事による冷却があるからで、温度上昇そのものを拒むなんて性質は……!」

 アルベルトは、未だフィアの力を受け入れられないらしい。モニターを見ながら、デスクの上に置かれた紙を漁り始める。慌てるあまり紙が床に散らばり、それを追い駆けて這い蹲る天才科学者。アルベルトの姿を目の当たりにした花中は、滑稽を通り越して彼に哀れみすら覚えた。

 人間達の動揺を他所に、フィアは自らのペースで状況を変えていく。フィアの歩みは段々と軽やかになり、数メートルと進む頃には普段通りの、優雅な足取りとなっていた。最早アーク放電が幾ら『身体』を叩こうと、フィアは呻きどころか見向きもしない。さながら羽虫が飛んでいる程度にすら感じていないかのように。

 やがてフィアは部屋の中央まで移動すると、ニタニタと笑いながら辺りを見回す。

【何処のどいつか知りませんがお陰様で水の操り方を一層勉強出来ました。これはお礼です遠慮せずに受け取ってくださいねぇ!】

 そしてフィアの足下から生えた無数の水触手が、壁にあるアーク放電の照射装置目掛け飛んでいく!

 アーク放電は未だ続いており、水触手にも命中する……が、最早切り落とすどころか湯気を上げさせる事すら叶わない。全ての放電装置は呆気なく破壊され、部屋の中の雷撃は止まった。高圧電流が流れていたからか、破壊された機器は火を噴き、たちまち弾け飛ぶ。黒煙が至るところから昇り、部屋の中を黒く染め上げた。

 まるでそれを狼煙とするかのように、次の『異常』が起きる。

 モニターに映されていたミリオンから、今まで立ち昇っていた白煙が途絶えたのだ。ミリオンはしばらく強張った表情を続けたが、やがて小さなため息を吐き、ニタリと笑みを浮かべる。

 その微笑みに呼応するかのように、強酸が変色を始めた。

 一瞬の出来事だった。今まで緑黄色だった液体が、瞬きする間もなく透明な液体へと変化したのである。あまりにも刹那の出来事にアルベルトはその瞬間を見逃し、モニターから鳴り響くアラートによって何かが起きた事を知った。アルベルトは再びモニターにしがみつき、食い入るようにそこに表示されたものを凝視する。

「な、ば、馬鹿な!? 何故液体のpHが変化して……!?」

【はぁい、聞こえるかしらぁ?】

 動揺から吐き出されたアルベルトの声を聞いたかのように、ミリオンが監視カメラの『向こう側』へと呼び掛けてくる。ミリオンの方から呼び掛けられた事に驚いたのか、アルベルトは腰を抜かすように尻餅を撞いた。

【今、割と機嫌が良いから教えてあげる。確かにこの酸、中々厄介だったわね。六千度以上に加熱しても、プラズマにならないどころか壊れも変性もしないんだもの。ほんと、危うく溶かし尽くされるところだったわ】

 危ない危ないと、危機に陥っていた事をミリオンは念入りにアピールする。つい先程まで自分を溶かそうとしていた、今では透明になった液体を手で掬い上げながら。

【でもね、思い出しちゃったの。水溶液のpHって、水素イオン濃度で決まる事を。水素イオン濃度が高ければ高いほど、液体は酸性を示す。なら、それを打ち消す方法はとっても簡単。水素イオンをなくしてしまえば良い】

「は、ぇ……え?」

 正になんて事もないかのように語るミリオンの言葉に、アルベルトが呆けた声を漏らす。花中も、彼の横で口をぽかんと開けてしまう。

 まるでその姿が見えているかのように、ミリオンは口を大きく歪めて嘲笑った。

【固有振動波を使って、水素原子を()()させたの。やり方さえ分かれば、造作もないわね】

 そして語る、自らの行い。

 言葉通り『造作もない』程度の疲労しか感じさせない話し方に、人間二人は同時に我が身を震わせた。

 理屈は確かにその通りだ。水溶液の酸性度は、水素イオン濃度によって変わる。だから水素イオンを取り除けば酸性度が下がる……計算通りの事象であり、なんらおかしな事ではない。

