彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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あなたはだあれ8

 モニターに映し出されていたのは、大切な友達三匹の姿。

 フィア達は、どうやら襲い掛かってきた人間達を返り討ちに出来たらしい。信じていたとはいえ、その事実に花中は安堵する。

 尤も、穏やかな気持ちでいられたのはほんの数秒だけ。すぐに花中は、『友達』の発する気配に恐怖を抱いた。

 三匹の全身が映る程度に引いている映像であるため、その顔はハッキリとは映し出されていない。しかしそれでも、彼女達の誰もが怒りをその身に滾らせている事は、モニター越しであってもひしひしと感じられた。

 特にフィアの怒りは凄まじい。映像にも拘わらず、花中は思わず後退りしてしまうほどだ。傍に居るミリオンも同じぐらいの気迫を感じさせる。一番マシに見えるミィでも、生身の彼女と対峙したら気が遠退いてしまうに違いない。

「全く、随分乱暴な入り方をするものだ。予想以上に野蛮な生き物だよ」

 友達相手に震える花中を他所に、アルベルトは心底呆れた様子で独りごちる。我に返り改めてモニターを見れば、フィア達の背後には瓦礫の山が出来ていた。

 恐らく、フィア達は壁をぶち抜いて侵入してきたのだろう。それ自体はさして不思議な事ではない。フィア達のパワーを用いれば、あの程度の破壊は造作もないのだから。

 違和感があるのは、この建物自体だ。

 花中が連れ去られた事を考慮しても、友達である花中ですら短気だと思ってしまうフィアが優しく壁を壊すとは思えない。極めて乱暴な一撃をこの建物の壁に喰らわせた筈だ。

 なのに花中は、この建物内で揺れを感じていない。日本の耐震技術は、それほど優れていたのだろうか……?

「おっと、音声がオフになっているね。オンにしておこう」

 考え込もうとする花中だったが、アルベルトの独り言でそちらに気を取られた。

【人間風情が……この私から花中さんを奪い去るとは良い度胸をしていますねぇぇぇぇ……】

 アルベルトが機器を操作した途端、モニターからフィアの唸り声が聞こえる。極めて音質が良く、まるですぐ隣にフィアが居るかのよう。発せられる怒気に当てられ、花中はびくりと身体を震わせた。

【どうせ見てるんでしょ? 今のうちにはなちゃんを返すなら、九割殺しで勘弁してあげるわよ】

【それ、ほっといたら死ぬレベルじゃないかなぁ……ま、あたしも同じぐらいやるけど。嘗められっぱなしは性に合わないし】

 フィアに続き、ミリオンとミィも闘争心と怒りを露わにした言葉を告げた。ミリオンは笑みを浮かべていたが、目にあるのはどす黒い殺意。ミィには殺意こそないが、プライドの高い眼光を光らせる。

 三匹とも、やる気満々だ。闘争心の塊と呼んでも良いだろう。花中でさえも今の彼女達に声を掛けるには、勇気を振り絞らねばならない。

 なのに、アルベルトは笑みを絶やさない。それも強がりや驕りではない、理性的な自信に満ちた笑み。

 彼にはなんらかの策があるらしい。

「さぁて。向こうから来てくれたのなら、少しは歓迎しないといけないね。例えアレらが人間じゃないとしても」

 花中が抱いた予感は、アルベルト当人の言葉によって確信へと変わった。

 複数のモニターの映像が切り替わる。視線を向けると、そこには人型ロボットのようなものが無数に映し出されていた。

 いや、ロボットと言うよりも所謂パワードスーツか。大柄な人間がそれらに乗り込んでいく姿が見られる。人との対比からして、パワードスーツのサイズはざっと高さ三メートル前後だと分かった。パワードスーツには大きな銃器 ― 凡そ人では扱えそうにないサイズである ― のようなものが握られ、それらが戦うための『装備』である事は明らかだ。

