彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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目覚めるパンドーラ7

 朦々と立ち込める霧。

 陽が沈み、今や夜と呼べる時間帯だからというのもあるだろうが……立ち込める白い霧は、世界の輪郭をぼんやりとしたものへと変えていた。建物の人工的な輝きも、霧に包まれて柔らかなものへと変わっている。月明かりが届く場所では、青みがかった光がふんわりと辺りに漂っていた。

 霧に優しく包まれた景色は、さながらお伽噺に出てくる風景のよう。六千九百万年前の森では、こうした風景が日常的に見られたのだろうか。そうだとしたら、この景色を独占したまま滅びた恐竜達が、ほんの少し羨ましい。

 ――――この霧が、『マグナ・フロス』が生成する洗脳粒子によって出来ていなければ、であるが。

「花中さん大丈夫ですか? 体調が悪くなったりしていませんよね?」

「うん、大丈夫だよ」

 そんな洗脳粒子の霧が立ち込める植物園の中を、フィアと花中は暢気に進んでいた。

 花中はフィアが作り出した水球の中に居て、外気とは遮断された状態にある。完全な密閉状態のため酸欠は気にすべきだが、それでも五時間分の空気はあるとフィアは語っていた。園内を探索するには十分過ぎる時間である。

「凄いな。これは一体、どんな原理で作られているんだろう……」

 そしてこの探索には、花中と同じく水球に包まれている星縄も同行していた。尤も今の星縄は植物園の異変よりも、自分を霧から守ってくれている水球の方に興味があるようだが。ぺたぺたと内側の壁に触り、目を子供のように輝かせている。

 何時でも自信満々なフィアにとって、水球一つで感動してくれている星縄の態度は極めて好感が持てるらしい。星縄の事を横目で見ると、上機嫌な笑みを零した。

「んふふふーどうです凄いでしょう。人間にはとても真似出来ない事ですよ」

「いや、本当にその通りだよ。水が液体の状態を保ったまま、重力に逆らった挙動を取るなんて。何をどうしたら良いのやら……一体どうやっているのかな?」

「さぁ? 多分電磁波とかなんとか線とかが働いているんじゃないですかね? よく分からないです」

「よく分からないのか! それはとても興味深いね。無意識にコントロールしているという事は、生体から日常的に発せられているものによって制御しているのかな」

 星縄からの質問にフィアは大変正直に答え、その答えで再び星縄は目を輝かせる……出会った当初の ― フィアが一方的に向けていたものではあるが ― 険悪な雰囲気は何処へやら。大変仲の良い姿に花中は思わず笑みが零れた。

 とはいえ、その笑みはすぐに曇ってしまう。

 花中達は、霧の中の遠足を楽しみに来たのではない。あるかどうかも分からない、『マグナ・フロス』の洗脳から人々を解放するための手立てを探しに来たのだ。

 探索に来たのは花中と星縄、フィアとミリオンの、二人と二匹。洗脳粒子を押し退ける術がないミィにはレストランで留守番をしてもらい、万が一にも観賞者達がレストランに押し入らないよう見張りをしてもらっている。フィア達が頼りないとはこれっぽっちも花中は思っていないが、ミィの圧倒的な身体能力を頼れないのは……少し心細い。

「……見付けられるかな」

「心配しても仕方ないのではないですか? まぁのんびりと探しましょう。空爆なんてこの私が居れば全くの役立たずですからね! 花中さんのやりたい事が終わるまでは全部叩き落としてやり増すよ!」

 思わず弱音を吐いてしまう花中だったが、フィアの優れた聴覚は小さな呟きも逃さない。自分の力を誇示しつつ、花中を元気付かせようとする言葉を送ってくれた。

 実に頼もしい発言であり、フィアならば実際易々と成し遂げてみせるだろう。世界中の爆撃機が集まって飽和攻撃を仕掛けたところで、恐らくフィアはそれを鼻で笑い、指先で軽く突くような気軽さで台なしに出来てしまう。フィアが味方でいる限り、空爆を恐れる必要はない。

 しかし、

「あまりのんびりしている時間はないと思うけどね」

 フィアと同じく空爆など怖くないミリオンは、フィアとは別の意見を持っていた。

 そして花中の考えは、ミリオンにとても近いものである。

「あん? どういう意味です?」

「人間だってそこまで馬鹿じゃないって事よ。もう一回ぐらいは爆撃してくるかもだけど、それが通じなかったら他の手段を執るでしょうね。私だったら状況把握のために、地上部隊を送り込むかしら」

「ちじょーぶたい? ああなんか戦車とか銃を持った兵隊の事ですよね。結局雑魚じゃないですか。そんなものの何が怖いんですか?」

「地上部隊だって怖くないわよ。というか別に人間が何をしても私は怖くない。でも、はなちゃんはどうかしら?」

 ミリオンは話の意味をよく分かっていないフィアに向けていた視線を、花中の方へと移してくる。ミリオンが言わんとしている事を理解していた花中は、無言のままこくりと頷いた。

 確かに、フィアやミリオンならば空爆は怖くない。戦車や兵士だって、簡単に追い払ってくれるだろう。

 しかし人間達とて、やられっぱなしではいられない。否、人間社会の命運が掛かっているからこそ、失敗するほど精神的に追い詰められ、恐怖心から何がなんでも倒そうとしてくる筈だ。

 地上部隊が失敗したら、今度はミサイルを撃ち込むかも知れない。ミサイルが駄目なら陸海空の総力を結集するかも知れない。それが駄目なら、次が駄目なら……焦りは際限なく積もり、理性は失われていく。

 その果てにあるものは、一体なんだろうか。

 もしかしたら、核兵器にまで手を出すのでは?