 おかしいのはその方法だ。原子崩壊そのものは現代科学でも出来る事だが、その方法は中性子をぶつけるなど、物理的な『攻撃』である。振動で崩壊させるなんて方法、ガラスのような()()()化合物なら兎も角、原子に対して行うなど聞いた事もない。加えてミリオンはその振動波を広範囲に散らし、一瞬にして半径五メートルを満たす酸性液を中和してみせている。液体は空気と比べて密度が高い状態とはいえ、振動波が遠距離まで届いている事は間違いない。

 飛ばした振動波だけで原子を破壊出来るとなれば、それは無敵の攻撃だ。耐熱性も耐衝撃性も、強酸性も強アルカリ性も関係ない。ミリオンがその気になれば、触れる事なく全てを破壊出来る。最早神の宣告であり、神の下僕に過ぎない人類が敵う力ではない。

 ミリオンが身に着けた力は、あまりに強過ぎる。

【……シュウウウウウ】

 唖然としていると、最後にミィが映っていたモニターから声が聞こえてきた。

 ミィの部屋は液体金属に満たされ、彼女の姿は頭のてっぺんしか見えていない。なら今の声は何処からかと思って見ていると、一度ミィの顔が浮上してくる。息継ぎのために顔を上げたのだ

 そう思った直後、予想は裏切られる。

 ミィの身体が、ガクンと()()()()()()()

 ただの急浮上ではない。まるで階段を上るかのように、一段だけ身体が浮かび上がる不自然な動き。そんな感覚を覚えていると、先の光景が見間違いではないと伝えるかのようにミィの身体は再び一段上がる。

 これを数度繰り返し、液体金属の『水位』と腰のラインが一致した辺りで十分と判断したのか。ミィはそれ以上の浮上を止めると、前へと進み出した。

 あたかも、普通に歩くかのようなスピードで。

「……は? ば、馬鹿な!?」

 ようやくミィ側の異常に気付いたアルベルトが声を荒らげる。彼の反応は至極尤もなものだ。ミィの部屋にある液体金属は粘性が極めて高く、バンカーバスターすら一センチと歪ませられない緩衝効果があるとアルベルト自身が語っていた。ミィの力ですら、先程まで飲まれる一方だったのだ。なのに今では飲まれるどころか、妙な高さですいすいと歩いている。

 一体何が起きているのか。詳細を知ろうとしてアルベルトがモニターを睨みながらデスクの端末を操作する中、花中は映像を凝視する。

 ミィが通り抜けた場所の液体金属は粘性を保っており、どろりどろりと、ミィの通った後をゆっくり埋めている。ミリオンのように、液体金属の性質を変化させている訳ではないらしい。つまりフィアと同じく、自らの『体質』を変化させた事で現状に適応したのだろう。

 そしてそれは、先のスムーズな動きからして……『抵抗』の喪失か。

 彼女は自らの表皮に特殊な形状を作り出し、物質と接した際の抵抗を殆どゼロにする事を成し遂げたのだろう。これがどのような細胞や形状により発揮されているかは、しがない現代人である花中には想像も付かない。しかし自身の肉体を操作出来るミィには、決して不可能な行いではない筈だ。身体が浮上したのは足の裏部分だけ通常の形態を残し、垂直方向への抵抗を保持する事で可能にしたのだろう。見た目通り『階段』を上ってきた訳だ。例えるなら雪に埋もれた状態から、足下の雪を固めながら這い上がるように。

「ぐ……だ、だが……だがまだだ! あんなのはただの苦し紛れに過ぎない! 奴等の出入りを塞ぐあのシャッターは、我々が作り上げた中で最高の開発品だ! 水爆だろうがなんだろうが、あのシャッターと、シャッターと同じ材質で出来ているあの部屋の壁は壊せない!」

 最早武器による抹殺は諦めたのか。アルベルトは最後の砦である、出入り口を塞いだシャッターに賭けようとする。

 だが、花中は既に()()()()()

 苦し紛れ? 何をどう見ればそんな能天気な考えを抱けるのか。

 彼女達は弱点を克服したのだ。二千度しかない脆弱な耐熱性を、耐熱性の高い物質への対抗策のなさを、身体能力しかない単純さを。逆境を乗り越えた事で、彼女達は新たなステージに到達している。