 やがてモニターは、次々と出撃するパワードスーツを映し出す。彼等が数十秒ほど掛けて進んだ先に待つのは、三つの人影。

 フィア達だった。

【ふん! ようやく出迎えですか……遅いんですよウスノロがァッ!】

 現れた『兵器』を目の当たりにし、真っ先に動いたのはフィア。拳を握り締めながら床を蹴り、目にも留まらぬ速さで突撃。

 武器を構える暇すらなく、最前列付近に居たパワードスーツ数体を体当たりで粉砕する! 破壊されたパワードスーツの中から搭乗者が放り出され、床に激しく落ちるもフィアは見向きもしない。いや、恐らく気付いてもいない。

【がぁッ! ぬんっ!】

 ケダモノの咆哮を上げるフィアはパワードスーツの足を掴むや、軽々と持ち上げ、床に叩き付けた。搭乗者を守るため頑強である筈のそれは、しかしフィアの力を受け止めるにはあまりに脆く、一撃で粉砕。『中身』諸共、文字通り叩き潰されていく。

 フィアと幾らか距離が開いているパワードスーツは武器を構え、仲間が肉薄した状態で襲われているにも拘わらず射撃。まるで大砲のような爆音と共に大きな弾丸を飛ばし、フィアの頭部や胴体を貫かんとする。されどフィアの『身体』は、放たれた金属の塊を弾き返すのみ。フィアは微動だにせず、思うがまま自分の近くに居るパワードスーツを襲う。

【あらあら、ここで鬱憤を晴らすつもり? だったら私も混ぜさせて】

【あたしの分も取っといてよー】

 フィアの突撃を静観していたミリオン達も、後になって『憂さ晴らし』に参加する。ミリオンが通るだけでパワードスーツ達が溶解し、ミィの蹴りがパワードスーツを数十体纏めて吹き飛ばす。反撃として放たれる弾丸は誰に当たろうと弾かれ、床に落ちて乾いた金属音を鳴らすだけ。

 最早パワードスーツは、派手に飾りを撒き散らすクラッカーでしかない。そしてその派手な散り際の中で、搭乗者達の生命もまた弾け飛んでいる事だろう。

 人間ではないフィア達は、人間の命に尊さなど覚えない。人間に優しいミィですら(自分)を襲う人間ならば殺す事を躊躇わないのだ。このまま戦いを続けても、フィア達は誰も心を痛めやしない。人命は延々と失われ続けるだろう。

「ふむ、やはり機械兵器だけでは足止めにもならないか。想定通りの結果だね」

 だというのにアルベルトは、淡々と感想を述べるだけ。あまつさえこの結果を予想していたと言う始末。

 花中はギョッとした。花中の印象では、彼は人間至上主義なのだ。人間が傷付けられて淡々としていられる筈がない。

 何か、自分は勘違いをしているのか?

「な、仲間がやられて、どうして平気なんですか!? す、すぐに、あの人達を、逃がしてください!」

「ん? ああ、説明していなかったね」

 これ以上の犠牲は我慢ならないと花中が声を荒らげると、アルベルトは一瞬キョトンとした後、爽やかな笑みを浮かべながら納得したように頷く。

「彼等はクローン生成された、人間の模造品なのさ。人間にあんな危険な生き物の相手をさせる訳にはいかないからね。見た目が似ているから誤解させてしまったようだ。説明が遅れて申し訳ない」

 それから、()()()()()()()()()()説明をした。

 悪寒が花中の全身を駆け巡る。

 確かに自分は勘違いをしていたと、花中は悟った。彼は人間至上主義などではない。もっと根源的で、もっと普遍的で……もっと『尊い』もの。

 アルベルトの中で、クローンは『人間』ではない。恐らく彼にとっての人間とは、人間から産まれたものだけを指すのだろう。それ以外の、人工物に生命など認めない。作られた過程を重視し、範囲を著しく限定する事で、自身の尊さを相対的に高める。

