彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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あなたはだあれ5

 さて、一人の少女の世話をする上で大事な事はなんであろうか?

 食事? 勿論これは大切である。中学生女子というのは食べ盛りな年頃だ。『彼女』は正確には自分を女子中学生と思い込んでいる生命体であるが、なんにせよ食事は必要な筈である。そしてその食事はたくさんの種類の食材を用い、栄養バランスの整ったものにすべきだろう。毎日コンビニ弁当やカップラーメンなど言語道断だ。

 家庭環境? これも大事だ。毎日罵声が飛び交うような家庭では、心が病んでしまう。しかも幼い子供であるならば、そうした心の病との向き合い方が分からない筈だ。その苦痛は想像に余りある。ましてや暴力を振るわれるなどあってはならない。

 しかしながら大桐家にとって、これらの問題はない。食事は基本毎日自炊であり、栄養バランスの整った食事を食べている。家庭環境も……母と父はいないが、笑いの絶えない家だと胸を張って言える。心を病むような場所ではない。

 では大桐家にはもう、少女が暮らす上で足りないものはないのか?

 否。それもまた断じて否だ。

 一つ、そうたった一つではあるが欠けているものがある。現代社会で暮らす上で、これを欠かしてはならない。例えすぐには必要にならなくとも、将来必ず必要になるものだ。

 即ち、

「勉強を、しましょう!」

「え。嫌なんだけど」

 勉学である――――清夏を家で匿うと決めた夜から真面目に考え、翌朝至った結論を伝えた花中だったが、清夏当人はあっさりと拒絶した。拒絶された花中は自信満々な握り拳を作ったまま、こてんと首を傾げる。

 大桐家のリビングは、朝からエアコンがフル稼働していた。灼熱地獄と化している屋外と違い、室内は大変心地良い気温が保たれている。その室温を満喫するように、清夏はソファーに寄り掛かった姿勢でだらけていた。着ているのは花中のお下がりのよれよれ服で、色気のない姿とよく合っていた。清夏はすっかり警戒心が溶けた様子である。大変喜ばしい事だ。

 しかしながらその喜ばしさが吹き飛ぶほどの衝撃を、花中は受けていた。

 花中には分からないのである。何故清夏が勉強を拒むのかが。

「……えっと、勉強を、したいと、思うのですが……」

「いや、聞き間違いとかしてないから。嫌だから」

「な、なんでですかぁ……?」

「なんでって……」

 花中に問われると、清夏は眉を顰めてしばし考え込む。

「わたし、勉強嫌いだもん」

 それから出てきたのは、大変お年頃な答えだった。

 しかし花中はお年頃ながら、割と勉強好きである。嫌いと言われると、どう説得したら良いのか分からない。というか断られた時の事を何も考えていなかった。

 無論諦めるというのは論外だ。清夏は今日まで人間として生きてきた自称中学生である。もしこのまま人間として生きるのであれば、最低でも義務教育は終えねばならない。つまり普通の生活に戻った際、再び中学校に通う訳だが……友達と学力に差が付いては精神衛生上よろしくないだろう。下手をすれば中学浪人もあり得る。

 清夏の話に間違いがなければ、四ヶ月以上勉強が遅れているのだ。この遅れは中々致命的である。足掻きに過ぎないかも知れないが、少しでも取り戻さねばなるまい。

「い、いや、でも、御酒さん、何ヶ月も、捕まって、いたんですよね? だったら、その、今のうちに勉強しとかないと、元の生活に戻った時に、苦労するかと……」

「大丈夫大丈夫、わたしテスト前にざーっと教科書読めば大体覚えていられるからさ。こんな勉強方法でも中の上くらい点数取れるんだから、別にサボってても平気でしょ」

「いや、それ多分覚えているんじゃなくて」

 伝達脳波で知識が伝達してるだけですから、進学するほど知識が専門化してきて辛くなると思うのですが――――喉元まで来ていた言葉を、花中はごくりと飲み込んだ。

 危ないところだった。伝達脳波について話したら、間違いなく清夏はその詳細を問うだろう。馬鹿正直に話せば清夏は自分が人間じゃないと気付く可能性があるし、話さずとも不信感から独自に調べ、自身の正体に辿り着く恐れがあった。迂闊な自分の言動を戒めねばと、花中は数秒押し黙る。

