彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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目覚めるパンドーラ9

 二度目の空爆から、三十分ほどが経った。

 空に飛行機はなく、三度目の攻撃が始まる気配はない。『マグナ・フロス』の高度な迎撃能力を目の当たりにし、不用意に希少な戦闘兵器を飛ばす愚かな国はいないようだ。

 しかし『マグナ・フロス』の撃破を諦めた訳ではないだろう。否、諦める訳がない。

 諦めるという事は、人間の心を操る植物が、世界を埋め尽くさんばかりに生える景色が広がるのを認めたのと同義なのだから。世界は霧に閉ざされ、大地から生えた数十メートルもの巨木がビルを貫き、隆起した地面により交通網が寸断されるだろう……この植物園のように。

 英知を砕かれた人類は、しかし古代種に魅了され、乱痴気騒ぎを始めるだろう。やがて文明は衰退し、生きる術を失った人類は滅びるのだ。古の植物が現代に根付くための、一時の苗床として。

 そんな事を甘んじて受け入れるほど、人類とは諦めの良い種族ではない。

「空爆が通じない以上、残す手立ては一つだ。大量のミサイルを投入し、迎撃能力を上回る飽和攻撃によって殲滅する。これしかないね」

 研究所の玄関口にて、水球の中に居る星縄が語る『最後の手段』――――それが、いよいよ現実のものになろうとしていた。

 星縄の意見に賛同するように、ミリオンはこくこくと頷く。

「ま、それしかないわよねぇ。それも恐らく核、正確には水爆を使うでしょうね」

「ああ。一人の人間として言わせてもらうけど、人類はそこまで馬鹿じゃない。『マグナ・フロス』の出現方法を目の当たりにして、地下茎を用いた繁殖には気付いているだろう。確証はないとしても、可能性を見過ごせるような相手じゃない。確実な駆除をするには、植物園の全敷地より更に広い範囲を、地下数十メートルまで蒸発させる必要がある。それが可能なのは、現代兵器の中じゃ水爆ぐらいだ」

「ま、本当に駆除出来るなら、それが悪手だとも思わないけど。問題はあれだけ大きいと、地下数百メートルぐらいまで地下茎が伸びてても不思議じゃない事かしら。いくら大量の水爆でもそこまで削れるかしらねぇ。案外普通の除草剤の方が確実かも」

「除草剤って、大きくなると効きが悪くなるからなぁ……生理作用によってはそもそも効くか分からないし、効くにしても時間が掛かるし」

「何より、それじゃあ洗脳された人達は助からない」

 同意を求めるような、ねっとりとした言い回し。

 ミリオンに目線だけを向けられた状態でその言葉を聞いた、星縄と同じく水球内に佇む花中はゆっくりと頷く。そして己の手の内にある、テニスボールほどの大きさの黒い『球』に目を向けた。

 ほんの数十分前に倉庫で見付けた、正体不明の『球』。

 何もかもが推測だ。確証なんて何もない。だからこれが失敗したなら、フィアに全てを終わらせてもらわねばならない。例え洗脳された一万を超える人々が、二度と日常に戻れなくなったとしても。或いは今からやろうとしている作戦が成功しても、洗脳された人々は元に戻らないかも知れない。

 例えるならこれは、足下の地面を掘って埋蔵金が出てくるのを期待するようなもの。

 だが、やらなければ確率はゼロだ。例え百万分の一、一億分の一の可能性だとしても、ゼロよりはマシである。最初から諦めるぐらいなら、何もかもやってから諦めたい。

 だから花中はその手に持つ『球』を、水球の内壁に押し当てる。『球』はずぶりと内壁に入り込み、移動し……花中を包む水球の隣に立つ、フィアの下へと送られる。

 『球』を受け取ったフィアは、にたりと笑みを浮かべた。

「むふふふふ。上手くいけば食べ放題失敗しても後から回収していただけば良し……良いですねぇこういう作戦なら何時だってどーんと来いですよ」

「フィアちゃん。後は全部、任せた」

「ええ任されました」

 神妙な面持ちの花中に、フィアは能天気な答えを返した。くるりと舞うような軽やかさでフィアは玄関口の方へと向きを変え、

「それではちょっと仕込みに行ってきますねー」

 お気楽な言い回しと共に、研究所の外へと跳び出した。

 それは文字通りの跳躍。花中達を守る水球は研究所に置いていき、フィアだけが何十メートルもの高さまで跳ぶ。腰の辺りからは花中達を包む水球と自身を繋ぐ、二本の糸状のものが伸びており、それもまた何十メートルと伸びた。

 人間の身体能力を軽く超えたジャンプにより、フィアは研究所の側にあった、十階建ての建物の屋上に難なく着地する。何事もなかったかのようにその場で背を伸ばし、眺めるはそびえ立つ無数の『マグナ・フロス』。

 現在地上に生えている『マグナ・フロス』の数は百二十七。花中に頼まれ、地面に水を走らせてその本数を数えた。植物園の至る所から十~二十メートルほどの木々が乱立し、古生代の森のような景色を作っている。時刻はすっかり夜遅くなのだが、施設の至る所からライトアップされており、フィアの目でも奴等の姿は簡単に拝める事が出来た。そして植物園の中央には、唯一五十メートル近い高さまで育った巨大『マグナ・フロス』が生えている。

 人間ならば圧倒され、動揺し、心乱されるだろう光景。尤も、フィアには「変な森」ぐらいの印象しかなかったが。 

 それは『マグナ・フロス』達が、一斉に自分の方へ()()()()()としても変わらない。

「ほほうこの私がどれだけ強いか今更ながら察したという事でしょうか? それとも私が持っているコイツに気付いたからですか?」

 口を持たない『マグナ・フロス』に、フィアは問い掛けてみる。無論、答えは返ってこない。

 花中であれば、どうして『マグナ・フロス』がこちらを振り向いたのかを考えただろう。オジギソウのように細胞の膨圧が何かしらの刺激によって変化したのか、或いはフィアが持つなんらかのエネルギーに反応したのか、それともフィアの持つ『球』が放出する物質に反応したのか……