 その本質は、正に人間そのもの。

 神に愛され、自然から独立し、己と他者の尊さを身勝手に決め付ける――――古来より続く人間の価値観が具現化したような思想。人間が最も『尊い』と考える意思の頂点。

 それがアルベルト・クラーク・ノイマンという『人間』なのだ。

「まぁ、いくら『消耗品』とはいえ、このまま何百も使い潰すのも勿体ないか。クローンの単価だけでも十二万円ぐらいするし、パワードスーツも十億ぐらいするからね。データは取れたから、そろそろ第二フェーズに移行しよう」

 花中の言葉が届かなかったアルベルトは、経済的な理由をぼやきながらデスクにある端末を操作する。するとモニターに映っていたパワードスーツ達は一斉に動きを止め、全員が同時に後退を始めた。

【ああん!? 逃げるつもりですか!】

【追い駆ける暇はないけど、奥には進ませてもらいましょうか】

【だね】

 無傷のフィア達は進撃を即断。逃げるパワードスーツ達を追う形で、建物の奥へと入り込んでいく。

 やがて彼女達の前に十字路が現れた。

 パワードスーツ達は、綺麗に三等分するようにそれぞれの道へと進んでいく。フィア達は十字路の前まで行くと立ち止まり、きょろきょろと分かれ道の先を覗き込む。

 すると突如として、フィア達の頭上から白煙のようなものが吹き出す。白煙に気付いたフィア達だったが、まだ進む道を決めていなかったのか、その場から動かない。天井から出てきた白煙は、フィア達を難なく包み込んだ。

 花中は身を震わせた。脳裏を過ぎるのは、自分達が攫われる間際の光景……防護服姿の連中が使ってきた『ガス』と、天井から降り注ぐ煙が、花中の頭の中でぴたりと重なった。

「君も見覚えがあるだろう? アレはサンプルから得られた物質を解析し、人為的に合成したものを複数種混合したやつでね。魚類とネコに対し、半数致死量(LD50)が体重一キログラム当たり五ピコグラムしかない毒物なのさ。ウイルスに対しても、粘性を発揮する事で行動を阻害する機能がある。此処で散布しているものは、君とサンプルを連れてくる時に使ったものの更に数百倍の濃度があるよ。そうだね、大体一呼吸辺り三グラムぐらいかな? あとついでに魚と猫に対し、選択的に効果がある悪臭を付けてあるんだ」

 青ざめる花中に、アルベルトは自慢げにガスの正体を明かした。五ピコグラムとは恐ろしく微量な値だ。『人間に対する毒性』としては ― 諸説あるものの ― 最強とされるボツリヌス毒素ですら、半数致死量(摂取した者の半分が死亡するとされる量)は体重一キロ当たり一ナノグラム……一千ピコグラムとされている。人類が作り出した化学物質の中で最強クラスとされるVXの半数致死量が一キロ当たり二十ナノグラムである事を考えれば、正しくミュータント由来の合成物に相応しい、尋常でない毒性と言えよう。

 一呼吸で三グラムも吸い込む濃度となれば、息を止めていても目や鼻の粘液から吸収される分だけで致命的になる筈だ。元より生き物ではないミリオンなら兎も角、フィアとミィが耐えられる筈がない。

 ……筈がないのに、どうして先の戦いを生き残れたのか?

「ん? おかしいな……」

 花中が違和感を抱いた時、アルベルトもまた疑問の声を漏らす。

 モニターを見れば、白煙に包まれたフィア達は平然としていた。ガスなどまるで効いていない様子である。

【ふん。こんな煙で私達を殺せると思っているのですか。遅れてますね】

【残念だったねー。対策済みだよー】

 挙句、フィアとミィは嫌みったらしい言葉でアルベルト(カメラ越しの敵)に対し挑発する余裕まであった。

 フィア達のした対策がどんなものかは、花中でも想像の域は出ない。しかし恐らくフィアの場合、身体に纏う水……或いは()()をフィルターのようにする事で、外界から侵入してくる毒物を濾過しているのだろう。ミィも肉体操作を活用する事で同じような機能を持たせているのかも知れない。