 ……誰よりも怖がりだからこそ、花中にはその可能性を否定出来ない。フィア達なら人類史上最強の核すら耐え凌ぐとは思うが、流石に自分の身以外を守る余裕はないだろう。煌めく太陽の力が放たれた瞬間、避難者も、観賞者も、跡形もなく消え去る。世界の『狂気』が限界に達する時は、果たして何時になるのか。

 不安はそれだけではない。レストランから此処までの道中、花中達は観賞者達に出会っていないのだ。フィアとミリオンが周囲を警戒してくれているが、どうやら運良くすれ違っている訳でもなく、そもそも自分達の近くに一人も居ないらしい。

 だとすると彼等は何処かに集まっているのだろうか。夜なので寝ているだけなら、花中にとってはこれ以上ない朗報である。しかしもしも彼等が一ヶ所に集まっていたなら、そこで何かを、例えば『マグナ・フロス』の種を集めていたりしたなら……

 何が起きようとしているかは分からない。分からないが、時間はあまりなさそうである。考えている時間は勿論、間違えている暇だってない。

 果たして自分の選択は、間違えていないのだろうか――――

「むぅ。花中さんが何を怖がっているのかはよく分かりませんが早く解決したいという事は分かりました。怖がる花中さんはあまり可愛くないですからね。やっつけてほしいものがあればこの私にお任せください。何があるのか知りませんけど」

 自分でも気付かないうちに震えていたのだろうか。俯いている花中の考えなんかは全く汲んでいないだろうフィアが、花中の『恐怖』を察する。それからドンッと自らの胸を叩き、誇らしげな笑みを浮かべて花中を励ました。

 フィアの言葉を受け止めた胸の中が、段々とポカポカしてくる。頭の中にあった冷たい感情が、薄れていく。

 何があるかは分からない、だけど自分がなんとかしよう――――迷いなくそう言ってくれる事が、堪らなく嬉しかった。

 友達が背中を押してくれるのに、自分がその場に留まろうとしてどうする。今は自分に出来る事を一生懸命やろう。間違う事や、分からない事を恐れるな。進まなければ何も変わらない。自分は何かを変えるために前へと進んだのだ。

 フィアからもらった勇気を胸に、花中は再び前を向いた。

「うん……ありがと、フィアちゃん」

「いえいえ。あっとそうです実は一つ疑問があったのですが」

「うん、なぁに?」

「我々って今何処に向かっているんでしたっけ?」

 尤もその勇気は、フィアのお惚け発言で呆気なく砕け散ったが。歩いていないのに花中はずっこけ、水球の内壁に顔面を叩き付けてしまう。

 流石はフィアの水球。顔をぶつけても全く痛くない……沸き立つ悲しみと憤りを鎮める効果はこれっぽっちもなかったが。

「~~~んもぉーっ! フィアちゃんったらぁーっ!」

「え? なんで花中さん怒ってるのですか?」

「ははっ。まぁ、花中ちゃんにも思うところがあるって事さ。今向かってるのは特別研究温室、もしくはその隣にある実験所だよ」

 癇癪を起こす花中に代わり、星縄がフィアの疑問に答えた。教えてもらえたフィアは「ほー」と納得したような声を漏らし、されどすぐに首を傾げる。

「実験所? そんなところに行ってどうするんです?」

「この植物園の職員達は、『マグナ・フロス』に心酔していたからね。好きなものは寝る間も惜しんで調べたくなるのが研究者というもの。きっとこの事態を起こす直前まで、『マグナ・フロス』の研究は進められていた筈だ。いや、今も続けられていたとしてもなんらおかしくない。もしかしたら新しい知識が、今この瞬間発見されているかも知れない」

「……その新しい発見とやらを頼りにすると?」

「ご名答。まぁ、あと都合の悪い情報とかを隠し持ってるかもだから、そーいうのも期待してってところかな」

「行き当たりばったりですねぇ」

 フィアの素直な感想に、星縄は同意するように楽しげに笑った。花中もフィアの意見を否定出来ず、乾いた笑みを浮かべるのが精いっぱい。

「まぁ、他に案もないし、当てずっぽうも悪くないわ。それにもう目の前まで来ちゃったし」

 そして件の目的地が眼前に迫ったなら、花中は乾いた笑みすら浮かべられなくなる。

 一般開放されている他の温室や建物とは違う、地味で、人をもてなす意思が感じられない雰囲気。門扉は固く閉ざされ、部外者の立ち入りを強く拒んでいる。監視カメラも見えている分だけで三ヶ所、それぞれの死角を補うように設置されていた。