 しかしフィアは花中とは違う。そんな小難しい事は考え付かないし、万一脳裏を過ぎっても、聞かされたとしても、興味などない。

 考えたところで、無意味なのだから。

「まぁなんでも良いですね。どんな形であれあなたはここで終わりなんですから」

 フィアは獰猛な、捕食者の笑みを浮かべながら独りごちる。

 まるでその笑みを見たかのような、それとも独り言を聞いたかのように。

 一本の『マグナ・フロス』の花から、ビームが如く勢いで液体が放たれた! あまりの勢いに『マグナ・フロス』もコントロールを失ったのか、液体ビームは鞭のようにしなり、通り道にあった四階建ての建物に命中。コンクリートで作られた頑丈な建造物は、豆腐のようにあっさりと切り裂かれた。崩落音を奏で、無惨な廃虚へと変貌する。

 そして液体は的確に、フィアをその射線上に捉えていた。真っ直ぐ、音速に匹敵する速さで液体はフィアへと迫り

 フィアは避けもせず、直撃した液体ビームを()()()()()

 否、耐えたというのも正確ではない。

 フィアからすればこんなもの、ハエがたかる程にも感じていないのだから。

「ふんつまらない攻撃ですねぇ。仕返しする気にもなりませんよ」

 液体ビームを身体で受け止めながら、フィアは散歩するような足取りで前へと踏み出す。屋上から跳び下りる時こそビルに水を這わせて固定したが、地上に降り立ってからはただただ歩くだけ。分散するように飛び散った液体ビームの残骸が、周りの建物を虚しく砕いていく。

 立ち止まらないフィアに、他の『マグナ・フロス』も液体ビームを撃ち込み始めた。しかしフィアの歩みは止まるどころか、遅くなる事すらない。ビルをも薙ぎ払う一撃が何十本集まろうと、フィアが繰り出す一歩はその圧力を押し返す。飛び散る液流が周辺を灰燼と帰す中、フィアだけが涼しい顔をしていた。

 もしもこの液体ビームが水を含んだものでなかったなら、フィアとて多少は気合いを入れて歩かねばならなかっただろう。

 しかし『マグナ・フロス』が放つ液体は、九割以上が水で出来ていた。如何に出鱈目な力を持とうとも()()()()()でしかない『マグナ・フロス』にとって、無尽蔵に吸い上げられる水はビームの原料に最適だったのだ。しかし水を自在に操れるフィアにとって、水を含んだ攻撃など脅威とはなり得ない。それどころか当てられた液体ビームに能力を通し、『マグナ・フロス』を内側から、細胞レベルで粉砕してやる事すら造作もないのである。

 それをしないのは、今回は目的があるからに他ならない。

 故に反撃もせず、黙々とフィアは進み続ける。真っ直ぐな歩みで目指すのは植物園の中央に生える――――巨大『マグナ・フロス』。

 あの巨木こそが、植物園に生えている全『マグナ・フロス』と地下で繋がっている親玉である事さえも、フィアは既に調べ上げているのだ。そして花中から託された『球』は、全ての中心で使わねばならない。

 液体ビームの猛攻をものともしないフィアに、脳どころか神経すらない筈の『マグナ・フロス』が危機感を覚えたとでも言うのか。液体ビームを中断するや、今度は地中を走らせていた根で、フィアを貫かんとする! 展示会で出された『マグナ・フロス』も根を動かし、人の首の皮を貫いて脊髄に達してみせた。此度フィアに迫ろうとする根は、その何十倍も巨大であり、ドリルのような螺旋を描いている。展示会の『マグナ・フロス』は人間に止めの洗脳をするために根を突き立てたのだろうが、今フィアの目の前にある根は明らかに用途が異なる。

 これは天敵などを追い払うための、攻撃用の根だ。

「ああん? こんなもの」

 一撃で粉砕出来る――――出来るが故に、フィアは振り上げた腕を止めねばならなかった。何故かは忘れたが粉々にしちゃいけないと言われていた……『マグナ・フロス』になんの脅威を感じていなかったがために、フィアは花中の言いつけをふと思い出せたのである。

 仕方なくフィアは迫り来る根に、素手で掴み掛かる。素手とはいっても能力で形作った『作り物』の手だ。舗装されたコンクリートを粉砕しながら迫る、ナイフよりも鋭利な根っこの先端を易々と掴んでみせた。

 されど『マグナ・フロス』は植物。根は無数に存在する。更に何十本もの根がコンクリートの路上を突き破り、フィアを串刺しにせんと襲い掛かる!

 フィアは掴んでいた根っこを素早く手放し、新たにやってきた根を軽く小 突いた。そう、フィアにとってはあくまで軽めの一撃……しかし重さ百キロはあろうかという巨大な根は小枝のように押し返され、轟音と共に倒れ伏す。他の根が何本来ようと変わらない。

 ついには埒が明かないとばかりに、一層巨大な根が大地から生えてくる。持ち上げられた際の高さは五十メートルを軽く超え、竜のような姿だ。それほどの巨体を形成する細胞が、脈動・伸縮して運動エネルギーを生成する。まるで金属が引き裂かれているかのような歪な音が、根っこ全体から響いていた。

 そしてさながらバネが跳ねるように、一瞬にして音速の数倍もの速さに加速した根がフィアへと振り下ろされる!