 やがてフィアとミィは目の前の十字路を揃って右へと進んだ。建物の構造は花中にも分からないが、恐らく彼女達の進んだ道からは花中(自分)の臭いが流れていて、それで道を把握したのだろう。二匹とも嗅覚は失われていないと思われる。体液式の毒物濾過なら、嗅覚細胞が検知した情報だけを脳に送り、危険な毒物は細胞の表面に留めておく事が可能だ。体内に入らなければ、どれほど強力な毒物だろうと生物を殺す事は出来ない。

 フィア達は構造上、無敵の毒物耐性を獲得したのである。

「ほほぉ、まさか効かないとは。いやはや、何をしているのか興味を惹かれるね。方法を真似出来れば、環境汚染対策に役立つかも知れない」

 アルベルトも花中と同様の考えに至ったのか、しかしその顔に浮かぶのは笑み。崩れる事のない彼の余裕に、花中は少なからず恐れを抱く。

 彼はまだ諦めていない。むしろ予想外の事態に知的な悦びを見出しているようだ。加えてその余裕ぶりからして、未だ万策尽きた訳ではないらしい。ならばきっと、次の手を打ってくる。

 花中の予想は的中した。見ていなかったモニターの一つから、ガコン、と機械的な音が聞こえる。

 反射的にそのモニターに目を向けると、なんと画面に映るフィア達の居る一室が変形を始めたのだ。さながらそれはロボットアニメに出てくる変形シーンのように、ダイナミックかつスピーディー。一辺がざっと十数メートルはある部屋の全体が波打ち、動き出していた。床が割れて中から壁が現れ、壁が動いて天井となり、天井は折りたたまれて柱へ変わり、柱が倒れて床となる。この大規模な『変形』が、ものの数秒で行われたのだ。人間がこの中に居たら、床の隙間から落ちているか、迫り来る壁に押し潰されているだろう。

 フィア達は穴に落ちるほど愚鈍ではなく、大人しく潰されるほど力も弱くない。軽やかに跳び、時には殴り飛ばし、或いは隙間をすり抜けて難を逃れる三匹。しかしながら突然の出来事に不意は突かれたようで、三匹は建物の変形に対応する中で離ればなれになってしまう。元より協調性がなく、『味方』と寄り添うという発想がない事も離散を後押しした筈だ。

 建物はやがて先程までとは全く違う、三本の通路へと変わった。通路はどれも壁で仕切られ、交わる事は恐らくない。

 その三本の道に、フィア達はきっちり一匹ずつ居た。全員が分断されてしまったのだ。

【アイツ等何処に行ったのでしょうか。まぁ別に良いですけど】

【あらあら、分断させられちゃったわね。でも大した問題もないか】

【うわー、こーくるかぁ……仕方ない、進んでみるか】

 三匹は分断させられた事こそ理解したものの、まるで意に介さず。仲間の心配をする素振りもなく、目の前に伸びる道を歩き出した。

「良しっ、今度は上手くいったぞ」

 今度の作戦は成功し、アルベルトはご満悦な様子。勝ち誇った笑顔は子供のように純真で、立場が違えば花中も彼と同じ気持ちになったかも知れない。何しろ人の英知が超生命体を翻弄したのだから。

 しかし今の花中には、それ以上に気になる事がある。

 今の変形は、なんだ?