 ミリオンが言っていたのだから、疑いなんて最初から抱いていない。しかし建物の姿を目の当たりにした瞬間、花中は『確信』を抱いた。

 此処こそが『マグナ・フロス』を研究していた施設である、と。

「ふーむ此処が枯れ草を研究していた場所ですか。なんか地味ですねぇ」

「派手な研究所なんかないわよ。見た目に使えるお金なんかないんだから。ほんと、外面にお金使うぐらいならこっちに予算寄越せって一体何度言った事か……」

「? なんの話です?」

「昔の話よ」

 肩を竦め、平静を装うミリオン。フィアは首を傾げ、あまりよく分かっていない様子だった。

 尤も、フィアはさして興味がない事を追求するような性分でもない。

「そうですか。まぁ兎に角此処が目指していた研究所なのですね。とりあえず中に入ってみますか」

 フィアは話を打ち切ると、なんの迷いもなく研究所の扉へと向かう。扉は押せば開く形式のガラス戸だったが、フィアが片手で取っ手部分を押しても扉はうんともすんとも言わない。どうやら ― 花中としては予想通り ― 鍵が掛けられているようだ。

 勿論花中達は研究所の鍵など持っていないので、真っ当な解錠は不可能である。しかし人間の建物に掛けられる鍵は、言うまでもなく対人間を想定したものに過ぎない。

「花中さん鍵が掛かっていますがどうしますか?」

「うん、壊しちゃって」

「分かりました」

 花中が許可を出すと、フィアはなんの迷いもなく扉にパンチを一発叩き込む。

 ガラス製の扉は呆気なく粉砕され、行く手を遮るものはなくなった。

「とりあえずこんな感じで良いですかね?」

「うん、フィアちゃんありがとう」

「ああ、昔はあんな良い子だった花中ちゃんが、知らぬ間に扉を叩き割る事すら躊躇しなくなるなんて……!」

 道が開けた事に喜ぶ花中を見て、星縄がガタガタ震えていた。一応これでも躊躇してないつもりはないので、花中的には大変不本意である。ぷくっと、花中は頬を膨らませた。

 フィアは花中の表情など気にも留めず、花中達を連れて研究所の中へと入る。割れたガラスの先端が剣山のように扉の内側にずらりと並んでいたが、水で出来たフィアの『身体』と、花中達を包む分厚い水球を貫くほどの鋭さはない。簡単に通り抜けたフィア達一行は、建物の奥へと向かう。

 建物の中は明かり一つ付いておらず、時刻の遅さもあって真っ暗だった。近くにスイッチがないかフィアに探してもらい、扉の側にあったスイッチがあるのを確認。フィアが伸ばした水触手で押すと、特に問題なく周囲の電灯が光り始める。

 まさか点くとは思わず、花中は少しばかり驚きを覚える。空爆という手段を実行したのだから、自衛隊なり在日米軍なりが施設への電気供給を遮断していると思っていたのだ。もしかすると植物園の職員達は、このような事態を見越して大規模な自家発電装置を用意していたのかも知れない。

 違和感はもう一つある。いくら経っても、建物の奥から観賞者達はおろか物音すらしないのだ。いきなり建物の電気が点いたとなれば、中に居る者達は侵入者(自分達)の存在を察知した筈である。なのにその出迎えをしないという事は、もしかすると此処にも観賞者は居ないのかも知れない。

 襲われたいかどうかで言えば、勿論花中としては襲われたくない。フィアが自分の身を守ってくれると信じていても怖いものは怖いし、自衛だとしても人々を傷付けるなんてのは嫌なのだから。

 しかし……

「随分と守りが手薄ねぇ」

「あまり大事なものは残っていない、という事かも知れないね」

 ミリオンと星縄が語るように、『重大な情報』を求めている花中達にとって人気なさは朗報とは言えなかった。

 とはいえ希望を捨てるのはまだ早い。観賞者達は重要だと思わなかったものが残されている可能性はゼロではなく、また洗脳粒子が満ちる中侵入者などあり得ないと思い警備の人員を他に回したとも考えられる。

「……奥に、進んでみましょう」

 ミリオン達も同じ考えなのか、花中の意見に反対してこない。研究所の奥に向けて、花中達は進んでいった。

 フィアが押したスイッチで点いたのは入り口付近の電灯だけだったようで、奥の廊下は暗いままだった。暗い場所というだけで、臆病な花中にとっては恐ろしい空間である。思わず息を飲んでしまう。もしも自分の足で奥へと進めと言われたなら、例え懐中電灯を渡されても朝まで拒んだだろう。

 しかしミリオンとフィアの歩みと止めるには、些か()()闇だ。フィアは聴覚と能力によって周囲を把握し、ミリオンは指先を輝かせている。迷いのない足取りで二匹は進み、片っ端に扉を開けては部屋の電気を点けて中の様子を窺う。

 どの部屋も綺麗に整理整頓されており、パッと見ただけでどういった用途で使われていた部屋なのかが分かった。例えば倉庫だったり、事務室だったり、薬品置き場だったり。何かしらの資料が部屋の奥底に隠されている、という可能性もあるので出来れば一見無関係そうな部屋も調べたいのだが……やはり『残り時間』が気になる。

 そのため花中達は、『マグナ・フロス』との関わりが強そうな部屋を見付ける事を優先していた。鍵の掛かっている扉は容赦なく破壊し、一つ一つの部屋を余さず確認していく。しかし中々目当ての部屋が見付からず――――