 水分子を固定する事が出来るようになったフィアは、より大きな負荷を『身体』に掛けられる。どれだけ大きな力を込めても、水分子で作られた柱はへし折れず、目標を圧迫し続けるのだ。つまり純粋なパワーが大きく増大し、より大きな破壊が行えるようになっているという事。

 原子崩壊を使えるようになったミリオンには、最早物質的な防御は意味を成さない。どんな材質で作った檻だろうとミリオンは破壊出来る。今の彼女を捕縛する事など、何人たりとも……『万物』を創造した神であろうとも出来やしない。

 抵抗を消失したミィは、自らが振るう拳に全エネルギーを注げるようになった。空気抵抗は速度の二乗に比例して増大する。人間が日常生活で気にする事はまずないが、音速の数倍以上の速さで動けるミィにとっては決して小さな値ではない。それまで空気を掻き分けるために使い、熱へと変換されていた膨大なエネルギーの全てを拳に乗せる事が可能となったのだ。

 そんな三匹をシャッターで閉じ込める? センスのないジョークだ。

【よいしょっとー】

 フィアは気軽な掛け声と共に、シャッターを両手と屈伸運動で押し上げる。

【ふふんふーん】

 ミリオンは鼻歌交じりに正面に立っただけで、シャッターがさらさらと崩れ落ちていく。

【ほっと】

 ミィは軽々と拳を叩き付け、その一撃だけで扉を吹き飛ばす。

 誰も彼もが、難なくシャッターを破壊した。アルベルトはあんぐりと口を開き、声を失っている。顔はすっかり青ざめていて、今にも気絶しそうだ。

 或いは気絶した方がマシだったかも知れない。

【さぁここまでこの私をおちょくったのです八つ裂きにされる覚悟は出来ているんでしょうねぇェッ!?】

【痛みとかは感じないけど、流石においたが過ぎたわね。生き物にこの力を使ったらどうなるか、テストケースにしてあげる】

【あー、苦しかった……同じ目に遭わせてやるからそのつもりで】

 もしも気絶していれば、カメラに気付いた三匹から同時に下された死刑宣告を聞かずに済んだのだから。 

 直後にカメラの映像は途絶え――――建物全体を揺れが襲う。ぐらぐらと大地震に見舞われたかのような振動でモニターが落ち、デスク上の書類は崩れ、花中は尻餅を撞いた。

 フィア達が暴れ出したのだ。それも今まで以上の破壊力を伴って。

 恐らくこの建物には、ミュータント由来のテクノロジーが存分に使われている。フィア達が突入した際振動を感じなかったのは、このテクノロジーにより強力な耐震性を実用化出来たからだろう。しかしその耐震性も今のフィア達には通用しない。全力を出していない彼女達の力すら、満足に受け止められなくなっていた。

 花中は恐ろしさを感じた。

 何が恐ろしい? 最早核兵器すら通じるか分からない耐熱性を得たフィアか? 触れる事なく相手を消滅させるミリオンか? 更なる速度と破壊力を得たミィか? ……違う。そんな事ではない。

 恐ろしいのは、彼女達の成長の早さ。

 五世紀先の技術水準と言われた能力、その能力を応用して開発された技術……それを彼女達は、ほんの十数分程度で乗り越えてしまった。現代人類では足下にも及ばない力さえも、彼女達にとっては十数分の苦難で乗り越えられる逆境でしかなかったのだ。

 一体ミュータントとはどれほどの存在なのか。彼女達の『底』は何処にあるのか。

 それは果たして、人間が辿り着ける領域なのだろうか。

「……あっ」

 目まぐるしく駆け回っていた思考が一際大きな振動によって現実に引き戻され、花中は我を取り戻す。

 考え事をしている場合ではない。

 それよりも形勢逆転した今こそアルベルトと『交渉』するチャンス。武力に物を言わせるのは好きではないが、犠牲者が出るよりは余程マシだ。彼と話を付けるべく花中は辺りを見渡し、