「……どしたの? 急に黙っちゃって」

 尤も、それはそれで清夏に疑念を抱かせてしまったようだが。

「あ、い、いえ、なんでも……えと、その、それで赤点は回避出来るかも、ですけど……でも、学校の勉強というのは、勉強の仕方を、覚えるためのものでも、あるんです。大人になった時、新しい事を知るためにも、今から勉強のやり方を、覚えた方が良いですよ」

「うへぇ……花中ったら先生みたいな事言うんだねぇ。別に良いもん、わたし実家の酒蔵継ぐから新しい事なんて覚えなくても。知りたくなったらスマホ使えば良いし」

 説得を試みる花中だが、清夏は聞く耳も持たない様子。寄り掛かっていた姿勢からソファーに寝そべり、ぐっだりと動かなくなってしまう。

 一晩経って、花中は理解した。この少女、途方もない物臭である。

 思えばフィアもミリオンもミィも、その他大勢のミュータント達も、多種多様な性格を持ちながら基本物臭であった。生物はエネルギーの消費を避ける生態を有するもの。何故なら余計なエネルギーを使わなければ、その分必要な食糧が少なくて済むし、繁殖時に投資出来るエネルギーを増やせるため、生存・繁殖に有利だからだ。その辺りの性質が反映されているとすれば、野生生物(ミュータント)が総じて物臭な性格なのも頷ける。

 ……まさかこんなところから、清夏にミュータントらしさを感じるとは思いもしなかった。ともあれこの調子だと、清夏が自主的に勉強を始める可能性はゼロに等しい。御酒清夏という一人の『人間』の将来を案じるならば、ここは心を鬼にして多少強引にでも勉強をやらせねばなるまい。

 そして花中には、その手段がある。

「……フィアちゃん。プランB実行」

「さーいえっさー」

 花中が呼べば何処からともなくフィアが現れ、素早い身のこなしで清夏の下へと歩み寄る。

 それからフィアは清夏をひょいっと、肩に乗せた。

「ひゃあっ!? え、何?」

「この手は、使いたくありませんでしたが、仕方ありません……フィアちゃんの力を借り、無理矢理にでも、勉強させます!」

「え!? 力を借りるって何!?」

「いえ私は大した事はしませんよ。ただ椅子に縛り付けて無理矢理教科書を開かせるだけです」

 言うが早いか、フィアは清夏をテーブル席に座らせるや水触手を伸ばし、宣言通り椅子に縛り付けた。シャーペンなどの勉強道具を持つため腕は自由だが、胴体は水触手でぐるぐる巻きにされている。清夏は最初慎重に、やがて本気で暴れたが、超生命体であるフィアの能力を小娘如きの力で振りきれる訳がない。

 動けなくなった清夏の前に、花中はばさばさと本……正確には教科書とノートを置いていく。花中が中学時代に使っていたものである。当然清夏が使っていたものより古い代物で、適切な教材ではないかも知れない。しかしないよりはマシであろうと考え、押し入れから引っ張り出したのだ。山積みになった教材を見るや清夏はギョッと目を見開き、尋常でない不快さを露わにする。

「ちょ、そ、それ数学の教科書じゃん!? わたし、ほんと数学とか化学とか嫌いだから無理! 読むと頭痛くなるから!」

「ダメです! 苦手なら、尚更勉強しないといけません! 安心してください。いきなり、難しいところは、やりませんし、時間も、掛けません。今日は三十分だけ、どれぐらい分かるか、確認するだけです。はいフィアちゃん、教科書開いて」

「はーい」

「ぐえぇぇぇ」

 ゾンビのような呻きを漏らす清夏を無視して、花中は数学の教科書を指差し、問題を解くよう促す。椅子から立てない清夏は渋々といった様子で教科書と向き合い、苦虫を噛み潰したような顔でだらだらと指示された問題を解いていく。

 渋々ではあるが勉強する清夏の姿に、花中は上機嫌な鼻息を吐き、笑みを浮かべながら胸を張る。まるでちびっ子がふんぞり返っているかのような、大変可愛らしい威張り散らし方だった。