「おや? こんなところに地下行きの階段がありますね」

 もしも花中達人間だけで調べていたなら、精神的疲弊による注意力の欠如が原因でその『階段』を見逃していただろう。

 階段は暗闇の中、ロッカーなどによって巧妙に隠されていた。如何にもな怪しさ、降りないという選択肢はない。花中達は隠れていた階段を降りていく。

 階段を降りきると、ミリオンは光る指先で辺りを照らす。此処は行き止まりで、鋼鉄製の扉が鎮座していた。他には何もない。不自然さを覚えるほどに。

「むぅ。此処も鍵が掛かっていますね……ほいっ」

 鋼鉄の扉にも施錠されていたが、フィアがキックを一発お見舞いすれば粉々に砕けて飛び散る。人間相手に喰らわせたなら間違いなく人体粉砕の威力を目の当たりにし、水球の中の星縄が驚愕とも呆れとも取れる声を漏らしていた。

 フィアは不用心に部屋の中へと入り、花中と星縄も水球と共に室内へと入る。ミリオンも後から続き、入口付近にあったスイッチを押した。

 途端部屋に明かりが灯され、全容が明らかとなる。

 部屋の中は、大量の標本が置かれていた。金属棚が幾つも並び、無数の標本箱と液体入りの瓶が置かれている。瓶は何百とあったが、植物体らしき破片が入っていたのはほんの十数点。他はネズミや昆虫、ヘビやカエルなどの動物ばかりだった。そうして見渡していると一際大きな瓶が目に入り、花中が凝視したところ、その中身が大きな脳である事に気付く。図鑑などで見た人間の脳とは形が違う、ように見える。きっと牛や豚の脳だろう……花中は、そう思いたかった。

 他にもサルやニワトリなどの剥製が数十点置かれており、それらには解剖したような形跡が見られた。どうやら此処に置かれているのは、何かしらの『実験』に使われた動物達の標本のようだ。実験サンプルの保管場所として使われている部屋なのだろう。

 そしてこれらの標本から分かるのは、此処の研究所では植物園にも拘わらず、動物を用いた実験を数多くしていたという事だ。

「うーん如何にも胡散臭い部屋ですねぇ」

「洗脳粒子の密度も、他の部屋よりも遙かに濃いわ。此処でやっていたのか、それとも持ち込んだだけかは分からないけど、此処にある標本が洗脳粒子の実験サンプルなのは間違いなさそうね」

「見える範囲ではだけど、標本は哺乳類、特にサル類が明らかに多いね。『マグナ・フロス』の洗脳効果がどんなものかを調べるために、人間に近い動物を使ったのか」

 フィアが直観的な感想を漏らし、ミリオンはより詳細な状況から論理的な推理を行う。星縄も標本の種類から、この研究所で行われていた実験内容を推察した。

 此処が『マグナ・フロス』の研究資料の保管場所なのは確実だ。調べれば『マグナ・フロス』の弱点について記した資料、或いはヒントが見つかるかも知れない。

「……調べましょう」

「異論はないよ。此処は絶対調べた方が良い」

「分かりました。では何処から調べますか?」

「えっと、じゃあ……あっちから、お願い」

 フィアに指示を求められ、花中は一先ず部屋の隅にある棚を指差す。此処に何かがありそうだとは思うのだが、何処にあるのかはやはり分からないのだ。虱潰しに探すしかない。

 星縄はミリオンと共に反対側を探すと言ったため、フィアは星縄を包み込む水球をミリオンに明け渡した。水球から伸びた『リード』を引っ張れば、水球は引っ張られた方へと進む仕組みらしい。まるで飼い犬のように、星縄入りの水球はミリオンと共に花中達から離れていった。

 花中はフィアと共に、星縄達が向かったのとは逆方向にある棚へと向かう。置かれているのは無数の瓶、そしてその中身である……小動物達の『死骸』。

 思わず、花中は息を飲んだ。それからゆっくりと深呼吸をして、少しばかり早くなった鼓動を落ち着かせる。

 今までなら、実験動物達の死骸を見て可哀想だと同情しただろう。例え彼等を殺したのが『マグナ・フロス』に洗脳された人々だとしても、その『マグナ・フロス』を復活させたのは人間だ。人間が『マグナ・フロス』を目覚めさせなければと、責任を覚えたに違いない。

 こんな時に、なんという傲慢か。

 生命は人間が思うほど弱くない。いや、弱いと思っていたのは生命のほんの一部で、きっと多くの……人がまだ知らない生物達の力は、人間の英知を嘲笑う事だろう。あの『マグナ・フロス』のように。

 悲しみに暮れる暇があるなら、ひたすらに前へと進まねばならない。そうしなければ後ろから迫り来る怪物に()()()()事を、花中は何ヶ月も前に身を以て知ったのだから。

 彼等に哀悼の意を表すのは後だ。今は『マグナ・フロス』の情報がないか調べる事に注力する。

「フィアちゃん、上から二番目にある、赤い蓋の瓶を、取ってくれる?」

「赤い蓋のやつですね。お安いご用です」

 花中の頼みに応え、フィアは腕を文字通り伸ばして三メートルほどの高さにある赤い蓋の瓶を取る。中身は植物の葉らしきものだ。見た目が『マグナ・フロス』の葉に似ている。もしかすると『マグナ・フロス』が小さい頃の標本かも知れない。

