彼女は生き物に好かれやすい   作:彼岸花ノ丘

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目覚めるパンドーラ6

 天神植物園レストラン。

 植物園内にある飲食可能な場所の一つで、主に洋食を提供している。やや値段設定は高めだが、決して後悔させない味を提供してくれるとネットで評判だ。昼時には大勢の来園者が訪れ、シェフが振る舞う美味な料理の数々に舌鼓を打つ。

 尤も、今この施設内に居る数百もの人々に、その魅惑の食事を堪能している者は一人としていないのだが。

 何故なら彼等は『マグナ・フロス』の観賞者達の襲撃から、命からがら逃れてきた避難者なのだから。疲労や混乱、先行きの見えない不安から、食欲を感じる者など皆無。誰もが俯き、そわそわとし、家族や友人と身を寄せ合って不安を和らげようとしている。仲間を失った者達の中には、涙を零し続ける者も少なくなかった。

 それでも彼等は幸運な方だ。

「全部で三百十七人。『マグナ・フロス』から逃れられたのはこれで全員ね」

 総来園者数一万二千八百一人、従業員数六十九人、合計一万二千八百七十人……古代植物という謳い文句に惹かれて訪れた、常軌を逸した全体数のたった三パーセントにも満たない人々しか、『マグナ・フロス』の洗脳粒子から逃れられなかったのだから。

 レストランの外、扉のすぐ傍でミリオンと話をしていた花中は、そのミリオンから告げられた具体的な数に思わず息を飲む。しかしこの僅かな数ですら、本来は達成出来なかっただろう。逃れた人々の大多数はレストランに最初から居た訳でなく、ミリオンやミィ達に助けられたのだから。彼女達の助けがなければ、果たして三桁に達したかどうかすら……

 これだけの数の人々を救助出来たのは、自分の正体が露呈する事を恐れず、ミリオン達が人々の救助を行ってくれたお陰だ。

「本当に、ありがとうございます。ミリオンさん達が、助けてくれなかったら、もっと酷い事に、なっていました……助けた人達には、人間じゃないって、バレてしまったと、思います、けど……」

「別に大した問題じゃないわよ。バレない方が楽だけど、バレたところで人間如きにやられるほど軟じゃないし、戦わず捻じ伏せる方法なんていくらでもあるんだから」

 にっこりと微笑みながら誇らしげに語るミリオンに、花中は思わず笑いが込み上がる。フィアなら「人間なら何百万人来ようとこの私の敵ではありませんよ!」と語るところに、戦わずに捻じ伏せると答える辺りが実にミリオンらしい。ミリオンの能力なら、敵は力尽くで消し飛ばす方がずっと楽だというのに。

 さて、人々を避難させたからこれで終わり、とは勿論ならない。避難してきた人々の家は此処ではないのだから。

 だから彼等を植物園の外まで連れて行きたいのだが……

「しっかしまぁ、あちらさんも中々やるわね。洗脳粒子を植物園内にばら撒くなんて」

 ミリオンが言うように、今や園内はすっかり洗脳粒子で充満していた。

 観賞者達、正確にはその中でも職員の立場にいた者達は大量の洗脳粒子を用意しており、それを園内にぶち撒けたのだ。粒子は非常に軽いのか霧のように辺りを漂い、一時間かそこらでは沈下する気配すらない。レストランから一望出来る園内は、さながら霧に包まれたかのような光景と化していた。当然洗脳粒子に満ちた霧を通れば、体内に洗脳粒子を取り込む事になる。そのため今や外を出歩く事すら危険な状況だ。

 ……園内を満たすには、一体どれだけの洗脳粒子が必要なのだろうか。この世に二本しかない『マグナ・フロス』だけでよくこんな量を集めたものだと、花中は驚愕の中と共に感嘆も覚えてしまう。もしかすると職員達は、洗脳粒子の化学的合成方法を見付けたかも知れない。

 無論フィア達がその気になれば、こんな霧など簡単に吹き飛ばせるのは言うまでもない。現に今花中が居るこのレストランの周辺は、ミリオンの力により洗脳粒子が除去されている。しかし吹き飛ばした洗脳粒子は、勝手に消えてはくれない。風や気流に乗って彼方まで流れ、もしも町に入れば……観賞者が一つの町を占拠するという悪夢が、現実のものとなる。