 ……そしてそんな花中の姿を、ガラス戸越しに、庭の方から眺める猫とウイルスが一体ずつ。

「……なんか二~三週間ぶりに来てみたら花中のキャラが変わってるんだけど、どしたの? というかあの子誰?」

「あの子については後で教えてあげるわ。はなちゃんについては……あれね。明確な年下系に頼られて、お姉さんぶりたい年頃なのよ」

「子供かいな」

「子供でしょ、はなちゃんって割と」

 そーいうところは結構可愛くて好きだけど。

 個人的な感想を述べながらミリオンはくすくすと笑い、ミィはやれやれとばかりに肩を竦める。

 そうして『お姉ちゃん』の奮闘をしばし眺めていたケダモノ達だったが、やがてミリオンの顔から笑みが消えた。隣でその表情変化に気付いたミィもまた怪訝な顔になる。ただし不快そうなミリオンと違い、分からないと言いたげに。

「どしたの?」

「……ちょっと濃度が上がってきるわね。ストレスの所為かしら」

「濃度? なんの話?」

「つまり……あ、駄目ねこれ」

「は?」

 説明の途中でミリオンは不意に諦め、ミィは疑問の声を漏らす。

 されど説明を求める必要はなかった。

 花中の家からピカッと眩い光が放たれた瞬間、神域の反応速度を誇るミィは何もかも察したように達観した表情を浮かべたのだから。

 ……………

 ………

 …

「お姉さんぶるのは良いけど、こういう事が起こらないよう適切に管理するのが本当の大人だと思うわ」

「返す言葉もございません……」

 ミリオンからのお叱りを受け、正座をした状態から花中は深々と土下座する。

 大桐家の中で起きた『爆発』は、極めて小規模なものだった。

 小規模といってもガラス戸は吹き飛び、テーブルは砕け、リビングは真っ黒焦げになったが、幸いにして家の形は崩れていない。ミリオンの素人検査曰く耐久性もそこまで落ちていないようで、壁紙と床、その他壊れた備品を買い替えれば元通りになるだろうとの事。花中としては、その程度で済んで良かったと前向きに考える事にする。

 そして爆発の発生源は、勿論清夏。

 ミリオン曰く、清夏が数学の教科書を見ている間、大気中の『ガス』濃度がどんどん上昇していたらしい。恐らく無理矢理勉強をさせた事でストレスが溜まり、無意識の防御反応としてガスが分泌されたのではないかとの事である。所詮ストレス反応であり、フィアに追われた時のような生命の危機 ― を感じるような状況 ― ではなかったがために今回はじわじわと分泌され、結果起爆時点でのガス量が少なく低威力で済んだのだろうという話だ。

 無論低威力といってもガラス戸を吹き飛ばし、テーブルを砕くほどの破壊力だ。生身の人間が直に受ければ、重度の火傷と裂傷で死に至っただろう……が、花中はフィアが素早く守ってくれたので無傷である。フィアも当然無事だし、ガラス戸の側に立っていたミリオンとミィも傷一つ付いていない。そして爆発を起こした清夏自身も、服が吹き飛んだ以外は無傷である。

 ただし清夏だけは顔をすっかり青くし、ガタガタと震えていたが。勿論それは裸故に寒いからではないだろう。

「ご、ごめんなさい……わたし、わたし……!」

「あー、気にしないで良いんじゃない? はなちゃんがちょーっと考え足らずだったのが原因だった訳だし」

「うぐ……そ、その通りです……」

 ぐりぐりと頭を撫でられ、花中はミリオンの言に同意する。

 一応これでも本心からの言葉なのだが、清夏の表情は優れない。

「だけどいくらなんでも、ちょっと苛立っただけで暴発は危な過ぎない?」

 それどころか初対面であるミィのなんの悪意もない言葉に、清夏はますます顔を暗くしてしまう。

「ごめんなさい……わたしの、所為で……あ、あなたにも、酷い事、して……」

「ん? 酷い事? ……あー、あの爆発の事? 別にあんなへなちょこ攻撃なんでもないよ。ただ、こんな事で暴発してたらおちおち外出も出来ないと思うんだよねー」

「ああ確かに私もそれは疑問に思いました。あなた数学の時間は毎度教室を吹き飛ばしていたのですか?」

 ミィの隣に居たフィアが尋ねると、清夏はぶんぶんと力強く首を横に振る。まるで、そんな事は想像もしたくないと言わんばかりに。

「さ、させてない! そりゃ、授業中は割と寝てるけど、でもテストの時とかはちゃんと起きてやってたし……こんな、爆発なんて……」

 自分のした事を否定するように、ぶつぶつと答える清夏。フィアは不思議そうに首を傾げ、ミィもフィアと顔を見合わせて肩を竦める。

 反面花中は、そしてきっと花中の前で顎を摩りながら考え込んでいるミリオンも、清夏が爆発を起こしてしまった理由に一つ心当たりがある……いや、心当たりというほどのものではないが。