「えっと、その瓶を、くるくるって回しながら、見せてくれるかな。何か書かれてないか、調べたいから」

「そうですねぇ。それなら水球の壁に手を押し付けてくれますか?」

「? こう?」

 フィアに言われるがまま、花中は水球の内壁に手を押し付ける。

 すると、ずぶずぶと花中の手が内壁にめり込んだ。

 まさかめり込むとは思わず、驚いた花中は反射的に手を引っ込めてしまう。思わずフィアの顔を見遣ると、フィアはどうぞとばかりに手を差し出していた。どうやら、めり込んで良いものらしい。

 花中は改めて手を伸ばし、今度はゆっくりと内壁に手をめり込ませる。それから辺りを見渡してみたところ、水球の外側の壁が『人の手』のような形になって盛り上がっている事に気付いた。試しに内壁にめり込ませた手を動かしてみれば、花中の思った通りに外壁から生える手も動く。

 これならば、花中がやりたいように瓶を観察出来る。フィアの気遣いに感謝しつつ、花中は早速赤い蓋の瓶を調べた。

 尤も、いきなり重要な情報が見付かる筈もなく。

「……ただの、シダ植物の葉だった。系統を調べるために、使ったのかな」

「つまり要らないものですか? どうします? 捨てます?」

「いや、捨てるのは、流石に……壊さないように、部屋の隅とかに、積んでおいて」

「分かりましたそうしておきます」

 花中の意見に従い、フィアは受け取った赤い蓋の瓶を部屋の隅へと置く。一理系人間として、標本を床という何時蹴飛ばすかも分からない場所に置く事への不安感はあるが、今回ばかりは仕方ない。

 何しろ花中達は今から、この部屋いっぱいに置かれた何百もの標本を調べなければならないのだから。

 ……………

 ………

 …

 果たしてどれだけの時間が経っただろうか。

 花中はポケットからスマホを取り出して確認したところ、まだ一時間も経っていない事が分かった。花中の気分的には、調査を始めてからもう二時間以上経っているような感覚だったのに。

 身体が休息を求め、倦怠感という名の要望を出している。高い場所にある物を取ったり、重たい物を運んだりは全てフィアがやってくれたというのに。精神的疲弊に身体が引っ張られているのかも知れない。

 それでも、何かしらの『発見』があったならこんな疲れは吹き飛んだに違いない。

 だが……

「……何か、ありましたか?」

「あったらとっくに教えてるよ……花中ちゃんの方は?」

「……あったら、教えてます」

「だよねぇー……」

 別々の水球の中で、花中と星縄は深いため息を同時に吐いた。

 部屋を埋め尽くすほどに並び、ぎっしりと瓶が置かれていた金属棚も今や空っぽ。何処かにまだ調べていないものが、という希望を無惨に打ち砕く。部屋の隅には調べ終わったものとして、標本達が山積みとなっていた。今はミリオンが、その山を万遍なく調べてくれているが……山の前に佇むミリオンの表情にやる気なんてものは微塵もない。星縄と一緒に標本を見ていたのだから、もう一度見たところで何も見付からないと思っているのだろう。花中もまた、同じ気持ちである。フィアに至っては飽きてしまったようで、気儘に室内を散歩している有り様だ。

 確かに此処は『マグナ・フロス』の研究成果が山ほどあった。標本にはラベルやメモが貼られ、『マグナ・フロス』の生態について大変詳しく書かれていた。『古代植物研究資料館』にはなかった未知の情報も多数得られた。

 だが、欲しかった情報――――洗脳粒子から人々を助け出すヒントは何一つなかった。

「全く、実に興味深い生態が知れたよ。こんな事になっていなければ、感動のあまり涙の一つでも出ているんじゃないかな」

「そうですね……でも、哺乳類なら、大体洗脳粒子が効くというのは、ある意味収穫かも、知れません」

「確かに。ネズミや猫、犬なんかも敵となるかも知れない。ミィちゃんが直感的に不快感を覚えて逃げ出したのは、正しかった訳だ」

 花中と星縄は標本入りの瓶に張られていたラベルの情報を話し合い、自分の理解が正しいかを確かめる。

 研究曰く、『マグナ・フロス』の洗脳粒子は鯨偶蹄目 ― クジラやウシの仲間の事だ ― 以外の哺乳類に対し極めて効果的、鯨偶蹄目にも他ほど顕著ではないが効果があるという。三十八種類、三万五千体のサンプルを用いて実験をしたが、耐性を有する個体は確認されていない。どうやら哺乳類の脳そのものの『欠陥』に作用するらしく、哺乳類的な脳を持っている限り抗う事は不可能なようだ。

 読み解くほどに、恐ろしい植物である。哺乳類の脳構造そのものが弱点となると、七十億を超える人類全てが洗脳されるという可能性もいよいよ現実味を帯びてきた。治療法は相変わらず見付かっていないが、放置という選択肢は絶対にあり得ない。

