彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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第二章 孤独な猫達
孤独な猫達1


 ガタン、ガタン。ガタン、ガタン。列車がレールの継ぎ目の上を通過する、規則正しい音が夜の町に鳴り響く。

 その音を聞きながら、列車の運転士は真剣な眼差しで前を見据えていた。

 運転士として勤める事二十年。間もなく五十代を迎えようとしている彼にとって、深夜の運転も手慣れたものだった。不規則な勤務シフトにも人間の身体というのは存外適応出来るようで、町が静まり返った時間に働くのもさして苦ではない。その上回送電車となれば乗客対応やドアの開閉も必要ないので、運転にだけ集中出来る。

 とはいえ、だから幾分気を抜けるというものではない。いくら人を乗せていなくとも、一両当たり数十トンにも及ぶ鋼鉄の塊が十一両編成で、時速百キロ近い速さで走っている事実は変わらないのだ。これが万が一にも人間とぶつかればどうなるか……二十年という勤務歴の中で、数えられる程度には『それ』を目の当たりにした彼は良く知っている。しかも今列車が走っている場所は、周囲にたくさんの家が並ぶ住宅地のど真ん中。小さな事故が大惨事に発展してしまう可能性もある。

 加えて今宵は小振りとはいえ雨。ただでさえ遠くまで見通せない暗闇が、窓に張り付く雨粒で歪み、滲んでいる。危機は直前まで発見出来ないだろう。一瞬の油断も許されない。

「……信号良し」

 線路脇に設置されている信号が青なのをしっかりと確認した上で、その場を通過。二十年の勤務で培った運転技能と経験を動員し、適度な集中力を維持しながら彼は粛々と列車を走らせ――――

 不意に、目を見開いた。

 線路上に『何か』ある。大きさはざっと二メートル。

 暗闇と雨粒のせいで正体は殆ど分からず、そして、故に今まで気付く事も出来なかった。距離からして、『何か』と列車が接触するまで一秒とない。瞬きしているうちに終わってしまう時間でまともな考えなど浮かぶ筈もないが、彼の頭には一つの文が雷撃の如く速度で駆け巡った。

 『それ』が()()()()、このまま衝突するのは不味い!

「ぐっ!」

 殆ど本能で急ブレーキを作動。だが、高速で走る列車が止まるにはあまりにも時間が足りない。しかもレールは雨で濡れていて滑りやすくなっている。落ちた速度はほんの僅か、運転手である彼が慣性として感じる程度でしかない。

 憐れ、線路上に現れた物体と列車は激突。無残にも、宙を舞うほどに激しく弾き飛ばされてしまった。

 ――――『列車』の方が。

「……え……?」

 運転手はその瞬間、何を思ったのか? ……何も思っていない。ただただポカンと口を開け、衝撃で浮かび上がった身体をばたつかせる事もなく、間抜け面で迫りくる地面を凝視するだけ。

 尤も、考えたところでどうにかなる状況ではないのだが。

 列車はレールを大きく外れ、車両の頭から墜落――――車体はひしゃげ、金属が砕け散る音を奏でながら転がり、周囲の柵や電灯を滅茶苦茶にして、ようやく止まった。

 いくら眠っていても、これほどの大事故に気付かぬ者は居ない。パッ、パッと線路近くの家に明かりが点き、中からパジャマ姿の人々が、傘を差してわらわらと出てくる。最初は眠気の混じりの顔ばかりだったが、やがて凄惨な電車の姿に気付いたのだろう。誰もがギョッと目を見開き、ざわめきの声がそこかしこから上がる。衆目は今や電車にしか向いていない。携帯電話やスマートホンを持ってきた者は、写真や動画を取り始める始末。

 線路からゆらりと出て、街灯の光が当たっていない草むらまで移動した二メートル近い『何か』など、誰も見ていなかった。

「ふん……これを前にしてまだ自分達の安寧が保障されていると思い、のうのうとしている。全く、何処までも身勝手で、思い上がった種族だな」

 『何か』は忌々しげにそう言うと、草むらの中でしゃがみ込む。と、どうした事か『何か』は少しずつ小さくなっていき、ついには草むらの中に埋もれてしまった。

 そしてガサガサと草むらを揺らしながら、暗闇の中へと消えていく。

「それにしてもアイツ、俺が下見に行っている間に何処に出掛けたんだ……そろそろ頃合いだから知らせようと思ったのに」

 唯一残した悪態も、漆黒の暗闇に溶けて跡形も残らなかった……




次回は明日、7/24投降予定です。

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