 恐らく、今の清夏は能力のコントロールが出来ていない。

 人間として暮らしていた間は、『能力』そのものを自覚しない事で無意識的に制御していたのだろう。しかし能力を自覚した事で、その無意識を失ってしまった。或いは「無意識に抑える」から「無意識に使う」に、体質が切り替わってしまったのだと推測される。

 これは一大事だ。震えている清夏自身が一番分かっているだろうが、嫌いな科目を勉強する程度のストレスで部屋を吹き飛ばすようでは日常生活など送れない。友達と遊ぶ事はおろか、親と暮らす事すら出来なくなる。元の生活に戻るためには、謎の集団を壊滅させるだけでなく、力の制御方法を身に着けねばならない。

 新たな問題であるが、しかし花中はあまり危機感を覚えていなかった。

 何しろ此処には、人智を超えた能力の使い手が三匹も居るのだから。

「ミリオンさん。普段、能力って、どうやって制御、しているのですか?」

「え? 制御って……」

 花中は早速、傍に居るミリオンに尋ねてみた――――ところ、何故かミリオンは目を丸くする。それから天を仰ぎ、逃げるように視線を背けて

「……あれ? 私、どうやって力のコントロールしてるのかしら……割とこう、なんとなーくやってたんだけど」

「えっ」

 極めて雑な回答に、今度は花中が目を丸くする。

「み、ミィさん! あの、ミィさんって、能力のコントロールは、どうやって……」

「え? そんなの、なんとなーくとしか。産まれた頃から使えたし」

 次いでミィに尋ねたところ、ミィもまた少し戸惑いながら雑回答を返す有り様。

「……フィアちゃんは」

「ふふんこの私にとって力のコントロールなど意識する必要もありません。自我に目覚めた頃からなーんも考えずに思いのままなんとなーく使えますとも!」

 そして最後にフィアに尋ねれば、話の流れを全く読めていないフィアが胸を張って予想通りの回答をしたので、花中はがっくりと膝を折った。

 どうやらフィア達全員が、今まで能力をなんとなーく制御していたらしい。今までそのなんとなーく制御されていた能力に命を預けていたのかと、今更恐怖がぶり返してくる花中だったが、顔を振ってその気持ちを振り払う。

 一度冷静に考えよう。

 ミュータント化した直後の生物 ― 例えばフィアや、海で出会ったスベスベマンジュウガニなど ― であっても能力を自在に使っている事から、ミュータントの力は経験や知識ではなく『本能』によって制御されていると考えられる。生物の本能というものは極めて正確なものだ。植物の開花時期が日照時間と気温で正確に算出出来るように、方程式のような美しさがある。経験なんていう『いい加減』なものではなく、本能によりコントロールされているからこそ、精密かつ無意識な能力の制御が可能なのだろう。

 ここから一つの推論が出来る。

 清夏が力をコントロール出来ないのは、自分が人間だと思い込む事で、本来持っている本能との乖離が起きているのではないか。或いは理性的に抑えようとしている所為で、本能との干渉が起きているのかも知れない。なんにせよ身体(能力)と意識がチグハグな状態なのだ。

 ならば解決方法は、このチグハグを解消する事。

 方法の一つは、意識を身体に擦り合わせる事だが……それは清夏に彼女自身の正体を教える事に他ならない。これは基本NGだ。やるにしても時間を掛けねば、清夏の心が壊れてしまう。

 必然、やるべきはもっと穏便な方法。

 つまり『身体』を意識に寄せるか、或いは互いに寄せていくか。

 そのために取れる策は――――

「……あ、あの……」

 考え込んでいた花中だったが、ふと服の裾を引っ張られながら呼ばれた事で我に返る。

 振り返ると、そこには目に涙を湛えた清夏が、縋るような眼差しを向けている姿があった。

 皆まで言わずとも、清夏の言いたい事はは分かる。

「や、やっぱり、わたし、この家から」

「大丈夫です!」

 だから清夏の言葉を、花中は遮る。

 驚くように目を見開く清夏に、花中は満面の笑みを返した。

 しかし花中は適当な事を言っている訳でも、根拠のない励ましをしている訳でもない。基本根暗で後ろ向き、自己不信気味な花中に、考えなしの励ましなど出来ないのだ。堂々と励ました以上、相応の論拠は持ち合わせている。