 最早大量破壊兵器による、完全なる殲滅しかないのだろうか――――

「それにしても不可解だ」

 諦めのような考えが脳裏を過った時、ふと星縄が独りごちた。我に返った花中は、自分の脳裏にあった考えを追い払うように頭を横に振る。

 改めて星縄と向き合うと、星縄は何やら怪訝そうな表情を浮かべていた。少しでも情報が欲しい今、星縄が何を疑問に思ったのか知りたい。花中は尋ねてみる事にした。

「えっと、何か、変なところがありましたか?」

「ん? ああ、変というか違和感なんだけどね。『マグナ・フロス』の洗脳粒子が、どうにも影響範囲が広過ぎると思って」

「広過ぎる?」

「ちょっと考えてみてほしいんだけど、哺乳類全てを洗脳する能力というのは、自然界の中では些か突出した力だとは思わないかい? そしてそれだけ凄まじい力を持ちながら、どうにも生態が似付かわしくない気がするんだ」

「えっと……」

 星縄からの問いに、花中は少し考え込んでしまう。

 自然界に万能の能力なんてものはない。

 しかしそれは何も自然のバランスを崩さないため、なんて穏やかな理由からではない。進化の過程で何かしら画期的な能力を手に入れても、他の種が対策を進化させてくるからである。要するにイタチごっこの結果だ。

 だから本当に革新的な能力を獲得した場合、その生物は爆発的に繁殖し……環境を無茶苦茶に破壊する。一番分かりやすい実例は、光合成を編み出した細菌 ― つまり植物のご先祖様 ― だろう。彼等の繁栄により地球には酸素という名の『毒ガス』が充満し、当時地球で繁栄していた嫌気性細菌の大量絶滅を誘発した。それどころか光合成によって温室効果ガスである二酸化炭素の量が大きく低下した事で、地球の平均気温が急激に低下。地球全土が凍結する事態まで招いたと考えられている。冗談抜きに、植物の所為で危うく生命が滅びるところだった訳だ。

 即ち爆発的な繁栄を遂げた『何か』が存在していたなら、環境変化なり大量絶滅なり、なんらかの痕跡が地球に刻まれる筈である。

 『マグナ・フロス』の力は脅威だ。当時の地球は恐竜に支配されていたとはいえ、哺乳類もかなり多様な進化を遂げていたと考えられている。中には小型の恐竜を食べていたのでは、と考えられている種もいるぐらいだ。そうした哺乳類全てを洗脳したのなら、恐るべき戦力となるであろう。多数の哺乳類を従えた『マグナ・フロス』の繁栄を邪魔出来る種などいない、ような気がする。

 しかしその割に『マグナ・フロス』は繁栄していた兆しがない。ほんの数ヶ月前にようやく初の化石が見付かるぐらい、個体数が少なかった筈だ。どうにも、あまり繁栄した種族ではなかったようである。

 そして星縄が指摘する、生態的な『チグハグ』ぶり。発見された種の小ささからして多産多死型の生存戦略を取っていた事が窺い知れる。発見から数ヶ月で花を咲かせるほど成長速度だって早い。昆虫や、背丈の低い草花のような生態だ。

 生態系を制圧出来そうな力を持ちながら、小動物のような繁殖戦略を取る。この奇妙な生態を説明する仮説は――――

「……フィアちゃん、何か、気になる事はない?」

 胸の奥に燻る感覚を具体的にすべく、花中は友達に何か新しい情報がないか尋ねる。

 部屋の中を歩き回っていたフィアは花中に尋ねられると、天井を見上げるような姿勢でしばし考え込み

「すみません先程から美味しそうな匂いがしていましてどうにもそっちが気になり枯れ草の事はすっかり忘れていました」

 次いで能天気な答えを返してきた。

 ……要するに、食べ物以外の事はなんにも考えていなかったらしい。

 ちょっと期待していた花中は、ぷっくりと頬を膨らませた。

「んもぉー! フィアちゃんっ!」

「いやぁだってこれ結構良い匂いなんですもん。あー何処から漂っているんですかねぇ」

「ははっ、確かにお腹は空いてきたね。レストランを出てからだと、もうすぐ二時間か」

「夕飯には早いけど、疲れもあるし何か食べた方が良さそうね。ちょっと建物の中を調べてくるわ。非常食ぐらいあるでしょ、きっと」

 ミリオンはそう言うと、さらさらと身体を崩していく。分散し、建物内をくまなく探すつもりなのだろう。何かが見付かる事を期待する反面、何もなかった時の不安もある。

 花中がそわそわしていると、ほんの三分ほどで扉の方から実体化したミリオンが戻ってきた。その両手にはクッキーの箱が二つ掴まれている。どうやら非常食は割とすぐ近くにあったようだ。恐らくミリオンは殆ど建物内の探索を進めていない。

 安心したような、残念なような。

 複雑な想いを抱きながら、花中はミリオンがずぶずぶと水球の中に押し込んできたクッキーの箱を一つ受け取った。箱を開けて一枚取り出し、小さな口で齧り付く。口の中に広がる小麦の香ばしさと砂糖の優しい甘味のお陰で、少しだけ心が安らいだ。