 アルベルトの姿が近くにない事にようやく気付き、顔を青くした。

 慌ててもう一度、より広範囲を一望する。今度は、アルベルトの姿を見付けられた。ただし彼は正しく今部屋の扉を開けて外にある廊下へと跳び出し……突き当たりにあるエレベーターへと向かっていたが。

 花中は顔から更に血の気が失せた。恐らく彼は逃げようとしている。それは見れば分かる事で、人類科学を冒涜する怪物が三匹もやってくるのだからなんら不思議な事ではない。

 問題は逃げるにしても、間違いなくただでは転ばない事。リベンジするためにも、何より人類の未来を守るためにも、更なる研究を進めなければならない。

 そのためには『サンプル』が必要だ。

 アルベルトは清夏を連れていくつもりに違いない。花中がアルベルトの立場なら間違いなくそうする。脱出にしても、アルベルト達の技術力を思えば超音速ヘリコプターぐらいは開発・保有していそうだ。フィア達ならば超音速飛行物体の一つ二つ簡単に捕まえられるだろうが、やってくるのが遅くなればみすみす逃してしまうだろう。

 もしも清夏が連れ去られたら、奪還は絶望的だ。更に時間を掛ければ、より強力な兵器や薬物も開発し、今回以上の戦力で挑んでくるに違いない。此度のフィア達はなんとか乗りきれたが、次回も上手くいくとは限らない。彼女達の底が分からないと思ったばかりで言うのも難だが、『今』がその底である可能性もゼロではないのだ。

 なんとしてもそれだけは防がなければならない。せめて、フィア達が此処に来るまでは。

「ま、待って!」

 花中が声を上げるや、アルベルトは一瞬振り返り、一層気張った走りを見せる。この行動が自分の予想を証明したと実感し、花中は慌てて立ち上がってアルベルトの後を追う。

 扉は幸いにしてロックなど掛かっておらず、花中が前に立つだけで開いた。エレベーターまで続く廊下の距離は、ざっと三十メートル未満。アルベルトは既に、その中間ぐらいの位置まで逃げていた。このままでは不味いと、花中も渾身の力で駆ける。

 科学者を自称していたアルベルトの足は、お世辞にも速いものではなかった。足並みはすぐに乱れ、息も切らしている……が、花中はそんな彼以上に貧弱。足が彼より速くない上に、体力すら劣っている。アルベルトとの距離は縮まるどころか開く一方だ。

 アルベルトが立ち止まったのはエレベーターの前で、彼はボタンを激しく連打していた。冷静に考えれば、そんな事をしても故障を誘発するだけで、到着が早まる要因とはなり得ない。明らかに狼狽えていたが、しかし花中は彼以上に動揺する。もしも自分の到着前にエレベーターが来て、乗り遅れたら……

 アルベルトと正反対の事を祈りながら花中は駆けた、直後、一際大きな振動が建物を襲った。走っていた花中が蹴躓いただけでなく、立っていたアルベルトすら転倒している。

【何処に隠れているんですかァァッ! 大人しく出てきなさあああいっ!】

 そして建物中に反響する、乙女の大咆哮。

 どうやら先の揺れは、フィアが癇癪を起こした事が原因らしい。立ち止まっているアルベルトは精々身体を痛めた程度だが、走っていた花中にとっては大きな時間ロスだ。「フィアちゃん何やってんのぉ!?」と頭の中で悲鳴を上げる花中だったが、直後、扉が閉まったままのエレベーターからブザー音が鳴り響く。

【異常な振動により、エレベータールート上に破損が生じました。非常階段を展開します。避難には非常階段をお使いください】

 そして告げられる、アルベルトにとっては無慈悲な、花中にとっては応援に等しい機械音声。

 どうやらフィアの一撃により、エレベーターの安全性が失われたらしい。「フィアちゃん最高!」と先程までと真逆の事を想いながら花中は立ち上がり、力を振り絞ってアルベルト目掛け突撃する!