 清夏もまたミュータントだ。他のミュータントは易々と行っている能力の制御を、彼女だけが出来ないとは考え辛い。

 自意識の問題か、理性の問題か。いずれにせよ能力の使い方が分からぬのなら、使い方を覚えれば良いのだ。そして使い方が分からないのなら、やるべき事はただ一つ。

「そうは言うけど、何か対策でもあるの?」

 ミリオンからの問いに、花中は待ってましたと言わんばかりに親指を立てる。

 そして堂々と、或いは爛々と、はたまたうきうきしながら、こう答えた。

「はいっ! 特訓あるのみです!」

「「「「えっ?」」」」

 ミュータントだけでなく、『人間』さえも呆気に取られる根性論を……

 

 

 

「な、なんなのよ此処ぉぉぉ!?」

 此処ぉぉ……

 ここぉ……

 こぉ……

 清夏の絶叫が、辺りにこだまとなって響き渡る。かなりの大声量であったが、しかしその声が一般人に届く事はない。

 何故ならば此処は山の奥深くだから。

 加えて言うと密林染みた森が広がる薄気味悪い山……泥落山の最深部。登山客もバードウォッチングを楽しむ人も来やしない、本当の意味での大自然。

 そこに開いた、半径百メートルはあろうかという巨大クレーターのど真ん中だった。

「ふふふ。此処は、知る人ぞ知る、隠れた広間! 此処なら、滅多に人に、見られません!」

「いや、そーいう話じゃないんだけど!? なんでこんなクレーターなんかがあんのよ!? 隕石でも落ちてきたの!?」

 自信満々によって答える花中に、清夏は至極真っ当なツッコミを入れる。割とテンションだけで喋っていた花中は、ぶつけられた数々の問いで一瞬にして弱気に。思わず逃げ場を探してしまうが、一緒に来ているフィアはクレーターの縁をふらふら暢気に歩き、ミリオンとミィは清夏の傍に立っていて、隠れられる場所は何処も遠かった。その場でおどおどと身を縮こまらせる。

 実際、清夏の驚きも尤もである。

 花中達が立つクレーターは、ただの陥没などではない。地面は黒ずみ、タールが固まったような質感となっているのだ。さながら大地が、一度マグマのようにどろりと溶け、再び固まったかのように。超高温の何かが放たれたのは明らか。クレーターというよりも爆心地と呼ぶ方がしっくり来るだろう。

 その疑問に対する答えを花中は持ち合わせているが、しかし清夏の声に気圧され、中々上手く口が回らない。

「あー、此処はあれだよ。あたしが作ったんだ」

 怯んでしまった花中に代わり、当事者であるミィが答えた。

 尤もその答えに、清夏は目を丸くして固まってしまったが。やがて動き出した時には、花中よりも動きがぎこちなくなっていた。

 何分清夏とミィは今日出会ったばかり。一緒にこの場に来ているフィアやミリオンのように力を使うところを見た訳ではなく ― 実際には爆風を耐える圧倒的な『身体能力』を見ているのだが ― 、ましてや見た目自分と同じぐらいの小さな女の子なのだ。そんな『少女』がクレーター染みた地形を作り出すなど、どうしてすんなり信じられようか。

「え……こ、これ、あなたがやったの……?」

「うん。まぁ、正確にはあたしと、戦った奴等との共作みたいなもんだけどね」

「共作? え、奴等って、他にも超能力者っていっぱいいるの!?」

「んー? 超能力者ってあたしの事? まぁ、あたしみたいなのはまだまだいるんじゃない? 世界は広いって言うし。ただ、此処で戦ったのは超能力者なんかじゃないけど」

「じゃ、じゃあ何者……?」

「五十メートル近い怪獣何匹かと、なんかいっぱいいた子分だよ。いやー、火を吹かれたり、殴られたり、中々歯応えがあって楽しかったなぁ」

「……………」

 事実を知ったところで、信じられるものでもないが。

 ミィの話をどう受け取ったのか。口から漏れ出るため息で語る清夏は、幾分落ち着きを取り戻してから改めて花中と向き合う。

 花中も平静を取り戻しており、今ならちゃんと説明が出来る。背筋を伸ばし、清夏としっかり目を合わせた。

「それで? 此処に連れてきてどうするつもりなの?」

「は、はい。えと……御酒さんは、力に目覚めたばかりで、能力の使い方が、あまりよく、分かっていないのだと、思います。だから、ちょっとした事で、能力が、暴発してしまう」