「花中さん上を何かが飛んでいます。多分飛行機です」

 その安らぎは、フィアの一言で簡単に潰えてしまったが。

 思わず花中は水球の中で立ち上がり、頭上を見上げる。無論見えるのはこの部屋の天井だ。しかし瞼の裏には、空を覆わんばかりに飛行する無数の爆撃機の姿が映る。

 一回目の空爆から二時間近くが経っている。第二陣がやってきたとしてもおかしくない。

「フィアちゃん! えと、そ、外まで連れてって! 急ぎで!」

「了解です」

 花中の頼みに応え、フィアは花中 ― と一緒に星縄も ― を連れて凄まじい速さで移動する。数百メートルは進んだ筈の廊下をほんの数秒で突っ切り、破壊した玄関戸を今度は残骸すら残さず吹き飛ばした。

 颯爽とフィアが出た屋外は、未だ深い霧が満ちていた。全ての輪郭がおぼろげになり、相も変わらず幻想的だ。空を見上げれば、ぼんやりとした星空が広がっている。一面に広がる星空すら見え辛いのだ。地上を攻撃するための飛行機が、夜の地上からハッキリ見える筈もない。

 それでも全容を知りたい花中は、必死になって空を凝視してしまう。何も見えないという当たり前の景色が、花中の不安を掻き立てた。

「そ、空には、どれぐらい、飛行機がいるの!?」

「数ですか? うーんよく分かりませんねぇ。かなり密集しているのか一つ一つの感じがくっきりしていないもので。百はないと思うんですけど」

 問われたフィアは、暢気な口調で雑な答えを返す。しかしその言葉は、花中の目を見開くには十分な情報量を有していた。

 フィアの感覚はかなり大雑把だ。数千トンもの水を分子単位で操りながら、そのやり方を「なんとなく」だの「頑張って」だのという言葉で片付けてしまうほどに。百はないという言葉も、それこそ文字通りに ― 十未満だって『百以下』だ ― 受け取るべきだろう。

 しかし自分達の頭上という『狭い領域』を、それなりの数の飛行機が飛んでいるのは間違いない。

 旅客機がそんな高密度で飛び交うとは思えない。飛んでいるのは確実に爆撃機の編隊だ。恐らく一回目の爆撃の失敗を受け、対策として爆弾の同時投下数を増やす……つまり徹底的な飽和攻撃を仕掛けるつもりなのだろう。だとしたら爆撃の規模は、先の比ではあるまい。

 恐ろしさに身が震えてくる。だが、ただの爆撃ならばフィアにとっては『雑魚』でしかない。これならもう一度やり過ごせる。破滅のカウントダウンは進むが、チャンスはまだあるのだ。

「フィアちゃん! あの飛行機が、爆弾を落としたら、また全部叩き落として!」

 花中は無意識に出していた大声でフィアに頼み込む。

「すみません花中さん今は無理です」

 フィアは花中の頼みを、あっさりと断った。

 ……本当にあっさりと、なんの躊躇もなく。

 花中は目を丸くして、短くない時間呆けてしまった。我を取り戻してからも、唇が震えて上手く言葉が出てこない。綴るべき言葉を考える頭は、真っ白な『何故』という単語に埋め尽くされていた。

「な、なん、で……?」

 ようやく出せた言葉は、この情けない一言のみ。

 フィアはそんな花中に見向きもせず、ぶつぶつ独りごちる。

「この私の感覚さえも欺くとは。これは間違いなく筋金入りの臆病者です。コイツに比べれば道端を歩くイモムシすら勇猛果敢ですね」

「ど、どういう、事? どうしたの、フィアちゃん……?」

「何故爆撃の撃墜が出来ないんだ。このままでは爆弾によって、この辺りが吹き飛ぶかも知れないんだよ!?」

 花中だけでなく星縄も問い質すが、フィアは正面をじっと見つめるだけ。本能的に不快になる筈の、頭上の爆撃機にすら目を向けない。

 動揺する花中だったが、その動揺は更なる加速を見せる。

 大地が、揺れ始めたのだ。

「きゃあっ!?」

「じ、地震……!? こんな時に……!」

「こんな時だからでしょう。全く臆病者風情が図に乗ってからに」

 何か思うところがあるのだろうか。動揺する花中達に対し、フィアは淡々と、それでいて呆れるようにぼやくのみ。

 大地の揺れはどんどん、際限なく大きくなっていく。舗装されていた道路が盛り上がり、コンクリートが割れていった。地鳴りがそこかしこから鳴り、喧しさすら覚える。

 やがて盛り上がった大地の中から、勢い良く『何か』が生えてくる。

 それは、植物だった。

 宵闇の中でも分かるほどに青々とした葉を茂らせ、花中なんかでは腕を回す事すら出来ないほど太い幹を持つ。近くにある四階建ての建物を易々と抜き、それでもまだ成長が止まらないほど高く伸びていく。中には建物を粉砕して生えてくるものまである有り様だ。

 そしてその中央にある花に、花中は見覚えがある。

 忘れる筈がない。花中達が今立ち向かっている最中の惨状を引き起こした元凶なのだから。しかしあれはこんなに大きくなかった。こんなアクティブな生物ではなかった。

 何より、あれはこの世に二本しかない筈。

 なのにどうして、花中達の近くだけでなく、建物の向こう側などの遠く離れた場所からも……植物園の至る所から『マグナ・フロス』が生えてきているのか?