 フィアなら救助者を水で包み込む事で霧から守れるが、纏わり付いた洗脳粒子も一緒に運んでしまう。ミィならジャンプ一回で霧の中に入らず園外へと出られるが、そのために必要な速度を出せば人間などGでくしゃっと潰れてしまう。ミリオンの熱で焼けば、巨大な気流が生まれる事になる。

 ミュータントの能力を以てすれば、自身や少数を霧から守るのは容易だ。しかし後の惨事を考えると何も出来ず……花中達人間はフィアの能力によって周りよりも二十メートル以上の高台となった、この場から動けなくなっていた。

「雨が降れば、霧の方は、無力化しそう、なんですけど……」

「今朝見た天気予報によると、三日後よ。当たるのを祈ってる間に、色々終わりそうねぇ」

 文字通り天に運を任せてみようともしたが、幸運が訪れるのは随分と先の話らしい。花中は肩を落とした。

 ため息が漏れそうになる花中だったが、レストランのドアを開く音が聞こえ、喉まで来ていた息が引っ込む。振り向けば、中から出てきたのは――――星縄だった。ミリオンと花中がドアの近くに居ると思っていなかったのか、花中達と目が合うと星縄は少しだけ目を見開き、すぐに社交的な笑みを浮かべる。

「おっと、話し中だったかな?」

「いえ、大丈夫です。あの、中の人達は……」

「最初は混乱していたけど、今は大分落ち着いてきた感じかな。電波は普通に通じているのが幸いしたよ。警察に通報したり、家族と連絡を取ったり出来るからね。あとネットで情報を集める事も出来るよ」

「あら、ネットの情報については私も是非とも知りたいわね」

「そう言うと思った」

 星縄は自身のスマホを取り出し、素早くタッチを繰り返す。やがて目当ての記事に辿り着いたのか、スマホの画面を花中達に見せてきた。

 ニュース記事曰く、天神植物園が謎の集団に占拠された。通報を受けた警察は大規模な人質事件と判断し、千五百人体制で植物園を包囲している。

 ……実質、この二文ぐらいの内容しかなかった。集団の目的不明、正体不明、規模不明、どうしたら良いのか現在検討中。助けを待つ側としてはこれほど頼りない報道もないだろうが、しかしこれは仕方ない事だ。よもや復活した古代植物が謎の粒子をばら撒き、来園者の九割以上が洗脳されたなんて、一体誰が思い付くのか。花中だってミリオンという『ズル』のお陰で知れた情報なのに。

「この調子じゃ、救助が来るのは当分先かしら」

「先というだけならまだ良いんだけどね。奴等が交渉に応じる振りをして、警察隊や自衛隊の中で洗脳粒子の粉をばら撒いたら、それこそ救助すら行えるかどうか……」

「一番の問題は、それを平然とやりかねない事ね。あの狂信ぶりを見ると、自分の身の安全なんて二の次って感じだし」

 花中から洗脳粒子の存在 ― ついでにミリオン達の正体も ― を聞いていた星縄が語る予想に、ミリオンも同意する。花中も、あまり考えたくないが……そういう考えたくない事こそやられると思うべきだ。最悪の展開を常に考えておかねばなるまい。

 そうしたゲリラ的作戦がまだ実行されていない現時点でも、警察は大きな苦労をしているところだろう。植物園を占拠した集団こと観賞者達は、『マグナ・フロス』による洗脳を受けたという以外の接点がない。どんな線を辿ろうとも、集団を構成するメンバーの特定など出来やしないのだ。これでは人質と構成員の区別が付かず、救助しようとした人間に殺されたり、要救助者を殺してしまったりという事態が頻発する恐れがある。世論の反発を避けるためだけでなく、隊員達の精神や命を守るためにも、敵味方を判別するための確かな情報が得られるまで動けない筈だ。

 こうなると今日中に救助が来るのは難しいかも知れない。

 そして救助の見通しが立たない状況下において、三百もの要救助者は()()()()。此処はレストランだが、稼ぎ時である昼を過ぎた店にどれだけ食料が残っているだろうか。水に関してはフィアの能力でどうにかなるため、生存するだけなら一週間は持つだろう。しかし一日三食の生活に慣れきった現代人に、食事のない生活は大きなストレスとなる。また子供や老人は体力が少ないため、病気に掛かるかも知れない。糖尿病など持病の持ち主には今すぐにでも薬が必要だ。