「……そう、なのかな」

「わたしは、そう思います。ですから、これを直す方法は、一つ」

 ビシリッ! と音が聞こえそうなほど力強く、花中は人差し指を清夏に向ける。向けられた清夏は、花中の突然の仕草に驚くように半歩後退り。

「ひたすら、爆発を起こして、練習するのです」

 その後退りも、花中のこの言葉を聞いた瞬間に止まったが。

「練習?」

「はいっ! 爆発は、確かに御酒さんの、『超能力』ですけど、でも、人体が使う、力には変わりありません。なら、使えば使うほど、その力の使い方が、分かる筈。どんな超人的、スポーツ選手でも、天才科学者でも、練習や勉強(トレーニング)によって、その力は、高められていくのです。超能力だけが例外なんて、それも変な話だと、思いませんか?」

「な、成程。確かにその通りね。そっか、トレーニングか……」

「此処なら、人に見られる心配も、巻き込む心配も、ありません。ドカンと、たくさん爆発を起こして、使い方をマスターすれば、良いんです!」

「お、おぉ……!」

 花中の説明を聞くほどに、清夏はその目を煌めかせていく。希望に溢れ、未来への明るい気持ちが芽生えているのが一目で分かった。

 勿論、努力が必ず実るとは限らない。花中の提示する方法が正しいという保証もない。しかし努力をしなければ叶う夢にも手が届かなくなる。無駄な事はすべきではないが、何もしないよりはマシというものだ。

 加えて、花中にはもう一つ思惑がある。

 特訓となれば、清夏は爆発をたくさん起こす事になる。ミリオンから聞いた話では、その爆発は清夏から放出されるガスが原因だ。たくさん爆発を起こせば文字通りガス欠となり、能力の抑制になる可能性がある……フィア達ミュータントの驚異的スタミナを鑑みると、あまり期待は出来ないが。しかしトレーニングのついでならやってみる価値はあるだろう。

 懸念があるとすれば『あの生物』の存在だが、あれらは先月数十万単位で死んでいる。一匹二匹小さい個体が出てくる事はあるかも知れないが、フィア達からすれば文字通り虫けらだ。難なく追い払ってくれるだろう。考慮する必要はない。

「成程、そういう考えなら賛成だわ」

 花中の説明を聞き、ミリオンも同意を示した。

「ミリオンさんも、そう思ってくれますか?」

「ええ。私は生まれつき苦もなく能力を使えたけど、大きな力を振るったり、難しい技を使うには多少なりと練習はしたもの。特訓は確実に効果があるでしょうね」

「そうなんだ。ふぅん、練習したんだ……んふふ」

 ミリオンの話に、清夏は笑みを零す。明るい未来がますますハッキリと見えてきたのだろう。花中としても、ミリオンからのお墨付きが得られればとても心強い。

「ほーんそういう理由でしたかぁもぐもぐ確かに此処はもぐもぐ特訓向きかも知れませんねぇもぐもぐ」

 更にフィアも納得してくれた。友達二匹から同意してもらえた花中は自分の考えに一層自信を持って

 フィアの方へと振り返り、全身を強張らせた。

 フィアはもぐもぐと顎を動かし、何かを食べていた。食べているのは構わない。お腹が空いて、良い感じの獲物を見付けたのだろう。

 問題はその獲物らしきものが、フィアの片手が尻尾を掴んでいる……体長十五メートルほどの白くて不気味な怪生物である点。

 あまりにも異様な生物を目の当たりにして、清夏は目を見開き、漫画のように口をあんぐりと開いていた。花中がその後普通に喋れたのは、一度その生物を見ているからに他ならない。同時に、見ているからこそ受け入れられないところもある。

「……あの、フィアちゃん? それは……何?」

「何って白饅頭ですけど? この前食べたじゃないですか。コイツはその辺を歩いていたのを見付けたので捕まえました」

 思わず尋ねれば、フィアはキョトンとしながら答えてくれる。フィアからすれば何を当たり前の事をと思っているに違いない。

 確かに、ミィは彼等を絶滅させた訳ではない。

 しかし何十万もの個体を叩き潰したのも事実。繁殖力を鑑みても、一月かそこらで簡単に見付かるほど増えるとは思えない。何かがおかしい――――

 否、おかしいのではない。

 単純に、自分が勘違いしているのなら?