 しかしアルベルトもここで万事休すという訳ではない。忌々しげな表情を浮かべる彼のすぐ横の壁が変形し、入口が形作られた。彼は迷わずその入口へと入ると、カンカンと甲高い足音が聞こえてくる。

 花中も入口を潜れば、そこには粗雑な、鉄製の階段が存在していた。

 一般的な鉄製階段とは違い、板のような物が無数に連結して段差や柵、柱を形作っている。階段は螺旋を描き、下方向に延々と伸びていた。非常用の階段として用意されていた、いや、もしかすると今し方『形成』したものか。辺りの壁には電子機器を思わせる機械的な明かりに満ちているため、遠くまでよく見えるのだが……階段の終わりは見付からない。

 此処から清夏が捕まっている部屋はかなり高低差があるらしい。あまりの高さに一瞬気が遠退いたが、どうにか踏ん張り、深呼吸と共に気合いを入れ直して花中も階段を下る。カンカンと段を踏む足音が二つ、周囲によく響く。花中としては急ぎ足で下りているが、下方向から聞こえてくる足音が近付いてくる気配はない。

 もっと早く、もっと急がないと――――しかし花中の気持ちを翻弄するように、時折建物を揺れが襲う。花中の弱々しい足腰では姿勢を保てず、幾度となくその場に蹲ってしまった。その度に、下から聞こえてくる足音は遠くなる。

 やがて階段の終わりと、その先に続く扉が見えた時、階段から『人影』が跳び出した。人影としか思えないぐらい、距離を離されたのだ。

 花中は疲れを訴える自らの身体に鞭を打ち、階段を駆け下りる。しばらくして階段を下りきると、目の前には開きっぱなしになっている非常口があった。花中は非常口を通り、真っ直ぐ伸びている廊下を走る。

 やがてその行く先に『白い部屋』が見えてきて、

「嫌!? やだぁっ!?」

 部屋の奥から、少女の悲鳴が聞こえてくる。

「み、御酒さん!」

 花中は少女の名を呼びながら部屋の中へと突入。

 辿り着いたのは、攫われた後の自分達が置かれていた一室。真っ白な外壁はひび割れ、余波により部屋そのものがダメージを受けていた。もしも部屋にベッド以外の物が置かれていたなら、今頃ぐちゃぐちゃに散乱していただろう。

 そして部屋の中心に立つ二つの人影。

 一人は笑みではなく鬼気迫る表情を浮かべたアルベルト。もう一人は彼に腕を掴まれ、強引に連れ去られそうになっている清夏だった。

「み、御酒さん!」

「花中!? た、助けて!」

「……ちっ、良いからこっちに来い!」

「い、痛い!?」

 花中がやってきた事に気付いたアルベルトは舌打ちをし、清夏の腕を引っ張る。清夏は顔をくしゃくしゃにし、腕の痛みに必死に耐えていた。されどその目には涙が浮かび、連れ去られる恐怖を抑えきれていない事は明らかだった。

 大切な友達に暴力を振るわれ、泣くほど怖い想いをしている。

 花中は臆病者だ。おまけに小学生並、或いはそれ以上に弱い。自分より強い相手を前にしたら、怒るよりも前に途方に暮れてしまうタイプである。少なくともミュータントなどの超生命体相手にはそうなっていた。

 しかしアルベルトは人間である。おまけに科学者で、大人の男性としてはあまりに軟弱な体躯をしていた。勿論如何にアルベルトが男性の中では虚弱そうでも、同世代の女子よりも遙かに弱々しい花中ほどではないだろう。身体能力の差は、先の追い駆けっこの結果からも明らかだ。まともにぶつかり合えば、一分と経たずにやられてしまうに違いない。

 されど、花中の勇気を挫くほど圧倒的な強さではない事も確かである。

「み、御酒さんを……放しなさぁいっ!」

 勇気を振り絞った花中は、アルベルト目掛け駆ける! アルベルトは花中の行動を見てその身を強張らせたが、もう遅い。

 花中はがむしゃらに突撃し、頭から体当たりを喰らわせた! 鈍足とはいえ重量四十キロ程度のものが容赦なくぶつかれば、相応の運動エネルギーを与えられる。おまけに花中の小ささもあって、花中の頭はアルベルトの脇腹辺りに命中。腹筋や胸骨に守られていない、人体でも得に脆弱なポイントに花中の全力が叩き込まれる!