「っ!」

 これにはさしものフィアも両腕を頭上で交差させ、足を開いて腰を落とす。

 立ち止まったフィアを、『マグナ・フロス』の根は超音速で容赦なく叩き潰す。重量数百トンにもなる物体が超音速で地面に激突し、巨大な衝撃波が放たれる。近くにあったコンクリート製の建物は爆破されたように吹き飛び、大地は海のように大きくうねった。付近に生身の人間がいれば、今頃跡形もなく消し飛んでいるに違いない。

「っだぁ! 鬱陶しいッ!」

 だが、フィアは健在。

 苛立ちを露わにした雄叫びと共に、自分の頭上にある根を殴り付けた!

 フィアにはミィほどの怪力はない。しかしそれでも自重の何十倍もの重さを軽々と持ち上げるだけのパワーはある。怒りに任せて放った一撃は、数百トンもの質量を誇る根さえも高々と打ち上げ、生じた反作用により自らの足下に巨大なクレーターを生み出した!

 打ち上げられた根は大きくしなり、悲鳴にも聞こえる音を発しながら軋む。生半可な木ならば一瞬でへし折れたであろう打撃に、『マグナ・フロス』の強靱な繊維はギリギリで堪え抜いた。

 危うく木の根を砕いてしまうところだったが、頭に血が昇ったフィアは折角思い出した花中の言いつけを一瞬で忘れる。自分のやらかしたミスに気付きもせず、フィアは駆け出した。一歩踏み出せば大地は陥没し、爆発的な加速を得る。人間ならば即死してもおかしくないGがフィアの生身部分に掛かるが、能力で操った体液を用いて強引に無効化。フィアの身体は瞬きする間もなく時速数百キロに到達した。

 人間どころか獣すら追い付けない、神速のダッシュ。愚鈍な植物である『マグナ・フロス』に追える訳もない。接近するフィアを迎撃せんと地面から無数の根が飛び出すが、全てフィアが通り過ぎた後から出てくる有り様である。駆け抜けるフィアの『身体』には掠りもしない。

 ついにフィアは巨大『マグナ・フロス』の根元に接近。

 その根元には、数え切れないほどの人間が群がっていた。

 鑑賞者達だ。『マグナ・フロス』を崇めるためか、男も女も、老いも若いも関係ない大集団を作っている。彼等は銃器や鈍器を持っていたが、『マグナ・フロス』の動きに戸惑っているのか、動揺したように右往左往するばかり。迫り来るフィアに進路を譲ろうとはしない。

 彼等はフィアからすれば蹴散らすなんて容易い雑魚であり、傷付ければ花中が悲しむお邪魔キャラ。頭上を跳び越してやろうかとも考えたが、ふと違和感を覚える。暗くてフィアの目にはよく見えないが、どくやら『マグナ・フロス』の根が空中に展開されているようだ。迂闊に跳び込もうとすれば根にぶつかり、跳ね返される事が容易に想像出来る。

 その程度で怪我をするほど柔ではないが、折角詰めた距離を開けるなんて面倒は御免だ。地上を駆ければ、例え根が目の前を塞ごうと無理やりこじ開けられる……しかしそれをすると、鑑賞者達を蹴散らしてしまう。

 『難問』を前にし、フィアは思考を巡らせる。

 尤も、時間にすれば瞬き一回にも満たないほんの刹那の時。その考えは何処までも浅く、本能に従ったものでしかない。

 フィアは、鑑賞者達の間をすり抜けるという極めて雑で強引な解決策を採用した。

「――――ッ!?」

 ようやくフィアの足音が聞こえたのか、鑑賞者達が振り向こうとする。だが、秒速百メートルを超える速さに人間が反応出来る筈もない。

 棒立ちする鑑賞者達に手が届く位置まで接近したフィアは、その『身体』を素早く変形させた。絶世の美少女がぐしゃぐしゃに潰れながら捻じれ、ヘビのような細長い体躯へと変貌する様は、花中のような小心者が見れば気も遠退くだろう。本体の高さがあるため縦三十センチよりは小さくなれないが、幅は十センチもない。

 野生動物の本能に任せ、ヘビと化したフィアは鑑賞者達の隙間を素早く縫っていく。狂信者と化した彼等もフィアの『変身』には驚愕したのか、捕まえるどころか跳び退く者までいる始末。フィアは難なく巨大『マグナ・フロス』の根元まで近付き、その細い『身体』を幹に巻き付けた。

 ようやく鑑賞者達もフィアが自分達の『神様』に何かしようとしていると気付いたのか、慌てて集まってくる。しかしもう遅い。フィアは細長くなった『身体』を巻き付けるようにして、『マグナ・フロス』の幹を登り始めた。数メートルも登ってしまえば、もう鑑賞者達には何も出来ない。彼等には、『マグナ・フロス』を傷付けるような真似は出来ないのだから。

 後はもう消化試合だ。

 植物園中に生えている『マグナ・フロス』から液体ビームが飛び、根が唸りを上げながら襲い掛かり、巨大『マグナ・フロス』のてっぺん……花からは銀幕のように洗脳粒子が溢れ出す。フィアが跳ね返した液体ビームが植物園の温室を幾つも破壊し、押し返した根が資料館を叩き潰して、洗脳粒子はそれらの余波で紙吹雪のように舞い上がる。それは人間にとっては破滅的で、終末的な光景だったが、フィアにとっては賑やかしでしかない。一層感情を昂ぶらせながら、フィアはするすると登り続ける。

 ついにフィアは巨大『マグナ・フロス』の頂点に辿り着き、ヘビのようだった『身体』を元の金髪碧眼の美少女へと戻す。

 瞬間、巨大『マグナ・フロス』の頂点――――花の中心から特大の液体ビームが放たれた!