「成程あの時の違和感はコイツだった訳ですか。なーんにも脅威に感じられなかったので無視していたんですがねぇ」

「ふぃ、フィアちゃん、何か知ってるの!?」

「知ってるも何もこいつら最初から地面の中に居ましたからね。それが出てきただけですよ」

 事もなげに答えるフィアだったが、花中は思わず息を飲む。どうにかこうにか口を開いても空回りするばかりで、言葉が出てこない。

 そうしている間にも、『マグナ・フロス』は続々と地面から現れる。長さは個体によってまちまちだったが、いずれも十~二十メートルはあるように見える。ただ一つの例外は植物園の中央付近から生えてきた個体……五十メートルはありそうな巨木ぐらいか。その巨木の『成長』が止まると、大地の揺れも収まった。

 生えてきた『マグナ・フロス』の形態に大きな差は見られない。どれもてっぺんに大きな葉を茂らせ、頂点に巨大な花を咲かせていた。そして花からはまるで湯気のような『霧』がじわりと染み出し、地上へと流れ落ちている。ミリオンに確かめてもらうまでもない。洗脳粒子を大量に放出しているのだ。

 花中にはもう、何が起きているのかさっぱり分からない。そしてそれは花中だけの話ではない。星縄も目を丸くしながら、水球の中で右往左往していた。

 『マグナ・フロス』の真相に近付いている花中達ですらこの有り様なのだ。花中達の頭上を飛んでいる、果たして何処まで説明を受けたかも定かではない兵士達の目に、この景色はどう映るのだろうか。

「おや。上を飛んでいる飛行機が何かを落としてきましたね」

 呆けていた花中は、フィアの状況報告で我を取り戻す。どうやら兵士達は、花中(自分)達よりも余程冷静だったらしい。無数の『マグナ・フロス』を前にしても、作戦をつつがなく決行したのだ。事実、数こそ増えたが『人類』のやるべき事はなんら変わりない。脅威を殲滅するのみである。

 花中達も同じだ。迫り来る空爆を見過ごし、助けを求める人々を焼かせる訳にはいかない。フィアには先程断られたばかりだが、その理由はきっと突如として生えてきた『マグナ・フロス』を警戒しての事だ。揺れが収まった今ならば。

「フィアちゃん! 爆弾を落とし」

 花中は逸る気持ちと共に胸を押さえながら、フィアに二度目のお願いをしようとした

 瞬間、爆音が空から響いた。

「……え?」

 言葉は途切れ、花中は無意識に空を見上げる。

 空には、煌々と赤い輝きが浮かんでいた。お願いを言いきる前に、フィアが爆弾を叩き落としてくれたのだろうか? 最初はそう思った……或いは思いたかった。

 だが、願望は叶わない。

 赤い煌めきは、ゆらゆらと揺れながら移動していた。赤い煌めきとは別に、バチバチと何十もの白い発光が空に広がり、それらはすぐに消える。恐らくはこちらが落とされた爆弾だ。

 なら、赤い煌めきは『何』だというのか。空に浮かぶ、爆弾以外で、赤く光り輝くものとは――――

 答えに辿り着こうとしない花中の理性に、業を煮やしたとでも言うのか。呆然とする花中の目の前で、『マグナ・フロス』が()()()

 脈動するかのように、『マグナ・フロス』の表面が蠢く。その蠢きは少しずつ『マグナ・フロス』のてっぺんへと向かっていき、到達するや開いた花の中心が僅かに膨らんだ。

 刹那、花の中心から何か、液体状のものが放たれる。

 出されたものが液体だと理解出来たのは、噴出口である花から飛沫が飛び散っていたからに他ならない。もしも飛沫がなければ、一見してそれはレーザーのようにも見えた。高速で放たれた液体は高々と飛び上がり、花中の目には見えない高さまで飛んでいく。『マグナ・フロス』はどうやってか、放つ液体を鞭のようにしならせた。

 やがて空に、赤い輝きがもう一つ増えた。煌々とした白い光の群れも再び現れる。最後に爆音が、十数秒ほど経ってから耳に届いた。

 花中は開いた口が塞がらなかった。星縄も同じ顔をしている。平然としているのは、眉一つ動かしていないフィアだけ。魚であるフィアだけが無関心なまま。

 しかし人間には、そんな事は言ってられない。

 ()()()()()()()()()()()()()なんて、あってはならないのだから。

「おや? 飛行機達がバラバラに逃げていきますね」

 二機も味方を落とされ、このままでは被害が増すと思われたのか。フィアが捉えた感覚曰く、爆撃機達は退散しているらしい。これ以上の被害は出ないで済みそうだ。だが、花中に安堵を感じる余裕などない。

 落とされた爆撃機。

 無数に生える『マグナ・フロス』。

 撒き散らされる洗脳粒子。

 全てが、最悪に向かっていた。

「……一度、建物の中に戻ろう。混乱した頭じゃ、正しい答えは出せない。まずは落ち着く事が先決だからね」

「……はい」

 星縄の提案に、花中はこくりと頷く。

 暢気な足取りのフィアに連れられ、花中達は研究所へと戻るのだった――――




洗脳するだけだと思った? 人類も必死だからその程度じゃ生き残れんのだよ!
本作の人類はお金とかイデオロギーとかで揉めたりもするけど、
本当にヤバい時はしっかり協力するんです(勝てるとは言ってない)

次回は10/7(日)投稿予定です。

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