 建物が変形する事自体にツッコミを入れる気はない。決して有り触れたものではないが、そうした機能を持つ建物は実在する。実用的かどうかを考慮しなければ、車から人型ロボットへの変形も技術的には可能な筈だ。

 されど今し方フィア達を襲った変形は、あまりにも速過ぎる。十数メートルはある区画が、ほんの数秒で三本の通路に変形したのだ。これほど大規模な変形を行うためには、部屋を細かなパーツで分ける必要がある。それにフィア達をきっちり分断した事から、『アドリブ』も利かせられる筈だ。アドリブを利かせる以上、自由な動きを妨げるケーブルなどは繋げない。

 これらの前提から察するに、パーツ毎に動力とAI、そしてそれらが稼働するためのエネルギーを供給する充電器が必要である。おまけに極めて高性能で、小型化の進んだ代物が。

 今の人類の科学力で、それらを用意出来るとは思えない。先の光景は、現代においてはあり得ないものだ。

「今の、は……?」

 思わず花中は疑問を言葉にしてしまう。今まですぐに答えてくれたアルベルトは、今度は何も語らない。ただ静かに微笑むだけ……まるで、お楽しみはこれからだと言わんばかりに。

 不安を抱く花中だったが、モニターの向こう側に居るフィア達はこちらのやり取りを知る由もない。悠然と歩く三匹は、やがてほぼ同時に開けた一室に辿り着く。どの部屋も円形をしており、直径は十メートル前後。部屋の奥には扉が一つだけあり、他に道はない。先へ進むためにはこの部屋を通る必要がある。

 明らかに不審な部屋であるが、されど毒ガスも部屋の変形も切り抜けたフィア達は、特段警戒する素振りもなく部屋の中へと入った。そのまま三匹は徒歩で奥まで進んでいき

 丁度部屋の真ん中辺りまで来た瞬間、部屋にある扉を覆うようにシャッターが下りる。

 シャッターは扉だけでなく、フィア達が通ってきた道の方にも下りてきた。フィア達の反射神経と運動能力ならば、五メートルもの距離を跳び、シャッターが閉じきる前に一旦室外へと脱出出来ただろう。しかし彼女達の『目的地』は扉の先にある。引き返すという選択肢はない。

 フィア達はなんの抵抗もせず、二つのシャッターは無事下りきる。呆気なく、閉じ込められてしまった。尤も誰一匹としてその事を気にする素振りはない。

 フィアもミリオンもミィも、扉を塞ぐシャッターの前に立つや手を伸ばす。

 そしてフィアはぐいっと持ち上げるように力を込め、ミリオンは手を押し当て、ミィは軽く殴り付けた。哀れ、シャッターは呆気なく持ち上がり、溶け、砕け散る

 筈だった。

【……? ん……んぐぐぐ……?!】

 フィアが唸りながら、シャッターの前で身を捩っている。何度も何度も力を入れているのか身体が規則的に強張っている様が映し出されていた。

 なのにシャッターは微動だにしない。開かないどころか、壊れもしない。フィアの怪力なら、例えシャッターが金属製であっても簡単に砕ける筈なのに。

 フィアだけではない。ミリオンが手を当てたシャッターにも、ミィが殴り付けたシャッターも、モニターを見る限りでは変化がない様子だ。ミリオンの超高温に耐え、ミィの出鱈目な怪力に耐える……そんな物質が存在する筈ないのに。

「特異生命体、君にはミュータントと呼んだ方が良いかな? アレらは、悔しい事に凄い力を持っている。それこそ人間ではどうにもならないほどの力がね」

 花中が混乱していると、アルベルトが不意に語り出す。その語り口の中でアルベルトがデスクの端末を操作すると、フィア達の部屋に変化が起きた。

 変化は部屋毎に違うものだった。ミリオンの部屋には筒のようなものが床から生え、ミィの部屋では天井に割れ目が出来る。

 そしてフィアの部屋では、円形の壁からずらりと銃のようなものが生えてきた。フィアは現れた銃らしきものを一瞥するが、相手をするのも面倒だと感じたのだろうか。壊そうとする事もなく、開かないシャッターに挑み続ける。

 故に壁から生えた銃らしきものは――――『電撃』を難なく放つ事が出来た。

 放たれたものが本当に電撃であるかは、花中には分からない。しかし空気中をうねりながら進む光は、他に適切な単語があるとも思えなかった。『電撃』は鞭のようにうねりながら数秒間蠢き、フィアの頭部や胴体に叩き付けられる。