 彼等の数が、自分が思っていたよりもずっと多かったなら?

 ミィにあれだけ殺されても、まだまだ全然減っていないとしたら?

「それにしても、はなちゃんも結構スパルタよねぇ。意外とSなのかしら?」

「ほんとほんと。いきなりこれはマジでキツいと思うんだけど」

「そうですか? 雑魚ですし何匹居ても大した練習相手にはならないのでは? それに美味しいですし花中さんは優しいなと思ったのですが」

 『生き物』達は誰もが気付いていた。気付いていないのは『人間』だけ。しかしその事を察しても最早手遅れ。

 不意に、大地が揺れる。

 クレーターの至る所が隆起する。唸り声が響き、森全体が震える。鳥達が慌てて逃げ、森の獣達が怯えて姿を隠す。

 そして大地を突き破り――――数十体の三十メートルはあろうかという巨大個体と、数百はいるだろう数メートル級の白饅頭が現れた。ご丁寧に、花中達を包囲する形で。

「ほげえええええええええええっ!? なななななな何これええええええっ!?」

「おーまだこれだけ隠れていましたか。こいつ等美味しいですから頑張って捕まえると良いですよ」

「食べるの!? え、食べるのこれ!?」

 唐突に現れた怪物に取り乱す清夏を、フィアが能天気に励ます。ハッとした清夏が見渡せば、ミリオンもミィも生暖かい眼差しを向けるばかり。

 どう見ても、助けてくれる気配はない。

「かか花中! ど、どうしよう!?」

 ついに清夏は、一番無力な花中に助けを求める。

 されど花中は何も答えない。答えぬまま、空虚な眼差しで白饅頭達を眺めるのみ。

 ……眺めていればマシだったのだが。

「き、気絶してるぅぅぅぅ!?」

 うっかり身構えるのを忘れてしまった小心者(花中)は、あっさり意識を手放していた。最早ただの置物である。ガシッと肩を掴んだ清夏の手が激しく身体を揺さぶるものの、花中の意識は戻ってこなかった。

「大丈夫、こいつ等そんなに強くないからきっと勝てるわよー」

「無理無理無理!? どう考えても勝てないってこんな怪獣!?」

「死にそうになったら助けてあげるから、それまでは頑張りなー」

「一撃貰ったら即死だと思うんだけど!?」

「もしゃもしゃうまうまー」

「さっきから食べてるけど本当にそれ食べて平気なの!?」

 まるで助ける気がない三匹にツッコミを入れながら、清夏は再度白饅頭と向き合う。おぞましい外見に清夏はすっかり顔を青くし、ガタガタ震えながら後退り。

 それでも必死に笑顔を浮かべようとするのは、己に敵対する意思がない事を必死に伝えるためか。

 するとどうだ。白饅頭達も同じく笑みを返してきた。友好的な反応に清夏の笑みは自然なものへと変わっていき

 白饅頭の口からだらりと垂れた涎を見て、やっぱり顔を青くした。

【ギシャアアアアアッ!】

「みゃぎゃああああっ!?」

 おぞましい咆哮と重なるように、清夏の悲鳴が森にこだまする。

 次いで森に、核でも炸裂したかのような爆音が轟くのであった。

 

 

 

「……死ぬかと思った」

「ごめんなさい……」

 殆ど沈んでいる夕日が照らす市街地の道をとぼとぼと歩きながら清夏がぼやき、花中は謝罪の言葉を伝えた。花中は無傷だったが、清夏は全体的に煤けていて、服もボロボロになっている。