 しかしながらこれは、花中達にどうこう出来る問題ではない。『マグナ・フロス』の生態に洗脳を解くヒントがあるかも知れない現状、倒す訳にはいかないのだ。警察の早急な活躍を期待するしかなかった。

 やれる事があるとすれば、こちらの情報をなんらかの形で警察に伝えるぐらい。

 不幸中の幸いと呼べるかは分からないが、ミリオン達にとってその程度の『雑用』もまた難しくない事だった。

「……とりあえず紙飛行機は、警察の狙撃隊に見えるよう()()()()おいたわよ。回収したのも確認出来たし、さて、どんな対応をするかしら」

 雑用を終えた旨をミリオンが呟き、花中と星縄は安堵の息を吐く。

 ミリオンには紙飛行機を、植物園を包囲している警察に届けてもらった。無論ただの紙飛行機ではない。花中達が置かれている状況を、びっしりと書き込んだ紙飛行機だ。読めば事の発端と要救助者が何処に集まっているか、そして園内を満たす霧の危険性が分かる筈である。

 勿論こんな回りくどい方法ではなく、ミリオン達が植物園を抜け、直接情報を伝えるというやり方も可能だった。しかしいきなり現れた『謎の女』の情報を信用するほど、警察というのは人が良い組織ではあるまい。そのため植物園の中から紙飛行機が飛んできた、という『演出』をミリオンにはしてもらった。『謎の集団』による罠と疑う可能性もあるが、何も分からない現状を一歩でも進めるためのきっかけにはなる筈だ。

「ありがとうございます、ミリオンさん」

「救助者の数と、洗脳された人の数については、知らせなくても良いかな。あまり具体的な数を記すと、返って不信感を招きかねないからね」

「そうね。私の存在を公にしたところで、話を信じるどころか攻撃対象になるかもだし」

「……今の時勢を思うと、それもありそうだから怖いね」

 ミリオンのぼやきに、避難中にミリオン達の正体を教えてもらっている星縄は肩を竦めながら同意した。星縄はミリオン達が人間ではないと聞いてもあまり困惑しなかったが、誰もがそうとは限らない。何より今は『異星生命体』の恐怖が多くの人々に残っている。ミリオン達のような人智を超越する生命体が居ると分かったら、世論が要救助者を助ける事よりも、軍事攻撃を求める可能性があった。

 それを防ぐためにも、紙飛行機に乗せられる情報はある程度制限しなければならない。それが花中にはとても歯痒い。信用出来ない人々の気持ちは分かるが、ミリオン達と友達になっている花中には、なんだか悔しく思えた。

「ひとまず、今やれるのはこんなところかしらね。他にやってほしい事があったら、余程面倒臭くない限りはやってあげても良いわよ」

「すまないね。元を辿れば人間の問題なのに」

「本当よ。ちゃんとしてよね、人間」

 謝る星縄に、わざとらしくぷんぷんと ― ご丁寧に『髪』を立てて角まで作り ― 怒るミリオン。なんとも微笑ましいやり取りに、花中は思わず吹き出してしまう。

「おっと花中さん楽しそうですねぇ」

「ぴゃあっ!?」

 そうしていると、何時の間にやってきたのか。突然背後から抱き締められ、花中は小動物染みた声を上げてしまった。

 わたわたしながら振り向けば、抱き付いてきたのはフィアだった。柔らかな人肌の感触に、頬が勝手に弛んでしまう。驚かされた事を怒ろうにも説得力のない顔なのは自覚したので、大人しく蕩けておく。

 加えて、フィアからも訊かねばならない話がある。

「えっと、おかえり、フィアちゃん。どうだった?」

「花中さんの思った通りです。あの連中水道管に枯れ草の粉を流していましたよ。私が逆流させて二度とやる気が起きないようにしておきました。他のパイプも滅茶苦茶に壊しておきましたのでご安心ください」