【ぬぐっ……!?】

 するとどうした事か、フィアが苦しみに満ちた唸り声を上げたではないか。

 花中が呆然としながらモニターを見ていると、フィアが居る部屋を一周するような横穴が開き、横穴から一本の鎖のようなものが現れた。鎖は水平に寝かされた状態で勢い良く迫り、フィアの胴体をぐるりと縛り付ける。更には床や天井からも鎖が現れ、足や腕にも絡まってフィアの動きを妨げた。フィアは即座に鎖を引き千切ろうとする……が、ガチガチと音が鳴るだけで、鎖は壊れる気配がない。モニターから聞こえた舌打ちが、鎖の出鱈目な強度を物語る。

 無論フィアの『身体』は水で出来ている。『身体』を変形させれば、鎖の隙間から逃げ出す事など造作もない。

 だが、雷撃がそれを許さなかった。

【ぐぬ……うぐうううウウウウゥゥゥ……!】

 無数の雷撃を浴びたフィアの『身体』から濛々と白煙が昇り、髪の毛の一部が切り落ちて弾けながら蒸発。雷撃は留まる気配もなく何十発もフィアに撃ち込まれ、その度にフィアの『身体』は切り取られていった。

 それは雷撃がフィアの耐熱性を上回るエネルギーを有し、フィアの『身体』にダメージを与えている確かな証拠。フィアが拘束する鎖から抜け出せないのも、僅かでも『身体』の結合を弛ませれば雷撃で真っ二つになると察しているからだろう。鎖の方も何時までも切らないという事は、()()()()と考えるのが妥当だ。全ての映像記録がフィアの苦戦を物語る。

 フィアの『身体』は水であり、水は能力によって制御されている。そうして得られた強度は圧倒的で、人間の軍事兵器なんかでは傷一つ付けられないほど頑強。戦車砲さえも弾く相手を殴り倒すほど強靱だ。恐らくは核兵器すらも耐える、怪物と呼ぶに相応しい力である。

 そんな力の持ち主であるフィアが、ちっぽけな雷撃の一つ二つを耐えられない筈がない。鎖の一本二本を引き千切れないなんてもっとあり得ない。けれども現実にフィアは雷撃に呻きを上げ、鎖を引き千切れないでいる。あの雷撃には核すら凌駕する威力があり、あの鎖には戦車の砲弾すら易々と耐える強度があるというのか?

 苦戦を強いられているのはフィアだけではない。視線を他のモニターに向ければ、ミリオンが居る部屋の映像が映っている。映像の中の室内には濛々とガスが漂い、床から生えているパイプから大量の液体が溢れていた。液体はミリオンの下半身を浸すほどの量があり、それに浸かるミリオンの身体からはじゅうじゅうと音を鳴らしながら煙が立ち昇っていた。ミリオンが能力によって加熱し、液体が気化しているのかと思う花中だったが……どろりとミリオンの顔の一部が()()()事から、状況の厳しさを察する。

 ミィの部屋も同様に、液体に満たされていた。こちらはねっとりとしたタールのような代物で、天井に出来た亀裂から流れ出ている。タール状の液体は既にミィの身体の殆どを浸しており、ミィはその顔と腕の先ぐらいしか出せていない。なんとか脱出しようと藻掻いているのだが、その動きはとても()()。タールの粘性により、動きを妨げられている様子だ。

 どちらもあり得ない姿だった。ミリオンが能力を用いれば、どんな物質でもたちまち六千度以上に加熱されてプラズマ化するというのに。ミィが能力を使えば、例え数億トンはあろうかという山さえ砕くパワーを発揮するというのに。