 泥落山で襲撃してきた白饅頭達は、清夏の力によって撃退された。

 とはいえ一撃で全個体を吹き飛ばした訳ではない。爆発は規模こそ大きかったものの威力が足りず、白饅頭達の殆どはその衝撃を耐え抜いていた。家すら吹き飛ばす爆発が効かず、清夏は右往左往しながら何度も何度も爆発を喰らわせ、どうにかこうにか撃退した。正確には小さいものだけで、大きい個体は無理だったが、そこはフィア達がけちょんけちょんにした……らしい。

 生憎花中は最後まで気絶していたので、清夏や友達の活躍は見ていないのだが。これらは全てフィアからの伝聞である。連れてきた身でありながらこの体たらく。恥ずかしさと申し訳なさから、思い出すだけで顔が赤くなってしまう。

「いやぁ流石花中さん。あんな雑魚では練習にもならないと思っていましたがコイツの弱さをちゃんと分かっていて適切な相手を用意したのですね」

 ましてや白饅頭と戦わせる気など毛頭なかったので、背後から抱き付いている体勢のフィアから褒められても、花中は胸が締め付けられるだけだった。

「うぅ……ごめんなさい。もっと、ちゃんと下調べをしておけば……」

「まぁ、結果的にはフィアの言う通りだったし、良いんじゃない?」

「そうね。力の使い方は格段に上手くなったわよね」

 しかも褒めてくるのはフィアだけでなく、ミィとミリオンまでもが、である。

「……確かに、上手くはなったけど。そこだけは感謝してあげる」

 挙句、清夏さえも。

 実際『特訓』の効果はあった。

 白饅頭に散々襲われ、何度も能力を使った事で、清夏は特訓前と比べ格段に力のコントロールが出来るようになっていた。生命の危機というものは、やはり大きな成長を起こすきっかけとなるものらしい。特訓前は能力の規模と感情が直結していたが、今では抑え込む事も、大きくする事もある程度自由に出来ている。これなら数学の勉強中に爆発を起こす事はない! と、清夏本人が語っていた。能力の暴発に思い悩んでいた彼女がこう言うのだから、余程自信が付いたに違いない。

 反省点はある。しかし良かったところもたくさんある。

 なら、これはこれで否定するものではないのだろう。

「……うん」

 こくりと頷き、花中は友達からの褒め言葉を受け止めた。

「じゃあ、今なら勉強、ちゃんと出来ますね?」

「うぐ。い、いや、それはものの例えというか……ほ、ほら、もしかするとやっぱり暴発するかもだし、止めといた方が」

「今日より、小さい爆発なら、何回起こしても、平気ですよ? フィアちゃんが、守ってくれるし」

「ふふんその通り。この私の力ならあなたのへっぽこ爆発から花中さんを守るなど造作もありません」

「ぬぐぐ……」

 暴発が脅し文句にならず、清夏は悔しそうな声を漏らす。

 その姿がなんとも可愛らしくて、花中は思わず吹き出してしまう。

 今日も大騒ぎだったが、こうして最後は笑えるぐらいには楽しかった。笑われた清夏はぷっくり頬を膨らませていたが、それは決して『憤怒』の顔ではない。彼女もきっと、『楽しさ』を感じてくれたと思いたい。

 今日みたいなトラブルは勘弁。

 だけど今日みたいに楽しい日は、ずっと続いてほしい。いや、きっと続くに違いない。

 花中はそう信じながら、清夏との帰路も楽しもうとした。

「花中さん」

 その想いを阻むように、フィアの乾いた声が花中の名を呼ぶ。

 花中は足を止めた。どうしたの、とは聞かない。お喋りに夢中にならないで周りを見渡せば、何もかもがすぐに分かる。ミリオンとミィも足を止め、清夏の小さな悲鳴だけが町に響く。

 辺りは既に、廃墟と化していた。五ヶ月前の激戦の爪痕であり、花中の自宅周りに広がっている景色。今更動揺するようなものではない。

 けれども、その景色の中に立つ『人間』達は別。

 スズメバチ駆除の業者のような格好。ずらりと数十もの数が乱れなく並ぶ統率性。そしてフルフェイス越しでも分かる全身の生気のなさ。問い詰めたところで答えてはくれないだろうが、問い詰めなくても彼等の正体は明らかである。

 清夏を付け狙う謎の防護服姿の集団。

 奴等が再び、自分達の前に現れたのだ――――




努力・友情は花中の大好物です(勝利はあまり興味ない)

次回は3/24(日)投稿予定

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