 が、フィアはそれを指先一つで、触れた先から軌道を捻じ曲げる。有効射程一万メートルオーバーの攻撃は、遠い彼方に茂る森林の一部を吹き飛ばした。

 巨大『マグナ・フロス』は延々と液体ビームを放ち続けたが、フィアの指先を震わせる事すら出来ない。段々とその出力は衰え、二分も過ぎた頃には噴水程度の勢いしかなくなっていた。

「ようやくバテましたか。これでコイツを使えますね……苦労に見合うものであれば良いのですが」

 一個の巨大生命が疲弊した前で、フィアは淡々とぼやきながら片手を前に突き出す。そのまま手を開き――――中にあった『球』が、ぽとりと『マグナ・フロス』の花の上に落ちた。

 花の上に落ちた『球』は、なんら変化を見せない。フィアは腕を組みながらじっと見つめていたが……何秒経とうと、何十秒過ぎても、『卵』に目に見える変化は起こらない。もう、死んでいるかのようだ。

 だが、フィアは気付いている。

 その内側に潜む生命が、少しずつ脈動している事に。

 やがて数分の時が過ぎた時、ぴしりという音が『球』から鳴った。

 『球』にはひびが入り、パキパキと軽い音を立てながら膨れ上がる。殻は剥がれ落ち、内側にあった膜がもごもごと蠢いた。

 やがて、にゅるりと一匹のイモムシが這い出す。

 そのイモムシは体長十五センチほどもあり、ぷっくりと太っていた。頭がとても大きく、顎も太くて丈夫そうな作りをしている。辺りをきょろきょろと見渡し、自分が何処に居るのかを確かめるような仕草を取る。

「……ミュー」

 続いてイモムシは可愛らしく鳴いた

 次の瞬間、自らの足場でもある『マグナ・フロス』に噛み付く!

 イモムシは立派な顎を突き立て、バリバリと音を立てながら『マグナ・フロス』の花を喰らう。虫としては異例なほど巨大な身体が、食べるほどにぶくぶくと膨れ上がった。猛烈な代謝をしているのか表皮が次々と肌荒れのようにひび割れ、捲れ、剥がれ落ちる。腹部末端からは、垂れ流しとしか言えない量の糞が排出されていた。

 食べても食べても、イモムシの食欲は収まる事を知らない。花の上には大きな傷痕が出来上がり、綺麗な花がズタズタにされていく。巨大『マグナ・フロス』もこれは堪らないとばかりに、幹を激しく揺さぶろうとする。イモムシが噛み砕いた細胞より放出された、特定の化学物質がこの反応を引き起こした……即ち、イモムシを振り払うための生理的反応であり、古代から行われた適切な防御反応だった。

 しかし、

「おおっとそうはいきませんよ」

 古代と違い、イモムシにはフィアという味方がいた。

 フィアは能力を用い、水のネットを形成。巨大『マグナ・フロス』に巻き付ける。フィアが腕によりを掛けて作ったこの一品は、その気になればジェット機すら簡単に捕縛する強度を有していた。巨大『 マグナ・フロス』は動きを封じられ、ぴくぴくと震えるのが精いっぱい。イモムシを振り払う事は叶わない。

 フィアの庇護を受け、イモムシはすくすくと育っていく。巨大『マグナ・フロス』は何も出来ず、フィアはうきうきしながらイモムシを眺めるばかり。

 そして数分が経った頃、イモムシは不意に動きを止める。

 イモムシは大きさ三十センチほどにまで育った。大きくなった身体の内側で何かが蠢き、ぶよぶよとした肉がその蠢きに合わせて動いている。内側の何かはどんどん大きく、激しく蠢き――――

 ついにはイモムシの皮を突き破り、中から小さなイモムシが出てきた。

 小さなイモムシの数は十匹。いずれも体長五センチほどで、形は自らが生まれ出たイモムシと大差ない。彼等は親であるイモムシの中から這い出すと、早速とばかりに『マグナ・フロス』に喰らい付く。

 後は、同じ事の繰り返しだ。

 小さい分時間こそ先程よりも掛かったが、イモムシ達は凄まじい勢いで成長し、三十センチほどになると動きを止め、中から新たな個体が生まれ出てくる。ネズミ算という言葉すら生温い増殖速度に、『マグナ・フロス』は見る見るうちに小さくなった。

 その出鱈目なイモムシの増殖を前にして、フィアは満足げな笑みを浮かべる。それからおもむろに、近くで食事をしていたイモムシを一匹摘まみ上げた。

「ミュー、ミュー」

 イモムシは威嚇のつもりか、弱々しい鳴き声を上げる。無論この程度で怯むようなフィアではない。そして彼女は、自分以外の命に哀れみや同情を抱かない。

「いただきまーす」

 なんの躊躇もなく、フィアはイモムシの頭に齧り付く。大きくて立派な頭が、作り物の歯によって砕かれた。

 千切れた肉の断面からとろとろと零れる体液を啜り、フィアはじっくりとイモムシの味を堪能する。と、頬をだらしなく弛めた。幸福に満ち、一瞬にして腑抜けていく。

 それほどまでに、イモムシは美味だったのである。

「んふえぇぇ……これは正しくほっぺたが落ちる美味しさというやつですねぇ……うへへへへ」

 幸せを存分に堪能し、フィアはゆったりじっくりイモムシを味わう。口の中身がなくなれば、次のイモムシを拾って食べる。パクパクと、欲望のまま味を楽しんでいた。周りをイモムシに囲まれた中、フィアはその場に座り込んだ。