 胸を張り、自慢げに語るフィア。その素晴らしい活躍に、花中も自分の事のように嬉しくなる。

 洗脳粒子が呼吸以外の方法 ― 例えば食事など ― で体内に入っても、効果があるのかは分からない。しかし水道、特に生活用水として使われる上水道に混ぜられたなら、被害が広域に拡散する恐れがあった。それこそ下流の市街地で、何十万もの『観賞者』が、散発的に発生したかも知れない。もしもこれが現実となれば、正しくゾンビ・アポカリプス染みた光景が生まれた事だろう。

 そこでフィアに頼んで、上下水道を監視・破壊してもらったのだ。水を自由に操る能力の前で、水に異物混入など出来っこない。観賞者達の目論見は、人智を凌駕するフィアによって呆気なく瓦解したのである。

「たっだいまー」

 フィアの大活躍を花中が我が事のように喜んでいると、今度はミィが()()()()()降ってきた。恐らく出向いていた場所から、文字通りひとっ跳びしてきたのだろう。

 ミィの着地と同時に起きた震度四近い地震にふらふらしつつ、花中はミィと向き合う。ミィもまた、フィアのように自慢げな雰囲気を纏っていた。

「あ、おかえりなさい。えと、どう、でしたか?」

「ふふーん、余裕だねぇ。ドローンを使って外に粉を運ぼうとしてたけど、ぜーんぶ撃ち落としてやったよ。人間如きがあたしの目から逃れようなんて、一万年早いんだから」

 訊けばミィは鼻息を鳴らし、上機嫌な笑みを見せる。ドローンによる洗脳粒子の輸送も、警戒しておいた甲斐があった。ミィの視力や聴力(身体能力)であれば、間違いなく一機も逃していない。またしても観賞者の思惑は未遂で終わる。

 やっぱり自分の友達は凄いと、花中は改めて驚愕と感嘆を覚える。

 観賞者達は古代植物の力を借り、一気に勢力を拡大した。確かにその力は人智の外にある、恐ろしいものと言えよう。しかしフィア達の力は、最早人智の及ぶところではない。原理すら分からない謎の力の前では、『偉大なる花(マグナ・フロス)』もまたただの草なのだ。

 フィア達が力を貸してくれるのなら、きっと大勢の人々を守れる。そして人類の英知であれば、きっと知見を広げる事で『マグナ・フロス』の持つ理論までなら辿り着ける筈だ。

 時間は掛かるだろう。それでも解決の糸口が見えてきた気がして、花中は胸の中が段々と穏やかになるのを感じた。

 ――――誰もが、そうであってほしかった。

「なんでこうなるのよっ!」

 しかしガラスを割るような音と共に聞こえた、若い女の罵声により、その想いが幻想である事を思い出す。

「ひっ!? えと、何が……」

「レストランの中から聞こえてきましたね。ケンカでしょうか?」

「分からない。確認しよう」

 星縄が先行してレストランに入り、続いてミリオン、フィアと花中も入る。ミィは床を壊しかねないので留守番だ。

 花中達が入ると、大勢の人々がレストランの隅まで移動していた。怯えるように身を寄せ合い、泣き叫ぶ子供をあやす親の姿がちらほらと見受けられる。

 そうした『普通』の人々が寄り付かない、二十代ぐらいの若い女が一人だけ居た。地団駄を踏み、足下にあるガラス ― 割れたコップの破片だろうか ― に怒りをぶつけているようだ。目は血走り、明らかに冷静さを失っている。

「どうしたんだい、そんなに怒って」

「どうもこうもないでしょ!? なんで何時まで経っても助けが来ないのよ! 彼氏が変な奴等に連れ去られてるのに、なんで誰も助けてくれないの!?」

 星縄が冷静に、宥めるように声を掛けたが、女は唾を吐き散らかすような大声で喚く。どうやら救助が来ない事への苛立ちで、我を忘れているらしい。

 何時かはこうなる人も出るとは予想していたが、まさかこんなに早く……そう思う花中だったが、思えば自分は何が起きているのかを正確に把握し、いざとなったら守ってくれる友達が傍に居る。そんな自分が、何も知らず、巻き込まれただけの人々の精神状態を推し測るなど、土台無理な話ではないか。

 加えて女性は、恋人と共に来ていたという。そして観賞者達にその恋人が攫われたと。彼女の心細さは如何ほどのものか。不安を打ち明けられる人がいない中では、精神的限界がすぐに来たとしてもおかしくない。