 全員が手こずっている。否、対処出来ずに押されていると言っても良い。このままではフィアは焼き殺され、ミリオンは溶かされ、ミィは窒息死させられてしまう。

 そんな事があり得る筈がない。彼女達の力は、現代の人類ではその片鱗すら理解出来ないのだから。ましてやフィア達ですら手に負えないものを、現代科学で作れる筈が……

「……まさか」

 目の前で起きた事象への考えを巡らせていると、とある考えが花中の脳裏を過ぎる。もしもその考えが正しければ、今起きている事の説明が付く。

 そして『それ』を行っている事を、アルベルトは既に語っていたではないか。

 ガタガタと身体が震える。意図せず身体がアルベルトの方へと向き、青ざめた顔を彼に見せてしまう。フィア達についてよく知る自分が、彼女達に加えられている攻撃が脅威だと思っている事を悟られてしまうのに。

 アルベルトは花中の顔を見て、ほくそ笑む。さながら己の勝利を確信したかのようだった。

「本当に、ミュータントの力は素晴らしいものだよ。人類が生み出したどんな物質をも上回る、出鱈目な性質の化学物質を合成している。いやはや、もしもアレを人類が自力で開発するには……」

 アルベルトは上機嫌な口振りで説明をし、勿体ぶるように一度話を切る。沈黙は花中が思わず息を飲み、その仕草に彼が口許を一層歪めるところまで続き、

「ざっと、五百年は必要だろうね」

 子供のように無邪気な口調で、アルベル トは語った。

 五百年。文字にすればたった三文字の言葉に、花中はゾッとなる。

 今から五百年前、十六世紀初頭の人類の科学力とはどのようなもので、どれほどの『実力』を有していたのだろうか? まず蒸気機関が実用化されていないため、大きなエネルギーを用いた工業は出来ない。製品は基本的に『手作り』であり、作業員一人辺りの生産力はかなり小さい。化学肥料が実用化されていないため食糧の生産量も少なく、品種改良が不十分なため気候変動や病害で度々飢饉が発生していた。医学も未発達で、疫病で多量の死者が度々出ている。人口もたったの四~五億人程度だ。

 戦争についても、現代とは大きく異なる。機動力の高い乗り物とは馬などの動物で、『燃料』として大量の食糧が必要な上に、大きな音や振動で暴れ出す代物。銃はあったが所謂火縄銃で、戦場では常に火種を持ち運ぶ必要があり、強い雨が降ると撃てなくなるという今では不良品扱いの性能である。兵站についても缶詰などが開発されていないため、略奪などの現地調達が基本だとされている。

 この程度の力しかなかった十六世紀の人類と、現代兵器が戦ったらどうなるか? 言うまでもない事だ。勝負にすらならないだろう。遙か何千メートルもの高さから爆弾を雨のように降らし、町の一つ二つを簡単に焼き払う敵を、どうやって落とす? 分厚いコンクリートで出来た建物を一撃で貫通する砲を持ち、同等の砲撃に耐え、馬より速くて怯えもしない鉄塊をどうやって砕く? 出来る訳がない。そしてそれら『超兵器』を支えるあらゆる産業がより強固なため、持久戦に持ち込んでも力尽きる事はない。

 これが五百年という時間の重さ。これほどの『技術力』の差があるとすれば、ミュータントが人類兵器を一方的に蹂躙するのも当然と言えよう。

 同時に、『人類製』の道具がミュータント(フィア)を苦しめている事実に花中は困惑する。その事実が物語るものを知るがために。

「サンプルから抽出した物質は、とても素晴らしい知見を僕達に与えてくれた。五百年後の技術に触れるようなもので、まだ全容の解明には至っていない。それでも得られた知識は、僕達に新たな力を与えてくれた……そう、あらゆる分野に」

 アルベルトは語る。自らが得た発見の素晴らしさを。

 現代科学は、最早一つの分野だけで成り立つものではない。例えば生物の生態を解明するためには物理学と化学を必要とし、物理学や化学反応のシミュレーションを行うのに電子工学や計算機科学の粋を集めたスーパーコンピュータが必要となる。その計算機科学には数学的知識が必要で……と、一つの分野から別の分野に、まるで数珠つなぎのように連鎖していくのだ。故に一つの分野が進歩するには、別分野の発展を必要とする事がある。