 そうして仲間が何匹も食われても、イモムシ達は気にも留めない。逃げようとする素振りすらない。ひたすらに『マグナ・フロス』を食い、成長し、増殖するのみ。フィアが食べる数よりも、増える数の方が遙かに多い。数が増えれば餌である『マグナ・フロス』の消費量も激増し、今や人の目にも分かるほどの速さでマグナ・フロスは()()()()()

 やがて地上が迫ってくる、と、そこにはギラギラと光る数千もの目がイモムシ達を捉えていた。

 鑑賞者達だ。自分達の偉大な信仰対象を食い荒らされ、彼等の誰もが義憤に燃えていた。その手には棍棒を持ち、イモムシ達がやってくるのをただただ待つ。

 されどイモムシ達は人間の狂気など気付きもせず、食事と繁殖を続けるのみ。結果、イモムシの一匹が増殖した仲間に押し退けられ、地上に落ちてくる。

「ぐおらあああっ!」

 途端、鑑賞者の一人がイモムシを棍棒で叩き潰した。

 まるでそれを合図とするかのように、鑑賞者達は幹から落ちてくるイモムシの駆除を始めた。駆除といってもやる事は極めてシンプル。目に付いたイモムシをひたすらに叩き潰すのみ。何十ものイモムシが棍棒の一撃で叩き潰され、白濁の肉汁が辺りに飛び散る。

 イモムシは既に数万近い数まで増えていたが、『マグナ・フロス』の幹の断面の広さではこれ以上居座れない。これよりも増えると、外側に居る個体が押し出されて落ちてしまう。十センチ近いイモムシが雨のように降る光景は、人によっては気が狂うほどの嫌悪を覚えるだろう。しかし鑑賞者達は神木を傷付けられた怒りで我を忘れ、がむしゃらにイモムシを叩き潰していく。

 やがてイモムシ達に食い荒らされた『マグナ・フロス』の高さは、鑑賞者達の視線近くまで迫った。今なら幾らでも叩き潰せる。イモムシ達は根絶やしにされてもおかしくない状況に晒されてしまう。

 ――――が、鑑賞者達は誰も動かない。

「……あれ? 俺は何をして……」

「うげぇっ!? なんだこの虫!?」

「き、気持ち悪い!」

 あまつさえイモムシ達を見るや、一目散に逃げ出す有り様。逃げる際に何匹か踏み潰されただけで、誰もが自分達の『神』を喰らう魔物から目を背ける。

 あまりにも急な変わり身に、蠢くイモムシ達の中心に座るフィアはもごもごと噛みながら首を傾げた。とはいえ花中達人間とは違い、フィアは鑑賞者達がどうなろうと興味すらない。

 何よりそんな『些事』なんかよりも、今は自分の周りを満たす美味なる食材を堪能する方が大事だ。

「んふふぅ♪ いくら食べても食べ足りないぐらいですねぇ」

 上機嫌に独りごち、フィアは黙々とイモムシを頬張るのみ。

 逃げ延びたイモムシ達が何処に向かおうとも、最早フィアは気にも留めない。

 そう、何処に向かおうとも。

 地面に落ちたイモムシ達が他の『マグナ・フロス』に向かおうとも、『マグナ・フロス』の液体レーザーが何万というイモムシを吹き飛ばそうとも、吹き飛ばしきれなかったイモムシが『マグナ・フロス』に辿り着こうとも、食べ尽くした『マグナ・フロス』の根を追うように地下に向かおうとも、不自然に落ち始めた『マグナ・フロス』の葉へイモムシ達が向かおうとも。

 フィアにとっては、別にどうでも良い事なのだから――――

 

 

 

「いやー、清々しいわねぇ。天気も景色も」

 楽しげな口調で尋ねてくるミリオンに、花中は無言のままこくんと頷いた。

 夜は明け、雲一つない青空が広がる。

 研究所の外に出てきた花中を、降り注ぐ眩い日差しが出迎えてくれた。八月の太陽は突き刺さるように強く、眩い煌めきは寝起きである花中の頭を一発でスッキリさせる。鳥達が空を舞い、賑やかな囀りが耳をくすぐった。実に健やかな朝である。花中の周りには分厚い水があり、『外気』から花中を守ってくれているが、それが煩わしく思えるほどだ。

 それでも夜と変わらぬ古代の森が地上に広がっていたなら、決して爽やかな気持ちになんてなれなかっただろうが……何処を見てもそんなものは見当たらない。

 あるのは大量の、地上を埋め尽くすほどにとっちらかった虫の糞。

 そして餌を求めて動き回る、無数のイモムシ達だった。

「えっと、もう、空気の方は……」

「大変良好ね。洗脳粒子は完全に消えているわ。むしろ『マグナ・フロス』が汚染物質を吸ってくれたのか、それこそ森のように清んだ空気よ」

「それなら、もうこの水球の中に居なくても大丈夫かな」

 花中が尋ねれば、ミリオンは周りの空気について事細かに教えてくれる。と、花中の隣で同じく水球に包まれた星縄が、後ろを振り向きながら自身の意見を述べた。

 星縄と花中の後ろに居たフィアは、ぽっこり膨れたお腹を擦りながら地面に仰向けで横になっていた。顔は幸せに溶けきった笑みを浮かべており、時折げっぷを出している。

 そして何時まで経っても、星縄の問いに答える素振りもない。幸せ過ぎて動きたくないのか、星縄の話など端から聞く気がないのか……恐らくは両方だと思い、今度は花中が星縄の代わりにお願いする。