 女はヒステリックに頭を掻き毟り、唇を噛み締め、砕いたガラスを蹴散らす。

「彼氏と遊びに来ただけなのに! どうして、どうしてこんな目に遭わなきゃいけないの!?」

「別に理由なんかないんじゃないですか? あなたは偶々此処に来ただけなのでしょう?」

 現状への不満を叫んだところ、フィアは暢気に女の『疑問』に答えた。

 フィアとしては、()()()()()()いたから答えただけだろう。しかし女からすると、おちょくられたように感じたのかも知れない。彼女はフィアの方へと獣のような勢いで振り向き、睨み付けてくる。フィアに抱き付かれたままの花中は女の視線を見てしまい、思わず怯んだ。

 対してフィアは、花中のそうした反応に眉を顰める。

「ちょっとあなた少し落ち着いてくれませんか? 花中さんが怖がってるじゃないですか。大体あなたが喚いたところで何も変わらないと思うのですが」

「な、何よアンタ! 偉そうに!」

「偉そうにしているつもりなんてないのですけど。どの辺りがそう見えたのです?」

「こ、この……さっきから、こっちの事馬鹿にして……!」

「? 分からないから尋ねただけなのですが」

 受け答えしているだけなのに、何故怒りを募らせていくのか……本当に理由が分かっていないフィアは首を傾げる。その態度が、女の激情に油を注いでいく。

 花中はなんとか二人のケンカを止めたかったが、しかし二人の会話のテンポが速く、上手く間に割り込めなかった。このままだと怒り狂った女性が、フィアに暴力を振るうかも知れない。フィアは人間の暴力など羽虫にたかられた程度にも思わないが、はたき落とす一撃は人間にとって致命傷となり得る。

 どうにかしないと、どうにかしないと。考えはするが中々チャンスを掴めず――――

「お、おい、噓だろ!?」

 フィアと女の間に割って入ったのは、部屋の隅に逃げていた男の悲鳴染みた声だった。

「? どうしたの?」

「こ、これ……」

 フィア達のやり取りを遠目に眺めていたミリオンが、声を上げた男に尋ねる。男はガタガタ震えながらスマホをミリオンに見せた。ミリオンは彼からスマホを受け取り、表示されている画面を見遣る。

 最初、ミリオンは訝しげな表情を浮かべた。これが何? と今にも訊かんばかりに。しかし段々と顔が強張り、書かれている内容の深刻さを物語る。例え言葉を発さずとも、あまり愉快でない出来事が起きている事は伝わってきた。

「あ、あの、ミリオンさん……何か、ありましたか……?」

 溜まらず花中が尋ねてみると、ミリオンは花中の下までやってきてスマホを手渡してきた。元を辿れば見知らぬ男性の私物。一瞬受け取るのを躊躇うが、好奇心と危機感が勝り、興奮した女性も新情報が気になるのか押し黙ったのもあって、花中はスマホを掴む。

 スマホの画面に映し出されていたのは、無数の装甲車や戦車だった。

 何処かの軍事基地の写真だろうか? 違和感を覚え、画面の下に書かれている文字を読み進める。

 花中の顔色が青くなるのに、さしたる時間は必要なかった。

 スマホに映っている軍事兵器の数々。これらが配備されたのは他でもない、この植物園の周りだったのだから。

「……き、きっと、この霧を突破するための、もの、ですよね。あの、火山噴火での、救助作戦で、戦車が使われたって、聞いた事が、あります」

「そ、そう、だよな。きっと助けに来る準備だよな……!」

 花中が伝えた()()()に、男は飛び付くように同意する。

 そうだ、戦車だけならその可能性もある。悪い方に取る事はない。

 しかし、

「……はなちゃん、残念なお知らせよ。外に向かわせていた『私』から連絡があったわ。戦車だけじゃなくて、飛行機も飛んでる。多分戦術爆撃機ね」

 ミリオンが耳打ちしてきた言葉が、希望を打ち砕いた。

「せ、せんじゅ……!? なんで……!?」

「ちょっとばかし、情報を与え過ぎたのかもね。霧のように立ち込めているのが人々を洗脳する粒子の集まりと分かって、在日米軍が動き出したみたい。聞こえた話だと、中国や韓国、ロシアにも動きがあるみたいね」

「ざ、在日米軍……!?」

 否定してほしい。そんな祈りを込めてオウム返しをするも、ミリオンが無言で頷くだけで露と消える。

 爆撃機が飛んできたら、何をしてくる?