 如何に貧弱な花中の一撃といえども、あまり逞しくないアルベルトを怯ませるには十分な打撃だった。アルベルトは身体を横向きのくの字に曲げ、その顔に苦悶の表情を浮かべる。よろめいた身体は、一歩二歩と真横に動いた。

 しかし清夏の腕を放すほどのダメージは与えておらず、アルベルトは鋭い眼差しで花中を睨み付ける。

「邪魔をするなぁっ!」

 そして空いている方の腕を、花中に向けて振り下ろした!

 アルベルトの『攻撃』に気付いた花中だったが、花中のお世辞にも優れているとは言えない運動神経では回避しようとする動きすら間に合わない。大の男からの打撃を胸に受け、花中は呻きと共に床に転がる。

 痛い。凄く痛くて、涙が出てくる。

 ミュータント同士の戦いなどで殴られたような衝撃は幾度となく受けてきた。しかし直に入れられた腕は、全身くまなく痛め付けられるのと違い、刺すような鋭さがある。慣れない痛みに、花中は身動きが取れなくなってしまった。出来る事なら痛みが引くまで、このまま横になっていたいぐらいだ。

 だけどこの痛みは、絶望しきった顔をしている清夏の心よりも、辛いものなのか?

 否だ!

「ぅ、うりゃあっ!」

 跳び起きるや、花中はアルベルトの足にしがみつく! 体当たりのようなダメージこそないが、動きを大きく妨げる行為。アルベルトを大いに苛立たせるものだった。

 故に彼からの反撃も、必然手痛いものとなる。

「離れろ! 放せ!」

 アルベルトは花中目掛け、蹴りを放ってきた。蹴りは拳の三倍の威力がある、という話は根拠のある理論なのか不明だが、ケンカのど素人である花中やアルベルトのような人間にとっては事実だった。明らかに先程の『腕』よりも激しい打撃が、花中の脇や背中を襲う。痛みで花中はあっさりと足から手を放してしまった。

「う、うぅ……」

「……クソ、なんだってこんな事を……!」

「花中……」

 呻き、横たわる花中に、清夏は困惑と悲しみの顔を見せる。苦痛の中でその顔を見た花中は……自然と、身体に力がみなぎってきた。

 勝ち目などない。自分の非力さを思えば、それは論理的に確定した話である。

 それでもやらずにはいられない。

「わたし、の、友達を……返して、ください……!」

 今の花中を突き動かすのは、その小さな衝動だけなのだから。

 想いが思わず花中の口から漏れ出ると、アルベルトは一瞬キョトンとしたような表情を浮かべる。次いで、ゲラゲラと楽しげに笑い出した。

「ははははっ! 友達? こんなのが? 何を言っているんだか……ああ、それとも勘違いしているのかな? 正体を知らずに、仲良くなれると思っているのかい?」

「……正、体……?」

 やがてアルベルトは語り始め、清夏は呆けたように訊き返す。

 そして花中は血の気が失せた。

「だ、ダメです!? それだけは、それ、だけは……!」

「花中……? 何、何を言ってるの? 正体って、なんの話?」

「ふふ。『これ』自体も知りたがってるじゃないか。なら、教えてあげるのが親切だろう? 自分がどんな存在なのかを知り、身の程を弁えてもらわないといけないよね?」

「必要ありません! そ、それを、したら、わたし、本気で怒ります! 怒って、あの、えっと……!」

 花中は必死に言葉を絞り出し、なんとかアルベルトの蛮行を止めようとする。されど花中がどれだけ叫ぼうと、どれだけ懇願しようと、アルベルトの意地の悪い笑みは崩れない。花中の必死さが清夏の顔に不安を過ぎらせ、その小さな身体を震わせてしまう。

 故に、

「『コレ』は微生物の集合体だ。単細胞の塊でしかないんだよ」

 彼が真実を告げてしまうのを、花中は止める事が出来なかった。




克服☆
着実にとんでも戦闘生命体と化していくフィア達ですが、この星にはまだまだ素敵な命が生きていますよ(地獄)

次回は明日投稿予定。

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