「フィアちゃん、あの、もう洗脳粒子はないみたい、だから、この水から、出してくれる?」

「……んぁ? あーそうなのですか分かりました」

 普段なら即答する花中の言葉にも、今のフィアはワンテンポ遅れての返事。動きも緩慢で、花中達の周りから水がなくなるのに十数秒と掛かる。

 どうやら相当に幸せらしい。

 それほどまでに大地を這いずり回るイモムシ達――――古代より蘇った、『マグナ・フロス』の天敵達は美味だったようだ。

「それにしても、凄い繁殖力だね。まさか五分ほどで増殖するとは。細菌類でも、ここまでの繁殖力を持つ種は皆無じゃないかな」

「結局最後まで三度目の攻撃がなかったのも、アイツらの大繁殖が原因よねぇ。何しろ見る見るうちに森が消えていくんだもの。多分、自衛隊も米軍もてんやわんやだったでしょうね」

「で、そうしている間に全てが片付いた、と」

 くすくすと笑うミリオンに、星縄も楽しげに笑い返す。その笑いの中に、花中も静かに混ざった。

 こうして笑い合えるのも、全て花中の思った通りに事が進んだからに他ならない。

 花中が考えた通り、そしてフィアが察知した通り、『マグナ・フロス』と共に発見された『タネ』だと思われていたものは虫の卵で、尚且つ『マグナ・フロス』の天敵だった。

 恐るべき存在である『マグナ・フロス』だったが、過度な迎撃能力と繁殖力から、天敵の繁殖力も優れていると花中は推察していたが……予想以上に、イモムシは繁殖力に優れていた。

 イモムシ達が採用していた繁殖方式は幼生生殖。簡単に言えば幼虫時代から卵細胞が発達を始め、体内で別個体が発生するというもの。成虫時代や卵の時代を経ず、新しい個体が次々と形成されるため、餌と環境が安定していれば爆発的な勢いで増殖する。現代でも一部の昆虫で見られる繁殖方法だ。

 桁違いの繁殖力により、彼等は『マグナ・フロス』を次々と食い散らかした。とはいえ『マグナ・フロス』には洗脳粒子を用いて洗脳した『奴隷』がいる。彼等の攻撃を受ければ、イモムシ達も根絶やしにされただろう。

 しかしイモムシ達は『マグナ・フロス』を食べるために大きな進化を遂げていた。

 洗脳粒子を中和する粒子……仮に、脱洗脳粒子と呼ぼう……を、体液中に含んでいたのである。何かしらの攻撃を受ける事で彼等の体液が飛び散り、気化した脱洗脳粒子が付近を満たす。脱洗脳粒子は大気中の洗脳粒子や、生物の脳神経と結合している洗脳粒子と反応を起こし、なんと洗脳粒子の自壊を引き起こすのだ――――ミリオンが鑑賞者達の脳内を観測した事で、そうした化学反応が起きている事が判明している。洗脳粒子が分解されれば脳神経は解放され、『マグナ・フロス』を崇拝する気持ちは消えてしまう。

 かくして鑑賞者と化していた人々は正気に戻り、元の生活に戻る事が出来たのだ。大気も浄化され、今は普通に呼吸が出来る。そして『マグナ・フロス』はイモムシ達が全て食べ尽くした。

 古代から蘇った悪魔は、小さな虫の手によって葬られたのである。

 ……無論、ミリオンから事象について事細かに聞けた花中以外の、実際に洗脳から解放された人々がこの事を知る筈もない。おぞましい数まで増えたイモムシを見て、誰もが感謝などなく逃げ出した。中には手近なものを投げ付け、『恩虫』である彼等に危害を加えたものまでいる始末……イモムシ達も善意で人間を助けた訳ではないが。

 ともあれ解放された人々は植物園から逃げ出し、待ち構えていた自衛隊に無事保護された。銃や戦車砲を向けられ、誰もが怯んで動けなくなり、あっさり捕まったらしい。死傷者は出ていない、とはミリオンの弁である。洗脳粒子が大気中から消えたと分かれば、レストランに避難していた人々にもいずれ救助隊が向かう筈だ。

 全ての人命が失われる事なく『救助』される。これは花中と星縄(人間達)が望むものとしては、最高の解決だった。

「いやー、上手くいって良かったわねぇ」

「そうだね。まさか、本当に人々が洗脳状態から解放されるなんて、思ってもみなかったよ」

「ああ、そっちは別にどーでも良いんだけど。ただ、私としては一つ懸念があったのよ。大したもんじゃないから、言わなかったけど」

「懸念? なんだいそれは?」

「卵から生まれたものが『マグナ・フロス』よりマシである保障はなかったって事よ」

 ミリオンは手をひらひらと動かしながら、些末事のように自分の抱いていた考えを伝える。

 しかしそれは、確かに考えるべき問題だった。

 『マグナ・フロス』が恐れるほどの天敵だ。航空機をも撃ち落とせる『マグナ・フロス』以上の、既存の軍事力では歯が立たないような怪物という可能性は確かにあった。もしかしたら、フィア達すらも苦戦するような怪物だったかも知れない。

 けれども花中は――――何故だか、その考えが全く過ぎらなかった。今でも、地面を這いずるイモムシを見て、そんな危機感はこれっぽっちも過ぎらない。買い忘れたものがないか考えるだけでいくらでも不安になるのに、何故だかこの方法を思い付いた時、花中は不思議と大丈夫だという『確信』を覚えていた。

「(……切羽詰まって、悪い事を考えないようにしてたのかなぁ)」

 だとしたら、あまりにも危険な賭けだった。猛省せねばと、花中は自戒の気持ちを胸にしかと刻み込む。反省する心で、浮かれていた気持ちは徐々に静まってきた。

 尚、突如として爆音と震動に襲われた事で、花中の心は一瞬にして錯乱状態に陥ったが。

 その音と震動の元凶が空から降ってきたミィであると分かっても、花中はしばし激しく脈打つ自分の胸を両手で押さえてしまう。

「ふぃー、たっだいまー」

「あ、み、ミィさん……おかえりなさい……えと、どう、でしたか?」

「嫌な感じは何処にもなし。多分もう何処にもいないんじゃないかなぁ」

 花中が尋ねると、ミィは胸を張って答える。『マグナ・フロス』を脅威と感じている彼女には、周辺の探索も頼んでいた。フィアやミリオンもしてくれたが、『マグナ・フロス』に関しては哺乳類であるミィが一番敏感だった。

