ことん、と紙コップを置き、「カフェオレ」と書かれたボタンを押す。とぽぽぽぽ・・・という音を立て、紙コップに注がれたカフェオレの香りがふわりと広がった。カフェオレが注ぎ終わるのを確認したセリエズは紙コップを手に取り、もう一つの紙コップを置く。今度は「アイスコーヒー」を押す。紙コップに、独特の香りを放つ黒い液体が注がれた事を確認すると、セリエズは少しだけ迷って、結局ミルクとガムシロップを指で挟んで持ち、テーブルへと着いた。
カフェオレを自分の席に、コーヒーをフィラクの席に置く。
「いる?」
ミルクとガムシロップを見せて、セリエズは尋ねた。
「いや、いいです」
「ん・・・了解」
セリエズは、テーブルにそれを置くと、自分のカフェオレを一口飲んでから話を切り出した。
「で、ここに来てもらった理由なんだけれど」
「はい。」
話はあの模擬戦の後に戻る。
あの模擬戦を終え、シミュレーターから出ると、外部モニターで見ていた野次馬の声と、いつの間にか起こっていた「どちらが勝つか」の賭け金のやり取りで、場は騒然となっていた。中隊長のガンスが、整備長に呼ばれた為、押さえる者が居なくなっていたのだ。
戦闘データが記録されたチップを受け取ると、セリエズはその人ごみの中をやっとの事ですり抜けて行った。だが、振り返るとフィラクは哀れにも、人の波に溺れるようにして姿が見えなくなってしまった。
「まるで『バーゲンセールのご婦人方』だな・・・」
西暦の時代に人々が一つの目的のために一箇所に集まってごった返す様子を揶揄したことわざを、セリエズはぼそりと呟いた。
その時はそのまま話せなかったのだが・・・。
少し落ち着いて話せる時間が欲しかったセリエズは、お互いが非番の日にフィラクを基地の一角の休憩所に呼んだのだ。
そして今。
「で、ここに来てもらった理由なんだけれど」
「はい。」
セリエズに呼ばれたフィラクは、アイスコーヒーの冷たさを手で感じながら、セリエズと向き合っていた。
セリエズが言葉を続ける。
「何で、模擬戦をして欲しいと言い出したのか、気になってね。戦闘中の様子を見てて、ただ単に訓練の為とかじゃないように感じたからというのもあるし・・・、何か理由が?」
「・・・答える義務は?」
「・・・無い。ただ、個人的に聞きたいだけだから」
「戦闘の最初に理由は話したはずですがね、ヴァイス・トート隊のエース殿?」
「・・・」
フィラクの皮肉にセリエズが口をつぐむ。
非番という事でゆっくり休息を取りたかったフィラクだったが、ベッドに手を掛けた瞬間に、内線でセリエズに呼ばれたのだ。皮肉の一つも言いたい気分だった。
「正直、納得がいかなくてね」
「で、模擬戦を頼んだ理由ですが、一言で言うと、あなたがエースの名にふさわしいか、確かめたかったんですよ」
「そんなこと・・・」
「どうでもいい、と思いますか?でも私にとっては、どうでも良い事じゃ無い。私は・・・」
ほんの少し戸惑って、フィラクは続けた。
「あるエースパイロットに、憧れてたから」
「だから・・・『エース』にこだわりを持っていたと?」
「そうです」
4年前・・・
一年戦争当時、フィラクは北アフリカ戦線で戦っていた。
その頃は、「天才」などとは呼ばれていなかったが、MSパイロットとしては平均より高い腕だったために、「自分は強いんだ」と思っていた。
もしかしたら無意識に優越感に浸っていたのかもしれない。
しかし・・・
「共同戦線?」
「一時的に、らしいけどね」
「ふ~ん・・・あのMSが?」
「らしいよ。ドム系のあれ、見慣れないけどね。ザク・デザートタイプは分かるけど」
「ま、足を引っ張らなければそれでいいか」
出撃前に仲間と交わしたそんなやり取りが、頭をかすめる。
自分は、とても狭い世界に居た。調子に乗っていたのだ。
自分より遥かに強いパイロットが、世の中には居たのだと、その時彼は思い知った。
第5地上機動歩兵師団第1MS大隊A小隊、通称「カラカル隊」・・・
その隊長機だったドム・トロピカルテストタイプの強さは、フィラクなど足元にも及ばなかっただろう。
「ロイ・・・グリンウッド・・・」
その日フィラクは、憧れという言葉の意味を知った。
「なるほどね・・・」
フィラクの話を聞き、セリエズは納得の行ったように頷いた。
「それで、『エース』にこだわる訳か・・・」
「はい。あれから強くなるために、努力を重ねてきたんですが・・・まだまだですね」
そう言ってフィラクは、手の熱でぬるくなったコーヒーを飲んだ。
それを見たセリエズが、口を開く。
「ただ、俺は別に『エース』なんて称号、どうでもいいんだけどね」
「え?」
フィラクは思わず聞き返した。
エースパイロットと呼ばれる事は、名誉であるはずだ。だが、それをこの男は「どうでもいい」と言うのか。
「いや、馬鹿にしてるわけじゃ無いけど・・・俺はただ強くなりたかっただけで・・・『エース』って名前は、後からくっついて来ただけだから。他のエースパイロットがどうかは知らないけど、『エース』って呼ばれてる人間って、大体そうだと思う」
フィラクは呆気に取られた。
衝撃を受けた、と言う方が近いだろう。
「エース」という称号だけを追っている人間と。強くなって、結果的に「エース」と呼ばれた人間と。
「なんだ・・・そうだよな・・・そんな事に気付かなかったなんて・・・」
フィラクは脱力するような思いだった。
「エース」だけを追っていても、それは所詮紛い物なのだ。
「ありがとう、ヴァイス・トート隊のエース、セリエズ・シュテイン」
今度は皮肉でなく敬意を込めて、エースと呼ぶ。
その差し出された手を、なぜ礼を言われるか分からないままセリエズが取ろうとした矢先。
衝撃と爆音、そして基地の警報が同時に鳴り響いた。