 考えるまでもない。爆弾を落とし、一帯を焦土化するつもりだ。恐らくは『マグナ・フロス』と園内に満ちる洗脳粒子を吹き飛ばすつもりなのだろう……洗脳された犠牲者や、救助を待っている人々諸共。

 あまりにも暴虐が過ぎる。最早困惑よりも怒りが強くなる花中だったが、しかし冷静に考えれば、この状況は予測出来た事であり、おまけに批難出来ないものだった。

 花中達が送った紙飛行機により、園内に立ち込める霧が人の心を汚染する劇物である事は自衛隊に伝わった。その際なんらかの ― 正式か否かは置いておくとして ― 経路で米軍や周辺国もその情報を掴んだのだ。

 花中達の渡した情報だけならば、空爆をしようとは思わなかっただろう。しかし花中達の提供した情報と『あの情報』がくっつけば、状況認識は一変する。

 その情報とは『マグナ・フロス』が開花している事だ。

 洗脳された職員達により、『マグナ・フロス』が花を付けた事は世界中に公表されていた。無論アメリカもこの情報は掴んでいるだろう。

 そして花が付いたという事は、やがて種子が実る可能性が高い。

 種子というのは、成木と比べ遥かに小さく、秘密裏の持ち運びが容易である。園内にて開示された資料によれば『マグナ・フロス』の種は非常に小さいようなので、例えば靴底だとか、口の中だとか、隠そうと思えば何処にでも隠し持てるだろう。

 米軍や日本と隣接している国々はこれを恐れたのだ。『マグナ・フロス』の種子が何時出来るかは誰にも分からない。否、もしかするともう出来ている可能性すらある。霧のように立ち込める洗脳粒子の中で、観賞者達が種を運ぶための準備をしていたら? その種子を自国に持ち込まれたら?

 芽吹いた『マグナ・フロス』は洗脳粒子をばら撒き、大勢の人々を洗脳する。洗脳された人々は『マグナ・フロス』の種を持ち、他の町や国で同じ事を繰り返せば……地球上に存在する全ての国と地域が『マグナ・フロス』に支配されてしまう日はそう遠くあるまい。即ちそれは人が支配する世は終わり、古の植物が人を奴隷とする世界の始まりを意味する。

 このような事が起きると思うのは、心配し過ぎだろうか? かつての人類なら、その通りだと鼻で笑えただろう。しかし今の人類は違う。一部の生物は文明なんて簡単に滅ぼせる事を人類は知ったのだ――――水爆すら気にも留めない異星生命体と、その異星生命体を打ち倒した『神』によって。

 禍根の芽は摘まねばならない。例えどれほどの犠牲を出そうとも。一万ちょっとの命を助けるために、七十億もの命を危険に晒す訳にはいかないのだから。

「……自衛隊の、反応は……」

「取り立てて慌ただしい様子はなし。戦車とかを並べているけど、進ませる気配なし。こりゃ言い訳作りね」

 ミリオンは肩を竦め、呆れたように答える。全く以て『合理的』な決断だ。平和的な方法で種子の拡散を止める術を、今の自衛隊は持っていないだろう。暴力的手段を用いるにしても、専守防衛が定められている自衛隊に、米軍が保有する戦術爆撃機ほどの殲滅力はない筈だ。ならば米軍に殲滅は任せ、自分達も努力はしましたと国民にアピールするしかない。

 これで世論の反対があれば少しは流れを変えられるかも知れないが、「吸い込むだけでカルト教徒になってしまう粉を撒き散らす植物」が世界中に拡散するかも知れないと聞いて、果たしてどれだけの人が声を上げて反対出来るのか。自分の命と心が、家族が、生活が脅かされる危険を、誰が背負えるのか。