 そのミィが「もう何処にもいない」と答えたのだから、きっともう、『マグナ・フロス』は全て死に絶えたのだろう。

 古代の植物は、再び絶滅種と化したのだ。

「……しっかしまぁ、イモムシだらけだねぇ。植物園の外の方も見てきたけど、このイモムシを気持ち悪がって、軍隊の奴等も一時的に逃げてたよ」

 ミィは足下に居るイモムシを指差しながら、自分の見てきた事について教えてくれた。

 『マグナ・フロス』は地下茎で増殖していた。フィア曰くイモムシ達は地下にも進んでいたようなので、そうした地下茎を追って進み、外へと出たのだろう。花中達からすればイモムシ達は見事『マグナ・フロス』の繁殖を食い止めてくれた訳だが……事情を知らない者達からすれば、謎の植物に続いて謎のイモムシが大発生したようなもの。洗脳粒子的なものを出さないとも限らないのだから、迂闊には近寄れまい。

 しかしながらそうなると、レストランに退避している人々の救助はちょっと時間が掛かるかも知れない。

 『マグナ・フロス』という危機が去り、イモムシも現状脅威ではない今、助けが多少先延ばしになっても大した問題ではないが……助けを待つ人々からすれば、堪ったものではないだろう。出来る事なら早めの救助を願いたい。

「花中ちゃん。そんな怖い顔をしなくても、助けはすぐに来ると思うよ」

 等と考えていたら、星縄に微笑み混じりで窘められてしまった。顔が怖いと言われ、花中は自分の頬を揉みしだく……これで少しはマシになったのか、鏡がないので分からないが。

 それはそれとして。

「えと、星縄さん。助けが、すぐに来るというのは……?」

「あくまで推測だけどね。どんな生き物にも弱点というのはあるものさ」

「弱点……?」

 首を傾げる花中に、星縄は思わせぶりに辺りをぐるりと見渡す。

 何かあるのだろうかと、花中も周囲に目を配る。しかし見えるのは『マグナ・フロス』が生えた際に破壊された建物と、地面を這いずり回るイモムシばかり。

 星縄の意図が分からず、花中は少し考え込む。恐らくはイモムシの事なのだろうが、弱点とはなんだろうか。観察すれば何かヒントがあるかもと思い、今度は注意深く、イモムシを注視する。

「……あれ?」

 その観察の中で、花中は一つの違和感を覚えた。

 動かないイモムシが居る。

 しかもかなりの数、十数匹に一匹は動いていないようだった。単に休んでいるだけか、とも思ったが、なんとなく雰囲気が違う気がする。上手く言葉には出来ないが……ぐったりしているように、花中には見えた。

 気になったので、偶々足下近くに居る動かないイモムシを観察しようと、花中はその場にしゃがみ込んだ。

「ひっ!?」

 瞬間、思わず上擦った悲鳴を上げてしまう。

 何故ならまじまじと見つめたイモムシが、死んでいたからだ。身体の中身が溶けているのか、どろりと潰れた状態で。

 『正体』に気付いてしまうと、周りが途端におぞましい光景に見えてくる。

 ひょっとして、動かなくなったイモムシはみんな死んでいるのでは――――

「ほ、星縄さん!? これって……」

「ほんの数分で倍以上の体躯になる成長速度だ。代謝機能が暴走しているとしか思えない。餌が枯渇すれば、成長するためのエネルギーを賄えずに餓死する……うん、予想通りだね」

 動揺する花中に、星縄が組み立てた推論を語る。確かに、異常な成長・繁殖速度の代償としてエネルギー消費が激しく飢餓に弱い、というのはありそうな話だ。『マグナ・フロス』の桁違いの繁殖力に依存しているとなれば尚更である。

 そうなると、此処にいるイモムシ達は皆もうすぐ死んでしまうのか?

「ぎゃあああああっ!? なんで捕まえておいたイモムシがみんな死んでるんですかぁ!?」

 ……どうやらそうなる可能性が高そうだと、友達が上げた悲鳴によって花中は確信を深めた。

 『マグナ・フロス』の付近から見付かった卵があるので、恐らくなんらかの条件を満たした個体は飢餓を感じ取ると耐久卵を産むのであろう。或いはなんらかの環境要因により成虫となるのか。なんにせよ条件を満たせなかった多くの個体は、そのまま飢えて死ぬと思われる。残った耐久卵も、新たな『マグナ・フロス』が目覚めるまで眠り続けるのだ。例え何千万年が経とうとも。

 可哀想だとは思う。花中(人間)の都合で目覚めさせられ、大勢が飢え死にするのだから。

 しかしながらイモムシ達もまた、この時代の生き物ではない。今の生態系は彼等の存在を許容していない。このまま滅びてくれるのが、人間にとって一番なのだ。

 そう、滅びてくれるのなら……

「花中さぁぁぁんっ! どうしましょう!? イモムシが次々死んでいきます! これでは明日の分がありません!」

「ぴゃっ!?」

 俯いていた花中だったが、いきなりフィアが抱き着いてきた事に驚いて顔を上げる。イモムシの死をどうにかしてほしいようだが、生憎花中にはどうにも出来ない。

「えっと、多分、今日中には、全部餓死しちゃうと、思うから、食べられるだけ、食べておいた方が、良いよ……あ、でも卵を産むかも知れないから、それを集めると、良いかも。条件次第だと思うけど、六千万年以上、持つ筈だし」