 その逆もまた然り。

 サンプル……誘拐した清夏から採取された物質は強力な毒性分だけでなく、極めて高い燃焼性や耐熱性、出鱈目な硬度や伸縮性を持っていたのだろう。それら新素材により、アスクレピオス社には多方面の技術革命が起きたのだ。

「フナに喰らわせているのは、最新式のアーク放電機だ。射程十メートル以内なら接触面は五万度まで加熱される。千五百度程度の『低温』加熱で評価すれば、射程十キロを誇る電気兵器さ」

 例えば一センチ進むのに三十キロボルト必要な放電現象を用いた、実用的な『プラズマ兵器』を作り上げたり。

「ウイルスにやっているのは、強酸性の液体だよ。実験室では三万度まで組成が変化しない事を確認している。ガスは粘性が高く、ウイルスの捕縛に適したものさ」

 例えば最も沸点が高いとされていた炭化タングステンの数倍もの耐熱性を有し、太陽表面でもプラズマ化しない液体を合成したり。

「そして猫に使っているのは、液状金属体だ。極めて粘性が高く、与えられたエネルギーの殆どを受け止めてしまう。むしろあそこまで動ける事が驚愕だよ、バンカーバスターすら一センチも動かずに受け止めるのに」

 例えば人類史上最強の貫通力を有する兵器を喰らわせても、貫かれるどころかろくにへこみもしない液体を作り出したり。

 それらが五百年後の科学水準に相応しいものであるかは分からない。しかし現代の人類の技術水準を超えている事だけは、間違いないだろう。そして『現代人』である花中に、『未来人』の技術などとんと分からない領域だ。未知の理論を用いている点はミュータントと同じでも、既存の生物の生態を強化した事が多い彼女達と、それの応用である未来技術は全く異なる代物なのである。

 フィア達が受けている攻撃は、確かにこれまで戦ってきたミュータントほどの苛烈さはないだろう。モニター上部に表示されている時計を見れば、既に十分近い時間、彼女達は超技術の攻撃に耐えている。しかし的確に弱点を突いてくる『技術』に対し打開策がなく、耐える以外に方法がないのも事実。

 なんとかしなければ、友達の命がこんなところで潰えてしまう。

 だから花中は考えた。考えて、考え抜いて……けれどもこの状況を打開する術は、何一つ思い付かない。そもそも思い付いたところで、モニター越しに立つ花中には友達に呼び掛ける術すらないのだ。

 花中には見守り、信じる事しか出来ない。

【ぬぐぎぎぎぎ……!】

 猫の友達が苦悶の表情と声を上げる中、今にも溺れそうになっていても。

【……………】

 ウイルスの友達が強酸性の液体に浸りながら、忌々しげな表情を浮かべたまま立ち尽くしていても。

【ぐううううぅうぅぅ……!】

 魚の友達が雷撃を浴び続け、苦痛に喘いでいても。

 花中には、何も出来ない。

「さぁ、これで終わりだ」

「だ、ダメ……!」

 せめてもの足掻きとして、アルベルトがデスク上に置かれたボタンを押すべく伸ばした腕に掴み掛かったが、花中の力では止める事も叶わず。

 ボタンがカチリと音を鳴らすのと共に、モニターに映し出される攻撃が一層激しくなる。雷撃は何十とフィアに撃ち込まれ、ミリオンの浸かる強酸の液体が四方八方から更に注ぎ込まれ、ミィを飲み込まんとする金属は一気に流れ込む。

【ウウウウゥゥゥゥッ……!】

【ギィィイイギギギ……!】

 ミィとフィアの唸りが更に大きくなる。表情に苦しみが満ちる。ミリオンの表情が更に険しくなる。けれども攻撃の手は決して弛む事はない。

 そして――――

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友達の声が、途絶えた。

 

 

 




ピンチに陥らせたところで次回に続く。

次回は4/6(土)投稿予定です。

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