 世界は自分達を見捨てた。自分達の力がちっぽけなものであると、身の程を弁えたが故に。

「ふぅむ花中さんどうしますか? 花中さんや此処に居る人達は助けてあげられますが枯れ草に洗脳された人間までは面倒見きれませんよ?」

 花中に抱き付いたままのフィアは、どうでも良さそうに尋ねてくる。元より、花中以外の人間の生死など興味もないのだから。

 フィアからの問いに、花中は一瞬口を閉ざす。それでも唇を震わせ、声を出そうとして――――

「おっと考える暇はないようですねぇ」

 何もかもが遅かった。

 花中はハッとなり、思わず頭上を見上げる。無論此処はレストランの中であり、見えるのは天井と蛍光灯だけ。その先にある空の景色など何も見えない。

 しかしフィアは違う。魚であるが故に、空から襲い掛かる天敵を警戒している本能は、理屈で説明出来ないほどの正確性で頭上の全てを把握する。

 フィアは気付いたのだ、自分達の真上に米軍の爆撃機が来た事を。そして察したのだ。その爆撃機が無数の爆弾を落とし始めた事を。

 正直に言うならば、花中は未だ迷っていた。願望はあれど、それを叶えるための具体的な策など何もなかったがために。自分のわがままを行動に移せば、他の人の生活が脅かされる。

 だけど『自分達』の命を脅かされたのなら、もう迷う意味などない。

 何より花中は四月の『事件』の時に決めたのだ。ほんの少しだけ、自分の気持ちに正直になると。

「フィアちゃん! 落ちてくる爆弾、全部叩き落としちゃって!」

「あいあいさーです」

 花中の頼みを、フィアは二つ返事で受け入れた。

 それからほんの十数秒後、頭上から何十もの爆発音が響く。

 音は決して大きなものではなく、花火のようにも聞こえた。レストランに避難していた人々も不安そうに天井を見上げるぐらいで、あまり気にした素振りもない。何があったのか分からないのだから、恐怖など感じられる訳がなかった。

 だが事情を知っている花中には、何が起きたのか、目の当たりにしたかのように想像出来る。

 フィアが能力によって外の地面から巨大な水触手を生やし、降り注ぐ爆弾を残さず叩き潰しているのだ。フィアが答え、爆発音が聞こえてくるまでの時間からして、高度五千メートルほどの位置で撃墜しているのだろうか。

 爆撃機は一機ではないらしく、爆発音は次々と聞こえてくる。避難している人々も段々と不安を強めていたが、よもや暢気な鼻歌を奏でている金髪碧眼の美少女が、米軍の爆撃を易々と捌いているとは予想も出来まい。

 爆発音はまだまだ続き、園内全てを吹き飛ばすための猛攻が如何に苛烈なものかを物語る。もしかするとかつての東京大空襲……大都市一つを丸ごと吹き飛ばすぐらいの、大規模攻勢だったのかも知れない。だが超生命体(フィア)の力の前には、人類が開発した最新鋭爆撃機など紙飛行機の群れと大差なかった。何千何万と降り注ぐ爆弾は、一発として地上まで届かない。

 五分も経った頃には爆発音は止み、静寂が戻ってきた。今頃爆撃機のパイロット達や、彼等に爆撃命令を出した司令官達は困惑しているに違いない。全ての爆弾が地上に届く前に爆発し、何一つ役目を果たせなかったのだから。再攻撃を仕掛けようにも、今頃機体の中身は空っぽだろう。一度基地に戻って補給する必要がある筈だ。

 今こそが絶好の好機。

「フィアちゃん、ミリオンさん。あの、お願いが、あって……」

「大方想像は付いているわ」

「花中さんのお願いでしたら出来る事ならなんでもどうぞ」

 必要ないと分かってはいてもしてしまう前置きに、友達は詳細を知らずとも強力の意思を示してくれる。ポカポカとした暖かな気持ちが、花中の胸を満たした。

 その温かさが、自分の背中を押してくれる。

 故に花中は、自分の『願い』を友達に伝えたのだ。

「園内を、探索したいの。『マグナ・フロス』から、みんなを解放するためのヒントを、見付けるために……!」

 全ての人を助けるという、あるかも分からない可能性を探したいと――――




米軍さん、いきなり他国民を空爆してますが割と現実でもゲフンゲフン
作中で語った通り、世界中がトラウマになっているのです。異星生命体とアナシスの争いが。
人類は求められています。強大な敵と戦うために、非情に徹する覚悟を。
ま、覚悟したところで、勝利は約束されていないのが本作の世界観ですが(ぁ)

次回は9/30(日)投稿予定です。

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