「卵ですね! 成程確かにあの卵も美味しそうな匂いがしていましたしまたあの枯れ草が生えてきたら増やせますからね! 流石花中さん名案です!」

 それでも代案を考えると、フィアは感謝しながら髪をざわざわと蠢かせた。そして金色の髪は四方八方へと伸びていき、植物園中に広がっていく。

 この調子だと、イモムシ達が産んだ耐久卵は一つ残さずフィアに回収されてしまうだろう。新たな『マグナ・フロス』の目覚めを待つという、ほんの小さな希望すら潰えたようだ。

「やっほー、元気してますかー?」

 イモムシ達に一層の哀れみを覚えていると、ふと花中は自分に向けられたと思われる、聞き慣れない声を耳にする。

 声がした方を振り向けば、そこには全身茶色の幼女の姿が。

 一瞬の困惑を挟んだ後、花中は彼女がこの植物園に暮らすミュータント――――ラフレシアである事を思い出した。

「あ、あなたは……! えと、大丈夫、でしたか?」

「ん? 大丈夫ってなんの事です?」

「え、えと、その、色々此処で、起きていた事は、知ってますか? あの、古代の、植物が、復活した事とか……」

 キョトンとするラフレシアの幼女に、花中はおどおどと尋ねる。するとラフレシアの幼女は「あー、あれですかぁ。勿論知ってますよ」と漏らしながら、納得したようにぱちんと両手を叩いた。

「何しろ奴のやられぶりを見に来たのが散歩している理由ですからね。全く、期待外れでしたねぇ。あと少しでこの世を我が手中に収められたのに」

 そしてなんの臆面もなく、そう答える。

 答えられた花中は、頭が真っ白になった。傍に立つフィアも、目をパチクリさせている。

 花中は思わず、ラフレシアの幼女を問い詰めた。

「……え……? 手中にって、何を……?」

「あの植物、実はブドウ科でしてね。私が寄生出来る植物だったので、世界中に繁殖してくれれば私としても血族を世界中に広められるので得でして。まぁ、そうなったら良いなというだけで、特に何もしてないんですがね」

「怠け者ですねぇあなた」

「この程度で滅びるような輩に依存しては、それ自体がリスクになりかねねーというだけです」

 返ってきた答えに対するフィアの暢気な感想に、ラフレシアの幼女は髪のような根っこを掻き上げながら反論する。浮かべる表情はかなりつまらなそうで、『期待』していたのは違いないようだ。

 同時に、期待に応えてくれないならもうどうでも良いらしい。

「タネの一つでも残っていたらもう一度やってみようかと思いましたが、この調子じゃ無理そーですね。最後に葉を落としたのは栄養生殖のための悪足掻きみたいでしたが、それも全滅しちまったみたいですし」

「ふふん花中さんの素敵な作戦とそれを実行したこの私の手によってあの枯れ草は全滅です。美味しい虫をたくさん食べられて私は大満足というものです」

「そりゃ結構な事で」

 フィアの嫌味な ― フィアとしてはそこまで考えていないだろうが ― 自慢話を受けてもラフレシアの幼女は関心が薄く、まるで他人事のように雑な返事をするだけ。

「ま、全く役に立たなかった訳ではありませんからね。勉強になりましたとも。ああすれば簡単に人間を操れるという、実に良い例でした」

 それどころかまるで大した事ではないと言わんばかりに、この言葉も付け加える。

 これには花中も、問わずにはいられなかった。

「……あなたも、人を操る、つもりなのですか?」

「その点についてはノーコメントで。ですがご安心くだせぇ。私はあの馬鹿と違い賢いのです。何事も程々が一番。宿主は健康な状態でじっくりと利用するのが合理的である事を、我々はよく知っているんですよ。『駄目』にする気はありません」

 ケタケタ、ケタケタ。

 ラフレシアの幼女は心底楽しそうに、花中(人間)を見つめながら笑う。

 花中はそのまましばし押し黙っていたが、ラフレシアの少女は一通り笑うとスッキリしたのか。急に先程までの、生気に欠けた気怠げな表情に戻った。

「あー、長話をしたら疲れてきました。私はこれにておさらばとしますよ」

「……そう、ですか……」

「ではさいなら……っと、その前に一つ教えてあげますかね。野望を邪魔された嫌がらせに」

 あっさりとした口調で別れを告げ、踵を返した……直後に、ラフレシアの幼女はくるりと花中の方に振り返る。

 予想外の仕草に花中が少し驚くと、ラフレシアの少女はにたりと笑う。

「今回は上手くいって何よりです。『次』もこうだと良いですねぇ」

 そしてただ一言、花中に淡々と告げる。

 ラフレシアの幼女はそれだけ伝えると、花中の反応を見ずに再び踵を返す。

 去ってしまえば、フィアとしても興味はないらしい。ふっと現れ、すっと去って行った幼女への感想すら呟かず、卵探しを再開する。花中をぎゅっと抱き締めれば、それだけでフィアはご機嫌な鼻歌を奏で始める。

 そんなフィアの腕の中で、花中はぶるりと震えた。

 ラフレシアが残した言葉。

 その言葉が花中の脳裏に、小さな『可能性』を過ぎらせたがために――――




という訳で、決め手は同じ時代に生きていたイモムシでした。
ちなみにラフレシアの方は本当何もしていません。本当に『マグナ・フロス』が良い感じに世界に広がったら良いなぐらいにしか考えていないです。
割と最後らへんの台詞を言わせるための要員。

次回は10/21(日)投稿予定です。

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